EXECUTOR ■ 4

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 クラウディアが探索している、時空連続体の隠れたつながりは、“位相欠陥”の形で発見されると予測されていた。

 ひとつの宇宙が複数の次元世界に分裂する場合、いわゆるビッグバンからインフレーションを経て原初宇宙が晴れ上がる過程において、何度かの相転移が起きる。
 そしてそれがゆらぎのために一様でないことによって、宇宙のいくつかの場所に相転移しきれなかった部分が残り、取り残された領域は次元断層を発生させ、それが“ドメインウォール”として観測可能であるとされる。
 相転移の際に取り残された次元断層は対称性の破れを起こし、それが膜状に実数空間を取り囲んだ場合、あたかも惑星表面を一周して同じ地点に戻ってくるように世界の果てを作り出す“壁”として存在することになる。

 これが、各次元世界を隔てているものの正体である。
 このドメインウォールが存在すると、実際には一続きの空間であるにもかかわらず、それぞれの世界に存在するものは互いに干渉できない。
 次元の海を渡るとは、超高次元空間の一種である虚数空間を経由することでこのドメインウォールを回避して、それぞれの世界を行き来することである。

 次元航行艦による捜索で、このドメインウォールを実力で突破することが、ミッドチルダがすすめる次元探査計画のひとつの目標である。

 第97管理外世界より発信された信号が第511観測指定世界に痕跡を残していたことから、この二つの次元世界はおそらく実数空間が近い位置に存在すると思われる。
 この予想に基づいて、クラウディアは第97管理外世界において捜索を行っていた。
 どこかに、この二つの次元世界をつなぐ通路が存在する。
 それは電波を通過させたことから、おそらく次元航行艦で通過することも可能と思われる。
 天の川銀河の中心を出発してから、宇宙の中に点々と残されている足跡──コズミックストリームの追跡を行ってきたクラウディアは、天の川銀河より南方へおよそ170万光年の宙域に、大規模な位相欠陥を発見していた。
 それはこの局部銀河群を形成する主たる原動力となっていると思われ、アンドロメダ大銀河と天の川銀河が接近しつつある、その重力の源となっていた。
 この位相欠陥は170万光年先から天の川銀河内へループし、同銀河内に存在する暗黒星雲内部へ通じていた。

 46年前に発信された信号は、おそらくここを通過して第511観測指定世界へ移動したと思われる。
 もちろん、途中でいくつもの高次元空間を経由してきたため、170万光年もの距離を実時間20年ほどで飛んできていた。

 そして、現代の次元航行艦の速力をもってすれば、200万光年をほんの数日で渡ることができる。

 すでに、ミッドチルダと惑星TUBOYを結ぶ航路の途中に、非常に大規模な位相欠陥が存在することが確かめられていた。
 それは第97管理外世界の天文学者たちからは“WMAPコールドスポット”と呼ばれていた、宇宙背景輻射が極端に減衰して観測される、温度の低い領域である。
 多数のドメインウォールが複雑に入り組み、長距離ワープによる突破は困難を極める。
 だが、もし惑星TUBOYのバイオメカノイドたちが、この位相欠陥──ミッドチルダ国立天文台が命名した宇宙の地名では、
“エリダヌス渓谷”と呼ばれる──を高速で潜り抜ける航路を持っているなら、次元世界人類のとりうる迎撃手段は著しく制限される。

 クラウディアが向かっている位相欠陥は、両端に2つの球状星団を従えた姿から“トールの双子”と呼ばれ、天の川銀河から170万光年の距離に位置している。
 ここは局部銀河群の端に近い。
 そして、その先は数億光年に渡ってひとつの銀河も存在しない、“おとめ座ローカル・ボイド”が立ちはだかっている。
 トールの双子は、あたかも虚無へ通じる門のように、ボイドの表面のような場所に位置している。

「…………凄いですね」

 クラウディア艦橋の大スクリーンに投影された航路マップには、まるで断ち切られたように銀河の分布が消えている、おとめ座ローカル・ボイドの姿が浮かび上がっていた。
 天の川銀河を出発して南へ向かってきたクラウディアの予定航路は、トールの双子を通過してローカル・ボイドの中へ消えていっている。

「このような図を見るのは初めてか?」

「ええ」

 天の川銀河は、太い銀河の帯の端に位置しているように見える。
 おとめ座超銀河団とその近傍の銀河団が連結した、フィラメントと呼ばれる銀河の集団が形成されている。

「これは約1億光年スケールでの銀河の位置を表している。銀河フィラメントの幅はおおよそ1000万光年程度だ。
このフィラメントがつながりあった、ごく狭い範囲に銀河のほとんどは位置している。
それ以外は何もない空虚な空間──ボイドが広がっている」

「天文学は専門外でした」

「彼は興味を?」

「持っていたとは思いますが、あの頃は最優先ではなかったと思われます」

 クロノはスクリーンを消灯すると、ポインターロッドを仕舞った。
 大型の艦体は安定性が高く、高速飛行でもほとんど揺れない。
 クラウディア艦内は、ぴったり1Gに調整された人工重力で満たされている。

 クラウディアは現在、トールの双子を2光年先に見られる位置に停泊している。

 観測の結果、位相欠陥は広い幅を持つ筒のようになっており、それが途中で曲がることで、先の空間が見えないようになっていることが分かった。
 この筒をくぐり抜けることで、先へ進むことができる。
 その先には、第511観測指定世界があると予想される。
 ミッションの指令では、第511観測指定世界であることが確認できれば、虚数空間を経由して直ちに帰還せよとされていた。
 現時点では、まずルートを決定することが大事である。
 そのルートが決定できれば、そこに集中的に探査艦を送り込むことができる。

 これまで、軍艦を用いたこれほど大掛かりな探索計画は立てられていなかった。
 宇宙開発分野の予算も、ごく限られたものだった。

 宇宙開発は軍事技術と密接な関係がある。

 未知の領域である宇宙へ進出することは、そこを支配することと同義である。
 制宙権を握られるということは、住人がその星を出ることができず、閉じ込められることを意味する。

 各次元世界では、次元間航路の軍事利用を禁じる国際法は成立していたが、宇宙空間、殊に恒星間宇宙についてはほぼ手付かずだった。

 そこに、ミッドチルダとヴァイゼンは目をつけたのだ。

 

 二回目の遭遇。それは、はやてにとっては三回目の遭遇だった。
 12月14日、夕暮れの薄暗闇の中、それは突如としてクラナガンの海から現れた。

 横幅が30メートルはあろうかという巨体だった。

 夕闇に、紅色をした体表が不気味に浮かび上がるのが、ヴォルフラムの艦橋からもはっきりと見えた。
 そいつは巨大な蟹か蜘蛛のような姿をしており、X字型に配置された四本の脚を持っていた。
 脚の中央関節部分がもっとも高さのある部分で、港湾施設のクレーンとの比較から、全高はおよそ16メートル程度に見えた。

 海から姿を現した大クモは、水上をゆったりと跳ねるように動きながら、クラナガン宇宙港へ上陸しようとしていた。
 大クモは宇宙港に集まっていた瓦礫除去用のブルドーザーなどの重機をなぎ倒して、まず防波堤に足をかけた。
 街のあかりを、様子を伺うように見回している。
 胴体中央の、上面の殻と底面の殻を合わせ目の部分に目のような形状が見え、ここが左右にせわしなく動いていた。

 かまいたちのような鋭い風音を、ヴォルフラム乗員は聞いた。

 地上ではもっと甲高く聞こえているだろう。
 金属で密閉されているはずの艦内にさえ音が響くということは、あの大クモの鳴き声は共鳴しやすい周波数帯域の音波か、あるいは大気を直接励起させる電磁波を放射していると予想される。

 宇宙港に集結しつつあった次元航行艦たちが、それぞれ迎撃態勢にかかる。

 はやても艦の機関始動を命じようとしていた。
 腕を挙げ、まさに声を発しようとしていたところで、ヴォルフラムの通信士が入電を報告した。

「艦長、艦隊司令部より入電です!」

「っち……各員そのまま待機!いつでも始動できるよう準備しとけ!……おっけ、つないでや」

「了解しました」

 若い女の通信士はヴォルフラムの艦橋勤務ではいちばんの新人で、惑星TUBOYに降下した捜索隊の隊長を務めていたカデット二尉とはよい仲であった。
 惑星TUBOYから帰還して以降、ずっと沈みがちだったが、ここ数日は少しずつ落ち着いてきているようだった。

 ヴォルフラムに通信を送ってきたのは、次元航行艦隊司令部にて軍令部総長を務める、レティ・ロウランだった。
 彼女はかつての機動六課設立に際してもはやてに協力していた関係があり、またはやて、なのは、フェイトの管理局での就任を事実上推薦した人物であった。

「…………もう一度言ってもらえますか?」

 訝しみを含めて、はやては聞き返した。

 レティ・ロウランから下された指令は、ヴォルフラムは警戒態勢のまま、離床せず港内への係留を維持せよというものだった。
 すなわち、戦闘行動を禁じるという意味である。

 艦橋の窓から、大クモが身体をゆっくりと大きく、上下させているのが見える。
 距離は10キロメートル程度だろうか。
 大クモが動くたびに、その足元で、送電線がショートしているのだろう、閃光と火花が散っている。
 断続的な電撃の光に、運転席部分が潰れたダンプカーの影が見えた。
 大クモが身じろぎするように脚を動かし、はじき飛ばされたダンプカーは他の小型トラックやライトバンなどを巻き込みながら転がっていく。

「今どうゆう状況かわかってるのですか!?またあのバイオメカノイドが出たんですよ!それも、今までにないごっついデカブツです!
あれには生身の魔導師じゃ相手になりません、艦艇を出さないと!」

 レティがこの状況を知らないはずはないだろう。宇宙港での戦闘の報告は上げたし、それに、今いる艦艇もレティの命令に従って出撃しているはずだ。

「それは現在到着している第2護衛隊群をあたらせます。貴女の艦はそのままその場に留まっていてください。今から私もそちらに向かいます」

「だったら!」

「貴女は今戦闘艦橋に?わかりました。八神はやて二等海佐、および巡洋艦ヴォルフラムを、時空管理局次元航行艦隊服務規程違反で謹慎処分に付します。
これは現時刻より有効です。乗員全員上陸禁止、艦内にて別命あるまで待機。今からそちらに向かいます、わかりましたね?」

「っ…………!」

 マイクをつかんだまま、はやては言葉を詰まらせる。
 通信映像に映らない範囲に立っていたエリーが、苦笑いしながら肩をすくめる。

 レコルトとフリッツ、通信士のポルテ・クアットロ三尉は、それぞれの席に座ったまま、神妙にはやてを見上げている。

 ちなみにポルテの苗字は、たまたま同じなだけで、JS事件の首謀者のひとりとされた戦闘機人の少女とは関係ない。

 通信が切れ、ポルテが恐る恐る問いかける。

「ど、どういうことですか?わたしたちが服務規程違反って、それもレティ提督がいらっしゃるなんて……」

「やっぱりバレましたね」

 一方、エリーは涼しい顔で言っている。

 はやてはマイクをスタンドに置くと、肩を落として息をついた。
 考え込むように指の関節を鳴らしてから、再びマイクを取る。

「全艦、警戒態勢を維持。甲板科員は艦載機ポートへ、まもなくレティ・ロウラン提督が来艦される。連絡ヘリの収容準備をせよ」

 沿岸では、大クモに対する護衛艦群の砲撃が始まっている。
 大クモは攻撃から逃れようと動き回っているようだが、ジャンプ力はかなりあるが機動性はそれほど高くないようで、直線的な動きしかできずに護衛艦に回り込まれていた。

 迎撃に当たっている第2護衛隊群の艦は、LS級よりもさらに一回り小さいIS級で、主兵装はパルスレーザー砲だ。
 本級は原則大気圏内での運用のみで、移動の為の虚数空間航行以外は、外宇宙での作戦行動能力は付与されていない。

 大クモのジャンプは高度100メートル近くまで飛べるようだが、飛行能力は無いようで、護衛艦がそれ以上の高度へ上がってしまうと追撃手段が無く、地上から小口径ビームを撃つだけになっていた。
 しばらく宇宙港の更地を歩き回り、やがて、あきらめたのか大クモは海へ引き返していった。
 護衛艦が追撃をかけるが、こちらの攻撃も大クモに対しては打撃力が及ばず、魔導師の砲撃魔法も、護衛艦の魔導砲も、大クモの硬い甲羅にはじかれている。

 海に入った大クモは、海水を派手に飛ばしながら沈降し、海面下に隠れた。しばらく海面は泡立っていたが、数分もするとそれも静かになった。

 クラナガン宇宙港は、ひとしきりの喧騒が去り、再び、火災の煙をくすぶらせて沈黙した。

 大クモが踏み荒らしていった場所から立ち上る煤煙を背に、地上からサーチライトで照らされたヴォルフラムが、空に広がった煙に影を映している。
 日は落ち、クラナガン宇宙港は赤い闇に包まれつつあった。

 はやてはレティを迎えるため、艦載機発着甲板へ向かっていた。ヴォルフラムには連絡機や哨戒機などを着艦させるためのヘリパッドが装備され、大気圏内などで使用される。
 艦橋の当直をレコルトに任せ、はやてはエリーを連れてレティを迎えた。
 護衛の武装隊員二人が両脇を固め、レティは連絡ヘリから降り立つ。
 幹部将官のジャケットを固く締めて着こなし、レティははやてを見下ろした。

 副長であるエリーが乗組員たちを監督するため居住区の入り口に立ち、はやてはレティと共に、人払いをした艦内食堂へ入った。

「座っていいですか」

「ええ」

 椅子にどっかりと腰掛ける。

 レティはしばらく、手を後ろに組んで黙って立っていた。
 それは互いの腹のうちを探り合う時間だ。はやては髪留めを外し、テーブルに置く。
 プラスチックと金属が触れる丸い音が響く。

「まず質問をいいかしら…………メモリーを複製したのは何故?」

 鋭く、余計な言葉を一切添えないレティの言葉。
 はやても怯まず見据え返す。

「惑星TUBOYの真実を知りたかったからです」

「知って、どうするというの」

「次元世界における次元航行艦の最優先任務とは状況の正確な把握です」

 言い切るはやて。
 とにかくここでは、下手に言い繕ってはいけない。それに、はやてには強い信念があった。

 それは、とかく保身に走りがちな上層部に振り回されて、部下の命を危険にさらしてはいけないという思いである。

 JS事件での、初めて自分が率いた部隊である機動六課。
 自分たちが追っていた犯罪者、ジェイル・スカリエッティは、もともとは管理局から仕事を請け負っていた、いわば内部の人間であった。
 自分は部隊長として、正しい情報を部下に渡すことができなかった。

 管理局における、ではなく、次元世界における、とはやては言った。

 ひとたび次元の海に出れば、そこには管理局の束縛もましてや庇護もなく、自分たちの力だけで生きていかなければならない世界がある。
 誰も頼れない、頼れるのは自分だけ。
 海の人間なら、誰もが持っている思いだ。

 ゆえに、苦しみもある。

 かつての、幼い頃の文通の思い出。
 優しいおじさんだった、ギル・グレアムの真意。

 彼の行動も、はやての中では大切な糧になっている。

「フッ……いいでしょう。どのみち、メモリーの検証は貴女たちにもやらせるつもりだったけどね」

「……!」

「惑星TUBOYを拠点とするバイオメカノイド群は既にミッドチルダを発見し、出撃準備を進めている。
偵察機の観測により、戦艦インフィニティ・インフェルノの魔力反応が再び増大しつつあることが判明したわ。
クラウディアも第511観測指定世界にてこれを確認したわ」

「クロノくんの……」

 クラウディアは、厳重な無線封鎖の上、ごく短時間のスピン通信により次元航行艦隊司令部へ日次報告を行っていた。
 その内容に触れることができるのは、司令部でもごくわずかの人間だけだ。

「彼の艦は今、第511観測指定世界にいる。同世界と、第97管理外世界とをつなぐ航路が発見されたからね」

「!──まさか、位相欠陥トンネルを──」

「そのまさかよ。今ミッドチルダ海軍が躍起になって探している、従来の虚数空間経由の航路図を大きく書き換えてしまう隠れ道。
それをミッドチルダと、ヴァイゼンは手中に収めようとしているの」

「っちゅうことは、管理局はミッドとヴァイゼンを──」

 レティは肩をすくめ、目を伏せてから再び鋭く上げた。

「その逆。既にミッドチルダ政府に抱き込まれた勢力がいるのよ」

 はやては息を呑む。
 管理局が各次元世界政府の独走を抑えきれない事態。
 しかも、その相手は次元世界最大最強を自負し、管理局を事実上支配しているミッドチルダである。

「今私の手元で動かせるのはクロノ君しかいないの。彼には、もしミッドチルダの艦から接触があっても絶対に観測データを渡さないように言ってある。
──それに、第97管理外世界の探査任務にクロノ君の艦が派遣されたのは、ミッドチルダ政府からのじきじきの指名なのよ」

「なんちゅう……」

「他の艦は、タテマエは管理局所属でも、もともとはミッドチルダ海軍からの出向だからね。
いざって時にどっちをとるかといったら、それは母国政府をとるのが普通よね」

「つまりミッドが独断で管理外世界に干渉しよると……そして、管理局にはそれを止める強制力がないと、そうゆいはるんですね」

 もし、クロノがレティの命令を忠実に遂行しようとするなら、このまま本局に帰ってくるにはミッドチルダ海軍と一戦交える必要がある。
 レティは、ヴォルフラムの本局への回航と、強化装備の取り付け工事の手はずを進めていると、はやてに明かした。
 LS級は比較的小型の船体ではあるが設計マージンがじゅうぶんにあり、各種装備の追加による能力向上をはかりやすい。
 改装工事によって戦闘力を引き上げたうえで、惑星TUBOY捜索およびバイオメカノイド掃討任務へ派遣することを検討している。

「こうでもしないと、貴女なら我先にと飛び出しかねないと思ったからね」

「そうゆうことですか……」

 はやては自嘲するように椅子に腰を落とした。

 たしかに、先陣を切って大クモに攻撃をかけ、反撃を受けてしまっては修理に大幅に時間をとられかねなかっただろう。
 ヴォルフラムには、もっと活躍してもらいたい舞台があるということだ。

「とにかく、今は可能な限り手持ちの戦力を増やす必要がある。なのはちゃんやフェイトちゃんにも声をかけているし、リンディも呼べれば呼びたいわね。
あとは、クラウディアの帰還に際してミッドチルダ政府がどう出るか。脱出のタイミングを誤ると、私達もこのクラナガンに縛り付けられかねない。
貴女も、下手を打つとクラナガン上空で艦隊戦をやらかす羽目になりかねないということよ」

「わかってます」

「よろしい。サーチャーメモリーの件だけれど、いいデータが録れていたわ。
これは私のところで預かっておく──ヴィヴァーロ君の解析は、わずかの誤差もない完璧な敵戦艦のスペックをはじき出せていたわ」

 レティははやてからメモリーペンを受け取り、持ってきた封筒から辞令を取り出した。
 これは形式的な措置だが、実際にはもう少し、クラナガンに留まる必要がある。

 “12月15日午前0時をもって、LS級巡洋艦ヴォルフラムは時空管理局次元航行艦隊本局近衛艦隊へ編入を命ずる。
 発 時空管理局軍令部総長 レティ・ロウラン”

 食堂が使えないので、エリーは艦の倉庫から持ってきた戦闘糧食の缶メシを皆に配り、乗組員寝室の床に車座になって食べていた。
 こういうところはエリーはなかなかお茶目な顔がある。

「マジでなんなんスかね副長?レティ提督と艦長がサシで話って」

「さあ。たぬき二匹の腹黒話かしら?」

「おっ、出てきた」

 発令所に上がるエレベーターの手前で、レティは待たせていた武装隊員を呼び戻し、艦載機発着ポートへ戻る。
 エリーも見送りに行くため、はやてを追いかける。

 比較的艦橋に近いところで勤務する第1分隊のメンバーからは、はやてとエリーはたぬきときつねコンビとあだ名されていた。

「上陸禁止ってことは、やっぱ休暇取り消しかなあ」

「どうすっかな暇だぞ」

 通常勤務では三交代なので、暇な隊員は集合ベッドが詰め込まれた寝室でごろごろしている。
 彼らも、ひとたび戦闘になれば無我夢中で働くために、休めるときにはゆっくり羽を伸ばす。
 張り詰めすぎて気をもまないように、船の上では皆家族のように親しむ。

 ヴォルフラムのクルーたちも、長くこの艦で暮らし、はやてを本当の親のように、頼れる女将さんのように信頼していた。

 レティが本局に帰る連絡ヘリに乗り込み、飛び立つのを見送った後、はやては幹部乗員たちを再び会議室に集めていた。

 少なくとも、レティは自分たちに協力しようとしている。
 そしてまた、彼女以外の管理局提督には、ミッドチルダ・ヴァイゼン両政府の息がかかっている危険がある。
 レティから知らされた、ミッドチルダ海軍の大規模な出航と、カレドヴルフ社がヴァイゼン政府に納入していた大量の第五世代デバイスの生産情報、これらは、この二つの次元世界が管理局の統制を超えて、軍備を蓄えつつあることを示していた。
 JS事件によって最高評議会が事実上消滅して以降、その名前は組織としては残ってはいるが、もはや最高評議会そして管理局には
次元世界を支配する力はない。

 ミッドチルダ、ヴァイゼン、この二つの次元世界が目指すのは、統一次元世界の発見であり、そして、そのために障害となるであろう惑星TUBOYを殲滅することだ。

 手始めにカレドヴルフ社の船団を派遣して敵の技術を採取しようとし、そしてLZ級戦艦アドミラル・ルーフによるアルカンシェル砲撃で殲滅を試みた。
 そして、出現したバイオメカノイドを退け、今度こそ惑星TUBOYを殲滅し、そして敵の主力旗艦であるインフィニティ・インフェルノ撃沈のため、艦隊を出撃させた。
 彼らは、もはや管理局の統制を離れている。
 第97管理外世界の探索任務から帰還するクラウディアも、彼らからしてみれば、自らが指令したはずの任務から脱走しようとしているとみなすことが可能だろう。
 クロノが、生きて自分たちの前に帰ってくるためには、どんな戦いが必要になってくるのか。

 それははやての胸中に騒ぐと同時に、なのはと、そして、フェイトに、どのように報せればいいのかと、はやてを悩ませてもいる。

 フェイトは、まだどこかで、非情になりきれない部分がある。
 ティアナのことであれだけ動揺していたのに、ここで義兄であるクロノにまでも、もしものことがあれば。
 想像すると気が滅入りそうになる。

「艦隊を出したってことは本気なんですね」

 当直を交代したレコルトが、回航中の艦艇一覧を改めながら言う。
 ミッドチルダ海軍はかなりの戦力を惑星TUBOYに投入するつもりのようだ。
 出撃した艦艇の中にはLZ級戦艦だけでなく、XJR級打撃巡洋艦、RX級戦艦も名を連ねている。

 これらの大型艦は管理局には供出させられず、ミッドチルダが独自に保有している艦だ。

「確かにこれだけの戦力を集めるゆうのは尋常な事態やない。それだけに、連中の腹積もりが読めん」

「どういうことです?」

「どうやって納得させたかゆうことや。艦の乗員だけやない、これだけ大規模な動きをしたら、どうがんばっても国民に隠せへん。
こんだけの艦を集めて、お前らどこへ行く気なんやっちゅうことになる」

「いくらミッドチルダとはいえ、おおっぴらに何処其処の次元世界を攻めますとは言えませんね」

「今んとこ差し迫って問題起こしてる紛争地域も表面上は無いですから……」

 ミッドチルダが(形骸化しているとはいえ)管理局安全保障理事会の決議を受けて紛争地域に軍を派遣するという事例は多くあり、そしてその場合、出撃の様子や現地次元世界での戦闘の様子などはマスコミが大々的に報道する。
 しかし、今回の出撃の場合はそれが全くない。
 はやては腕を組んで、士官用の背もたれの大きな椅子に深く腰掛けている。

「第511観測指定世界への手出しを最初にしたのはCW社ですよね?ヴァイゼンが話をミッドチルダに持ちかけたという線では?」

「あそこは半分国営でやっとるからな、無いとは言いきれへんけど……」

 カレドヴルフ社にしても、新型装備のテストを積極的に管理局部隊へ依頼するなど、コネクション作りには余念が無い。

 現在のところ、クラナガンのマスコミが第511観測指定世界の存在を放送した事実は無い。
 クラナガン宇宙港での戦闘も、ロストロギアの暴走事故とされ、管理局の介入により鎮圧されたと発表されている。
 それはいつもどおりの事件とその解決のプロセスで、あまりといえばあまりにもいつもどおりすぎた。

 それだけに、はやてたち、現場の視点から見ると、もどかしさを感じてしまう。
 こんな発表で誤魔化すつもりなのか、と。

「装備品絡みで攻められると、なのはちゃんとこも危ないな……」

「まあ当面は本艦は動けませんし、それまでに情報を整理しましょう。もし本当にミッドチルダ海軍が惑星TUBOYを撃破して
バイオメカノイドも殲滅できるなら、それはそれで結果オーライですし」

 エリーは軽く言ってのけたが、はやては、それでも一抹の不安を拭いきれずにいた。
 確かに、あれだけの戦力をもってすれば惑星TUBOYを殲滅することはできるだろう。
 また、敵戦艦も完全に機能を取り戻す前に叩ければ、撃沈は不可能ではないだろう。

 だが、本当に彼らがそんな単純な目的で出航しているだろうか?何か別の目的があるのではないだろうか?
 民間企業をも使って、ミッドチルダとヴァイゼンが惑星TUBOYで行っていたことを考えると、楽観的な考えは必ずしもできない。

 エリーがこのように軽く言うときは、本人はその通りに事が運ぶとは思っていないときだ。

 そしてなによりも、日没間際に出現した大クモのように、墜落した輸送船から逃げ出していまだクラナガン近郊に潜んでいる
バイオメカノイドもいる。もし彼らが、人口密集地へ進出すればそれこそ一大事だ。
 現在、フェイトは声をかけられる限りの執務官たちに協力を仰ぎ、市街地の捜索と警戒にあたっている。
 彼らにしても、今回の一連の事件を詳しく知っている者ばかりではないし、機密保持の観点からも、一から説明することも難しい。

 はやてはもう一度、艦橋の窓からクラナガンの街並みを眺めた。

 大陸の沿岸部に位置し、やや突き出た半島状の平地を、完全に地ならしして市街地ができているクラナガンは、見渡す限り灰色のビルの海だ。
 夜には人工の灯りが、地上を星の海のように埋め尽くす。
 地球には、これほど巨大な都市圏は無い。
 東京も、アメリカのメガロポリスでも、クラナガンの規模には及ばないだろう。

 ミッドチルダを軌道上から見下ろすと、クラナガンを中心にした巨大都市圏が、あたかも惑星の中心のように見えている。
 惑星丸ごとがひとつの巨大宇宙船のようなシルエットをつくり、クラナガンはその宇宙船の艦橋のようにそびえている。
 宇宙からでも見えるほどの巨大都市がひとつだけあり、周囲は緑が多く、手付かずの自然が残されている。
 地球に比べ、統一国家が早くに出現したため、人口集中が地球よりも激しい。
 クラナガンの人口密度は東京にも匹敵し、そして郊外部の人口密度は、オーストラリアの大平原よりも少ない。

 15年近くの年月をこの星で暮らし、だいぶん、馴染んできたつもりだった。
 もとより地球に、海鳴市に身寄りは無く、頼りにしてきた人間はみなミッドチルダ出身だった。

 彼らを、できれば助けたいと思う。

 もし彼らに何かがあれば、きっと、他の次元世界の住民に、地球の住民に何かがあるよりも、自分にとってはショックが大きいだろう。
 自分もフェイトのことを嗤えない。
 はやては士官服の胸元に隠しているシュベルトクロイツを、温度を確かめるように握りしめる。

 身ひとつでミッドチルダにやってきて、自分にもたらされた夜天の書のおかげでここまで来れた。そして、これからもこのまま行くしかない。
 それ以外の身の振りを、今は考えられない。
 “それ”が何年後になるかは分からないが、自分はその時まで、最期まで戦い続ける。

 そんな予感が、冬のクラナガンに広がっていた。

 

 

 12月18日、ここクラナガンでも、冬の冷たい風が吹く季節になっている。
 街は今年も同じように、年末の休暇に向けて商店が賑わいを見せている。
 ミッドチルダにはクリスマスのようなイベントはないが、それでも、1年の区切りということで年忘れのパーティと新年パーティはあり、
これらのイベントに際して年末商戦が繰り広げられる。

 高町なのはは官舎を出ると、足早に自宅への道を歩いていた。

 思えばここ数日、ろくに帰らず、局の仮眠室を使う日が多かった。
 教導隊はそれでも、緊急の任務が無ければ基本、定時で上がれる部署ではあった。

 自宅で待つ、愛すべき娘のもとへ。

 玄関を開けて、靴を片付けていたとき、携帯電話が鳴った。
 ディスプレイには、「高町ヴィヴィオ」の名前。
 なのはは電話を取り、友達と遊んできたからもう少ししたら家に着く、というヴィヴィオからの連絡を受けた。
 ヴィヴィオの声を、懐かしく感じた。

 ここ数日、重い事件が連続したせいだろう。

 自分たちが戦っている間も、市民はいつもどおりの暮らしを続けている。
 そのいつもどおりの暮らしを守ることが、自分たち管理局の使命だ。
 なのはにとって、それは娘の暮らしを守ることになる。

 携帯電話に表示される名前も、なのはが自分の電話のメモリーにそう登録したので高町ヴィヴィオと表示されるが、実際はヴィヴィオには
姓は与えられず、「ヴィヴィオ」というのが正式な名前だ。尊称を付けるなら陛下、もしくは聖王ヴィヴィオとなる。
 ヴィヴィオももう14歳だ。基礎教育は終え、今は聖王協会が主宰する高等教育課程に進んでいる。
 いずれ、教会に入る道が示されており、そのための勉強をしている。

 子供は、いつまでも親のもとには居ない。
 いずれ巣立ち、自分の人生を見つけていく。
 ヴィヴィオももう、そんな年齢だ。自分も今のヴィヴィオくらいの年齢では、もう管理局入りを決意し、そのために人生設計を考えていた。
 生涯最大の被撃墜を喫したあの事件からもようやく回復し、教導隊に入ることを考え始めた頃だった。

 ダイニングの明かりをつけ、買ってきたピザの紙箱をテーブルに置く。ヴィヴィオが好きなマルゲリータで、ヴィヴィオも、ピザの
トッピング程度ならばピーマンを食べられるようにはなっていた。

 防音のきいた室内は、静寂に満ちている。

 テレビをつけ、騒がしさが広がり始める。ちょうど合わせたチャンネルでは歌番組をやっていた。

 ヴィヴィオが今通っている、聖ヒルデ魔法学院の中等部校舎からは、なのはの自宅までは40分ほどかかる。
 ヴィヴィオが帰ってくるまであと何分くらいだろうか。
 途中でバスを1本乗り、そこから歩けば、友達と話しながらなら歩きはゆっくりだろう。
 通学路は、住宅街の中を通り抜けるし、特に危ない暗がりなどもない。
 それに、ヴィヴィオには格闘技の心得もあるし、もし不審人物がいても、じゅうぶんに護身できる。
 そう思いながら、ヴィヴィオの帰りを今か今かと待つ。
 途中で、ピザが冷めそうだったのでいったん冷蔵庫に入れた。ヴィヴィオが帰ってきてから、オーブンであたためなおす。

 オーブンの電源コードをコンセントに差し込んだとき、テーブルの上に置いていた携帯電話が鳴った。

 一瞬、胸がすくみそうになった。

 おそるおそる電源コードを放し、振り返る。
 オーブンはキッチンの側に置いてあったので、ダイニングに戻るにはカウンターを回っていく必要がある。
 バイブレーターにセットしていた携帯電話が振動でテーブルの上をすべり、椅子の上に落ちて堅い木の音を響かせた。

「っ、もしもし!?」

 電話口の向こうに、何かの音が聞こえた。何とも形容できない、重いものが引きずられるような音。

「ヴィヴィオ、ヴィヴィオなの?」

『──……ママ、ちょっと帰るのが……なんか、出たの……』

「ヴィヴィオ!?いったい何があったの!?今どこにいるの!?」

 電話の声にはノイズがのっていて、電話機が激しく揺さぶられている音が聞こえる。電話機を耳に押し当てたまま、ヴィヴィオが激しく動き回っていることを示す。

『……オが、……られた……、みんな、……逃げられなく……、そ……で』

「場所を教えて!私も今から行く!」

 テーブルを叩いて身を翻し、壁のハンガーに掛けていたコートを引っつかんで肩にかける。

『公園の坂のところ、下りたとこだよ!ママ、助けて!リオが、変な化け物が出てきて、リオが食べられて、足が、足がない……!!』

 突如、電波がクリアになった。ノイズに覆い隠されていたヴィヴィオの悲鳴が、なのはの耳を貫く。

「っ!ヴィヴィオ、すぐ行くから!」

 コートを羽織り、胸に提げたレイジングハートを起動させる。
 直感ではあったが、バイオメカノイドたちが宇宙港で撃破したものだけで全部ではないというのははやてから聞いていた。
 市街地に入り込んだものがいないかフェイトが探すと言っていたが、まさかこんなに早く現れ、しかも、自分の娘が襲われるとは。
 なのはは言いようのない焦燥感と怒りが湧き上がってくるのを感じていた。

 彼らは、ケモノと呼ぶべきなのだろうか。ヒトのような知能を持たない、本能のまま動くだけの動物なのか。
 そんな物体に、人間は太刀打ちできないのか。

 人里に降りてきて人間を襲うケモノは、哀れむべき存在か、それとも、あくまでも狩るべきものか。

 外の道路に出たなのはは、ヴィヴィオがいつも通学路に使っている道へ向かって走った。
 市街地での飛行魔法の使用は禁じられている──だが、走って間に合う距離か。
 公園の場所はなのはも知っている、ヴィヴィオが小さい頃、フェイトやヴィータと一緒に遊びに行っていた場所だ。あそこは昼間なら近所の主婦や子供たちも来る。
 そんな場所で、ヴィヴィオが謎のモンスターに襲われた。
 もし日中なら、なんの罪もない一般市民が犠牲になってしまう。

「ヴィヴィオっ!!」

 レイジングハートを起動、アクセルフィンを展開し、地上を滑るように移動する。
 高度数十センチを飛ぶような一種の飛行魔法だが、これならば飛行魔法の取締装置には引っかからない。
 公園を囲む茂みのそばに、へたりこんでいるヴィヴィオが見える。茂みの陰になっているが、倒れた子供の足が見える。

「ヴィヴィオ!」

「ママっ、リオが、リオがあっ!!」

 泣き叫ぶヴィヴィオの声に、なのはは息を呑んだ。
 倒れた子供のように見えた足は、太ももから上の部分が無かった。

 強烈な気配に、視線を斜め上にやると、あの宇宙港で見たのと同じ、大きなスライムが、夜の闇の中に蠢いていた。
 スライムの体表は透明性があり、街灯の明かりが頭部を透かして見えている。
 大きな眼球を繋ぐように配置されている神経のかたまりは、脳の役目をしているものだろうか。
 よく見るとスライムの腕部分は、機械のアームを埋め込んだような形状になっており、そこにどこで拾ったのか、市販の標準デバイスを装着して砲塔のように仕立てていた。

 スライムの頭部らしき場所に眼球はあるが、口のような構造はない。
 それでも、スライムに身体半分を埋めた子供の姿が見えた。
 ヴィヴィオと初等部の頃からの親友だった、リオ・ウェズリー。
 彼女の持っていたはずのデバイスが、スライムの体内でバチバチと魔力のスパークを上げている。

 なのははヴィヴィオの前にかばうようにして立ち、レイジングハートを構える。
 相手はリオを抱えたままなので、このまま撃てば彼女を巻き込んでしまう。
 だが、スライムに咥えられたリオの身体は、既に右足がなく、腹部も食われて背骨しかない。
 ちぎれた服と思しき布切れが、スライムの体内で粘液の中を漂っている。

 スライムが立ち上がる。それは、完全な二足歩行型のモンスターのように見えた。
 身長は5メートル近い。全身が青い、結晶状の身体をしていて、硬い体表面の中に、ジェル状の粘液が満たされている。
 この粘液は、宇宙港での戦闘でスバルが浴びたものと同じだ。
 スライムの体内で、リオの身体の、顔の表面の辺りから黄色い液が流れ出して、頭と腕のように見える部分が溶けて細くなっていく。

「やだあああっ!!とけてる、脳が溶けてるよお!流れ出て、飲んでるんだ!」

 ヴィヴィオが涙声で叫ぶ。
 もはやリオを助けることはかなわない。ならば、ここは全力で敵を倒すしかない。

「ヴィヴィオ、他の子たちは!?」

「コロナは、逃げた、アインさんはっ今日は別で、でもっ、でもっ」

「わかった……」

「ママ、早くアイツをやっつけて!リオのかたきをとってよう!」

「────!」

 ヴィヴィオも悔しいはずだ。幼い頃から、鍛錬は積んできたはずだった。しかしそれは、ただのスポーツだったのか?
 実戦では役に立たないものだったのか?
 情けないが、今の自分は無力だ。聖王などと崇められながら、自分には何の力もない。それが悔しい。

 だからせめて、自分の感傷のせいで、自分を助けようとしてくれている人を邪魔してはいけない。

 ヴィヴィオの心の中に、生まれた感情は、それは適切な諦めと敵の殲滅を目指す冷酷な判断だった。

 なのははレイジングハートをスライムに向け、ディバインバスターのチャージを開始する。
 魔力を充填させて光を放ち始めるレイジングハートの金色の加速レールの先に、関節を折られて飲み込まれつつあるリオの身体がある。
 あの粘液の中では服よりも肉が先に溶けるようで、残った筋や腱が服に絡みつき、肋骨が背骨から外れて漂い始めている。

「ディバイン……バスター!!」

 発砲と同時に、スライムの身体は一瞬で体液が沸騰し、硬い結晶状の甲羅も破裂して、水蒸気爆発を起こして粉々に砕け散った。
 シールドを展開し、強酸性の粘液への接触を防ぐ。バリアジャケットを装着しなかったので、レイジングハートの排気を浴びたコートの毛皮が、熱でちぢれたように乾いている。

 スライムの体内からは、やはり制御ユニットらしき金属の粒が出てきた。
 直径は0.5インチ程度だが、表面にはマイクロマシンの接続端子と思しき紋様が刻まれ、おそらくこれでスライムを制御していると思われる。
 このユニットに記憶されているプログラムを解読できれば、バイオメカノイド群の制御の仕組みがわかるかもしれない。

 なのははヴィヴィオの手をとって立たせ、深く抱きしめた。

 彼女はつらい決断をした。自分を守るためだけでなく、愛する母の為に、友人を見捨てる決断をした。
 後からなら何とでも言えるし、なのはにしてみれば、あのスライム相手に徒手空拳で挑むのは自殺行為、ということは理解できる。
 でも、ヴィヴィオはまだ何も知らない。
 この事件をきっかけに、知っていかなくてはならない。

 かけがえのない友人の命を失って、ヴィヴィオは、自分の力をもっと強くしたい、強くなりたいと願っていた。
 リオを生き返らせたい、ではない。失われた命が戻らないことはわかっている。
 だから、命を失わないように、命を失わせないように、強さを身に付けたい。
 自分の母親たちは、そう思って毎日厳しい訓練を積んでいたはずなんだ。
 だから、自分もきっと同じことが出来る。

 時刻は深夜11時になっていたが、通報によって駆けつけた警察による現場検証のため、なのはとヴィヴィオは公園に残っていた。
 なのははヴィヴィオにコートを着せ、寒さをしのげるようにする。

 ディバインバスターを浴びて飛び散ったスライムの破片は、地面に落ちると干からびた粘土のようになっていた。それを警察官たちが慎重に拾い集めている。
 リオの遺体も、付着したスライムの粘液によってまだ燻って発熱しており、バインドを使って手を触れずに運ばなくてはならなかった。
 しばらくして、公園内の水路のふちに、強力な酸でコンクリートが融けている箇所が見つかった。
 おそらくスライムは海から水路を経由して公園に入り込み、ここから陸に上がったと予想された。

 ヴィヴィオは警官のひとりが持ってきてくれたホットココアの缶を握り締め、じっとうつむいている。

 なのははその隣で、ヴィヴィオの膝に手を置いて、じっと肩を寄せ合っていた。
 ヴィヴィオは11歳ごろから背が伸びはじめ、14歳になった今はもうなのはの身長を追い越している。
 中等部に上がるくらいから、このようなスキンシップはどちらからともなく避けていた。
 ヴィヴィオも、もうそんなに甘えるような年頃ではないと、お互いに思うようになっていた。
 でも、今は、人肌が恋しい。
 肌の体温を、生きている命の温度を確かめたい。
 目の前で、異様な姿をしたモンスターに親友を食い殺された。

 リオの亡骸は、冷たくなるとかそういう感傷を許さないように、強酸によって溶けて焦げ、血の臭いが混じった刺激臭のする煙を噴き上げている。

 

 フェイト経由でこの事件を知らされたスバルは、港湾救助隊の病院のベッドの上で、悔しさに拳を握り締めていた。
 見舞いに来たノーヴェが、頬をひくつかせて感情をこらえている。
 スバルは大事を取って入院してはいるが、すぐにでも皆のもとへ駆けつけたい気持ちで一杯だった。

 ノーヴェは、やがて感情を押し留めようとするようにスバルの左足を、包帯にくるまれてギプスで吊られている左足をそっとなでた。
 スバルの左足はバイオメカノイドの体液を浴びた生体組織の変質がひどく、膝から下を切断していた。
 義足の在庫がちょうど切れていたというので、新しいフレームを作るまでは杖でカバーするしかない。
 さらに生体組織の再生にはもっと時間がかかるので、それまでの間は左足は完全な機械パーツになる。

 同様に体液の滴が付着した頬も、フッ酸による火傷で皮膚が爛れ、肉がこぼれ落ちないように支える金属プレートと包帯で、顔の半分近くを覆う形になっていた。
 年若い少女の顔が、大きく傷つけられたことになる。
 右腕と胸部はバリアジャケットの強度があり比較的ダメージは少なかったが、それでも皮膚は焼け、乳房に大きな火傷痕ができていた。

「ちくしょう……なんでスバルがこんな目に……それに、リオちゃんまでやられちまったなんて……!」

 肩を震わせてノーヴェは呻いた。
 ヴィヴィオと友人たち、リオ、コロナ、アインハルトは、聖ヒルデの初等部の頃からノーヴェと付き合いがあり、みんなで温泉旅行に行ったり、シューティングアーツの練習や試合を行った仲だった。

 先日の宇宙港での戦闘の際には、ノーヴェはたまたま別の現場に行っていた。
 直接あのバイオメカノイドたちの姿を見なかったので、ノーヴェにとっては、スバルがこれほどまでに深手を負わされたというのが、にわかに信じがたいことであった。

「それはそうと、ノーヴェ、こないだ行ってたあの発電所はどうなったの」

 2週間ほど前、北部ミッドチルダにあるアレクトロ社所有の魔力炉発電所にて火災事故があり、特別救助隊が出動していた。
 かねてより行われていたアレクトロ社に対する一連の破壊工作との関連性が指摘され、フェイトもクラナガンからとんぼ帰りする形で現場の発電所に赴き、捜査を行っていた。
 以前の変電所での事故の際に発見された不思議な死体が、この施設でも見つかるかどうかをフェイトは注視していた。

 果たして、死体は見つからなかったが、それでも、あの緑色の小人に由来すると思われる遺留品が見つかっていた。
 緑色の小人が、発電所の機器を壊そうと手を触れていた痕跡が見つかったのだ。
 独特の細長い指紋に、粘性の高い体液、そして構造色を含んだ緑色の皮膚の小片。
 これだけの物証が見つかればもう間違いない。この発電所に、緑色の小人が侵入していたことは確実だ。

 この個体が、クラナガンで鑑識官を殺害した個体と同一であるという証拠はないが、距離からいってもおそらく別の個体であろうと思われる。
 クラナガンにある管理局のオフィスと、今回事故のあった発電所は直線距離でも約280キロメートル離れており、また鉄道などの交通機関を利用したのであれば目撃情報があるはずだ。そのような奇妙な人間を見たという証言は今のところない。
 また、彼らが独自の乗り物を使っていたとしても、空高くを飛べば航空管制レーダーに引っかかるはずだが、そういった正体不明の飛行物体をとらえたという報告も、今のところ上がってはいなかった。

「わっかんないよ。フェイトさんも何も言ってくれなかったし、なんか本部から執務官がおおぜい来てなんか調べてたよ、あたしたちはずっと死体運びばっかりで」

「おおぜい?」

「5人くらいいた、フェイトさんの他には、黒服着たやつもいて、そいつもなんか本局の人間らしいけど」

「そう……たしかに、宇宙港に出た化け物の正体はフェイトさんが捜査してるって言ってたよ、だからその関係があるんじゃないかな」

「でもさ!」

 ノーヴェはベッドから降り、スバルの枕元に手をついて声を荒げる。

「あの現場はおかしいよ!だって、火事だなんて言って、あれは、魔力炉の圧力容器が開放されてたんだよ、魔力素が漏れて、施設の作業員が、リンカーコアが魔力中毒を起こして……」

「ナカジマさん、申し訳ありませんがお静かに願います、他の患者さんもいますので」

「ノーヴェ、落ち着いて、私はちゃんと聞いてるから」

 ナースが注意しに来た。
 ぐっとこらえて、ノーヴェはしばし項垂れた。

 フェイトは、問題の発電所での事故は、火災を起こしたのはカムフラージュのためで、本命は緑色の小人の仕業と推測される魔力炉圧力容器の故意の開放だと推理していた。
 既に判明しているとおり、魔力資質のない人間でもリンカーコアそのものは体内にあるので、魔力素による中毒事故は魔力資質のあるなしにかかわらず起きる。
 高濃度の魔力素に曝される発電所作業員にはリンカーコア絡みの疾患が起きやすいというのはわかっていたが、このように直接、大量の魔力素に触れてしまうと、リンカーコアが過剰反応を起こして肉体が内部から燃えて焼きあがってしまう。
 ちょうど、重粒子線ビームを浴びたように、一瞬で身体全体が黒焦げになってしまう。
 もはや救助というよりは残骸撤去の様相を呈していた。
 アレクトロ社は発電所建屋を穿孔して強制排気を行い、内部に充満した魔力素を抜き取ってから作業員を突入させた。
 ノーヴェたち特別救助隊が現場に入ったときには、凄惨きわまる光景が広がっていた。
 作業員たちは一瞬の苦しみさえなかったのだろう、まるで影になって壁に張り付いてしまったかのように、生前の姿勢を保ったまま、炭化していた。
 圧力容器を覆っていたヘッドカバーは噴気で大きくひしゃげていて、そこから噴き出した高温蒸気を浴びたと思われる作業員の遺体は、黒いガスと化して吹き飛び、壁に黒い人型の染みをつくっていた。
 人間が死んだ、とさえ思えないような、人の形をした肉が焦げただけ、といってしまえるような光景だった。

 現在、ミッドチルダをはじめとした次元世界で広く使われている魔力炉は電磁誘導式である。
 これは加圧した魔力素を電磁石コイルの中にくぐらせることで電力に変換するものである。
 魔力素は陽電子と非常に密接なつながりがあることが知られており、電気への変換は機械を用いて比較的簡単に行える。
 魔力素を人間が利用しやすい形に変えることで、魔法を構築することが可能になっている。
 発電用に加圧された魔力素は非常に大量の電荷と熱エネルギーを持っており、人間が触れると容易に放電・発火を起こす。
 そのため、発電用魔力炉においては魔力素が漏れ出ないよう、堅牢な圧力容器に炉心となる発電コイルを収めることが必要になる。

 この圧力容器には、内圧が上がりすぎたときのために緊急排気を行う弁がついているが、これが突如開放され、大量の魔力素が建屋内に噴出した。
 魔力素によって建屋内の温度、放射線強度が急激に上がり、人体が瞬間的に脱水、干からびて炭化した。
 高熱は建屋の外壁を発火させ、周囲には火災のように見えていた。

 吹き飛んだ圧力容器の部品を回収して調べた結果、安全弁が人為的に外されていたことが判明した。
 しかし、この操作を行ったのは人間ではない。
 もし人間がこの弁を外したのならば、弁が外れた瞬間、噴出する魔力素で身体が焼けてしまう。
 素手で外せるような部品でもないので、道具を使えば付近の容器や梁材にその跡が残る。
 配管に付着していた体液の痕跡から、この弁を外した者は、高粘度のジェル状物質を塗りこむことで弁を溶かして腐食させ、時間を置いて外れるように仕掛けていたことがわかった。
 そのジェル状物質が、クラナガン宇宙港での戦闘で撃破されたバイオメカノイドから発見されていたものと成分が一致した。

 この発電所事故が起きたのはクラナガン宇宙港での戦闘よりも3日前、12月5日のことである。

 フェイトは、アレクトロ社施設での事故とクラナガン宇宙港での事件は、同一の背景により、同時並行的に起きたと推測した。

 これまで、惑星TUBOYから帰還したカレドヴルフ社の輸送船団によって初めてミッドチルダにバイオメカノイドがもたらされたと思われていたが、実際にはそれよりずっと前から、バイオメカノイドがひそかにミッドチルダに持ち込まれていたことになる。
 緑色の小人は、バイオメカノイドに封入されているスライムを扱う技術を持っており、これをアレクトロ社への破壊工作に使用していた。
 もしくは、この緑色の小人からスライムの扱いを教わった人間ないし組織が存在する可能性がある。

 少なくとも、アレクトロ社に絡んだ事件に見え隠れしている“緑色の小人”と、惑星TUBOYに由来するバイオメカノイドとの間には、なんらかのつながりがあるとみて間違いないだろう。

 

 

 スバルは脚の傷がふさがるとすぐに歩行訓練を始めた。特別救助隊の任務の性格上、現場で陣頭指揮を執れなければ話にならない。
 そのため片腕がふさがってしまう通常の松葉杖は使わず、左脚に支え棒を装着する形にした。
 マッハキャリバーの装着を行えるように、義足に補強をはめて、フレームが折れないようにする。
 病院のリハビリ室を使って、手すりにつかまりながら右足だけで歩く練習をする。
 車椅子を使っている両足のない老人が、お嬢さん若いと元気でいいね、と微笑んでいた。

 ノーヴェは当直が終わるとすぐに病院に来て、スバルのリハビリを手伝うと言った。

 例の老人も、妹さんかい、仲がいいね、と言って、ノーヴェは少し照れていた。

「使い方さえ慣れればすぐに復帰したいよ、本チャン用の義足も今発注かけてるって」

「あー……、それなんだけど」

「なにノーヴェ?」

「シャーリーさんっていただろ、六課のとき、装備品の管理をしてくれてた……あの人から今朝連絡があってさ、マッハキャリバーの術式を改造して、脚を形成するようにできるっていうんだ。
義足の代わりにマッハキャリバーを直接、左脚の代替にするって」

「ほんと?そういうことできるんだ」

 ノーヴェの返事はどこか歯切れが悪かった。スバルは手すりから手を離し、ほらもう立てるようになった、と両手を広げてみせる。

「なんか浮かないみたいだけど」

 スバルは笑顔をつくってみせるが、頬が包帯で覆われているおかげで片目しか動かせず、引きつったような表情になってしまっている。
 もちろん本人は普通に笑っているつもりでも、顔の所作がそれについてこれない。

「どうして、だよっ……どうしてそんなにできるんだよ、スバルの顔、からだが、こんなになっちまって……一生、治らないかもしれないのに!
ゲンヤ父さんだって、もしスバルがお嫁にいけなくなったら……!」

「……ノーヴェ」

 スバルはノーヴェを抱き寄せる。消毒薬と包帯の臭いが鼻をつき、病院の空気に意識が飲み込まれそうになる。

「元気にしようよ。少なくとも私は今こうして不自由なく動き回れる。
気にしてばかりじゃ始まらないよ。命があるだけでも幸運だって思わなきゃ……命さえあれば、また立ち上がれる。それを忘れないで」

「うん……」

「今は形成治療も進んでるから、大丈夫、必ず治せるよ」

 野戦現場で魔導師が使う治癒魔法は、基本的には代謝を加速させるものなので、損傷した肉体を治すためには同時にエネルギーの補給も行わなくてはならない。
 代謝加速を単体でかけると細胞分裂のためのエネルギーが足りなくなり、アポトーシスを引き起こして結果的には肉体が壊死してしまう。
 精密な治療には、いずれにしても設備の整った病院で、外科手術による処置が必要だ。

 

 

 シャーリーは、重傷を負ったスバルの報せをシャマルにも持ち込み、協力を仰いでいた。
 レティが進める独自戦力の確保のため、元機動六課メンバーに声をかけていたのだ。

 シャマルはシャーリーと協力して、マッハキャリバーの改造に取り掛かっていた。
 スバルが習得しているのは近代ベルカ式魔法であり、マッハキャリバーもAIを積んではいるが構造的にはアームドデバイスに近いため、ベルカ式の強化手法が使える。
 実際、古代ベルカの騎士たちにおいては、戦闘で欠損した手足を補うためにアームドデバイスを使用するというのは普及していたやり方である。
 シャマルも、過去の主に対してそのような措置をとったことがあった。

「大腿部にパッドを巻きつけて支える形がいいと思います。
スバルの戦闘スタイルだと、打撃に使用するのは足の甲から先なんで、マッハキャリバー自体の慣性制御システムを応力吸収に使えます」

「外見は甲冑のようになるから、それほど違和感はないと思うわ」

 シャマルもしばしば、次元犯罪者との戦闘で重傷を負って担ぎ込まれる武装局員の姿を目にする。
 彼らの中には、自費でアームドデバイスを購入し身体強化を行っている者も少なくない。
 医務官という職業柄、前線で戦う人間から色々な話を聞く機会も多い。
 彼らが話すのは、いずれも、魔法技術が進歩すれば犯罪者の使う武器も進歩するので、結局のところ魔法があるからといって自分たちが絶対有利という状況にはならない、ということだった。
 武器が強力になっているので、大ダメージを負う危険も増える。
 ある年配の武装局員は、自分が管理局に入った頃と比べて個人携行型デバイスの破壊力は明らかに向上している、と語った。
 現代の最新型魔導デバイスは、高密度プラズマや重粒子線ビームを当たり前のように撃つことができ、これを被弾すれば人間の手足など一瞬で蒸発する。
 小口径の弾丸でも、銃創は体内の深くまで熱線を到達させ、焼かれて死んだ組織を摘出するなど治療も困難を極める。
 また、昔であれば人間が持つことなど到底出来ないような大型の魔力機械でないと撃てなかった魔法も、拳銃サイズの魔導デバイスが軽々と発砲できるようになっている。

「質量兵器禁止の言い分も──こういうのを見ると一体なんなのか、って思うわね」

 重傷者の治療や殉職者の引き取りをするたびに思っていたことだが、シャマルはまた言葉に出した。

「建前はやっぱり大事ですよ」

「それはわかるんだけど……」

 実際、質量兵器と魔法兵器の線引きは限りなく曖昧だ。
 いわゆる大量破壊兵器の禁止であれば、第97管理外世界における核兵器の扱いとまったく同義であるし、またミッドチルダにおいては生物化学兵器については規制がない。
 召喚獣や使い魔などの存在もあり、使役動物を戦闘に利用することが広く行われていたため、そういった所謂ところの“生物兵器”に対しては人々の忌避感がもともと少ない、という事情もある。
 大出力魔法に関する規制も、魔導師ランクに基づくライセンス制度が敷かれてはいるが、在野の魔導師に対して無免許での魔法使用を防ぐ手立ては事実上なく、管理局もしくは各国軍警察所属の武装魔導師による実力行使でもって制圧している、という状況だ。

 魔力さえあれば、大掛かりな設備がなくても子供でも撃てる。
 兵器としての危険性からいうならば魔法のほうがはるかに危険である、というのは、もはや周知の事実である。

 それゆえに、管理局としてはあくまでも大量破壊兵器の所持・使用・製造の禁止として質量兵器規制を運用している。

「あくまでも武器規制のための方便、ってことですよ。質量兵器って言葉が使われ始めた頃は、魔法がまさに新時代のテクノロジーって感じで、これまでの武器とは全く別物、ってとらえられてましたからね。
魔法兵器に対する旧時代のテクノロジーをあらわす概念として質量兵器って言葉は生まれたんです。たとえ魔力が使われてても質量兵器と呼ばれるモノだっていくらでもありますし」

 カレドヴルフ社が開発した自律戦闘マシン群にしても、機械構造や駆動システムそのものに魔力は用いられていない。
 人型を実現するための高強度の確保などについては魔力で強化された金属を使っているが、それだけだ。
 しかし、この戦闘マシン──アーマーダインは、質量兵器とは呼ばれない。

「“危ないから禁止”ってわけじゃないんです。軍備を管理する名分さえ立てばよかったんですよ」

「それと同時に、魔法兵器に関する技術を独占することで他世界の軍備を削いでいく……と?」

「魔法兵器を最初に実用化したのはミッドチルダですから」

 シャーリーは、軍学校で近代戦史を学んでも、このあたりの経緯をまじめに考察する学生はほとんどいない、と言った。
 あくまでも教科のひとつとしてこなすだけで、実践で役立つ知識ではない、と捉える者が多い。教師も、カリキュラムに入っているからというだけで、あまり時間を割いて教えたりはしていない。

 夜天の書の守護騎士システムとして、数十年ごとに途切れた断続的な記憶を持つシャマルたちにとっては、ある主のもとで覚えた世界観が、次の主の生きている時代ではまったく様変わりしている、そんな状態を何度も経験している。
 質量兵器に対する一見ちぐはぐな扱いも、他の人間たちとの認識のズレが時折見え隠れする。

「だいたいからして質量兵器の所持使用なんて、ほとんど別件逮捕の材料くらいにしか適用されてないんですよ」

 次元世界の現状を踏まえて、実質、質量兵器の所持それだけで罪に問われるというケースはほとんどない。
 たいていは、既に何か別の容疑によって追われている者を、緊急逮捕の要件として質量兵器所持を適用するというケースだ。
 魔導デバイスと質量兵器は、見た目での区別はできないし、待機状態への変形機能などは別として、武器としての機能、性能に違いがあるわけでもない。
 質量兵器が、同クラスの魔導兵器に比べて特段強力というわけでも扱いやすさに優れるわけでもない。
 それこそ単に呼び名の問題である。

 シャマルたちが今行っているマッハキャリバーの改造も、素材は金属であるので、それを足にはめて使用するのであれば、刀剣や打撃武器との区別はつかない。
 シグナムの使うレヴァンテインや、ヴィータの使うグラーフアイゼンも、それぞれ、剣、ウォーハンマーの形をしており、それが魔力で形成されていることを除けば、素材はまさしく鋼鉄である。
 それは溶鉱炉で鉱石を溶かしてつくっても、魔法で形成しても、できあがるのは同じ鉄だ。
 さらにいえば魔導デバイスの場合、あらかじめデイス製造時に練成した分の金属以外は形成することができない。それを超えて損傷してしまうと自己修復ができなくなる。
 これはアームドデバイスでもインテリジェントデバイスでも同様である。
 搭載容量に余裕のないインテリジェントデバイスの場合、金属パーツはごく薄く形成され、構造強度はほとんどが魔力によって担われることになる。

 デバイスがこれら、大重量の金属を内部に構造材として持ち、また格納できるのも、次元干渉能力ゆえである。

 改造マッハキャリバーには、義足部分を維持するための魔力源として魔力電池が搭載された。
 日常生活であれば数時間程度の充電ですむので、就寝時などに取り外してチャージしておけばよい。
 戦闘時には迅速な交換ができるよう、ワンクリックでイジェクトできるようにしておく。
 万が一の際はバッテリーを強制排出することで誘爆事故を防ぐ。

 シャーリーはさらに、現在管理局が調達中である新武装“SPT(スタンドアロン・サイコ・トラッカー)”についても、なのはたち、元機動六課メンバーへの優先配備をしたいと言った。

「でも、そのSPTっていうのはカレドヴルフ社の製品なんでしょう?何かよくない仕掛けでもついていたら」

 これにはシャマルも懸念を示す。
 それに、CW社はSPTを管理局にのみ提供しているわけではない。ミッドチルダ、ヴァイゼンをはじめとした大国の精鋭部隊への納入、また紛争当事者である次元世界政府軍などへのセールスも行われている。もちろんそれは第五世代デバイスでも同様である。
 場合によっては、SPTを装備した次元世界軍との交戦の可能性もある。
 そうなった場合、生身の魔導師との戦力差がどれほどのものになるかというのは、なのはやフェイトのような高ランク魔導師をもってしても非常に厳しいと予想される。

「そこはね……。ただ、これはレティ提督の直轄してる部署じゃないんだけど、フェイトちゃんのコネでね、執務官を何人か、CW社に内偵に入れる方向でやってるみたい。
たぶん向こうさんも、何から何までヴァイゼン政府のいいなりってわけにはいかないだろうし」

「だといいけどね」

 ほとんどシャーリーの個人部屋と化している研究室で、シャマルと二人で、マッハキャリバーの術式のコーディングを続ける。
 戦闘用術式のビルドは通常数ヶ月をかけて入念にテストを行うが、今回はそれほどの時間的余裕はない。
 しかしだからといって品質は落とせない。シャーリーも、寝食の時間を削って、スバルたちのために仕事を行っている。

 

 

 クラナガン郊外の、やや高台になった丘の上に、円柱形のドームが数棟建てられている。
 ミッドチルダ国立天文台が所有する、口径3.6メートルの反射望遠鏡だ。
 ミッドチルダにおける地上設置型の望遠鏡としては最大級のものとなる。
 この望遠鏡は、ミッドチルダの天文学の最前線として、また衛星軌道上に置かれた宇宙望遠鏡が運用され始めてからも、ミッドチルダ人類の宇宙への憧れの象徴として聳えていた。

 その天文台を、ユーノ・スクライアは単身訪れていた。

 かねてより行われていた、深宇宙探査に関する資料を無限書庫より捜索するプロジェクトがようやくひと段落つき、進捗報告のためにこの天文台で台長を務めるクライス・ボイジャーのもとを訪ねることになったのだ。
 通常、無限書庫司書長が自らクライアント個人と会合を持つことはまずない。
 対外的な業務は他の専門の司書に任せていた。
 このプロジェクトは、それだけ、ユーノとこのクライスとが、管理局の目を避けて極秘に、個人的に調べようとしていることを意味する。

「やはり位相欠陥トンネルは実在するということで間違いはないのですな」

 資料をざっと一覧し、クライスは眼鏡をなおしながら言った。
 ユーノもうなずく。

「ええ。古代ベルカ時代からの肉眼でのものも含めて観測記録を洗いましたが、次元を超えて航行する者は、虚数空間からたどり着けるチューブのような航路があると言い伝えています。
これがおそらく、位相欠陥トンネルをさしていると思われます」

「その航路が実在するのならば、アルハザードもまた実在すると──」

「でしょうね。アルハザードとは、位相欠陥トンネルに阻まれて観測が困難になっている領域と考えることができます。
古代ベルカ当時の航海技術では、たとえこの位相欠陥トンネルを発見したとしても進入することは不可能だったでしょう。
あるいは、サルガッソーのように呼ばれ、船乗りからは避けられていたかもしれません」

「従来の次元航行艦ではたどり着けない複雑なトンネルを抜けなければならない場所、と……そうなると、それを探検したくなるのは人情というものですな」

 探険家たちがスポンサーを得る方法としてもっとも多いのが、このアルハザード探索である。
 一種の宝探しのように考える好事家も多く、政府などが断った場合でも個人的に出資を行う者も中にはいる。

「われわれが発見したこの大規模な超空洞──“エリダヌス渓谷”が、あるいはアルハザードへの道かもしれませんな」

 ユーノは鞄から一枚の模造紙を取り出し、机の上に広げた。手書きで書き込まれた各次元世界の連結通路と、航海の目印になる明るい星の位置が散らばっている。

「現在、ミッドチルダから惑星TUBOYへ向かう航路はこれです。次元航行艦であれば1日かからず行けます。
この航路では、虚数空間を2回通過するのですが、この2回目の通過──ここは多数の連続小ワープを行い、実はここがこの航路でもっとも時間がかかる場所なのです。
この航路の所要時間を往復36時間とした場合、そのうちの28時間はここを通過することに費やされます」

「最短距離ではあるが区間的に非常に時間のかかるポイントが存在する、と」

「これは僕の推測ですが、実はこの惑星TUBOYこそがアルハザードの正体ではないかと考えているのです」

 大型の光学望遠鏡は、換気装置による強制送風すらも許さない。
大気の揺らぎによる解像度の制限を避けるため、望遠鏡がおさめられたドームは自然循環を極限まで突き詰めた設計になっており、望遠鏡を動かすとき以外は、建物の端から端まで、人が歩く足音が聞き取れるほどだ。
空気が澄んで冷える夜は、ふもとの街の雑踏が、ざわめきを丘の上まで届ける。

「────その根拠をお聞かせ願えますか」

 ユーノは軽く咳払いをし、鉛筆を取り出して模造紙に「#511」と書き込む。

「まずこの探査機ガジェットドローン#00511ですが、これは外宇宙に同機種16機がいっせいに放出されたものです。
惑星TUBOYに向けた軌道をとった探査機はこいつだけです。このことからも、この世界──第511観測指定世界は、当初は重要視されていませんでした。
何しろ恒星や惑星の数が少なく、星間物質も少ない、“枯れた宇宙”でしたからね。しかも、この探査機ガジェットが最初に通過したのはエリダヌス渓谷を回避した、長大な楕円軌道を取る航路です。実際、打ち上げから到達まで7年を要していました。
途中で何度もワープを繰り返していたにもかかわらずです。つまり現在のエリダヌス渓谷航路が発見されるまでは、この第511観測指定世界は事実上到達不可能な世界だったのです」

「──そしてその世界に存在する惑星に、惑星ひとつ丸ごとという史上最大規模のロストロギアが発見された──」

「そのとおりです、ボイジャー台長」

 かすかな身じろぎで、テーブルに置かれたコーヒーカップが波紋をつくる。

「惑星TUBOYで発見された“もの”は、従来のロストロギアの範疇に収まらないものです。
つくりは精緻とはいえない原始的なものですが、それゆえに、技術としてより源流に近いといえます。
ジュエルシードやレリックなど、現在発見されているロストロギアのすべての祖先がこの惑星TUBOYにあると考えられます。
先史文明人の扱っていた物質、装置などです」

 クライス・ボイジャーは、宇宙論研究者たちの間では古風な昔かたぎの天文屋、という印象が強かった。
 だが、それは妥協無く理論の構築と観測を続けてきた故でもある。
 もともと天文学者には風変わりな人間が多く、それが突飛な発想から新たなひらめきを生み、そして理論の発展がもたらされている。

 天才のひらめきとは、無限書庫のような巨大で複雑なデータの塊の中から、一瞬で必要な情報を取り出せるという意味だとユーノは考えている。
 ヒトの脳が記憶することのできる情報量は無限に近いともいわれ、しかし、実際にヒトが扱える情報量はコンピュータやインテリジェントデバイス等と比較してもずっと少ない。
 無限書庫を整理するためのヒントをも、クライスが与えてくれたとユーノは思っている。

 自分の専門分野である考古学とはあまり縁がないと思っていた現代宇宙論だが、ユーノはこれをきっかけにクライスとやりとりをするようになり、また宇宙論を少しずつ独学で学び始めていたのだ。

 そして、惑星TUBOYと第511観測指定世界の発見。
 ロストロギアと思われていた惑星TUBOYから発見された謎の巨大戦艦、バイオメカノイドたち、ここから、ミッドチルダをはじめとした次元世界人がずっと追い求めていた、伝説の地アルハザードの実像が、思わぬところから浮かび上がろうとしていた。

 

 

 第97管理外世界、現地次元世界住民が“地球”と呼ぶ惑星。
 ソビエト連邦バイコヌール宇宙基地よりプロトンL型ロケットを使用して、1機の宇宙探査機が打ち上げられた。
 本機はアメリカのアレスⅤや、過去に開発されたエネルギア、サターンⅤに匹敵する打ち上げ能力を持ち、大重量の大型宇宙機を直接太陽系脱出軌道へ投入することが可能である。

 西暦2023年6月14日、宇宙探査機“ボイジャー3号”は、地球を飛び立ってエンジン出力を最大まで使い切り、太陽系脱出軌道に乗った。
 打ち上げから2時間後には──この時点ではまだ探査機本体はロケットから分離していないが──月を通過し、太陽系をほぼ横断するような格好で木星へ直行する。
 そのまま木星でのスイングバイによって加速し第3宇宙速度を突破、軌道を約60度変えてオリオン腕を南へ向かう軌道に乗る。

 これは46年前にアメリカが打ち上げた、伝説的な惑星探査機の名にちなんで命名された。
 ボイジャー1号、2号の両機はともに、既に太陽系を脱出して恒星間宇宙へ進出している。

 探査機打ち上げを担当したのはソ連だが、このミッションに先立って、アメリカ航空宇宙局(NASA)は、宇宙から発信されてくる不思議な信号をキャッチしていた。
 それは、かつてアメリカ自身が打ち上げた惑星探査機に積まれた信号とまったく同じビットパターンを持っていた。

 異星人からの返信が来たのか。もちろん、そう決め付けるのは安直というものである。何しろ、仮に電波を使用したならば発信源は46年の半分、23光年以内になければならない。
 しかし現在のところ、そのような近距離にそれらしき恒星系は見つかっていないし、信号のやってくる方向とも違う。
 深宇宙探査衛星による大規模なサーベイで発見されていた、宇宙背景輻射が極端に減衰する領域の存在が、その謎を解く鍵を握っていると天文学者たちは考えていた。
 この領域は全宇宙に一様に分布し、天の川銀河内部にも相当数が存在すると予想された。

 もちろん、太陽系近傍にも。

 この領域は、これまでの現代宇宙論ではあくまでも理論に基づいた計算式としてしか導き出せていなかった天体を、直接観測することを可能にするとの期待が持たれている。
 現在の宇宙の姿を形作った、Λ-CDMモデルを直接実証することが可能になる。

 かつて天才科学者アルバート・アインシュタインが考案した宇宙方程式において、宇宙項“Λ(ラムダ)”で表される、宇宙の膨張を加速させている謎の力(ダークエネルギー)。
 これが、インフレーション理論がその存在を予測する位相欠陥として発見されることが期待され、そして現代の宇宙探査機はそれを捉える能力を持っている。

 ただちに米ソの秘密会合が持たれ、開発中だった太陽系外縁天体観測計画機を、そのまま外宇宙探査に転用することが決まった。
 それがこのボイジャー3号である。

 打ち上げられたプロトンロケットは、探査機を抱えたまま加速して地球重力圏を離脱する軌道に乗り、高度42万キロメートルの遠地点に到達したところでキックモーターに点火して探査機を放出する。
 このときの速度は秒速70キロメートル以上に達し、人類が打ち上げた宇宙船としては冥王星探査機ニュー・ホライゾンズを凌いで史上最速となる。
 プロトンL型が静止軌道を越えて上昇していくのを、アメリカ宇宙軍が所有するSDI-6キラーレーザー衛星が撮影していた。

 八神はやては、惑星TUBOYで人工的な信号が発見されたというニュースを聞いたとき、ただちにそれがボイジャー1号のものであると直感していた。
 そのときには単なる天文ニュースとだけ受け取っていたが、今は事情がそれだけでは済まない。

 第97管理外世界の深宇宙探査技術は、すでに宇宙の大規模構造、グレートウォールの影に、おそらく地球近傍に、未知の異次元が存在することを探知している。
 ボイジャー3号は、表向きにはヘリオスフィアの外に望遠鏡を置いて観測を行う系外惑星探査を任務として与えられているが、その実は、地球人類が初めて挑む、“宇宙の始まり”を直接観測するミッションである。

 その結果、これまで理論上の存在であった位相欠陥が実際に発見されるだろうと、宇宙論研究者たちは期待していた。

 そしてその先には、未知の異次元世界が広がっている。

 探査機の運用管制を行うジョンソン宇宙センターでは、スタッフたちが独自に探査機に愛称を付けていた。
 正式な名称およびコールサインである「ボイジャー3号(Voyager 3)」とは別に、「スピンドリフト号(Spin Drift)」と命名された宇宙探査機は、彼方より飛来する信号を追い、深宇宙を目指して航海に乗り出していく。

 

 

 

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最終更新:2012年12月19日 11:10