リリカルなのはSpiritS第二話後編

魔法少女リリカルなのはSpiritS
第二話「スカーフェイス・ガンスリンガー(後編)」



 どん、と発砲音を鼓膜に感じる。
 腕には銃撃の反動を感じる。
「チッ」
 小さく舌打ちをすると同時に、素早く板張りの舞台を蹴った。
 空中で縦に回転するようにして、その場を離脱すべく飛び退る。
 作戦はこうだ。
 まずは地元民を装い、適当な理由をつけて潜入し、親玉の目の前まで移動する。
 そして隙を突いて魔力弾を撃ち込み、反撃も許さぬうちに始末する。
 後は遅れて飛び込んでくるヴァイスと共に、浮き足立ったところを制圧する。
 第一段階までは成功した。
 ただ、第二段階でしくじった。
「幻術、解除」
 虚空に髪を揺らしながら、己が身に施した魔術を解く。
 瞬間、一変。
 少女の裸身は瞬時に掻き消え、現れたのは上下揃った衣服。
 白い長袖のシャツと、黒のプリーツスカート。ついでに髪型もツインテールへと変わった。
 生気のなかった視線にも、僅かに命の力が浮かぶ。
 否。
 全ては元に戻ったまでだ。
 これが本来の彼女の服装なのだ。
 先ほどまで連中が見ていたのは、全て魔力によって生み出された幻。
 ティアナ・ランスターの持つ技能――幻術によって、擬似的な変身魔法の効果を発揮していただけのこと。
 ざっ、と。
 客席を滑る靴の音。
 絹糸のごとき髪が揺れる。
 両足に左手さえも添えて、後方へ行かんとする勢いを殺す。
 右手に握り締められたものは、銀色に輝く金属のカード。
「こっ……こいつ、魔導師か!?」
「このアマ、俺達を騙してやがったのか!?」
 そこでようやく事態を飲み込めたらしい。
 すっかり硬直しきっていた雑兵達が、ざわめきと共に口を開く。
 ちょうど、この瞬間だ。
「――おらおらァ! 時空管理局だ! 大人しくお縄につきやがれ!」
 ぶぉん、と。
 エンジンの豪快な轟音と共に、鋼鉄の塊が突っ込んできたのは。
 木製の扉をぶち破り、破片がティアナの背後で舞う。
 野太い振動音を伴い現れたのは、一台の大型サイドカー。
 黒を基調としたボディに、煉瓦色のラインが引かれたデザイン。メインのバイクのシートには、ツナギ姿のヴァイスが跨っている。
「どうだ、上手くやれたか!?」
「しくじりました! 奴はまだ健在です」
 見れば視線の先に立つのは、未だ無傷の72号。
 さすがはこの地区のボスということか。
 あの態勢から一瞬の判断で防御の構えを取り、ティアナの放った凶弾を防いだのだ。
「やられたわ……貴方のような小娘が、たった1人で乗り込んでいたとはね」
 しゅう、とたなびくは灰色の煙。
 左手から漂う硝煙を振り払い、紫のドレスの機人が呟く。
 微かに揺らぎの見える語調は、押し殺しきれぬ驚愕の発露か。
「貴方、一体何者なのかしら?」
 驚くのも無理はなかった。
 無論、襲撃そのものに対する驚愕もある。だが、それ以上に解せぬことがある。
 彼女の目に映る暗殺者は、齢15前後と言ったところの若造だ。
 どう贔屓目に見たとしても、普通なら魔力ランクDにも満たぬ雑兵のはず。
 しかし、この娘は何だ。
 そんな若造にもかかわらず、この戦闘機人達の魔窟へと乗り込んできた。
 そして防がれこそしたものの、並の娘では有り得ぬ殺気と共に、迅速かつ痛烈に弾丸を撃ち込んでみせた。
 一体こいつは何なのだ。
 このオレンジの髪の娘は何者だ。
「――クロスミラージュ」
 されど、少女は問いに答えず。
 冷徹な声音と表情と共に、ティアナ・ランスターの口を突いたのは命令。
「SET UP」
 右手に掴んだ鋼鉄のカードを、横目で見やり指示を飛ばす。
『Standby ready.』
 応えるのは無機質な機械音声。
 紡がれる声と共に明滅する、真紅のクロスのシンボルマーク。
 それがティアナ・ランスターの相棒――インテリジェントデバイス・クロスミラージュの待機形態だった。
『Set up.』
 瞬間、発光。
 暁に輝く魔力の光が、華奢なティアナの体躯を包む。
 魔性のプラズマ光が煌くなか、剥ぎ取られていくのは少女の衣服。
 幻術のまやかしなどではない、正真正銘の彼女の裸体が、今度こそ外気に晒される。
 されど、それも一瞬の事象。
 刹那の後に纏われるのは、魔導師を守護する奇跡の鎧。
 身体にフィットするタイトなワンピースは、ノースリーブとミニスカート。
 漆黒のインナーの上に纏われる、白の腰布と袖無しのジャケット。
 黒のリボンに描かれた模様は、悪を断罪する純白の十字架か。
 一度ほどかれたツインテールが、再びまとめ直された。
 刹那、分離。
 1枚のカードが2枚へと分裂。
 待機形態のインテリジェントデバイスが、そのまま戦闘モードへと移行。
 その手に握られるのは――ピストル。
 スバルのリボルバーナックルとは違う、遠距離戦型の二挺拳銃だ。
「あたしは全ての悪を駆逐する者――」
 全ての過程は一瞬で完了。
 馬鹿正直には答えない。
 ストライカーズ養成計画の存在は、未だ敵に漏らしていい情報ではない。
 故に、己が身分に触れることはなく。
 分かりやすくかつ冷徹な語彙で、自らの存在を証明する。
「――あんた達みたいな悪党への、復讐者よ」
 自らが戦闘機人の敵であることを。
 ティアナ・ランスターの胸に渦巻く、敵意と殺気の存在を。
 ぽぅ、と。
 魔力の発動に呼応するように。
 瞬間、浮かび上がるものがあった。
 それは細く光る線。
 ティアナの両頬を駆け上がる、オレンジ色の光のライン。
 さながら阿弥陀籤のような。
 卵の殻に走るひび割れのような。
 どこか危うさすら孕んだ、無数の光の亀裂が走る。
 自らの魔力光と同じ色の光輝が、ティアナの顔を照らし出した。
「くそっ……殺っちまえぇ!」
 最初に唸りを上げたのは、一体どの機人だっただろうか。
 ようやく上がった声を皮切りに、標的が戦闘態勢へと移行。
 総勢8名の戦闘機人が、各々構えを取り床を蹴る。
 この距離と数なら、触れられる前にこなせるか。
 冷静に戦局を見据えながら、しかし指先は手遊びに興じる。
 それぞれの人差し指をトリガーに通し、くるりと両のクロスミラージュを一回転。
 そして。
 グリップをグローブの両手が握ると同時に。
 青の瞳で狙いを定め。
 白銀の銃口を目標へと向け。
 引き金を素早く引き絞る。
「――ッ」
 流れるような動作だった。
 無駄なく素早く正確に、ターゲット・ロックとトリガー・プル。
 ずどん、と轟く銃声と共に、視界を埋め尽くすマズルフラッシュ。
 一瞬の煌きの晴れた先には、仰向けに倒れる2人の機人。
 眉間より沸き上がるのはグレーの煙と――噴水のごとき紅の飛沫。
「さ……殺傷設定で、ヘッドショット……!?」
 明らかな即死だ。
 管理局員であるはずの目の前の少女が、一切の躊躇なく標的を殺害した。
 断末魔すら上げず絶命した同胞を前に、またも機人達に動揺が走る。
「だから言ったでしょ。全ての悪を“駆逐”する者だ、って」
 ずどん、と再び響く撃発。
 顔色すら変えず発した凶弾が、無慈悲に3人目の犠牲者を生む。
 銃で撃たれれば人は死ぬ。
 それは魔法の拳銃でも例外はない。
 あくまで警察機構に近い存在であるため、対象の抹殺よりも法的拘束を優先する管理局が相手では、
 しばしその事実を忘れがちだが、魔導師だってその気になれば人を殺せる。
 一度非殺傷設定という名のリミッターを解除すれば、魔力の弾は即座に人殺しの魔弾へと変わる。
 ティアナはそれを実践したまでのこと。
 そこらの管理局員よりも、殺人に対する抵抗感が薄かっただけのことだ。
「っ……このアマァッ!」
 敵はこちらの殺害も辞さない。
 それが一層緊張感を煽るのか。
 これまで以上に真剣な面持ちで、雑兵の機人達が襲いかかる。
 近づいてくる接近戦型を狙い、左のクロスミラージュで射殺。
 次は遠距離からのエネルギー弾だ。
 距離を詰めようとすれば、その隙に撃たれると踏んだのか。確かに妥当な評価ではある。
 迫り来る灼熱の弾丸をかわせば、今度は別の機人が殴りかかった。
 ひらり、と身を翻す。
 揺れるツインテールは真紅の布か。闘牛士のごとく紙一重で回避。
 無様に背後を晒した牛の後頭部を、容赦なくオレンジ色の弾丸で一突き。
 弱冠16とは思えぬ、軽やかかつ鮮やかな立ち回りは、まさしく若きストライカー。
(そろそろ厳しくなってきたわね……)
 されど、その胸中に余裕はなく。
 ちら、と周囲を一瞥する。
 見渡せば騒ぎを聞きつけた機人達が、続々とホールに集まってきていた。
 その数約20名。
 悔しいがここまでの数になると、近づかれる前に撃つという次元の話ではなくなる。
 現状のヴァイスでは戦力にはならない。盾役を期待するわけにはいかない。
(この辺でスタイルを変えるか)
 これ以上はクロスミラージュだけでは無理だ。
 決断するや、ティアナは背後へと飛びすさる。
 着地点はバイクのシート。既にヘリパイロットの尻はどけられていた。
 左の銃身を腰に納め、空いた手でハンドルを握り締める。
 右手にはデバイスを携えたまま、双眸はハンドルの中心へと。
 左右にハンドルを伸ばしたその場所には、奇妙な形の窪みがあった。
「スタート・アップ、ファントムフッター」
 ぽつり、と呟くと同時に。
 がちゃ、と音を立てて接続。
 右手のクロスミラージュの銃口が、バイクハンドルの窪みへと差し込まれた。
『Destroy Mode.』
 インテリジェントデバイスのAIが発声。
 瞬間、鳴り響いたのは駆動音。
 車体に取りつけられたサイドカーが、がちゃりがちゃりと音を発する。
 重厚なBGMと共に、不可思議に身をよじる鋼鉄の座席。
 歯車の音。
 シリンダーの音。
 ついでに排気も伴奏に入る。
 機械パーツの大合奏の中、がちゃんと勢いよくせり出したものがあった。
 それは、砲身。
 多重砲塔のガトリング・キャノン。
「ターゲット・ロック」
 跨るライダーの声に合わせ、その先端が狙いを定める。
 鈍色に煌く巨大砲身が、きりきりと音を立て可動する。
 これがティアナ・ランスターの選択。
 近づかれる前に撃つのではなく。
 近づかれる前に殲滅する。
「――ファイア」
 ぼそり、と。
 無慈悲に無感動に発した呟きは。
「ぎゃあああぁぁぁぁっ!」
 誰の耳に入るよりも早く、悲鳴と爆音に掻き消された。
 びりびり、びりびりと。
 大気さえも震わせながら、鋼鉄の銃口が一斉に咆哮。
 さながら地獄の番犬と謳われた、多頭獣ケルベロスの雄叫びか。
 魔獣の唸りにも等しき発砲音は、クロスミラージュの比ではない。
 拳銃のそれを遥かに凌駕する轟音が、容赦なくガンナーの鼓膜を殴りつける。
 それでもティアナは動じることなく、バイクに挿入した拳銃のトリガーを引き続けた。
 そして規格外の威力は、発射される弾丸のそれも同様。
 涼しい射手の顔つきとは裏腹に、砲撃に宿るのは一撃必殺の破壊力。
 こんなもの、もはやどこに当たろうと大差はない。
 どこに当たったって致命傷だ。
 ある者は顔面を吹き飛ばされ。
 ある者な下半身を引きちぎられ。
 ある者は胸板に風穴を開けた。
 獰猛な唸りを上げる鋼の獣が、次々とスクラップを量産していく。
 これぞヴァイスの手によって持ち込まれた、ティアナ・ランスターの切り札――ファントムフッター。
 さるデバイス技師によって作成された、彼女専用の戦闘用バイクである。
 動力は魔力エンジン式。
 大型のものなら戦艦さえも動かすそれの生む推力は、バイクサイズでも十分に規格外。
 最高時速380キロ――バリアジャケットを着た魔導師でなければ、乗るだけで命が危ないような代物だ。
 そして本機体最大の特徴は、殲滅形態・デストロイモード。
 挿入されたクロスミラージュを管制人格とすることで、サイドカーを変形させ、
 巨大な魔力ガトリング砲として使用することが可能となるのである。
「!」
 ばりん、と。
 刹那、鳴り響くガラスの音。
 ファントムフッターの乱射が原因ではない。天窓を狙えるほどの射角はつけていない。
 ガラスを砕いたのは、残存する唯一の敵戦力――親玉の戦闘機人72号。
「チッ」
 不快感を隠そうともせず、舌打ちする。
 こうなると分かっていたからこそ、先に頭を叩こうとしたのだ。
 親玉を最後まで残していては、このようにどさくさ紛れに逃げられてしまう。
 部下は皆自分を守るように動いているのだから、撤退することは造作もない。
「追います」
 おかげで追いかける手間が増えた。
 右手でアクセルをひねり、エンジンを噴かす。
 ぶぉん、と鳴り響く爆音と共に、少女が乗るには大柄な車体を反転。
「まだ敵が出てくるようでしたら、何とか逃げ切ってください」
「お、おい! 俺ぁまだ病み上がりだぞ!」
 そんなことを言われたって仕方がないのだ。
 デストロイモードに移行したサイドカーは、座席が砲身で塞がれてしまう。
 メインのバイクに二人乗りさせるのも無理だ。邪魔になるし、そもそもそれ以前に振り落とされる。
 故に彼を乗せていくことはできない。
 背後にヴァイスの声を感じながら、劇場からファントムフッターを脱出させた。
 ばたばたとジャケットの裾がはためく。
 オレンジのツインテールが暴れる。
 夜の街に躍り出た、黒とくすんだ赤の車体が爆走。
 猛烈なエンジン音を掻き鳴らし、ひび割れた道路を駆け抜ける。
 振動がびりびりと両手を襲った。
 風圧が容赦なく全身を殴りつけた。
 最大戦速を発揮したこいつは、正真正銘の化け物だ。
 戦闘が始まってからここにきて、初めてティアナの眉間に皺が寄せられた。
 そしてそうこうしているうちに、青き瞳がターゲットを捕捉。
 案の定戦闘機人の親玉は、ビルとビルの間を飛び移るようにして移動していた。
 相手の方が速度が遅い。右手でブレーキをかけ、減速。
 今度は左手をクロスミラージュに伸ばし、狙いを定めて引き金を引く。
 ばりばり、ばりばり。
 激烈な轟音と衝撃が響く。
 狂暴な咆哮を上げたガトリング砲が、バレーボール大の砲弾を乱射。
 されど、当たらず。逃げる標的を捉えられない。
 当然だ。
 あくまでガトリングは殲滅兵器。精密狙撃には向いていない。
 同じ地平線上ならともかく、上空の敵を撃てというのは酷というもの。
『Riding Mode.』
 であれば、現状のスタイルにこだわる理由はない。
 クロスミラージュが発したのは、バイクの通常モードの名称。
 銃身が引き抜かれると同時に、砲身が元のサイドカーへと戻る。
 抜いたクロスミラージュは、しかし腰に預けられるでもなく、そのまま遥か頭上を狙う。
「アンカーショット」
 ぼそりと発せられた命令と共に。
 刹那、銃身から伸びたのは一条の光線。
 一直線に伸びた光のラインが、ビルから突き出た看板に突き刺さる。
 びゅん、と。
 そのまま白と黒のバリアジャケットが、バイク上から虚空へと飛び上がった。
 オレンジの光はみるみるうちに縮小し、ティアナの身体を引き上げていく。
 クロスミラージュのギミック・アンカーショット。
 発射されたのは光線ではなく、魔力で練り上げられた移動用のワイヤーだ。
 す、と。
 もう一挺のクロスミラージュを右手に握り、同時に看板の上に着地。
 両手の拳銃を入れ替え直すと、次なる看板へと狙いを定め、再度魔力アンカーを発射。
 以降はこれの繰り返し。ビルの合間を縫っての空中浮遊。
 逃げる標的に追いつくまでの、コンクリートジャングルのターザンロープだ。
 それは蝙蝠かムササビか。
 両手のワイヤーを巧みに操り、宵闇の中を駆け巡る。
 頬を照らすオレンジ色が、闇夜に鮮やかな軌跡を描く。
「追い付いたわよ」
 遂に廃ビルの屋上で、チャイナドレスの背中を捉えた。
 突き放された両者の距離が、ほぼ10メートル圏内にまで縮まった。
 敵に部下はいない。ファントムフッターも地上に放置してきた。
 こうなれば後はシンプルだ。
 余計な手出しの一切ない、互いの力と技量のみのぶつかり合い。
 くるり、と。
 ゆったりとした動作で、振り返る。
 紺色のロングヘアーを翻し、オルセアの長が向き直る。
 淡い白の月明が、妖艶な美女の顔をぼんやりと照らした。
「……1つ聞かせてもらおうかしら」
 すぐには仕掛けてこなかった。
 それは余裕の表れか。
 あの化け物バイクのないお前など、さして怖くはないということか。
「その顔の模様……そんなものが魔導師の顔に浮かぶ、なんて話は聞いたことがないわ。貴方、ただの魔導師じゃないのね」
 黄金の瞳が向けられるのは、ティアナの顔に灯った光。
 幻想的でありながら、しかしどこか痛ましげな。
 まるで深々と刻み込まれた、無数の傷のような痕。
「ああ……これね」
 右のグリップから人差し指と中指を離し、ティアナが自らの頬をなぞる。
 ぼんやりと光る肌の上を、黒い手袋の指先が走った。
「確かに、あたしはただの人間じゃないわ」
 事も無げな口調で言い放つ。
 それぐらいなら話してやってもいいか、とでも言わんばかりに。

「人造魔導師……形こそ違えど、あんた達と似たような存在よ」

 たとえそれが常軌を逸した、荒唐無稽な真実であっても。
「人為的にリンカーコアを強化改造された存在か……なるほど、確かに改造人間という点では、私達と似ていなくもないわね」
 合点が言った、という風に72号が呟く。
「あたしは先の戦争で兄を喪い、自分自身も重傷を負った……下手をすれば、一生車椅子生活を送るくらいのね」
 何故そんな風に語れるのかは、ティアナ自身にも分からない。
 亡きティーダ・ランスターにまつわることは、無条件で最大級のトラウマであるはずだ。
 普通なら敵にそのような弱みなど、進んで見せるタイプではなかったはずなのに。
「ただ、最悪リンカーコアを改造すれば……途絶えた神経接続を魔力回路で代用すれば、治癒の可能性があると言われた」
 あるいは、あの夢を見たからかもしれない。
 最後に残された唯一の肉親にして、最愛の兄であるティーダの死。
 その瞬間を思い出させられたからこそ。
 無理やりに引きずり出された嫌な記憶を、言葉にして吐き出したかったのかもしれない。
「あたしにはそれにすがるしかなかった。
 たとえ違法技術に手を染める道であろうとも……たとえそれが命を削る、危険で不完全な技術であろうとも」
 言うまでもなく人造魔導師技術は、非人道的と見なされ、違法と規定された技術だ。
 その点でも、彼女と戦闘機人の存在は共通している。
 そして長らく禁忌とされ、ろくに研究開発も進んでいない技術が、安全なものであるはずもない。
「この顔の光は、いわばその後遺症みたいなもの。魔力の流れが、肌の上からも光って見えるのよ」
 オレンジ色のスカーフェイスは、己が身の黄昏を暗示するもの。
 改造手術を受け入れた結果、確かに身体は動くようになった。
 それまでの凡庸な自分では考えられなかった、高い魔力も手に入った。
「分からないわね。そんな身体になってまで、戦う意味があるというの?」
 半ば呆れたような顔つきで、72号が問いかける。
 確かに、彼女の言うとおりかもしれない。
 戦闘という一点に関しては、自分はかつてよりも数段強くなっただろう。
 されど、生存という観点における自分は、かつてよりも数段弱くなった。
 老化を司るテロメアや、数々の内臓器官に異常を来した身体は、どこもかしこも爆弾だらけ。
 常備薬を定期的に摂取しなければ、発作を抑えることもできない。
 禁断の技術で塗り固められた身体は、戦う度に確実に寿命を削るだろう。
 愛する者と添い遂げることすらも――恐らくは、かなわない。
「それでも……止まれないのよ」
 彼女の言い分ももっともだ。
 ただ長生きがしたいのならば、こんな身体になる必要などなかった。
 極端な話、足が治らなかったとしても、まだ長く生きられただろう。
 自分が戦えなかったとしても、ストライカーズチームには他の誰かが選ばれる。
 スバルという自分を守ってくれる親友もいる。
 彼女らに囲まれ守られたままの方が、今よりよほど長生きできたに違いない。
 あるいは兄が今の自分を見れば、そんな身体にするために助けたんじゃない、と怒っても不思議ではないだろう。
「あたしがあたしであるために――あたし自身を取り戻すために」
 嗚呼、されど。
 そんな人生を続けたところで、一体どれほどの価値がある。
 からからに渇ききった心も。
 感情のこもらぬ厭な笑顔も。
 おおよそ今のティアナ・ランスターには、気に入った要素が何一つない。
「それに、あたしなんかの復讐心とこだわりで、誰かが救われるのなら安いものよ」
 もちろん、後悔はある。
 不覚にもヴァイス・グランセニックに想いを寄せてしまった身としては、彼と同じ時を生きられないのは無念だと思う。
 それでも、たとえ破滅の道を進むことになろうとも、自分には戦うことしかできなかった。
 たとえ兄の意志に背いてでも、自らの手で勝利を掴み、前へ進む道しか選べなかった。
 たとえスカリエッティ達を倒したとしても、この心が晴れる保障はない。
 それでも、ただ何も為すこともできぬままに、ただだらだらと日々を過ごすよりは、よほど可能性は高いではないか。
 たとえ身体が悲鳴を上げ、路傍でゴミのように死んだとしても。
 きっと無気力なままに老い果てるよりは、ましな死に方であると信じているから。
「……全ての戦闘機人が必ずしも悪人じゃない、ってことくらいは分かっているわ」
 別に戦闘機人を恨んでいるわけではない。
 訓練校からの腐れ縁のスバルも、機人のタイプゼロ・セカンドだ。
 彼女の優しさを知っている。
 おっちょこちょいで能天気で、異様にわがままな変人でも、彼女は誰より人を思いやれる人間だった。
 完全な人間である自分よりも、よほど人間らしい存在だった。
 故に善悪の区別なく、戦闘機人を皆殺しにしようだなんて、腐った思想は持ち合わせていない。
「そして、戦闘機人だけが悪人じゃないってことも知ってる」
 それに倒すべき悪は、何も戦闘機人だけではない。
 彼らが支配者となる以前から、既に世界には悪意が満ちていた。
 人殺しの命令に従うロボットがいる。
 人を襲う化け物がいる。
 人を殺し、人を悲しませる人だっている。
「なら、その全てこそがあたしの敵」
 人が悪意を持ったならば人を裁こう。
 化け物が悪と見なされたなら化け物を殺そう。
 機人やロボットが悪に従うなら、そいつらもこの手で叩き潰そう。

「機人だろうがガジェットだろうが、ジェイル・スカリエッティだろうが――
 あたしの視界に映る悪は、有象無象の例外なく、全てこの手でぶち殺してみせる」

 たとえ余生と青春の全てを投げ打ってでも。
 悲しみと絶望に押し潰された、今の自分を殺すために。
 こんな最低な自分のような人間が、これ以上生まれないようにするために。
 大嫌いな自分の殻をぶち破り、かつての自分を取り戻すために。
「……何にせよ、相容れない存在であることは確かなようね」
 言いながら、チャイナ服の女が構えを取る。
 ぽぅ、と。
 手刀の形を作った両手に、淡い力場の光が宿った。
 あれは恐らく、スバルらベルカ式魔導師のそれと同じ、身体強化のエネルギーだ。
 であればこの女のISは、接近戦能力を底上げするものか。
「レフトハンド、モード2」
『Dagger Mode.』
 囁く声と共に、銃身が変形。
 スライドする左手のデバイスが、剣呑なる暁の光を放つ。
 日輪を思わせる形状に固定化されたのは、魔力で固められた刃。
 クロスミラージュ・モード2――ダガーモード。
 この相手との戦いでは、接近戦は避けられまい。
「行くわよ」
 右手のクロスミラージュを持ち上げる。
 銃口をターゲットへと向ける。
 倒すべき悪へと。
 憎むべき悪へと。
 この手でぶち殺すべき悪意へと。
 伽藍堂の心の中、たった1つだけ残された、憎悪の感情の赴くままに。
「ッ!」
 ずどん、と撃発。
 かっ、と閃光。
 闇夜を切り裂く光はオレンジ。
 先手を取ったのは、やはりティアナのクロスミラージュ。
 されど、当たらず。
 先に攻撃をしたことと、先に攻撃を当てたこととはイコールではない。
 濃紺の髪を暴れさせながら、その場から飛び退く72号が回避。
 再びコンクリートの上に着地し、しなやかな四肢で反動を相殺。
 刹那、加速。
 さながら一発の弾丸のごとく。
 一瞬にしてトップスピードに到達した72号が、猛烈な速度を発揮し殺到。
 かの音速の具足に比べれば遅い。
 それでも、バックスのティアナに比べれば遥かに速い。
「チッ……」
 何度目とも知れぬ舌打ちをする。
 同時に再びトリガーを引く。
 2発、3発、4発目。
 されど、それら全てが届かず。
 じぐざぐに疾駆する標的の脇を、ただ虚しく通過していくのみ。
(直射では当たらないか)
 ただまっすぐ撃っているだけでは当たらない。
 反応速度、動作の速さ、弾速――それら全てを総合した射撃速度が、敵に追いつけていない。
 馬鹿正直に撃つだけでは、恐らく当たるのを待っているうちに死ぬ。
「シャアァァァッ!」
 鋭い獣の唸りが上がった。
 獰猛な野獣の爪が襲いかかった。
 遂に零距離に肉迫した敵の手刀が、ティアナの心臓目掛けて突き込まれる。
 反射的にダガーを向け、防御。
 きん、と響く乾いた激突音。
 エネルギーとエネルギーの衝突が、さながら真剣のつばぜり合いのようだ。
「さっき貴方のことを美しいと言ったけれど……あの言葉、撤回させてもらうわね」
 ふっ、と。
 余裕の笑みを浮かべながら、刃の先の女が囁く。
 ああ、忌々しい。
 まさに余裕綽々ではないか。
 こちらは既に現状で、かなり本気だというのに。
 これが手慰み程度の付け焼き刃と、本格的な格闘型のパワーの差か。
「貴方は――醜いッ!」
 轟、と。
 押し寄せたのは裂帛の気合。
 爪にこもるのは渾身のパワー。
 怒号と共に増幅した力が、ティアナを防御ごと吹っ飛ばす。
 今度は彼女の身体が弾丸だ。
 風を切り直進する少女の肢体は、あやまたず向かい側のビルに激突するだろう。
 そしてその衝撃に耐えられるほど、人間の身体は頑丈ではない。
 更に遠ざかるビルからは、2発目の弾丸が――72号までもが発射される。
 このままでは自分の末路は、コンクリートと爪のサンドイッチだ。
「くっ……!」
 ギリギリで右手の銃口を突き出す。
 対岸目掛けてアンカーを発射。
 命中。同時に身体を牽引。
 びゅっ、と。
 文字通り間一髪で掠めた刃が、オレンジの髪を僅かに散らせた。
 鈍い破砕音が鳴る。
 コンクリの崩壊に紛れて鳴ったガラスの音は、電光看板の砕けた音か。
 たっぷり3テンポほど遅れて、ティアナもまた自分の廃ビルへと到達。
 近場の看板を足場にし、粉塵立ち上る洞穴を見やる。
 もうもうと立ち込める煙の中、ゆらりと立ち上がる72号。
 スリットから覗く太腿に、肌に張り付く紺の髪。上目遣いの艶やかな視線。
 しなやかに、そして苛烈に。
 コンクリートの密林を駆け巡る暗色の影は、さながら獲物を狩る黒豹か。
 肉食獣を思わせる金の瞳が、更にその印象を強固にする。
「その顔! その目元で鬱陶しく光る、砂漠のごとくひび割れた魔力回路!
 そして誰よりも早く、一歩一歩着実に、破滅へと向かっていく脆い身体! 醜いったらありゃしないわ!」
 咆哮。更に突進。
 魔性に煌く脚部でコンクリートを踏み砕き。
 魔性に輝く両腕で粉塵のミストを切り裂く。
 びゅうんと鳴り響くのは裂空の音か。
 びりびりと振動するのは断空の波か。
 アンカーを射出し、回避。
 今度は瓦礫が毛髪を掠めた。
 爆砕されるビルの壁。襲い掛かる衝撃と破片。粉塵が見る間に少女を飲み込む。
 煽られ吹き飛ばされそうな風圧の中、壁の側面を滑るように。
 斜め上の看板へと上昇し、足場を蹴って屋上へと立つ。
「それもその身体は、誰とも知らぬ他人の手によって汚されたもの! ドクターの実験材料としてすらも使えない!
 あっはははははははは! 本当に可哀想だこと!」
 がり、がり、がり、と。
 硬質を削る音が響く。
 優越に満ちた狂喜の声が、破砕を伴って迫り来る。
「そんなボロボロになって足掻いたって、偉大なるドクターに勝つこともできない!
 所詮美しくない貴方には、何の価値もありはしないの――存在する意味も必要もないのよッ!!」
 嗚呼、可哀想に。
 お前は世界に見離された。
 お前の居場所も存在価値も、この世界のどこにも存在しない。
 美しさを失ったお前に。
 支配者にも認められないお前に。
 支配者に抗い倒すこともできないお前に。
 この世界で得られるものなど、何もない。
「知ったことじゃないわ」
 そう言いたいのだろう、あの女は。
 どうせお前はその程度。
 自らに酔い、自己愛に浸り、世界に認められたと信じて疑わぬお前など。
「たとえどれだけの壁が立ちはだかろうと、あたしは絶対に足を止めない」
 できないことを知らないから。
 認められないことを知らないから。
 諦めさせることしか知らないから――諦めることしか考えられない。
 それがお前の、その狭量な価値観の限界だ。
「踏み砕いて、踏み台にして……たった1つしかないこの道を貫き通す」
 自分には最初からこの道しかなかった。
 たとえ道を進むことを諦めても、どこにも分岐点などありはしない。
 どれだけやけくそになったとしても。
 どれだけの血反吐を吐いたとしても。
 本当に無駄にしかならないとしても。
 自分が粉々に砕け散ったとしても、この道を進むしかなかったんだ。
 どうせ他には何もできないんだから。
 結果が得られなかったとしても、この過程の中で、骨を埋めるしかないじゃないか――
「醜いアヒルの子よ……せめて美しい獣に食われて死ねェェェェェェッ!!」
 ターゲットがせり上がる。
 コンクリの絶壁をよじ登り、天上の大地を踏み締める。
 爪を突き立て、岸壁をえぐり、山頂へ至った獣が吼える。
「なら」
 しかし。
 その、瞬間。
「四方から襲い来るあたしの弾丸――かわしきってみせるといいわ」
 既にティアナ・ランスターは、攻撃態勢を整えていた。
 その名が指し示す通り、両のクロスミラージュを十字に構え。
 暗きオルセアの闇の中で、ミッドチルダ式の魔法陣を輝かせ。
 その身を軸に回転する、4つの惑星のごとき誘導弾を備えて。
 醜い雛鳥と呼ばれた娘は、自らの美を誇る黒豹を待ち構えていた。

「クロスファイヤァァァ――……シュウウウゥゥゥゥ―――トッ!!!」

 クロスは解かれる。
 両の腕が薙ぎ払われる。
 それが魔弾の引き金だった。
 びゅう、と大気を切り裂いて。
 4つの星が彗星となり、黒天を切り裂き標的へと迫る。
 1つは正面/1つは右へ/1つは左へ/1つは上へ。
 弾丸は各々に拡散し、それぞれが複雑な軌跡を描き、漆黒に星座を記して殺到。
「!」
 1つはかわされた。
 格闘戦タイプの優れた身体能力は、難なく弾丸を回避してみせた。
 ドレスの裾を翻し、金銀の財宝を魔力光に光らせ。
 優雅に、かつ艶やかに舞い踊るかのごとく、ふわりとした動作でその場で跳躍。
 だが。
「なっ……!?」
 弾は1つではないのだ。
 左脇から迫る2つ目の弾が、空中の72号へと牙を剥く。
 いかに黒豹と言えど鳥ではない。
 森林を自在に駆け巡る四肢があっても、空を飛ぶ翼の自由度には程遠い。
 陸戦型に過ぎぬ彼女では、空中での緊急回避は行えない。
「ぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁーっ!」
 ずどん、と鳴る着弾の音。
 それを掻き消さんばかりの金切り声。
 黒のバックに浮かぶのは、盛大に噴き上がる鮮血の赤。
 魔力弾はあやまたず左腕に命中し、人工筋肉とフレームを貫通する。
 それだけには留まらなかった。
 右下から滑り込んだ3発目が、右の太腿を勢いよくぶち抜く。
 上方から降下した4発目が、吸い込まれるように右腕に直撃。
 さらに下方に潜った最初の1発目が、左のアキレス腱を砕く。
 翼を持たぬ黒豹は、遂に自慢の四肢さえ奪われた。
 空を飛べない陸生の獣は、もはや大地を歩むことすらかなわぬ、卑小な存在へと成り果てた。
「でぇぇぇぇぇいッ!」
 瞬間、疾駆。
 双刃を構えて駆け抜ける影。
 日輪の剣を両手に携え、頬に光り輝く傷を浮かべて。
 崩れかけの英雄が、人食いの魔獣目がけて飛びかかる。
 だん、と馬乗りになると同時に。
 ざく、と両肩にダガーを突き刺し。
 びく、と獣の身体が震えた瞬間。
 目標を屋上に張り付けにして、遂に闘争は幕を閉じた。
「い……いや……たす……助け、て……」
 ティアナの視線の向く先では、震える命乞いの声が聞こえる。
 あれほど自信に満ちていた女の美貌が、くしゃくしゃの泣き顔になって震えている。
 初めて体感する死の恐怖に。
 恥も外聞もなく怯えるその顔に。
「……1つだけ、あんたの言うことに同感できたわ」
 ダガーモードを解除した、右手のクロスミラージュの銃口を突きつける。
「あんたのその美しくない命乞いには――何の意味も必要も見出せなかった」



 ……もちろん、ティアナは色々と問題の多い子や。
 いつ身体に限界が来るかも分からへんし、精神にも複雑な問題を抱えとる。
 指揮官役が欲しいっちゅうんやら、最悪ヴァイス陸曹が兼任すればええ話やしな。

 せやけどあの子には、他の3人の候補にはない、一本通った芯がある。

 絶対に強くなってあいつらに勝ったる、っちゅう、ごっつい強い想いがある。
 死ぬ気で食らいつく覚悟がなけりゃ、ストライカーになんてなれへんのや。
 その点においては、他のどの子よりも、ティアナはこの計画に適正があるのかもしれへんな。

 ……大丈夫。あの子はちゃんと強くなる。
 もしスバル達がおっても、あの子が道を間違えそうになったら、私らが支えてあげればええんよ。

 うん……何にしても、責任重大、ってことやな。



「――まぁったく、お前の判断力はまだ信じられると思ってたんだがよ……お前もお前で、相当むちゃくちゃな奴だったぜ」
 これ見よがしに腕を組み、これ見よがしに眉間に皺を寄せ。
 仏頂面を浮かべるヴァイスが、わざとらしく悪態をついた。
「いや、悪かったと思ってますって」
 そっぽを向いた顔の横合いからは、ファントムフッターに跨るティアナの声。
 もっとも、普段通りのドライな声に、一体どれほどの誠意が込められているかどうか。
 激戦から一夜明けて、翌日。
 結局この地の戦闘機人はあれで全部だったらしく、オルセアの街は2年ぶりに、彼らの支配から解放された。
 輸送車の攻撃も何とか成功し、運ばれていた人間は今朝方全員街に帰ってきたそうだ。
 これで損害はゼロ、円満解決。
 しかし今回の作戦も、自分がいなかったらどうなっていたことか。
 この作戦、ティアナは元々1人で決行するつもりだったそうだが、今考えてみると恐ろしい話だ。
 ファントムフッターには遠隔操縦機能が搭載されており、
 乗り手が跨っていなくとも、クロスミラージュを介したリモコン操作がなのだという。
 だがこのシステム、やはりというか当然というか、操作にはそれなりの集中力が必要とのこと。
 果たしてこれを最初の幻術と平行使用していたら、どれだけの負担になったことか。
 下手をすれば途中で変装が解けて台無しになり、逆に殺されていたかもしれないのだ。
 そう考えると、身震いさえも覚える。
「しかし、後始末は俺の方でやっといたけどよ……何も皆殺しにする必要まではなかったんじゃねぇのか?」
 咎めるようにして目を細め、横目でティアナを見やりながらヴァイスが尋ねた。
「……手加減できるような状況じゃ、なかったので」
 これは嘘だ。
 確かにティアナには、スバル程のパワーはない。非殺傷設定でも一撃で敵を昏倒させる、なんてのは難しいだろう。
 だが彼女は射撃型。弾頭に様々な効果を付与するのは、彼女らの専売特許のはず。
 特にティアナのスタンバレットは、たとえ戦闘機人であろうとも、命中させれば3時間近くは硬直させられるはずだ。
 それならわざわざ殺さずとも、その間に拘束もできただろう。
(分からねぇわけでもないが、な……)
 その心境は理解できる。
 最愛にして唯一の肉親であった兄・ティーダの仇だ。
 特定の部隊の指揮下に入っていたわけでもない、個人での行動であった以上、こうなるのも仕方がないことではあっただろう。
 好き勝手にしていい状況であるのなら、憎いスカリエッティ一派を殺そうとするのはある意味自然だ。
 だが彼女は、人殺しに手を染めるにはまだ若すぎる。
 成長過程の子供の頃から、殺人に慣れ親しんでしまった人間に、ろくな末路を迎える奴はいない。
 心はどんどん磨耗していき、人間らしさは根こそぎ削られ。
 しまいには、荒みきってしまうのみ。
「……まぁ……この件は今度にでも、落ち着いて話すか」
 どちらにせよ、今はまだ下手に口出しのできない問題だ。
 例の兄を喪った戦闘以前を知らないヴァイスには、軽はずみに触れていい話ではない。
 問題を先送りにするようで気は引けたが、まだ彼には解決に向かう資格すらないのだ。
「分かりました。では、また本部で」
 にこり、と。
 こちらを向いて、ティアナが笑う。
 ああ――本当に厭な笑顔だ。
 エンジンを噴かせ、轟音と共に遠ざかる少女を見送りながら、ヴァイスは率直な感想を浮かべた。
 彼女の笑顔には感情がない。
 自然に笑っているつもりでも、愛想笑いにすらも見えない。
 死んだ魚のような目で、申し訳程度に笑顔を作っているだけだ。
 兄と共に失われた本当の笑顔は、まだ一度も見たことがない。
 この戦いの果てに、彼女は自分の笑顔を取り戻せるのだろうか。
 それとも破壊と殺戮の果てに、その笑顔は永遠に閉ざされてしまうのだろうか。
「……ティーダさんよ……ホントに、これでいいのか……?」
 ぽつり、と小声で呟いた。
 正直な話、ティアナ・ランスターは見ていて不安だ。
 見る者に希望を与えるスバルとは、ある意味対極と捉えていいだろう。
 スバルとティアナ。昔からの腐れ縁であり、今でも互いに信頼しあう友人同士。
 されど2人はあの戦争を機に、完全に対照的な存在になってしまった。
 光と影。
 正と負。
 笑顔の似合うスバルと、笑顔を忘れたティアナ。
 人を傷つけたがらないスバルと、人を殺してでも前に進もうとするティアナ。
 望まずして天才的な力を持って生まれたスバルと、望んで天才的な力を身につけようとしたティアナ。
 未来への希望を叶えるために戦うスバルと、過去の絶望を乗り越えるために戦うティアナ。
「どうするのが正解なんだろうな……」
 もう何度呟いたかも分からない。
 それでも、未だに答えは出ない。
「責任重大……か」
 歳下の上官の言葉が、鋭く胸に突き刺さった。


 傷んだ赤色のバイクを走らせながら、想いを馳せる。
 一体どれほどのリスクを背負い込めば、私は強くなれるのだろう、と。

 スバルのようになりたかった。
 兄さんを喪う前の頃から変わらない、数少ない想いの1つだった。
 もちろん、最終目標は兄さんの背中だ。彼が追い求めていた執務官の仕事に、せめて自分も就けたら、と思う。
 それでも、そこに至るまでの道のりは遠い。
 だからまず、分かりやすい目安として、パートナーを組むスバルと同じレベルになろうと思っていた。
 もちろん凡才の私では、戦闘機人という天才には、なかなか追いつけたものではなかった。

 今を省みると、どうなのだろう。
 兄を喪い、兄を奪った悪を討つため――そして自分のために戦う道を選び、私は人造魔導師になった。
 不完全な技術に手を染め、余命いくばくもない身体になって、私は確かに強くなった。

 それでも、まだ、届かない。
 あの眩しい笑顔の少女には、こうまでしても届かない。

 今日この場にいたのがスバルなら、ファントムフッターなど必要としなかっただろう。
 強固な守りと強力なパワーを持った彼女なら、自前のデバイスだけであの場を制圧できただかもしれない。
 これだけのリスクを背負っても、まだ小細工を弄さなければかなわない。

 何故、私はあの娘のようになれなかったのだろう。
 何故、私はあの娘と違って、身体も心も、こんなにも弱く脆いのだろう。
 何故――私では駄目だったのだろう。

「……今会ったら、スバルに軽蔑されちゃうかもしれないわね」

 これも嘘だ。
 あの娘は私と違って優しいから、そんなちっぽけなことで私を軽蔑したりはしない。
 私を蔑む者がいるとするなら。

 他ならぬ自分自身しか、いないではないか――

 彼女の名はティアナ・ランスター。
 失った過去を追い求める者。
 復讐の暗い炎を胸に宿し、一瞬の笑顔を取り戻すために、全てを捨てて戦う者。


To be continued...















予告

エリオ・モンディアル。
弱冠13歳にして、陸戦Aランクを取得した天才少年。
運命という名の波に翻弄された、自分の過去を持たない男。
幼き子らの笑顔を支えるその笑顔は、果たして何を求めるのか。
過去を知らぬ騎士の槍は、いかなる未来へ突き進むのか。

魔法少女リリカルなのはSpiritS 第三話
【笑顔の槍騎士】

僕の未来は、みんなの未来と共にある――それを誰にも奪わせたりはしない。

戻る目次次へ

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2010年02月18日 19:53