ネガイ~命を賭して叶えたいモノ~

ネガイ~命を賭して叶えたいモノ~


地を埋め尽くす鋼鉄の野獣達が吼えた。
その存在を誇示するかの様に全身震わせ、ミサイル、曳航弾、劣化ウラニウム弾が飛び出す。
撃ち出された弾の群れは狙った獲物――緑色に塗装された重武装のヘリに掠りもせず、明後日の方向に飛んでゆく。
返礼とばかりにヘリの両翼にぶら下げられた4門のロケット砲、前部に備え付けられた2門のガトリング砲が火を噴いた。
まっすぐに地上の鋼鉄の獣の群れ――戦車、対空機関銃、SAMの群れに飛び込み、爆ぜた。
分厚い装甲を物ともせず突き破り、内部から爆散する。
暫くの掃射の後、大地には無残な姿を晒す獣達の残骸だけが残る。

「あと少しだ……」

兵器群を撃破したヘリのコックピット内、パイロットである『ヴァイス・グランセニック』はひとりごちた。













――数ヵ月前。

「志願者?」

ここは機動六課の食堂、ヴァイスは自分の愛機であるJF704式の点検を終えたあと。
何時もの日の、何時もの時間に行う、何時もの点検。
何時もの時間に終わり、食堂で昼食を受け取りテーブルに着いた時だった。
ヴァイスは突然、後ろから同じくパイロットの同僚に話しかけられた。たまに飲みに行ったりする仲の良い同僚。
隣に座り辺りを少し窺がってから、囁くように話し始める。
ヴァイスが呟いた『志願者』という言葉の意味。同僚曰く、管理局が現在関わっている次元世界での戦争。
その世界では温暖化による領土の減少や資源の枯渇等により、数年前から各国で戦争が続いていた。
その戦争の影で世界的な兵器会社『EVACインダストリー社』が世界中に兵器を輸出、莫大な利益を不当に得ていた。
国連はEVAC社に対し兵器の輸出の停止を求めるが、話しは平行線を辿ったまま決着が付かなかった。
そして遂に国連はEVAC社に対し武力介入を決意する。しかし、表立って堂々と武力介入を行えばその後の批判は免れない。
そのため国連は今回の武力介入の志願者を組織内で募り、表向きは所属不明の武装勢力の介入に見せかけ壊滅させる作戦であった。
この作戦に志願した者は『どんな願いでも1つだけ、国連が責任を持って叶える』という触れ込みで。
その代わりに『作戦後は国連、及び時空管理局が介入した証拠。志願者の命も含めた証拠の隠滅』が提示されていた。

「どんな願いも、か……」

同僚は「死ぬと分かっていて参加する奴がいるか」とバカにしたような口調で話を締めくくり、自分の昼食を食べ始めた。
その隣でヴァイスは割り箸を持ったまま神妙な面持ちで、ある決意を固めようとしていた。
その脳裏には左目の光が失われた妹を思い浮かべながら。
彼は考えた、考え続けた、考え抜いた。己の命と光を失った妹の瞳を天秤に載せ。
自分が犯した罪、決して消えない傷跡、今も自分を責め立てる苦悩。それら全てが一斉に彼に襲い掛かり、怨嗟の声を挙げる。
自分が決断しようとしていることは本当に正しいのか? 単に自分は今の苦悩から逃れたいだけではないのか?
決意を固めようとする度に怨嗟の声が自分の足を掴み、覚悟を鈍らせる。
迷いの狭間をグルグルと回り続け、答えを出せぬまま彼は数日間うなされ続けた。
そしてある日、ヴァイスは偶然。本当に偶然に休暇が取れた。
彼は愛車のバイクに跨り、久しく会っていない妹の元へと愛車を走らせる。その胸には未だに苦悶を抱き続けたまま。
久しぶりに自宅の扉の前に立ちインターホンを鳴らそうとして。

「いや……」

ふと、彼はここで思いついた。このまま普通に家に帰っては余りに芸がない。
どうせなら妹を思いっきり脅かしてやろうと、子どもじみた考えが頭に浮かぶ。
抜き足差し足。不審極まりない動きで玄関の扉をそっと開け中を窺う。玄関には靴が一足。
可愛らしいデザインの靴であり一目見て妹の物だとわかる。ということは今、家にいるのは妹のラグナ一人。ニヤリ、と。兄の顔が笑った。
音をたてないように中に入り、扉も慎重に閉める。靴を脱ぎ細心の注意を払って廊下を歩く。と、廊下の右側の扉、リビングから人の気配。
まるで危険物でも取り扱うかのように扉に手をかけ、ほんの数ミリだけ開ける。
僅かな隙間から覗いたリビング、中央のソファ腰掛けるに茶髪の後頭部が見えた。いよいよヴァイスの表情が完全に子どもの表情になる。
このまま近寄って、真後ろから大声で脅かしてやるか。
そうと決め、いざリビングに侵入しようと意を決した時。

「……ッ! ……ッ!」

ピタリ、と。全身の動きが止まった。まるで時が止まったかのようにヴァイスの体が硬直する。
リビングから微かに聞こえた声、すすり泣く声。その声がヴァイスの時を止めた。

「嫌だよ……、このまま両目とも何も見えなくなるなんて……、嫌だよ……」

その言葉の意味を理解するのに数秒の時間を要した。
両目が見えなくなる? 両方の目が失明する?
意味を理解した途端に、今度は頭を鉄槌で殴られたかのような衝撃が襲う。
何故? 何故なんだ? 片目だけでなく両目が? 何故?
頭がパニックを起こし呼吸すら忘れる程、疑問が頭を埋め尽くす。
数秒か、それとも数十秒か。ようやく頭が冷静になった。
自分が何をしようとしていたかを思い出した男は、来た時と同じくに音を立てないようにリビングの扉を閉める。
そして、気配を消したまま玄関に戻り外に出た。再びインターホンの前に立ち両手で自分の顔を思い切り叩く。
自分自身に活を入れ気を持ち直し、努めて明るい表情にする。
インターホンのボタンを押し、相手の応答を待った。

『はーい』

間延びした声がインターホンの横に備え付けられたスピーカーから聞こえ、その声に返事を返す。

「久しぶりだな、ラグナ」

スピーカーの向こうからバタバタと慌ただしい音が聞こえ、玄関の扉が勢いよく開かれた。



「驚いたよ、いきなり帰ってくるんだもん」

「ははは、どうせ帰ってくるならビックリさせてやろうと思ってな」

自宅のリビングで妹が淹れた紅茶を啜りつつ談笑する兄妹。平和そのものの光景。
妹の目は赤く腫れており、誰が見ても泣いていた事が分かる。兄はそれを無視した。
ふと、ヴァイスが紅茶が入ったティーカップをテーブルに置き、神妙な面持ちで妹に話しかける。

「なぁ、ラグナ……、目の事なんだけどさ……」

「ん?」

「その……、やっぱり治したいか?」

ビクン、と。妹の全身が一瞬震える。兄は何も言わずに神妙な顔を崩さない。
妹はうーんと唸りながら微かに震える指を顎に当て思案。
そして、どことなく寂しげな笑顔で答えを口にする。

「治せるなら治したいけど……、手術費とか考えたらそこまで治したくは……ない、かな……」

「そう、か……」

彼女の声は震えていた。その声も彼は無理矢理に無視する。
妹はその後『気にしなくて良い』と手を振りながら笑顔で兄を気遣う。
神妙な顔を崩しながら兄は、ヴァイスは心の内で迷いを振り払い、決意を固めた。
夕方になり妹に分かれを告げ、家を後にしたヴァイスは自分の職場へとバイクを走らせる。
ヘルメットの内側に隠されたその眼には、何の迷いもない静かな覚悟が秘められた光が宿っていた。















そして彼はこのバカげた条件を呑むことにした。
志願する旨を伝え件の次元世界に赴き作戦の説明を受ける。彼は複数の作戦目的の内の一つ、最重要目標であるEVAC社の破壊を命じられた。
そして国連と時空管理局が介入した証拠を一片たりとも残さないために、作戦当日のスケジュールやアリバイ、通信履歴の削除準備、志願者が搭乗する兵器の偽装等が徹底的に行われる。
中でも搭乗する兵器の偽装は特に入念に行われた。エンブレムを消し、外観も一目見ただけではそれと分からないように改造し、通信機器も独自開発の物を搭載する。
特にヴァイスが登場するJF704式はミサイルポッドやガトリング砲、他にも様々な改造が加えられ完全に別のヘリとなった。
唯一の名残と言えば以前のJF704式と同じ塗装である緑色くらい。改造が終わった愛機を見た時、彼は思わず苦笑してしまった。
そして彼は最初で最後となる改造されたJF704式に搭乗し、EVAC社を目指してここまで来た。
『命を賭してでも叶えたい願いを叶えるため』

「あれだな…」

『間違いありません』

一人の人間と一つのデバイスが呟く。
目の前には巨大なビル、入口にはご丁寧に社名が掲げられている。
『EVAC INDUSTRY COMPANY』
本社の前には地下への巨大な搬入口が口を開けており、中にはコンテナや運搬用のエレベーターが見える。
情報によればこの地下に兵器を生産している工場があるとのこと。ヴァイスは迷わずJF704式の高度を落とし侵入を開始する。
そして数メートルと進まないうちに地下から白い尾を引く多数の物体。目指す先はヴァイスの乗るヘリ。
ヴァイスは冷静に何の淀みもなく操縦桿を倒し、同時にフレアのスイッチを押す。機体下部から眩しい光が零れ落ち搬入口の内部を明るく照らし出す。
飛んでくるミサイル群は、ばら撒かれた灼熱の群れに引き寄せられ飛んでゆき、ヘリはそれと正反対の方向へと機体を傾ける。
ヘリの後ろでミサイル同士が衝突し爆炎と爆風が生まれる。搬入口という限られた空間で生じた爆発は容赦なくヘリに襲い掛かり、機体を大きく揺さぶった。
暴れ狂う操縦桿を必死に宥めつつ機体を持ち直す。ここまで来て落とされる訳にはいかない。
ヘリを元の安定した状態に戻し、再び降下を開始。慎重にゆっくりとヘリは地下に沈んでゆく。
数メートル進む度に防衛用の対空機銃、SAM、迎撃に現れるEVAC社のヘリが襲いかかってくる。
それら全てを最小限の攻撃、且つ無駄のない動きで1つ1つ撃破。道はこの搬入口1つ、当然ながら逃げ場は無い。
降下が進むごとに敵の攻撃が激しくなり、嫌でもこの下に重要な物があることを実感させる。
滅入りそうな心を焚き付け、気を緩ませないように常に神経を集中。
あと少し、あと少しだ。
自分に言い聞かせ、戦意を高揚させ続ける。
目の前のヘリにガトリング砲を叩き込み、また1つ障害を排除した。




降下を開始してからどれ程の時間が経ったであろうか? ほんの数分? それとも数時間か?
時計は持ってきていないため正確な時間は分からない。ただ只管に地下への降下を続ける。
更に降下を続け、ヴァイスが自分が本当に降下しているか疑問を抱き始めた時。

「見つけた……!」

無機質な壁から視線を外し下に視線を向ければ、そこには幾つも並ぶ工廠のライン。
ベルトコンベアには多種多様な部品が運ばれ、それらが次々と機会によって組みたてられていき兵器が完成する。
ヴァイスは搬入口から工廠全体を見回せる位置にヘリをホバリングさせる。ヘリに搭載されている兵器の安全装置を全て外し、準備完了。
あとは握っている操縦桿のボタンを押し込むだけ、そうすれば両翼にぶら下げられたロケット砲に前部の2つのガトリング砲が勝手にやってくれる。
そして彼は、躊躇うことなくボタンを押し込んだ。
ヘリの全身が細かく振動し、振動に合わせてロケット砲とガトリング砲が咆哮する。
機体の正面のラインは瞬く間にスクラップに変わり果てた。パイロットはゆっくりと操縦桿を右に倒し、機体を旋回させる。
時計回りに機体が旋回を始め、それに合わせて時計回りにラインが破壊されてゆく。
ヘリが1周した時には、その場は工廠から瓦礫とスクラップの集積場へと変貌していた。
自分の破壊の後をどこか遠い目で見つめ、深く長い溜め息を一つ付く。

『任務完遂。破壊完了』

機械的な音声で長年の苦楽を共にしたデバイス、ストームレイダーが任務の終了を告げる。
いや、任務はあと1つだけ残っていた。

「相棒、まだだ。あとはこの機体と俺達の――」

最後の『任務』を遂行しようとしたところで『ソレ』は襲いかかってきた。

『警告!! 地下より強大なエネルギー反応!!』

強化プラスチックカバーを上にあげ、その下にあった赤いボタンを押そうとしたところで手の動きを止める。
破壊された工廠全体が揺れ始めた。揺れは徐々に強まり、コックピットのヴァイスの視界が大きく揺さぶられる。
赤いボタンを押そうとした指を再び操縦桿のボタンに戻し、揺れ動く世界を睨み付ける。
突如、工廠の床が割れ、爆ぜた。
その下から光り輝く『何か』が飛び出し、ヴァイスが降下してきた搬入口へと飛び立ち、あっというまにヴァイスの視界から姿を消す。

「な!」

『先程の物体はEVAC社の兵器だと思われます』

「だったら!」

操縦桿を勢いよく倒し機体を搬入口に向け、ローターの回転数を限界まで引き上げる。
ローターが唸りを上げ、辺りの細かい瓦礫や塵が舞い散る。

「破壊するまでだ!!」

最後の任務を遂行するため、鋼鉄の鳥は飛び立つ。
降下してきた時の倍以上の速度で上昇し、先程飛び立った『光』の後を追う。
ほんの数秒の時間すら惜しく感じらる。速く、速く、1秒でも速く――
ひたすら、ただ只管に地上を目指して飛び続ける。
暗闇の中を突き進み続け、ふと、ヴァイスの視界上部に白い靄がかかる。
ハッと視線を上に向ければ、そこには千切れた白雲がまばらに浮かぶ青空。
遂に闇を抜け、再び青空の世界へと舞い戻った。探し求める『光』を見つけるため、視線を右往左往させる。

『目標、上です』

相棒からの情報の方向に視線を向ければ、そこにいたのは、

「あれか……!」

白い鋭角的なラインを持つ巨体、神々しさすら感じさせる七色に光り輝く4枚の翼を持つ有翼の獣。
ヴァイスを待ち構えていたのか、不意打ち等をせずに光翼を羽ばたかせ滞空している。

「味な真似しやがる……」

『データ照合完了。敵はEVAC社が開発を進めていた光翼壊滅鬼畜絶対防衛型残酷戦闘機 エヴァッカニア・ドゥームです』

「長ったらしい名前だな、オイ!!」

叫びつつ、最後の目標に向けロケットとガトリング砲を放つ。
幾筋もの白煙と曳航弾が光翼に襲い掛かり、敵を打ち砕かんと殺到。
残り1秒もしない内に着弾する距離まで接近した所で、エヴァッカニアが動きを見せた。
七色の翼を羽ばたかせ、その巨体からは想もつかない程の俊敏さで瞬時に着弾コースから外れる。
放たれた弾は掠りもせずに虚しくエヴァッカニアが居た空間を通過し、青空の向こうへと消えて行った。
男は舌打ちし、有翼の獣の軌跡を追うようにガトリング砲を吼えさせる。綺麗な二筋の弧が光翼を追いかけるが、あと1歩のところで届かない。
ヴァイスの胸の内に焦りと苛立ちが積り、自然と歯が食い縛る。と、ここで回避一方だったエヴァッカニアが突如攻勢に転じた。
一気にガトリング砲を振り切り巨体を天へと飛翔させる。太陽を背にした所で滞空、白い体表が稼働しその内から黒い弾頭が姿を見せる。
黒い弾頭、エヴァッカニアに内蔵された無線式の遠隔機動攻撃機。幾つもの黒い弾頭が飛び出し、緑のヘリを取り囲む。

「ッ!!」

ヴァイスが操縦桿を倒すと同時に弾頭が火を噴いた。幾千、幾万もの火線の網が一瞬にして形成される。
ヘリはほんの僅かな編み目を掻い潜り、落とされまいと必死に足掻きもがく。火線の網は変幻自在に姿を変え、形を変え、獲物を捕らえようと蠢く。
数分間は経過しただろうか、攻撃機が冷却の為に銃撃を一斉に中止。黒い攻撃機は弾頭をエヴァッカニアへと向け飛翔、再び白い巨体の下に収まった。
この隙を逃すまいと再びヘリが攻勢に出る。
今度はエヴァッカニアの軌道を先読みし、予測射撃。自分の勘を頼りにガトリング砲を吼えさせる。
照準を白い巨体が向かうであろう位置に動かし、トリガー。
ヴァイスの予測射撃は何度も光翼を捉えそうにはなるが、相手はまるで嘲るように紙一重で避けてゆく。
何度も何度も、何度も撃った。何度も何度も、何度も避けられた。
ヴァイスの操縦桿を握る手が憤怒で震え、どす黒い怒りが心を満たす。口汚い言葉を吐き散らし少しでも自分を落ち着かせようとする。
これで何度めの銃撃になるだろうか、数えるのも馬鹿馬鹿しくなった所で再び攻防が入れ替わる。
2度目の遠隔機動攻撃機の射出。今度は互いの編み目を潰すかの様に展開し、再び銃撃。
悪態をつき、攻撃から回避行動に移る。
編み目を潜ろうと操縦桿を倒し――

「しまっ!!」

しまった。
そう言い切る前に一筋の火線が機体を貫き、鋼鉄の鳥が大きく揺さぶられる。
バランスを崩した所に他の火線もヘリに向けられる。
青い空を赤く塗りつぶすラインが緑色の鳥に襲いかかり、全身を射抜いた。
胴体を、テイルローターを、両翼を、コックピットを容赦なく貫いた。
初撃と違い火線は物の数秒で消え去り、黒い攻撃機は再びエヴァッカニアの巨体に収まる。
全身を撃ち抜かれたヘリはあちこちから黒煙を噴き出し、右に左にフラフラと飛んでいる。

「っはぁ、はぁ……!」

操縦している男は、風防ガラスが破られたコックピットでなおも操縦桿を握っていた。
右肩に風穴が開き、そこから赤い液体が流れ出る。額も火線が掠ったのか一筋の赤い血が流れている。
計器類は全てショートし、先程からアラーム音が鳴りやまない。ヘリの状態を表すモニターも全て赤く染まり切っている。

『火器管制システム全てショート。これ以上の交戦は不可能です!!』

相棒から告げられた絶望的な状況。
ロケット砲も、ガトリング砲もう使えない。鋼鉄の鳥の鋭い爪と嘴は完全にもがれた。
ここまでか。やっとここまで来たのに、それなのにこんな所で終わるのか。
全身から力が抜け落ち、操縦桿を握る手が離れかける。目から生気が消え失せ、意識も闇の底に沈み始めた。
光翼の獣は、最後の止めを刺す為に3度目の攻撃機の射出。黒い弾頭群がヘリを取り囲み牙を向ける。

「ちく、しょう……」

最後の最後に呟く。
結局自分はここまでだったのか、どれだけ足掻いても、どれだけもがいてもこれが限界なのか。
ヴァイスの目には、自分に牙を向ける黒い攻撃機達が死神の群れにも見えた。自分の命どころか、希望すら刈り取る死神。
彼は目を閉じ、迫る鎌に首を薙がれようと諦め――

……ッ! ……ッ!

嫌だよ……、このまま両目とも何も見えなくなるなんて……、嫌だよ……

治せるなら治したいけど……、手術費とか考えたらそこまで治したくは……ない、かな……

脳裏に浮かぶのは悲しみに沈み、絶望に呑まれる妹。
自分が決意と覚悟を決めることになった、自分が命を賭してでも叶えたい『ネガイ』

「――――――――ッァアアア!!!」

その体に力が入る。その眼に生気が戻る。その心に決意が生まれる。
何の躊躇いもなく操縦桿を光翼に向け、倒す。黒い死神の群れが鎌を薙いだ。
三度火線が形成され、瀕死の鳥に襲い掛かる。
眼を潰され、爪を折られ、翼をもがれても鋼鉄の鳥は突き進む。
火線の網を突き破り、眼前には憎き光翼。
男は拳を振り上げ、叫ぶ。

「愛してるぜ!!!」

誰よりも、何よりも愛しい者の名を、

「ラグナアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」

振り上げた拳は、赤いスイッチへと振り下ろされる。
叩き潰されるように押されたスイッチが起動すると同時に、緑の鳥と七色の光翼が重なった。


















ヴァイスが『任務』を完遂してから、時は流れた。
ある次元世界での戦争は、兵器を大量に輸出していたEVAC社が所属不明の武装勢力の襲撃により壊滅。
工廠も完全に破壊され関係者の殆どが死亡、事実上の倒産に追い込まれた。
同時に、各国の兵器の供給が突然止まり、戦争は急速に終結へと向かっている。
場所は変わって、ここはクラナガン最大の病院。

「ラグナさん、そろそろ手術の時間です」

「あ、はーい」

膨大な数の病室の内の一つ、個室となっている部屋に彼女は居た。彼女の名はラグナ・グランセニック。
彼女には数週間前、二つの知らせが届いていた。一つは兄であるヴァイスに関する知らせ。
ヴァイスは管理局が関わっているある次元世界での任務中に、敵機の襲撃により搭乗していたヘリが撃墜され死亡が確認された。
この知らせを聞いた時、彼女は兄の突然の死を受け入れられず暫くの間は部屋に籠り切り、一人さめざめと泣き続けた。
もう一つは匿名での手術費負担の申し入れが届いていた。手術、彼女の眼を治す為の。
下手をすれば一等地で新築の庭付き一戸建てを買えるほどの金額。それ程の莫大な手術費を負担する人物が現れたのだ。
そのことを聞いた彼女は当初は訳が分からず、自分に届けられた申し入れの意味を理解した時は、余りの事に卒倒しそうになった。
そして、両親からの勧めもあり彼女は手術を受ける決心をする。

「あの…」

先程、自分を呼びに来たナースに声をかけるラグナ。
ナースは優しい笑顔で「どうかしましたか?」と返事をする。

「手術費を負担してくれる人ってどんな人なんですか?」

「すみません、私達もその人については全く知らされて無いんです」

「そうですか……」

しょげる彼女を励ますように、ナースは優しくラグナの頭を撫でる。
ラグナは気持ち良さそうに顔を綻ばせ、安心したように笑みを浮かべた。

「あ……、だったら一つだけお願いがあるんです」

「なんですか?」

「その人にこう伝えて欲しいんです。『本当にありがとうございます。どこの何方かは知りませんが、この御恩は決して忘れません。私も兄の様な立派な人間になってみせます』って」

ナースは笑顔で了承した。そしてラグナは手術室へと向かい、眼の手術を受ける。
数時間にも渡る大手術の結果、彼女の両目には光が戻った。
そして彼女は生涯を通して戦死した兄の事を、匿名の人物の事を決して忘れなかった。その匿名の人物の真実を知らぬまま――







ミッドチルダ時空管理局、地上本部。
クラナガンを一望できる部屋、地上本部の長たる人物の部屋に人影があった。
その部屋の主であるレジアス・ゲイズ中将。彼は後ろに手を組み、どこか遠い目でクラナガンの景色を眺めている。
と、その部屋に入室する人影。

「シュバルツか、久しぶりだな」

「何年振りだろうか、レジアス」

レジアスは振り返らずに入室してきた人物を判断した。黒い軍服を隙無く着込み、その胸には煌びやかな勲章を数え切れないほどに付けた、50代程の白髪の男。
シュバルリッツ・ロンゲーナ大佐。ある次元世界の国連軍の大佐を務める人物。
シュバルリッツは堂々と足を踏み入れ。部屋の中央、中将専用のデスクの上に載せられた黒いファイルを手に取る。
ファイル表紙には『Top Secret』の文字が赤い印で押されているが、彼は気にも留めずにファイルを開く。

「アリス・ブラックバーン、ロイド・エヴァンズマン、スティール・ユレク、ユウマ・ナナセ……」

パラパラとファイルをめくる。1ページ1ページに男の写真、プロフィールの詳細が記載されていた。
そして最後のページに載っていた人物は、

「ヴァイス・グランセニック……」

「報告によれば、彼は敵の兵器に体当たりし自爆したそうだ」

「そうか……」

シュバルリッツは眼を細め、任務を完遂した男達の写真を眺める。
写真の男達の眼には静かに、そして確かな決意が秘められていた。
シュバルリッツはファイルを左手に持ち、右手を静かに上げ額に当てた。
写真の男達に敬礼を送り、労いの言葉を送る。

「皆。任務遂行、御苦労であった……。安らかに、眠るがよい」

彼らの真相は決して知らされない。しかし、彼等はそんなことは気にも留めないだろう。
彼等は叶えたのだから。命を賭して叶えたいネガイを――

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最終更新:2011年01月09日 01:40