■ 6
頬を焼くような炎の熱を感じながら、ヴィヴィオはゆっくりと歩を進める。
歩くたびに、舗装を失って砂と土がむき出しになった地面に靴が沈み込む。
クラナガンの土壌は広大な堆積平野なので、地盤は比較的やわらかい。
このような地面では、踏ん張りがききにくく、敵が攻撃してきたときにとっさの回避が難しい。
足の踏み切りを使わず、飛行魔法を短距離ダッシュに使うやり方が必要になってくる。
あちこちに、ワラジムシに襲われて壊れた家屋や自動車の残骸が燃えている。
街灯は押し倒され、ランプが割れて中のフィラメントが溶け出している。
コンクリートの破片にかじりつくようにしてワラジムシが動いている。これだけ火災が至るところで発生していると、敵も目標がわからなくなるようで、戦車型もワラジムシも、周囲をうかがうようにゆっくりと動いている。
敵が何を情報収集の手段にしているか──視覚なのか聴覚なのか、さらには視覚であっても可視光なのか赤外線なのか紫外線なのか──わからないが、少なくともこの状態では、敵もヴィヴィオを見つけにくいようだ。
目の前にいて尻尾側を見せているワラジムシに、距離およそ10メートルでヴィヴィオはデバイスを向けた。
管理局首都防衛隊の一般隊員魔導師に配備されている標準デバイスは、9ミリ程度の小口径弾の連射と、チャージしてからの炸裂弾を撃ち分けられる。
バイオメカノイドには、小口径弾はほとんど効かない。体格が大きいため、人間相手であれば十分な制圧能力がある威力の弾丸でも、動きを止めるには至らない。
ある意味暗黙の了解である。魔導師が使うデバイスや魔法は、人間に向けて使うことを想定しており、それ以上の大型機械や大型生物を攻撃する目的では作られていないのだ。
ましてや地域警邏が主任務となる地上の魔導師は、犯人の殺傷ではなく制圧を目的とするので魔法の威力はさらに制限される。
第97管理外世界でも、たとえばアメリカの警察官が市街地を逃走する犯人に向けてM79グレネードランチャーやデザートイーグル50A.E.を発砲することはない。
セイクリッドクラスターの術式を流し込み、散弾を放つ。反動が大きく、しっかり構えないと腕がもっていかれそうになる。
放たれた虹色の魔力弾は、ワラジムシの背中を叩くように命中し、体節をつくっている外骨格が割れて、一部が飛んでいった。
背中に穴の開いたワラジムシは、ゼリー状の体液を垂れ流し、もがいている。
穴の開いた部分を狙ってさらにセイクリッドクラスターを撃つ。ワラジムシの体内に飛び込んだ魔力弾が、外骨格の内側で跳ね返りながらワラジムシの内臓を引き裂く。
動かなくなったワラジムシは、すぐに体液に引火して爆発を起こす。既にヴィヴィオが歩いてきた道すじには、撃破したワラジムシの死骸がいくつも、悪魔召喚の儀式に捧げられた生贄のように炎をあげていた。
立ち上る煤煙と、散らばる瓦礫で、周囲はまったく見えない。ここがクラナガンのどのあたりなのかも判別ができない。
今日の空は曇りで、街の灯りが雲を淡く光らせていたはずだったが、今は雲が火災の炎を反射し、不気味に赤黒く染まっている。
拾った標準デバイスで当初はディバインバスターを撃とうとしたが、負荷が大きすぎて耐えられなかったのか、デバイスがバックファイアを起こして壊れてしまった。
セイクリッドクラスターでも、数発も撃つと銃身がガタガタになってしまうので、見つけた限りのデバイスを何度も持ち替えながらヴィヴィオはここまで来ていた。
バリアジャケットはダメージの蓄積で破損し、下に着ていたコートも袖口が焦げている。
セイクリッドハートも過負荷によって外装のぬいぐるみが半分ほど燃えてしまい、中の結晶体がむき出しになっている。
それでも、うさぎは残った半身で、健気にヴィヴィオを励ましていた。
「駅まで、行けば……!」
痛みをこらえながら、前を見据える。
ディバインバスターの発砲に失敗したときのバックファイアを腕にもろにかぶったらしく、左の手首がひりひりする。火傷は軽くはないはずだ。
鉄道網は激甚災害が起きた場合を考慮して、設備は頑丈に作られ堅牢な連絡手段も備えられていると、なのはから聞いたことがあった。
クラナガンのような建造物が密集する大都市ともなれば、ひとたび災害が起きた場合の被害も甚大なものとなる。
ハリケーンや竜巻といった気象災害、地震などはクラナガンは比較的少ない土地だが、広がりすぎた都市開発の手は各地で計画のゆがみを発生させ、工事が止まったまま放置された地区や、交通網の整備の遅れからゴーストタウンと化して荒廃した地区があちこちにある。
ミッドチルダ政府は、主要幹線を緊急時の軍事連絡線として使用するプランを持っており、クラナガンの都市開発に反映されていた。
ヴィヴィオはその話をなのはから聞いたことがあり、中央第4区にある駅のひとつがその路線に該当していることを思い出していた。
「打ち上げればっ、きっとママが見てる──!」
デバイスを空にかざし、発砲する。
空に舞うのは、本局の魔導師だろうか?それとも、飛行型のバイオメカノイドだろうか。
それでも、誰でもいいから気づいてほしい。
その願いをこめて、ヴィヴィオはセイクリッドクラスターを撃ち放った。
夜のクラナガンに浮かぶ大火災の光は、遠くベルカ自治領からも見ることができていた。
ちょうどクラナガン上空に雲が出ていたため、雲の水滴によって光が拡散され、地平線の向こうが赤く染まっているのが見えたのだ。
報告のために執務室を訪れたシスター・シャッハは、緊急電話でどこかと話しているカリムの姿を認めた。
「──はい、はい。こちらでも確認しました、内容については後ほど──承知しております。ただちに騎士団を召集し諮ります──はい。わかりました──そのように。では一旦──」
カリムは通話を終え、震えるような重いしぐさで受話器を置いた。
彼女が、これほどまでに動揺を見せるのは初めてのことだった。騎士団を召集、という言葉から、事の重大さをシャッハは察していた。
「騎士カリム──」
「聞いていましたか。──たった今、聖王陛下がクラナガン中央第4区で消息を絶ったと連絡がありました」
シャッハは絶句した。
今、外で見てきたクラナガンの空は、戦争でも始まったかと思えるほどに、炎で赤くなっていた。
この聖王教会とクラナガンは、距離にして140キロメートルも離れている。
にも関わらず、明るさだけでなく範囲も、小都市ほどの広さの範囲が炎上しているのが見て取れる。
火災が市街地で起きているのなら、市民への被害は想像を絶するものがあるだろう。
そして、犠牲になった人間たちの中に、自分たちが神のように奉る聖王が、含まれているかもしれない──。
「陛下はっ──」
「虹色の魔力弾を見たという、本局所属魔導師の報告が来ているそうです。希望はあります」
シャッハの声をさえぎるように、カリムは言葉を振り絞った。
そうだ。希望を捨ててはいけない。
ヴィヴィオは、生きている。生きて、戦っている。
報告に行ったはずのシャッハの様子を見に来たのだろうか、教会のシスターたちが、執務室の前に集まっていた。
誰もが、不安な面持ちでカリムを見ている。
カリムが、次にどんな言葉を紡ぐのかを傾注している。
たったひとつの言葉で、多くの人間の心が動かされる。
王とは、人を支配する者とは、そのような存在なのだ。
たとえ無意識であっても、被支配者であることを意識せずとも、人々の心の拠り所というのは確かに存在する。
それはなにも特定の個人とは限らない。思想であったり、意志であったり。それは無機物でもない、自分の意志でもよい。
ヴィヴィオは、そんな気持ちを、幼い頃から持っていた。
聖王の資質の本質とはそこにある、と、カリムは考えていた。
「──すぐに教会本部の騎士たちを集めてください。時空管理局に対し、聖王教会の公式声明を出します」
はい、と、可憐にも健気な返事をしてシスターたちが寄宿舎に走る。
彼女たちを見送った後、シャッハは再びカリムに向き直った。
「シャッハ──聖王は、わたしたちの希望です。希望を失った人間が生き抜いていくことはできません」
「────はい」
聖職者といえども、支配者の試練から逃れることはできない。
神はすがるためにいるのではない。人が人を導くために、生きる指針とするためにいるのだ。
けして、天の上から救いをもたらしてくれる存在ではない。
神は、人が自ら見出さなくてはならない存在なのだ。
その覚悟無しに、聖職者になることはできない。
聖王教会に帰依するとき、カリムがひとつだけ、曲げてはならない戒律として教えたことだった。
その覚悟を試されるときが来たのだと、シャッハは胸に重しがかかっていくのを感じていた。
クラナガン中央第4区では、出動した魔導師たちからの報告を管理局本局へ転送すると同時に、聖王教会へも情報共有を行っていた。
エースオブエース、高町なのはが出撃しているという報せは出動した地元魔導師からももたらされ、さらに、本日第4区にいて事件に巻き込まれた市民の中に、彼女の娘、高町ヴィヴィオがいるということも、避難誘導にあたっていた警察官の一人から報告が上がっていた。
高町ヴィヴィオという14歳の少女が、聖王教会が擁する聖王の血を引く人間、聖王ヴィヴィオであるという事実はもはや、ミッドチルダの国民にあっては公然の秘密である。
人々は、特に意識せず接していても、彼女が、ヴィヴィオが聖王たる者であることは紛れもない事実だ。
聖王教会からは、対応を検討するという返事をもらった。
これが管理局の進める作戦に影響を及ぼすことは確実だ。
市民の安全を守るための作戦ではあるが、もし聖王に被害が及んだことが明るみになれば、第4区、そして管理局への批判は避けられない。
いかに管理局といえども、市民の支持なしには存続できない。
必然的に、聖王の捜索及び救助を作戦目的に追加しなくてはならなくなる。
管理局所属の爆撃機部隊は既に発進し、クラナガンを射程におさめている。
彼らを呼び戻すか、攻撃待機を要請するか──。
爆撃機は絶大な攻撃力を持つ魔導爆弾を搭載できるが、その攻撃力の代償に、人間の魔導師に比べると機動力が著しく劣る。
いったん攻撃を中止させてしまうと、再攻撃に向かうまでに時間がかかる。
聖王を救助後に再攻撃とした場合、どれほどのタイムラグが生じ、そのタイムラグによってどれだけの被害が増えるか。
どのような選択をとっても、失敗が露見する可能性はある。
言ってしまえば、聖王の身辺を警護できなかったのが既に失敗であるとも言える。
しかし、その選択をしたのは彼女、ヴィヴィオ自身である。
ならば、彼女は自分の選択によってこのような事態になることも、想定しているではないか?
いや、想定してしかるべきであろう。また、彼女が生きていればそのように命令を下しただろう。
クラナガン中央第4区の区長は、時空管理局本局への、再度の要請を行った。
──“バイオメカノイド掃討作戦に変更を認めず。爆撃隊は予定通り第4区上空への進入を許可する”──。
本局へ依頼を上げたという報告は、同時に聖王教会本部へも送られた。
クラナガン宇宙港への進撃を続けるバイオメカノイド群をはやては追い、なのははヴィヴィオがいると予想されるエリアへ急行していた。
虹色の魔力光を放つ散弾は、間違いなくヴィヴィオの魔法、セイクリッドクラスターである。
散弾を撃つだけなら市販の術式にも存在するが、虹色の魔力光──カイゼル・ファルベというのはヴィヴィオだけにしか出せないものだ。
少なくとも、今まで虹色の魔力光を発現させた人間は聖王の血筋の者しか知られていない。第4区の住民で虹色の魔力光を持つ者はいないはずだ。
出撃している爆撃機は、GBM-37魔導爆弾を搭載している。
これは爆風が地面と水平に広がる特徴を持ち、特に広範囲の対地攻撃に適している。
たとえば広い平原に展開している敵部隊などを攻撃するのに使われたりするが、このような市街地に向けて投下した場合、障害物に隠れた敵にも爆風が回り込んで到達するため、逃げ場のない確実な攻撃ができる。
管理局直属部隊に配備される魔導爆弾の中でもかなり大型の機種であり、炸薬重量は500ポンドである。
500ポンド(約225キログラム)の魔力結晶に封入されたエネルギー量はロストロギア・レリック1個分に相当する。
爆撃機はこのGBM-37を1機あたり4個積むことができる。6機の編隊を組めば、24個ものレリックが同時に爆発したのと同じ破壊力を発揮できる。
これだけの威力ならば、およそ5キロメートル四方の広さを持つ中央第4区のどこにバイオメカノイドが隠れていたとしても、一匹も逃さず殲滅できるだろう。
あくまでも威力ではなく攻撃目標によって区別される。
バイオメカノイドは地上歩兵扱いなので、それに対して行う爆撃は戦術爆撃であるということだ。
これだけの爆弾で攻撃されたなら、自分はもちろんヴィヴィオも、はやてでさえ、耐えられないだろう。
爆発に巻き込まれればまず命はない。
これまでの管理局の作戦方針から考えるに、爆撃機は自分たちがいても構わず攻撃を行うだろう。爆撃機が到達するまでに、ヴィヴィオを発見し、救出して離脱しなければならない。
セイクリッドクラスターが発射された地点は、中央第4区のターミナル駅に近い場所だった。
この駅は幹線が通るため施設自体が大きく、目印になる。
ヴィヴィオも、戦い方を自分なりに見つけている。
「!ヴィヴィオ──!」
空から見下ろすと、数匹のワラジムシがなにかを取り囲んでいるのが見えた。
彼らに囲まれた中にきっといる。
なのはが低空へ降りようとしたとき、突如、上方から空気を裂く超音速弾の飛翔音が疾った。
とっさに見上げると、あの人型がなのはの上空50メートルほどに滞空していた。
姿勢制御用の小型バーニアをふかし、空中で停止している。
近づくと、非常に強い魔力を感じ取れる。
さっきまで気配がなかったのは、おそらくエンジンを止めて隠れていたのだ。
人型が撃った弾丸は、ワラジムシたちを貫いて地面に突き刺さった。
索敵魔法を発射し、弾丸を分析する。弾体はウラニウム・ペネトレーター(劣化ウラン弾芯)であり、炸薬は組み込まれていない。
純粋に、命中時のメタルジェットのみで攻撃する徹甲弾である。ウランを徹甲弾の侵徹体に用いた場合、命中時に発生する高熱によって燃焼し、焼夷効果を発生する。
ここでいう燃焼するとは核分裂ではなく、空気中の酸素と反応して酸化ウランになるということである。
これはもちろん対人射撃では全く意味のない設計であるが、バイオメカノイドを相手にした場合、金属の外骨格を貫通した後、1200度以上の高温で燃えるウランの粒が体内に飛び散ることになり、非常に高い破壊効果がある。
有人搭乗型の兵器でも、装甲を貫通した後で機体内部ないしコクピットに大量の焼夷弾をばら撒くような効果がある。
人型の放つ徹甲弾を喰らったワラジムシたちは一撃で戦闘力を失い、爆発していく。
周囲に群がるワラジムシたちが瞬く間に倒され、ヴィヴィオも人型の存在に気付いた。
なのはの姿を見つけ、安堵するように地面にへたり込んでいる。
「後ろ!危ない!」
叫ぶ。
生き残っていた戦車型の一体が、瓦礫を押しのけて這い出し、ヴィヴィオの背後に迫っていた。
これまでの動きを見ている限りでは、戦車型はワラジムシを優先的に攻撃している。
だが、この戦場の混乱では、おそらく戦車型はヴィヴィオとワラジムシの区別が付いていない。バリアジャケットに浴びた返り血を、ワラジムシと誤認している。
腕を振り上げ、その先端に魔力の収束が出現する。
戦車型の砲撃は、人体を軽々と粉砕する威力がある。
今のヴィヴィオは聖王の鎧を持っていない、普通のバリアジャケットしかない。戦車型の砲撃を防御できない。
なのはは全力で飛んだ。
声が出ていたかもしれない。叫んでいたかもしれない。
バリアジャケットが空気を押しのける圧力で、自分の声が聞こえなかった。自分の声がヴィヴィオに届いたかどうか分からなかった。
アクセルフィンによるダッシュと同時にラウンドシールドを起動するが、展開が間に合わない。
左腕に出現する魔法陣の描画がもどかしい。魔力の配置と展開が、過負荷によってクロックダウンしたレイジングハートでは追いつかない。
それでも、ヴィヴィオをかばい、戦車型の砲撃の射程をさえぎる。
「ママ──っ!!」
やや遅れて反応し、背後を振り返ったヴィヴィオは、眼前すぐそばで大爆発が起きるのを見た。
迸るエネルギーが顔を掠め、強烈な運動エネルギーと熱量を持っているのが感じ取れる。
まばゆい光に包まれる影が、なのはの身体であるのを見て取った。
瞬間の後、爆風がヴィヴィオの身体を打ち据え、ヴィヴィオはその場に突き倒されたようにしりもちをついた。
バリアジャケットの破片が、桜色の魔力光を放ちながら散らばっている。
「……!ママっ!ママ、しっかりして……!」
黒い土とアスファルトの向こうに、栗色の髪が見えた。
髪は、白いリボンでまとめられている。土をかぶっているが、白いバリアジャケットが見える。
跳ね返るように起き上がったヴィヴィオは、地面に突っ伏したなのはに駆け寄った。
ヴィヴィオをかばった左腕が、バリアジャケットを大きく破損させて傷口を開けている。飛び散った砂や礫が肌を切り裂き、なのはの左腕はみるみる血に染まっていく。
直撃はかろうじて避けたが、高圧プラズマの塊は強力な運動エネルギーを持っている。血で輪郭がぼやけたなのはの左腕は、おそらく手首が砕けている。
レイジングハートは機関部に被弾し、コアが動力を低下させて明滅している。加速レールは根元から折れ、もはや発砲は不可能だ。
見上げると、戦車型はなのはたちの様子を伺うようにゆっくりと前進している。
目標の継戦能力がなくなったかどうかを確かめようとしている。
もし妙な動きをすれば、戦車型はただちにとどめをさそうと追撃してくるだろう。
夜空に浮かび上がった中央第4区のビルは、そこかしこを戦車型の砲撃で打ち抜かれ、まるで巨大な虫食いのように穴だらけになっている。
あんな砲撃を生身で食らえばひとたまりもない。
「ママっ、起きて、敵が来る──!」
なのはの肩を揺さぶり、ヴィヴィオは呼びかけた。
「ヴィ……ヴィオ……」
空中から飛び込んできた勢いを受け流す余裕も無かったのか、地面に激突したなのははぐったりとして起き上がれない。
顔には泥と血糊が混ざって絡みつき、見慣れた優しい母の表情は見る影もない。
「にげて、……爆撃機が、来る……」
「ママッ!」
高町なのはをしても、これほどまでに消耗させられてしまうほど敵の勢力は多いのか。
もうクラナガンは、町全体がバイオメカノイドに占拠されてしまったのだろうか。
コロナも、アインハルトも、フェイトも、スバルも──みんな、バイオメカノイドにやられてしまったのか。
地面にうずくまるなのはの姿に、ヴィヴィオは自分の中の世界が崩れていくのを感じていた。
今まで、母は誰よりも強い頼りになる人間だった。いつも自分を守ってくれた存在だった。
それが今は、傷つき、地に伏している。彼女が勝てない存在が現れている。
戦車型が地面を踏みしめる音が聞こえる。
もうこっちを見つけている。逃げることはできない。
約束したはずだ。
いつかママを守れるようになると。
どんな人間でも時の流れには勝てず、衰え、弱っていく。
そうなったとき、もっと若い人間である自分が、大切な人を守れるようになるべきである。
ヴィヴィオはその思いから、ストライクアーツを学び始めた。
なのはを守れるように。
それは、こんな日がいつか来ることを、わかっていたはずではなかったのか。
リオを、守れなかった。
そしてまた、なのはも、守れないのか。
目の前で母が死んでいくのを、何もできず見ているしかないのか。
「くっ……!レイジングハート!!」
足を踏ん張って立ち上がり、ヴィヴィオはレイジングハートをつかんだ。
コアはまだ動力を保っている。
レイジングハートは、まだ幼い頃、魔法の練習を一緒にやったことがある。そのときに、色々な魔法を実際に使ってみたことがある。感触は、まだ覚えている。
「レイジングハート、お願い──ママを助けて!!」
術式は既に起動した状態になっている。ヴィヴィオは片側だけになったレイジングハートの砲身を、目の前の戦車型に向ける。
破損したレールから漏れ出すエネルギーを押さえこみ、魔力を結集させていく。
「ディバインッ!バスタアアアッッ!!!」
掲げた腕の先から、極彩色の大口径砲弾が撃ちだされるのを、ヴィヴィオはしっかりと見ていた。
管理局の爆撃機編隊はクラナガン上空に達し、第4区上空まであと2分の距離に到達していた。
空中警戒レーダーでは、問題の人型メカが、第4区ターミナル駅付近で地上へ降下したのを最後にロスト(失探)していた。
爆撃任務を行う航空機であるという性質上、搭載されるレーダーは地上の詳細な地形や移動物体を走査できる、ルックダウン能力に優れたものであるが、それでも人型は地上に降りてから、爆撃隊の追跡を振り切っていた。
あの人型の搭載兵装はいずれも速射性能にすぐれ、機動による回避は難しい。
爆撃機は戦闘用航空機としては防御力が高い方だが、それでも集中して撃たれればどれだけ耐えらえるかというのは未知数である。
爆撃機編隊の編隊長は、進入高度を500メートルにとるよう各機に指示した。
今回の作戦では敵が対空攻撃能力を持っているわけではないので、ぎりぎりまで低空を飛び、爆撃の精度を高める。
地上に展開している首都防衛隊の魔導師から、ワラジムシたちが川沿いに進攻しているとの報告が届いていた。
爆撃隊は川に沿って飛び、なるべく周囲に建物のない、巻き添えを少なくできる攻撃ポイントを狙う。
GBM-37の破壊力では、爆心地から半径20メートルの範囲のいかなる建造物も全壊し、一般的な鉄筋コンクリート造のビルであれば半径300メートル以内で損傷する。
軽車両や歩兵などのいわゆるソフトスキン(柔目標)に対しては、危害半径は600メートルとなる。
レリックを比較に挙げれば、燃料を満載した旅客機などが停泊する民間空港であれば2発、ダメージコントロールを考慮した軍用空港であっても滑走路に3発直撃すればその機能を完全に失わせることができる計算になる。
これまでの戦闘の分析では、バイオメカノイドは金属外皮なりの防御力は持っているが、装甲と呼べるほどには堅固でないとの結論が下されていた。
銃砲やアームドデバイスによる直接攻撃よりも、爆弾による広域攻撃が効果的であるということになる。
「機長、あれを見てください」
爆撃機の操縦士は、第4区のターミナル駅付近に吹き上がった巨大な魔力光を目撃した。
魔力光の色は虹色である。
大出力砲撃魔法が発射され、バイオメカノイドが多数破壊されたことを示す、連鎖的な小爆発が発生している。
「聖王陛下がおられます」
投下ポイントからは、およそ200メートル程度離れている。
このまま投下すれば、魔導爆弾の爆風に巻き込まれてしまう。
「司令部からの命令に変更はないか」
「はい。先ほど、第4区区長から、予定通り攻撃を行えと要請が入っています」
「了解──」
管理局や、ミッドチルダなどの先進国軍で使用される爆撃機は、与圧のための機械用バリアジャケット、放射線防護、さらに搭乗員が着用するバリアジャケットなどで、機内は幾重にも張り巡らされた魔力防壁に包まれている。
位相変換境界を肉眼でも見ることができ、サイバースペースにいるような、一種独特の雰囲気がある。
「バイオメカノイド群の集結を確認、先頭はメープル川河川敷第16突堤付近」
「攻撃ポイントまであと1分、各機ウェポンベイ開口せよ」
爆撃機の腹が開き、ランチャーに魔導爆弾がセットされる。
4発の爆弾は一航過で投下される。
爆弾には軌道を安定させるための尾翼が付いているが、万が一、落下時の姿勢がぶれて誤爆しないとも限らない。
操縦士は機体が急な動きをしないよう慎重に操縦を行い、投下手はランチャーのスタビライザーを油断無く点検する。
投下30秒前、攻撃ポイントの最終確認が行われ、爆弾の安全装置が解除される。
これにより、弾体に装填された魔力エネルギー結晶は、着地時の衝撃によって地中へ1メートルほどめり込み、数秒後に遅発信管を作動させ、そのエネルギーを解放する。
500ポンドの魔力結晶体は、半径数百メートルの範囲の生物を焼き尽くすエネルギーがある。
「投下15秒前、各機高度500メートルを維持せよ」
「2番機、投下用意よし」
「3番機、投下用意よし」
編隊6機全機からの報告を確認し、編隊長は投下指示を出す。
「ロック解除、全機爆弾投下せよ。ナウ・ナウ・ナウ」
合図とともに、各機のランチャーに爆弾を固定していたピンが外され、爆弾は自重によってレールの上を滑り落ち、機体から離れる。
6機の爆撃機から、合計24発のGBM-37魔導爆弾が落下を始める。
落下軌道を安定させるためにわずかにひねりが加えられた尾翼によって弾体は回転を始め、信管を真下に向け、落下していく。
高度500メートルからの投下なので、投下から着弾まではほんの数秒しかない。
投下母機が安全距離を取れるように信管は遅発式で、地面にぶつかってしばらくしてから爆発する。
河川敷にはワラジムシがびっしりと、隙間無く詰めて押し寄せ、地面が脈動しているように見える。
その中に次々と魔導爆弾が突き刺さっていく。
ワラジムシは投下された爆弾を単なる落下物としか認識できず、いったん飛びのくが、すぐにまた集りはじめる。地面にめり込んだ爆弾にのしかかったり、よじ登ったりしている。
爆撃機のパイロットは、ウェポンベイを閉じながら、河川敷にうごめくワラジムシたちを目で追いかけていた。
「総員衝撃に備えろ」
機長のアナウンスが機内に響く。乗組員たちは手近なものにつかまり、衝撃で吹っ飛ばされないように踏ん張る。
夜の闇に、黒い粒々が飛び上がるように見えた。
それはワラジムシたちの影だった。
閃光に吹き上げられるように、ワラジムシたちがちぎれながら空中にはじき出され、直後、空気が割れる大音響とともに衝撃波が爆撃機編隊を揺さぶった。
衝撃波が主翼の飛行魔法を瞬間的に狂わせ、機体は激しく上下する。
地上に迸る爆炎に、巨大なエイのようなフォルムをした爆撃機の影が浮かび上がる。
その下で、ワラジムシはまるで弾ける豆のように跳ね、燃え、破裂していた。
GBM-37の特徴である、地面を覆うように広がっていく爆炎が、起爆から数秒をかけて第4区の地面を走る。炎が広がる速度は秒速数十メートルにもなるが、空から見下ろすと、まるで映画のスローモーションのようにゆっくりに見える。
ある程度を広がった爆炎はやがて対流によって地面から浮かび上がり、煤煙となって空へ昇りはじめる。
「デルタ1より司令部へ、全機投下完了。弾着を観測、全弾起爆を確認。戦果確認を要請する」
空に浮かび上がっていく魔力の炎を横目に見ながら、爆撃隊1番機の機長は本局の司令部へ報告を行った。
本局ではクラナガン中央第4区へ偵察衛星のカメラを向け、軌道上からの捜索を開始した。
同時に、被爆範囲から退避していた首都防衛隊の魔導師たちによる地上捜索も開始される。
地上の魔導師たちの中には、セイクリッドクラスターの弾丸を見ていた者もいた。
彼らにとっては、バイオメカノイドが殲滅できたかどうかということだけでなく、聖王が無事かどうかということも、懸念事項のひとつである。
ビルの鉄骨が基礎から引っこ抜けたくぼ地に身を隠し、ヴィヴィオは空を見上げていた。
爆撃機が近づいているというなのはの言葉に、ヴィヴィオはなのはの身体を担いで、近くのくぼ地へかろうじて逃げ込んでいた。
これは戦車型の砲撃で崩されたところに魔導師の砲撃魔法の流れ弾が当たり、完全に倒壊してしまった建物である。
視界を覆うように、ヴィヴィオの目の前に立つ巨体。
二本の足で立ち、二本の腕を持ち、そして、完全な直立歩行のためのプロポーション。
その背に伸びる巨大なスタビライザーフィンは、有翼の悪魔のように鋭く、そして金属的な光沢に満ちている。
泥と油と土煙に覆われたこの場所で、それはある意味場違いなほどに、不気味に輝いていた。
「ひ……ひと……っ……がた……?」
顔のように見える場所は、半透明のバイザーで覆われて表情は見えない。
かすかに、二対の光が、眼窩に灯っているように見える。
身の丈、4メートルに届こうかという鋼鉄の巨人。
いや、その光沢ある表面形状からすると、軽金属でできているようにも見える。
翼を含めれば、その全高は5メートルを超える。
足音は軽い。その大きさからは驚くほど軽いが、人間としては、重い体重を持っている足音のように聞こえる。
「かばってくれた…………?」
呆けたように言葉が口をついた。
河川敷で炸裂した魔導爆弾の爆風を、ちょうど背に受けるようにして人型はヴィヴィオの前に立っていた。
背をやや屈め、その腕と翼で包み込むようにしている。
両手には、銃身長が16インチを超えるほどの巨大な拳銃が握られている。
この銃口から放たれる大重量のウラニウム・ペネトレーターは、ワラジムシを瞬く間に打ち砕いて見せた。
装甲に覆われていない関節部に注目してみるが、これは樹脂か何かの柔らかい素材なのだろうか、可動部は覆い隠されていて見えない。
中に人間が乗っているのか、それとも無人のロボットなのか、外部からはうかがい知れない。
ヴィヴィオの腕の中で、なのははようやく気を取り戻した。
かすかに息をしつつ、目蓋を上げる。
左腕の感覚は完全に無い。右手で、レイジングハートのありかを探す。ヴィヴィオはあわてて、なのはの右手に掌を重ねた。
レイジングハートは、しっかり持っている。完全に動作限界、設計上の魔力安全マージンを使い切り、蒸気を噴いて強制冷却モードになっている。
これ以上、戦うことはできない。
人型の脛部が、蓋を開けるようにスライドして、人型は拳銃をそこに格納した。
思わず視線をやるが、内部がメカだったのかははっきりとは見て取れなかった。少なくとも、人間のような内骨格構造ではないのは確かだ。
この機体は、物理的なフレーム構造や、モノコック構造では強度を発揮していない。この機械の形を構成しているのは、金属の強度ではない。
魔力が、姿を形作っている。
この鋼鉄の巨人は、魔力でできている。ヴィヴィオはそう直感した。
これはロストロギアなのか。この巨人はロストロギアなのか。
魔力でできた機械、もしくは、金属質の魔導生命体。もっと違う何かか。
ゆりかごに搭載されていたガジェットドローンには、多脚型のマシンがいた。ガジェットドローンの形状は様々で、作ろうと思えばどんな形でも作れる。
それが人型であってはいけない理由はない。
しかし少なくとも、ゆりかごに搭載されていたあらゆる戦闘端末も、このような鋭利なシルエットを持った人型の機種はいなかったはずだ。
この姿は、古代ベルカの系譜には、ない技術体系から生まれている。
人々が伝承に伝える、空から舞い降りた悪魔、ないしは、天使。
それは、人類とは全く異なる起源をもつ異星人だったのではないかと、歴史研究者たちは考えることがある。
ヴィヴィオは、そんな仮説を、単なる与太話としてではあったが、ユーノから聞いたことがあった。
おとぎ話、古代の冒険小説、そんな世界にしかいなかった、戦う機械の巨人。
今は、目の前にいる。
目の前にしてみれば、その正体とは現代次元世界人類の技術水準をはるかに凌駕する、高度なロボットであったのだと理解できる。
昔の人々がこれを目にしたら、それは悪魔にも天使にも見えただろう。
「!!」
空気を裂く飛翔音とともに大口径魔力弾が飛来し、目の前の人型が爆発する。
ヴィヴィオはなのはをかばうように抱きかかえ、身をかがめた。
魔力光を放つプラズマ粒が散らばっていくと、その中から、まったく無傷の人型の姿が現れた。
振り返ると、建物の残骸に隠れた、首都防衛隊の魔導師だろうか、砲撃デバイスをこちらに向けているのが見えた。
向こうからは、ヴィヴィオが人型に襲われそうになっているように見えただろう。
「待ってください、私は──!」
ヴィヴィオが魔導師に呼びかけようとしたとき、無機質な金属音を響かせ、人型が再び拳銃を取り出した。
拳銃とはいうが、人間のサイズでは対戦車ライフルほどの大きさがある。
人型には、魔導師の砲撃魔法ではダメージが通らない。
しかし、魔導師は、人型の拳銃で撃たれれば死ぬ。
乾いた破裂音が響く。高温のプラズマによって空気の分子が瞬時にイオン化し、その衝撃が音波になって広がる。
人型の持つ拳銃は、大電流から発生するローレンツ力によって弾丸を撃ち出すレールガンだ。
魔導師が遮蔽を取っていたコンクリート壁を粉々に砕き、徹甲弾は人体をばらばらに引きちぎった。
弾丸によって砕かれたコンクリートをもが高速でぶつかり、バリアジャケットごと人体が叩き割られる。
炸薬がないので、命中時に起きる爆発とはウランの弾芯がコンクリートに衝突したことによる、運動エネルギーが熱に変換されたメタルジェットだ。
融けて飛び散る高温のウランに、人体は瞬時に焼かれ、切り裂かれる。
コンクリートが血煙を纏って爆発し、そこには、人間がいたという雰囲気がまったく残らなかった。
散らばった血糊の中に、元がなんだったのか分からない肉のかけらが転がっているだけだった。
人型はゆっくりと、再び拳銃をしまう。
ヴィヴィオは、人型を見上げる自分の喉が震えているのを感じていた。
これは、人間が勝てない相手だ。
圧倒的な力を持っている。
この人型の気分ひとつで、人間は簡単に命を奪われてしまう。
この人型に感情という概念があれば──だが。
「っ……──!」
「デカブツ!そこを動くな!」
今度は人型の向こう側の空中から、声が響いた。
空を背に、三対の黒い翼が見える。
見回すと、人型の周囲に数百本もの魔力弾が配置されていた。
赤い短剣型に形成された魔力弾が人型を取り囲み、発射態勢を取っている。
この魔法はヴィヴィオも見たことがある。
「八神艦長──!!」
はやてはブラッディダガーの発射準備をとり、人型を射程におさめていた。
人型は周囲に配置された魔力弾を見て取り、はやてに背を向けたまま、頭部だけをゆっくりと回転させた。
振り向いているしぐさなのか、しかし、人間とは違って胴体の向きが変わらないまま頭部だけがターレット上で方向転換する。
はやての持つ、剣十字の形をした杖──シュベルトクロイツは、夜の闇の中で、中心のコアから白い光を放っている。
「動くなよ──ちょっとでもヴィヴィオに傷つけてみい、この魔力剣があんたをぶち抜き切り刻むで!」
「八神さんっ、だめですこいつと戦っちゃ、八神さんでもむりです──!!」
人型は、ミッドチルダ語を解するのかそもそも分からない。
はやてにしても、人型に言葉での警告が通じるとははなから思っていない。
だが、あくまでも警告を与えた上での攻撃でなければ、後々面倒なことになる。
ヴィヴィオは、人型がはやてに攻撃をしないことを願っていた。
人型の持つ拳銃は、弾速が秒速数千メートルに達する。
この距離では、発砲されれば回避は不可能だ。
はやてが撃たれる光景を、ヴィヴィオは必死で頭の中から振り払おうとする。
人型はゆっくりと頭部を正面に戻すと、背部の翼を動かした。
主翼基部にそれぞれ装備された2基のブースターが炎を吹き、人型の機体が地面を離れ、上昇していく。
炎は、ロケット噴射のような物理的な反動を利用するものではなく、高出力飛行魔法の魔力光と同じものだ。
はやてはブラッディダガーで人型を取り囲んだまま、人型の動きに合わせて魔力剣を慎重に移動させる。
ブラッディダガーは人型の周囲およそ8メートルほどで弾体を待機させ、発射準備態勢を維持している。
はやては首都防衛隊の念話回線で、人型に向けて発砲しないように呼びかけた。
並みの砲撃魔法ではこの人型の防御を破れない。
また、指揮系統が混乱したままバラバラに攻撃し、反撃を受けて各個撃破されるような事態は避けなければならない。
人型はゆっくりと上昇し高度をとる。
はやてはブラッディダガーによる包囲を続ける。
ヴィヴィオは、なのはを抱えたまま地上から人型を見上げていた。
人型ははやてと同じくらいの高度まで上がり、停止した。
滞空したまま、あたりを見回すようにその場での旋回に移る。
人型とはやての間の距離は22メートル。索敵魔法を照射し、距離を精密に測っている。
高度は15メートル。これくらいの高度でも、見渡せる範囲は格段に広がる。
川を挟んで向こう側の高層ビルの間から、クラナガン沖の海が見える。
人型が、はやての方を向いて止まった。
人型には頭部のような部分はあるが、はっきりとした顔面は見て取れない。
だが、人型が投げている視線をはやては感じ取った。
強烈な気配に、とっさに人型の視線の先を振り返る。
「八神さん──!!」
「エリー!エリー!聞こえるか、今そっちはどうなっとる!っと、ぬおっ!!」
ヴォルフラムへ念話を飛ばす。
はやてが回線を開くのとほぼ同時に、人型が飛び立った。
猛烈な加速ではやてのそばをかすめ、海へ向かって飛んでいく。その先には、ヴォルフラムが係留されているクラナガン宇宙港がある。
今、宇宙港にいる護衛艦はほとんどがバイオメカノイド追撃のため出撃し、港に残っている艦はヴォルフラムを含めて数隻だけだ。
『艦長、何がありました!?こっちは──!』
「──エリー!どうした、応答せい!」
言葉が途切れ、念話にノイズが乗る。
『っと、艦長!こちらスピードスター、あの大クモが現れました!今度は宇宙港を避けて、メープル川河口に向かっています』
「それや!バイオメカノイドは川沿いに移動しとった、それを追っとる!
私も今から戻る、大クモを追跡しろ!あと、人型がそっちへ飛んでった、たぶん大クモに向かうつもりや!」
『マジですか艦長、無事でしたか!?』
「なんとかな!ヤツはこっちには攻撃をせんかった、不意打ちかけた首都防衛隊の魔導師に反撃しただけやった」
『あの人型はバイオメカノイドとは別モノなんですかね?』
「少なくともヤツの体内にはスライムがない、構造が違う。それにヤツには知能がある──目標を分析して攻撃すべきかどうかを判断しとる」
『言葉は──通じませんよね』
「それはわからんが──」
翼を広げ、後を追って飛び立とうとするはやてに、ヴィヴィオは呼びかけた。
なのはも、疲労から目を閉じているが、はやてが来ていることには気づいているようだ。
「八神さんっ、本局にっ、お願いします、連絡をっ、ママが、ママがけがをして──!」
はやてはすばやく頭の中で計算した。このまま人型を追跡するか、それとも、なのはの救助を他の魔導師に任せるか。
「──エリー、ちょいと頼まれてくれるか。私はこれからなのはちゃんとヴィヴィオをそっちへ運んでく、艦の医務室に収容してや。
それから大クモの追跡をする」
『高町一尉が──わかりました。5分で準備します』
かすかに驚きを含ませたが、エリーはわずかに言葉を待ち、すぐに決断した。念話回線を切り、艦内の各部署へ指示を出す。
「おし!聞いたなヴィヴィオ、今からヴォルフラムになのはちゃんを収容する、一緒に来い!私にしっかりつかまっとれ」
「はい、八神さん──」
はやてはいったん地上に降りてホールディングネットを展開し、その中にヴィヴィオとなのはを抱えて飛び立った。
爆撃隊からの攻撃成功の報告を受け、地上に展開していた首都防衛隊の魔導師たちが、戦果確認と残敵掃討にかかっている。
こちらも緒戦で作戦展開を誤り、数十名単位の殉職者を出している。
できるだけ障害物のない視界の開けた場所を移動し、少なくとも3人以上のグループで行動する。
生き残っているバイオメカノイドに遭遇した場合も必ず1対複数の状況を確保してから戦闘を開始する。
バイオメカノイドには威嚇射撃は効果が無いので、戦闘になったら即最大出力での攻撃を行う。
バイオメカノイドは、人間のように火砲を恐れるということはない。魔法を撃たれても、直撃しない限りひるまない。至近弾を受けてバランスを崩すことはあっても、驚いて転ぶというようなこともない。
もし、バイオメカノイドに恐怖という感情があったとしても、それは人間が認識できるしぐさではない。
昆虫や魚類の所作から、人間が感情を読み取れないのと同じだ。
「ごめんね、はやてちゃん……」
「なのはちゃん、大丈夫か!?私の艦で手当てをする、ゆっくり休んどけ。ヴィヴィオも無事や」
「うん……。レイジングハートは」
「わたしが持ってるよ」
待機状態に切り替えたレイジングハートを、ヴィヴィオはなのはの右手に握らせた。
左手は骨が折れているので、公園のベンチの破片だろうか、落ちていたプラスチック板を添え木代わりにしてハンカチで縛り、固定している。
はやては応急の治癒魔法をかけ、傷口の腐敗を止める。
治療するには、艦の医療設備で治癒魔法を使い、エネルギーの補給を確保したうえで造血細胞と骨芽細胞を活性化させる必要がある。
レイジングハートも、連続使用による過負荷と、最後のヴィヴィオのディバインバスターの発砲で大破していた。
こちらも、工廠へ送っての修理が必要である。
「派手にイッたな、キャパシタが半分以上吹っ飛んどるぞ。MOSFETも黒コゲや」
「ごめんなさいママ、レイジングハートに無理をさせちゃって、それで──」
「ううん、ヴィヴィオのせいじゃないよ。デバイスはいくらでも直せる、ヴィヴィオが生きていたことがいちばん大事だよ」
管理局員の使用するデバイスにはイベントログの記録と提出が義務付けられている。
はやてはレイジングハートのメモリダンプをいったん夜天の書に退避させ、それからシャットダウンした。
レイジングハートは今夜はこれ以上の戦闘は無理なので、スイッチを切っておく。
クラナガン宇宙港に停泊するヴォルフラムの艦影が見えてきたとき、メープル川の大きな中州の上を歩いている、大クモの姿があった。
その巨体のために遠くから見るとゆっくりした動きに見えるが、実際には大クモの歩行速度はかなり速く、時速80キロメートル近くに達する。
中洲にかけられた橋を渡って逃げようとする市民の車たちは大クモにすぐに追いつかれ、橋げたごと川に叩き落されている。
吊り橋のワイヤーが身体に絡まった大クモは、しばらく足をばたつかせていたが、やがてワイヤーを振り切って、再び川をさかのぼり始めた。
「エリー、他の艦はどうしとる」
『発進して上空で待機していますが、敵は市街地のど真ん中を歩いてますからね。艦砲射撃も誘導弾も誤爆の危険が高く難しいです』
「かといって生身の魔導師じゃあ火力差がありすぎるか……」
『お待ちを。──艦長、先ほど航空14隊の連中が出たと報告が。シダーミル区南端の河川敷に防衛ラインを設定したようです』
聞き覚えのある部隊名に、はやては目を顰め、なのはは面を上げる。
「シグナムさんが?」
『高町一尉、本当に大丈夫ですか?無理しないでくださいね。
あそこは区営の野球場がありますから広さは十分です。大出力砲撃魔法を使っても、巻き添えになる建物は少ないでしょう』
「わかった。なのはちゃんを収容したら私もすぐ行く」
魔導爆弾の攻撃をかろうじて逃れたワラジムシたちは、それでも数十匹程度がいるが、河川敷をぞろぞろと進んでいた。
戦車型のほうは中央第4区にすべての個体が残っており、これは首都防衛隊の魔導師たちで掃討可能だと判断された。
はやてたちの新たな作戦目標は、海中より出現した大型バイオメカノイド、大クモの撃破となる。
軌道上の管理局本局司令部でも、バイオメカノイドたちの行動はワラジムシ群と大クモの合流であると分析された。
レティはヴォルフラムを経由してはやてへ、敵バイオメカノイドの集結を阻止せよとの追加命令を発令した。
はやてはそれに対し、負傷した高町なのは一尉を、緊急事態に鑑みヴォルフラム艦内へ収容すると報告を返した。
レティとしても、なのはを早いうちに自陣営へ引き入れ、身柄を確保するのは重要な事柄である。
はやてがなのはとの合流に成功し、さらにヴィヴィオも救出できたのは不幸中の幸いと言える。
「レティ提督、ですか?」
「ああ、ヴィヴィオにはまだゆうとらんかったか……まあ私のさらに上の上司、ゆう人や。このバイオメカノイドどもへの対策を、中心になって進めとる」
吊り橋を突破し、大クモは水しぶきを上げながら川を歩いて進撃を再開した。
メープル川はクラナガンの中心部を北から南へ流れる大きな川で、河口付近では川幅は800メートル以上、水深は12メートル以上になる。
大型の戦艦でも水上航行による進入が可能なほどであり、この川を渡る橋は橋げたと水面の間を少なくとも70メートル確保するように定められている。
クラナガンの交通の要所であり、それだけに、敵にとっても攻めやすい場所である。
周辺の高層ビル街のように建造物が混み合っていないので、大柄な体格のバイオメカノイドにとってはここはとても通りやすく見えるだろう。
首都航空隊第14隊の武装隊員たちは、シダーミル区のメープル川河川敷に布陣し、向かってくる大クモを待ち構えた。
川を上流側より下ってくるワラジムシたちに対しては、堤防の道路および周辺のバイパス道路に戦車を配置し、進撃を食い止める。
河川敷のような広い場所であれば、大型の戦闘車両を配置しやすい。
戦車は120ミリ魔導徹甲弾を発射できる機種で、この火力であればワラジムシを遠距離から圧倒できると見積もられていた。
さらに武装隊の砲撃魔導師が脇を固め、戦車の死角をカバーする。
魔導師と戦闘用魔力機械のいちばんの差は機動力である。
魔導師は、人間が入れるところならばどこへでも展開できるし、高速で空を飛ぶことが出来る。
機械は、火力や防御力は大きいがどうしてもサイズやメンテナンスの問題がある。また、障害物や複雑な地形にも弱い。
状況に応じて、大火力を持つ戦闘車両と、高い機動力を持つ魔導師を有機的かつ機動的に運用することが、現代魔法戦闘では重要になっている。
機械はもっぱら、人間の魔導師よりも高速かつ正確な詠唱が可能である。
高出力魔法の複雑な詠唱も、機械であれば迅速にこなせる。
魔力機械を運用するオペレータは必ずしも自身が高い魔力資質を持っている必要は無く、火器操作や状況判断などに長けていればよい。
もちろん、はやてのように自身も高出力魔法を自在に操ることができてさらに指揮能力も優れた魔導師というのもいるが、本人の資質に頼る部分が大きい以上、安定した戦力にはなりえない。
次元世界で実用化された魔法技術というものは、あくまでも人間が使うためのツールである。
「隊長、14隊各班、全員配置につきました」
副官が報告する。
首都航空隊第14隊の隊長、シグナム一等空尉は愛機デバイスである大剣レヴァンテインを地面に突き立て、土煙の向こうで動いている影をきつく見据えていた。
大クモの移動速度では、こちらの射程距離に入るのはおよそ4分後と予想される。
第14隊は河川敷の堤防をトーチカとして利用し、川の真ん中を進んでくるであろう大クモを、両側から挟撃するように陣を敷いていた。
「よろしい。──目標が射程内に入り次第、全力砲撃だ。仰角をとり、建造物への誤射を避けよ。
距離1000を切ったらフェーズ2に移行する」
「──わかりました。打ち合わせ通りに」
シグナムは、遠距離攻撃と近距離攻撃の2段構えの作戦を立てていた。
第14隊の砲撃魔導師による砲撃でまず大クモを迎え撃ち、接近したら自分が最前列に出ての近接戦闘に入る。
砲撃魔導師は、これはなのはにもいえることだが接近戦に弱い。魔法の詠唱時間も長く動作が大振りで運動性が低いため、敵に近づかれると狙いが付けにくくなるのだ。
また、大出力魔法は至近距離で撃ったときに自分を巻き込む危険も高い。
第14隊の魔導師たちは、距離3000メートルで砲撃を開始した。
幾本ものビームが大クモに向かって伸び、その巨大な甲羅を叩く。
大量の砲撃に、大クモがシールドを発生させているのが肉眼でも確認できた。
魔法陣の形状ははっきりとは分からないが、ミッドチルダ式ともベルカ式とも異なるものだ。
大クモが地面を踏みしめるときの震動から、シグナムは大クモの体重は少なくとも2200トン以上であると見積もっていた。
これは現在応戦にあたっているIS級フリゲート艦に匹敵する重量である。
それでいて大きさが30メートル程度ということは、その重量の由来が非常に分厚い装甲であるということが容易に想像できる。
かつて地球、第97管理外世界に住んでいた頃、はやてが海鳴市の図書館から借りてきた色々な本の中に、あれと似た大きさと重さの物体の情報が記されてことをシグナムは思い出していた。
それは現代よりも80年も前に建造された、第97管理外世界の巨大戦艦の主砲である。
はやては小説や童話などだけではなく、科学図鑑もよく読んでいた。
その中には、乗り物や、兵器を扱った本もあった。
戦艦の主砲は、砲身の長さが20メートルもあり、それが3本収められた砲塔を防御する装甲の厚さは50センチメートル以上もある。
これらは窒素やモリブデンなどを浸透させて製造した特殊な鋼鉄でつくられ、重量は1基あたり2750トンもある。
この装甲により、マッハ2以上の速度で飛んでくる1.5トンの砲弾を防御できる。
現在、管理局が配備する最も大きな地上砲台である“アインへリアル”が豆鉄砲のように思えるほどの大きさと威力、防御力だ。
「あれを打ち砕くには生半可なエネルギー量ではきかないぞ!」
声を張り上げ、シグナムは隊員たちに気合を入れる。
レヴァンテインをボーゲンフォルムに切り替え、構える。
一般的にアームドデバイスはインテリジェントデバイスに比べて直接打撃力に優れるといわれるが、これほどの巨大な相手に対してはさして変わらなくなる。
重力属性を付与した攻撃でもなければ、デバイスによる打撃攻撃は単純に重量の差が攻撃力に影響する。
アームドデバイスの場合はブースターなどの加速機構を搭載している機種が多く、また単純にインテリジェントデバイスよりも重いため、打撃の威力が強くなるのだ。
ボーゲンフォルムから発射される魔力弾が大クモの顔面に突き刺さり、わずかな間を置いて爆発する。
シールドを貫いた魔力弾が、大クモの単眼の一つを破壊した。シールドが反応し、大クモの体表全体が白く閃光を放つ。
それでも、大クモはまったくひるまない。まるで痛覚が存在しないかのようだ。
シグナムは14隊の各班へ左右への展開を発令した。
大クモは進撃を続け、距離1200を切った。
レヴァンテインをボーゲンフォルムからシュランゲフォルムへ切り替える。
砲撃がいったん中止され、爆炎が引いた後に現れた大クモの身体は、ほとんど傷が付いていなかった。
外から見て分かる損傷は、シュトゥルムファルケンによって潰れた1個の単眼だけだ。大クモの頭部には、少なくとも10個以上の単眼があるように見える。
蛇腹剣のような形態をとるシュランゲフォルムでは、鞭のように打ち付けて攻撃する他、分割された刀身の先端からビームを撃つことができる。有線ビットのような使用方法が可能だ。
「隊長、──あれが本当に眼かどうか」
「いずれにしても傷を負わせたのは確かだ。どんな堅固な装甲でも、基本的に内側からの衝撃には弱い……一箇所でも穴が開けばそこが隙になる」
レヴァンテインから第14隊の魔導師たちへ、損傷した大クモの頭部の射撃諸元が転送された。
この座標をデバイスのFCSでロックオンすることで精密射撃が可能になる。
「各班射撃用意よし」
「撃て!」
号令と共に、広範囲からの一斉射撃が、大クモめがけて殺到する。
大クモの体表が激しく爆発し、空間に電撃が走る。高温に、溶けた金属が燃えていることを示す赤い煙が舞った。
一撃を放った後、第14隊の魔導師たちは後方へ移動する。レヴァンテインを構えたシグナムが先頭に残り、大クモに対峙する。
「──あの砂竜よりも大きいな──そしてはるかに硬い──!」
シュランゲフォルムは100メートル以上伸ばすことができる。
大クモの背中を飛び越し、先端を大クモの尾部に引っ掛ける。糸鋸を引くように、連結刃を食い込ませる。
レヴァンテインの刀身と大クモの装甲が接触している部分が、激しい魔力光のスパークを上げる。
触れるだけでこれほどの余剰魔力を放出するということは、まさに桁違いの出力のシールドが張られていることを意味する。
通常の一般武装隊員が使用するバリアジャケットとは比べ物にならない防御力があることになる。
「融かし尽くせ!」
レヴァンテインの連結刃を通じて、炎熱魔力を流し込む。シールドを貫いて、直接大クモの装甲に熱エネルギーを流し込む。
温度が上がれば、金属はその構成元素の物理的性質に従ってふるまう。温度が上がって融点を超えれば、金属は固体から液体へ変化し、融けてしまう。
体表は硬い金属で覆われているが、眼球部は、センサーを仕込むために装甲を張れないので防御は弱いはずだ。
大クモの体表を覆うシールドの出力を計測しながら、左手に持った小太刀で大クモの頭部を斬りつける。
レヴァンテインも改装によって、サイドアームとなる短剣を生成できるようになっている。これにより、シュランゲフォルムの弱点であった、攻撃動作時に機動が制限される問題を解決している。
近くで見ると、大クモの体表は鉄を鍛えて作られた鋼板ではないことが見て取れた。まるで熔けた液体の鉄をかぶった生き物が、そのまま冷えて固まった鉄を甲羅のように着込んでいるように見えた。
表面は、確かに金属質なのだが、砂粒や岩石の破片などが埋まっていて、かなりざらざらしている。塗料で塗られているわけではなく、色素がそのまま金属内部に溶け込んで体色を表現している。
まさに、素材が金属であるということを除けば、巨大な甲殻類のように見える。
レヴァンテインの連結刃で引っかかれた大クモの背中には深い彫れ溝が刻まれた。
切断面は表面と全く同じ色かたちをしていて、表面加工なども施されていない、金属の塊を甲羅状に引き伸ばして被っていることが見て取れた。
シグナムが大クモに斬りかかっている間に、第14隊の他の魔導師たちは河川敷の左右に大きく展開し、大クモを取り囲む。
大クモは身体が大きい分、相対的に小さい人間の動きを追いきれないと予想された。
魔導師たちは遮蔽物に隠れて動きを気取られないようにしながら、大クモの横や後ろへ回り込む。
『隊長、射程を取れました!援護します』
「よし、奴のケツを叩いてやれ」
念話で各班の魔導師たちへ指示を飛ばす。
レヴァンテインで斬りつけ、さらに後方から砲撃で追い立てる。前後から挟み撃ちする格好になる。
大クモは前にも後ろにも進めない状態で、地面にうずくまるように足を縮めた。
「跳ぶかッ!!」
14隊の魔導師たちを飛び越えようとしたのか、大クモは縮んだ体勢から大きくジャンプした。
大気をうならせて空中へ舞いあがった大クモに、すかさず地上から砲撃が撃ち上げられる。
一般に重装甲の生き物は、腹部が弱いことが多い。大クモが必ずしもそれに当てはまるわけではないが、第14隊の魔導師たちは空中に飛び上がった大クモの腹めがけて、それぞれ砲撃を撃ち込む。
ジャンプの頂点から、落下してくる大クモに向かってシグナムはダッシュした。
向こうが落下してくるスピードと、自分が飛び込んでいくスピードを合わせて、大きな相対速度で激突する。普通にダッシュして斬りつけるよりも運動エネルギーの大きい攻撃が可能だ。
もちろん、こちらの武器がそれだけの衝突に耐えられることが前提である。
高密度の魔力を乗せて、シュベルトフォルムに切り替えたレヴァンテインを振り薙ぐ。
刀剣による攻撃で重要なことは、攻撃を当てる物体と、武器の刃が接触する時の角度である。
刃物には、最も切断力の高い角度というものがある。
この角度を最適に制御できることが、剣術者にとって必須技能である。
レヴァンテインはその刀身から魔力刃を形成し、金属の質量に重ね合わせて打撃力を生み出す。直接接触による衝撃に、さらに魔力が浸透して目標内部を破壊せん断する。
大地が激震する轟音が走る。
河川敷の地盤が割れ、飛び散った土砂が川に落ちて水を泥に変える。
崩れた砂の塊に足を突っ込み、大クモは身体を傾けて甲羅を地面にめり込ませた。
大クモの巨体に、水しぶきが激しく噴きあがる。
『隊長、奴はまだ動いてます!』
反転するシグナムに、副官が念話で知らせてくる。
大クモの身体の大きさは、それだけで武器になる。レヴァンテインの斬撃をまともに受けても耐えられる。
「砲撃を続けろ!目標を足止めするんだ」
避けなければならないことは、大クモが建造物の多い市街地に侵入してしまうことである。
第14隊がこの作戦区域に持ち込んでいる装備はどれも火力が大きく、狭い場所では使えない。
市街地への巻き添えを避けるために、この河川敷で大クモを足止めしなければならない。
川岸の土手に埋まった大クモにシグナムが突撃し、二回目の斬撃を浴びせる。
再び間合いを取るために離れたとき、入れ替わるように、大口径の砲撃魔法が飛んできた。
大クモの全身を包み込むほどのシールドが発生し、それがひび割れるのが見えた。
「フレースヴェルグ──主はやて!」
「待たせたなシグナム!」
はやての砲撃を浴びた大クモはさすがにたたらを踏み、胴体を地面についてしばらくうずくまる。
第14隊の魔導師も、間断なく大クモに砲撃を浴びせ、ダメージを蓄積させていく。
大クモのシールドは、攻撃が命中した瞬間に全身の体表が白く光るように形成され、表面のごく薄い範囲に展開されている。
ラウンドシールドなどの通常の防御魔法と違い隙間なく全身を覆えるので、防御は堅固だ。
「この大クモ相手にはちまちま撃っててもきりがない。いっきにカタつけるぞ。シュランゲバイゼン・アングリフで敵を縛り上げ、そこにラグナロクをブチ込む。いけるな?」
「──はい。拘束時間0.9秒で行けます」
「よし──隊のみんなにも協力してもらう。ひさびさに全力砲撃いくぞ」
はやてはシュベルトクロイツの出力を上げた。
これほどの高出力での駆動は、魔力供給や冷却などの問題から長時間は維持できない。
もちろん、一撃で決めるつもりでいる。
「14隊各班、広く展開しろ。敵のシールドが切れたところに狙いをつけて撃つんだ」
『了解、シグナム隊長、水路の合流点から狙います』
「私は砲撃が海側に抜けるように射程をとる!1分後に発射や!」
「わかりました!」
はやては大クモの上を飛び越えて距離をとり、川の上流から、海側へ向けて発砲する。
シグナムは上空から、レヴァンテインの攻撃で大クモを抑え込む。
さらに第14隊の魔導師たちが、はやての砲撃に連動して、大クモに一斉砲撃を行う。
大クモが足をついた場所は、大クモの体重によって川底が削れ、流れる水が渦を巻いている。
川の形が大きく変わり、水量が中州の砂を次々と押し流していく。
この水の中では、大クモも足を取られるようになる。
そこを狙う。
夜天の書から放たれる白い魔力光が、クラナガンの空に白夜の輝きをもたらしていた。
ノーヴェ・ナカジマが大クモの姿を目撃したのは、その日の勤務を終えてスバルの見舞いに行こうとしていた時だった。
スバルが入院している病院は、ちょうどエントランスに向かうと海が見える。
その、海岸の向かいに見えるメープル川河口へ向かって、巨大な黒い塊のようなものが浮上していくのが見えた。
やがて街の灯りに照らされだすと、それが赤い甲羅を持つ巨大な四本足の物体であることが見て取れた。
大クモ、と呼ばれている大型バイオメカノイドの個体である。
甲羅の上を滑り落ちていく海水のスピードから目測して、大クモの大きさは数十メートルあるように見えた。
呆然と立ち尽くし見つめているノーヴェの視線の先、2キロメートルの河口上で、大クモは川を渡る吊り橋に、飛び越えようとするように大きくジャンプして体当たりした。
脆い砂糖細工のように橋が崩れるのが、スローモーションに見えた。
実際は、橋と大クモが大きすぎて、落下速度を体感でつかめなかったために錯覚したのだ。
病院の前の通りを歩いていた人々が、驚きに、ざわめきながらそれぞれ立ち止まり、河口を見つめている。
メープル川河口には、川の両側の地区を結ぶ大きな幹線道路と、鉄道が合計3本の橋を架けられている。
この時間なら、帰宅する人々の車がたくさん走っている。その中に、大クモが突っ込んでいった。崩れた橋の、ひしゃげて潰れながら水面に落ちていく橋げたの間に、たくさんの自動車が絡まっているのが見えた。
吊り橋のワイヤーに打ち付けられ、空中にはじき出された自動車が、回転しながらドアがちぎれて、大きな水柱を上げて海に落ちた。
中に乗っているであろう人間は、姿が見えなかった。
海面に激突したときの衝撃は計り知れない。自動車は大クモの背丈よりも高く跳ね飛ばされた。
橋げたから海面までの高さは80メートルもある。そんな高さから落ちれば、水面にぶつかるということはコンクリートの壁に激突するのと同じ衝撃だ。
念話の呼び出しコールが鳴り、はっと我に返ったノーヴェは震える手で受話ウインドウのボタンを押す。
フェイトからだ。今日は捜査に出かけていて、クラナガンにはいなかったはずだ。
『ノーヴェ!今、どこにいる!?スバルと一緒!?』
車を走らせながらだろうか、念話回線を通じて、大きなエンジン音が響いている。
「フェイトさん……化け物が、河口に……!」
『外にいるんだね!?私も今戻ってる、あと20分くらいで着けると思う!』
「だ、だめだよフェイトさん……こっちに来ちゃだめだ、あいつは、いかれてる……!!」
ノーヴェは、バイオメカノイドの姿を初めて見た。
ロボットでも、魔導生物でも、ましてや兵器でもない。一体あれはなんなんだ。
『落ち着いてノーヴェ、スバルは動ける?安全を確保して、もし市民の混乱が生じるようなら誘導を!
なのはもはやても戦ってるんだ、気をしっかり持って!』
「わかってるっ、けど」
ふと見ると、大クモが歩んでいく先、クラナガンのどのあたりだろうか、火の手が上がっているのが見える。
ただの火事ではない。恐ろしいほどの広範囲が炎上している。
そして、時折、砲撃魔法の弾丸が空に打ち上げられている。
その場所をようやくノーヴェは思い出した。
クラナガン中央第4区。
今日、ヴィヴィオが行っているはずの親友リオの実家に近い。
『ノーヴェ?──ノーヴェ、どうしたの、ノーヴェ!!』
炎に包まれ、崩れ落ちる街。
その中に、ヴィヴィオがいる。
リオの実家も、聖ヒルデ魔法学院の生徒寮も、おそらくは跡形もなく吹き飛んでいる。
「うそ……嘘だろ……うそだろぉぉ!!」
人目を憚らず、ノーヴェは叫んだ。
空に、激しい魔力光の反射が瞬き、低空に垂れ込めた雲が、地上から立ち上る火災の煤煙を溶かし込んでいく。
空へ撃ちあがった魔力砲弾が、雲の粒子を激しくかき乱し、空を渦巻かせる。
大クモを遠目からうかがうように、管理局所属のフリゲート艦が上空に現れた。
艦の大きさと比べても、大クモははるかに大きい。
このような巨大な存在を前に、人間はなすすべもない。
そして、このような異常事態が進行していたのにもかかわらず、ほんの数キロメートル離れた、隣の区にいた自分は事態に全く気付けなかった。
クラナガンは巨大な街であり、そして、人間同士のつながりが、手を取りきれないほどに広すぎる。
人間は、集まりすぎて、互いを見渡せなくなってしまった。
それは、クラナガンだけではない、ミッドチルダ、そして他のあらゆる次元世界が同じだ。
その事実を、ノーヴェは見せつけられていた。
ヴォルフラムの艦橋では、人型がメープル川河口へ向かって飛んで行ったところまでは追跡できたが、その後のジャミングが激しくロストしていた。
大クモの放出している魔力と、人型の巨大な魔力が干渉しあって強いノイズを発生させ、レーダーの素子がオーバーフローしていた。
通常使っている受信感度にすると、スクリーン全体が真っ白になってしまい見えない。
近くにいることは間違いないが、正確な位置はつかめなくなっていた。
はやてはヴォルフラムから再発進して大クモに向かい、シグナムと合流していた。
首都航空第14隊と連携し、ラグナロクによる全力砲撃を行うと打電されていた。
周囲の地上局員たちは退避し、第14隊の砲撃魔導師だけが大クモの周囲に残る。シグナムは上空から、はやては大クモの正面から、それぞれ攻撃位置につく。
レーダーが使えないため光学観測に切り替え、甲板科員がヴォルフラムの露天艦橋および前甲板に立っての周辺警戒を行う。
ヴォルフラム艦内に収容されたなのはは、すぐに集中治療室へ入れられた。
左腕を魔力素で満たした治療ポッドに浸し、治癒魔法によって破損した細胞を取り除いて、骨と神経を再生させる。
なのはは艦橋と医務室の通話回線を開くようエリーに頼んだ。
『今艦長から連絡が、ラグナロク発射まであと15秒です。衝撃波が来ます、なんかにつかまっといてください』
「わかった」
「副長、高町一尉の治療にはセルフクローニングデバイスを使います。一応後で艦長に報告を」
『OKモモさん、お願いします』
なのははストレッチャーに寝かされたまま、動かせる右手でフレームをつかむ。
担当の軍医は、割れやすい薬の瓶などをしっかりと棚にしまってから、なのはとヴィヴィオに大丈夫だよ、心配しないで、と言った。
ヴォルフラムは重力アンカーを双錨泊に切り替えて艦を固定している。
外では甲板科員が、桟橋との舫い綱をしっかりとつなぎなおしている。
「ヴィヴィオ、大丈夫だよ、心配しないで」
なのはは、ベッドの傍らを離れようとしないヴィヴィオの、表情を見上げた。
「ママ……」
ヴォルフラムの艦内にいても、外で響く魔法の砲声が、竜の遠吠えのように響いている。
メディカルモニターの計器は、かすかに速くなったなのはの脈拍を、無機質な矩形波の音で知らせている。
『ラグナロク発砲を肉眼で確認。大クモに命中しました』
「エリーさん」
『重力波ノイズ観測。衝撃波、あと33秒で本艦に到達』
エリーは艦橋の幹部士官と、各部署の乗組員を指揮し、ヴォルフラムの観測装置ではやてをサポートしている。
はやての強さも、彼女の働きがあってこそだった。
『副長、ノイズがクリアになります──!ふ、副長!方位0-2-2、距離1万5千に新たな魔力反応──いえ、これは人型です!堤防の陰に隠れてました!』
『なに!?』
ヴィヴァーロ曹長の慌てた声が入ってきた。
大クモがダメージを受けたことで干渉が消え、人型の反応がヴォルフラムのレーダーにかかった。
魔力量はさらに上昇し、395億に達している。
「エリーさん!?敵は、倒せたんですか、はやてちゃんは!?」
声を上げるなのはを、ヴィヴィオは宥めようとする。
今は傷を治すことだけに専念して。これ以上、傷つかないで──。
艦橋でも、観測データから状況を分析するには時間がかかる。なのはは、やがて力を抜いてベッドに身体を投げ出し、顔を寄せてきたヴィヴィオに頬を当てた。
お互い、埃と煤まみれで、傷の処置をしたら、消毒して体を洗わなくてはならない。
明るいところで見てヴィヴィオも初めて気が付いたようだったが、標準デバイスで魔法を撃っていた間に、手首が火傷で真っ赤に腫れていた。
標準デバイスの許容入力ではヴィヴィオの魔力を受け止められなかったために、コアから漏れた魔力余波を手にかぶってしまっていたのだ。
セイクリッドハートはうさぎの外装が全く燃え尽きてしまったが、本体は無事で、ヴィヴィオの肩に乗っている。
『高町一尉、人型が現れました。しかし艦長の読み通り、こいつは敵味方を──少なくとも、攻撃対象かそうでないかを判別してます。
今のところ、われわれは攻撃されていません──
人型はコヴィントン大橋のケーソンの上に立ってます、おそらく堤防沿いに低空を進攻してきたと思われます。
──お待ちを、大クモが反転しました。人型と大クモは距離450で向かい合ってます』
「はやてちゃんは」
『無事です。シグナム隊長も──っ、これは、粒子砲の反応?
高町さん、人型が攻撃をかけます、大クモ相手に──電磁波出力上昇を観測、魔力量換算、SSS以上──うち(管理局)の計算表にゃ当てはまらない量ですよこれ』
あの人型の武器は、レーザーと拳銃だけではない。
未知の兵装を持っている。
そして、その武器が、はやての最大出力魔法にさえ耐えた大クモに向けて放たれる。
スバルはとりあえずの処置として一般用の義足はつけていたので、そのまま病院から外出許可を取った。
ノーヴェと一緒にフェイトの車で拾ってもらい、大クモとの戦闘現場が見られる高架まで移動する。
避難しようとする人々の車で道路は至る所で渋滞しており、また、大クモによって橋が破壊されたため、河口付近の埋め立て地区に取り残されてしまった人々もいた。
こちらは、出撃しているIS級フリゲートが接舷しての救出活動を行っている。
フェイトは路肩に車を停め、念のためバルディッシュをいつでも起動できる状態にして、大クモと、対峙している航空第14隊の戦闘を見守っていた。
「フェイトさん、今日はどっちに!?」
「北ミッドの空港に、アレクトロ社のチャーターしてる輸送機が破壊工作を受けていてその捜査で。
一応はやても連絡くれてたんだけどちょっと遠いところだったから」
「あの発電所の近くですね」
「ええ。少なくとも同社を狙っている組織はかなり大がかりに、そして綿密に慎重にやっている──!!」
「!!」
ラグナロクの砲撃が命中し、大クモがついに大爆発を起こした。
分厚い甲羅が割れてはじけ飛び、大きく体勢を崩して転倒する。
だがそれでも、身体は完全には壊れない。
四本の脚は地面をしっかりととらえて踏ん張り、川に甲羅を半分浸かった状態でさらに向かってくる。
「あれは──フェイトさん、あれを見てください!」
「なんだよスバルっ……あれは!?──あの魔力光は……」
スバルが指さした先には、橋げたを丸ごと大クモに叩き落されて土台だけが残っている、コヴィントン大橋のケーソンがある。
人型のメカが、そのケーソンの上に立っていた。
翼を広げ、踏ん張るような体勢をとっている。
手に持った拳銃を、両手撃ちの構えで大クモに向ける。
その拳銃の銃口から、魔力によって形成された長い加速レールが伸びる。
レールガン。弾体は実体弾とは限らず、圧縮したプラズマを撃つこともできる。人型が行おうとしているのはこちらの攻撃だ。
加速レールは、オレンジ色の魔力光で形成され、クロスして構えた二丁拳銃の間に、まばゆい魔力弾が生成される。
人型の足下に、魔法陣が現れる。
それはまぎれもないミッドチルダ式の魔法陣だった。
「フェイトさん──あの人型、あれは──!」
あの構え、という言葉は、掠れてノーヴェの口から出ることはなかった。
フェイトも、スバルも、そしてはやてもシグナムも、人型の放つ凄まじい魔力に、圧倒されていた。
「はやてっ逃げて!」
「はやてさん!シグナムさん!」
人型が、砲撃を放つ。
その瞬間、フェイト、スバル、ノーヴェ、はやて、シグナムは──声を聞いた。
それは人型が行った詠唱だった。
機械に入力された術式のプログラムなのか、それとも搭乗していた人間が唱えたものか。
しかし、とはやては首を振る。
あの人型には、フレームは隙間だらけで装甲と呼べるものはなく、スケルトンのような骨格に薄いパネルを張って人型のように見せているだけだ。
内部に人間が乗れるようなスペースはない。宇宙港で撃破した個体と、構造は同じだ。
人型の構えた二丁拳銃から、オレンジ色の圧縮プラズマビームが迸る。
『──ゼクター!シャイニング・クラッシャー──!!』
声を、聞いた。
人型に言葉が通じるのかなどということを考える間もなく、はやてとシグナムは急いで第14隊の魔導師たちを退避にかからせた。
巨大なエネルギーが人型の二丁拳銃から放たれ、至近距離で大クモに命中する。
大クモの甲羅が今度こそ真っ二つに割れ、内部から爆発が起きる。脚が付け根からちぎれて折れ、体重を支えられなくなって関節がばらばらになる。
堤防上の道路にいた戦車が、人型の放った攻撃のすさまじい余波をくらって横転し、坂を転げ落ちる。
魔導師たちは堤防に隠れるようにして、大クモの大爆発を回避する。
はやてとシグナムは全速力で飛び、爆風が弱まる距離まで離脱する。
大クモが爆発した後には、川岸が削られて、そこだけ川幅が広がっていた。
割れた甲羅が川幅いっぱいに散らばり、よくわからない形状の機械部品のような金属塊が、さらに広範囲に散らばっていた。
バイオメカノイドの死骸が、付近の道路や住宅へ飛び散った。
あちこちで白煙が上がり、大クモの内臓は建物の屋根にぶつかって穴をあけたり、壁を突き破って屋内に飛び込んだりしていた。
大クモの体内から流れ出たスライムが、川の水に溶けて流れていく。
メープル川は青い水で染まり、それはゆっくりと海へ出ていった。
大クモを撃破した人型──“エグゼクター”は、再びクラナガンの南海上へ飛び去っていくのがヴォルフラムのレーダーで観測され、距離220キロメートルで水平線の向こうに消え、ロストした。
偵察衛星による追跡も、電離層を使って振り切られた。管理局の情報分析部は、人型は単独での大気圏離脱・再突入能力を持ち、宇宙へ飛び去ったと結論付けた。
そのような分析も、現場ですぐに役に立つという状況はまれだ。
戦闘開始から2時間と47分、12月22日午前1時24分。
本局司令部は大型バイオメカノイド大クモの撃破、沈黙を確認し、戦闘終結を宣言した。
はやての目の前には、無情に破壊し尽くされた中央第4区とメープル川の瓦礫が広がっていた。
あのバイオメカノイドたちには、もっと強い力の武器が無ければ勝てない。
今のままでは、人類、いや管理局はただの観戦者でしかない。
人型──エグゼクターと、バイオメカノイドとの戦いを、横から茶々を入れながら見ていることしかできない。
いきなり自分たちの住処に乱入され、こっちの都合を無視して戦いを始められておいて、追い出すこともねじ伏せることもできない。
管理局の存在意義をもが揺るがされる。
火災は燃やすべきものが尽きて炎が鎮まりかけており、薄まった煙の向こうに、曇りが晴れた夜空が、星を見せ始めていた。
軌道上に見えるであろう時空管理局本局の暗い影を、はやては星を見るように見上げていた。