ぽかぽか、ふわふわ、もふもふ

「へっくちゅ!」

小さなくしゃみが上がる。傍から見れば可愛らしいものに見えるが、くしゃみをした当人は熱と倦怠感のダブルパンチに苦しめられていた。
ピーピーと、体温計が電子音を鳴らす。モゾモゾと彼女は寝巻きの脇の部分に手を潜り込ませて、心配そうに様子を見守っていた母に手渡した。

「三八度二分。ものの見事に風邪ね」
「あう……」

病名を宣告された少女は、がっくり首をうなだれていかにも残念そう。それもそのはず、今日は学校で家庭科の授業があったのだ。友達たちとのお菓子作りは楽しみであったし、喫茶店の娘とし
て自らの腕前を試せる場でもあった――と言うのは大げさだが、友達と一緒にクッキーを焼いて食べるのは本当に楽しみだった。
学校には連絡しておくから、今日はゆっくりお休みしてなさい。母親は優しくそう言って、娘をベッドに寝かせて部屋を出て行った。
扉が閉じられると、パタパタと駆け足気味な足音が聞こえる。幸いなことに、喫茶店の営業開始までまだ時間がある。娘のために母は店の切り盛りを長男か長女にでも代打を頼むだろうし、自身は
これから風邪っぴきの我が子のために、おかゆやホットレモンを用意するにかかる。
風邪薬は一応常備してあったように記憶しているが、おそらく母は出さないだろう。熱で体温が上がっているのは身体の中のばい菌をやっつけるためで、薬で熱を下げたらそれが出来なくなってし
まう。かかりつけの女医さんが言ったのだから、間違いはあるまい。
はぁ、と部屋に響くため息。クッキー、みんなと一緒に作りたかったな。未練の言葉を口にして、少女は布団を自分の身体に掛けなおす。
この日、高町なのはと言う小学三年生の女の子は、風邪をひいた。



ぽかぽか、ふわふわ、もふもふ



「はぁ、そうなんですか。それは大変ですねぇ」
「いやもうホント、お宅も気をつけた方がいいよ。保健所の連中、最近動きが怪しいし」

平日の昼間と言うこともあってか、人気の少ない公園の、片隅。
木と茂みの中にあるのでほとんどの人間は気付かないが、そこは彼らの集会場であった。
"彼ら"とはすなわち、動物である。この辺り一帯に住居を構える飼い猫、野良猫、飼い犬、野良犬、飼い鳥、野良鳥、飼いフェレットが週に一回集まる秘密の場所なのだ。彼らは動物全体の繁栄と
安定を願い、こうして近況報告や野良たちにとって深刻な糧食の確保手段、保健所による駆除活動の情報交換を――彼らはこれを"サーチ&デストロイ"と呼び、特に野良たちにとっては恐怖の代名
詞となっていた――行っていた。
――と言うか、これに参加して普通に動物たちと会話してる僕って何なんだろう。
動物扱いここに極まれり。フェレットモードのユーノ・スクライアは時折、自らの行動を通して疑問に思う。まぁこれはこれで友達が増えていいのだが。

「ところでユーノさん、ちょっといい?」
「あ、はい。何ですか、ヤマトさん?」

集会では時折、飼い猫や飼い犬など人間に飼われている者たちの手でドックフードやキャットフードなどが持ち込まれる。野良たちにとってはまともな、かつ貴重な食い物が食える機会であったし
飼われている者たちにとっても、会話のツマミとなるので歓迎されるのである。
ユーノに声をかけたこの"ヤマト"と言う飼い犬も、ときどき主人の眼を盗んでは家を飛び出しドックフードを持ち込む者の一匹だった。食事をする口を止めて、彼は問いかける。

「ユーノさんの飼い主……その、なんと言ったっけ」
「なのはですか?」
「そう、なのはだ。あの子、今朝どうかしたの? いっつも学校行く時うちの前を通っていくんだけど、今日は見なかったよ」

えぇ? 思わずユーノは顔をしかめた。確かに朝、少し調子が悪そうな様子ではあったが、本人は「全然大丈夫だよ」と明るく振舞っていた。本当かな、と疑いはしたものの、彼女はあまり心配さ
れるをの嫌う傾向にある。ユーノ自身も今日はこの集会があると言うことで、若干後ろ髪を引かれつつも家を出たのだが。

「あぁ、風邪ひいてたっぽいよ」
「シナノさん?」

このシナノと言う野良猫は、ちょくちょく高町家の屋根に昇っては日向ぼっこしている、いわば常連だ。街の事情を知らないユーノに気を利かせて地形や行けば餌をくれる動物に優しい人間の居場
所を教えてくれたり、何かと彼は世話になっている。もっとも餌に関しては困ってないので世間話として半ば聞き流しているが。本当は人間だし。
シナノ曰く、集会に出席するため高町家の近くを通ったそうだが、塀の上を歩いていると高町家の二階の窓から、なのはらしい女の子が体温計を母に手渡しているのを目撃したらしい。
となると、これはもう間違いない。ユーノは確信する。彼女が少し調子が悪そうだったのは、やはり無理をしていたのだ。それが学校に行く直前になって、ついに限界となったのだろう。

「戻ってやった方がいいんじゃないか?」
「ユキカゼさん――いや、でも」

ユーノにユキカゼと呼ばれた鷹は、普段あまり喋らない寡黙な雄だった。しかしただ無口なだけでなく、胸のうちには誰よりも強い正義感と誰よりも熱い仲間を思う心を持っている。人間の不良た
ちにいじめれ、川に流されそうになった野良の子犬を救出し、不良たちをその鋭い爪と嘴で徹底的に痛めつけたと言うエピソードさえ存在していた。海鳴市に住む全ての動物たちの憧れの的であり
ユーノも本来は人間ながら、ユキカゼに一種の憧れのような感情を抱いていた。
そのユキカゼが、普段口を開かない彼が声を掛けてきたのである。嬉しさを感じると同時に、しかし後ろめたさもあった。集会はまだ途中で、大事な会議はむしろこれからなのだ。

「今日の司会は三丁目のブッカーだろう。俺が事情を話しておいてやる。行ってこい」
「はぁ……すいません、お願いします」
「いいってことよ」

やっぱりユキカゼさんはカッコいいなぁ、僕なんかまだまだだ――ぺこりと孤高なる鷹に頭を下げて、彼はその場を駆け出した。
後に残された動物たちの間では、ちょっとした騒動になっていた。あのユキカゼが、自分から声をかけてさらに便宜を図ってやる。それも、集会所の中では新入りの部類に入るユーノに。

「ユキカゼさん、今日はどうしたんだい?」
「なぁに……ちょっと機嫌がいいだけさ」

仲間たちからの声に、鷹は翼を閉じなおして――人間で言うところの肩をすくめて、と思ってもらいたい――適当な返事で誤魔化した。
彼は知っていた。ユーノは実は人間で、なのはと言う女の子が家にいることを。それで邪険に扱う訳ではなく、逆に背中を押して応援してやりたいと言うのがこの孤高なる鷹の心境であった。

「人間だろうが動物だろうが、女の涙は最優先すべきだ――Good luck」



モゾモゾと、気だるい気分のままなのはは身を起こす。うー、といかにも辛そうな声を上げる辺り、やはり熱が辛いのだろう。
とは言え、何もしないままずっとベッドの上で横になっていると言うのも退屈だ。掛け布団を払い、引きずるようにして彼女は窓際に立つ。外は快晴、どうして今日に限って熱など出してしまった
のか。少しばかり恨めしげに太陽の光を見つめながら、窓を開けた。吹き抜ける風、そういえば換気も必要だろう。

「なのはー!」
「にゃ!?」

まさしくその瞬間であった。ピョーンッと死角の方から何かが飛び込んできて、たまらず驚きの声を上げてしまう。誰かと思えば、フェレットモードのユーノであった。

「ユーノくん……あれ? 今日は朝から用事があったんじゃ」
「いや、なのはが風邪ひいたって聞いたからさ」
「誰に?」
「ヤマトさんとシナノさんとユキカゼさん――って言っても分かんないよね。向こうでの知り合いだよ」

ヤマトさんとシナノさんとユキカゼさん? ユーノに言われた通り、なのはの頭には疑問符が出てくるばかりだった。果たして、自分の知り合いにそんな名前の人たちはいただろうか。いないとす
れば、どうして彼らは自分が風邪をひいていると言うことを知っているのだろうか。考えれば考えるほど疑問が飛び出し、熱を持った頭はそれだけで限界に達する。

「はにゃー……」
「わ、ちょ、なのは!」

こりゃいかん! ふらっと眼をグルグル回して倒れようとする少女の身体、咄嗟にユーノはフェレットモードから元の人間形態に戻って抱き抱える。
どうにか床に頭を打ち付けるような事態は避けられた。無論このままと言う訳にも行かず、彼はなのはを抱えてベッドの上に移し、賭け布団をかけてやった。
とりあえず意識はあるようだが、まだ「はにゃー」「にゅー」「にゃー」などとうわ言のようなことを呟いていた。これは当分、ちゃんと様子を見てやった方がよさそうだ。
治療魔法と言う手も考えたが、傷の治癒はともかく病気となると不慣れなところがある。何か出来ることはないものかと顎に手をやって思考を回転させる少年の脳裏に、一筋のひらめきが走った。
再びフェレットモードになったユーノは、ベッドの上に飛び乗った。そのまま布団の上をのそのそ歩いて、何をするかと思えばなのはの首周りに自分の身体を寄せ付け、密着させた。

「にゃ……ユーノ、くん?」
「ほら、こうすると暖かいでしょ」

人間の首と言うのは、血管が集中している部分である。血液は全身を駆け巡るものだから、首を暖めれば否応なしに全身が温もっていくと言う寸法だった。他にも腋下、内股なども血管の集中する
部分なのだが、さすがに内股になんぞ身体を突っ込んだらセクハラもいいとこだ。腋下は掛け布団の下であるから、露出した首がやはり一番いいだろう。
実際、首周りにふわふわもふもふのユーノがマフラーのように身を寄せてから、なのはは身体がぽかぽかしていくのを実感した。先ほどまでは熱で苦しんでいたのだが、この温もりはそれとはまっ
たく異質なもの。むしろ、感じるのは安心感。人肌ならぬフェレット肌の温もりが心地よい。

「ん――えへへ、ユーノくーん」

風邪の辛さが和らいだのか、なのはは布団の中から手を出した。首筋に持っていって、文字通り身をもって自身を暖める大事な友達のふわふわした身体を撫でる。

「ちょっと、なのは、くすぐったいよ……」
「えー。でも気持ちいいんだもん。ほら、ふわふわー、もふもふー」

あぁ、こりゃ熱に当てられたかな。
普段の年齢不相応にしっかりした部分を見せる彼女にしては、とてつもない甘えっぷりにユーノは苦笑いするほかない。今はなのはのためにも、なすがままされるがままにしておこう。



そうして、翌日のことである。ユーノの身を挺した看病、母の桃子が仕事を休んでまで作ったおかゆにミルクセーキの――生卵と牛乳をかき混ぜた飲み物で、良質なたんぱく質とビタミンを美味し
く摂取できる。これにパティシエの桃子の手が加わったことで、病人食としては最高の味――甲斐もあって、なのはの体調はすっかりよくなった。
ところが、もちろん予測できた事態ではあったのだが――

「へっくしょい!」

今度はユーノが風邪をひいた。思い切りうつされたらしい。
心配して見に来てくれた動物集会の仲間たちに「大丈夫だから、いやホント」と心配掛けないように振舞いながらも、やっぱりきついものはきつい。普段は何しろフェレットモードゆえ、高町家の
住人に「すいません、風邪ひきました」と訴えることも出来ない。と言っていかにも調子が悪いところを見せれば、今度は動物仲間たちにいらぬ心配をかけてしまう。頼みの綱のなのはは、学校に
行ってしまった。
仕方がないので寝床のバスケットでぐったりしつつその日を過ごしていると、いつもより早い時間になのはが帰ってきた。おかしい、今日は友達と遊ぶとか言っていなかっただろうか?

「ユーノくんが風邪ひいたって聞いたから、すぐ戻ってきたんだよ」
「えぇ……? それ、誰に?」
「犬さんと猫さんと鷹さん」

ぶっ、と吹き出しそうになった。あの人(?)たちか。しかし、どうやってなのはに意思疎通を取ったのか。答えはもちろん、浮かぶべくもない。
疑問をよそに、彼女はバスケットに入っていたユーノをひょいっと抱き抱えた。
どうしたの? 怪訝な表情の元に投げかけた声に、なのはは笑って答える。

「今度は、私が暖めてあげるからね♪」

ギュッと抱きしめられる。少し苦しかったが、ユーノは素直に、彼女の温もりを味わうことにした。
きっと、その方が治りが早いだろうから。









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最終更新:2010年09月26日 22:51