■ 3
フェイト・T・ハラオウンは、八神はやてより告げられた事実に驚愕していた。
表情が引きつり、唇が言葉を紡げずに震えている。
お互いの知る情報を交換し、共有することが事件解決のために必要なプロセスである。
しかし時に、その事実は非情に人の心を切り裂く。
「うそ……嘘でしょ、はやて!?」
わなわなと倒れこむようにはやての肩をつかみ、フェイトは呼びかける。
「正式な情報や……。私の艦のデータベースに入っとる。申請すりゃ閲覧権限つけられる」
「そういうことじゃないよっ!だって、ティアナが、ティアナが……」
第511観測指定世界、惑星TUBOYへ向かうにあたり、時空管理局次元航行艦隊司令部より、ヴォルフラム幹部乗員へ資料が提示された。
その中に、船団に同行していた管理局局員の一覧があった。
名簿の先頭には、『選抜執務官候補選出試験受験者 ティアナ・ランスター』と記されていた。
はやてのような指揮官クラスの人間には知られていたことであったが、現場の執務官ひとりひとりまでには、個人レベルでは情報が下りていなかった。
極秘にスカウトの声がかかり、引き抜かれることがあるとは聞いていたがそれは単なる噂話として扱われていた。
フェイトも、自身の抱える事件の捜査に追われ、そういった噂話程度の事案を気にかけていなかった。
気にかけるべきだったのかと、後になって思っても取り返しはつかないことだ。
そして、その噂話を聞いた段階で知ることの出来た情報だけでは、気にかけようという判断をすることはできなかった。
気にかけたとしても、それを調べるべきだという判断を下すことはできなかっただろう。
「何を言っても事実は変わらんよ。ティアナは死んだ」
背の高いフェイトを見上げ、はやてもぐっと感情をこらえているのがなのはには見て取れた。
惑星TUBOYにおける戦闘で、ヴォルフラムは事実上何もできなかった。
地表に降りた捜索隊も、最低限の自衛用武器しか所持しておらず、突如出現した謎のメカたちには太刀打ちできなかった。
いつになく次元航行艦隊司令部の決断が早かったとは感じていたが、それが、公に出来ない非正規部隊の活動が絡んでいたからだということまでは、わかっていてもはやてには口を挟む余地は無かった。
わずか30分でアルカンシェルの使用許可が下り──あるいは、はじめから許可を持って出航していたかもしれない──、船団がすでに脱出していたとはいえ、戦艦の到着後即座に発射された。
脱出した船団の船籍リストには、何隻か欠けた船があった。
その中に、ティアナを含めた管理局局員たちの乗った艦もあった。彼らが他の船に移乗したかどうかも確認できなかった。
ただ、入港前に船団よりクラナガン宇宙港事務局へ提出された乗組員名簿および乗船客リストには、ティアナを含め、管理局局員の名前は、一人も載っていなかった。
「事実って……!捜索に行ったんでしょ!?写真は!?現場は!?本当に、彼女の死亡を確認したの!?」
「冗談ゆうなや!地獄まで行けっちゅうんか!?アルカンシェルで星ごと吹っ飛んだんやぞ……!!」
「でもっ、ティアナなんだよっ、はやてだって知ってるでしょ、彼女は、わたしたちの」
「知っとるからなんや!?知っとる人間やからよけい人つぎこめゆうつもりか!?知らん人間やったら適当でええゆうんか!!?」
「そんなことっ……」
肩を揺さぶり、明らかに取り乱しているとわかるフェイトに、はやてもさすがに声が大きくなる。
張り上げた声に打たれたように、フェイトは肩を落とす。
そのまま、呆けたようにはやてを見つめている。目の焦点が浮ついている。
「…………やる気あるんか?」
噴火しそうな感情を抑え、声を押し殺してはやては言った。
フェイトは手を離し、じっと、はやてを見る。
すぐに視線を合わせられなくなり、顔を伏せる。
ロビーに並べられた机は、簡易パーティションで仕切られてはいるが他の席も見える。
他の職員たちはこちらを見ないようにして、自分の仕事をしている。
「私に会いに来るゆうからなんか手がかり持ってくるか思うてたら、文句と泣き言たれるだけか!?
そんなに言うなら自分で行ってこいや!あんた仮にも執務官やろ!?やる気無いんなら帰れや!!!」
ロビーの吹き抜けの天井に、長い残響となってはやての怒声が響く。
「ちょっ、ちょっとはやてちゃん落ち着いて」
「…………ごめん。私どうかしてた……顔、洗ってくるね。洗面所は……」
「……そこの階段のとこを右手に入ればあるよ」
はやてもややうつむきながら答え、フェイトは持ってきたバッグを取って足早に席を離れた。
やがて、はやては苛立ちをぶつけるように勢いよく椅子に座った。
音が響かないように直前でぐっとこらえ、テーブルに拳を置く。
「ごめんな、なのはちゃん。私もテンパってもうた……」
「……私もびっくりしたよ。選抜執務官の噂は聞いてたけど、まさかティアナがそうだったなんて」
すでに机に広げていた書類をつまみ上げ、ばさりと落とすように紙を叩く。
「うちらに渡されたのはこれだけや。選抜執務官の試験ゆうても、それがどんな内容なのか、どういう形式なのか、試験に受かるとどうなるのかはわからん。
ただ試験をやる場所が惑星TUBOYゆうだけや。
ほんで、これを仕切っとる部署もわからん。少なくとも次元航行艦隊の傘下なのは違いないと思うんやけど」
「選抜といっても私のところ(教導隊)に声がかかってるわけでもなさそうだしね」
しばらくため息をつき、ロビーの入り口に置いてあるドリンクバーからアイスティーを持ってくる。
「なのはちゃん、そろそろフェイトちゃんの様子見てきてくれんか。気になることがある、例の緑色の小人な」
「はやてちゃんが行かないの?」
「あんなん怒鳴っといてのこのこ行ったらクサすぎるやろ……」
軽く微笑み、なのはは席を立った。
最後に共に戦ったEC事件から2年、自分たちも年はとったが、管理局全体でいえばまだまだ若輩だ。
それでも、彼女には経験相応の貫禄がついてきていると、はやての座る姿になのはは思っていた。
ヴォルフラムから惑星TUBOYに降りた捜索隊は、出発した12名のうち帰還できたのは3名だけだった。
比較的軽症だったアギーラ曹長ははやてへの報告を行い、謎の迎撃ロボットたちの姿を写真に収めることに成功していたが、あとの二人は傷が深く、ミッドチルダに帰り着く前に手当ての甲斐なく息を引き取っていた。
結局、アギーラひとりを残して全員死んだことになる。
軍隊では、通常、戦闘員の30パーセントを損耗した時点で全滅と表現する。
それだけの人数を失えば戦闘組織として機能しなくなることを意味し、たとえ幾人かが残っていたとしてもそれは頭数に入らない。
ヴォルフラムの降下部隊は、まさしく殲滅されたということだ。
あの人型との戦闘でも、航空武装隊の空戦魔導師が6人も撃墜された。たった1機の相手に対してだ。
過去十数年間において、一回の接敵でこれほどの犠牲を出した戦闘はなかった。
撃墜された魔導師の中には、なのはの教導を受けた者もいた。けして技量に劣る者ではないということは、なのはもよくわかっていた。
まとめられた戦闘詳報を読み返せば、あれは戦闘ともいえない一方的な虐殺だったことが読み取れた。
人型の不可解な行動は、輸送船の積み荷の中から自分と同じ機体のパーツを探していたとすれば説明できる。
積み荷を探すために邪魔な船を撃ち、まとわりついてくる魔導師たちを振り払おうと撃っていた。
人型は、こちらからの攻撃を受けても積極的に回避したり防御したりしようとせず、進路上に障害となるような場合にのみ攻撃を行っていた。
もし人型が本気でこちらを攻撃しようとしていたなら、自分を含め迎撃に上がっていた魔導師たち3個小隊48名は全員が撃墜されていただろうと、なのはは分析していた。
エースオブエースの称号に自惚れるつもりはない。それはあくまでも今までに遭遇してきた戦闘においてそう呼ばれるだけだ。
これから先、どんな相手が現れるかわからないし、それが自分の勝てる相手とも限らない。
いつ、自分より圧倒的に強い相手が現れるかわからない。その意識は、忘れずにいたつもりだった。
殺そうと思えばいつでも殺せた。
敵としてすら認識されていなかったのかもしれない。単なる障害物と、向こうは見ていたかもしれない。
前線で戦う以上、いつも“死”を意識していないと言えば嘘になる。
デバイスを持って空に上がる以上、いつ墜ちてもおかしくない。
それだけは、忘れないようにしてきたつもりだった。あの冬の事件でも、機動六課での訓練でも。
そして、フェイトにとっても。
今朝方、仮宿舎から出てきたとき、クラナガンの管理局鑑識課で不審死事件があったと耳にした。
殺人事件として警察が調べているとのことだが、その死んでいた鑑識官はフェイトから依頼された案件を直前まで調べており、死亡推定時刻と携帯電話の通話記録から、死ぬ直前までフェイトと電話していたということが判明していた。
すなわち、フェイトとの電話を終えた直後に殺されたことになる。
現場に残されていた指紋や体液は、人間のものではないことが予想されていた。
それも、フェイトが調べていた事件と深いかかわりがある。
そしてはやては、この事件によって発見された超古代先史文明人──“緑色の小人”──が、惑星TUBOYに未だ生息している無人ロボット群と、カレドヴルフ社が発掘した人型機動メカの謎を解くカギになるとにらんでいた。
女子洗面所になのはが入ったとき、フェイトはいちばん奥の個室で、ドアにもたれかかるようにして背をかがめていた。
すすり泣く声が聞こえる。
執務官になってもう10年以上が経つ。それなりに経験を積み、後輩や部下も出来て、順調に仕事をしてきたつもりだった。
だが、どこかに甘えが残っていた。
なのはやはやてに対しても、小さいころからの親友ということでどこかに馴れ合いがあった。
少なくとも仕事に対してはそんな姿勢ではいけない。それを指摘された。
ティアナは確かに自分が目をかけていた後輩で、機動六課時代の部下であり戦友でもあった。
それに対し、どこかで贔屓があったのは否めない。
部下を喪ったのは、なのはもはやても同じであり、死の悲しみはみな等しく受けたはずだった。
それが自分にとって知人であるかそうでないかは、違いとは言えない。
確かに、懇意にしている人間に何かがあるのと、まったくの赤の他人に何かがあるのでは、心に受ける衝撃は違う。
だがそれを、その私情を仕事に持ち込んではいけない。ティアナも、ヴォルフラムのクルーも、航空武装隊隊員も、命は等しく重い。
それを、はやてに叱咤された。
海では、甘えは許されない。ひとりの怠慢は自分だけでなく、何十人何百人の、同じ艦の仲間たち全員の運命に影響する。
そんな厳しい職場で戦ってきたはやてにとっては、今の自分は弛みきっているように見えたのかもしれない。
備え付けのペーパーをちぎり、顔を拭く。化粧が崩れないように、ペーパーを軽く肌に当て、紙に涙を吸い取らせる。
「大丈夫?」
声をかけたなのはに、うつむいていた顔を上げ、背を向けたまま答える。
「うん……ごめんね、心配かけて……」
「フェイトちゃんの調べてた事件がきっと重要な情報になるよ。それははやてちゃんもちゃんとわかってるから」
手を握り、そっと抱きすくめる。
子供の頃はそうでもなかったが、大人になって、はっきり体格の差を意識し始めた。
小さな自分と、大きな彼女。
けれど、儚い。
“緑色の小人”──そう仮称された生物は、現在自分が居るクラナガンの土地勘はほとんど無いと推測された。
鑑識官の殺害現場にも多数の指紋を残しており、また床に流れた血だまりを踏んで、床に足跡が付くことに気づいていないと思われた。
少なくとも、足に付いた血を落とそうとしていた形跡が無かった。
さらに、殺害現場である検査室を出てからも、あちこちの通路を行ったり来たりして、最終的に建物の外に出るのに15分以上を要していたことがわかった。
管理局は警察当局に情報統制を敷き、極秘に捜索を行う予定としている。
鑑識課では、あくまでもDNAの分析だけであり、サンプルを培養装置にかけたりなどはしていない。
そのため、少なくとも個体数は2体──魔力炉辺電施設で感電死していた個体と、管理局オフィスに侵入し鑑識官を殺害した個体──が存在することになる。
また、床材に残されていた足跡から、体重は10キログラム以下であると計算された。
やはり、体格は幼児程度の大きさしかないことになる。
身長90センチメートルで体重10キログラムということは、ホモ=サピエンスとしても比較的細身である。
殺害現場に残されていた指紋は、人間のものに比べて指が細長く、爪が短いことが判明した。
はやては墜落した人型の機体から、コクピットと思われる空間内部に搭乗者が居た形跡が無いか、徹底的に調べるように命じた。
採取した試料は管理局本局へ回す分のほかに、ヴォルフラムの設備を使っても独自に解析を行うことにした。
もちろんバレればただでは済まないだろうが、それでもやる価値はあるとはやては踏んでいた。
フェイトは、鑑識官が今日提出する予定だった資料のまとめを行っていた。
彼は昨夜、これから調査結果をまとめると言って電話を切り、おそらくその直後に殺された。
殺害犯は鑑識官を殺しただけで、検査室に置かれていた資料には全く手をつけていない。
このことからも、殺害犯であると予想される“緑色の小人”は、現代の次元世界人類の技術文明に対する知見を持っていないと予想される。
魔力炉変電所から発見された遺体のDNAは、先史文明人のものと酷似していた。
また現代の次元世界人と、聖王の血統は、この先史文明人を共通の祖先として、古代ベルカ時代に分化しそれ以降、混血が起きていない。
もともと、聖王の血統が特殊な遺伝子を持っていることは調べられていたが、その共通の祖先が判明したのはこの先史文明人の遺伝子を入手できたことによる。
これは今回の件とは別に調査を行うため、資料を無限書庫に保存し、クラナガンの国立大学考古学部へ調査を依頼する。
鑑識官が調べたDNA情報は、あの小人の肉体は人為的な遺伝子操作がなされたことを示していた。
超古代先史文明人は、自らの肉体を改変するため、さまざまな遺伝子操作実験を行ったと予想される。
その過程で、この緑色の小人のような種族も生まれた。この時代(1~2万年前)の地層からは、さまざまな形態を持った人骨が発見されている。
これらは、現代の次元世界にさまざまな姿、体格、顔つき、肌の色を持った人類が暮らしている源流になると考えられている。
子供と大人、とするにはやや形態が違いすぎる人骨が見つかっていた理由は長い間わかっていなかったが、生きた完全なDNAのサンプルが見つかったことで、その理由を推測することが可能になった。
ヴォルフラムは仮係留ということで宇宙港に停泊し、護衛艦の補充が配備されるまでのつなぎとしてクラナガンにとどまることになった。
この期間を使って出来る限り、惑星TUBOYに関する調査を行う。
いずれにしろ、もう一度第511観測指定世界へは赴く必要があるが、そのためには入念な準備が必要だ。
「しかし、艦長も凄い度胸ですね」
CICに集まった幹部士官の中から、ヴォルフラム副長であるエリー・スピードスター三佐が半ば笑うように言った。
「サーチャーメモリーの複製がバレたら軍法会議モンですよ」
ヴォルフラムの搭載サーチャーで記録していた惑星TUBOY、および人型の観測データは次元航行艦隊司令部に提出した。
規則では、メモリーユニットを交換してオリジナルのマスターテープを提出することになっているが、はやてはその前にデータを別のメモリーにコピーしていた。
もちろん、軍事機密の漏えいを防ぐためにマスターテープからの複製は固く禁じられている行為だ。
それでも、上に提出して解析結果を待つだけ、では時間がかかりすぎる。
たとえ隊規を犯すことになっても、はやては自らこのデータを調べることにしていた。
「OK、これでコイツを解凍すれば……出ました。データは本艦のコアにロードできましたよ」
電測長を務め、幹部の中では一番の年長になるヴィヴァーロ曹長が、マルチスクリーンにデータを表示させて皆に示す。
はやてとエリーは前に出て、それぞれヴィヴァーロの左右からスクリーンを覗き込んだ。
「艦長、これが“インフィニティ・インフェルノ”の魔力スペクトルですが……何か気になる点でも」
魔力光は、単に固有の色の光を放出するだけでなく、周波数帯が部分的に欠けたスペクトルを発生させる。
その欠け方は術者もしくは魔力機械ごとに固有であり、指紋や網膜同様、個人識別の手段となる。
次元航行艦は、数光時から数光日程度の短距離ワープを行うことで、目標から発せられた魔力光の伝わる速度である秒速30万キロメートルを先回りし、その痕跡を辿るという追跡方法が可能だ。
また次元航行艦隊ではこの手法は広く行われている。
「LZ級は旧式とはいえアルカンシェルの威力は今でもトップクラスや。
それを喰らって、少なくとも船体を維持できてたっちゅうことは、ヤツは次元航行能力をもっとるゆうことや。いや、へたすると次元潜行能力まであるかもしれん」
「なるほど……もし敵が単なるワープ能力だけでなく、次元航行能力を持っているとするなら」
「惑星TUBOYから一足飛びにミッドまで飛んでこれるっちゅうことや」
「通常のワープではあくまでもひとつの次元の中でしか移動できませんからね。次元間を経由すればさらに距離短縮がはかれる」
マルチスクリーンには、座標計算中の惑星TUBOYとミッドチルダ、さらに両惑星を結ぶ航路図が表示されている。
その航路は現在、複数の次元世界を経由しており、もし通常空間のみで移動しようとすれば少なくとも30日はかかる距離だ。
次元航行艦は、虚数空間を経由して移動することで18時間で到着が可能だが、もし敵戦艦にこの航路を発見されれば、即座にミッドチルダへの侵攻を許してしまうことになる。
はやても当初は、仮に敵戦艦インフィニティ・インフェルノが復活し発進したとしても、ミッドチルダへ到着するまでに何十日もかかるのでその間に迎撃態勢を整えることが出来るだろうと考えていたが、そのアドバンテージがどうやら無くなる可能性があるということが判明した。
さらに虚数空間を単艦で航行された場合、発見がさらに難しくなる。実際には迎撃のために取れる時間は数時間しかなくなるだろう。
「アルカンシェルは次元干渉をその破壊力の源とする──つまり、単独次元でしか存在しない物体には理論上防御手段がない、装甲の硬さとか厚さ、魔法防御シールドやなんかはアルカンシェルに対しては全く防御力がない」
「逆にいえばアルカンシェルを受けて耐えていたということは、敵が次元干渉能力を持っていることを意味する。
次元干渉ができるのなら、被弾時に自艦の存在を別次元に逃がす、あるいは高次元から波動幕を引き出してくることでアルカンシェルを防御できる──ブレーンワールド理論(膜理論)では予言されていたことですが、実際に観測されたのは初めてですね」
エリーの言葉に、はやては重くうなずく。
「そのとおりや」
エリー・スピードスターは、士官学校でははやての2年先輩にあたり、やはり次元航行艦隊ではトップクラスの若手として注目を集めていた。
通常、はやてのような若い佐官には経験豊富な副官が付けられるのが常だが、エリーはその年齢としては驚異的なほどの状況分析力があり、次元航行艦隊でも異例の措置としてヴォルフラム副長に就任していた。
本人の性格としても、士官学校ではその狡猾さと慇懃無礼さからとっつきにくいところが見られていたが、はやてとは妙にウマが合っていた。
「高町さんがあの人型を撃墜したときも──、中性子線のことは言っていましたが、重力波のことは伝えていませんでしたね」
「あの場でいちばん危ないのはそっちやろ」
「ですが、敵が重力波を出していたということはあれのエンジンは波動制御機関であることを意味します」
「たしかにな……ミッドでもまだ基礎理論の領域を出てない次元属性を持つ魔力エンジン、やからな……」
砕いた言い方をすれば波動エンジンと呼ばれるこの新機関は、従来の内燃機関や原子力機関と違い、超高次元であるカラビ=ヤウ空間へのアクセスによってエネルギーを取り出す。
理論上、燃料は必要ない。もちろん、理論上は魔力素さえ必要ない。
なぜなら、たとえ強力なAMFなどを用いて魔力素の無い空間に放り込んだとしても、他の次元から魔力素を吸い寄せることが可能だからだ。
最初に起動させるための補助動力だけは必要になるが、いったん起動してしまえば、理論上無限に稼動できるエンジンとなる。
このエンジンは──もちろん従来の魔力炉やデバイスであっても規模の大きいものでは観測されるが──次元干渉を行うという作動原理上、稼動時に大量の重力波を放出する。
エンジン内での反応を直接通常空間に吐き出せば、それはアルカンシェルの弾体と同じものになる。
いわば小規模なアルカンシェルを連続して発射しそれを動力源とするものだ。
第97管理外世界の技術でいうなら、核パルス推進ロケットが発想としては近いものになる。
これまでは力場や炉の中に閉じ込めることが出来ずただ爆発させるだけだった物理現象を、エンジンシリンダーの中で制御することができるようになったのだ。
はやては士官学校では指揮幕僚課程の他に現代宇宙論も学んでおり、若手の艦長というだけでなく、新進気鋭の宇宙物理学者という顔も持っている。
この分野では、エリーよりもはやてのほうが知識はある。
それだけに、はやては自分の中で考えをまとめることに恐怖を感じていたが、エリーはそれをよく理解しはやてに理論の構築を促していた。
ミッドチルダ術式およびベルカ術式における魔法の属性には、全部で6種類が存在する。
その6種類とは、炎熱、電撃、氷結、重力、次元、粒子。
単なる打撃を与えるような、一般には無属性攻撃と呼ばれるような魔法でも、実際には必ずこの6種類のどれかの属性を持っている。
たとえば、はやてに近しいところでいえばヴォルケンリッター・ヴィータのギガントシュラークの場合、属性は重力と粒子である。
すなわち、物理打撃部分を巨大化させるので空間内の粒子を制御していることになり、また大重量を生成するので重力を制御していることになる。
もちろん他の魔法も、複数の属性を複合して持っているものは珍しくない。
この6属性の中で、次元属性に関しては術式が極端に少なく、またそれを扱える者も非常に稀であった。
はやてが過去に知る人物では、フェイトの母、プレシア・テスタロッサが使用していた次元跳躍魔法だけとなる。
彼女は虚数空間に沈底させた要塞「時の庭園」から、次元航行艦アースラへ向けてサンダーレイジを使用した。
通常の術式であれば、異なる次元に攻撃を送り込むことはできない。
デバイスのジオメトリエンジンが時空連続体を飛び越えて計算できないため、魔力を配置する座標が特定できなくなるからだ。
そのため、次元跳躍魔法を使うには術者自身が時空連続体の計算を行う必要があり、それにはデバイス側のハードウェアアクセラレーションが効かないため、負荷も高く、使用できる術者は限られてくる。
また、計算式そのものも構築できる人間は少ない。
波動制御機関を使用すれば、多数の時空連続体を同時に扱う計算が可能になり、次元航行艦の機動力が格段に上がる。
虚数空間を単なる航路としてでなく、実数空間にしか攻撃できない通常兵器からの回避に利用する“次元潜行艦”だ。
潜水艦が攻撃をかわすために海に潜るように、次元潜行艦は虚数空間に潜行しつつ、実数空間を攻撃することが可能だ。
さらにこの技術を応用すれば、現代のミッドチルダの魔法技術では事実上防御手段が無いアルカンシェルを、減衰ないし無効化することが可能になる。
次元属性魔法の研究が進まない原因には、単に難解な理論であるというだけでなしに、次元世界間の軍事バランスにも大きな影響を与えるファクターであるという現実があった。
アルカンシェルは戦略級兵器であるがゆえに、その威力に裏打ちされた相互確証破壊の原則が崩れてしまうことは、次元世界の調和が破れることを意味する。
ミッドチルダの魔法技術が揺らぐことなどあってはならないと、政府が考えるのは当然の帰結といえるだろう。
魔法はあくまでも人類の持つ道具であり、危険をもたらす道具を作ってはならないと、人は考える。
「こいつの実態が知れる前に深宇宙に沈めろと、そう上(最高評議会)はゆっとるんやな」
「正確にはミッドチルダを含めた各次元世界首脳が管理局に要請しています」
「まあいまさら無理ですとは言えんわな」
はやてはこめかみに手を当て、唇を引いて笑みを浮かべた。
「本艦の搭載火力ではあれほどの巨大戦艦を沈めるのは厳しいですね」
ヴォルフラム砲雷長のレコルト・ガードナー三佐が言った。彼ははやてと同期である。
基本的には真面目な性格だが、気配りもきき柔軟な発想のできる男だ。
インフィニティ・インフェルノについては、浮上直後に撃墜したということもあり、艦の全体をおさめた映像がなかった。
アルカンシェルによって露出した惑星TUBOYのマントルに埋まっている様子は観測できていたが、地表に出ている部分はともかく、艦のどれくらいの部分が埋もれているのかがわからないため、全体の大きさは推測するしかない状態だ。
艦の全体的な形状を単純なデルタ翼型と仮定した場合、全長は約73キロメートルとなる。艦首の船型を変えて船体を延長していた場合はこれよりも長くなる。
最も幅の広い艦尾部分は24キロメートルだ。
外部に露出した艦橋は無く、制御区画は艦内部の深い場所にあり、推進器は艦尾に集中配置されていると予想される。
はやてはコンソールのパームレストに肘をつき、スクリーンのガラスを指ではじいた。
「相手は恒星間戦略母艦クラスや。いくらこのLS級が傑作艦ゆうても所詮は沿岸警備用やからな」
「ミッドチルダ海軍の全艦艇を出しても厳しいんじゃないですかね?それとも、博物館から次元戦争時代の戦艦を引っ張り出してきますか。
あの頃のアルカンシェルは、今みたいに自主規制なんて無いですからとんでもない威力だったらしいですね」
正面切って戦うには厳しい相手だというのは、誰もが受ける印象だ。
とにかく大きさが巨大すぎるため、仮に敵が全く動かなかったとしても、完全破壊するにはどう考えても火力が足りない。
速射砲でちまちま撃っていたのでは何万発が必要になるかというものだ。
「当面の問題はCW社ですね。彼らがどこまであの星の実態をつかんでいるのか……そして、どこまであの星を穿り返しているのか」
レコルトの言葉には、珍しく苦々しさが出ていた。
いつでも冷静に、理知的に振る舞う彼が感情を滲み出させているというのは珍しいことだ。
たしかに、発掘したロストロギアが突如暴走し、甚大な被害をもたらすという事故はこれまでに幾度となく起きてきたし、その度に時空管理局は多大な犠牲を払ってでも鎮圧し、ロストロギアをねじ伏せ、制御下に置いてきた。
それはある意味、人類の誇りと意地の象徴でもあった。
この世にはロストロギアが存在し、それは人類に牙をむく。
この強大な力を人類は征服してみせる。それこそが人類の生きる証であり生きる意味だ。
さらなる世界を求め、次元の海に漕ぎ出していくのは、このロストロギアを征服するという野心、よく言えばフロンティアスピリットによるものが大きい。
この現代でも、冒険家たちはそんな大国の王族などからの援助を受け、未知の次元世界の探検を行っている。
彼ら冒険家を支援するパトロンには、ミッドチルダをはじめとした次元世界超大国政府、そして聖王教会のような巨大宗教組織などがいる。
次元の海を旅する者は、ほぼ例外なくこれらの組織とつながりを持っている。
ロストロギアの分布は各次元世界に、まったくの規則性も無く一様にみられ、次元世界を旅するなら、いつ、どこでロストロギアに遭遇してもおかしくないという様相だ。
生物が住んでいない星なので安心して降り立ったら、実はとんでもない罠が仕掛けられていた、それ自体はありえない話ではない。
しかし、どこか腑に落ちないのも事実だ。
自分の中の勘が、この事件には何らかの意志が働いていると告げている。はやてはそう思っていた。
もう一度、あの本を開く時が来たのかもしれない。
次元から次元へ、果ての無い旅を続けてきたあの本は、この世の全てを見通すアカシックレコードである。
特別救助隊が、宇宙港の桟橋に散乱した瓦礫に生き埋めになった人々の救出作業を行っていたさなか、それは目覚めた。
貨物船の外板が覆いかぶさっていたコンテナの中から、突如、大型のメカが飛び出してきた。
モーターの駆動音を響かせて動き出したそのメカは、無限軌道の履帯のように見えた部分が、実際には多数の甲羅のような外殻を接地させて駆動する、節足動物のような構造になっていた。
腹をうねらせて進む異様な動きに、救助隊の隊員たちがあわてて逃げ出す。
コンテナの残骸を押しのけて進み出たメカは、実際の駆動システムは別にして、戦車のような下半身に、蟹のような腕が生え、中央の盛り上がった部分にセンサーユニットのようなガラス質のパーツが見えていた。
黄色い外見は、塗装されているのではなく外皮素材の金属そのものが黄色をしていた。
隊員たちは武器を持っていないので、動き出したメカに対し、遠目から様子をうかがうしかできない。
あんなものが残骸の中に隠れていたなど想像も出来なかっただろう。
黄色い戦車型のメカは──メカと言っていいのか分からないが金属質の身体をしているのは間違いない──は、まるで冬眠から覚めた動物のように、ゆっくりと周囲を見回している。
身体を左右に振るたびに、細い多脚が動く不気味な駆動音が耳を毒する。
「なっ、なんなんですかあいつは!」
隊員のひとりがおびえた声で叫ぶ。
エリート部隊ではあっても、特別救助隊は災害現場への出動が基本で、戦闘を行う組織ではない。
スバル・ナカジマは、見たこともない異様なメカの姿に、かつて戦ったおびただしい数のガジェットドローンたちを思い出していた。
「まさか、あの船団の積み荷はロストロギア……」
つぶやくように口に出し、すぐに意識を引き締めて次に指示すべき内容を考え出す。
スバルは直ちに、現場からの避難と管理局地上本部への通報を命令した。
機動六課の頃は幼さが抜けない新人兵士だったスバルも、今は防災士長として権限と責任を与えられた人間だ。
他の特別救助隊の士長たちも、陸士部隊などで実戦経験を積んできた者が多い。
彼らと連絡を取り、指揮系統を失わないよう、隊員たちに的確な指示を与える。
ただ命令を聞く、聞かせるだけでなく、迷わないようにすることが大切だ。部下の迷いを取り除くことが大切だ。
再び、背後で金属がひしゃげる大音響が聞こえた。
振り返ると、別のコンテナからもう一体、同じ戦車型のメカが這い出してきていた。こちらはコンテナが積まれていた貨物船が墜落した衝撃で損傷したのか、腕が一本しかなく、もがくような動きを見せている。
ゆがんだコンテナを突き破り、瓦礫を乗り越えて這い出てくる。
メカの表面のどこにも顔などないのに、苦痛にうめいているような動きを見せる姿に隊員たちはさらに恐怖を受ける。
「たっ、助けてくださいっ!」
叫び声のするほうをとっさに見やると、戦車型が蟹のような腕を伸ばし、地面に倒れた隊員の身体を突いていた。
向こうにとっても未知の物体であろう人間を目の前にして、それがいったい何物なのかを調べようとしているように見える。
しかし、体格差がありすぎるため、向こうにとっては軽く触れているつもりでも、人間にとっては巨大な力となる。
「私がどかしますからっ!今のうちに!」
叫び、スバルはマッハキャリバーを起動させて突進した。瞬発力に優れるインラインスケート型デバイスは、急を要する場面で活躍する。
戦車型の前に割り込み、蟹のような腕をつかんで押しのける。
見た目どおりに戦車型は重量があり、体重で地面にはりついているためなかなか動かない。
足を打った隊員は這いずりながらなんとか逃げようとする。
戦車型は腕を押し返しているスバルに、さらに力を入れるようにして腕を突き出してきた。
スバルもさすがに踏ん張りきれず、マッハキャリバーのローラーがコンクリートの地面にめり込む。
「くあっ……重い……!」
「ナカジマ士長!離れてください!」
別の隊員が、転がっていた鉄パイプで戦車型の腕を殴りつけた。
衝撃がさすがに通ったのか、戦車型はよろめくように胴体を左右に振りながら後ずさった。
人間の力程度では傷が付けられないようで、戦車型は目の前にいる大勢の生き物(人間)が何者なのかを警戒するように、腕で地面をたたいている。
ふとスバルが振り返ると、最初に出てきたものとこいつと、そのほかにもたくさんのメカたちが、壊れたコンテナや船の残骸の中から這い出してきているのが見えた。
一面瓦礫だらけの宇宙港の地面に、とっさに数え切れないほどの謎の戦車型メカが蠢いている。
「ひっ!こ、これは!死んでます、踏み潰されてっ……!」
今度は女子隊員の悲鳴が聞こえた。あたりを見回すように動いている戦車型の脚部の下に、人間の腕が見えた。
袖口が見えている服はおそらく港湾職員の作業着だろうか。
戦車型が脚を動かすと、地面に踏ん張られる多脚の殻の動きに従って腕の肉がすり潰されるようにひしゃげ、肉から血が搾り出され、地面に流れ出て広がる。
スバルは思わず奥歯を噛んだ。
仲間が怯え、救助すべき人々が死に、しかしその原因となったメカたちは、人間を意に介していない。
たとえば人間が、足元を這い回る蟻を踏み潰しても気に留めないように、彼らにとっては人間は気に留められない。
戦車型の大きさは全高が2メートルほど、幅は1.5メートル程度。小型自動車程度の大きさだ。
体重は、おそらく500キログラム程度であろう。戦車型の腕を押したときの感触からするとそれくらいだ。
「まずいです士長、こいつらは力がありすぎます」
「……今まで何人救助できた?」
「っ、自分の班では7人です……」
スバルは思考をフル回転させる。戦車型を振り払い、救助を続けるか、それともすでに確保できた人々の安全を優先して撤退するか。
特別救助隊の装備では、戦車型と戦うことはできない。
「……仕方ない。重傷者を最優先してヘリに──」
言いかけたところで、異様な駆動音とともに、短い悲鳴が衝撃音にかき消されるのが聞こえた。
重い物体の衝突に、やわらかいものが潰される湿った音。液体が飛び散る音。
喉を裂くような若い女の悲鳴、そして、硬いものが割れて潰れる音。
隊員の誰かだろうか、言葉にならない吼えるような悲痛な叫びが聞こえた。
戦車型の一体が突如、隊員の一人に向かって突進してきていた。
突進を受けた女子隊員は突き倒され、そのまま戦車型にのしかかられた。
数百キログラムもあるであろう戦車型の体重に、彼女はなすすべもなく押し潰され、まだ意識があるうちに、両脚、腰、胸の順に踏み潰されていった。
戦車型の脚は多脚の先端に接地面積を広げる殻があり、これで地面をまんべんなく踏みきれるようになっている。
この足の形のため、踏まれた場合全身に体重がかかり、皮膚が肉を包んだまま潰れて、重みによる圧力に耐え切れなくなった皮膚がはじけて破れてしまう。
悲鳴に、喉から血液が噴き出す水音が混じる。
胸の上に戦車型が乗り上げ、肋骨が潰れて心臓が破裂し、彼女は腕を硬直させたまま動かなくなった。
スバルのそばに報告に来ていた班長が、とっさに顔をそむける。今、彼の目の前で踏み潰された女子隊員は、彼の班の新人だった。
「くっ……全員撤退!急いで!」
振り絞るように叫び、スバルは隊員たちの誘導にかかった。
職責と、悔しさと。彼女を死なせてしまったのは自分の判断が遅れたせいかもしれない、もっと早く撤退を決断していれば、彼女は助かったかもしれない──湧き上がる後悔を必死で押しとどめる。
今、そうやって気力を萎えさせるわけにはいかない。
今の自分は、心を奮い立たせて人を指揮しなければならない立場なんだ。
「走れ!走れっ!」
「あっ、足がっ、た、立てない!」
瓦礫につまずき、足がもつれて転んだ隊員に、背後から戦車型が迫る。
先輩隊員が必死に声をかけるが、立ち上がれない。助けるために引き返すにも、他の負傷者を抱えていて、危険すぎる。
「くっ!みんな、とにかく走って!私がこいつらを抑える!」
マッハキャリバーに加えて、スバルはリボルバーナックルを起動させた。
倒れた隊員に向かっている戦車型を後ろから追いかけ、ジャンプして、ガラス質の部分に向かって飛び掛る。
戦車型の胴体の上に乗り、腕をつかんで、ガラス質の部分にリボルバーナックルを打ち込む。
金属同士がぶつかる鈍い音が響き、ガラス質がひび割れる炸裂音が、珪砂の破片をはじけ飛ばせる。
「ナカジマ士長!」
「みんなは早く逃げて!」
宇宙港は、建物が人型の核爆発によってほとんど吹き飛んでしまい、更地の状態になっていた。
身を隠せる遮蔽物もない。とにかく敷地外の無事な建物があるところまで走るしかない。
「この……っ!!」
へこんだ戦車型の胴体は、金属としてはかなり脆いものだった。少なくとも、町の鉄工所で使うような安い鋼板でももっと強度はある。
ねずみ鋳鉄のように、やわらかく曲がったり潰れたりしている。
戦車型の胴体に二発目のパンチを打ち込み、スバルは深い手ごたえを拳に感じ取った。
敵の装甲を突き破った。
強度のない軟い鉄板がちぎれ、勢いをつけたスバルの右腕が戦車型の胴体にめり込む。
さらにリボルバーナックルを回転させ、突きに捻り運動を加えてダメージを与える。
500キログラムを超える体重が跳ね、内部のメカらしき配管やロッドをなぎ倒す感触を拳にとらえる。
パンチのモーションで右腕を引き抜いたとき、戦車型の胴体から赤い液体が噴き出すのが見えた。
オイルか何かかと思ったが、それはもはや脳の奥にこびりついた、生臭いにおいをしていた。
戦車型が、穴の開いた体表から血を噴き出している。
その様子を見ていた他の隊員たちも、驚きに思わず立ち止まっている者もいる。
外見はどう見てもロボット、メカなのに、それは人間と同じ赤い血液を流している。
いや、同じなのは色が赤くて状態が液体であるというだけだ。
その構成要素は全く違うということを、スバルはすぐにその肉体に叩きつけられた。
鋭い痛みに、とっさにリボルバーナックルをパージしてしまう。
見下ろすと、戦車型の返り血を浴びた右腕が、皮膚が火傷をしたように赤く腫れ上がっていた。
腕に無数の針を刺されたような広範囲の痛みに、思わず腕を押さえて立ちすくんでしまう。
「ナカジマ士長!?だっ、大丈夫ですか!?」
「ぐっ……あっ、く、この……!」
未知の薬剤か、重元素を使用した人工血液なのか。
皮膚を垂れていく滴の重みから、それが通常の脊椎動物の血液ではありえないことをスバルは直感した。
血の滴は頬や胸にもかかっていて、頬の滴からは刺激臭がしていた。
舌に臭いが触れ、頭がくらりとしそうなほどの強烈な苦味が感じられる。
特別救助隊の隊員が装着するバリアジャケットは対NBC性能に重点が置かれているが、それでも防御しきれないほどの強烈な刺激だ。
右腕を押さえながら顔を上げると、仲間が傷を負わせられたことに気づいたのか、他の戦車型が動きを活発化させ、スバルの周囲を取り囲むように集まってきていた。
他の特別救助隊の隊員たちも、その様子に気づいていても、武器がないので手出しができない。
痛みを振り切り、再びリボルバーナックルを装着する。完全に囲まれる前に突破口を作る。
拳を戦車型の腕に打ち込み、相手をよろめかせる。
足の数が多く接地面積が大きいため、戦車型はかなり派手に殴られても姿勢が安定している。
拳の後に蹴りを続け、戦車型の巨体を押し出して後退させる。
周囲に集まってきたのは4体ほどだろうか。それでも、戦車型は横幅が大きいため、360度すべてを囲まれているように感じる。
突進をサイドステップでかわし、細い脚が露出している部分を狙って蹴りを打ち込む。
折れた節の部分からも、刺激臭を放つ戦車型の体液が漏れてくる。滴が脛にかかり、さらに激痛が走る。
「無理です士長、このままじゃ!」
「くっ、みんなは逃げられたの!?」
「今ヘリが来て、負傷者を搬送してます、ナカジマさんも早く!」
スバルは宇宙港の敷地を見渡し、すぐに接近される範囲にどれくらいの戦車型がいるか数えた。
半径50メートルほどの距離には10体程度がおり、それらはスバルの周囲に集まりつつある。
戦車型の移動速度は人間が走るよりは遅いようだが、突進を行うときは瞬間的にかなりの距離をダッシュしてくる。
狙いを一体に絞る。完全に動けなくした個体を放れば、他の個体も動きが制限される。
センサーユニットと思われるガラス質の部位を集中的に狙う。リボルバーナックルに鋭い回転を与え、思い切りの正拳突きを打ち込む。
戦車型が大きく後ずさり、腕を垂れ下がらせて動きを止めた。
関節部は通常のロボットのようなヒンジ構造ではなく、多数のフレームを重ね合わせたじゃばらのようになっている。
戦車型たちをあらかた振り払い、周囲から敵が離れたことを確認して、息を吐く。
油断なく構えを解かないまま、肺だけを動かして身体を回復させる。
「ナカジマさんっ、もう大丈夫です、もうみんな脱出しました!早く戻ってください!」
後輩の女子隊員が叫んで呼びかける。
スバルは、蹴りで多用したため戦車型の体液を浴びた左足が、思った以上にダメージを受けていることを察していた。
刺激臭は液が強酸性であることを示しており、足首の肉が溶けて、骨格フレームとマッハキャリバーのブーツ部分が直接接触している感触がある。
戦闘機人といえどもベースは人間の肉体であり、機械部品だけで身体を動かすことはできない。
骨や筋肉が致命的な損傷を受けて機能を失えば、機械の骨格フレームが体重を支えられなくなる。
構えを解けない。構えを解いて身体の力を抜いたら、足首が折れてしまいそうだ。バリアジャケットは術式が損傷して魔力が漏れ出し、
マッハキャリバーも動作クロックが低下している。ダメージは予想以上に大きい。
「ナカジマさんっ!!」
振り返れば、おそらく左足がいかれる。そうなったら、あとは這いずって移動するしかない。
迷っている間にも、戦車型はじりじりとにじり寄ってくる。
後方で、巨大な魔力が発砲される衝撃を感じた。
砲撃魔法が撃ち下ろされ、スバルに迫っていた戦車型を直撃した。
これにはさすがの戦車型も大きく身体をバウンドさせ、腕や脚を潰しながら派手に転がっていく。
この砲撃魔法を、スバルは何度も間近で見たことがある。
さらにビームが連続で撃ち込まれ、戦車型は次々と撃破されていく。
「武装隊が……首都防空隊が?」
安堵に緊張が抜け、スバルは背中から地面に倒れ込んだ。左足のマッハキャリバーを装備解除し、待機状態にして左手に握る。
見上げると、晴れた空、抜けるように青い空を背に、白い翼が舞っていた。
「なのは……さん……」
戦車型が撃破されはじめ、安全が確保されたことを確認した他の救助隊員が、スバルを助けにやってくる。
二人がかりで両腕を支えてもらい、なんとか立ち上がる。右足しか動かせないので、その辺に落ちていた鉄パイプを杖代わりにする。
「なのはさん、フェイトさんもっ、気を付けてください!敵の体液に当たると肉が焼けます!」
「わかったっ!スバルははやく手当てを!こいつらは私たちが片づける!」
フェイトはバルディッシュをライオットザンバーに切り替える。
砲撃戦主体のなのはは遠距離攻撃ができるが、フェイトは接近戦を行うことから、強酸性の体液を浴びる危険が高い。ライオットザンバーなら間合いが広めなので距離をとれる。
なのははディバインバスターを連発し、戦車型を一体ずつ各個撃破していく。ディバインバスターを受けた戦車型は全身を覆う外皮が破裂するようにちぎれて、融けて潰れるように動かなくなる。
黄色い体色は焦げたような茶色に変化していた。
ライオットザンバーで叩き斬られた戦車型は、腕がちぎれ飛んで、脚部がへこんだ。
金属質な外見とは裏腹に、装甲はやわらかく、むしろ甲虫や甲殻類のような印象さえ受ける。
なのはとフェイトの戦いぶりを遠目に見ながら、スバルは他の救急隊員からの応急手当てを受けていた。
肉が焼けて血管がふさがってはいるが、念のため、包帯で脛を縛り、止血する。
「ナカジマさんっ、大丈夫ですか!?足が、こんな……」
最後まで残って他の隊員の誘導をしていた若い女子隊員が、心配そうにスバルの身体を見る。
彼女はスバルが戦闘機人であることを知ってはいたが、実際にこうして、ダメージを受けて機械部分が露出した姿を見るのは初めてだ。
スバルの左足は、脛の骨にあたる部分がおよそ3分の1ほど溶けてなくなり、腱だけで足首が繋がっている状態だった。
筋肉などは溶けてしまい、もともとの骨と、接合した金属フレームも酸によって表面が変質していた。
こうなってしまうと、いったん切り落として、新しいフレームを付け換えなければならない。
脛に残った肉の部分は、燃えたようにちぢれていた。これほどの浸蝕性を持つということは、それ自体が戦車型の体内で何らかの作動油
として使われているわけではないだろう。
金属も溶かしてしまうのだから、金属でできているロボットにとっても有害物質だ。
よく見てみると、自分が殴って穴をあけた戦車型は、やはり漏れ出した自身の体液に対してはダメージを受けているようだった。
あたかも、寄生生物にとりつかれているかのように見えた。
戦車型があらかた倒された頃、その予想が正しかったことが判明した。
比較的船体の原形をとどめて墜落していた貨物船の残骸の中から、大きなボールのような姿をしたメカが転がり出てきた。
いや、メカというよりは、これこそまさに生物のように見える。巨大な刺胞動物、あるいは、紫色のマリモ、といったところか。
なのはとフェイトには、もはや不審な物体に対しては警告なしで攻撃してよいという許可が出ていた。
すかさず、ディバインバスターとサンダースマッシャーの同時射撃が飛ぶ。
マリモは、強度の高い膜状の外皮の中に、戦車型の体内にあったのと同じ強酸性の血液を満たしていた。この血液は引火性も高かった
ようで、ディバインバスターの余熱によって発火し、水蒸気爆発を起こしたようにはじけ飛んだ。
赤い血しぶきが燃えて濃い紫色の煤煙になり、強烈な刺激臭を放ちながら大気に溶けていく。
燃えてしまえば、その煤にはもう肉体を溶かす作用はなくなっていた。
球状の膜が破れると、その中から、スライムのような物体が這い出てきた。
これは戦車型よりもさらに大きく、身長は3メートル以上はある。
粘性の高いジェルをこねて固めたような外見で、頭部のように見える部分は直径が1メートル以上あり、そこに、軸のずれた二つの目蓋、そしてこれも直径が40センチ近い巨大な眼球が見えている。
明らかに、機械ではない。機械だとしても、少なくとも材料は金属ではない。
なのはよりも早く、フェイトがサンダースマッシャーの第二撃を放った。
スライムは動きがとても鈍く、身体を震わせていたがほとんどまともに動けず、サンダースマッシャーを被弾した。
ジェル状の身体は導電性が高いようで、体表面が激しく沸騰しながら爆発し、飛び散った粘液の中に、小さな粒のような金属体があるのが見えた。
どうやら、これがスライムの本体のようで、こいつが粘液を集め、固めて制御することでスライムの姿を形作っている。
「っ!!」
スライムの中に、芯のような、やや大きめのカプセルのような物体が見えた。
赤い血液の中に浮かぶその青紫色の物体にめがけて、フェイトはザンバーを横薙ぎに振る。
粘液の中からはじき出されたカプセルは地面に落ちて、鈍い金属音を立てながら転がっていく。
おそらく制御ユニットだったであろうカプセルを失ったスライムは、やがてどろりと身体を崩壊させ、地面に広がっていった。
コンクリートに触れた部分は、セメントと反応して、蒸気をあげながらくすぶっている。
「全目標撃破。もう周囲5キロに異常魔力反応は無し……片付いたよ、はやてちゃん」
『おし。特別救助隊の連中はどうや?いけそうか?』
念話の声は、スバルたちにも聞こえている。
「私は大丈夫です、一応処置はしました」
「──とりあえず、今残ってる者は比較的軽傷で──うん、特別救助隊の子にひとり、殉職者が」
『なのはちゃんらが到着する前や、仕方ない──スバルもそこにおるんか。後で報告書まとめたら、私のとこにもまわしてや。
あのバイオメカノイドどもの情報を少しでも集めなあかん』
「わかりました。──すみません、お手間をかけさせてしまって……おひさしぶりです、はやてさん」
人型とか戦車型とかマリモとか、形状で呼んでいても仕方ないので、暫定的な呼称として、惑星TUBOYに由来する無人メカたちを“バイオメカノイド”と呼ぶことが決まった。
彼らは、機械の外装を纏った一種のヤドカリのような生物であると予想される。
戦車型の体内に満たされていた体液は、それ自体がアメーバ状の身体を持つ生物だ。
マリモのように、むき出しになっていることもあるが、たいていは、ヴォルフラムがTUBOY地表で遭遇した二脚型や、貨物船のコンテナに詰め込まれていた戦車型のように、機械をつくってその中にもぐりこんでいる。
この機械そのものは、惑星TUBOYに存在する無人プラントで製造されていることが判明した。
といっても、それは人間が作る機械とはかなり異なり、やわらかい金属を型にはめてプレスしただけの簡易なものだ。
それを、内部に入り込んだスライムがあやつっている。ちょうど、スライムが金属の鎧を被っているような形だ。
ただし、スライムそれ自体が元凶の生物というわけではなく、あくまでも鎧を着せるのに適するようにつくられた人造生命体だ。
スライムの制御ユニットである粒を分解してみても、高度なAIのような構造は発見できなかった。
彼らは、単純な動作を繰り返す古典的なロボットだ。少なくとも現状倒した個体を見る限りはそう判断せざるを得ない。
この現状を説明する方法として、いくつかのシナリオが考えられる。
ひとつは、惑星TUBOYに住んでいた人類が、何らかの目的でこれらのメカノイド群をつくり、そして人類が滅びた後もメカノイド群だけが活動を続けていたというものだ。
これがいちばんシンプルなシナリオとなる。
しかしこれだと、惑星TUBOYの人類が滅びた後、いったい誰がメカノイド群のメンテナンスをしていたのかという問題が生じる。
バイオメカノイド群たちは、機械構造としてはかなり大雑把なもので、工業製品として考えた場合はあまりにもお粗末過ぎる工作精度しかない。
中に生物が入るという構造からするとそれで問題ないのかもしれないが、これを人間が設計したとはにわかには考えにくい。
また、これらメカノイドたちはそれほど長時間の無補給運用を考慮されておらず、電力や、内部のスライムが消費する栄養分の補給が必要になる。
これらは、少なくとも惑星TUBOY上に限っていえば、補給基地のようなものがあり定期的にそこに帰還するようプログラムされていたとも考えられる。
この場合、他の惑星に連れて行かれてしまえば、じきにエネルギーが尽きて動けなくなってしまうだろう。
もうひとつのシナリオとして──これはやや複雑であるがより現実的なものである──、惑星TUBOYの人類が製造したのはまったく別のシステムであり、バイオメカノイド群はそれが独自に進化した結果誕生したものであるという推測ができる。
このシナリオの場合、重要になってくるのは惑星TUBOYの人類が滅びたタイミングである。
人工的なシステムであれば、当然、メンテナンスの必要性が生じる。
メンテナンスをする者がいなくなったためにシステムの動作が狂い、結果としてバイオメカノイドが生まれてしまったのか、バイオメカノイドが生まれたために人類が滅びたのか。
後者のシナリオであれば、人間の制御できる範囲を超えたシステムが、惑星TUBOYに眠っているということになる。
惑星TUBOYから浮上しようとしていた赤い戦艦は、全長が100キロメートルに届こうかという常識はずれの巨体をしていた。
この戦艦は惑星TUBOYの人類が建造したのか、それともバイオメカノイドたちが自ら建造したのか。
ヴォルフラムの搭載するサーチャーで撮影した敵戦艦インフィニティ・インフェルノの映像を用いて、ヴィヴァーロ曹長は敵戦艦の性能分析を行っていた。
重要なことは敵の性能を把握することである。兵器は、外見からおおよその性能を推測することが可能である。
ヴィヴァーロ曹長は、敵戦艦は複数の段階にわたって大幅な船体の増築が行われていると予想した。
全体としては単純な楔形──アスペクト比の小さいデルタ翼型──の船体をしているが、魔力光スペクトルを分析した結果、少なくとも大きく3つの部分に分けて、建造された年代が大きく異なる船体が混じっていることが判明した。
そのスパンは少なくとも1500年以上と計算された。
ここで、あの赤い戦艦を惑星TUBOYの人類が建造した可能性は限りなくゼロに近くなった。
人間が作った艦であれば、1000年以上も同じ船体を使い続ける理由がない。
機械である以上必ず老朽化はするので、古いものはスクラップにして新規に船体を作り直したほうがいい。
魔力光スペクトルで見る限りでは、インフィニティ・インフェルノの構成素材は何の変哲もない鉄やチタンであり、製造が困難な特殊鋼などが使われているわけではない。
古い船体を使い続けなければいけない理由は少なくとも見当たらない。
あの赤い巨大戦艦は、バイオメカノイドたちが自らのコロニーとするために建造したものである。
コンテナに詰め込まれ、貨物船に積まれていた戦車型やマリモなどのバイオメカノイドたちは、すでに製造済みであったものを惑星TUBOY上で捕獲したものであるとの証言が、貨物船の乗組員から得られた。
惑星TUBOY上では、少なくともカレドヴルフ社の船団が滞在していた間は、彼らは全く機能停止した状態で、魔力反応も検出されず、何らかの動力が接続されている様子もなかったという。
惑星探査機による観測で見つかっていた化石と区別はつかない状態で、CW社の社員による説明でも、保存状態のよい化石を運び出すという作業指示を受けていたと、その乗組員は証言した。
クラナガン宇宙港に入港する際も、積み荷は鉱石またはスクラップと申請されていた。
検査の際も、魔力反応はなく、がらくた機械のようにしか見えなかった。
検査官は、惑星TUBOYに存在するメカノイドの形状を知らされていなかったために、戦車型が積み込まれたコンテナをそのまま通してしまっていた。
そして実際、宇宙港での戦闘で撃破された戦車型たちも、スライムの体液を洗い流してしまうと、その機械単体では、惑星TUBOYの化石と見分けはつかないことが判明した。
これが自己動力を持つ戦闘メカであることを、外部からの観測によって証明できなかった。
スライムをかたちづくっている粘液は、成分は水のほかにはエステル系油脂、アルカリ金属、そして珪素やフッ素などで、構成成分としては機械潤滑用のグリスやオイルに近いものであることが判明した。
人体に対する激しい反応性は主にリチウムとフッ酸によるものだった。
少なくとも、次元世界全般に広く生息している炭素を含んだ有機化合物による生命体ではない。
はやての懸念は、惑星TUBOYでの輸送船遭難、ヴォルフラム捜索隊への襲撃、そしてクラナガン宇宙港での戦闘、そのいずれもが、次元航行艦──すなわち、大型の魔力機械が接近したときに起きているということだった。
忘れてはならない要素として、バイオメカノイド群たちは何のために作られたのかということだ。
もし、彼らのもともとの姿がたとえば惑星TUBOYの防衛システムであった場合。
次元航行艦のような強い魔力を発している物体を、“脅威度の高い目標”と判定するということはありうる。
船団の作業員たちには知らされていなかったようだが、船団に同行してひそかに、ティアナたち、選抜執務官試験を行う局員を乗せた艦が、惑星TUBOYに降り立っていたのだ。
この艦はL級巡洋艦の最初期の型であり、艦名は「アエラス」。
この艦は消息不明となっていることが次元航行艦隊の航海管制記録から判明し、おそらく、惑星TUBOY近傍で撃沈されたと思われる。
バイオメカノイドたちが目覚めたのは、この巡洋艦アエラスの接近遭遇によるものかもしれない。
ヴォルフラムの艦長室に運ばれた食事のチャーハンをほおばりながら、はやては考えていた。
あの戦闘メカたちを目覚めさせてしまったのは、管理局に責任があるのか。
もし、選抜執務官の試験などというものをあの惑星でやろうとしていなければ、バイオメカノイドがミッドチルダに持ち込まれることはなかったのか。
非武装のCW社輸送船に対しては、バイオメカノイドは攻撃をしなかっただろうか。
少なくとも、輸送船のうちの一隻がおそらくバイオメカノイドの攻撃によって撃沈されたことは事実だ。
アギーラ曹長の持ち帰った破片を分析した結果、惑星TUBOYの地表に墜落したCW社輸送船は、ヴォルフラムが到着する前に、何者かの手によって残骸のほとんどが持ち去られていたことがわかった。
惑星TUBOY上で遭遇した二脚型の破片に、CW社の輸送船に由来する塗料が付着していた。あの二脚型が、少なくともCW社の輸送船に触れたことは間違いない。
解析結果をはやてに報せにきたヴィヴァーロ曹長は、艦隊司令部はこの情報を握り潰すでしょう、と言った。
このような結果、この次元世界に他の人類が存在するなど、認めてはならない。他の人類、ましてや創造主を滅ぼしてしまうような人工の生命体の存在など、認められない。認めてしまえば、人類全体が神の意志に屈服することになる。
そのような運命など、あってはならない。
少なくとも、次に第511観測指定世界に派遣される艦があったとしても、それは捨て駒になるだろう。
管理局は、この問題を解決できなければ、先送りにするしかないという状況だ。
運命を避けようなどと思ってはいけない。
運命に立ち向かい、乗り越えることができるのが人間だ。
幼いころの彼女を──リインフォースの想い出を、幾度となく夢に見ながら、はやてはそう考えるようになっていた。
どんなに願っても、人間の意志がそれぞれ独立している以上、いつかどこかで事件は起こる。
事件が起こることそのものに対して憤っても仕方がない。
時空管理局海上警備部の艦長として、また、いち管理局員として、できることは、目の前の事件解決に全力で取り組むことである。
外宇宙を航行する、一隻の次元航行艦があった。
真新しい純白の塗装に包まれた、安定感のある大柄な艦容。
艦橋に多数設置されたセンサー類を支える重厚なシルエットに、時空管理局次元航行艦隊のエンブレムが威厳を飾る。
XV級巡洋艦、艦名は「クラウディア」。
次元航行艦隊きっての若手提督として期待される、クロノ・ハラオウンが座乗する艦だ。
クラウディアが航行しているのは、第97管理外世界、天の川銀河の中心から2万7千光年、オリオン標準子午線から東経132度25分、銀河公転平面より9000光年南方に離れた、銀河系辺境の宙域だった。
地球が属する太陽系からは、直線距離にして約6万2千光年離れており、いて座の方角に銀河中心バルジをはさんだ反対側だ。
通常、いかに次元航行艦といえども恒星系からこれほど離れた宙域へ進出することはまずない。
クラウディア艦橋からは、全天を見渡しても星の姿は全く見えず、どこまでも黒い宇宙空間が広がっている。
艦橋で当直に立つ幹部士官たちは、静かに、計器の監視を続けている。
外宇宙は、物質の密度がとても薄い。
時速数万キロメートルという高速で飛行していても、一秒あたり一個の原子に衝突するかどうかというほどだ。
それでも、その一個の原子が、数十個の原子になるような、わずかに密度の高い空間がある。
クラウディアは、その密度の高い空間を追跡していた。
衝突する原子の個数が多いということは、そこを何らかの物質が通過したということを意味する。
それは空に飛行機雲が引かれるように、森林にけもの道ができるように、点々と、時空の痕跡が残っていく様子だ。
クラウディアの艦首には、今回の任務の為に製作されたラムスクープインテークが取り付けられ、空間の物質密度を計測できるようになっている。
これはもともと天文観測用のもので、これまでは外宇宙探査機に搭載してダークマターなどの観測に使われていたものだ。
いて座A*を出発点とし、天の川銀河中心部からこの時空の痕跡を辿ってきたクラウディアは、ついに銀河公転平面から大きく離れ、ハロという電離ガスに満たされた系外空間へ進出していた。
一般的な銀河は、中心のバルジを何本かの腕が取り巻いた円盤のような形をしているが、実際にはこのハロが銀河をすっぽりと包み込み、全体としては球形をしている。
密度の高い時空の痕跡は、銀河系を出て、大マゼラン雲をかすめ、うみへび座の方角へ伸びていた。
この先には、天の川銀河が属する局部銀河群の中では比較的明るい、NGC3109小銀河が存在するが、これは天の川銀河と重力的なつながりはなく、独立した系である。
天の川銀河とその伴銀河たち、そしてこのNGC3109は、ともにアンドロメダ大銀河の重力にしたがいおおよそ直径600万光年の範囲で局部銀河群をつくっている。
本来、管理外世界であるはずの宇宙にクラウディアが進出している理由には、ある特殊任務が存在した。
それは第1管理世界ミッドチルダ、第3管理世界ヴァイゼンの両政府が共同で企てたものだった。
次元世界の探求、それは誰もが夢見るものであり、それゆえに、この分野で主導権を握ることは、次元世界を支配することに直結する。
そのために、ミッドチルダ政府は本格的な深宇宙探査に取り組んだ。
次元世界が数百もの次元に分かれながら並行的に存在しているのは、もとをたどればひとつの宇宙だったものが分裂している姿だという仮説に基づき、これを証明する計画が立てられた。
八神はやての予感とは独自に、ミッドチルダとヴァイゼンの各政府は、各次元世界は単に見た目が分裂しているだけで、実際には一続きの宇宙であるという実態に確信を持っていた。
観測上は別次元にしか見えない各世界の時空の隙をつくためには、地上から望遠鏡で覗くだけではなく、実際に次元航行艦を派遣し、時空連続体のつながりを発見する必要がある。
最初の派遣先として第97管理外世界が選ばれた理由は、探査機ガジェットドローン#00511──それは第511観測指定世界にて惑星TUBOYを発見した探査機でもある──が観測したデータの中に発見された、ある周期的なパターンを持つ電波信号だった。
それは、人工的に作られ、発信されたものだった。
長波長電波が紡ぐ信号のビットパターンは、およそ46年前、第97管理外世界より発信されたものと一致していた。
つまり、地球から惑星TUBOYに向けて、何らかのアプローチが図られていたということだ。
ある次元世界から発信された信号が、別の次元世界で観測される。
この観測事実が、ミッドチルダ政府がこのミッション開始を決意する契機となった。
ミッドチルダ政府の意向を受けた管理局は、次元航行艦隊から引き抜いた艦を集め、外宇宙探査艦を仕立て上げた。
事前に別任務を受けて出航していた艦に向け、そのミッションは発令された。
それが、今回、第97管理外世界に派遣されているクラウディアである。
クラウディア副長を務める、ウーノ・スカリエッティ三等空佐は、艦長室のドアの前に立ち、静かにノックをした。
「入れ」
艦長の許可を得て、ウーノは静かにドアを開ける。
彼女は、戸籍上は2年前に死んだ扱いとなっている。そうでなければ、こうして新たな身分を作り、管理局所属艦に搭乗することはできなかっただろう。
クロノは艦長室の椅子に深く腰掛け、士官用のジャケットを襟を立て、表情を隠すように着込んでいる。
クラウディアは既に出航より2週間が経ち、一日に一度の日次報告以外は管理局本局とも、他の僚艦とも全く連絡を取っていない。
「これより本艦は天の川銀河を離れ、南へ向かう。人類がいまだ到達したことのない深宇宙だ。本艦の意志はそこで示される」
クロノの言葉は、重い責任感と、そして未知の領域に挑戦する野心を併せ持っている。
そうウーノは感じていた。生まれてずっと共に過ごしてきた、あの男と同じように。
人類は、いつの間にか純粋な心を忘れてしまった。ウーノはそう思っている。
クロノとウーノは、8年前、管理局と反管理局勢力として一戦を交えた関係である。
8年前と現在と、クロノの心境に生じた変化はいかほどのものだっただろうか。8年前の彼なら、たとえこのような任務を命じられても蹴っていただろうと、ウーノは思っていた。
単に命令だから、というだけで従うような単純な人間ではない。
自分の意志に照らし合わせて納得がいかなければ、けして首を縦に振らない男だ。
それだけは確かだと、8年前のJS事件当時から感じていた。
この男をしてこのような危険な航海への船出を決意させたミッドチルダの野望とは、どのようなものだろうか。
ウーノの思案も、この深宇宙のようにどこまでも黒く、果てが見えない。