LYLICAL RIDER WARS_03前編Aパート

 さて、これより語るは“王の系譜”のお話。
 幾つもの群雄譚に連なる内の一つの御伽噺。
 自らの運命に翻弄される少女と――その、受け継がれる意志の、紅蓮に彩られた鮮烈(ヴィヴィッド)の物語。
 

 ◆◆◆


 まどろむ視界。曖昧な思考。混濁する意識。
 嗚呼、これは夢だ。いつも見る夢の光景。
 自分が何者なのか、此処が何処なのか、なにも解らないまま見せられる夢の一端。
 揺れるオーロラのような視界が晴れ、目の前に広がったのは地平まで続く瓦礫の山だった。


 地を見る。あらゆる建造物が倒壊し、至る所から炎が燃え広がり、人の嘆きが木霊する。
 空を見る。暗雲が覆い、地に燃ゆる炎の光が黒き天蓋に紅蓮の色を添えていた。
 世界は破滅の業火に焼き尽くされる。町も、木々も、人も。一切合切が燃える紅の中で黒く、塵と化し。
 鼻腔を突く、噎せ返りそうな血の匂いも。焦げた死肉の匂いも。勢いを増す紅蓮の熱を前に掻き消えていく。


「ハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」


 呪詛に似た嘲りの叫びが炎の果てより聴こえた。
 燃える赤の中、巨大な影が揺らめきながらゆっくりと闊歩してくる。
 禍々しい角。身体に巻きつく拘束具の役割を果たす鎖。悪意と怨嗟に塗れた黒銀の鎧。その姿は正に“魔王”と言うべきであろう。
 そして悠然と歩き続ける魔王の下に、頭(こうべ)を垂れて共に歩む四つの異形。
 泣き叫び狂う草木の異形/蛇の頭髪を持つ女の異形/包帯染みた物で全身を包む死者の異形/石の如き堅牢な皮を持つ悪魔の異形。
 そう。この廃墟と化した町を“こうした”のはかの異形どもの仕業。魔導を修めた万軍さえ意を介さず屠り、弄び、屈服させ、隷属させる者達。
 ――“レジェンドルガ族”。伝説の名を自称する魔人ども。
 奴等は何処からともなく現れ、この町を玩具の様に破壊し、人々を殺戮し、如何な魔法の類で強制的に隷属させて進軍を続けていく。


「か弱いなぁ、人とは! 人間とは!! 火を生み、鉄を鍛え、果ては魔導の力さえ手に入れた癖に、なんだ……なんなのだこの体たらくは! まァァるで話にならん!!」


 嘲笑。瓦礫を踏み潰し、倒れる人を蹴り飛ばし、炎を掻き分けて、巨悪は笑う。あざわらう。
 それに倣うように、巨悪に侍る四つの異形は破滅を呼び起こす。
 ……もはや、この場に救いなく。理不尽という名の法が敷かれ、脆弱な人間はただただ奪われるのみ。


 ――そんなことが、赦されて良いのだろうか。こんな理不尽を、無秩序を赦して良いのか。




「いいえ、赦してはなりません。決して」




 悪意に侵食された町に清涼な声が響き渡った。
 熱風に揺れる金色の髪とリボン。碧緑と真紅のオッドアイ。何よりも、その身より微かながら発せられる虹色の光。
 まるで、その姿は救いをもたらす聖女のよう。なれどその気品の中に猛る風格は、聖女というよりも……そう、“王”という名が相応しい。
 事実、彼女は一国を担う王女だった。類稀なき、比類なき力を持ちえる王の一人だった。
 名を“オリヴィエ・ゼーゲブレヒト”。聖王家が一子、王権所有者。武技において最強と誉れ高き、現“聖王”その人である。

 異形の魔人――レジェンドルガ達も、彼女の姿を認識した。

「ほう――」
「聖王殿下みずからが立ち向かうとは」
「何ともまぁ、勇敢なことだ」
「だが、たった独りでは幾ら“聖王”とて、愚行に等しいのではないか?」

 嘲笑と卑下を孕んだ声がオリヴィエに向けられる。
 しかし彼女はそれを意に介さない。ただただ、真っ直ぐに敵意を向けるだけ。
 レジェンドルガは、その嘲笑を止めた。彼女の放つ光が僅かながら強大になった事を察知し、すぐさまに臨戦態勢を整える。
 成る程、ただその場に居るだけで感じる威圧、威風。“聖王”の名は伊達ではないと、言葉なく彼らは感付いた。

 だが、その四つの異形を束ねる“魔王”の嘲笑のみは崩されない。
 ……いや、それは嘲笑ではなかった。この後始まるであろう、彼女との闘争に胸を高鳴らせているのだ。

「ハハハッ、その小柄な身体からは想像も出来ぬ力――それが聖王たる証、『カイゼル・ファルベ』というものか。実に、実に愉しそうだ」

「この力は、貴方を愉しませる為にあるのではありません。貴方がたの様な理不尽の塊を吹き飛ばす為の力です」


「――年端もゆかぬ童女が、抜かすものだな」


 瞬間、“魔王”の身体より金色の光が周囲を穢すように湧き上がる。
 たったそれだけで、魔王を中心に瓦礫の山がその威圧によって吹き飛んでいった。
 盛る炎が暴威に揺れ、血肉の焦げた匂いも巻き上がり、業火の熱風がオリヴィエの鎧を灼いていく。

“魔王”の右手より三叉槍(トライデント)が粒子と共に顕現。配下のレジェンドルガも、唸る様な呻きを零し、闘志を滾らせている。
 戦いの火蓋は着々と斬って落とされようとしていた。
 だが、オリヴィエだけは臨戦態勢をとらない。
 レジェンドルガが訝しげに視線を強めた瞬間、オリヴィエは右腕に装着された篭手(ガントレット)を脱ぎ捨て、徐(おもむろ)に宙へ掲げた。


「――ット」


 小さく、何かの名を呼んだ。瞬間、炎の中を掻き分けて一つの小さな影――蝙蝠(こうもり)の様な生き物が飛び込んできた。
 蝙蝠はオリヴィエの右手の内に収まる。それを認識した彼女は、右手に持つ蝙蝠の顔を左手の人差し指へ近づけた。


「……変身」


 その一声を耳にした蝙蝠は、オリヴィエの人差し指に噛み付く。
 瞬間、蝙蝠の噛み付いた人差し指から膨大極まるエネルギーがオリヴィエの血脈を蹂躙し、流れ満たしていく。
 彼女の頬より現れる、極彩色の刺青のような模様。
 そしてオリヴィエの身体が透明の硝子の様なオーラに包まれた瞬間、彼女の内を蹂躙する力が、彼女の思いに応えて爆発する。
 聖なる硝子絵(ステンドグラス)を突き破り――彼女はその“鎧”を纏った。

「――! 貴様、その“鎧”は」

“魔王”はその姿を認識した瞬間、驚愕を覚える。
 血の様に鮮烈な外装。
 風にはためく漆黒のマント。
 何よりも、その牙に似た意匠が施されている“仮面”。
 闇夜に映える、王の姿。


「では、終わらせましょう。この理不尽を」


 少女の声が、その戦いを始めようと促した。
 驚愕を覚え立ち尽くしていた魔王は我を取り戻し、くつくつと、心底愉しそうな含み笑いを零す。



「な、るほど。成る程、成る程――ならば始めよう! この身が滅ぶか、貴様が滅ぶか……この因果に決着をつけようではないか!!」



 魔王と四つの魔人が歓喜の咆哮を上げる。
 吹き荒ぶ威風と灼熱の暴威が包む中、“鎧”を纏った聖王オリヴィエ――否。『仮面ライダーダークキバ』の戦いが始まりを告げた。


 ◆◆◆


【LYLICAL RIDER WARS】

 EPISODE :ヴィヴィオ編


 ◆◆◆


 そして、夢は醒める。
 目の前にあるのは、紅蓮の色を滲ませた暗雲ではなく真っ白な天井。背中から噴出す嫌な汗が気持ち悪い。
 いつもの夢だと、彼女は思う。毎日のように見る、自分によく似た、自分ではない誰かが怪物と戦う夢。
 世界の終わりの様な光景の中、赤と黒の鎧を着た少女が戦場をひた駆ける、その様子を――何も出来ないまま見て終わる。

 怖かった。どうしようもなく怖かった。
 破滅に追い込まれた町の様子が怖かった。
 瓦礫に埋もれ、身動きの取れない人々の様子が怖かった。
 死んだ人々が安寧に冥府へ旅立つ事を赦されず、あの怪物どもに隷属される様子が怖かった。
 そんな様子をただただ見せられ続けていながら、なにもできない自分が歯痒くて、悔しくて。
 知らず、自分の小さすぎる体を己の腕で抱きしめる。小刻みに震える肩。押さえつけるように、か弱い腕に力をいれる。
 たかだか夢。だけど、夢だからこそ残酷なのだ。次第に嗚咽が止まらなくなり、涙が零れた。

「うく……ひっく、うぇ……っ」

 ――いつもの、ことだ。恐怖と後悔に飲み込まれて。誰も助けられず、誰も助けにこなくて。
 これが孤独というものなのだろうか。こんな恐怖の中で、悪夢の中に現れた彼女は戦い続けたのだろうか。
 それが、どうしようもなく残酷だと思ってしまって。溢れ出す涙をせき止められず、少女は泣き暮れた。

「――オ! …い、……ヴィオ!」

 すると、窓の方から微かながら音が聞こえてきた。
 今日は風が強いのだろうか。涙を拭い、窓の方を見る。――見知った、“友達”がそこにいた。

「おい、ヴィヴィオ! ヴィヴィオ!! 俺だよ俺!」

 少女――“ヴィヴィオ”はベッドから飛び出し、窓を開けて、その“友達”を招き入れる。
 翼をはためかせて宙に浮かぶ、蝙蝠に似たそれはヴィヴィオに宛がわれた部屋の中を飛び回り、息を荒げながらヴィヴィオを見据えた。

「フゥ。よ、ようやく中に入れた……ヴィヴィオ、おまえ気付くの遅すぎだって!」
「ご、ごめんね、キバット」

 大きな紅い眼をもつ蝙蝠――ヴィヴィオから“キバット”と呼ばれたそれは憤慨しつつ「やれやれ」と嘆息する。

「全く。朝だから起こしに着てみればわんわん泣いてるし、心配しちまったじゃないか!」
「だからごめんってば! もう、キバットってば心配性なんだから」

 先ほどまで頬を濡らした涙を全て拭い、笑顔を向けた。
 ヴィヴィオにとって、キバットは生涯の友達と言っても過言ではない。
 彼女は自分の記憶を持ち得ない。失ってしまったのだ。ただ唯一、己の名前――“ヴィヴィオ”という名しか、思い出せない。
 自分がいったい何処に住んでいたのか。自分の親は誰なのか。顔すら覚えていないのだ。
 だが、そんな彼女が記憶を失っていることを自覚した時から、キバットは自分の傍らにいてくれた。
 彼(?)も、ヴィヴィオと同様に自分の名前以外の記憶を思い出せないらしい。 
 だが、元来のお節介な性格故かそういった面を表に出さず、いつもヴィヴィオの隣にいて、励まし続けてくれた。
 今はこうやって冗談を言える程になったが……出会った当初は酷いものだった。キバットの言葉も聴かず、ただただ自分の殻に閉じこもり続けて。
 どうしてあの頃は素直になれなかったのか、ヴィヴィオ自身疑問に思いながらも反省する。

「ヴィヴィオがそう言うなら構わないけどよー。……ホントに辛かったら一言誰かに相談しろよ? 此処に泊めさせてくれてる人たち、皆やさしいんだからさ」
「そう、だね」

 思い起こすのは、あの路地裏で自分を保護してくれた人たち。
 余りの疲労感に倒れたあの時。記憶が曖昧だがそれでも微かに見た、あの安堵の表情。
 こんな身寄りもない自分を助けてくれたあの人たちのやさしさは本物だ。けれど、彼女は極端に臆病だった。
 真に心を赦しているのは……キバットと、“もう一人”くらいだ。
 亜麻色の髪の毛をした、とても綺麗な女の人。親のいない自分が唯一“母親”と慕う人。
 仕事が忙しくて、時々しか来れないが……自分をとても気にしてくれる優しいママ。
 その人を思い描いたとき、あの人になら、自分のこの臆病な部分を曝け出してもいいかもしれない、と。本当に、そう思った。

「うん。してみるよ……キバット、ありがとう」

 改めてお礼を言うと、キバットは吃驚したように呆けて、すぐにヴィヴィオから顔を背ける。

「そ、そそそんな礼を言われるようなことなんてしてないっての!」
「それでも、だよ。キバットが居なかったら、きっとわたし、ずっと臆病のままだった」
「うっ……あーもう! 調子くるうなァ! ちょっと外の空気吸ってくるぞ!!」

 傍から見てわかるくらいに顔を赤くして窓の外へと逃げるように飛び立っていくキバット。
 お節介で、ちょっと恥ずかしがりやだけど優しい蝙蝠のその様子に、少しだけ微笑んだ。ふとキバットが飛んでいった外の先を見る。
 綺麗な青空の中に薄っすらと見える月。綺麗だと思う反面、何だか違和感がこべりつく。


「アレは………“眼”?」


 真っ白な満月を縛り付けるような“闇色の眼”が見えた気がした。
 目を擦って、もう一度青空に穿たれた満月を見る。その眼みたいなものは何もなく、霞のように消え去っている。
 だが彼女の心の淵に言いようもない不安だけ残った。


 まるで、何かが“再び”起こるような気がして――。


 真昼に浮かぶ満月は、遥か空の果てより彼女の不安を嘲笑うように、雲に隠れて消えうせた。


 ◆◆◆


 ――聖王教会。
 ミッドチルダに本拠地を置く最大宗教の一派。
 その教会の一大拠点たるミッドチルダ北部、ベルカ自治区にある本部の一室に、二名の女性が紅茶を飲んでいた。
 一人……茶色がかった髪を肩に掛からぬ程度に切り揃えた少女――八神はやて。
 そして、一人。金色の長髪を揺らす清楚な女性――カリム・グラシア。
 二名ともにこのミッドチルダを統治する時空管理局において名を馳せる存在。そんな彼女が集った理由、それは――

「申し訳ありません。こう、何度も御足労をかけて……」
「ええよええよ、気にせんとって。こっちも、久しぶりにゆっくり紅茶を飲める時間が出来て良かったって思うくらいやし」

 紅茶の香りが心地よく鼻をくすぐる。さぞや良い葉を使っているのだろうとはやては思案した。
 やはり、過去の生活の理由もあるのか、こういう事に関してやたらと気にする辺り、貧乏性なのだろうかと多少の自虐を行い心の内で嘆く。
 そんなどうでも良い事を思う傍ら、八神はやては何故この聖王教会本部に呼び出されたのか、それを思案する。
 かつてこの場に呼び出された時。それは彼女――カリム・グラシアの能力である“預言”の詳細。
 


『旧い結晶と無限の欲望が交わる地 死せる王の下、聖地より彼の翼が蘇る 
 死者達は踊り、中つ大地の法の塔は虚しく焼け落ち それを先駆けに数多の海を守る法の船は砕け落ちる』



 未だに何を意味するのか解らない、謎の預言。だが、この一文にある“法の塔”という記述が、もしも彼女たちが所属する時空管理局の本部を指すモノだとすれば――。
 カリム曰く預言の正確性は五割かその程度だと言うが、それでも備えるべきものは備えて然るべき。
 そういった“もしもの時の為”に、はやては“機動六課”を創設したのだ。
 では、今回はどういった用向きでカリムははやてを呼び出したのか。それの答えは他でもない、カリムの口から吐き出された。

「今回の用件――それは、“例の預言”のことです」
「……ちょっとは予感してたけど、やっぱり。でも、カリムの能力(レアスキル)――『預言者の著書(プロフェーティン・シュリフテン)』はそう何度も発動するもんやないんやろ? 年に一回の頻度やて――」

 そう。カリム・グラシアが保有する稀少能力――『預言者の著書』。
 このスキルは少々特殊で、膨大な魔力消費、そして年に一度、二つの月の魔力が揃う時でしか預言書を作成することは出来ないというもの。
 更には先ほども言ったとおり、その正確性は余り信用できるものではないのだが……。
 カリムはそんなはやての言葉に頷くも、不安に表情を陰らせて応えた。


「それが、ホントに珍しいことに……いや、異常と言っても差し支えありません。前回の預言の“続き”が昨夜、“更新”されたのです」


 ――やはり、とはやては紅茶の入ったカップをテーブルに置き、改めて腰を据えた。
 確かにその事実は驚きこそすれ、話の流れとしてはそれ以外の答えの可能性は低かった。予想の範囲内だ。
 だがそれでもやはり疑問が拭えない。二つの月の魔力が満ちる日は数日前に通り過ぎたのだ、タイムラグと考えるには、些か時間がずれ過ぎている。
 カリムのような稀少能力だと、確かに偶然の可能性も否定できないが同時にその“例外”とて否定できない。万全の限りを尽くすのに損などないのだ。

「成る程なぁ。……詳しく聞かせてくれへんか? その“続き”って言うの」

 カリムはその言葉に頷くと、静かに語りだした。



「“彼の翼が羽ばたき嘶くとき、共に封じられし伝説は再び蘇る。
  其れはかつての誓いを執行する者なり。かつての憎悪を遂げる者なり。
  月を縛る眼が開くとき、聖櫃に眠りし魔王、牙の名を冠する王の血を根絶やす為に覚醒せん”」



「あー、相変わらずよーわからん単語ばっかりやな」

 頬を掻いてカリムの預言について頭の中で考える。
 やはり、どれもこれも心当たりが無い。伝説は兎も角、魔王……まるで出来の悪いロールプレイングゲームみたいだ。
 どの単語を切り分けて考えても、検討がつかない。こういうとき、ミッドチルダの伝承に関してもう少し勉強すべきだったとはやては心中で後悔する。
 するとカリムはその様子に苦笑しつつ、一冊の本を取り出してテーブルの上に置いた。
 表題は古代ベルカ文字で書かれてある。これに関しては多少の知識を持っている。
 『雄王列記』――確か現代語に翻訳されたものが一般販売されている書籍。
 書店に平積みされてた時は現代語で表題が書かれており、今見ているそれとは随分と装飾も違う。
 ここに置かれたモノは所謂、“原本(オリジナル)”というものだろう。

「とりあえず私のほうで色々調べてみたのですが、この追加預言に紡がれた単語の中の物と一致するような記述を見つけました」

 差し出された本を開くと、挿絵と共にとある一頁を見せられる。
 炎に包まれる町の中を歩く四つの怪物が描かれた絵。そのどれもが見たことも無い姿形――異形と言って差し支えない。

「これは?」
「私もそこまで詳しくは理解できなかったのですが……かつての聖王戦争時代の出来事を描いた英雄譚に、この挿絵と共に気になる記述がここに」

 挿絵の隣に書かれた文章をはやては眼を凝らして見入った。全文を読み取ることは出来ないが、一つ一つの単語は如何にか理解できる。
 それらを組み合わせていけば、おのずとどういった文が書かれているのか、大雑把だが把握できるものだ。
 はやてはその一文を指で撫でながら、拙く翻訳していく。

「えっと、この単語は……“伝説”?」
「そう、伝説という単語。それも、この挿絵に描かれてある異形を指しているのです」

 伝説という単語。それは新たに追加された預言の中に記されたものと一致する。
 そのまま推理すれば、この挿絵に描かれた魔人が今の世に蘇ることを暗示するものだが――。

 更にカリムは続きの頁をめくる。更に大きな、見開きで描かれた挿絵が眼に入る。
 夜空に浮かぶ満月に描かれた禍々しい“眼”、その下で燃ゆる街中に佇む巨大な威容――影。
 宝箱の中から陽炎のように現れるソレは、はやての出身世界、第97管理外世界における御伽噺、“千夜一夜物語”を思い起こされた。
 遥か異国の地にて紡がれた、魔法のランプから顕れ出でる魔人――なれど御伽噺に伝え聞く、『願いを叶える存在』。
 だがこの本に描かれた影は、そんな神々しささえ霞む程の禍々しさを醸し出している。

「不吉な絵やな」

 そう口から零れるのも至極当然と言えた。
 だがはやてはその挿絵の異形が、まるで何処か、否、“誰か”に対してその強大な力を振りかざすような素振りをしていることに気付く。
 その視線の先にある絵を見やる。其処に、この魔王と対峙する英雄――否、“王”がいた。
 闇においてなお映える漆黒と燃える焔より濃い紅蓮の鎧を纏いし兇暴な姿。だが、其処に一切の邪悪さは感じられない。強大な力を振い悪意と対峙する姿は、まさに英雄。まさに王。

「カリム、この魔王みたいなのと戦ってるのって――もしかしてさっきの追加預言にあった“牙の王”ちゃう?」

「恐らくは。このあたりの内容はだいぶ検閲処置がされてましたから、確証はできませんが」

「……ま、万全を期すに損はない、か。了解したわ、カリム。ちょっと不確定要素が多いけど、突然起きるよか、心の準備出来とったほうがマシやしな」

 ある種、宗教組織としては秘匿されていながらも暗黙の理でもある検閲処理。
 数百年の聖王戦争時代、この書が記された時代に起こったソレが、“聖王教会”の根底を揺るがしかねない“何か”を暗示しているのだろうか。
 だが、その話は少なくとも今現在は全くもって関係ない。喩えカリム・グラシアの預言の成功率が五割かその程度でも、その“起こりうる可能性”が示唆されているのであれば、準備を怠るワケにはいくまい。
 はやては気分転換がてら、部屋の窓から空を見る。青空に薄らと見える白昼の月。いつもと変わらない光景。
 だが、網膜にこべりつく、粘ついたような違和感にはやては首を傾げる、


(――あれ? なんやろうアレは)


 ふと理解した。
 月を見た時にぼやけて見える、あの月とは不釣り合いの光景。
 ”月を縛るように根をはる闇色の眼(まなこ)”。
 はやては目を擦り、再び空を見やる。その異形の瞳は霞のように消え失せて、普段と変わりのない風景が広がっていた。

「……気のせいか? もう、景気が曇り気味な話した後なんに不吉やなーもう」

「は、はやて? どうかしたのですか」

「はっ! い、いいやなんでもないなんでもない! ちょっと疲れてたんかも知れんわー」

 不安を悟らせまいと気取る。
 そう、あんな光景をいちいち気にする必要などないのだ。ネガティブからは何も生まれないのだから、と。
 カリムは怪訝そうな顔をしながらも一応納得したのか、やわらかく微笑んだ。――と、カリムはふと思い出したと言わんばかりに両掌を合わせた。


「そうだ! はやて、あと少しだけお時間はありますか?」

「え? まぁ、この後の用事までまだ時間には余裕あるし、そりゃあ大丈夫やけど」

 それは良かった、と嬉々と頷きながら懐から何十枚も束ねられたカード……“タロット”が取り出された。
 はやてはそれをよく知っている。はやての出身世界、第97管理外世界“地球”における代表的な占いの道具だ。

「占いか」

「ええ。少し前にこの聖王教会本部の近くにある公園で、このカードを使って占いをしていた男性に教えてもらって、ちょっとのめり込んじゃって」

 はやては心の中でため息を吐いた。普段のカリム・グラシアは規則正しく真面目で、清廉という言葉がよく似合う女性である。
 だが、いや“だからこそ”か。そういった真面目な部分と比例するように、彼女は何処か天然なのだ。
 それは別に欠点といえる程のものではないが、己の力を髄から緩ませてしまうのはどうしようもなく厄介だな、とはやては思う。

「あ、その顔は信じてませんね?」

「そりゃあ、なぁ。カリムの“預言”ならともかく、ただの占いとなるとちょい説得力が……」

 つい本音が漏れてしまう。はやては咄嗟に口を押さえるが、少し遅かった。
 みるみる内に頬を膨らませていくカリム。随分と古典的な「不機嫌」の表現方法。自分では怒ってると相手に伝えてるつもりでも、どこか可愛らしく思えるのは人柄故か。

「ま、まぁ一回くらいやってみるのもアリ、かな」

 苦笑しながら、はやてはカリムと対面に位置する椅子へ座った。
 カリムは頬を膨らましながらも、満更ではないようなよくわからない表情をしながら、テーブルの上にタロットカードを置く。

「ふん、いいでしょう。はやてにはちょっと驚いて貰わなきゃなりませんね」

 盤上に広がる無数のカード。それぞれに描かれた絵/シンボル/意味。
 机上に運命は散らばり、解け、繋がり、指し示していく。今や、この机上に如何なる運命(ルート)の可能性が偏在する。
 カリム・グラシアはその手の内に、運命を繰りながら柔らかく笑い、呟いた。

「前言撤回させてあげましょう。なぜなら――」



「“私の占いは当たる”のですから」



 ◆◆◆



 軋む音が響く。陽光の当たらない場所で、何かが“内側”から突き破るような音が響き渡る。
 人が生きていく中でこの様な音を聞くことなど在り得ない。異常な音。異常な気配。異常な殺意。
 暗い空間の中で朧気ながら見える物体……人間の大人ほどの大きさの石に異形が描かれたモニュメントがそこにあった。
 悶え苦しむように歪んだ顔、憎悪に滾り、歯を食い縛る顔。顔、顔、顔。どうしようもなく不安を催す表情を象った顔面の意匠。
 およそ人が作り出すにしては聊か狂気じみたそれが、今、その“枷”を解き放つために激しく律動する。

 ―――メキリ、と。決定的な亀裂音が遮った後に爆砕する。

“石のモニュメント”の内側から現れ出でる、その気配/殺意の元凶。
 全身を包帯のような物で纏い、至る所に先の不安しか催さぬ狂った意匠の顔の彫刻が四肢に飾られている。
 誰もがその姿を見て、絶叫するであろう。泣き叫びながら、吼えるであろう。――“異形”、と。


「ガ、ア―――」


 唸るような、低く、くぐもった声。“久方ぶり”の現世。手を握り、首を回し、固まった骨格を無理やり馴らしていく。
 ただその場にいるだけで常人ならば卒倒しかねない威圧感。そして恐怖感。それらを全て体現したかのような全身。“オルフェノク”や“ワーム”などではない、もっと“別の存在”。
 異形が周囲を見ながら、感傷に浸るように呟いた。


「この俺が蘇ったということは―――“あの御方”の目覚めが近い、ということか」


 その呟きには、どうしようもない歓喜が込められていた。



 ◆◆◆



 晴れやかな日差しが窓から射してくる。どうしようもなく心地の良い天気だ。
 柔らかいベッドの上から、目を擦りながら起き上ったヴィヴィオは、その日差しが差し込む窓へヨタヨタと、今にも転びそうな足取りで向かう。
 窓を開けた瞬間、先ほどよりも眩い光がヴィヴィオの瞳を突き刺してくる。怯みながらも、右手で陽光を遮りながら外を見た。

 雲一つない空。先ほどまで過激に輝いていた陽光にも段々と慣れ、うんとヴィヴィオは背伸びをした。


「うん、いい天気!」

 
 清々しい朝日を見て、ヴィヴィオの表情は笑顔に染まる。
 昨日の夜から彼女は今日という日を愉しみに待ち望んでいたのだ。そして彼女はベッドの横に置いてある時計を見る。
 ――午前六時半と、時計の針は指し示している。余りに愉しみにしすぎた所為か、彼女にしては恐ろしく早い時間に起きてしまったようだ。
 
 ヴィヴィオは苦笑いしつつ、そういえば、と、彼女の友達であるキバットがかつて再三言っていた言葉を思い出す。
 曰く、「早起きは三文の得」。その意味についても詳しく言っていた気がするが、未だ幼いヴィヴィオにとって、その諺を理解できるはずもなく、殆ど聞き流していたようだが。
 それでも、漠然としながらもその意味が解ってきたらしい。
 ならば早く、それを実行しなければ。そう思い立ち、彼女は洗面台へ向かう。未だ寝ぼけた顔を洗い流し、歯を磨いて、ぼさぼさな髪の毛をを整えて。
 その後はお気に入りの服を選んで。自分に出来る精一杯のオシャレを。

 (だって、だって、今日は――)


「なのはママと、いっしょにお買いものする日なんだから!」



 太陽のような笑顔で、彼女は呟いた。



 ◆◆◆



 真昼のミッドチルダの繁華街には、予想以上に人が溢れていた。
 世間一般で言えば今日は休日なので仕方ないといえば仕方ないのだが。そんな人ごみのなかに、ヴィヴィオは背の高い女性――高町なのはと手を繋ぎながら歩いている。

 「ヴィヴィオ、だいじょうぶ? 疲れてない?」

 なのははこの予想以上の人ごみに苦笑いをこぼしながら、はじめてこんな人に溢れた繁華街に来たであろうヴィヴィオに心配そうに声をを掛けた。
 見ればヴィヴィオの額には若干の汗が見える。やはりどこか無理をしているようだ。
 しかしヴィヴィオは小さな頭をぶんぶんと、疲れを汗とともに払うように横に振る。

 「ぜんっぜん! ちょっと人の多さにおどろいただけ」

 「んー、ホントに?」

 「本当だよ。なのはママったら、心配性だなあ」

 そう言うも、ヴィヴィオの額からは尚も汗が流れている。
 なのはは再び確認を取ろうとしたが、せっかくの休日である、それにヴィヴィオとはじめてまともに外出している日でもある。
 確かに注意すべきだろうが、それでせっかくの楽しい時間に水を差すのは、なのはにとっても本意ではない。
 ふと周囲に彼女は目を向ける。
 幸いにも、なのはが探した場所はすぐに見つかった。

「じゃ、ヴィヴィオ。ママが疲れちゃったから、少し休憩しようか。ほら、向こうに美味しそうなケーキ屋があるし」

「ケーキ!? 行く、行く! ヴィヴィオ、いちごショート食べたい!」


 先ほどの目に見えていた疲れが嘘のようにヴィヴィオの体から吹き飛んでいく。
 食べ物に簡単に釣られるなんて、やはり年相応の子供なんだとなのはは微笑み、ヴィヴィオの手をしっかり握ってケーキ屋へと歩いて行った。

 ――彼女たちに迫る、暗稽なる危機に気付くことのないまま。



 ◆◆◆



 彼女たちが楽しげに街を歩いている中、とあるビルの屋上から、遥か下にうごめく人々の群れを俯瞰する影があった。
 全身を渇き、ほつれた包帯でつつみ、四肢の関節部にまるで「ムンクの叫び」じみた表情をした人の顔を模した仮面が、その存在をどうしようもないほどに恐怖の権化たらしめる。
 その存在を見たものは誰も彼も、絶叫するだろう。
 ――怪物!――異形!―――“魔人”!!
 人々を恐怖と狂気のどん底に突き落とす、地獄の使者/死者。


「さぁ、はじめよう。知らしめよう。我らの復活を。我らが王の再来を。今一度、あの忌々しい人間どもに。かの“王族”どもに。その系譜を継ぐものに」


 魔人はパチンッ、と指を鳴らす。それに応えるように、魔人の背後から“怪人”が現れた。
 頭部は馬、身体は人間。極彩色の皮膚はまるでステンドグラスを模しているかのようである。
 だが、その“怪人”には一つ、“在る筈のない装飾”が備え付けられていた。
 ――仮面。魔人の関節部に付随した、先ほど「ムンクの叫び」のようだと表した、あの仮面が、“怪人”の顔に無理やり装備させられているのだ。
 すなわちそれは隷属の証し。魔人が持ちうる異能の一つ。

 魔人は再び宣言する。

「はじめよう。我らが悲願を。我らが復讐を。我らをあの狭苦しい聖櫃(はこ)の中に閉じ込めた、忌々しい一族に一矢報いるために。それが、我らが願いなれば。我らが王の悲願なれば!」




「“ファンガイアの王”――“キバの系譜”! それを断ち切る為に! 我らは、“レジェンドルガ”は蘇ったのだ!!」




 異形の叫びが、真昼のミッドチルダに響き渡った。
 ――これより、恐怖と狂気の宴が再演される。



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最終更新:2010年08月27日 19:46