EXECUTOR ■ 8

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 第511観測指定世界に進出していたミッドチルダ・ヴァイゼン連合艦隊は、旗艦であるRX級戦艦「リヴェンジ」に設置された艦隊司令部からミッドチルダ海軍クラナガン鎮守府へ向け、“ロストロギア発見”の報告を打電した。

 この時点で、敵戦艦インフィニティ・インフェルノは惑星TUBOYから高度50キロメートルまで上昇していた。
 重力の小さい惑星であるがゆえに、この距離でもう脱出速度を超えて、太陽周回軌道へ遷移しつつあった。
 ミッド・ヴァイゼン艦隊の戦艦群も、敵戦艦に引きずられる形で惑星TUBOYの重力圏を脱出し、太陽周回軌道に入っての同航砲戦を行う。

 敵戦艦の針路上にいた第5戦隊が、最初に接敵する。
 インフィニティ・インフェルノの主兵装は荷電粒子砲と予想され、これは高いエネルギーを持った粒子を発射するので空間に散らばる原子を励起させ、弾道が尾を引いて見えることが特徴だ。
 真空中における弾速はおよそ秒速22万キロメートル程度になる。

 逆探知レーダーによる走査で、敵戦艦はロックオン射撃を行っていないと予想された。
 つまり、目視砲撃である。

 こちらも散らばった岩石の影響でレーダーの精度が出ず、条件としては五分だ。

 旗艦リヴェンジより、第5戦隊へ応戦命令が伝達された。
 ミッドチルダへは、発見したロストロギアの危険度を鑑みて応戦すると伝えている。

 向こうも、これは承知していることだ。

 ミッドチルダはそのように管理局へも報告するだろう。
 そうなれば、管理局はここでの戦闘に対してとやかく言うことができなくなる。

「結界魔法によるかく乱を」

 宇宙空間を戦場にした戦闘は、海上での砲撃戦以上に電子機器の性能が勝敗を決める。
 数万キロメートルも離れていては、敵艦を肉眼で見ることはできない。
 レーダーや、光学望遠鏡などで目標の位置を精密に測定しなければ、砲撃を当てることができない。

 それは少なくとも現時点においては、ミッドチルダ・ヴァイゼン連合艦隊も、インフィニティ・インフェルノも、同じ条件であるように見えた。

 インフィニティ・インフェルノと真っ先に向かい合う第5戦隊は、隊列先頭に出ている戦艦群による結界魔法を放射した。
 これは空間を歪ませることによって電波や可視光による観測を妨害したり、敵弾をそらしたりする効果がある。

 次元航行艦の対空防御としては、最も長距離では誘導魔法により敵弾を直接狙い撃って迎撃、中距離ではこの結界魔法、そして近距離では迎撃レーザーやシールド魔法での直接防御、となる。
 現代では次元航行艦同士が砲撃戦を行うケースはまれであるが、実際に戦艦同士で撃ち合うなら、この結界魔法で相手の砲弾をそらしきれなくなるギリギリのあたりが砲戦距離となり、それはおよそ10万キロメートル前後である。
 また艦種類別としても、結界魔法を使用して10万キロメートルの距離から撃たれた自艦の砲撃に耐えられるシールドを装備することが戦艦の条件である。
 防御魔法よりも長射程攻撃魔法を重視した現代艦では、巡洋艦の方が小回りもきいて何かと便利なため主に建造されている。

 敵戦艦の荷電粒子砲は、こちらの戦艦主砲と同等かやや強い程度の威力があると予想された。
 ただ弾体の性質をはっきりと測定できないので、実際に何かに命中するところを見るまでは確かなことはいえない。

「距離8000、全艦主砲発射可能射程につきました」

 通信士が僚艦との連携を確認し、艦長へ報告する。
 第5戦隊の戦艦は単縦陣をとり、インフィニティ・インフェルノに向かって右舷上方から斜めに交差する針路に乗っていた。

「各艦、各個に撃ち方はじめ。兵装と思われる箇所を発見した場合は各艦の判断で攻撃せよ」

 戦隊長を務める艦長の命令により、第5戦隊に所属する12隻の戦艦が、順に主砲射撃を開始する。
 射程距離内には既に入っているので、先頭艦から最後尾まで、長さ6000キロメートルの範囲から逆扇状に砲撃が敵戦艦に向かう。
 次元航行艦が採用している主砲はフェーザー・ショックカノン魔導砲であり、これは荷電粒子砲に比べて弾道が細く見えるので、撃った側からは、砲身先端が光ってからしばらくして命中地点が爆発するというように見える。

 12隻の戦艦から青いビームが放たれ、直後、インフィニティ・インフェルノの艦首部分で閃光が走った。
 激しい爆発が周辺を巻き込んで広がり、炎の向こうに、めくれ上がる外壁が見える。

 ダメージは与えている。各艦の艦長は、連続しての砲撃を命じた。
 第5戦隊の位置からでは、敵戦艦は惑星ほどの大きさがあるようにも見える。大気がないため遠くの光もぼやけず、比較対象物がない宇宙空間では遠近感がなくなるためだ。
 惑星表面から吹き上げられて漂う隕石が、時折砲弾に掠られて爆発している。

「艦長、敵艦転舵します、敵戦艦インフェルノ、機関増速、面舵全速で回頭中!」

「なに!?」

「敵艦、艦傾斜右15度、艦の腹側をこちらに……っ、艦長、敵艦艦尾が外側からまくってきます!」

 インフェルノは旋回に伴い、メインノズルがある艦尾を大きく振り出す姿勢をとる。水上を航行する船舶が見せる現象である“キック”と原理は異なるが、挙動は似ている。
 宇宙空間では水上船舶と同じような板状の舵は使えないため、サイドスラスターを噴射するか、エンジンの推力を偏向させることで船体を制御する。
 このとき、推力中心のある部分が外側の軌道を通る。インフェルノはメインノズルが艦の後端部分に集中装備されているため、推力中心は極端に艦尾に寄っており、旋回時には艦首よりも艦尾の方が外側に振り出されることになる。
 これは通常の次元航行艦でも起きている現象ではあるが、インフェルノのような巨大な船体では、キックによって振り出される距離も想像を絶するものになっていた。
 艦首を見ていればじゅうぶんな距離があるように見えた第5戦隊だったが、彼らがいる場所をなぎ払うかのように、インフェルノの艦尾が猛烈な速度で迫ってきていた。

「全艦……ダウントリム一杯、面舵一杯!かわせ!」

 まさか体当たりを仕掛けてくるとは予想外だった。
 第5戦隊の戦艦群はエンジンを全開にして、インフェルノの船体下部へもぐりこんで回避を試みる。
 上昇しようとした場合、惑星TUBOYの重力に逆らう形となり、また第5戦隊の艦が位置していたのがインフェルノの船体中心よりやや下側だったため、そのまま勢いをつけて突っ切ったほうが速いと判断した。

 全速前進で、惑星TUBOYの崩れた地表が眼前に迫る。
 重力で引かれることで加速をつけ、急速転舵を行う。インフェルノは、右へ旋回して、太陽へ向けた軌道をとろうとしていた。

「操舵手、舵から手を離すな!目一杯押し込め!」

 次元航行艦を含めた船の舵輪は、押し込むことで下げ舵、引っ張ることで上げ舵に操作される。
 第5戦隊の12隻の艦で、12人の操舵手が力と祈りをこめて舵を握る。

「敵艦、直上を通過!」

 宇宙空間では、音はない。
 無音のまま、秒速数十キロメートルもの相対速度でインフェルノが第5戦隊を掠める。大気中や水中を航行するときのような引き波は起こさないが、眼前すれすれを高速で通過するインフェルノの姿は、乗組員たちに強烈な衝撃を与える。

「っ、艦長、最後尾の『ラピッド』が敵戦艦に接触!落伍します!」

「クソっ!間に合わなかったか……!」

 第5戦隊の戦隊長を務めていた先頭艦「ロイヤル・オーク」の艦長も、この事態に思わず毒づいた。
 12隻の単縦陣を組む場合、艦の間隔を500キロメートルにとったとすると先頭から最後尾までは6000キロメートルになる。宇宙空間ではこれでもかなりの近距離である。
 インフィニティ・インフェルノとの交戦開始距離がおよそ1万2千キロメートルだったので、これは宇宙空間における戦闘としては相当な接近戦ということになる。

 作戦方針としては、敵の船体が巨大であれば小回りはきかないことが予想されるので、接近して機動力でかく乱するという戦法が考えられていた。
 しかし、実際には敵戦艦は、たしかにそのスケールからすると動きは鈍いのだが、如何せん巨大なためにその鈍い動きでも、固有速度が途轍もなく速くなっている。

 ゆえに、普通の船の操縦に慣れた船乗りであればこそ、敵戦艦とこちらの大きさの比を体感でつかみきれなかったのだ。

 インフェルノの側はゆっくりした動きのつもりでも、次元航行艦の側からすれば超高速となる。

 インフェルノの左舷艦尾に衝突したRX級戦艦ラピッドは、艦のほぼ中央部を圧し折られるようにして操縦不能に陥り、噴射されるインフェルノのメインノズルの炎に突っ込んで、艦橋と艦尾を吹き飛ばされた。
 艦の前半部は残り、衝突した箇所で折れ曲がった艦体を回転させながら、破片を散らばして離れていく。

 インフェルノのメインノズルからの噴射は、巨大なプラズマロケットエンジンであることが判明した。噴射炎を浴びたラピッドの船体が、高い電荷を持っていることを示す青白いスパークを上げながら燃えていた。
 酸素のない環境で金属が燃えるということは、原子が数万度以上もの高温になることでプラズマ化していることを表す。
 イオンエンジンというのは一般的に推力比を重視し推力そのものは小さいものであるが、これほど巨大なエンジンになると、その噴射される金属イオンの量も途方も無く、次元航行艦程度の質量ならはじき飛ばしてしまうほどの推力が発生している。
 また、ノズルの形状から見た限りでも加速コイルが幾重にも直列で設置され、単位時間あたりの推力を重視した設計になっていることが見て取れた。

 太陽の遠い光が、回転する破片を弱々しく照らす。
 RX級戦艦の乗員定数は154名である。艦橋を含めた上部構造物はインフェルノのエンジン噴射をもろに食らって跡形も無く吹き飛び、おそらくCICにもダメージは及んでいるだろう。
 インフェルノのエンジンがイオンロケットならば、ラピッドの艦内は一瞬にして2万度以上ものプラズマで満たされ、余すところなく燃え上がったはずだ。

 ラピッドが描く軌道は、惑星TUBOYの重力の影響を受けてやや曲がり、第511観測指定世界の太陽系から離れる方向へ、宇宙の闇へ消えていく。

 撃沈された次元航行艦の乗組員が生存できる可能性というのは限りなく低い。

「ラピッド、交信途絶──魔力反応消失を確認、エンジンが自動停止されたようです」

 電測員が計器を読みながら言う。

 ロイヤル・オークの艦橋はわずかの間、沈黙に包まれた。
 外では、インフェルノが巻き上げた岩石が結界に衝突する鈍い音が時折響いている。

「──全艦、反転上昇。敵戦艦を追え」

「……アイアイサー!取舵一杯艦回頭180度、全速前進!敵戦艦を追います!」

 まだこちらは1隻を失っただけだ。負けたわけではない。
 しかも、敵はまだ積極的な戦闘をしかねている。
 理由はともかく、敵に隙があるのは事実だ。

 魔力光の長い軌跡を引いて、11隻の第5戦隊戦艦が飛翔していく。

 

 惑星TUBOY地表では、脱出してきた捜索班がかろうじて揚陸艦ホーミーに集まり、乗り移っていた。
 地面が崩れ、艦が埋まってしまったのでヴォクシーは放棄することにされ、残った人員をホーミーに乗せて離脱する。

 インフィニティ・インフェルノの発進に伴う巨大地震でトンネルが崩れ、生き埋めになってしまった隊員もいた。

 だが、今は崩れた土を掘り返している余裕はない。

「このっマヌケが!“クラナガンM12”じゃないんだから!」

 地すべりに巻き込まれた衝撃で船体が歪み、なかなか閉まらないハッチを蹴りつけていた隊員の一人が吐き捨てた。
 クラナガンM12というのは昨年ミッドチルダで制作されたパニック映画のタイトルで、地球が真っ二つに割れた場合の地震エネルギーがマグニチュード換算で12であるということに由来する。

「ガスを吸ったのか、落ち着け、ゆっくり息をしろ!」

 班長が酸素マスクを持ってきて、過呼吸を起こしかけていた隊員を取り押さえる。
 惑星TUBOYの大気は非常に希薄だが、地下トンネルの中ではフッ素が反応したさまざまな有毒ガスが噴出していた。

「まだ4班が戻ってませんよ」

「これ以上待てない、惑星自体が崩壊しちまう」

「でもっ」

「ごちゃごちゃ言うな、ヴォルフラムの二の舞になるぞ!」

 班長が、撤退をぎりぎりまで堪えようとする隊員を叱る。
 先日、惑星TUBOYに降下したLS級巡洋艦ヴォルフラムの捜索班がバイオメカノイドの襲撃を受け、一人を残して全滅したという出来事はミッドチルダ海軍にも伝わっていた。

 精鋭部隊を自負する管理局の次元航行艦隊ですらそうなったのだから、もっと臆病なくらい慎重になるのがちょうどいい。

 ヴォルフラムの被害はある程度誇張されて伝えられてはいたが、この星では、迷えば迷うほどジリ貧になっていくのだから逃げるか進むかを素早く決断しろということは、各員に強く徹底されていた。

「あれはっ、敵の戦艦ですか!?」

 空を見上げた隊員が、腕を伸ばして指差し、声を上げる。

 惑星TUBOYでは大気が薄いので、空は青くならない。昼間でも濃い藍色の空に、日の出や日の入りの前後だけ、地平線が薄青く光る程度だ。

 ホーミーが着陸している上空を、巨大な影が通過していった。

 インフィニティ・インフェルノの艦体は、太陽に向かって針路をとり、地表にも巨大な影を落とす。
 艦は既に秒速100キロメートル以上に加速しているが、その速度でも艦全体が通過しきるのに1秒近くかかる。
 太陽の光を浴びて、細長い楔形の船体の形が、地上からはっきりと見えていた。

「1隻やられてます、どの艦が!」

 別の隊員が叫んだ。
 インフェルノの艦尾に引きずられるように、煙を上げて墜ちていく艦の影が見える。
 惑星TUBOYからはじき出されたこちらの艦はいずれも太陽の引力につかまっており、撃沈されたラピッドも、次第に太陽の引力に引かれていく。

「撃ってるんですか!?効いてないんじゃ!!」

「敵がでかすぎるんだ、よく見ろ弾は当たってる」

 双眼鏡を持っている者は構えてインフェルノを狙う。
 第5戦隊は右舷側に出て後方から追いかけ、前方からは第2・第3戦隊が迎え撃つ形で合流を図る。第4・第1・第6戦隊はいったん太陽に接近する楕円軌道に移動して先回りし、インフェルノの針路前方で待ち構える。
 こちらの戦艦群は二手に分かれてインフェルノを前後から挟み撃つ形だ。
 巡洋艦部隊は惑星TUBOYの公転軌道の外側から大回りして、長距離ミサイルの発射態勢に入っている。
 さらに別の戦隊が戦艦部隊にしたがってインフェルノの前方に回りこむ。
 空母部隊はインフェルノから距離450万キロメートルの距離をとり、艦載機の航続距離ぎりぎりの範囲で追跡を開始している。

 戦艦と巡洋艦はそれぞれの戦隊に分かれてインフェルノを囲み、砲撃を続けている。
 300隻以上の艦からの砲撃を浴びて、インフェルノの艦表面は細かくはじけるように震えている。
 それでも、艦の大きさが巨大すぎるため、目立ったダメージを受けているようには見えない。

「効いてるのか!?」

 地上から見上げる隊員たちも、双眼鏡の解像度ではどれだけのダメージをインフェルノに与えられているのか分からない。

「班長!奴らが這い出してきます!」

 ふと後ろを振り返った隊員のひとりが、喉をいがらせるようにして叫んだ。
 折り重なるように積もった甲羅をかき分ける耳障りな金属音を発して、シールドマシンのようなバイオメカノイドの個体が姿を現す。一度に3体が現れた。
 シールドマシンとはいうがミッドチルダでトンネル掘削に使われているようなものよりずっと小さく、小型自動車程度の大きさだ。
 おそらくモグラのような生態を持っている個体なのだろう。土中を掘り進む能力に優れ、たとえ埋められても素早く移動できる。
 機体先端は多数の棘がついた剣山のような円盤になっており、これを回転させながら、6本の脚で歩行する。
 先端の掘削機の形状から、“オロシガネ”という呼び名が付いていた。垂直に立てると、野菜をすりおろす道具に似ているからである。

 ただし、こいつがすりおろすのは野菜ではなく人間の身体だ。

 クラナガンに出現した戦車型やワラジムシよりも、突進時の速度はさらに速い。しかも正面からの攻撃は掘削機が盾の役割を果たして効きにくい。
 突進は戦車型と同じように短距離を直線的に突っ走るものだが、わずかながら方向転換も可能なので、とっさに避けるのは難しい。

 既に“すりおろされた”隊員は10人近くにのぼっていた。

「まずいぞっ、撃て撃て!近づけるな!」

 隊員たちはそれぞれにデバイスを取り出して構え、オロシガネを砲撃する。
 ヴォルフラムの降下部隊が二脚型バイオメカノイドに襲われ、ほとんどなすすべなくやられていたという情報から、今回の惑星TUBOY派遣艦隊では、地上に降りる降下部隊には急遽多数の重火器を配備していた。
 一般隊員に通常支給されている杖型標準デバイス(アサルトライフル)ではなく、陸軍が使っているような魔導榴弾砲(グレネードランチャー)である。
 さすがに屋内で使うには威力が強すぎるが、バイオメカノイドの金属外皮でも叩き割れる破壊力がある。

 砲撃魔法を喰らったオロシガネが爆発して、割れた殻が吹き飛んで散らばるが、掘削機部分は傷ひとつ付かず、オロシガネの身体からちぎれて地面に転がった。
 タングステンか何かだろうか、よほど硬い金属で出来ているようだ。

「班長、艦の発進準備をしてきます!」

 ホーミーで待機していた乗組員が、降下部隊の班長へ伝える。
 現在のところホーミーはエンジン、動力炉とも無事であり、離陸が可能であるとみられていた。
 今のうちに離陸しなければ、ヴォクシーのように土砂崩れに巻き込まれ、飛び立てなくなってしまうかもしれない。
 その場合、別の艦が着陸しての救助を行う必要があるが、敵戦艦が上空に陣取っていてはそれも不可能だ。

 急いで離陸し、敵戦艦から隠れるために惑星の影まで逃げなければならない。

 次元航行艦は、ほとんどの艦種においてごく少人数での運用が出来るようにつくられている。
 これは広大な宇宙空間を移動する艦船では、緊急時に人間による操作が間に合わない状況が多いことから、艦の基本的な操作はCICや機関室などの堅牢な区画からすべて行えるようにという要求によるものである。
 管理局やミッドチルダ海軍をはじめとした海軍艦艇では、通常勤務は三交代制をとるため、乗員定数は艦の各部署を動かすのに必要な人数の3倍に予備要員を加えた程度となる。
 新しい艦は省力化が進められ、たとえばRX級戦艦は定数154名だが、LZ級は330名と多い。
 ホーミーが含まれるE級揚陸艦では、エンジンを始動するだけなら機関室に2名が行けば可能である。

 それでも、人数が少ないとエンジン始動の手順をこなすのに時間がかかるため、その間、降下部隊はバイオメカノイドとの戦闘を凌がなければならない。

 揚陸艦のカーゴルームから機関砲デバイスを取り出し、オロシガネに向けて掃射する。
 射線上に入らないように、平地に集まっていた隊員たちがあわてて避ける。
 重力が小さい惑星TUBOY上では、機関砲はアウトリガーを展開しない状態では反動で砲身が跳ね上がり、狙いが定まらない。
 魔力弾が地面に命中したときに飛び散る小石や砂粒も、空高く飛び上がっている。
 直撃を食らったオロシガネが、ちぎれた掘削機と一緒にくるくると回転しながら跳ね飛ばされ、地面に落ちて破裂して体液が飛び散った。直後、小爆発が起きて白煙が広がる。

「いたぞおおおっっ!」

 機関砲を撃っていた隊員が叫んだ。
 砲撃デバイスを構えていた他の隊員が何事かと彼を振り返る。
 機関砲の弾幕が向けられた先には、オロシガネとは別の自走砲型バイオメカノイドがおり、被弾して破損した機体から、小さな人型のようなものが這い出してきている姿が見えた。

「グレイだっ!!」

 誰ともなしに声が上がった。
 あれが、バイオメカノイドを操縦している者である。
 灰白色の皮膚をしているが、光の加減で緑がかっても見える。漏れた体液が発火している自走砲型から、火をよけて駆け出すが、グレイもまたすぐに身体が発火して、走りながら爆発して飛び散った。

 人間の姿をした生き物が、爆発した。

 それは異様な光景であった。
 炎熱属性の変換資質や、魔法による炎の生成などとは全く異なる現象だ。
 人体発火現象などただでさえオカルト、超常現象である。それが、発火するだけでなく爆発までしてしまう。常識として、生物の肉体は爆発物ではない。肉も、骨も、血液も、たんぱく質もカルシウムもどこにも爆発する要素はない。
 それなのに、グレイは、傷口から発火して爆発した。

 バイオメカノイドが爆発するならまだ分かる。彼らは機械や、ロボットのような外見をしていて、生物的な外見だったとしても、人間とはかけ離れた節足動物や甲殻類のような姿なので生物的な外見をしたメカと捉えることもできた。

 だが、グレイは、皮膚の色や頭部の大きさなどが異常であっても二本ずつの手足で直立歩行をする人型である。

 それが、爆発するという光景は、戦っている降下部隊隊員たちにさえ、異常な精神状態をもたらす。

「やれっ、やっちまえ!」

 機関砲は三人がかりで押さえ込まないと砲身が安定せず、隊員たちが取り付いて撃っていた。
 引き金を引いている隊員に、興奮した隊員たちが早く敵を撃ち殺せと嗾ける。

「逃がすな!」

「みぎだっ、右から来る!まわせまわせ!」

「吹き飛べっこの!」

 倒しても倒しても、バイオメカノイドは湧き出てくる。一体地下にはどれほどの数の個体がいるのか想像もつかない。
 やがて、ホーミーのエンジンが起動し、艦の側面に設けられた排気口から始動直後に出る未燃焼の余剰魔力ガスが噴出した。

「いそげ!乗り込め!発進するぞ!」

 ホーミーの艦橋から、舵輪を握る士官が呼びかける。
 E級は艦橋勤務の乗員も少なく、常に詰めているのは艦長と航海長、機関長の3人程度だ。

「アウトリガーをしまえ!そのままじゃ動かせないぞ」

 いったん引っ張り出した機関砲は、重いので一人では収納できない。
 何人かが手伝ってようやく艦内に戻せた。
 降下部隊が艦内に戻ってから、上陸用の門扉を閉じる。格納庫内は通常与圧されるので、扉は二重になっていてエアロックが間に設けられている。

 閉じた門扉に、オロシガネが体当たりをかけているのか、重い金属音が格納庫に響いた。
 金属の空き缶を叩いたように、ホーミーの艦体が巨大な太鼓のような動きをして格納庫に音が響く。

 扉を叩く不気味な音に、隊員たちは早く艦を発進させろと艦内電話で怒鳴った。

 ホーミーの操舵手は舵を一杯に引き、同時に機関士はエンジン・テレグラフを全開位置にした。
 人間の魔導師に限らず、機械であっても大出力飛行魔法は魔力光の露出を伴う。艦船の推進器であればそれはロケットノズルから噴射する炎として観測される。人間の魔導師では、手足や背中などに生じる翼状の構造として観測される。

 噴射炎を地表に吹きつけ、撃破したバイオメカノイドの残骸を吹き飛ばしながらホーミーが離陸する。
 比較的体格が小さいオロシガネが吹き飛ばされて地面を転がり、自走砲型は太いビームを撃ちあげ、ホーミーの船底を叩いた。
 自走砲型が撃つのは光線というよりはプラズマの塊で、その性質は実体弾に近く、金属を叩く打撃音がホーミー艦内に響く。このタイプの砲は原理としてはレールガンやマスドライバーに近く、投射するのが金属ではなくプラズマ塊というだけである。

 荷電粒子砲の特徴として、命中した物体を瞬間的に加熱することがあげられる。高い電荷を持った粒子を発射するため、特にイオン化傾向の高い金属原子を強く励起し、爆発的な熱エネルギーを生み出す。
 次元航行艦が採用しているショックカノンと比較して、波動幕やエネルギー吸収ガスなどの防御手段で無効化されやすいが命中時の破壊力は概して高めだ。
 ショックカノンは次元干渉を行い素粒子の位相をそろえて発射し素粒子そのものを振動させる砲で、これは対象の構成元素や防御シールドなどに影響されにくい安定した攻撃力を発揮できるのが特徴だ。
 また、魔導砲との相性も良い。属性としては粒子の単独属性となる。

 上昇するホーミーのレーダーに、救援駆逐艦が2隻映った。
 インフェルノはホーミーとは反対側へ向かって航行しており、少なくともホーミーを攻撃しようとはしていないように見える。

「なんてバケモノだよ……」

 ホーミーの舷窓から見えるインフェルノの艦尾を見ながら、隊員のひとりがつぶやいた。
 インフィニティ・インフェルノは船型が楔形をしており、艦尾部分がもっとも太い。艦を真正面から見たときのシルエットは菱形であり、艦の後半部分は上下が平らに均されて甲板のようになっている。
 さらに艦尾には横幅20キロメートル、縦幅4キロメートルという広範囲にわたって無数のロケットノズルが設置されている。
 ノズルの一つ一つも、直径が1キロメートル以上はありそうに見える。

「戦闘の様子はどうなんだ」

 艦橋で僚艦との連絡を取っている士官に、降下部隊の隊長が尋ねる。

「第5戦隊が今ヤツの真正面に陣取ってる、少なくとも2隻やられたらしいが、くわしいことはわからん」

「さっき煙を吹いてるのが1隻見えたぞ」

「ケツからぶち当てられたらしい、向こうはどうやら図体の割りに砲が少ないようだ」

「少ないっていっても何百門もあるんじゃないのか」

 ショックカノンの場合は距離が遠いと弾道が見えにくくなるが、荷電粒子砲の場合は弾道を真横から見てもビームが飛んでいく軌跡が目で追える。
 現在観測できた限りでは、インフェルノの砲兵装は3連装砲塔の荷電粒子砲を1セットとし、360度指向可能な砲塔が中心線上に6基、左右舷側に10基が確認できている。舷側のものは傾きをつけて設置することで、艦の上部や下部も狙える配置だ。
 これ以外にはやや小口径のものが、単装で少なくとも片舷に100基以上敷き詰められている。
 また、主に艦首部に多数の埋め込み型ミサイルランチャーがあることが確認できた。

 これほどの兵装を積んでいても、それは外からではとっさに見えない。
 荷電粒子砲は加速器で運動エネルギーを与えた粒子の進行方向を整えるための砲身が必要であり、通常の艦艇であれば砲塔が外部に見えるが、インフェルノは船体が巨大すぎて砲身があっても見分けられない。

 こちらの巡洋艦部隊は距離を離してミサイルによる攻撃を行っている。
 敵は誘導弾に対する迎撃能力はそれほど高くないようで、弾幕を張ってはいるがだいたい3分の2ほどが迎撃をかいくぐって命中している。
 それでも、敵の砲撃が時たま巡洋艦をかすめ、中には直撃弾を受けて落伍する艦もいる。
 装甲の厚い戦艦はともかく、巡洋艦程度だと部位によっては非装甲の箇所があるため、砲弾が貫通してしまう。
 艦首が丸ごと吹き飛ばされて、それでも砲撃を続けている艦もいる。

「おい大丈夫か、ジリ貧だぞ」

「これだけ近くじゃアルカンシェルは撃てない、撃つなら距離をとらないと味方をまきこんじまう」

「砲戦でやろうとしてるのか!?こんなんじゃけりがつく前に来年になっちまうぞ!」

 数万キロメートル離れた宇宙空間上で、ホーミーの降下部隊隊員たちは固唾を呑んで戦闘の成り行きを見守っている。
 インフェルノの姿はこの距離でもかなりの大きさに見えるが、こちらの次元航行艦はこれほど距離が離れてしまうと艦影が見えない。
 時折、インフェルノの放つ荷電粒子ビームが伸びていった先で閃光が発し、被弾したことを示す爆発が見える。

 そうかと思えば、搭載ミサイルを誘爆したと思われる派手な爆発も見える。
 魔力弾頭のミサイルは、弾頭に詰められた魔力結晶はもともとの性質として高エネルギーを持っているため、被弾などの衝撃によって安全装置が破壊されると誘爆の危険がある。

 立て続けに3隻の巡洋艦が、弾薬庫に被弾して轟沈した。

 インフェルノは太陽周回軌道に乗り、近日点をおよそ200万キロメートルにとった。
 惑星TUBOYが属する太陽系は、主星が比較的小さな、スペクトル型がK型の主系列星である。質量は地球が属する太陽のおよそ0.75倍で、表面温度は5200ケルビンとやや低く、直径、明るさも小さい。

 それでも、距離200万キロメートルということは光球の表面すれすれまで接近することになる。

 惑星TUBOYからの距離は75万キロメートルまで離れた。
 第5、第6戦隊はインフェルノの正面から離れ、180度回頭してインフェルノの艦尾についた。
 これで、ミッドチルダ・ヴァイゼン連合艦隊の艦は、敵艦を左右と後方から追い立てる形になる。

 すでにRX級戦艦が7隻、L級巡洋艦22隻、GS級巡洋艦10隻が撃沈または大破され、こちらの被害もけして少なくはない。
 新鋭艦であるXJR級は精密な誘導ミサイルを生かして効果的に敵の砲塔をつぶしていたが、これも弾数が限られているので、このままいけばこちらの残弾数よりも敵の兵装数が上回り、手数が尽きてしまうと計算されていた。

「第3戦隊ラミリーズ、艦橋に直撃弾!通信応答しません!」

「ミサイル飛来、数少なくとも20以上、自動迎撃モード、トラッキング開始!」

「第11巡洋戦隊より入電、ミサイル再装填のため距離をとります」

「結界魔法出力115パーセントを維持!魔力炉出力、105パーセントで安定中」

「──艦長、このままでは押し負けます」

 アドミラル・ルーフの戦闘艦橋で、各所から送られてくる報告を聞いていた副長はカリブラに具申した。
 こちらの攻撃も敵に命中してはいるが、それによって敵が行動に支障を生じているようには見えない。
 LZ級やRX級の主砲弾が命中しても、インフェルノはまったく堪えていないように見える。

 一方、敵の砲撃はほとんど止むことなく続けられ、1隻、また1隻と友軍艦が撃沈されていく。

 戦況は持久戦の様相を呈し、そしてそれはミッド・ヴァイゼン連合艦隊にとって不利な展開である。
 いかにこちらの艦数が多いとはいえ、総合的な火力ではインフィニティ・インフェルノが圧倒している。

 このままインフェルノが惑星TUBOYから離れる軌道を進むなら、ある程度距離をとったところで全艦によるアルカンシェル一斉砲撃となる。

 艦隊司令部はそのつもりであったが、このままではアルカンシェル発射可能位置に到達するまでにこちらが撃ち減らされてしまう。

「敵の攻撃は減衰しているか」

「はっ、敵戦艦からの砲撃はほぼ変わらず、毎分240発のペースで続いています」

「敵の針路に変化は」

「変わらず1-6-5です」

 報告を聞き、カリブラは艦隊旗艦リヴェンジへの回線を開くよう通信士に命じた。

「司令、戦況は芳しくありません。そろそろアルカンシェルの発射準備に掛かったほうが宜しいかと」

『エーレンフェスト君、もう少し持ちこたえてくれ。この距離では撃てん』

「何故です司令、わが方は既に惑星TUBOYと敵戦艦の間に割り込みました。障害物は無いはずです」

 艦隊司令の表情に、かすかな変化をカリブラは見て取った。

『今水雷戦隊が下方から敵戦艦に向かっている、やつも艦底部の防御は手薄と見える。この攻撃が終わるまで待ってくれ』

「司令、私は艦長です。艦長には艦の乗組員の生命を預かる責任があります」

『どういうことだね』

「われわれの任務は敵戦艦インフィニティ・インフェルノの殲滅ではないのですか?」

 ほんのコンマ数秒でも、言葉に間がある。アドミラル・ルーフの艦橋にいる乗組員たちも、メインスクリーンに投影されている通信ウインドウを注目している。
 それはリヴェンジの側でも分かっているだろう。リヴェンジは艦隊旗艦なので、艦の指揮は艦長が行うが、それに加えて艦隊司令が他の艦長や戦隊長へ命令を出している。

『エーレンフェスト君』

「もし敵戦艦の鹵獲ないし拿捕が目的であればそのように命令してください。さすればわれわれは命令に基づいた効率の良い戦いが出来るでしょう」

 乗組員たちは、冷汗と同時に胃がきりきりと捩れるような緊張を味わった。
 このような挑発的な物言いは、思っていてもなかなかできない。
 軍隊において上意下達は重要である。特に艦船は多数の人間が連絡を取り合って動かす以上、人間と人間の連絡が遅れると艦全体の動きに支障が出てしまう。

 またそれゆえに、命令は明解明瞭でなくてはならない。命令を受けた側が、その解釈に迷ってしまうようでは良い指揮官とはいえない。

 インフェルノが放ったビームの1発が、アドミラル・ルーフの艦橋の至近をすり抜けていった。
 すぐにダメージリポートが行われ、アンテナやセンサーに損傷はないことが確かめられたが、あと少し弾道が違っていれば艦橋に直撃弾を受けていたところだった。

 カリブラは通信ウインドウ越しに艦隊司令を見据える。

 音は聞こえないので、艦橋の窓からは被弾した艦は爆発して閃光を放つのが見えるだけだ。
 インフィニティ・インフェルノの艦首から再び数百本ものミサイルが放たれ、そのうちの一群が大きく弧を描いて後方の第5戦隊へ向かってくる。宇宙空間で飛ぶミサイルは煙の尾ではなく、姿勢制御スラスターの噴射炎が扇形に明滅して見える。

 第5戦隊でアドミラル・ルーフに後続していたRX級戦艦レゾリューションが、迎撃しきれなかったミサイルを艦首に被弾し、最上甲板が100メートル近くにわたって剥離した。
 船体からちぎれた甲板の構造材が艦橋に衝突するのを避けるため、レゾリューションは艦をロールさせて破片を振り払っている。

「司令。ご命令くだされば5分でアルカンシェルを発射可能です」

 LZ級の場合、アルカンシェル発射のためのスキームは通常12分を見る。
 だが、エネルギー充填だけなら3分、照準作業は敵が目の前にいるのなら1分で可能だ。

『──わかった。第38水雷戦隊が10分後に敵戦艦に一斉雷撃を行う。その間、戦艦部隊を後方に下げて巡洋艦群で敵を抑え、水雷戦隊が離脱すると同時にアルカンシェルの一斉砲撃を行う。
これで敵を撃破できなければ、あとは肉薄しての直接打撃しかない』

 つまり、接舷しての切り込み攻撃ということだ。
 敵艦内部に魔導師を突入させ、動力炉ないし制御中枢を破壊する。
 外部からの攻撃で破壊できなければ、内部から壊すしかない。

 海軍の範囲でできる攻撃とは、アルカンシェル発射までだ。そこから先は海軍では対応できない。

『戦艦部隊は現在の砲撃を中止し砲戦距離8万キロメートルに再集結だ。エーレンフェスト君、君が戦艦部隊の指揮を執ってくれ。頼むぞ』

「了解しました、司令」

 通信ウインドウが閉じられ、艦橋に詰めている士官たちが、待ってましたとばかりに期待の視線をカリブラに向ける。
 戦闘開始からこれまで、思うように戦えなかった鬱憤は皆が持っている。
 最初からアルカンシェルを撃っていれば、もっと早く決着が付いていたかもしれない。
 その感情を、敵にぶつけてやる。

 アドミラル・ルーフの砲術長は、照準は自分に任せてくださいとカリブラに具申した。

「やってくれるか」

 通常、アルカンシェルは最終的な発射操作は艦長が行う規則である。

「はい。一撃で仕留めて見せます」

 だがもちろん、艦の中では艦長が全ての権限を持ち、艦の機能を掌握する。
 たとえどんなに地位のある司令部参謀でも、海軍大将であっても、艦の中では艦長に従う。

 カリブラは他の戦艦群へ通信を開き、アドミラル・ルーフに従ってマルチ隊形をとるように連絡した。
 この隊形では前後方向に3隻が並び、それが横一列に広がる。
 アルカンシェルの威力を最大限引き出すため、全艦が互いの射程を遮らないように位置を取る。

 第1戦隊に所属していた、ミッドチルダ海軍の中で最新鋭の戦艦であるLFA級「アイギス」の艦長アストラ・ボーア一佐が、カリブラに直々に通信を送ってくれた。
 彼もまたカリブラとは同期であり、次元間戦争時代は勇猛な戦いぶりで鳴らした男だ。また近年では新鋭艦の処女航海における艦長を歴任するなど、ミッドチルダ海軍の中ではもっとも実戦経験の豊富な艦長である。

『エーレンフェストさん、このアイギスならばアルカンシェルの威力は艦隊中最大です。私が先頭に立ちます』

「危険なポジションですぞ」

『もとより承知の上です。それにこのLFA級の戦闘力は伊達ではありません、凌ぎきって見せますよ』

 アイギスを1番艦とするLFA級は、ミッドチルダ海軍の象徴となるべく建造された最大最強の戦艦である。
 魔力炉を並列接続することで出力の安定を図り、アルカンシェルを連装で搭載することで威力を倍増させているのが特徴だ。

 第1戦隊がアイギスを中心に先頭へ、その後ろにアドミラル・ルーフ率いる第2戦隊、さらに両翼へ残りの戦艦群が並ぶ。
 アイギスの右舷後方に艦隊旗艦リヴェンジが位置をとり、全体を指揮する。
 LFA級は積極的な直接戦闘において最強であることを目指しているので、コストが嵩み脆弱性を増す電子装備はむしろ減らされており、旗艦任務には汎用性の高いRX級が適しているところもある。

 巡洋艦隊は距離20万キロメートルをとってミサイル攻撃を実施する。
 ミサイルに限らず、宇宙空間では実体弾は推進剤が尽きても慣性の法則に従って飛び続けるため扱いが難しい。目標を外したりロストした弾を適切に処理できないと、思わぬスペースデブリをつくってしまう。
 次元航行艦の兵装が早くから魔導砲を主体に装備されているのも、エネルギー弾のほうが制御が容易だからである。
 また、実体弾は魔力弾よりもかさばる上に、弾頭が魔力エネルギー結晶であれば誘爆の危険もある。

 それでも、魔導砲に比べて一撃の威力が高いミサイルは宙間戦闘では一発逆転を可能にする有力な装備である。

 インフィニティ・インフェルノは巡洋艦相手にはあまり撃ち返さず、そのままの針路を維持して航行していた。
 太陽へ向かう軌道をとり、重力を利用して加速していく。
 推進ノズルの炎は輝きをひそめて慣性飛行モードになり、その巨体は濃密なガスの大気を放つ赤い彗星のようにさえ見える。

「全艦発射位置よし。アルカンシェルへエネルギー充填開始せよ」

 残存して戦闘が可能な戦艦58隻が、それぞれの魔力炉を出力全開で駆動させエネルギー充填にかかる。
 インフェルノは艦尾を向け、こちらの攻撃態勢をまるで意に介さないように航行している。
 巡洋艦部隊が発射するミサイルはインフェルノの周囲を取り巻くように飛び、対空迎撃砲の隙をぬって突入する。

 時折撃ち返す大口径荷電粒子砲が巡洋艦をかすめ、機動力の高い巡洋艦は操艦で回避する。
 それでも中には被弾して大きく姿勢を崩す艦もいる。

 荷電粒子砲は電荷を帯びた粒子による質量ダメージもあるため、衝撃で運動エネルギーを大きく受ける。

 インフェルノに距離数百キロメートルまで肉薄し、至近距離からのミサイルの近接射出攻撃を行っていた巡洋艦の1隻が、至近からの荷電粒子砲を2発同時に被弾して艦体が真っ二つに折れた。
 魔力炉から炎が噴出し、大爆発を起こして轟沈する。
 艦体はインフェルノの左舷中央部に激突し、その部分に突き刺さるようにして止まった。
 魔力炉は船体フレームから外れて艦底を突き破って飛び出し、こちらもインフェルノの装甲板にめり込んでいる。

 他の巡洋艦たちの動きに、一瞬の乱れが生じた。
 目の前で味方艦が破壊されるところを見て、そして破壊された姿が目の前に留まって、動揺が生じている。

 そこへインフェルノの砲撃が殺到する。
 別の艦がすぐに、荷電粒子砲で艦尾を叩かれ、推進器が大破して航行不能に陥った。
 艦尾ノズルから激しく炎が噴きあがったが、乗組員によってただちに機関緊急停止がされたようで動力が切れ、慣性に従って飛んでいく。

 もしアルカンシェル砲撃でもインフェルノを撃沈できなければ、残された作戦は接舷しての強行突入しかない。
 それも、思い通りに接舷できるとは限らない。敵の濃密な対空防御を突破しなければならない。
 撃ち負ければ、今の巡洋艦のように集中砲火を浴びて粉砕されることになる。

 インフェルノを前にして、戦艦でも巡洋艦でも耐久力はそう大差はなくなる。

 荷電粒子砲を立て続けに3発も浴びれば、いかなRX級でも大破してしまうだろう。

 扇形に広がる、ミサイルのブースター噴射炎が鳥の羽のように連なって輝いた。
 集結した数百隻の駆逐艦群から発射されるミサイルは、シーカー部分をパルス状に輝かせて飛翔する。流星のように、点滅する点光源が瞬間移動しているように見える。これに対しても、インフェルノは全く回避運動を取らない。
 発射されたミサイルは三千本を超える数だ。これだけの数を一度に被弾すれば、たとえゆりかごクラスの大型艦であっても轟沈するだろう。
 敵は回避運動も防御姿勢もとらない。たとえ被弾してもまったく意味はないとさえ言っているかのようだ。
 インフィニティ・インフェルノはミッドチルダ・ヴァイゼン連合艦隊の戦艦群に対して完全に艦尾を向け、太陽へ向けた軌道に乗って加速している。
 それはあたかも、こちらとは戦闘を行うまでもないと言っているかのようだ。

 クラナガン宇宙港での、人型との戦闘でもそうだった。

 向こうはただまとわりついてくる魔導師が邪魔だから撃ち返していただけだった。
 それだけで、6人もの空戦魔導師が撃墜され、命を奪われた。

 中央第4区での戦闘でも、人型はこちらの迎撃作戦をまったく無視し、事実上単機で大クモを撃破したと言っていい。
 管理局最強の戦力のひとつと目され、歩くロストロギアとも比喩されるほどの大魔導師、八神はやてをしてさえ撃破できなかった大クモを、こちらの作戦を全く無視して、あえて配慮するような素振りさえ見せて単機で破壊しおおせた。

 今もまた、インフェルノに向かっていった艦艇は戦艦や巡洋艦など、数十隻が撃沈されている。乗組員の数は1万人を超えることになる。それだけの犠牲をも、あの戦艦はものともしない。

 敵は、いや、彼らにとっては敵のつもりでさえないのかもしれない、彼らはどこへ向かい何をしようとしているのか。

「やつの軌道の先に何がある──?」

 アルカンシェルの発射準備を進めながら、カリブラは他の士官たちに聞こえないように小さくつぶやいた。
 先日、この宙域でヴォルフラムを援護したとき、八神はやてに言ったこと。
 大切なことは、入手した情報を正しく伝えること。

 自分たちが入手した情報とは、この惑星TUBOYに存在する巨大戦艦が、ミッドチルダの存在を察知したということである。バイオメカノイドたちは、次元航行艦が接近したときに活動を活発化させ、集ってきていた。
 惑星TUBOYの地表に墜落した艦は2隻が確認できていた。
 カレドヴルフ社の輸送船が1隻、そして管理局所属のL級巡洋艦が1隻である。

 この墜落した艦の残骸はすぐにバイオメカノイドたちによって惑星内部へ持ち去られた。
 まるで、アリが獲物を巣に運び込むかのように。

 カレドヴルフ社は、管理局の局員の命、いや自社の社員の命さえ、利用しようとしていた。
 墜落した輸送船の残骸や、乗組員の遺体がバイオメカノイドによって運び去られていくのを、取り返すでもなく、バイオメカノイドに攫われた人間を助け出そうとするでもなく、彼らバイオメカノイドがそれをどこへ持っていこうとしているのかを追跡していた。

 そして、外部からの観測では分からなかった、惑星地下に広大な人工空間が存在する事実を突き止めたのだ。

 外部からは、ただの岩石惑星にしか見えなかった。
 地表で人工地震を起こして、地震波の伝わり方を観測したことで、惑星内部にその質量からは考えられないほどの密度の偏りがあること、中空構造があることを突き止めた。
 しかし、想定される場所が地下深くであることで、それを実際に目視して確認することができなかった。
 そこでバイオメカノイドを利用することが考えられたのだ。
 墜落した輸送船と負傷した人間をあえて放置し、彼らをバイオメカノイドに攫わせることで、バイオメカノイドたちの巣のようなものが発見できるとカレドヴルフ社は考えた。

 そうして惑星TUBOYが一種の人工惑星であり、それが惑星サイズの超巨大なロストロギアであるということを突き止めると、カレドヴルフ社はその事実をヴァイゼン政府およびミッドチルダ政府に報告した。

 報告したのである。
 追及されて口を割ったのではなく、最初から報告しに来た。

 それはカレドヴルフ社にとっては、まさに待望していた成り行きだったのだろう。

 この事実を伝えれば、両世界の政府は当然、惑星TUBOYを制圧すべく動き出すだろう。
 そして、管理局は、黙っていても手が出せないだろう。

 何しろ第511観測指定世界には魔法技術がないばかりか、人間さえ住んでいないのである。

 人間がいない世界に対して、管理局は強く出ることができない。
 現地住民の保護という名目が使えないので、たとえば、貴重な自然環境の保護とか、そういった理由で介入の中止を要請する程度しかできない。

 しかし、第511観測指定世界については、最初から荒廃した、資源にも乏しい世界という認識が広まっていた。
 それゆえに、管理局は他の中小次元世界の賛同を得にくかった。そんな惑星に気をとられる暇があるなら、他に保護すべき次元世界はいくらでもある。

 この間に、ミッドチルダとヴァイゼンは第511観測指定世界における権益確保のために動き出したのである。

 新暦83年の12月というのは、年の瀬も押し迫った中にそういった次元世界超大国の思惑と陰謀が渦巻いていた月であった。

 バイオメカノイドたちの本拠地を探ったカレドヴルフ社は、惑星内部、当時は海底遺跡と呼ばれていた巨大構造物に、バイオメカノイドたちの巣があることを発見した。
 そこには大規模な製造プラントのようなものがあり、そこでバイオメカノイドたちが生み出されていた。

 惑星TUBOY表面から発見された化石はその多くが機能停止してから数十年程度が経過しており、生きているものでは活動期間はどんなに長い個体でも2年程度だった。
 この星はミッドチルダに比べて主星からの距離が遠く公転周期が長いため、1日の長さは約10時間だが、主星の周りを1周回る間に1784回自転する。つまり、惑星TUBOYにおける1年は1784日ということになる。
 ミッドチルダのスケールに置き換えると、惑星TUBOYの1年はおよそ740日であるので、大体、惑星TUBOYのスケールで1年程度が、バイオメカノイドの寿命ということになる。

 バイオメカノイドの生きている個体が惑星TUBOY上に存在するということは、製造プラントは現在も稼動しているということである。

 運び込まれた艦の残骸は、巨大生物の消化器官を思わせるような溶鉱炉に放り込まれ、ごく低温でゆっくりと溶かされた。
 圧力をかけて粘土をこねるように形作られた外殻に、別のプラントで作られたスライムが注入され、数十時間をかけて1体のバイオメカノイドができあがる。
 製造プラントはチューブ状のエレベーターを地表まで伸ばし、外に出ると、バイオメカノイドは惑星表面へ這い出し、地表の形状を覚えるように歩き回り始める。普段はくぼ地や山の陰などに隠れていて、時折、化石となった残骸を回収しに出かけている。

 製造プラントの中には、有機物を保管するための保存液のようなタンクがあり──どちらかというと地底湖のようなものだ──人間の遺体はその中に放り込まれた。
 他にも、この惑星に迷い込んだらしい生き物がタンクに入れられていた。
 特に何に利用するでもなく保存しているように見えた。

 これらの施設は、当初は惑星TUBOYそのものの内部に建造されているように見えたが、一部は戦艦インフィニティ・インフェルノとして分離した。
 惑星TUBOYに残った部分というのは、主にインフェルノの修理と整備をするための設備で、生物を保存していたタンクはこちらの側に取り付けられていた。
 バイオメカノイドたちは、回収した生き物(この場合は人間)が、知能を持つ生き物かどうかを調べることができた。

 知能を持つ生き物、すなわち科学技術文明を持つ人類であれば、いずれ惑星TUBOYを発見し、調査のためにやってくることが考えられる。
 しかるに、惑星TUBOYにおけるバイオメカノイドたちは、およそ来訪者を歓迎するような設備を作っているようには見えなかった。少なくとも炭素系有機化合物をもとにした生物にとっては住みよい環境ではない。
 惑星の地表は強反応性のアルカリ金属に覆われて、生物にとって有害である。
 そして明らかに、惑星TUBOYのバイオメカノイドたちは、生物を“狩る”ために行動しているように見えた。
 カレドヴルフ社の輸送船団に乗り組んでいた社員の一人は、彼らの行動はあたかも戦闘訓練のように見えると言った。
 拾った人間を、まるで模擬戦の標的のように放り出し、そこに他のバイオメカノイドたちが群がっていく。
 有機物でできた生物を、捨てるでもなく食べるでもなく、ただ保管する。保管するという行動は実は高い知能を持っていることを示す。食物でもない、すなわち生存のために必ずしも必要ではない物体を何かに利用しようとしているということだからだ。

 そして、この惑星TUBOYを周回している2個の衛星は、その生成が天文学的スケールにおいてごく最近であることが調べられた。
 太陽系誕生と同時に生まれたのでもなく、近くを通りがかった小惑星を重力で捕獲したのでもなく、ごく最近、惑星TUBOY近傍で誕生した天体ということである。

 こちらについては大きさが20~30キロメートル程度と小さかったこともありすぐに起源が判明した。

 この2個の衛星は人工物であり、人型のメカを芯にして、バイオメカノイドが取り付いて鉱物結晶を成長させた結果できた天体である。
 宇宙空間では、バイオメカノイドは運動のために大型化する傾向がある。その場合金属質の大きな体格を作る。
 衛星の中心に存在したメカには、記憶装置が積まれていた。惑星TUBOYの起源は、おそらくこのメカが正常に稼動していたときに観測され記録されたと思われた。
 その当時の惑星TUBOYは、植物が生え、青い空を持ち、水と緑に包まれた惑星であった。
 わずか数千年程度で、この惑星に一体何が起きたのか。惑星全体が、謎の生体機械とその化石に覆われてしまうなど、にわかに想像できない出来事である。
 表面が化石に覆われていたということは、バイオメカノイドが化石になるためのもっと長い時間を要していたということで、惑星TUBOYがバイオメカノイドに覆われたのはごく短い期間に起きた出来事ということになる。

 衛星の芯になっていたメカには、その出来事の直接的な観測記録は無かった。

 しかし、それを示唆させるデータは記録されていた。正確には、組み込まれていた。
 人型メカの火器管制装置に、バイオメカノイドたちのデータが入力されていたのである。航法装置には、巨大戦艦のデータが入力され、内部構造図と思しき地図をもが入力されていた。

 それはすなわち、この人型メカはバイオメカノイド群と巨大戦艦──インフィニティ・インフェルノを破壊するために行動していたということである。
 それがバイオメカノイドに取り付かれ、衛星と化していたということは、おそらくこの2機についてはその作戦目的を果たせず敗北してしまったということであろうが──、しかしその後数千年間、残骸は惑星TUBOYを周回し続けていた。

 もしバイオメカノイドがこのメカもしくはこのメカを製造した存在と敵対しており、戦争行為を行っていたのであれば、撃破した敵兵器をわざわざ自分たちの母星上空にとどまらせておく理由はない。
 さっさと破壊するか、宇宙の遠くへ放り出してしまおうと考える方が自然である。

 カレドヴルフ社の船団は、バイオメカノイドに何らかの統一された意思があるのかどうかを確認するために惑星TUBOYに進出していた。
 もし彼らが組織的な行動を行っているのなら、何らかの理由を持って敵兵器の鹵獲や回収を行っているということになる。
 その場合、敵兵器を回収する目的とは敵対勢力の分析である。
 敵は(この場合は人型メカを建造した勢力は)どの程度の規模を持ちどこの星に住み技術レベルはどの程度なのか。
 それに基づいて必要な戦力を計算し作戦を立て、戦艦は出航するはずである。

 事実、インフィニティ・インフェルノは惑星TUBOYを飛び立った。
 もし手出しをせずじっと観察していれば、インフェルノがどこに向かうかを追跡すればバイオメカノイドと戦っていた勢力が何者なのかを確かめられる。

 ただこの場合、次元世界人類は本当にただの観察者になってしまう。
 横から余計な手出しをして反撃を食らっただけになってしまう。
 バイオメカノイドたちが、次元世界人類の知らないどこかの勢力と戦っていたということも考えられるが、これまでの宇宙開発の結果、そのような未発見の文明が存在する可能性は限りなく低いと考えられている。

 次元間航行は、光の速さでも何百億年もかかってしまう宇宙の距離というものを事実上、無にできる。
 距離に縛られずに世界と世界の間を行き来できる。
 定期便が運航され気軽に行ける次元世界も、実数空間に直すと実は数億光年先に存在している世界であるかもしれない。
 それゆえに、外部との係わりをあえて絶って現代文明と隔絶した暮らしをしているような少数民族以外には、次元世界連合の知らない世界は存在しないと考えられている。
 そのような世界はほとんど探索し尽くされ、少なくともこの宇宙には未発見の文明世界はないように考えられていた。
 探検家が探しているのはアルハザードに代表される未知のロストロギアであり、少なくとも中世大航海時代のような大規模な新次元世界というのはもう見つからないと思われている。
 今後、見つかることがあるとすればそれは第511観測指定世界のように、複雑な位相欠陥に阻まれて観測が困難な領域に存在する次元世界である。そのような世界には少なくとも知的生命は発生できないと考えられている。

 残る可能性として考えられるのは、バイオメカノイドたちは何らかの理由で長期間にわたり敵対勢力の位置を見失っており、その間にその勢力は消滅してしまったというシナリオだ。

 その場合、目指している場所は何もない場所かもしれない。
 あるいは、滅んだ文明に代わって新しい人類が住んでいる場所かもしれない。可能性としてはこちらのほうが高い。

 惑星TUBOYをまわる2個の衛星の芯となっていた人型メカ──“エグゼクター”については、使用されている言語は文字としてアルファベットを使用し、それはミッドチルダ語に近いことが確かめられた。
 ミッドチルダ語は、同じく26文字のアルファベットを使用し、言語系統としては地球における英語に近縁であるとされている。
 文字の変化から、英語とミッドチルダ語はほぼ同じ時期に分化し、それぞれの世界で独自に変化してきたと考えられた。
 ゲンヤ・ナカジマなどの、地球系民族の移住に伴って英語がミッドチルダに持ち込まれ、それがミッドチルダ語の先祖となったと考えられている。

 また少なくともその時代については、次元間世界の交流路は現代と大きく異なっていた可能性がある。

 これがロストロギアが製造されていた先史文明時代となると、現代とは全く異なる世界観であることが考えられる。
 当時の文明がどのような交流路を持ち、どこの世界とどのような交易を行っていたかというのは文献にしか頼れない。当時の船なども残っていないし、残っていたとしてもロストロギア扱いである。

 新暦83年、11月の末、惑星TUBOYへの出航に先立って、八神はやてはユーノ・スクライアへ、ひとつの情報を伝えていた。

 超古代文明、先史文明については、第97管理外世界にもその伝承はあり、それは1万2千年から2万年前の間に存在したとされている。
 ミッドチルダに伝わる超古代文明伝説と、時期はほぼ同じである。
 もちろんこれらはどちらの世界の考古学会においても、学術的地位はないに等しい説である。証拠と呼べるものは何も無く、ただのおとぎ話の領域である。

 しかし、ユーノ・スクライアにはあるひとつの目算があった。

 それは第511観測指定世界の存在そのものである。

 宇宙探査機ガジェットドローン#00511の軌道要素を見れば、宇宙探査に携わったことのある人間なら本機が惑星TUBOYを発見したのはほとんど運命的偶然のなせる業だと感じ取れるだろう。
 第511観測指定世界は、あたかも人為的に隠されたかのようにして存在していた。
 探査機ガジェット#00511は、7年という、次元航行船としては考えられないほどの長期間をかけて飛行し、惑星TUBOYにたどり着いた。
 7年間もの無補給航行など、有人艦ではまずそのような探査計画など了承されないだろう。
 軌道へ投入したまま放置され、ほとんど忘れ去られかけていたところで惑星TUBOYに遭遇したのである。

 発見ではなく遭遇である。

 最初から惑星TUBOYを目指して飛んでいたわけではない。
 たまたま飛んでいった先に新たな次元世界が見つかっただけである。
 本来であれば、運用終了となっていたはずの探査機である。

 それは確かに偶然であったのかもしれない。しかし、それは発見された。発見してしまった以上、その事実を無かったことにはできない。
 そこに確かに存在することが分かった以上、たとえミッドチルダが無視しても、他の世界が発見してしまうかもしれない。

 ミッドチルダにとっても、これは後戻りの出来ない作戦であったということだ。

 ミッドチルダ、そしてヴァイゼンは、超古代文明の存在を確信している。
 少なくとも次元世界においてはロストロギアという証拠物が存在する。それは地球であればオーパーツと呼ばれるものも含まれる。
 幸いにして、地球においてはこれまでのところ、破局的災害をもたらすようなオーパーツは見つかっていない。
 闇の書のような次元間航行機能を持つデバイスが流れ着いたりなどはしたが、それだけだ。

 地球やミッドチルダに限らず、どこの次元世界にも概ね似たような伝説が伝わっている。
 ユーノは、自分がこれまで調べてきた各地の遺跡や発掘物などから、これまで見つかったロストロギア、少なくとも自分が処理に関わったロストロギアはすべて惑星TUBOYにその起源を由来することを調べ上げた。
 それは異例の長期間を要したプロジェクトであった。
 クライスのような外部機関の人間にも助力を得た。そして、彼をはじめ多くの人間が、超古代文明発祥の地──すなわちアルハザードの存在を確信し、それは惑星TUBOYであると結論付けるに至った。

 それはミッドチルダ政府も、同じ結論にたどり着いたということだ。

 ミッドチルダ政府が無限書庫の掌握をも求めているという情報は、クライス・ボイジャーを経由してユーノに伝わった。
 これについては管理局といえども断らざるを得ない。
 ユーノもクライスも、このような情報を分析されてはミッドチルダ政府にとって都合が悪いというのは百も承知である。
 クライスは天文台に入る前は元海兵隊の観測員であり、度胸のある男だ。海軍にも知人が多く顔もきく。
 その筋で、ミッドチルダ海軍が管理局の裏をかいて動いているという情報はクライスも独自につかんでいた。

 カリブラやアストラなど、ミッドチルダ海軍の古参の艦長たちも、クライスをはじめとした退役軍人たちに海軍の活動が伝わり、それがやがてさまざまな組織に、もちろん管理局にも伝わっていくことは予期していた。
 どんなに情報を取り締まっても隠しきれないものである。
 もって1ヶ月程度であろうとカリブラはみていた。
 最初に惑星TUBOYに向かってから、もうすぐ1ヶ月がたとうとしている。
 年が明ければ、新年の活動を始める各業界にも噂が広まる。年末に向けて話題が欲しいマスコミはもう動いているだろう。年末休暇に向けて、ワイドショーで放送するために取材を始めている局もあるだろう。

 新暦84年という年は、おそらくミッドチルダだけでなく全ての次元世界にとって転機となる。

 アドミラル・ルーフの艦橋から、15万キロメートルの距離をおいてもなお巨大な輝きを見せ付けているインフィニティ・インフェルノの艦影を見据え、カリブラ・エーレンフェストは気合を新たにした。
 既に兵装管制盤には射撃装置をセットし、砲術長が照準作業にかかっている。
 他の艦でも急ピッチで発射準備を進めている。

 カリブラは自身のキーチェーンに提げたアルカンシェルの管制キーを取り出し、砲術長に直接手渡す。
 このキーを発射装置に差し込んで回すことで、アルカンシェルの発射プロセスは起動される。
 術式の詠唱は艦に搭載されたコンピュータが自動で行い、このキーが差し込まれていることを検出して最終的な発射操作が行われる。もし途中でキーが抜ければ、ただちに詠唱は中止される。

「発射許可を、艦長」

「アドミラル・ルーフ艦長、カリブラ・エーレンフェストの権限においてアルカンシェル発射を許可する」

「アイアイサー……!」

 巡洋艦部隊は、それぞれの戦隊長の判断でタイミングをとり、全速力でインフェルノから離れる。
 惑星TUBOYはインフェルノの右舷760万キロメートルに位置し、重力的には影響の少ない位置へ脱した。

 各艦が連絡を取り合い、最終的に艦隊旗艦リヴェンジより、攻撃が発令される。

 アルカンシェル、発射。

 戦艦、巡洋艦、合わせて200隻以上からのアルカンシェルが、強大な空間歪曲を持ってインフィニティ・インフェルノに迫る。
 空間が激しく歪み、太陽が大きく水平に引き延ばされるように見えた。
 艦を固定しているはずの重力アンカーが引きずられ、走錨する艦もいる。艦隊司令は全艦に全速後進一杯を命令し、ワームホールに飲み込まれないように各艦の艦長は操舵手と機関士に命じる。

 宇宙の黒い空が瞬き、それは巨大な空間歪曲により青方偏移を起こした宇宙背景輻射だった。宇宙に満たされた冷たい電波が、歪んだ空間を通過することによって可視光領域まで圧縮されたのだ。
 それはゆらぎである。
 インフレーション理論に基づく、宇宙誕生の前にあったとされる“無”のゆらぎの姿が、視覚化されて艦隊の乗組員たちの目の前に現れた。

 重力波センサーはどの艦の目盛りも完全に振り切れ、敵の姿をロストする。

 アルカンシェル発射の余波は、太陽系全体に広がりつつあった。

 

 同時刻、虚数空間内。
 第1世界ミッドチルダへ向け航行していたXV級巡洋艦クラウディアは、巨大な次元震反応を探知した。

 それは第511観測指定世界で、バイオメカノイドたちの戦艦インフィニティ・インフェルノに向け発射されたアルカンシェルのものだった。

 次元震とは、すなわち位相欠陥が揺さぶられることである。
 これによってドメインウォールが移動したり、一部がちぎれてテクスチャーやモノポールを形成することがある。
 これがもし通常物質でできた天体に衝突すれば、それこそ巨大恒星や銀河さえも消し飛ばすほどの凄まじい対消滅反応が起きるだろう。それは超新星爆発にも匹敵するエネルギーである。

 過去には、そのような現象によって、人間が居住していた惑星が消滅する事故も何度か起きていたと思われる。

 はるか遠方、原初の宇宙で輝いているクェーサーは、一説ではこの次元震をエネルギー源に輝いているのではないかともいわれている。
 宇宙の年齢は137億年であり加速膨張を続けているという説に基づけば、誕生したばかりの宇宙はとても密度が高く、そのときには現在よりもはるかに多いペースで次元震が発生していたと考えられる。

 このモデルでは、宇宙空間を情報が伝わる速度の限界である光の速さ(およそ秒速30万キロメートル)を超えて現象が伝播できる。
 すなわち、ひとつの位相欠陥が次元震を起こすと、それは相転移空間を伝わるので、見かけ上の速さが超光速のように見えるのだ。
 実際には、何かの意味のある現象が高速で伝播しているわけではないが、ほぼ同時に広範囲の空間で対消滅反応が起きるので、見かけ上、次元震の波動が超光速で伝わっているように見える。

「艦長、ミッド・ヴァイゼン連合艦隊の砲撃です。一斉砲撃です」

 クラウディア副長、ウーノ・スカリエッティは、艦橋のマルチスクリーンに投影された観測数値を見ながら言った。

「そのようだな。少なくとも150発以上のアルカンシェルが直撃している」

「次元の壁は破れますか」

「ここで破れなくてもいずれ破れる。その時彼らは自分たちの行いの真の意味を知るだろう」

 ミッドチルダを出港した日の夜、クロノ・ハラオウンは幹部士官を集めて今回の任務に込められた意味を語った。
 次元世界の真実。それを知ってしまったミッドチルダ政府がとるであろう行動。
 そして、それに対して管理局の力の限界が見えているという事実。

 ウーノは、この航海の目的は、いつ考え付いたものなのかをクロノに質問した。

 その答えは、18年前、ギル・グレアムから闇の書事件の真実を知らされた時だという。
 次元世界は、ここにきて、自らの姿を見つめなおし再確認する必要がある。
 その写し鏡となるために自分たちは出航するのだとクロノは言った。

 ミッドチルダもヴァイゼンも、自分たちの力ではどうしようもない存在が現れることを恐れている。この世に自分たちより強い力が存在することを恐れている。

 だから、惑星TUBOYを秘密裏に破壊しようとしておきながら、あわよくばその技術を入手しようという、虻蜂取らずな作戦を立てたのだ。
 それは恐れと欲望の二律背反であり、人間の心理を洞察するなら導き出すことは十分可能な答えである。

 だからこそ、ウーノもこうしてクロノを信じることができている。
 けして、無為な考えではない。
 冷徹に人類の未来を見通している。この男はずっとそれを考えて生きてきたのだ。そして、自らの力で答えをつかもうとしている。
 それは人間ならば誰もが持つ願いであり、悲願そして欲望である。

 真実を見つめる勇気をなくし、その純粋な感情と心に目をそむけた人間が、いかに堕落してしまうかというのはウーノはよくわかっているつもりだった。

 クラナガンの街すべてがバビロンであるとは言わないが、ミッドチルダは肥大しすぎた巨人と化しつつあるのもまた否定できない事実である。

「怖くはないか?」

 半ば唐突に、クロノはウーノに問いかけた。

 クラウディアは針路をミッドチルダへ向け、巡航中である。

「──いえ。私“たち”は、既に死んだ身ですから」

 2年前、管理局が各地に設置している軌道拘置所が、テロリストによって襲撃されるという事件が散発的に起きていた。
 テロの実行犯は管理局に対する批判を述べた。それは管理局の更生方針に対する不満であり、自分は私刑を行いたいのだということを言っていた。犯罪者に対する管理局の処遇は甘すぎであり、管理局が手を下さないのなら、自分が成り代わって彼らを処刑する。

 この事件に伴い、拘置所に収容されていた囚人が多数死亡した。

 その中には、JS事件に関わった戦闘機人や、首謀者とされる科学者ジェイル・スカリエッティも含まれていた──と、管理局はプレスリリースにて発表した。

 もし自分が管理局に対して反旗を翻すなら、このシナリオを企てた者たちはどれほど慌てふためくだろう。
 そんな嗜虐的な感情が、一瞬ウーノの胸中に生まれる。
 クロノの冷静沈着な立ち姿を見て、しかしすぐに考えを静める。

 彼の精神力は、軍人としてもかなりの強靭さを持っている。

 それはけして刷り込みや洗脳などの恣意的な手段によるものではなく、あくまでも彼自身の強い意志によるものだ。
 彼が幼いころからそういった鍛錬を欠かさずに生きてきたことをウーノは知っている。
 彼の能力は、ジェイル・スカリエッティも高く評価していたのだ。

 もし幼い頃の彼が夢見ていた未来があったのなら、今彼はまさに自分の生涯をかけた任務に就いているのだろう。

 そして、自分はそれを助けたい。
 よく補佐し、従うことを望んでいる。それは単にクラウディア副長の職務としてだけでなく、ウーノ・スカリエッティ個人としての意志でもある。

 拘置所襲撃事件に際して、ウーノは、“テロリスト鎮圧のために出動した”管理局の巡洋艦に、“偶然”救助された。
 もちろん、救助した艦の名前も、救助された人間の名前も、公表などするわけがない。

 ウーノと同じラブソウルム軌道拘置所に収容されていた戦闘機人、ナンバーズ7番セッテは、ウーノの目の前で、“テロリスト鎮圧のために出動した”巡洋艦の砲撃を受けて爆死した。
 対巡洋艦の搭載艦砲は、XV級であれば5インチ速射型ショックカノンである。
 これは位相振動による破壊効果を持ち、仮に人体に命中したなら、肉体が一瞬で原子核と電子を引き剥がされ、血も肉も骨も一切がプラズマ化して爆発する。

 ナンバーズの中でも感情の発現がとくに少なく、機械のように行動しまた扱われていた彼女だったが、姉妹として少しの情はあった。

 収容された巡洋艦の艦内で、他の軌道拘置所も同様に襲撃されたと聞いたとき、ウーノは初めて感情を爆発させ取り乱した。

 この世で最もかけがえのない存在だと信じていた男を、失ったかもしれないという哀しみ。
 それをもたらしたのが今自分の周りにいる管理局の人間だという事実。
 自分の中の世界が、心が、壊れそうになっていたウーノを、真実を教えて救い出してくれたのはクロノであった。

 管理局に“再収容”されたのは、ウーノ、トーレ、ジェイル・スカリエッティの3人だった。
 クアットロとセッテは、それぞれの拘置所において、テロ実行犯ごと爆殺された。死んだと発表する以上、実際に現物を見せなければ報道機関の納得は得られないだろう。
 二人の遺体──といっても速射砲の砲撃を受け、焦げた砂のようになってはいたが──は、JS事件の実行犯らが“全滅”した証拠として報道機関へ公開された。彼女らに直接手を下したのは管理局である。
 だが、そのような事実は外部からは観測不可能であった。

 トーレとスカリエッティは、共に管理局本局内のどこかで、極秘プロジェクトに携わっていると聞いた。

 ウーノは、その能力を活かす道として、クラウディア乗り組みをクロノから持ちかけられた。

 JS事件にしろ、管理局が治安維持をお題目に掲げている以上動かざるを得ないが、そもそもスカリエッティに研究を依頼していたのも管理局である。
 利用できるものなら利用したいし、世論の批判さえかわせるなら彼の才能や研究成果は失うには惜しすぎるものであった。

 スカリエッティの起こした事件は確かに混乱をもたらしたが、彼の持っている心とは、現代の次元世界人類が失いかけている純粋なものであるというのは、管理局としてもけして無視していたわけではなかった。

「艦長、もう一度確認しますが──これからの本艦の行動は、“本艦の意志”ですね?」

 クロノはゆっくりと振り向き、ウーノを見る。

「そうだ。ミッドチルダ海軍の任務でも、時空管理局の任務でもない──」

 クラウディアの艦橋発令所で正面に向き直ると、クロノは新たな命令を発した。

「航海、グリッド表示51-15への針路を計算しなおしてくれ。速力20宇宙ノットで到着できる時間はいつだ」

「はっ、20宇宙ノットでの航行ですと38時間後が目安です」

「わかった。速力20宇宙ノットで巡航開始。電測は交代、各科順番に食事をとれ。3時間後にワープを開始する」

 虚数空間をかきわけ、航行するクラウディアは長距離次元観測機を発射して目的地の偵察を行った。
 目指す宙域には、アルカンシェルの強大な空間歪曲を浴びて船体を捩じられるインフィニティ・インフェルノの姿があった。

 

 時空管理局本局では、レティの管轄するドックに入渠したLS級巡洋艦ヴォルフラムの改装工事が急ピッチで行われていた。
 大気圏内運用を主眼に入れたLS級では取り外されていたアルカンシェルを再度搭載し、切り札となる高火力を持たせておく。
 それから、LS級にもともと搭載されている高度なイージスシステムに対応した誘導魔法砲台も、最大同時交戦目標数の多いタイプに換装する。
 LS級の火器管制装置なら、最大で768個の敵ユニットを同時にロックし攻撃が可能だ。
 最新型のXJR級打撃巡洋艦と比較しても遜色のない戦闘力を得ることができる。

 なのはやヴィヴィオは一度艦を降りて、本局内部の居住区で休息をとったりしていたが、はやてはずっと艦内で待機していた。
 どこに出かけるという気にもならないし、艦の工事を自分の目で見ておきたかった。どのような装備が搭載され、それを扱う作戦をどのように立てればいいかを考えておく。
 若い頃、管理局に入りたてだった頃は、嘱託魔導師として働き詰めだったなのはを心配し、時には引き留めたりしていたが、今は自分の方がなのはよりも働き詰めになっている。

 自分の生活の場が、艦という、職場と同じ場所になっている。
 艦というのは多かれ少なかれ、乗組員にとっての家となるものだ。
 だからこそ乗組員たちはある種の家族のような共同体であり、心をひとつにして戦うことができる。
 それはどんなに科学が進歩しても、魔法が進歩しても変わらない。

 ヴィヴィオは、本局内に設置されている無限書庫を訪れていた。
 ここの事実上のボスであるユーノ・スクライアは、高町なのはの幼馴染でもあり、ヴィヴィオも、小さい頃は良く遊んでもらっていた。

「司書長は今日は外出だよ、たぶん夕方には戻るんじゃないかな」

「えーっ、そうなんですか」

 ロビーの受付でヴィヴィオを応対した無限書庫の職員は、司書たちの行動予定表を見ながら言った。
 ユーノが外に出るなど珍しいことである。
 思えば彼はいつも書庫の中で探索を行うか、取り出した本を周囲に何十冊も浮かべて資料を整理しているか、そんな姿しか見たことが無かった。

 自分から渉外活動をするような人物には見えなかったが、やはり、時にはそういう仕事をすることもあるのだろう、とヴィヴィオはとりあえず思っていた。
 ヴィヴィオがヴォルフラムに保護されたことに伴い、聖王教会のシスターとして働いている戦闘機人オットーとディードの二人も、本局へ赴く予定である。
 彼女たちと合流するため、ヴィヴィオは本局連絡空港の待合室へ向かうことにした。

 ユーノは、行動予定表のホワイトボードに、行き先としてミッドチルダ国立天文台と書き込んでいた。

 受付の職員も、たとえ司書長であってもわざわざ外出先を詮索することもない。
 ここ数日、ユーノは外出が多かったが、それは単に外での用事が増えているだけだろうと考えていた。

 

 ヴィヴィオが無限書庫を訪れていた頃、ユーノ・スクライアはクラナガンの臨海空港で、手荷物を係員に預けていた。
 この空港では本局との連絡シャトルや緊急転送ポートが運航され、管理局の職員も多く利用している。
 もちろん、無限書庫司書長であるユーノがこの空港を利用するのも当然の行動である。

 搭乗ゲートをくぐり、乗降口へ向かっていたユーノの前に、二人の管理局局員が現れた。二人の服装は、一般職員ではなく本局査察部のものだった。
 それは送迎といった雰囲気ではなかった。
 ゲートの向こうで待っていたということは既に搭乗手続きを済ませていたか、別の便で到着しゲートをくぐらずに待っていたか。
 どちらにしろ、穏やかな雰囲気ではない。

「スクライア司書長、少しお話を」

「すまない、急いでいるんだ。機に乗ってからでいいかな」

 とぼけて答えたユーノだったが、二人の局員──服装からして、本局の査察官だろう──は、すばやくユーノの両脇を固めていた。
 彼らのスーツの下で、隠密作戦用の超小型デバイスが起動する。

 ユーノが彼らの誘導に従って乗降口を通り過ぎたとき、通路の向こうに、見慣れた男の姿が現れた。

 綺麗に誂えた白のスーツに、光沢を出して磨かれた靴。
 身のこなしは、おちゃらけているように見えてその実、一分の隙もない。
 ユーノも、いずれ査察部の目に留まるだろうことは予想していたが、まさかこの男が直々にやってくるとは思っていなかった。

「どうした、ヴェロッサ」

「アコース査察官、と呼んでくれたまえ、ユーノ君。いやスクライア司書長」

 普段のファーストネームではなく、互いの職掌で呼び合う。
 それは彼らが任務として対峙していることを意味する。

「本局査察部は、無限書庫からの機密情報漏洩を疑っている」

「僕がそれをやったと?」

「その疑いがかけられている」

 ヴェロッサが連れてきた査察官は、変わらずユーノを押さえている。
 彼らは可視光で見えない捕縛魔法など、一般には流通していない特殊な術式を装備している。

「特に情報を持ち出したことはないな。無限書庫の情報管理規定にのっとって扱っている。具体的にどこが不味かったのか教えてくれるかな?」

 ユーノはヴェロッサを鋭く見据えた。
 もしユーノが本当に機密情報に触れていたというのならば、ヴェロッサもそれをこの場で口に出すことはできないはずである。

 ヴェロッサのレアスキルである思考捜査でも、ユーノほどの魔導師を相手にすると、面と向かって心理の駆け引きをしながらでは捜索効率が落ちて現実的ではない。

「とにかく査察部へ一度来てくれ。ここでは話せないな」

「賢明な判断だ」

「以後24時間監視をつける。すまないが、業務の引継ぎなどがあるのなら遠隔でやってくれ。無限書庫には僕から話を通しておく」

「わかったよ──アコース査察官」

 ヴェロッサの案内で、ユーノは査察官たちと共に管理局の特別便に乗り込んだ。
 これは民間の航空会社とは別に運航される不定期便で、パイロットも管理局所属の軍人操縦士である。
 使用される機体も、偵察機や輸送機などの軍用機を塗装でカムフラージュしたものだ。

 ユーノにしてみれば、ようやくおっとり刀で本局が動いたかというところだった。
 ヴェロッサを寄越してきたのも、他の査察官ではユーノを相手にするのが厳しいという考えがあったからなのだろう。

 ユーノとヴェロッサは、かつて機動六課時代に共同で仕事をしていた経歴がある。

 ゆえに、通常の業務では知りえないコネクションがあることを期待された。
 そして管理局は、ミッドチルダ政府からの圧力を恐れている。
 ユーノはそこまで見越した上で、協力者にクライス・ボイジャーを選んだのだ。彼は、現役時代はそこそこ名の知れた魔導師であり、同期の海軍軍人にはカリブラ・エーレンフェストやアストラ・ボーアなど、ミッドチルダ海軍の名だたる提督がいる。
 そんな男に対し管理局が査察官を送ったなどということがミッドチルダ政府に知れれば、管理局は激しい批判に晒されることになるだろう。

 よって、管理局が突いてくるなら自分しかありえないとユーノは考え、待ち構えていたのだ。

「まず行動指針を言ってくれるかな。管理局は最終的にどうしたいのか、それがわからないと僕も話しようがない」

 機内の座席に深く腰を落ち着け、ユーノは腕を組んでヴェロッサを見据えた。
 二人の査察官はそれぞれヴェロッサとユーノの向かいに座り、四人でそれぞれ向かい合っている。

 ヴェロッサはいつものように、座席のサイドテーブルに焼き菓子を広げた。この男は勤務時間中でもどこでも構わず菓子を食べることで有名だ。それは本人曰く、自分のレアスキルは脳を使うため、糖分を激しく消費するからだという。

 カラメルの香ばしい匂いが機内に広がり、軍用機のオイルの臭いと混じる。

 3個目のワッフルを齧り、ヴェロッサは目線を上げてユーノを見た。

「今までと同じだよ」

 それは長考の末に選んだ言葉にしては、やや投げやりに過ぎるように思えた。
 しかし、考えてみればロストロギアの出土場所や世界によって扱いを変えるというのも管理局としてはできないことである。それはひいては次元世界を差別することに取られかねないからだ。

「今までと同じだ。今までと同じように調査し、今までと同じように応戦し、今までと同じように封印する」

「そのために必要な戦力は?」

 ヴェロッサはシートベルトをしたままで、両腕を広げて見せた。
 肩をすくめたつもりが、シートベルトで座席に固定されているので奇妙な体勢になる。

「とんでもない量だ」

「正気とは思えないね」

「そう、僕も正気とは思えない」

 くくく、とユーノは思わず含み笑いを漏らす。
 いつも冷静に、超然と振舞うこの男が、うろたえる姿は純粋に可笑しいものである。
 同時に、これから迎える困難を共に乗り切ろうという仲間意識のあらわれでもある。

「今向かっている艦隊は捨て駒かな?」

「さあ、僕は艦隊司令部じゃないからね。ミッドチルダ海軍の考えは分からない」

「管理局としては、次元世界政府を正しく抑えるのが仕事じゃないのかな?」

「それができれば苦労はしないさ」

「ミッドチルダは自分たちに対し管理局は手出しできないと考えている」

「そのようだ」

 もしミッドチルダと管理局が反目するのなら、管理局はその組織運営さえ危うくなる。
 名目上でも組織系統上でも独立した国際機関ではあるが、管理局はその運営資金を次元世界各国からの出資に頼っている。
 主席理事国であるミッドチルダの同意無しには、管理局所属部隊は事実上の活動が出来ないのだ。

 ミッドチルダが否と言えば、管理局はミッドチルダ政府の責任をそれ以上追及することができない。

 建前はともかく、管理局はミッドチルダが世界支配をするための出先機関と、中小次元世界からは見られている現状ではある。

「しかし、ミッドチルダ海軍が惑星TUBOYと交戦したことで、われわれ次元世界連合が惑星TUBOYにとって敵であると看做される危険はある。その可能性は非常に高い」

「艦隊の出撃が無ければどうだった?」

「それを僕に訊くのかい?」

 ヴェロッサも、口元を引いて歪んだ笑みを見せる。

 そんなことは言わずとも分かっているだろう、という表情だ。
 腹のうちに隠すだけでなく言葉に出してみろと、ユーノは言外に伝えている。

「ミッドチルダは突如として異次元より空襲され、艦砲射撃を撃ち込まれ、無数のバイオメカノイドに蹂躙される。海軍の防衛線は10時間もてば良い方だろう。陸軍など何の役にも立たないだろう。
──そう、ミッドチルダ政府は考えていた。それゆえに敵が動き出す前に叩く必要があった」

「敵戦力はそれほど強大であると見積もった──その根拠はあるのかな?」

 この言葉を待っていたという風に目線を上げ、そしてわずかに声を堪え、ヴェロッサは言葉を紡いだ。

「その情報が無限書庫から持ち出された」

 ユーノも、1秒か、2秒か、唇を引いたまま表情を止める。
 吊り上げた目尻に、笑みは張り付いたままだ。

「成る程──ミッドチルダ政府は超古代先史文明の伝説を信じており、アルハザードの存在を確信しているということだね──」

「そう、考えうる“最悪の”シナリオだ。もしアルハザードが実在するのなら、ミッドチルダはおろか、現代の次元世界人類の持つどんな科学技術でも到底太刀打ちできない。
彼らに刃向かうなら人類はひとたまりも無く滅亡する。
そして軍隊とは国民の財産を守るために存在する。たとえ1パーセントでも危険が及ぶ可能性があるのなら軍はその危険を排除しなくてはならない」

「それが惑星TUBOYに、第511観測指定世界に大艦隊を派遣した理由──と」

 その所謂ところの軍の使命さえ、方便として使われることをイメージする者がほとんどだろう。
 危険を排除するためと言って、それならまずその危険が存在することを証明してくれとなる。
 過去、ミッドチルダが大規模質量兵器の秘匿所持などを理由に他次元世界への侵攻を行ったケースでも、実際にその顛末がどうなったのか、質量兵器は正しく処理されたのかなどということはほとんど知られていない。
 管理外世界オルセアが次元世界連合に非加盟であるのもそういった、ミッドチルダに対する不信感が根本にある。
 ミッドチルダはそのオルセアに対しては現在のところ非干渉であるが、ヴァイゼンなどはかなり強硬に出ていて、近海の航路を通る民間次元航行船の護衛名目で艦隊を派遣したりなどしている。

「今ある戦力では惑星TUBOYは殲滅できないね。巨大戦艦だけじゃない、あの惑星自体が恒星間戦略母艦のようなものだ。
レリックは、ロストロギアを遺した文明の中ではいってみればごく普遍的な動力装置として使われていた──それゆえに出土数が多かった。
ジュエルシードも単に遠隔操作可能なように、使用者の思考を読む機能がついているに過ぎない。願いを叶えるなんてのは後から見つけた僕ら人類が勝手にそう思い込んでただけだ。
また、聖王──レリックウェポンがそうであるように生体への融合性が高いということは人体の強化に使うことも視野に入れた設計がなされているということだ。
正直なところ、これほどの技術文明を相手に戦争を挑むのは、ましてやこそこそと調査や試料採取なんてことをやるのは自殺行為というほかない。
──でも、戦わずして降伏するのは人間的な感情を蔑にしている、人間の誇りを捨てた行為だ──というところかな?」

「確かにミッドチルダにはそういう考えの者が多い──次元世界連合の中心として、魔法科学興隆の地としての矜持──
──だが、それは今ここで論じることでもないだろう」

「──そうだな」

「問題は、現在ミッドチルダ及びヴァイゼンが艦隊を派遣するに至った理由、第511観測指定世界惑星TUBOYがアルハザードであるという仮説──」

「第511観測指定世界の情報は秘匿されていないね。探査機ガジェットの観測データも、ミッドチルダ国立天文台のウェブサイトで公開されているものだ」

 まさか遡及適用をするつもりじゃないだろうな、とユーノは付け加える。
 仮にも法治国家であるミッドチルダにおいて、そのような超法規的措置など不可能だ。
 事件に対処するにも、法に則った捜査が必要である。

「今になって急に機密扱いにしたら、かえって不審がられる」

「ミッドチルダが惑星TUBOYを狙っていると白状するようなものだね」

 ヴェロッサは連れてきた査察官に、本局へ連絡をとるように言った。
 無限書庫司書長ユーノ・スクライアの身柄を、本局査察部査察官ヴェロッサ・アコースの監視下に置き、他の査察官の干渉もさせない。
 もともと査察部は、執務官以上に互いの交流がない部署ではあるが、それをさらに徹底させる。
 今となっては、本局査察部にさえミッドチルダ政府の息がかかっていないとは言いきれないのだ。

「だがそうなると、ヴェロッサ、君がそうじゃないとも言いきれないんじゃないのか?」

「だから僕と君が会うようにしたんだよ。君が他の査察官と会っても、僕が他の司書と会っても仕方がない。お互い、腹に一物を抱えているんだ。
抱えたものがあるからこそ、互いに相手を読むことが出来るんじゃないのかな。僕のレアスキルでも、相手が本当に知らないことは読めないよ」

「いいだろう」

 ユーノとヴェロッサを乗せた連絡機は、本局の連絡港へ向かい、専用のレーンへ乗って着陸態勢に入る。
 現在、本局はミッドチルダの昼の面に滞空しているが、連絡港がちょうど夜の側を向いていたため、本局の影に入って機内は一瞬暗闇に包まれる。すぐに室内灯が点灯し、窓の外に、誘導灯の規則的な点滅が瞬いている。
 無限書庫に連絡を取ったとき、取り次いだ職員が、ヴィヴィオちゃんが来てましたよとユーノに言った。
 他の司書たちには、クライスと会っていたことや、独自に調べていた超古代文明のことも話してはいなかった。彼らには何も事情を説明していないので、とりあえず長期出張になるかもしれないとだけ伝えている。

 ヴィヴィオ。彼女もまた、ユーノの中では、かつてのJS事件の当時とは別の意味で特別な人間になっていた。
 古代ベルカの王族とは、すなわち超古代先史文明人の血をも濃く受け継いでいるということである。

 

 XV級巡洋艦クラウディアは、惑星TUBOYがその質量の大部分をインフィニティ・インフェルノの発進によって失い、主星との質量バランスが変わったため、現在の軌道よりもさらに遠方へ軌道半径が移行しつつあることを観測していた。
 アルカンシェルの余波により、いったんは太陽の方向へ引き込まれるが、その反動でさらに遠くへはじき飛ばされる。
 惑星TUBOYは一時的に、離心率の大きい楕円軌道へ移行していた。
 この軌道は不安定なので、次第に近日点と遠日点が移動していき、軌道を数十周もする頃には、軌道半径3億キロメートル程度の円軌道に落ち着くとみられた。
 これにより、他の外惑星の軌道も影響を受ける。

 惑星の急速な軌道変更は、太陽系の重力バランスを変化させ、それまで遭遇しなかった未知の天体への道を開く。

 ワープアウトした瞬間から、クラウディアはただちに全速力でインフィニティ・インフェルノの正面へ艦をとった。
 ミッドチルダ・ヴァイゼン連合艦隊とは、インフェルノを挟んで真正面から向かい合う位置取りである。

 アルカンシェルの全力砲撃を浴びたインフェルノは、艦後部が大きく捩じ切られたように割れ、内部構造を露出させた状態で航行していた。
 動力はほとんど落ちて艦尾ノズルの炎は消え、慣性飛行に従って太陽に向かう軌道に乗っている。
 さしもの巨大戦艦も、150発以上のアルカンシェルによる空間歪曲のエネルギーは、次元の壁を破ってダメージを受けるに十分過ぎたようだ。
 放出された重力波は、おそらく宇宙を何周も巡るだろう。1000億光年以上を少なくとも伝播するということだ。

 クロノは艦が完全にワープアウトしたことを確認すると、ミッドチルダ海軍の共通回線で、艦隊へ向け打電した。

 ミッドチルダ海軍でも、クラウディアの突然の出現に驚いている様子だった。
 突如出現した未確認艦に対し、艦隊先頭に出ていたLFA級アイギスが緊急応戦の準備にかかり、各戦隊の先頭艦から索敵レーダーが照射される。

 艦隊旗艦であるRX級リヴェンジは、クラウディアへ向けて通信回線を開くよう返電した。

「大規模次元震を観測しました。敵戦艦がワープ準備に入っていると思われます」

『こちらでも敵の動きは観測している。敵には既に大ダメージを与えた』

「司令、私は時空管理局次元航行艦隊所属、クロノ・ハラオウンです。わがクラウディアは敵戦艦インフィニティ・インフェルノのワープ終了推定地点を計算しました。
敵戦艦が目指している宙域は、第97管理外世界太陽系です」

 両艦を隔てる数百万キロメートルの宇宙空間が、凍りついた。

 アルカンシェルの余波は空間を激しく歪ませ、背景に見える外惑星の光が揺らめいている。

 静かに輝いている主星太陽から、フレアの光が瞬いた。K型主系列星は質量が小さいが、この惑星TUBOYが所属している太陽系の主星は核融合反応が同クラスの星に比べて不安定であり、爆発的なフレアを時折起こしている。

 フレアによって光球から浮き上がって散らばる磁力線で、空間上に転送ゲートの形が浮かび上がった。
 それはインフェルノが開いたゲートであった。

「司令」

『ハラオウン君、クラウディアの任務はトールの双子の観測だったはずだが』

「心得ております。結果、第511観測指定世界と第97管理外世界は非常に近傍であるという観測データが得られました」

 この回線は秘匿通話ではない。通信内容は、艦隊全艦が聞いている。

「敵戦艦は第97管理外世界に向かっています。すなわち、地球へ向かっています」

 カリブラ、アストラはそれぞれの艦で、クラウディアへ向け主砲をロックオンしたまま、インフェルノの軌道計算を行うよう命じた。
 外宇宙航行を行う次元航行艦は、原則として単艦での行動が可能な程度の能力を最低限持つこととされている。
 もし戦闘などによって僚艦が失われた場合でも、1艦でも残っていれば帰還が可能なようにということだ。
 次元航行艦の搭載する航法システムは、惑星や恒星系などの運動を計算するのにも強力なコンピューティングパワーを発揮する。

「次元間航行プロセスはすでに起動しています。敵戦艦インフィニティ・インフェルノは、わが方のアルカンシェルを被弾するよりも早く次元移動の準備を完了させていました。
しかるに、ただちに敵戦艦の追撃が必要であると具申します」

『我々に、第97管理外世界へ進出せよと言うのか』

「緊急事態です」

 艦隊司令と通信を行うクロノの姿、その言葉は、やり取りを後ろで聞いているウーノにとっては白々しくさえ思える。
 最初から、ミッドチルダ海軍を第97管理外世界へ引きずり出すことを目的にしていたのだ。
 地球近傍の宙域で、あの謎の小型探査機とすれ違った時──。
 あの宙域が、位相欠陥として第511観測指定世界と第97管理外世界を繋いでいること、それはすなわち惑星TUBOYがその存在を察知していたのはミッドチルダではなく地球であるということだ。
 そして、あの小型探査機は最初から第511観測指定世界を目標にしていた。
 でなければあのような何もない宙域を飛んでいるわけがない。
 ミッドチルダ艦隊は、惑星TUBOYへ向かえばほぼ自動的に第97管理外世界へ誘い込まれることになる。

 今まで、幾百もの次元に分かたれていた世界が、惑星TUBOYを通じてひとつに繋がる。

 解放されるアルハザードの真実は、次元世界人類の存在を軽く凌駕する。

「少々失礼します。──時空管理局本局より、緊急連絡を受信しました。本艦は新たな任務へ向かいます。
“次元航行艦クラウディアはすみやかに第97管理外世界地球近傍宙域へ移動し、敵戦艦を追撃せよ”──です。
私はこれより敵戦艦の追撃にかかります」

『ハラオウン君!』

「そのうちミッドチルダ海軍、ヴァイゼン海軍からも同様の指令が届くでしょう。よくお考えください」

『ハラオウン君!君はわざわざ、それを言うためだけにわが艦隊の真正面に顔を出したのか!?』

 輝きを増す太陽に、吸い込まれるように旋回しつつインフェルノはゲートへ向かっていく。
 艦首から、艦体が虚数空間へ潜行しつつあることを示すドップラーシフトの光が揺らめきはじめる。

 クロノはクラウディアの操舵手に、回頭180度を命じた。

 クラウディアはミッドチルダ・ヴァイゼン連合艦隊に対し、完全に艦尾を向ける。
 正面に立っている2隻の戦艦、アドミラル・ルーフとアイギスがクラウディアをロックオンしていることは確認している。
 さらにクロノは、砲雷長へクラウディアの艦尾5インチ砲を使い、発光信号出力のショックカノンを使用してアイギスへ位相通信を行うよう命じた。

 ショックカノンは、出力を低く抑えると、非常に狭い指向性を持った通信波として使える。空間の位相そのものを偏向させるので電磁波のように拡散することがなく、非常に遠距離まで届く。念話のように傍受されることもない。

 クラウディアの艦尾5インチ砲が砲口をかすかにきらめかせてモールス信号を発し、その光をLFA級戦艦アイギスは受け取った。

 位相のわずかな偏移に信号を載せ、送る方法である。これは次元航行艦同士の秘密通話に最適である。わずか数百キロメートルしか離れていない隣の艦では、これを受信できないのだ。

 通信を受けたことを聞いたアストラは、通信士に受信データの復号を命じた。

 やがて、通信士が復号されたクラウディアからの電文をアストラに送ってくる。

「────艦長。クラウディアは──」

「さすが、ハラオウン君……あのギル・グレアム提督の直弟子というだけはある」

 アイギスの艦橋からも、次元間航行へ移るインフィニティ・インフェルノの姿が見えていた。
 それは太陽の光をかき消してしまうほどの強烈な輝きを放ち、インフェルノがいかに巨大な艦であるかということを見せつけていた。

 インフェルノが潜行していく虚数空間への穴から、すれ違うように小物体が飛び出してきた。
 アイギスの電測士は念のためそれを報告したが、アストラは、今はそれに構っている暇はないと判断した。

 クラウディアに続いて、アイギスが機関を始動させ、艦を発進させる。

『待ちたまえ、ボーア君』

「司令、もとより我々は後戻りできません。敵戦艦を追撃すべきです」

『しかし、管理外世界に──』

「許可を得たと同義です。ミッドチルダ政府の命令とは、敵戦艦の確実な撃滅です。敵が他の次元世界に逃げたから仕留め損ねましたではいけません」

 アイギスに続き、アドミラル・ルーフが、続いて第1戦隊の戦艦群が次々と発進する。
 リヴェンジの艦長も、座乗している艦隊司令に、発進許可を求めていた。

『──わかった。これよりわが艦隊は敵戦艦の追跡を開始する。各艦、アイギスに後続して次元間航行に入れ』

「了解──!」

 クラウディアから遅れること1300万キロメートル、ミッドチルダ・ヴァイゼン連合艦隊は敵戦艦インフィニティ・インフェルノを追い、第97管理外世界へ向けて発進した。
 惑星TUBOY宙域には、損傷して航行不能となった艦の救助のために駆逐艦数隻を残し、残りの主力艦は隊列を組み直して再出撃する。

 その艦たちを、無機質に見つめる目があった。

 宇宙探査機、ボイジャー3号。

 ウラヌスの槍に突入し、長距離ワープを行った本機は、スピン通信により現在位置、そして撮影した光学観測データをジョンソン宇宙センターへ送信した。
 受信したデータはただちに解析され、ウラヌスの槍を抜けた先が地球からおよそ170万光年離れた暗黒銀河の影にある、局部銀河群のはずれに位置していることを確かめた。
 ボイジャー3号が撮影した天の川銀河は、史上初めて、外部より天の川銀河の全体像を直接捉えた写真となった。
 太陽系からでは、暗黒星雲や銀河バルジに阻まれて全体像が見えなかった天の川銀河の姿。
 それは全体的に黄色っぽい色をした、はっきりとした4本の太い腕と短めの棒状構造を持つ棒渦巻銀河であった。
 太陽系とは銀河中心を挟んだ向こう側に位置しており、腕は手前から南十字腕、白鳥腕、ペルセウス腕と続いているのが見える。この中で白鳥腕は銀河全体を一周するほど長く伸び、その直径はざっと12万光年以上はあるように見えた。
 天の川銀河は、これまで考えられていたよりもはるかに巨大な銀河である。
 そして、この局部銀河群で最大の銀河であるアンドロメダ大銀河は、実にその2倍以上の規模を持つ、超巨大銀河であった。
 バルジや腕は天の川銀河に比べて青みがかっており、若い大質量星の数が多いことを示している。渦の巻き方は緩くそれぞれの腕は平たく伸びた円盤型で、直径は20万光年以上に達し、さらに銀河ハロの濃い円盤が35万光年以上の範囲に広がっている。

 ボイジャー3号が現在位置している空間は、地球からではいて座の方角に広がる銀河中心の強い明るさに光が拡散され、観測しにくい領域だった。
 さらに多数の矮小銀河が込み合い、暗黒星雲に隠されて地球からは見えにくい位置であった。

 それでも、近傍に存在する惑星から、ある特定の信号が発せられていることを確認した。

 かつてボイジャー1号が搭載していた電波信号。
 それを何らかの手段で入手した存在がおり、彼らがウラヌスの槍を通じて地球へ信号を送り返してきた。

 そして、その発信源とされる惑星にたどり着いたボイジャー3号は、地球へ向けて航行する、多数の巨大宇宙船を発見した。

 

 西暦2023年12月26日、ESA(欧州宇宙機関)が運用するハーシェルⅡ宇宙望遠鏡による観測で、太陽系黄道面より南へ20億キロメートル、“ウラヌスの槍”と名付けられた宙域に、全長100キロメートル以上に達する巨大物体が突如出現したことが判明した。
 100キロメートル以上の大きさを持つエッジワース・カイパーベルト天体や散乱円盤天体が、これほど近い距離にあれば、これまでに行われたサーベイで発見されていたはずである。
 観測された軌道要素は、その物体が地球への衝突コースをとっていることを示していた。

 考えうるあらゆるパラメータを考慮に入れた計算で、トリノスケールは10と算出された。

 この物体は、地球への衝突が確実である。

 直径100キロメートルの小惑星が激突すれば、地球の生命圏は間違いなく、根こそぎ破壊される。
 アメリカ、ソ連、日本、イギリスの各政府は、ほぼ同時に、それぞれの持つ情報機関からの分析結果を受け取った。

 そこに記された答え。
 それは多くの人にとって驚愕と畏怖と憧憬をもたらすものであり、そして一部の人間にとって絶望と希望をもたらす運命である。
 多くの人間が、かすかな希望を持ちながら、それが訪れないことを願いそして諦めていた。
 一部の人間が、それを待望し、そして絶望していた。

 ──異次元からの来訪者が、まもなく地球へやってくる。

 ハーシェルⅡ宇宙望遠鏡による観測データは、この巨大物体が天然の小惑星ではなく、人工物、それも超巨大な宇宙戦艦であることを示唆していた。
 さらにそれだけでなく、この巨大艦に引き続いてさらに数百隻もの宇宙戦艦が、ウラヌスの槍宙域に出現している。

 ウラヌスの槍から発せられていたボイジャー1号の信号とは、はるかな異次元に存在する者が送り返し、ワープ空間であるウラヌスの槍を経由して、直接太陽系内に送り込まれた電磁波だった。
 これならば、他の星から太陽系にやってくるのに何万光年もかける必要はない。

 発信源である惑星は、ボイジャー3号による観測では距離が遠すぎて詳しいことは分からなかったが、少なくとも何らかの生物が存在していることは確実とみられていた。
 おそらくボイジャー3号が到着する直前に他の天体と衝突したか何かで、惑星は大きく抉れていた。破片が周囲に漂っていることから、その現象が起きたのはごく直前であると考えられた。
 しかし、破片は急速に集まり、惑星はその形状を修復しつつあった。通常重力で小惑星が微惑星へ成長していく過程よりも比較にならない速度である。それは人工的な手段で破片が集められていることを意味する。
 ボイジャー3号の重力波検出器は、惑星それ自体の質量に由来する重力ではない、人工重力とも呼ぶべき波動が破片に向けて放射されていることを観測することに成功していた。

 あの惑星は、生きている。

 直径およそ4500キロメートル、太陽系でいえば水星程度の小さな惑星である。
 その惑星は、あたかも自らの意志を持っているかのように周囲の破片を引き寄せ、結合させ、成長していた。それはすなわち、その惑星に住む生物ないしそれに類する存在が、自らの意志を持って惑星の修復を行っているということだ。

 NASAはボイジャー3号を問題の惑星へ軌道投入することを試みたが、速力の問題とまた惑星の質量の変化が予測しきれないことから、観測を開始できるのはどんなに早くても翌2024年2月頃になってしまうと計算された。
 その頃には、ウラヌスの槍から出現した宇宙船群はとっくに地球に到着しているだろう。

 地球人類にとって初めて訪れる、他の星に住む知的生命体との遭遇。

 その瞬間が、刻一刻と、迫っていた。

 

 

 

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最終更新:2012年12月19日 11:13