EXECUTOR ■ 5

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 西暦2023年9月22日、ボイジャー3号は予定通り木星スイングバイを行い、太陽系脱出軌道に乗った。
 本機が行うのは、惑星の重力だけではなく機体に装備されたエンジンを併用してより高い加速を得るパワードスイングバイである。
 機体は木星大気圏をほとんどかすめるようにして飛び、強大な重力によって得られた脱出時の速度は107km/s。この速度で飛べば、およそ4年程度で末端衝撃波面へ到達可能であると見込まれている。

 軌道としてはパイオニア10号とボイジャー1号のちょうど中間の方角へ飛んでいく。
 両機は惑星探査を行うという目的から速度も抑え、黄道面に沿った軌道で飛んでいたが、このボイジャー3号は太陽系外縁部へいちはやく到達することが目的なので、機体の強度が許す限界まで速度を上げることができる。

 これほどの速度を出すスイングバイを、ソ連もアメリカもこれまでに行ったことはなかった。
 機体は設計通りの強度を発揮してくれるのか。木星は、接近する探査機をその途方もない高重力で圧壊させてしまうという芸当をやってのける。
 過去、運用終了となった探査機を木星に突入させる作業も行われていたが、突入させられた探査機は大気圏に入ってすぐに、強烈な嵐と重力によって文字通り粉砕されていた。
 ちなみに、冥王星探査機ニュー・ホライゾンズの場合、木星におよそ230万キロメートルまで接近することで21km/sに加速している。

 ボイジャー3号が木星に接近した高度は、従来の探査機であれば木星の重力で潰れてしまうほどの至近距離だった。
 プロトンL型ロケットは、月よりも遠い位置から──すなわち地球重力の束縛が弱くなるほどの距離から──高初速を持たせて宇宙機を発進させる能力を持つ。
 初速度86km/sで地球軌道を離脱し、太陽の重力でやや減速して82km/sで木星軌道へ突入。
 一般に、スイングバイによって得られる加速量はその惑星の軌道速度の2倍である。木星の軌道速度はおよそ13km/sなので、おおまかに計算して最大で26km/s増しの加速が可能である。
 木星の公転軌道に対しほぼ垂直に近い軌道で接近し、重力によって軌道を曲げ、木星に落ちようとする勢いを速度に変換して、木星の北半球から赤道を斜めに横断して南半球へ飛び出す。
 このときに搭載された補助ロケットブースターを出力全開で噴射し、107km/sという途方もない加速を得ることができた。

 通常の惑星探査機であれば、地球からの出発時に燃料を使いきった方が機体が軽くなって速度を出せるのだが、今回のミッションではとにかく太陽系外へ早く出ることが優先された。
 木星軌道上であれば地球軌道よりも太陽からの距離が離れている分、太陽の重力を振り切るために必要な速度が小さくて済むので、そこでエンジンを噴射すれば地球軌道上で行うよりも効率の良い加速が可能だ。
 また本機は従来の化学燃料ロケットを補助ブースターとして、メインエンジンには軽量なプラズマイオンロケットを搭載している。
 これは化学燃料を使いきった後も長時間の加速が可能である。イオンロケットは比推力が高く、飛行時間が長ければ長いほど、最終到達速度は化学燃料ロケットよりも速くなる。

 スイングバイ終了後、ジョンソン宇宙センターよりセルフチェック指令が送られ、ボイジャー3号は観測機器や推進システムに異常がないかのチェックを行った。
 結果、機体は完全に作動しており、すべての機器が性能を完全に発揮できることが確認された。

 太陽からもっとも近い恒星は、ケンタウルス座α星系プロキシマであり、距離はおよそ4.3光年である。
 光の速さでも4年以上かかる距離は、ロケットで加速する宇宙船では数万年以上もかかってしまう。

 それはこのボイジャー3号とて例外ではないが、NASAの顧問学者たちはひとつの仮説に期待していた。

 宇宙空間には、はるか遠方の空間同士をつなぐいわば“ゲート”のような存在がある。
 もしそこへ宇宙船を突入させられれば、いっきに何千光年をも渡る、ワープ航法が可能になる。
 人類が宇宙へ飛び出して数十年、ずっと夢見てきた、はるかな星の海を渡る技術。
 SF小説の中だけのものだったワープ航法が、思わぬ形で現実になろうとしている。

 太陽系外へ飛び出した探査機が謎の減速をするという“パイオニア・アノマリー”を、このゲートが存在することによる重力輻射の異常分布が原因であると仮定すれば、ワープ航行を行うために必要なチェックポイントとそこへの航路、軌道パラメータが導き出せる。
 付近を飛んでいるエッジワース・カイパーベルト天体が受けるであろう摂動を精密に測定することで、ゲートの正確な位置が計算できる。

 ボイジャー3号が目指すのは、太陽系近傍、天王星軌道付近より黄道面の南側へおよそ22億キロメートルの距離に存在するゲートだ。
 これは、ボイジャー1号の信号が戻ってきた方角と一致していた。ボイジャー1号は現在、NASAの追跡によると現在太陽からおよそ180億キロメートルの距離を飛んでおり、これは別に信号をキャッチしている。
 これとは別に、一見何もないはずの空間から突如、同じパターンの電波が飛んできたのだ。
 これは、可視光やその他の電磁波で見ることのできない未知の天体がそこに存在することを意味する。

 人類史上初めて、次元跳躍──ワープを行う宇宙船。
 公式なオペレーションにはならないが、科学者たちは期待と確信を持っていた。

 ボイジャー3号の機体製作を担当したアメリカの企業は、耐荷重500万Gのケージをつくり、そこに高精度の重力波検出器を収めた。
 ワープ時にどれだけの影響が機体にかかるかはまったく予測がつかないが、もし、この検出器が耐えられれば、現在観測が行われているCDM(冷たい暗黒物質)の分布に基づく重力方程式に加えるべき宇宙項の値を、非常に高い精度で求めることができる。
 ボイジャー3号は、機体制御に用いる4基4軸のリアクションホイールとは別にこの重力波検出器を用いても機体姿勢の計測を行い、機体にどの方向からどれだけの重力がかかっているかをセンシングすることができる。
 これによって、ワープのためのゲートの位置を、正確に追尾して軌道を修正することができる。

 スイングバイ終了から3か月ほどで、太陽系の惑星たちがまわる公転平面から南へ大きく離れたボイジャー3号は太陽風の弱まりを観測し、NASAはボイジャー3号が太陽系を脱出したと発表した。

「デビッド、“スピンドリフト”は予定通り太陽系を脱出したそうだ」

 こじんまりとしたオフィスの奥で、書類の決裁をしていた男、デビッド・バニングスのもとに報せが届いた。
 彼の会社では、ボイジャー3号に搭載される機体制御装置の製作を請け負っていた。

 このプロジェクトの受注は通常の競争入札ではなく、NASAからの指名によって行われた。
 何をどこの企業に担当させるかというのはNASAとアメリカ政府が決定した。

 政府系機関からの直接の指名を受けるというのは企業人にとって非常な名誉であると同時に、その背後に隠された大きな動きを予感させるものである。
 デビッドも、とくに陰謀論などを信じるたちではなかったが、渡された仕様書の要求数値には不可解な点があると気付いていた。
 物理学の知識があり、過去のアメリカの宇宙計画で使用された宇宙船の性能を知っていれば、ボイジャー3号に要求された性能諸元は文字通り桁違いの数値だと理解できた。
 構造材の強度、観測機器が耐えうる重力加速度、放射線強度、温度など。
 機体そのものはともかく、観測機器については太陽の中に飛び込んでも機能を維持できるほどの耐久能力が求められていた。

 NASAの発表では、ボイジャー3号の任務とは太陽系外縁天体の観測である。

 その任務に、これほどの性能の探査機を用いる必要があるのかといえば、それは疑問を持たざるを得ない。

「小人はすこぶる快調だそうだよ」

「それはなによりだ」

 デビッドの仲間たちは、ボイジャー3号──スピンドリフト号を、さらに“小人”というあだ名で呼んでいた。
 これは、ある冒険ドラマに登場する、巨人族の住む惑星に不時着した宇宙旅客船にちなんだものだ。
 その宇宙旅客船は固有機体名をスピンドリフト号といい、巨人族から見れば、地球人は小人であるという意味である。

 さらに、古いおとぎ話で妖精が人間を手助けしてくれるという──たとえば白雪姫と七人の小人とか──説話にもちなんでいる。

 ボイジャー3号は、人類が初めて挑む外宇宙に棲む妖精のようなものだ。

 天文学者というのはおとぎ話が好きなのだ──というのは、多分に誇張が入った認識だが、それでも、今NASAが考えていることを一般人に話したなら、それはとんだ夢物語だといわれるだろう。

 しかし、デビッドにはあるかすかな期待があった。

 今は彼の会社とは別の大企業に出向しているが、彼の娘、アリサ・バニングスが幼い頃、よく彼女と遊んでいた少女たち、彼女らは現代の妖精だったのだと、デビットは思い返すようになっていた。

 高町なのは、八神はやて、フェイト・テスタロッサ──彼女たちは、バニングス家が日本の海鳴市に住んでいた頃の、学校でのアリサの同級生でもあり、アリサと同い年なので、たしか今年で27歳になるはずだ。
 家族ぐるみの付き合いをしていた中、高町桃子や恭也などから語られる近況に、あの少女たちが魔法の世界に行ったということは、デビッドのような常識的な大人をしてさえも信じるに値する出来事だった。

 思えば、自分がこうしてアメリカに戻って本格的に宇宙開発事業に参入することになったのも、そういった縁があったからだとデビッドは気付いていた。
 あの町、海鳴市には、日本だけではない、アメリカもまた注目していた。
 自分に最初に商談を持ちかけてきた営業マンも、実は、米政府にスカウトされた人間だった──のかも、しれない。
 自分のような一般人に存在を悟られるようでは、とも考えてみたが、逆に、存在を教えなければ、自分の行動に影響を与えられないだろう、とデビッドは考え直していた。
 アメリカは確実に、ある明確な目標を持っている。

 CIAは、はっきりとデビッド・バニングスという人間をマークしている。

 オフィスに置かれた小型テレビは、ニュース番組で、イギリスでの海外緊急速報を映していた。
 ロンドン近郊でIRAの犯行と思われる爆弾テロ事件があり、民家数棟が倒壊、市民に死者が数名出ているという。

 

 

 クラナガン宇宙港に係留されたヴォルフラムの露天艦橋で、エリーとレコルトは磯釣りに興じていた。
 桟橋についた状態では艦の一部が水上に出るため、ちょうど露天艦橋から海を見下ろすことができる。
 二人はここぞとばかりに釣り糸をたらしていた。

 釣った魚が食べられるかどうかというのはまた別の話である。
 一応、特別救助隊による線量検査は行われているが、件の人型が撃破された際にまき散らされた放射性降下物はまだ完全に除去がなされていない。
 現在も、バリアジャケットを装備した作業員でなければ港内への立ち入りはできない状態だ。

「釣れますかね副長?」

 真面目な性格のレコルトではあるが、エリーが相手だと少々のせられ気味になる。

「今結構大きいのがきそうな。あの大クモが釣れたらすごいわね」

「むしろ異次元釣りでもしたいところやな」

「あ、艦長?っとと」

 はやての声に、エリーは素っ頓狂な声を上げて振り向いた。リールを握っていた手が離れ、糸が巻きだされていく。

「ちょっと士官を集めて会議室に集合や。ややこしいことになったかもしれん」

 エリーとレコルトは顔を見合わせた。
 今ですら、管理局とミッドチルダが妙な緊張状態にあるというのに、さらに何か事件が起きたのか。

 その事件の情報はすぐに明らかになった。

「まずみんなに報せなあかんことがある──今から12時間前、ギル・グレアム元提督が、第97管理外世界でテロに巻き込まれ、亡くなった」

 会議室の机を囲み、ヴォルフラム幹部乗員たちは驚きにうたれていた。
 ギル・グレアム提督といえば、次元航行艦隊設立の立役者として、海の人間なら知らない者はいない英雄だ。
 今は引退して隠居していた、とは知られていたが、その出身世界が第97管理外世界であったということまでは、知っている者はいくらか少なかった。
 なぜ管理外世界で事件に、という疑問を呈する者もいたが、それが彼の出身世界であったから、と聞かされると、困惑しながらも一応は納得していた。

「われわれ管理局の存在が漏れたなどということは……」

「そこまではまだわからん。けど、今んとこ、その線はないと上は考えとる。現地の報道では、過激派武装組織の犯行とされ、提督はたまたま巻き込まれただけ、ゆう内容や。
第97管理外世界では、もちろん管理局での身分なんか明かすわけないから、近所の住民には普通のじいさん、で通っとったし」

 確かに衝撃的な事件ではあるが、それだけだろう、で済むと、はやて以外の幹部たちはこの場では考えていた。
 だがすぐに、はやてはさらなる推理をもって言葉を続ける。

「けどな、これからばれるかもしれへん。なんでかわかるか?」

 はやての質問に、エリーが神妙に答える。

「彼の使い魔……ですか?」

「そのとおりや。グレアム提督の実家には、アリアとロッテのリーゼ姉妹が一緒に住みこんどった。
近所の住民にも、あの家は老紳士と孫娘二人の三人家族やとみられとる。
しかし、今回の事件で、吹っ飛んだ自宅から見つかった遺体が老人一人だけやゆうことになったら、身柄が見つからん孫二人はどこへ消えたっちゅう話になる。
もちろん捜す、けど見つかるワケあらへん。彼女らは人間やないんやからな。
これもひとつだけ放送しとった局があったが、提督の自宅から見つかった遺体は、“人間ひとりと猫二匹”やったそうや」

 自身の唾をのむ音をそれぞれが聞く。

 使い魔が死んだ場合、その遺体がどのような様相を呈すかというのは死亡時の状況による。
 主が死んで魔力供給が絶たれた場合であれば、即座に消滅する。この場合、遺体は全く残らない。

 負傷などで致命的なダメージを受けた場合、そのときとっていた姿の遺体が残る。
 猫の状態で遺体が見つかったということは、死亡時には動物形態をとっていたことになり、また少なくともその時点ではグレアムはまだ生きていたことになる。

 これまでの活動で、リーゼ姉妹が動物形態をとることはほとんどなかった。管理局員として働くために常に人間形態で活動していた。
 あえて動物の姿をとるなら、それは人間では不可能な隠密性が必要になる戦闘時である。

 グレアムは偶然巻き込まれたのではなく最初から狙われており、リーゼ姉妹はそれを察知していた──

 はやては、この筋書きの可能性がゼロではないと考えていた。

「そうなると問題は、第97管理外世界の人間にリーゼ姉妹の存在が知られていたか、ですね。人間と思われていたか、それとも猫が素体の使い魔であることまで知られていたか。
使い魔だとばれていれば、猫の姿に変身してもだめですね」

「念のためゆうことで、一応は捜査官が出張ることになるゆうとった──。けどこれもじゅうぶんに気をつけんと、やぶへびになる危険がある。
──とはゆうても、うちらが口出しできる領分やないけどな」

 事件の捜査であれば、フェイトたち執務官の職務となる。
 第97管理外世界はフェイトも数年間住んでいたことがあるし、また闇の書事件においてはフェイトもグレアム提督とは面識があった。
 そして、なによりもはやて自身が、海鳴市での生活をグレアムに面倒を見てもらっていたといういきさつがある。
 あの当時は、闇の書が復活するまでは、はやてはグレアムが管理局の人間だということは知らなかった。
 事件の背景を知り、管理局が闇の書事件解決のために地球で活動を行っていたということを知ったのは、ずっと後になってから、事件が終結してから2年後のことだった。

「しかし艦長、提督を爆殺したのが第97管理外世界の過激派ゲリラという報道が正しいのであれば、現地政府の統制が及ばない武装勢力が存在するということになりますが」

「あの辺りは昔からややこしい紛争地域でな……ここ十数年は表向きには平和的解決を見たゆうことにはなっとったが、今でも謀略に利用されるような組織が存続はしとる。
報道でIRAゆうとったからゆうて、それがホンマにIRAの仕業もしくは意志かはわからんちゅうことや」

「そうなると、下手に管理局は手を出せませんね」

「向こうもそれをわかっててやっとるのかもしれん」

「というと、既にイギリスおよびアメリカはわれわれを?」

「そう考えといても遅くはないゆうことや」

 第97管理外世界には、定期哨戒として次元航行艦が常時2隻ずつ観測任務に配置されている。
 現在、観測できる範囲として地球に不穏な動きはない。

 しかし、彼らの視点では兆候があったとしてもそれを判断できないだろうとはやては考えていた。

 もしグレアムが管理局の人間であったから狙われたというのであれば、そのような行動を起こせるのは米ソをはじめとした先進超大国以外にありえない。そのような情報は彼らでなければ収集できないからだ。
 イギリスの首都ロンドンという、大英帝国のお膝元で起こったテロ事件であるにもかかわらず、当のイギリスや、アイルランドと関係の深いアメリカの動きがまったく見られないということは、彼らにとっては織り込み済みの事件であるということだ。

 

 ギル・グレアムの自宅跡を捜査のため訪れたロンドンの警察官たちは、彼の飼っていた猫たちの遺体が、異様なほどに夥しい量の銃弾を撃ち込まれていたのを発見した。
 周辺の住宅の壊れ方から、このテロの犯人はひそかに爆弾を仕掛けたのではなく、まず住民を銃殺したのち、無人となった家に爆弾を仕掛けて遺体ごと吹き飛ばそうと画策していたと予想された。
 使用された爆弾の破壊力が大きく、グレアムの遺体はひどく損傷して死亡推定時刻もわからないほどだったが、猫たちは体が小さかったため、家具の影に隠れて遺体が残っていた。

 銃撃戦を行う犯人は、極度に興奮しているため動く物体であれば人間でなくても発砲してしまうことは考えられる。
 しかし、これだけの量の弾丸が撃ち込まれているということは、それが人間ではないことがわかってからも発砲を続けていたということである。
 相手が猫だと気付いていて、なお撃ち込んだということだ。トリガーハッピーになって弾を撃ちきったというわけではない。
 そこからさらにマガジンを交換するという作業を行い、再び猫を狙って撃っている。

 訝しみながらも、犯人が使用した銃器の特定のため弾丸を回収しようとした警察官たちを、突如現れた数人の黒服たちが押しとどめた。

「なんなんだ、あんたたちは?」

 警察官のひとりが問う。彼らは高級そうなスーツで、官僚のように見えるが、現場に来るような人間にも見えない。

「私はFBIのマシュー・フォード捜査官だ。イギリス連邦政府より我が国に要請があった。本件はこれよりFBIが管轄する」

 身分証を提示した黒服に対し、警察官たちは困惑を隠せない。
 FBIはあくまでもアメリカの事件を管轄する組織のはずだ。それが、外国であるイギリスで起きた事件ににわざわざ首を突っ込むとは何事だろうか。

 フォード捜査官と警官たちが問答している間に、他のFBI捜査官たちがところどころから試料を拾い集めている。
 警察としては現場の保存をしなくてはならないのだが、相手がFBIとあってはあまり強くも言えない。

「いったいこの家の住人に何があったというんですか?グレアム氏はもう定年をとっくに過ぎた老人ですよ」

「君らが知ることではない」

「しかし」

「月並みだが私は君らに忠告しなくてはならん。これは我々でなくては対処ができない事件なのだ。
もし君らが独走しようとするのならば、我々は人類全体の安全のために君らを消さなくてはならなくなる」

 フォードの言葉に、さすがの警官たちも引き下がらざるを得なかった。
 オカルト映画の中でしか聞けないと思っていたセリフが、目の前の人間から発せられた。
 彼らは、いわゆるところのメン・イン・ブラックなのだろうか。
 閑静な住宅街に、異様な静けさとざわめきが同居する。

 木々の葉の中から、一羽のカラスが羽ばたきを騒がせて飛び立っていった。

 

 

 新暦83年12月20日。
 この時点でクラウディアは第511観測指定世界から再び位相欠陥トンネルを逆戻りして太陽系へ帰還し、トールの双子が太陽系からおとめ座ローカルボイドへつながる位相欠陥トンネルの出口にあたることを確認していた。
 この航路を用いれば、地球を出発した艦は数時間で銀河系外へ、もしくは第511観測指定世界へ到着することが可能になる。
 第511観測指定世界は、実数空間における位置としてはこの第97管理外世界、天の川銀河とほぼ平行して重なる位置にある。
 もし次元断層がなかった場合、惑星TUBOYと地球はおよそ13光年程度離れて存在することになる。
 これはさらに、既に判明していることである、第511観測指定世界と第1管理世界が実際には同一次元世界に存在したという事実とあわせて考えると、第1管理世界と第97管理外世界もまた、実数空間に重ね合わせればごく近い位置に存在するということになる。

 実際、通常の次元間航行を用いてもミッドチルダから地球まではかなり近い。
 次元間航行における距離というのは実数空間に当てはめて算出することはできない。
 だが、もし仮にすべての次元世界は重ね合わせの配置が可能であると仮定すると、ミッドチルダ、地球、そして惑星TUBOYの3つの星系は、互いにごく近い位置にあって互いを見ることができるということになる。
 宇宙が多数の次元世界に分かれていなければ、ミッドチルダも、地球も、異星人を発見するのにさして時間はかからなかっただろう。
 ミッドチルダにしても、文明発生から他の次元世界の発見に至るまでは相当の時間がかかっている。

 クラウディア艦橋の窓には、冷涼な輝きを発する太陽の姿が見えている。
 太陽までの距離はおよそ10億キロメートル。太陽のそばに、木星と金星がかすかに輝いて見える。

 それは、距離600万キロメートルでクラウディアのレーダーに捕らえられた。

 彗星や小惑星ではない人工物の反応が返ってきた。
 クロノは直ちに結界魔法の展開を命じた。
 大型の次元航行艦の場合、無人探査機であっても観測機器に写りこんでしまう危険がある。
 緊急時には光学迷彩機能を持つ結界を使用しなければならない。もちろん可視光だけではなくあらゆる電磁波による観測からも身を隠さなくてはならない。

 少なくとも現時点では、次元世界と第97管理外世界は、互いに認知をしていないことになっている。

「前方の小型機、方位0-1-5、本艦のほぼ正面より向かってきます。慣性飛行のモードです」

「熱反応を確認、魔力素濃度レベル、ゲインプラス0.2」

「新型か──この探査機の観測目的はなんだ?」

「艦長、どういうことですか」

 クロノの傍らに控えていたウーノが問いかける。
 クラウディアは現在、太陽に向かう双曲線軌道に乗っており、このままの針路と速度ではおよそ24分後に小型機とすれ違う。
 交差時の距離は7000キロメートルまで接近する。

「少ないながらも魔力素の濃度が上がっている。地球人類は我々の知らない新しい技術を開発したようだ」

 クラウディアのセンサーは、小型機が魔力を放出していることを検知していた。

「第97管理外世界が魔法技術を」

「そうとは限らん。純粋な機械であっても魔力が観測されるケースはある──だがこれほどのゲインは天然魔力素としては少々高い」

 クロノは観測員に命じ、小型機の魔力反応を解析にかからせた。
 機械が魔力を発する場合、ミッドチルダでは魔力電池や魔力炉などを動力源として搭載している場合が考えられる。
 だがこの場合はもっと強い反応が出る。それ以外には、たとえば素材となった金属や樹脂などが魔力の影響を受けていた場合。
 ただの機械であっても製造に魔法を使用した場合は、残留魔力が検出される。

 今回の小型機の場合、残留魔力としては強すぎるが、魔力電池だとすると弱すぎる程度の量が検出された。

 恒星系内であっても主星そして公転平面からこれほど離れれば、恒星風の影響も弱まり、空間中の魔力素もかなり少なくなってしまう。

「スペクトルはどうだ?」

「──お待ちを──出ました。艦長、おそらく小型機はプルトニウム熱電変換電池を搭載しているものと思われます。これは結構強い魔力を出す元素です」

「なるほど。たしかに外宇宙へ出る探査機のバッテリーには不可欠な装備だ」

 小型機は接近し、交差が10分後に迫った。
 向こうは軌道を変える様子がない。おそらく、無人機であり、そしてクラウディアの存在を探知はしていない。

「よし。魔力光スペクトルを採れ。あとで照合が必要になるかもしれん──操舵手、左舷速力1/3、面舵10度。艦を前方の小型機から離せ」

「了解、左舷速力1/3、面舵10度」

 クラウディアの操舵手が舵輪をゆっくりと操作し、それにしたがって艦体にかすかなヨーが生じる。

 小型機は可視光線で見えるほどの魔力光を発してはいないが、ガンマ線領域で見るとはっきりとわかるほどの魔力反応が確認できた。
 軌道修正により、クラウディアと小型機は距離およそ9000キロメートルで交差する。

「前方の小型機、本艦左舷30度より接近中、相対速度毎秒163キロメートル。小型機はごくわずかですが加速しています」

「追跡を続けろ」

「交差まであと4分」

「艦長、軌道変更完了しました。近日点を太陽中心より7550万キロメートルに修正」

 窓からは、変わらず黒い宇宙しか見えない。
 宇宙空間では、他の艦や天体を肉眼で見ることはできない。
 もし肉眼で見える距離まで接近していたら、それはあわや衝突の危険があったことを意味する。
 すべてはレーダー上での精密な計測によって軌道計算を行い、それに基づいた航行をすることが必要だ。

 クラウディアと小型機がもっとも接近する距離9000キロメートルでも、クラウディアの艦橋からは小型機を肉眼で見ることはできない。

 それでも、宇宙を航行する次元航行艦としては至近距離でのすれ違いである。

「交差まであと2分」

「艦このまま、針路を維持」

 音は聞こえないし、影も見えない。
 だが、確実にそれは接近している。そして、過ぎ去っても、何も見えない。

「電波放射確認、小型機より地球へ向けて発信されている模様」

「内容は分かるか」

「不明ですが、記録します。変調速度600hz、シングルレベルです」

「よし、あとでデコーダーにかけろ。小型機の動きに変化がないか注意しろ」

「魔力放射レベル依然として変化なし」

「本艦左舷40度、距離1万6千キロメートル、交差まであと45秒」

 向こうからクラウディアを見ても、やや光が曇る程度にしか見えないはずだ。
 またそのようなものをたとえ発見したとしても、その正体はわからないだろう。

 小型機は巨大なアンテナを地球へ向けた状態で、観測装置を前方に向け、イオンエンジンの噴射炎を輝かせて飛んでいく。

 クラウディアが小型機の後方へ出たとき、それははっきりと見えた。

「小型機の推進装置より高レベル魔力反応確認、イオン噴射ロケットです」

 計測器の数値を、乗員たちが固唾をのんで見守る。

「左舷上方対向角50度、最接近ポイントまであと10秒、5秒、……交差しました。小型機は本艦後方へ遠ざかっていきます」

 小型機は速度、針路ともに変えず、クラウディアの左舷9000キロメートルを通過して、太陽系外へ向かって飛んでいく。

 3分間追跡し、小型機の動きに変化が見られないことを確認して、クロノは警戒態勢の解除を命じた。
 艦橋乗員たちのどこからともなく、安堵のため息が漏れる。

「一安心、といったところですかね」

 つぶやくように言った航海長に、ウーノが注意を促す。

「いえ、確実とは言い切れないわ。あの小型機の搭載している機器の内容が分からない以上、どんな痕跡を採取されているかわからない。
結界魔法は主に可視光に対するステルス性だけで、もし向こうが次元間観測が可能な装置を持っていれば本艦の位置も丸見えよ」

「しかし副長、第97管理外世界には魔法は」

「無い、というのが管理局およびミッドチルダ魔法科学研究所の見解だけれどね。でも、彼らの科学力は一定水準を超えているというのは確かな評価よ」

 クロノは航海長に新たな指示を出す。

「どちらにしろ、この外宇宙で何が起きていても地球人類は手出しをできん。本艦の観測任務はすべて完了している。
本艦はこれから太陽周回軌道に入り、0.95軌道ゲートを経由して第1管理世界へ帰還する。
航海長、速度を12パーセント上げて太陽を回れる軌道を計算してくれ。少し到着を早める」

「わかりました」

 太陽の放つ光が、コロナ放射で揺らめいているように見える。
 第97管理外世界において地球が属する恒星系の太陽は、特に南磁極が非常に活動的で、多数の磁気チューブがしばしば光球から飛び出している様子が観測されている。
 磁気チューブに沿ってプラズマが太陽表面から浮き上がる現象は、プロミネンスと呼ばれ、チューブがちぎれてプラズマが爆発的に放出される現象は、太陽フレアと呼ばれている。
 0.95軌道ゲートはこの太陽フレアと磁気チューブに隠された位置にあり、地球からの観測を回避するには都合のいいポイントだ。
 原則として、ミッドチルダと地球を行き来する観測船はこの航路を使う。

 たしかに、一見して隠れるにはうってつけの場所のように見える。

 だが、地球人類の打ち上げた観測衛星を、管理局もすべて把握できているわけではない。

 特に、極軌道をまわる衛星や、地球から離れた位置に軌道をとる衛星からは、必ずしもこの0.95軌道は隠れられない。
 太陽観測衛星“SOHO”や“ひので”などが撮影する太陽表面の写真には、しばしばこの0.95軌道に近づく次元航行艦の影が、謎の巨大宇宙航行物体として写り込んでいた。
 写真上では、太陽放射の干渉もあって長さが数百キロメートルもある巨大宇宙母船のように見え、そして太陽内部に生息する生き物のようにも見ることができた。

 それは太陽の不思議といった要素で片づけられ、オカルトマニアの飯のタネにはなってはいた。

 しかしそれも、たとえばギル・グレアムのような事情を知っている人間にとっては、気が気でないことであっただろう。

 

 

 テムズ川のほとりにそびえる、奇妙な形をした塔──その一角にオフィスを借り受けたマシュー・フォードは、守秘回線の電話で、ワシントンD.C.にあるFBI本部への報告と、捜査方針の検討を行っていた。
 回収した弾丸に付着していた血液から、3種類のDNAを採取することができた。
 結果は、3種類とも、異なる人間のものであることが判明した。

 付近の住民には周知のとおり、あの家には老人がひとりと、彼の孫娘が二人、住んでいた。
 それは聞き込みからも分かっていることである。

 しかし、実際に、爆弾で吹き飛んだあの家からは、老人の遺体しか見つからなかった。
 代わりに見つかったのは二匹の猫であった。

 そして、その猫の遺体から、人間のDNAが検出された。

 彼女たちは、獣人だったということなのか。
 あるいは、ヒトとネコのハイブリッド、キメラだというのだろうか。
 人間と動物をかけあわせるというのはヒツジやブタなどで実験はされていたが、ネコでそれを行ったという話は少なくとも聞いたことがないし、そうやって生まれた人間が、日常生活を送れるほどに成長した事例もない。

『実は今、ブレイザー長官が一緒なんだ。いや、長官の自宅に来ていてな……今代わる』

『私だ。フォード君、ご苦労だった。それで、やはり“彼”は並行世界へ行っていたということで間違いないようだな』

「いただいた予測データどおりではあります。しかし、私にはまだ信じられません」

『だが事実だよ。真実だ』

 トレイル・ブレイザーは、CIA長官でありながら自ら渉外活動も行う積極的な人物で、フォードら親しいFBI捜査官が何人かいる。
 今回、アメリカがいち早くイギリスへ捜査官を送り込めたのもブレイザーの活躍があった。

「“空飛ぶ円盤(フライング・ソーサー)”に攫われた人間だったというのでしょうか、あの老人は」

『その説も含めて検討するよ。ところで、そっちの地元警察はどうだね』

「今のところ協力的です。ただ向こうとしても、現場を一目見ればわかることですから納得しきれてはいないようですが」

『致し方ない。ところでフォード君、昨年君に行ってもらった日本の街があるだろう』

「昨年というと、海鳴市ですか」

 ブレイザーの言葉に、フォードは記憶をたどる。

 海鳴市では今から丁度18年前、2005年の冬に、大規模な爆発現象が大気圏高層部にて観測されていた。
 ちょうどクリスマスの夜で、周辺一千キロメートル以上にわたって電離層のイオンが励起され、通信電波の異常や、北海道では肉眼でも見えるほどのオーロラを観測した。

 それ以前にも、春先から微弱な地震動が頻発しており、上空を通過する監視衛星の軌道が、不可解な重力異常によって影響を受けていた。
 重力異常の発生は冬に入って増大し、2005年12月24日夜から25日未明にかけてピークを迎えた。
 そして、海鳴市上空1200キロメートルにおいての大爆発が観測された。
 国際宇宙ステーションはこのときたまたま地球の裏側にいたが、付近を飛んでいた通信衛星や偵察衛星などが大きく軌道を乱され、復旧にかなりの時間を要した。
 天文学会では、マイクロブラックホールが地球を通り抜けたのではなどといった突飛な説も出され、確かに、モンブランにあるEUの観測所では巨大な重力波を検出してはいた。
 それはかつて、大マゼラン星雲で爆発した超新星1987Aにも匹敵する規模のものだった。
 太陽の数十倍にもなる巨大恒星が爆発したよりも強力な重力波なら、次元の壁に穴が開くほどの“何か”が、しかも地球上で起きていたことになる。

 ソ連防空軍では、かつてのツングースカ大爆発の再来かと神経をとがらせていた。
 未発見の彗星が大気圏に突入し爆発したのか、あるいは中国などが極秘に成層圏核実験を行ったのか。
 たしかに放射線強度はやや増加していたが、それは天体由来としても十分に考えられる程度の量だった。

 CIAはその年のうちに調査チームを組織し、海鳴市周辺にその爆発現象の痕跡が残されていないかを調べていた。

 フォードも、2022年の冬に海鳴市を訪れ、近隣の住民らの話として、当時、未確認飛行物体の目撃例が相次いでいたことを聞いていた。

『今回の件でMI6の協力を得られたのも、クリステラ議員の力添えがあったのだよ』

「成る程──というと、やはりイギリス・アメリカ両政府が」

『まあ連中の後押しがなくても、私としてはこの事件はぜひ解いてみたい謎ではあるがね』

 冒険少年のような口調でブレイザーはおどけてみせ、フォードもやや表情を緩める。

『そちらのロンドンでBBCを視ればわかるだろう、先月、歌手のアイリーン・ノア氏が寄付を行ったアメリカの医療福祉団体、あれは実はNASAのサイバネティクス技術研究グループに加盟しているんだ。
そこのメンバーにはバニングス・テクノクラフトも名を連ねている』

「バニングス──あの精密機械企業ですね。それで海鳴市に──」

『どうだ、点がつながって線になってきたろう?これも地道な調査の積み重ねだよ。
君が昨年、海鳴市内の病院から入手した試料の中には、2005年当時に市内で採取された、正体不明の生物の痕跡も混じっていたんだ。
“彼ら”は自分たちの痕跡を消そうとしていたようだが、それでも隠しきれなかったものがある。
海鳴市内で複数回の戦闘が起きた形跡があり、そしてその現場に残されていた血液からDNAを採取し復元することに成功した。
それが、今回グレアム氏の自宅から発見された猫のものと一致した』

「グレアム氏は、かつての海鳴市における一連の事件に関わりがあると──」

『そういうことだ。うちの調べでは、氏の口座があるロンドンの銀行と、日本の海鳴市との間に定期的な資金のやりとりがあったことまではつかんでいたんだが、当時誰かが住んでいたと思われる海鳴市のそこには今はもう誰もいなくてね。我々の方が一足遅かったようだ』

「そのようでしたね」

『いずれにしろ、少なくとも日本はこの件に関してはうちの邪魔はしないと言っている。
向こうさんにしてみても自分の国の上空でドンパチやられたのでは自衛隊(セルフ・ディフェンス・フォース)の面目が立たないからな。
内閣情報調査室とも連携はとっている。あとはソ連と中国がどう出るかだ』

「中国は少なくとも、工作員を送っていました」

『ミカミくんは相変わらずだよ。君も彼女には目を付けられないようにな』

「わかっております、長官」

 ブレイザー率いるCIAの調査チームは、少なくとも2005年の海鳴市において、オーバーテクノロジーを操る者たちによる組織的な戦闘が発生していたという出来事を、ほぼ事実として確信を持っていた。

 海鳴市には、日本だけでなくアメリカやイギリスも、さまざまな因縁からそれぞれの技術を持ち込み、研究や実戦テストを行っていた。
 CIAとして見極めなくてはならないことは、彼らが用いる技術そのものではなく、彼らが“どんな目的で”戦っていたかということだ。
 それによって、アメリカが、ひいては人類がとらなけらばならない立ち回りは違ってくる。
 フォードが地元警官たちに言った言葉は、誇張でもはったりでもないのだ。

 研究者たちを顧問に招き入れ、独自に編成した解析班による調査で、2005年のクリスマスに海鳴市はるか上空で発生した爆発現象は、そのエネルギー量が太陽にさえ匹敵する規模であるとCIAは結論付けていた。
 これほどのエネルギーは、アメリカが保有するいかなる水素爆弾でも出せない。
 在日米軍基地で観測された放射線強度の変化グラフでは──これはもともとは中国や北朝鮮、ソ連の核実験を監視するためのものであるが──、爆発現象によって放出されたエネルギーの発生源は、その大半が対消滅反応であることが読み取れた。
 通常の核兵器が用いる核分裂や核融合ではない、もっと細かい粒子の反応が起きていた。

 この観測データは、誰が持ち出したのか宇宙論研究者たちに利用され、超ひも理論の裏付けのひとつとなっていた。
 観測された放射線、そこから推定される対消滅反応を起こした物質の量、観測された重力波の強度。これらを突き合わせると、どうしても計算が一致しない量の物質が、消滅している。エネルギー収支が合わなくなる。

 超ひも理論によれば、収支が合わない分のエネルギーは、重力波となって高次元へ逃げていったと説明される。
 エネルギーは高次元を伝わり、次元を超えて伝播する大量の重力子(グラビトン)の波動、すなわち重力波を放出して、実在次元と高次元とのバランスを保つ。
 これによって、何もない空間に突如エネルギーが湧き出して痕跡を残すという超常現象の一種が説明できる。

 少なくとも、あの夜の海鳴市上空に、“異次元への穴”が開いたことは間違いない。

 問題は、それが自然現象ではなく人為的なものなら、それは誰が何のために起こしたのかということだ。

 異星人がひそかに地球に飛来し、何らかの工作を行っているのか。
 地球征服をたくらむ、小柄な灰色の宇宙人──というのはおよそレトロな認識ではあるだろうが、いずれにしてもなぜ地球でそれを行う必要があったのかということを、安全保障の観点からCIAは調べなくてはならない。

 足かけ18年にわたるCIAの調査により、付近の海底を含めた海鳴市の合計21か所の地点において、高レベルの放射能を帯びた土壌が発見された。
 土壌に含まれる放射性同位体の崩壊量から、丁度18年前に何らかの強力な放射線源が存在したことが判明した。
 もしウランやプルトニウムが原因であれば、それこそ大型原子炉にも匹敵する量の放射性物質が海鳴市にばら撒かれていたことになる。
 しかし今のところ、付近の住民に放射線症と思われる症状はみられない。
 この21か所の土壌に痕跡を残した原因の物体は、そのエネルギー源が何であれ、それを完璧に制御する技術を持っている。

 核爆弾にも匹敵するエネルギーを秘め、それを任意に発動できる。

 件の宇宙論研究者たちは、エネルギーさえ用意できるのなら無機物を動かしたり、生き物を操ったりすることは十分可能であると言ってのけた。
 物体が動くとは、すなわち外部からのエネルギーを受けるということである。
 それを任意の空間に配置できるのなら、何もない空間にいきなり氷を出してぶつけてみたり、植物を歩かせることもできる。
 それはもはや魔法と言っていいものだろう。
 もちろん、それに見合ったエネルギーを用意できての話である。
 この現代では、そのような魔法を撃つには、直径が数キロメートルもあるような巨大な円形加速器が必要になるものだ。

 2005年の海鳴市で戦闘を行った者たちは、少なくとも個人携行が可能な機器(デバイス)で、それほどの巨大なエネルギー、すなわち魔法をを扱うことができていたという点については、ブレイザーもフォードも意見の一致をみていた。

 

 

 リオ・ウェズリーの葬儀に出席したヴィヴィオは、クラナガンの自宅に帰らず、そのまま近くの安宿で一晩を明かすつもりだった。
 司法解剖の結果、遺体への有毒物質の浸透が酷く、通常の埋葬が不可能であると、所轄警察からリオの家族に告げられていた。
 そのため、棺は空の状態で、リオの写真だけを祭壇にあげて祈りをささげた。
 じゅうぶんに期間をかけて除染を行わなければ、公共墓地へ棺を埋めることはできないとも言われていた。

 あの公園での事件以来、気持ちが混乱して落ち着かない。
 自分の中に沸きあがったのは、力を、もっと強い力を欲する気持ちだった。

 かつて8年前、巨大戦艦ゆりかごの中で抱いていた気持ち。

 純粋な意識だった。

 その是非はともかくとして、それは感情としてとても澄んでいたと、ヴィヴィオは思い返していた。
 母の説得と、そして多くの人たちのあたたかい支援を、もちろん感謝してはいる。
 しかし、代わりに何かが無くなったのは確かだ。それは一般的には善くないことだから、無くなった方がよかったのかもしれない。

 その無くしたものがあれば、リオを救うことができただろうか。あの化け物に立ち向かえる力を、振るうことができただろうか。

 今の自分は、少なくともただの14歳の少女である。
 腕力も、社会的地位も大したものがない。聖王の血は引いていても、それはこの現代社会では何の役にも立たない。

 チンク、セイン、ウェンディ、オットー、ディード──彼女ら戦闘機人たちは、自分を助けるために働いてくれている。
 もし自分の身に何かがあれば、彼女たちは自分を守るために戦ってくれるだろう。
 彼女たちに助けてもらえば、自分の身は守れるかもしれない。しかし、それでは納得できない。気持ちがすっきりしない。
 自分の力で身を守り、そして敵を倒したい。
 守るだけでなく、積極的に攻めていきたい。危機を及ぼす敵を、探し、そして殲滅する。
 それは安全と平和を手に入れるための戦いだ。危機を及ぼす存在は、クラナガンにたしかに潜んでいる。
 母が、高町なのはが警官たちに説明していた言葉を、断片的にだが聞いていて、それが何を示しているか理解するだけの知識は修得している。

 ミッドチルダに迫る、正体不明の敵性存在がいる。

 リオは、その敵性存在の攻撃を受けて死んだ。ミッドチルダの市民が犠牲になったのだ。
 もし自分が王であるのなら、臣民に犠牲が出て、それを黙って見過ごせるだろうか?民を守らない王は王といえるのだろうか?

 そんなのは過去のしがらみ、縛りである、と、言うことはできるかもしれない。

 だがそれならなぜ、自分には力が備わっていたのか。最初から、何も関係のない一般人の家庭に生まれていたというのならまだわかる。
 しかし、自分がどういう由来で生まれたのかは知っていて、それによってどのような能力が自分の身についていたかは理解している。
 それを黙って見過ごせというのは、少なくとも今となってはできない。

 力を、手に入れたい。

 聖ヒルデ魔法学院で出会ったばかりの頃、いつもどこか哀しげな目をしていた彼女──アインハルト・ストラトスが抱いていた気持ちは、きっとこのようなものだったのだろうか。
 守りたいものを守れなかった、その哀しみ──もし自分の子孫に、今の自分の哀しみが、アインハルトと同じように受け継がれてしまったら、それはとてもつらい運命だろう。

 けりを、つけなくてはならない。

 何ができるというのは、一日や二日考えた程度ではどうにもならない。
 聖王教会へ行けば、何かわかるだろうか。シスター・カリムやシャッハは、このような相談を受けてくれるだろうか。

 通りをいくつか渡ると、銃砲店の看板が立っているのが見えた。
 もっとも、ヴィヴィオは魔導師ランクを持っていないので売られているデバイスを購入することはできない。
 セイクリッドハートには、ストライクアーツで使うための競技用魔法しかインストールしていないので、これは実際の戦闘には使えない。
 実際に対人殺傷能力を持つ攻撃魔法がインストールされたデバイスを購入するには、少なくともDランク以上の魔導師ランクを取得し、身分証明書を管轄の自治体へ登録しなければならない。

 武器があれば──。

 どのみち、今まで貯金していた小遣いでは、実戦に耐える戦闘用デバイスはとても高価で買えないものではある。

 ため息をつき、肌寒さを感じる手をコートのポケットに入れて、歩き出そうとしたときにその気配はやってきた。
 思わず振り返る。稜線の向こうには、クラナガンの高層ビル群が、航空機用の警告灯を赤く光らせている。
 空に、目を凝らす。戦闘機ないし空戦魔導師が飛んでいれば、航空灯が光っているはずだ。

 光が見える。速い。すぐ近くを飛んでいるのか。

「あの光──魔力光?なにかの炎が吹いてる──」

 閃光が飛ぶのが見えた。
 今夜の天気は曇りだ。地上近くまで垂れ込めた雲に、強烈な光が反射している。
 地上に設置された砲台からの誘導魔法が放たれている。

 それはすなわち、領空侵犯機に対し迎撃戦が行われていることを意味する。

 人型をしているように見えた。
 とても離れた空の上で、光の点のようにしか見えないのに、透視するようにイメージが浮かんできた。

 人間が乗った機械が、あの暗闇の空を飛んでいる。

 非常警報が鳴り響き、住民たちに避難命令が出された。個人シェルターを所有している者はその中へ、そうでない者は指定の施設への移動と待機が命じられた。
 これほどの規模の発令は、JS事件以来のことである。
 警官たちが通りに出て人々を誘導し、ぞろぞろと人の波が流れていく。

 ヴィヴィオは大通りの真中に立ち、じっと空を見つめていた。

 あの空に現れた人型は、きっと知っている。

 避難のための列を作っている人々を追いかけるように、路地裏から大きな影が現れた。
 列を作りながら歩いていた最後尾の人たちが、あわてて走り出す。

 街灯の光に照らされたそれは、巨大な虫のような、節足動物のような姿をしていた。
 黄褐色の身体に、赤い単眼が3個、頭部らしき場所についている。
 丁度、草むらにある石ころをひっくり返すと裏側にびっしりと貼り付いていそうな、ワラジムシのような格好をしている。しかしその大きさは明らかに異常だ。
 体長は4~5メートル、体高も2メートル近くある。巨大なワラジムシだ。
 警官たちは携行しているデバイスを起動させ、人々の誘導を急ぐ。
 もしこのワラジムシたちが人間を襲うものであれば、市民を守らなくてはならない。

「セイクリッドハート!セットアップ!」

 半ば反射的にヴィヴィオはデバイスを起動させていた。
 あるいは、この苛立ちをぶつけられる相手が欲しかったのかもしれない。

 ワラジムシは腹部に多数の小さな脚を持ち、移動速度がとても速い。自動車並みのスピードで走り回れる上に、平べったい体格のおかげか安定性も高く、方向転換もすばやい。
 念話で発砲許可を受けたと思しき警官たちが、デバイスを構え、ワラジムシに向かって撃つ。
 一般警邏の警察官が使用する標準デバイスは警棒型で小さいので、威力も相応に小さい。拳銃程度の射撃魔法では、ワラジムシの動きを止められない。
 射撃魔法の弾丸が当たるとワラジムシは一瞬ひるむが、すぐにまた走り出す。
 それはゴキブリが走り回っているような姿で、生理的な嫌悪感を催させるものだった。

 警官の一人がヴィヴィオに向かって呼びかけているように聞こえた。

 目の前に走り出てきたワラジムシに向かって、ヴィヴィオは大きなステップから力をためて正拳突きを繰り出した。
 拳から振り放たれる衝撃波で、ワラジムシの体表が大きくへこむ。金属質のメカのようだが、装甲と呼べるほどには体表は硬くないようだ。

 ワラジムシの体節から吹き出す青い粘液に、ヴィヴィオは数日前のあの化け物を思い出していた。

 リオを殺したあのスライムと、このワラジムシは同類だ。
 飛び散った粘液は地面に触れると、アスファルトと反応して刺激臭のする白煙を上げている。あの体液に触れると、肉が溶けてしまう。
 リオはあのスライムに格闘戦を挑もうとして返り討ちにあってしまったんだ。
 スライムを倒してから、なのはがヴィヴィオを慰めていたのは、ストライクアーツのみならず素手の格闘攻撃ではあの化け物と戦うのは危険すぎるということを知っていたからだ。
 あそこでヴィヴィオが何もできなくても、それは責められないことだった。

「おまわりさんっ!こいつらに、近づきすぎないでください!体液を浴びると溶けます!」

 叫び、ヴィヴィオはさらにディバインバスターで可能な限りの遠距離攻撃をワラジムシに当てる。
 なのはが使う、レイジングハートの主砲と名前は同じだが、こちらはDSAAレギュレーション準拠の競技用魔法なので術式にはリミッターがかけられ、見た目はともかく実際の打撃力はエアソフトガン程度しかない。
 ワラジムシのような大きな体躯には致命傷を与えられない。

「無理をしないで!管理局の応援がくるまで、なんとか逃げて!」

 警官の誰かだろうか、返事をしてくれた。
 横目に見ると、ワラジムシは今まであちこちに隠れていたのか、ビルとビルの狭い隙間や、ごみ収集用の箱、道路の側溝など、至る所から這い出してきている。
 ビルの天井の貯水タンクの中から出てきたものもいた。
 もはや数百匹以上のワラジムシが、文字通り街を埋め尽くしていた。いったいこれだけの化け物が、どこに潜んでいたんだ。
 人々は何も知らずに、化け物がそばにいるのに気付かずに普段の暮らしを送っていたのか。
 ワラジムシたちは集まり、走っていく。それは何かから逃げるように、あるいは、何かに惹き寄せられているように見えた。

 自分のデバイスを持っている市民は、それぞれに応戦したりもしている。
 ヴィヴィオの声を聞いたのか、射撃デバイスを持っている者は、他の人々を援護するように魔法を撃っていた。

 人々は公園やグラウンド、体育館のような広い場所に集まり、道路や狭い路地にはワラジムシたちがびっしりと蠢いていた。

 よく見ると、大きい個体や小さい個体もいる。殻のような薄い樹脂の膜をかぶった個体もいる。
 メカと知らなければ、卵から生まれたばかりの幼虫のように見える。

「こいつら、生き物なの!?メカなの!?」

 クラナガン宇宙港に、これと同類のメカが現れて戦闘になり、スバルたち特別救助隊の人々がかなり犠牲になったと、ヴィヴィオはノーヴェから聞いていた。
 彼らは金属の身体を持っているのでメカと、バイオメカノイドと呼ばれているが、一種の動物型サイボーグのようなものらしい。
 しかし、殺せない相手ではない。その性質のために戦い方を注意する必要はあるが、殴ったり撃ったりすればダメージは通るし、殺せない相手ではない。

 飛行魔法の魔力光が空にきらめく。

 管理局の魔導師たちが駆けつけてきた。
 飛びかかってくるワラジムシを回し蹴りで押しのけ、ヴィヴィオは周囲の配置を確かめた。
 大通りに這い出してきたワラジムシは、クラナガンの中心部へ向かって動き出している。
 ヴィヴィオと警官たちはそれを後ろから見る形、魔導師たちはワラジムシの進路前方からやってきた形だ。挟み撃ちできる。
 これでなんとかなる、と、警官たちが安堵したのもつかの間、今度はビルの窓をぶち破って、別のバイオメカノイドが現れた。

 砂のように粉々になったガラスが道路に散らばり、大きなシルエットが飛び降りてくる。

 こちらはやや明るい黄色の体色をした、キャタピラのような脚部を持った個体。
 クラナガン宇宙港に現れたものと同じ、戦車型のバイオメカノイドだ。

「!撃っ──!!」

 ほとんど偶然といえた。
 へたり込むように体を落とした瞬間、それまでヴィヴィオの顔があったあたりを、大出力のビームが突き抜けていった。
 その光線のやってきた方向には、戦車型が、蟹のような太い腕を掲げて、ゴムの袋を握りつぶすような、異様な吼え声をあげている。

 コンクリートが崩れ落ち、地面にぶつかって割れる音が背後から響く。
 ヴィヴィオに向かって飛んできたビームは、後ろにあったビルの壁に当たり、窓ガラスが砕け散って、壁面が大きく割れた。
 中の鉄筋が見えるほどにコンクリートは抉り取られ、破片が落下する。
 これには、人々はひとたまりもない。やわらかいものが潰れる音がした。
 落ちてきたコンクリートの大きな塊が当たったのだろうか。振り返ると、街灯の明かりに、液体の反射が見えた。
 崩れ落ちてきた百キロ以上もあるコンクリートに直撃され、頭が潰れてしまった死体が見えた。

 戦車型は、腕の先からビームを撃てるようだ。ワラジムシを狙って撃っているようだが、照準はあまり正確ではなく、かなりの流れ弾が避難している人々の頭上に降り注いでいた。
 押し寄せてくるワラジムシをジャンプして避けながら、ヴィヴィオもたまらず、サイドステップで戦車型の砲撃をかわす。
 大量のメカノイドを前に、戦車型は明らかに興奮しているように見えた。ワラジムシに突撃を繰り出す個体もいる。
 勢い余ってワラジムシを飛び越え、そのまま人ごみの中に突っ込んでしまう戦車型がいる。人々が、悲鳴を上げながら将棋倒しになる。
 あれの体重は数百キログラムもある。踏み潰された人間は、数人ではきかないだろう。

「練習場へ!みなさん、練習場へ逃げてください!」

「パパがっ、お巡りさん、パパが下敷きになって!誰か助けてえ!」

 人々の怒号に、泣き叫ぶ小さな子供の悲鳴が混じる。戦車型の砲撃をよけようとしたワラジムシが人ごみに突っ込むたびに肉が潰れる湿った音が飛び散り、子供の悲鳴が一つずつ消えていく。
 見回すと、ワラジムシが高速で駆け抜け、轢かれた人間が、糸くずのようにねじれて、回って、転がっている。

「デバイスを所持している方へッ!発砲は止めてください!彼らを刺激しないように!」

 もはや警官たちによる状況収拾は不可能になっていた。

 戦車型とワラジムシは互いに攻撃し合っているが、人々にとってはそれどころではない。
 管理局の魔導師たちは両方を攻撃対象に、魔法の発砲を開始した。

 空気を裂くような発砲音と共に、夜の大通りに魔法の火炎とバイオメカノイドの体液が飛び散る。魔法の熱エネルギーを受けたバイオメカノイドの体液はあちこちで引火し、炎に包まれてのた打ち回るワラジムシがいる。
 そうかと思えば、戦車型の砲撃をまともに喰らって吹き飛ばされる魔導師もいる。戦車型の砲撃は、人間用の武器でいえばグレネードランチャー並みの破壊力がある。
 身体ごと商店のシャッターに打ち付けられた魔導師は、全身の皮膚が砕けるように爆発して、手足が燃えながらちぎれて空を舞った。

 セイクリッドハートの防御力でも、これを受け流すのは容易ではない。受け流したとしても、流れ弾が今度はあらぬ方向へ飛んで行ってしまう。
 戦車型はもはやワラジムシと人間との区別をしなくなり、動く物体に対して無差別に砲撃を始めた。
 魔導師たちもこれほど敵の数が多いとは想像できなかったようで、指揮系統は混乱し、完全に乱戦となっていた。

 風を切る、独特の音が響いた。

「迫撃砲!?」

 空に、鈍い黒色の球が見えたかと思うと、ワラジムシたちの塊の中で大爆発が起きた。アスファルトが抉られ、重油を塗りたくられた大きな砂利の粒となって飛び散る。ちぎれたワラジムシの体節や、戦車型の腕が爆風で飛ばされてくる。
 黒色の球は魔法陣を纏いながら降ってきて、通りのあちこちで炸裂する。
 道路は穴だらけになり、通りに面した建物の壁にはバイオメカノイドの体液が飛び散って垂れ、甲殻類の抜け殻のようなバイオメカノイドの破片が突き刺さっている。
 しかしその中には、人間の腕や足のようなものも混じって、道路端の花壇の中に転がっていた。
 逃げ遅れたか、混乱で方向を見失い、バイオメカノイドたちの中に迷い込んでしまったのか。
 人々ごと、管理局はバイオメカノイドを掃討するつもりだ。

 ああ、とか、うう、というような、言葉にならない人々のうめき声が聞こえる。
 声のする方を見渡しても、瓦礫とバイオメカノイドの残骸しか見えない。

 空戦魔導師たちが空にいる。大型砲撃デバイスの照準が、地面に向けられている。

 人々の誘導をしていた警官たちも、もはや何人が生き残っているだろうか。
 後退りすると、ヴィヴィオは丸い棒のようなものを踏んづけた。警官の持っていたデバイスだ。デバイスのグリップ部分には人間の手が見えたが、それは手首から先がなかった。

 まばゆい砲撃魔法の閃光が迸り、つい数時間前まで、遊びや仕事帰りの人々でにぎわっていた大通りは、土砂と瓦礫を激しく吹き上げて崩壊した。
 バイオメカノイドの体液が混じり、それは空中で燃え上がり、炎を纏った石つぶてとなって飛び散る。
 襲う土砂の圧力に、戦車型が押し潰され、ワラジムシが胴体をちぎられ、人間は細切れになって飛び散る。

 ヴィヴィオは、そのすべてを、見ていた。

 

 

 当直当番へ引き継ぎの準備をしていたまさにその時、一級警戒アラートの警報が鳴り響いた。
 なのははすぐに司令室へ急ぎ、知り合いの司令官へ状況確認を行った。
 本来は教導隊は直接出撃するための部隊ではないが、この際そんなことも言っていられない。

 オペレーターに通信機を一台貸してもらい、地上本部への回線を開く。
 所轄の首都防衛隊と連絡を取り、出撃体制を聞く。クラナガン中央第4区の市街地に大量のバイオメカノイドが出現、個体数は500体以上と予想される。既に緊急出動した魔導師がいるが、彼らではおそらく敵を食い止められないだろう。
 首都防衛隊の分隊長は、分隊支援火器の使用準備をしている、と言った。

「そんなっ……市街地ですよ!?民間人も多数いるんです、そんなところで……!」

 なのはは耳を疑った。
 分隊支援火器といった場合、通常は正規軍レベルで使用する、戦場を面制圧するための広域攻撃魔法のことをさす。
 第97管理外世界の武器でいえばロケットランチャーや重機関銃などが該当する。
 これらは危害半径が数十メートルから100メートル以上と広範囲に及び、市街地で使用したなら、市民や一般家屋への巻き添えは避けられない。

 それはわかっているが、と、分隊長は苦い表情を見せる。

 通常の市街戦を展開するなら、一体のバイオメカノイドに対し、せいぜい1、2人で対峙することになる。
 しかも、市街戦ということは障害物や遮蔽物となる建物が所狭しと立ち並び、視界が非常に悪い。そんな中で、人間よりもはるかに大柄なバイオメカノイドを相手にするには、条件が悪すぎる。
 狭い場所ではこちらも集団で行動できないため、最悪、少人数に分かれた魔導師たちが各個撃破されるという
事態が起こりうる。
 クラナガン宇宙港では広い開けた場所での戦闘だったため、なのはとフェイトの二人で戦うことができたが、市街戦となればディバインバスターやサンダースマッシャーのような大振りの魔法は威力が大きすぎて使えず、接近戦を強いられる。
 複数の個体に囲まれたら、自分たちであってもやられかねないだろう。

 仕方ない、と思い直そうとして、なのははすっと背筋が寒くなった。

 バイオメカノイドたちが出現している地域は、リオ・ウェズリーの実家に近い。
 今日、彼女の実家で執り行われた葬式に行っていたヴィヴィオが、まだ帰ってきていない。
 ということは近くにいるかもしれない。
 もしかすると、戦闘に巻き込まれている可能性がある。

「隊長、私も出ます」

『しかし高町くん、教導隊は──』

「処分はあとで受けます。その代わり、攻撃するなら手加減なしで、全力でやってください」

 なのはの切迫した声に、隊長も気圧された。
 通信を取り次いでいる司令室のオペレーターが、不安げになのはを見上げている。

『──わかった。うちの隊ではMk76魔導榴弾を用意している、50メートルより離れていれば大丈夫だ。留意してくれ』

「了解です」

『私も君の骨を拾わなければならない事態は避けたい。十分に気を付けて』

「──ありがとうございます」

 なのはは官舎の外に出ると、すぐさまバリアジャケットを装着し、レイジングハートを起動させた。
 今回は飛行魔法を使い、現場に急行する。空中へ上がると、立ち並ぶビルの間から、火の手があちこちに上がっているのが見えた。
 地上を、砲撃魔法の火線が飛び交っているのが見える。あの様子だと、もはやこちらの魔導師は陣形を完全に崩され、乱戦になっている。
 連携を分断された魔導師たちは、やたらに砲撃を放っているが、数が多すぎるバイオメカノイドに囲まれて、一人、また一人と力尽きて飲み込まれていく。涌き出るワラジムシたちに集られ、人間はぐちゃぐちゃに踏み潰される。

 レイジングハートをしっかりと構え、なのはは全速力で飛び立った。

 

 

 ミッドチルダのはるか上空、クラナガンを真下に見下ろす静止軌道上に位置する時空管理局本局では、クラナガンに出現した大量のバイオメカノイドたちの追跡を行っていた。彼らは軌道上からでもその蠢きが見えるほど、広範囲に散らばり、そして密集していた。
 それは数十分をかけて、近くにいる個体同士が集まり、大きな群れをつくり、そして彼らはクラナガン宇宙港へ向かっていた。
 宇宙港へ向かおうとするのはワラジムシたちで、これは少なくとも1千体以上が出現している。
 数からして、カレドヴルフ社の貨物船でも積みきれない量だ。
 出動した魔導師たちからの、孵化したばかりのような小さな個体がいるという証言から、このワラジムシはCW社貨物船より解き放たれてからの数日間の間に、瞬く間に繁殖して数を増やしていったと推測された。
 ワラジムシの生態は本来の昆虫とほとんど同じであり、湿った薄暗い路地裏などに隠れ、捨てられた生ごみなどを食べていた。
 戦車型は、そのワラジムシたちを追い立てるように現れた。
 これは数が少なく、海に墜落した貨物船に隠れていたと思われる。

 バイオメカノイド同士が互いを攻撃しあう状態が起きているとの報せを受け、本局の作戦会議室では大慌てで対策が検討されていた。

「奴らの共倒れを狙うのは厳しいでしょう」

 集まった参謀のひとりが言った。
 レティも、宇宙港に集結している護衛艦群の指揮のため本局に戻っていた。

「戦車型については、ワラジムシを優先的に攻撃している状態です。
しかし如何せん数が多すぎます、このまま放置していれば30分とたたずに戦車型は全滅するでしょう。
そしてそれ以上に、中央第4区の街は破壊し尽くされます」

「しかしなぜメカノイド同士が攻撃しあっているのでしょう、敵味方の識別が狂っているのでは?」

「なんとも言えません、宇宙港での戦闘では使用することのなかった砲撃魔法を、今夜現れた戦車型は使用しています。
まるであのワラジムシたちこそが戦車型にとっての本来の攻撃目標であったかのようです。
宇宙港での戦闘では、彼らにとってはわれわれ人間が敵かどうか判断がつかないまま戦っていたのかもしれません」

「彼らにそのような知能があるとは思えませんな」

「どちらにしろ、今は出現したバイオメカノイドを掃討することが最優先です。
敵の性質上、作戦区域となる中央第4区は商業施設が多く建物が入り組んでいますから、魔導師による市街戦を展開するには厳しいものがあります」

「──となると、敵の殲滅を最優先に考えた場合、航空機による戦術爆撃しかありません。
もちろんその場合、中央第4区市街地への二次被害は避けられませんが」

「市民の避難は完了しているのですか」

「河川敷グラウンドと区立体育館に、それぞれ。今の時点で市街地に残っている人々は、救出は不可能と思われます」

 不可能とは、救出しようとすればもっと多くの犠牲が出るだろうということだ。一人を助けるために十人の犠牲が出るだろうということだ。
 そんなことをすれば戦闘員の数が減り、敵を倒すために必要な人数が足りなくなってしまう。

 通信ウインドウが開き、地上本部からの報告が上がってきた。
 面識のあった司令官で、レティは通信ウインドウを横から見る。

『首都防衛隊は爆装で出撃し、敵バイオメカノイドの掃討にあたっています。上空から確認できる範囲では、現在の作戦区域に生存者はみられません。
──それから、戦技教導隊の高町一尉が、ちょうどわが基地に居合わせまして、応援に向かっています』

 レティは苦虫を噛み潰したような表情になった。この大事なときに、勝手な出撃をしてくれたか。
 なのはが出撃しているとあっては、大掛かりな爆撃ができない。
 おそらく彼女は地上に降りて戦うだろう。そうなったとき、まさか彼女ごと爆破するわけにもいくまい。
 いかに高町なのはであっても、航空機搭載型魔導爆弾の破壊力には生身では耐えられない。

「中央第4区の区長へは報告を?」

『先ほど行いました。“最も効率のよい作戦を”との依頼です』

「わかりました。我々管理局はその判断する最も効率のよい掃討作戦を展開しますと回答してください」

『イエスマム、アドミラル・ロウラン』

 敬礼でこたえ、司令官は通信ウインドウを閉じた。
 さらにレティは参謀たちに、現在クラナガン宇宙港に停泊している巡洋艦ヴォルフラムへ、その場で待機し絶対に動くなと重ねて伝えるよう命じた。
 数日前の大クモ出現のときも、はやては出撃できない自分にかなり苛立っていた様子だったが、今回までも、どうにか我慢してもらわないといけない。この戦闘を乗り切れば、ヴォルフラムを本局へ回航することができる。

 最悪はやてだけでも単独出撃を許可するか──と、そうレティが考えたところで、ヴォルフラムへの回線をつないでいた参謀が、八神艦長がレティ提督と直接話したいと言っていると、通信ウインドウをレティの席へ持ってきた。

 

 クラナガン宇宙港にも、はるか離れたクラナガン中央第4区での戦闘の影響か、焦げるような臭いの風が吹き込んできていた。

 八神はやてはヴォルフラムの露天艦橋に立ち、艦の指揮を任せたエリーに本局への通信を行わせていた。
 やがて、ちょうど参謀会議を行っていたレティ・ロウランとの通信がつながったとエリーから連絡が届き、はやては露天艦橋ウイングに設置された通信ウインドウのスイッチを入れた。

「──提督、見えてますやろ?私のカッコ」

 はやては既にバリアジャケットを装着した状態で露天艦橋の見張り台に立ち、いつでも飛び立てる状態で待っていた。
 画面の向こうで、レティが口元をゆがめるのが見える。

『しょうがない子ね、まあ私も貴女と同じことを考えていたわ』

「──止めても行きますよ。なんだったら憲兵隊廻してきてもいいです。機関止めた状態でも、対潜波動爆雷やったら撃てますから。
それで係留をぶっちぎります」

 いつにないはやての物騒な言葉に、近くの席で通信を聞いているであろう本局の参謀たちが青ざめる顔が目に浮かぶ。

『そこまでしなくても大丈夫よ。八神二佐、私の権限で貴官に迎撃作戦を命じます。
“夜天の書”を使用し、クラナガン中央第4区における作戦区域内に出現したバイオメカノイドをすべて撃破してください。既に戦技教導隊の高町一尉が向かっています。
可能であれば彼女と合流し共同で戦線を展開してください。今回出撃するのは貴官一人です。
現時刻より25分後、午前1時を期してミッドチルダ駐留航空団による戦術爆撃を中央第4区に対し行います。
それまでに戦闘終結が不可能であれば、直ちに離脱してください。
貴官もしくは高町一尉が作戦区域に残っている場合でも爆撃は行います。回避照準はとりません、いいですね?』

 タイムリミットは25分。それまでに片がつかなければ、なのは、はやてもろとも爆撃で消し飛ばすという。
 民間市街地への爆撃、それも首都クラナガンに対しそれを行う。尋常ではない事態だ。

 もちろん、中央第4区の区長とて議会に諮ったりなどしたわけではないだろう。区役所の庁舎から現場を見て、それで判断した。

 この時間であれば、ミッドチルダ政府の招集も時間がかかる。現場の判断が一番早い。

 非難は免れないだろうが、それでも、あの化け物を一目見てしまったら、決断をしたくなる。
 あれは、ただのメカでも、ましてや害獣でもない。人間の力が及ばない、外宇宙よりもたらされた異質のモンスター・エイリアンだ。

 本局との通信ウインドウを閉じ、はやては艦橋内のエリーへ通信回線を開いた。

「聞いてたなエリー。私は今から行くで、留守番、きっちり頼むよ」

『任してください艦長。リィンちゃんにもよろしく』

「ああ──久々に全力や。援護頼むで」

『オーケーっす。レーダーで見るだけなら止まっててもできますからね、こっちでバッチリ、ナビします』

 電測室から、ヴィヴァーロ曹長も威勢のいい声を届ける。
 はやては夜天の書を起動し、メインメモリに術式をロードして、即時射撃のスタンバイをさせる。
 管制ユニットであるリインフォースIIは、現在は人工人格プログラムを起動せず、完全にデバイス内部での夜天の書とのリンクをとる状態にしている。
 夜天の書のような超大型ストレージデバイスを迅速に制御するには、フルサイズのAIを組み込み、WSO(兵装担当士官)のように作業をさせるのが適している。

「よっし──ナイト1、八神はやて、出る!」

 気合を入れ、はやてはヴォルフラムから発進した。重量級のバリアジャケットを加速させる飛行魔法は魔力光の余波を光の粒のように放出し、黒い翼を展開して羽ばたく。
 はやての使用するバリアジャケットは夜天の書の大出力魔法に耐えるため、通常の武装局員が使用するものよりも数倍以上の強度と装甲を誇る。
 並みの魔導師では維持することすらままならないほどに魔力消費は激しいが、そこははやての資質ゆえだ。

 黒き翼がクラナガンの夜天へ飛び立つ。
 それは神々の黄昏の幕開けであった。

「ヴォルフラムよりナイト1、発艦完了を確認。速度900まで加速──艦長、早速お客さんです。これは待ってたツラですよ」

 ヴィヴァーロが操作するヴォルフラムの魔導レーダーに、まるでタイミングを計っていたように、水平線の影から飛来する高速物体が捕捉された。
 すぐさまエコーパターンを照合する。

 その照合結果は、先日宇宙港上空で首都防衛隊と激戦を繰り広げた、あの人型と一致していた。

 惑星TUBOYで発見された謎の機動メカ、SPTエグゼクター。

 海面すれすれを飛んできた人型は、ぎりぎりまでレーダーの探査範囲外に隠れ、距離35キロメートルで出現した。
 水平線上に、ブースターユニットの青白い噴射炎が広がり、海面に反射して激しく瞬く。

 人型は宇宙港の手前で海面から上昇すると、ヴォルフラムの真上をフライパスしてクラナガンへ向かっていった。
 その先にははやての姿、そして炎上する中央第4区がある。

「艦長、人型がすごい勢いで追っかけていきます。あと20秒で追いつかれますよ」

『わかっとる、後ろがまぶしいわ。奴は何か打っとるか』

「アクティブレーダースキャナーを1秒に1回、きっちり走査してます。魔力量は380億、ガンガン出てます。艦長の影がスクリーン上でかき消されそうです」

「こちらスピードスター、艦長、高度を下げてください。見つかるとまずいです」

『向こうはもうこっちを見つけとる。気にせず堂々としてるとこを見せる──あの人型が、ホンマに人間が操ってるモノやったらな──!』

 バリアジャケットによって空気抵抗から保護された空間の中で、はやての頬を冷や汗が流れる。
 もし人型が攻撃をかけてくれば、この距離でははやてであってもかわせるかどうか。
 レーザーならばシールドで防げるかもしれない。しかし高速徹甲弾は防御が難しい。あれはおそらく、波動制御機関から対生成によって核燃料をつくりだし、それを熱核タービンにかけることによって、弾体となるウランを無限に生産できる。
 残弾を気にする必要がなく、無限に撃てるマシンガンだ。

 はやての上方200メートルほどを、人型は猛烈な相対速度で飛び越していった。
 上空を通過する瞬間、はやては人型の両手に、それぞれハンドライフルが握られているのを見て取った。

 先日撃破したものとは別の個体だ。今回の人型は劣化ウラン弾の銃を二丁持っている。

『なのはちゃん、聞こえるか!そっちで生き残っとるのは何人や!』

 戦闘エリアへ近づき、はやては念話を飛ばす。あたりのビルがほとんどボロボロに倒壊している中、なのはは残っていた5階建てのショッピングモールの屋上から、ディバインバスターを撃ちおろしていた。
 弾丸に爆発属性を持たせ、ビルの階下に群がってくるワラジムシをまとめて吹き飛ばす。
 それでも、弾幕をかいくぐったワラジムシがビルの壁をよじ登ろうとしている。腹部の多脚で、ワラジムシはコンクリートの垂直な壁に張り付いて登ることができる。

『きてくれたの、はやてちゃん!この有様じゃ捜せないよ──ッ!!』

『何を捜しとる!?そのままそこにとどまってたってジリ貧やぞ!』

『ヴィヴィオがいるんだよ!今日、第4区に行くって言ったまま帰ってきてないんだ──!!』

『なんやて──ッ!!?』

 吐き捨てながら、はやてはフレースヴェルグを放つ。
 大口径魔力弾が掃射するように着弾し、地面を大きく抉りながらワラジムシたちを空中へ吹き上げて引きちぎる。加熱で地面が爆発し、あたり一面、バイオメカノイドの体液が流れ出して散らばっているのがわかる。

「なんちゅう無茶してくれとんやドアホウ!もうすぐ本局の爆撃機が来る!この第4区ごとバイオメカノイドを焼き尽くす作戦やぞ!」

「爆撃っ……それって!」

 なのはは振り返り、降下してくるはやての姿を見上げる。
 最大速度での飛行から、翼を広げて急制動をかけるはやての姿が、闇に羽ばたく黒鳥のように見える。

「どの辺にいるかわかるんか!?連絡は!?」

「わからないよっ!今日はリオの葬式で、携帯は持っていかなかったから──!」

「落ち着けや!なのはちゃんがパニクってどうするんや!探せるもんも探せんぞ!」

 なのははかぶりを振り、レイジングハートの加速レールをビルの天井に打ち付ける。
 レイジングハートの砲身は、限界を超えたディバインバスターの連射に、真っ赤に過熱していた。叩かれたコンクリートが、砂を破裂させて湯気を噴く。
 教導官として経験を積んだなのはでさえ、冷静さを失ってしまうほどの状況。ヴィヴィオが行方不明であるという状態が、なのはの焦りにさらに拍車をかける。

「もしヴィヴィオがおるんならどっかで戦っとるはずや、その気配を探せ!大丈夫や、ヴィヴィオならやれる!」

「うん……はやてちゃん!」

 なのはとはやては二手に分かれて再離陸し、それぞれ別の方角から、上空捜索を開始する。
 すでに10分が経過し、爆撃機がクラナガンの南に現れた。あと15分で爆撃機編隊は第4区上空へ到達し、ありったけの魔導爆弾を投下する。

 はやてを追い越して飛んでいった人型が、地面に向けて実弾銃を撃っているのが見える。
 人型は、こちらもワラジムシに対して攻撃を行っている。
 しかし今は、共闘などといったことを考えている余裕はない。そもそも、あの人型に言葉が通じるかどうかもわからない。

 人型が旋回している、その真下のあたりから、突如として大量の魔力弾が打ち上げられた。
 人型に反応して応射したのか。それは普通の人間ではまず発現することのない、虹色の魔力光を放っていた。

「セイクリッドクラスター……!!」

 間違いない。あれはヴィヴィオの魔法だ。
 どうやってかはわからないがあれを撃ったということは、ヴィヴィオはまだ生きて戦っている。

 

 

 ほとんどが炎と瓦礫に埋め尽くされてしまった第4区の町。
 地面にはおびただしいワラジムシが蠢き、空には無慈悲な爆撃機が舞う。
 人々はもはやなすすべなく寄りかたまり、身を寄せあって怯えるのみ。

 撃墜された魔導師の死体から拾った標準デバイスを手に、ヴィヴィオはさらにカートリッジマガジンを装着した。
 弾さえあれば魔法を撃てる。術式のプログラムはセイクリッドハートのメモリから移してロードした。魔法はデバイスがあれば撃てる。
 火災の炎で大気がゆらめき、周囲を取り巻くワラジムシたちの姿が揺れる。

「ここは、どこなの──」

 ヴィヴィオは、自分の手にしたデバイスをワラジムシに向けて構え、きつく奥歯を噛み締めた。

 人間の姿が見えない。
 あたり一面、露出した砂利と鉄筋コンクリートの残骸しか見えない。
 炎を踏み潰しながら、ワラジムシたちが蠢いている。自動車を踏み潰したのか、オイルをかぶって背中に火がついた個体もいて、体節をくねらせてもがいている。

 ここはどこなんだ。自分はさっきまで、街にいたんじゃなかったのか?

 ここはもう、人間の住むべきところじゃない。

 バイオメカノイドから逃げ回っていた人々の悲鳴ももう聞こえない。
 炎が大気を揺さぶる風音と、遠くから響く砲撃魔法の発砲音しか、もう聞こえない。

 

 

 

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最終更新:2012年12月19日 11:11