LYLICAL RIDER WARS_03前編Bパート

 唐突に、ヴィヴィオの身体に悪寒が奔った。ほぼ無意識に自分の細い腕で小さな身体を抱きしめる。
 その悪寒は一秒一秒時が進んでいくほどに激しくなっていく。
 胸の動悸も、震えも、彼女がこれまでに一度たりとも経験したことがないほどの激動。
 

(なに、この感覚…?)


 背中を突き刺す憎悪の意志。
 猛り、唸りを上げる、怨嗟に満ちた殺意。


(私は―――)




 “この感覚を、知っている?”




 感じたことのない、いや、“感じる筈のない既知感”に見舞われた瞬間、彼女の背後で爆発音が生じた。
 余りに唐突な景色。ファッション街で有名だったミッドチルダショッピングモール東部が今、黒い煙と紅蓮の炎に染まっている。
 人々の思考は一瞬、何が起こったのか理解できず、身体が動くことはなかった。だがそれも数瞬のこと。

「う……うわぁあああああああああああッッッ!!!?!?!?」
「キャアアアア!!!!」

 一人、二人の叫びと同時に人々は阿鼻叫喚の地獄に陥れられた。
 何百人規模の人の流れが一気に爆発した場所から逃れようと一方へ逃げていく。
 当然、ミッドチルダ有数の広さを誇るこのショッピングモールとて、この濁流に似た人の流れをはけることなど出来やしない。
 だが、それでも人々は流れを止めない。
 背後より唐突に迫る命の危険は余りにも強大すぎた。時空管理局本部がおかれたこのミッドチルダにおいて、安全は保障されたも同然だった筈の世界だからこそ、唐突の危険に人々の精神は耐えきれることなどない。
 だから、逃げる。自分の命を守る為に。人々は我先にと逃げ、惑う。



 その情景さえ――ヴィヴィオは、何故だか知っているような気がしてならなかった。
 だがその既知感に身体が麻痺したからだろう、唐突に見舞われた浮遊感に意識が一瞬追いつかなかったことを。
 抱きかかえられている。誰に? ――自分が親愛してやまない、高町なのはに、抱きかかえられながら、この場から飛翔しているのだ。
 迅速な対応。
 無力な子供であるヴィヴィオを安全な場所へと連れていくために、危険な場所から一寸でも遠く離れさせるために、高町なのはは迅速に飛行魔法を行使し、飛翔した。
 その早さたるや、一分も掛からない。あの爆発した場所全体が見て取れる場所に降ろされたヴィヴィオは何が起こっているのか、幼いながらも理解する。


「いくの? なのはママ」

「うん。みんなを守らなくちゃ。ヴィヴィオはここで待ってて――もうすぐ、ここにママの仲間が迎えにきてくれるから」

「無事に……戻ってくるよね?」

「当然!」


 刹那、なのはの身体を桃色の閃光が、幾何学的な模様を描いてほとばしる。
 本当ならば目も開けないくらいの眩い光だが、その光はどこか優しく、目を閉じる必要もなく感じてしまう。
 だがそれに秘められた膨大複雑に蓄積された魔法式たるや、計り知れないものがある。
 その式が展開される中で、なのはは己の相棒の銘を叫ぶ。


「“レイジングハート”!」


≪All light! Stand by Ready――≫



 彼女の右手の内に収まる、小さな宝玉――不屈の魂(レイジング・ハート)と呼ばれる、幼いころからなのはと共に闘い続けた戦友。
 機械的な音声でありながら何処か高揚感があるそのメタルエコーが更に魔法式を複雑化させ、その中で計算式を疾走させる。
 圧倒的すぎる演算速度はレイジングハートの記録回路に偏在する設計図を事象化(マテリアライズ)させる為の最後の式を装填。
 その装填音を感じたなのはは、最後の口訣を高らかに叫んだ。



「セット・アップ!」



 桃色の閃光が、はじけた。
 炸裂する光に対してはヴィヴィオも目を思わず閉じてしまう。目の前で魔力の流れが蓄積していく感覚を知覚するも、何が起こっているのかは見当もつかない。
 一瞬。刹那とも呼べる出来事。光が収まったと同時に、恐る恐るヴィヴィオは目をあける。

 純白の装束を身にまとった戦乙女の背中が、そこにあった。手に握る、槍にも似た武器は先ほどの紅い宝玉――レイジングハート。
 即ちこれぞ高町なのはの戦闘装束(バリアジャケット)。管理局が誇る英雄、“エースオブエース”の姿。

 余りの壮麗さにヴィヴィオは放心状態になるが、笑顔と共に後ろへ振り向いた彼女――なのはの顔をみて、ようやく自我を取り戻す。


「じゃ、行ってくるよ」


 優しく頭を撫でられる。髪の毛をぐしゃぐしゃにしないよう、本当に撫でるくらいのやさしさ。
 だが、そこに宿る強い思いを感じて、ヴィヴィオも笑顔を作り、言うべき台詞を紡ぐ。


「いってらっしゃい!」


 その言葉に強く頷き、高町なのはは再び、この場所から飛翔した。



 ――絶望に落とされた人々を守る為に。単身、戦場へ。




 ◆◆◆




「―――この時を、待っていた」



 だが、高町なのはは気付けなかった。
 ビルの影に、その異形が涎を垂らして待ち構えたことを。

 射抜く視線の先には――オッドアイの少女。



「では、完全に。迅速に。なんの憂いも無く。滅ぼさせてもらおう―――“キバの系譜”!」




 ◆◆◆




 燃え盛る繁華街の中を、なのはは飛翔する。
 濃沌な黒煙が空を覆って、燃える炎の赤だけがその黒に彩りをつける。
 彼女はこの光景に見覚えがあった。かつて、まだ幼い少女だった己の部下を助けたあの火事現場。
 あの時は奇跡的にも被害者は零に近かった。だが、今は違う。ガスを吸って倒れている人たちが何十人も地面に這い蹲りながら、物陰へと逃げ惑っている。

 自然と、なのはは唇を噛んだ。
 一体誰が。何の目的の為に。こんな、こんな酷いことを。なのはの心はどうしようもない怒りと不理解に染まると同時に、妙に頭の冷える感覚を覚えた。

 遥か先、紅蓮に燃える炎を背に、ゆっくりと影が歩いている。
 異形だった。人の身体をしていながら、頭は馬のそれと酷似していた。
 ステンドグラスのような色合いを放つ皮膚はまるで鎧の様だが、それがその異形を怪異たらしめているような姿。


(オルフェノクじゃない……ワームでもない。私の知らない怪人!?)


 然り。あの異形はオルフェノクのように、身体の色が灰色ではない。ワームのように、蟲を模した形状ではない。
 新たな怪異。新たな怪人。
 ――だが、関係ない。なのはの激烈な怒りと冷徹な思考は歯車のように噛み合って、改めてその怪人を見据えた。
 特異な能力を持っていない限り、あの怪人は徒手空拳に等しい。第一にして唯一の選択肢が真っ先に思い浮かぶ。長距離砲火。高町なのはをエースオブエースたらしめる、最も得意とする攻撃手段。
 しかし、なのははその手段を保留とする。まずは“やるべきことがある”。彼女が知る怪人には、皆意思があった。オルフェノクにも、ワームにも。姿かたちは人間非ざるものだが、意思疎通は出来るのだ。
 真っ先にやるべきことがある。この繁華街を突如として火の海にした“理由を聞かなければ”。



「お話――聞かせてもらうから!」



 即ち、それこそが高町なのは第一の戦闘手段である。
 彼女は大気を蹴った。燃える虚空を翔け抜け、疾駆する。その速度はまさに神速。その疾走と共にレイジングハートの穂先を翳して、異形へ向かって吶喊した。

 数百はあったであろう距離は一瞬の内に縮まった。あと少しで激突する。
 だがその刹那の衝突が起きようとしてる中で、のっそりと、その異形はなのはへと頭(こうべ)をあげた。そこにあったシロモノが、なのはの心に不信感を宿らせる。
 

(―――仮面?)


 そう、“仮面”。
 もしくは彼女の故郷である国の伝統文化物でもある“能面”ともいうべき、酔狂かつ禍々しいマスクが、その馬頭の異形に無理やりこじつけられていたのだ。
 訝しげに思ったのも束の間。なのはとその怪人は超速の中で激突した。ぶつかりあった両者を中心に巻き起こる風圧は黒煙さえも逆巻かせ四散させる。
 圧倒的な衝撃。高町なのはの猪突猛進極まる突撃の威力の凄まじさが垣間見れた。
 だが、当の本人であるなのははそう思ってはいない。むしろ逆だ。“あの威力を内包した突撃を受け止められた”事実が、彼女の戦術思考を埋め尽くす。

 ギリ……と、互いの力の拮抗が、音をたてて軋む。魔法による身体能力の向上(バックアップ)を味方につけて尚の力の拮抗は驚愕に値する。
 しかしなのはにとって、それは驚きと共に僥倖と言えた。……相手と意思疎通するタイミングが出来たのだから。
 なのはは目の前の仮面をかぶった怪人を強い視線で睨み、言葉を吐いた。

「この繁華街を火の海にしたのは、貴方なんですか? 理由があるなら答えてください」

「――」

 仮面を被った馬頭の怪人の表情はわからない。終始無言のまま、レイジングハートの柄を握り返し、尋常ならざる力で押し返す。
 力の拮抗は此処にきて怪人の方へ天秤が傾いた。だがなのはは巧みに、相棒を掴むその掌を振り払う。瞬間離脱。両者の間合いが再び開いた。

 なのはは感じとっていた。怪人の表情は全くわからない。だが、その挙動にはまったくの感情が備わっていなかった。
 つまるところ、意思の疎通は不可能。状況から鑑みて、この炎の海を作り出したのはこの怪人とするのは妥当と言える。
 レイジングハートを構えなおしたなのはの顔に迷いはない。己の握る相棒へ魔力を送り込み、穂先へとその式を疾走させ、装填(セット)。


 突如として炎上した繁華街に、戦場の匂いが充満した。
 焼けた大気の匂いと味。バチバチと小さく、そして轟々と大きく聞こえる炎の猛り。
 だが両者の間に張り詰める空気は、その音すらも消え去ったような感覚に陥れる。

 

 そして――その空気が、弾けた。



 最初に動いたのは馬頭の異形。その姿に似合う、駿馬の如き疾走でなのはへと詰め寄る。
 アスファルトの大地が、怪人の異常極まる脚力により粉砕されていく。舞い上がる白煙を軌跡に、怪人は全力で疾駆した。

 だが対するなのはの対応も、迅速かつ容赦がなかった。
 装填した術式を展開。数個の魔力球体(スフィア)が、術者であるなのはの周囲に顕現したかと思った瞬間、腕を前へ掲げたなのはの意思に従って、文字通り縦横無尽に飛翔したのだ。
 目指す先は無論、こちらへ突撃を図る怪人。完全な迎撃態勢である。
 前方へ掲げた手を軽く、撫でるように空を切る。それに反応する様に、魔力球体がビリヤードの玉のように弾けて、怪人の両足……関節、膝を撃ち抜いた。
 完全的確。見敵必中。余りに冴え渡った精度を誇る魔弾の貫通を前に怪人の動きが鈍る。

 なのはの心の中に多少なりとも安堵が浮かんだ。幾ら怪人であろうとも、身体の構造上、そういった動作を行う点と線を的確に狙い撃てば必ず歩行運動に支障が発生するのだ。
 そう思い、溜息を吐いたのが、隙となった。彼女は侮っていた。怪人の怪人たる所以を、彼女は一瞬だが忘却してしまった。それが仇へと転じる。一瞬にして、天秤が傾いた。

 馬頭の怪人の動きが鈍ったのは、ほんの一瞬だけだった。むしろその痛覚が、怪人の力の真価を呼び起こしたのか。


「オ、オ、………ァガアアアアアア―――――――――――――――――――!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 鼓膜を破きかねないほどの絶叫が轟く。
 彼女はその突然の咆哮に身を震わせた。致命的な挙動。なのははそれを無意識の中で直感する。だが動かぬ身体はそれに反応することはない。
 動きの鈍った怪人の脚が、歯車が噛み合わさったように正常な動きへと切り替わる。そこに先のダメージなど感じられない。むしろ先ほどよりも雄々しく、強く、何よりも速い。
 そして、衝突。

「きゃあ!? くっ――!」

 かろうじてなのははレイジングハートを盾に防御魔法を展開するも、その突進力の強さたるや、まさに人外。
 物理衝撃を受け止めるはずの魔法障壁すら跳ね除けて、その爆発的な衝撃がなのはの身体を襲う。
 意識の外より感じる浮遊感。自らの意思に反して後方へ吹き飛んでいく身体。コンクリートの壁に背中が衝突した瞬間、その堅牢な壁に亀裂が奔る。
 多大な衝撃の過負荷によってなのはは己の背骨の軋む音を感じた。


「あぐぅ……っ!?」


 レイジングハートが自動的に衝撃緩和するために防御魔法を皮膚上に展開していたとはいえ、血流を乱し、骨格を圧し折りかねないショックに嘔吐感を催す。
 だが、その感覚さえも引いてしまうくらいの危険をなのはは察知した。どれくらいの距離を吹き飛ばされたのか。少なくとも十数メートルはあの怪人との間は開いている。
 しかしその距離はあの怪人の脚力をもってすれば、数秒とかかるまい。自らが受け、体感し、実感したことだ。ならば、この痛みを堪えて迎撃するしかない。


「レイジングハート!!」

《All right! My master――》


 痛覚を置き去りにして、なのはは魔力と術式を疾走させ構築する。レイジングハートの穂先に再び魔力が充填されていく。
 だが、その密度は先ほどのそれとは比較にならない。明らかに相手に対して多大なダメージを与えかねない魔力量。なのはが得意とする射撃魔法の一つ。即ち――


「ディバイン―――!」


 直射型砲撃魔法ディバインバスター。エースオブエース、高町なのはが繰りだすその直射魔法の威力たるや、もはや時空管理局内でも知らぬものはいまい。
 熾烈な攻撃力を内包した桃色の光が、十数メートル先に立ちつくす怪人を捉え――



「バス………っっ!?」



 瞬間、なのははその光景を目視した。ディバインバスターを放とうとした瞬間に気付いたその異常な光景に、なのはは放心状態となる。
 無論のことだが、指向性が失われた魔力の流れは霧散し、ディバインバスターの構築式は瓦解した。
 なのはの顔が、驚愕と疑問の色彩に囚われる。


「どうして……どうして、そんな!!」


 何故ならば。“あの馬頭の怪人を守るように、先ほどまで大地に倒れていた人間たちが立ちはだかったからだ”。


 見れば彼らの顔にも、怪人と同じような“仮面”が無理やり被せられている。苦しむように呻きをあげながら、まるで傀儡のように不安定な足取り。
 何が起こっているのか、理解の範疇を超えていた。だが少なくとも、一般人を巻きこむワケにはいかない。
 喩え非殺傷設定であったとしても、ディバインバスターの威力で諸共を吹き飛ばすのはいくらなんでも無理だ。不可能だ。

 確かになのはの魔法の手の中には任意の敵にのみ射撃できうる魔法は存在する。先ほどの魔法球体(スフィア)による狙撃がそれだ。
 だがその手も、多大なダメージを追って、苦痛に歪む彼女にとって完全に御することができるのかといえば、否といえた。
 任意追尾(ホーミング)を行うには、なのはの持つ天性の才、空間把握の力と多大な集中力が必要となる。今のなのはには、後者の集中力が決定的に欠けていた。

 突然のイレギュラーな事態に困惑するなのは。その様子を嘲笑うように――



「ハハハハハハ、どうかな、どうだったかな! この趣向は! この展開は! 心踊らないかな、魔の法を繰る女よ!」



 ――“魔人”が、現れた。
 全身に包帯を巻き、その身体の節々には馬頭の怪人や、この一般人たちが被る仮面が張り付いている。
 奇抜な異様。滲み出る魔力の混沌さたるや、今まで出会ってきた者たちよりも禍々しい。故に、魔人。そう、なのはは評した。
 そして気付く。仮面を被せられた一般人たちが、更には馬頭の怪人すらも……その魔人を前に膝をついていることを。それを見たなのはは確信する。


「貴方が……この繁華街を火の海にしたんですね」

 静かに問うた。

「然り」

 大らかに肯定した。

「貴方が、この怪人を操ってたんですね」

 震えながら問うた。

「然り」

 毅然と肯定した。


「――貴方が! この人たちを操ったんですね! 道具のように!」


 どうしようもない怒りを吼えた。


「――然り!! ではどうする!? どうすることもできんよなぁ!! ハハハハハハハ」

 
 その怒りを嬉々と嘲笑う。


「オマエが我らに攻撃しようものなら、この者たちがどうなるか、言わなくても理解できるだろう」


 両手を広げ、周囲を見下すミイラの魔人。
 周りにはあの馬頭の怪人、そして操られた一般人。
 なのはの思考は怒りに彩られた。これでは何もできない。救援すらも期待するだけ無駄だろう。手詰まり。この状況を打破しうることは、不可能に近かった。
 歯が軋む音を聴いた。
 どうしようもない不条理に、その不条理を打ち壊せないことに対してわき上がる激情の中で、己の無力さに悔しんだ。

 その様子を、まるで値踏みするように見下しながら、ミイラの魔人は顎に手を当てて、再び笑う。
 嗤いながら、まるで何か閃いたように指をパチンと鳴らした。




「そうだ。良いことを思いついた」




 そう言うと同時に、魔人の肩から、周りにいる一般人たちに被せられた仮面が現れ、それを右手に掴む。
 禍々しい魔力を感じ取れる。黒い瘴気がふつふつとわき上がってるようにみえる、おどろおどろしいその仮面を撫でながら、卑しく魔人は嘲笑う。
 なのはは、一体何をされるのか理解が遅れた。だがそれでも、己に迫る尊厳の危機を察知し、唾を飲んだ。


「なにを、するつもりなの?」


「見て解らないか? 女、オマエには我ら“レジェンドルガ族”の為に奉仕する、奴隷となるのだ。我のこの貌(かお)――“コントロールデスマスク”を填めることによってな」


 解りやすくて良い名だろう? と煽る魔人。
 嗚呼、本当に、憎らしくなるくらいにわかりやすい。理解に至ったなのはは後ろへと後ずさる。無論、背後は壁なのでそれ以上は逃げられなどしなかったが。
 諦めるしか、ない。心の中でその真実が浮き彫りとなる。
 そんな思いに自嘲しながら、この状況をどうやって打破するのか思考する。無論、打破しうる手札が限りなく零に近い中で選ぶことなど出来はしなかった。




「先ほどの戦いから見るに、中々の魔力素養。その使い方も熟知しているようだ。ますます我らの操り人形に相応しい――では、そろそろ誓約を果たそう。我ら、レジェンドルガ族に永劫の奉仕を。隷属を!」




 魔人の右手に掴まれた仮面が宙を飛ぶ。なのはの顔へ、真っ直ぐに。
 嗚呼、駄目だ。どうしようもない。なにもできない。諦観がなのはの心を支配する中で、一つの大きな後悔が浮上した。

 己を母と慕ってくれた、あの少女との約束を。




(ごめん――ヴィヴィオ。しばらく、帰れそうに、ない)




 その日を境に、時空管理局のエース・オブ・エース、「高町なのは」は行方不明となった。




 ◆◆◆




(……なのはママ?)



 ヴィヴィオは遠くより昇る黒煙を見つめていた。自分が母と慕った女性が飛び立った戦場へ、その視線を向けていた。
 胸に手をやる。何故か早まる鼓動。どうしようもない不安。その不安の理由はわからない。理解できない。
 高町なのははヴィヴィオに約束した。必ず戻ってくると。その言葉に秘められた感情に偽りなどない。幼いヴィヴィオでも、それは理解できた。
 なのに――この焦燥にも似た、不快な感覚は一体なんなのだろうか。その答えを、ヴィヴィオは未だ知らない。解らない。

 ふと、後方より大気を揺らすような断続的なエンジン音が響いた。振り向けば、時空管理局の紋章(エンブレム)を装甲上に刻んだヘリが此方に向かって舞い降りてくるのが見えた。
 なのはが言った、「迎え」だろう。軍服や、なのはと同じような戦装束――バリアジャケットに身を包んだ男性や女性がヘリから降りて、ヴィヴィオの目の前へとやってきた。


「ヴィヴィオさん、ですね。高町なのは一等空尉の伝達で、迎えにあがりました」


 事務的な言葉であるが、その中にある安堵の感情はヴィヴィオにも感じとれた。
 迎え。なのはが言っていたのはコレのことだろう。ここはあの黒煙があがる繁華街よりも多少は遠かれど、危険域なのには違いない。
 彼女の願う通り、もっと安全な場所へ避難しなければ――幼心にそう思い、管理局の人の差し出した手を執ろうとした。




「おっと。待ちなさい、そこの人間」




 それを、断じて赦すまいと。女のような声がその場に響く。
 管理局員たちは一斉に武装(デバイス)を展開、装備し周囲を警戒する。AMFなどの阻害粒子の散布がされてない分、魔法による探知も容易であった。
 全員がその魔力を探知し、その方向へ武器を向ける――ビルとビルの狭間の影より、その魔人は現れた。
 妖艶な、女性的な肢体。頭部より垂れる髪の毛は蛇の頭。見た目相応に、異形。その身体の内部より感じられる魔力など、人知を逸している。
 その魔的な異形に、局員は息を呑んだ。純粋無垢な恐怖が心の底より手を伸ばして、身体を縛りつけているようだ。デバイスを握る手から汗が流れるのが、見て取れた。

「何者だ!?」

 恐怖に震えながらも、果敢にその異形へ叫ぶように問い正した。
 魔人は、異様に爪の伸びた指で唇を撫でながら応える。


「レジェンドルガ。メドゥーサレジェンドルガ。まぁ、覚えても覚えなくても関係ないわ。何故なら」


 ――貴方達はすぐに死ぬのだから。

 瞬間であった。管理局員たちは目を疑った。否、疑う暇もなく、ヴィヴィオの目の前を守る二人の管理局員の視界は黒に染まる。
 ――蛇の頭。メドゥーサレジェンドルガと自称した魔人の蛇の頭を模した髪の毛が突如として伸び、二人の管理局員の顔面へと噛み付いたのだ。


「あ、あああああああああああああああ!?」

「ぎゃがああ、あああああ、ッッ!?!?!?」


 顔を噛みつかれた局員の二人は手に握るデバイスを地に落とし、苦痛に悶えながら蛇の頭を引き剥がそうと試みるも、そのとてつもない顎の力は外部からの力を寄せ付けない。
 周りの局員らもその光景に絶句した。その様子を嘲笑う魔人、メドゥーサレジェンドルガ。

 ――その二人の管理局員の顛末は、残酷ながら、周囲の者たちの予想通りのものとなった。
 もう充分だろうと言わんばかりに、吐き捨てるように蛇の頭は噛みついた二人の管理局員を吐き捨てて、主の元へと帰る。地面でのたうちながら、顔を押さえ激痛に悶える二人。
 余りにも残酷。恐怖の権化。歴戦の魔導師といえど、これほどまでに残酷悲惨なものを見た者はいない。

「ッ! ハアアアアアア!!」

 その光景を、恐怖よりも怒りに変遷させた者がデバイスを力強く握り、メドゥーサレジェンドルガへと射撃魔法を解き放った。
 誰から見ても、恐慌状態のソレだった。だが、それでもそれを皮切りに他の管理局員たちも躍起となる。複数名の射撃魔法の乱舞がメドゥーサレジェンドルガを襲う、襲う、襲う。
 数多に翔ける魔力光。それらは全てメドゥーサレジェンドルガへと翔け渡り、衝突して爆発する。舞い上がる硝煙、粉塵。
 だが管理局員たちには予感があった。恐らく、この程度の魔法では斃し切れないだろう。そもそも傷一つ付いてるか否かさえ怪しい。
 あの様な、怪人、魔人の類を相手するのは管理局員の中でも“ライダーシステム”を使用する者たちくらいだろう。下位ランクの己たちではどうしようも出来ない。
 しかし、彼らにとってはこれで充分だった。幾分かの時間さえ稼げればいい。
 今はこの場から、この少女、ヴィヴィオを連れて離脱しなければ。彼らは恐慌の中において、しかし己を見失わずに任務を完遂しようとしていた。

「さぁ、此方へ!」

「う、うん!」

 局員たちはヴィヴィオの手を掴み、後方に待機させていた軍用ヘリへと連れて行こうとした――が、そこに予想だにしない事態が起きていた。

 ヘリが、無残に破壊されていたのだ。
 その残骸の上に立つ、異形。魔人。放心する管理局員は、しかしソレが何なのかすぐに理解できた。
 ――レジェンドルガ。先のメドゥーサレジェンドルガとは別個体の、だ。岩のような表皮、悪魔のような造形。それらが管理局員たちを絶望の淵へ追いやっていく。

 放心する管理局員の様子を見て失笑しながら、魔人は残骸の上から跳躍した。
 射撃魔法も間に合わず、ヴィヴィオを守る局員らは魔人に見舞われた蹴撃によって吹き飛ばされる。

「がっ――!?」

 まるで飛礫(つぶて)のように吹き飛んだ身体はビルの壁へめり込み、局員の意識を刈り取った。

 首を回し、固まった骨をゴキゴキと鳴らして魔人は前方の噴煙の先にいる同類へと声をかける。

「隙が多いぞ、メドゥーサ。確実に仕留めるんじゃあなかったかぁ?」

「あら、逃げ惑う姿を嗤いながら見届けるのも乙なものではなくて? ガーゴイル」

 ふん、とその言葉を聞いて不満を吐き捨てる岩のような表皮を持つ魔人――ガーゴイルレジェンドルガはその場でへたり込む少女、ヴィヴィオへと視線を向けた。
 

「ひっ……!」


 恐怖によって、腰が抜けて立ち上がれない。逃げようにも、この魔人相手に、しかも二体もいてはどうしようもない。
 ヴィヴィオの目には、涙がたまっていた。この絶望的な状況に。打破できぬ驚異に。何よりも、自分を守ろうとしてくれた人たちが無残な姿になってしまった悲しみに。
 その姿を、ガーゴイルレジェンドルガは嘲笑うワケでもなく、ただただ失望したように嘆いた。


「こんな餓鬼が、聖王の血を継ぐ者なんてな。我々の悲願っていうのは、こうも簡単に終わっちまうもんか」


 残念そうにつぶやき、その手をヴィヴィオへと翳す。
 あっけない悲願の成就だと、鼻で笑いながら。その協力無比な剛腕で、ヴィヴィオの頭を掴もうと――




「や、ら、せ、る、か、よォォ―――――!!!」




 瞬間、突如としてガーゴイルレジェンドルガの腕を弾き飛ばす影が飛来した。
 予想以上の力にガーゴイルレジェンドルガですら後退するほどの力。一体何事かと見やる。その小さな影は――蝙蝠だった。

「大丈夫か、ヴィヴィオ!?」

「き……キバット! なんでここに――」

 キバットバット三世。ヴィヴィオからキバットと呼ばれる、彼女の“親友”。
 ぜえぜえと息絶え絶えの様子からして、全速力でヴィヴィオを助ける為に突撃したのだろう。


「お前がピンチの時に、この俺様が駆け付けなくてどうすんだっての!」


 その言葉にヴィヴィオの顔が自然と崩れる。安堵によって一気に緊張がほぐれたのだ。
 だが、それでも現状の危機は変わらない。二体のレジェンドルガは未だに健在。ヴィヴィオを抹殺しようとしたときに邪魔が入った所為で苛立ちを隠せずにいた。


「貴様――よくも!」


 その激昂の瞬間にガーゴイルレジェンドルガの周囲が怒りの波濤によって爆砕する。意気軒昂。殺意がかつてなく犇めいていた。
 ビリビリと震える大気がヴィヴィオの皮膚に伝わる。再び高まる緊張を前に、だがヴィヴィオは共にいる友のお陰で先ほどより不安は軽減されていた。

 しかしどうしようもならない。力の差は歴然。文字通り、赤子の手を捻るようにレジェンドルガはヴィヴィオの首を圧し折ることだろう。
 理不尽に。無慈悲に。ヴィヴィオの生は此処に断たれる。断絶される。未来へ繋がる事無く。過去の繋がりを思い出すことも出来ず。――ヴィヴィオの運命は、ここに決する。


「ヴィヴィオ……腕を出せ」


 だが、その道が潰える前に。小さな蝙蝠――キバットは毅然と、まるで“覚悟を決めたように”、ヴィヴィオへと告げた。

「キバット……?」

「今は質問してる暇はねぇ! 早く腕をだせ!」

「う、うん!」

 強引な物言いにヴィヴィオは疑問を隠せずにいたが、しかしキバットの言うとおり腕をキバットの前に掲げる。
 瞬間、キバットの口が大きく開く。その中から見える牙が輝いた。……思わず、ヴィヴィオは「ひっ」と呻きをあげて身体を強張らせた。



「ちょっと痛いけど、我慢しろよ―――――ガブッ!!」



 一応の注意を促すも、キバットは躊躇いも無くヴィヴィオの指に、思い切り噛みついた。
 瞬間、ヴィヴィオの身体に駆け巡るであろう痛覚にそなえ、ヴィヴィオは目を瞑る。――だが、そこでヴィヴィオは可笑しいことに気付いた。




(……あ、あれ? “痛みがない”?)




 そう。痛みがない。痛覚が指から脳に伝わらない。
 痛みではない“何か”が逆流する感覚。ヴィヴィオの指から身体にほとばしる激烈な力の奔流。血管を通して、膨大な力の波がヴィヴィオの小さな身体を呑みこんでいく。
 だがそれは先にも言ったように、痛みを伴わない。むしろ、何かに抱かれたような感覚。もしくは己の矮小な身体が突如として巨大化していくような感覚。
 それもその筈。ヴィヴィオの小さな身体は今、どういうワケか瞬間的に成長を遂げ、幼女から少女へとその姿を変貌させていたのだ。


「こ、これは、……」
「まだまだ、次があるぜ! ――気張(キバ)れよ、ヴィヴィオ!」


 キバットのその言葉通り、更に膨大な力の波が大きくなったヴィヴィオの身体に流れ込む。
 否、力だけではない。それは如いて言えば映像(ヴィジョン)。断続的に流れる紙芝居のような映像の数々。
 ヴィヴィオはそれを“知っている”。現実に体感したワケではない。
 これが、自分が失った記憶の映像なのだろうかと一瞬思ったが、何処か違う様に感じる。“知らない筈なのに知っている”という曖昧な表現が、現時点では適切であった。
 その中で――極彩色のガラスのような映像の数々の中で……ヴィヴィオは見た。


 その、闇夜に映える、血の如き深紅に彩られた王の鎧を。


 それを知覚した刹那、ヴィヴィオは知った。
 これが、これこそが、“己が纏うべき鎧”だと、本能で知覚したのだ。
 だからこそ。先ほどまで無力だったヴィヴィオは力を手にするために、その力を纏うために、口訣する。




「―――――――変身」




 その口訣と共に、ヴィヴィオの身体が硝子状のオーラに包まれる。それは段々と刺々しく象られる。
 透明状のソレはキバットの牙から流れ込んだ極彩色のエネルギーによって虹色の――まるで教会に飾られているであろうステンドグラスの様に煌めく。
 だが、それも一瞬。内部より暴れる力の奔流はそのガラスを打ち破り――その鎧が、ヴィヴィオの身体に纏われた。


「き、貴様――その、その姿は……!!」


 レジェンドルガは驚愕に打ち震える。
 先ほどまで少女だったそれが、今や彼らが知る、憎悪すべき相手へと姿形を変貌させたのだから。



 それは深紅の身体。金色の眼。右足にある銀の拘束具。
 鎖に繋がれた、王の鎧。血に彩られた、王の証。



 即ち、その名は。







「―――仮面ライダー、キバ」







 ここに、滅びの時を超えて、醒めぬ眠りから王が蘇る。






 中編へ続く

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最終更新:2010年08月27日 19:55