EXECUTOR ■ 11

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 割れて外空間に向かって開放された艦橋の窓を飛び越え、エリー・スピードスターはヴォルフラムの露天艦橋へ飛び降りた。
 次元航行艦でも、飛行魔法の使えない者や、あるいは艦全体の動力が落ちた場合に備えて物理的に移動するための梯子やラッタルが備えられている。艦橋から装甲司令塔外壁を伝って前甲板へ降り、はやての元へ向かう。
 あのドラゴンが撃ったプラズマ弾の被弾により主砲区画の甲板は大きくめくれ上がっており、足元に気をつけながら走らなくてはならない。
 走りながら、念話で艦橋要員を呼ぶ。

「──ロウラン航海長!モモさんを呼び出してください!」

『機関出力20パーセントまで回復、噴射ノズルは2軸ともいけます──副長どうしました!?艦長は!?』

「緊急処置の準備をお願いします!艦長負傷、ただちに治療が必要です!」

 念話がかすかに途切れ、回線にかすかにホワイトノイズが混じる。

『艦長がッ──まさか敵に!?副長、副長は大丈夫ですか!?』

「艦長を助け出さないといけません、とにかくモモさんに連絡を、受け入れの準備をお願いします!」

 ヴォルケンリッターが活動能力を奪われるということは、シャマルも動けなくなっているはずである。
 この状態では艦医はモモしか執刀できる者がいない。

 ヴィータはもはや意識喪失、ほとんど身動きがとれなくなっており、魔力供給停止を検出したSPTがオートパージされてシャットダウンし、ヴィータの身体は糸の切れた人形のようにだらりと甲板に横たわっている。
 騎士甲冑も強度を失ってただの布のようになっており、蒸発しはじめている。
 この状態では一刻の猶予も無い。バリアジャケットを維持するための魔力が尽きてしまえば、もはや再生成することができなくなる。

 リインフォースの姿をした幻影は、はやての傍らに跪き、胸に手をかざしている。
 表情は場違いなほどに、不気味なほどに穏やかで、慈しみに満ちたものだ。それはバイオメカノイドが人間を観察し模倣したと考えるには、一見して心を動かされすぎる。
 バイオメカノイドはただの機械ではなかったのか。人間を殺戮することのみを本能として与えられた人工生命体ではなかったのか。
 そうでないのなら、なぜ、彼らは生まれたのか。
 彼らの由来を知ることが、彼らと戦うためには必要だ。もし彼らの本拠地を探すことができるのならそこを叩くことで根絶できる。

 この期に及んでもまだ、ミッドチルダはバイオメカノイドの技術を入手することをあきらめていないのか。

「艦長ッ!!」

 あの触手で攻撃されたら、エリーではなおさらひとたまりもない。
 あれは次元干渉をそのまま実数空間に書き出して、相転位空間を生成するものだ。
 また、術者が幻術魔法を使用して偽者(フェイクシルエット)を生成する場合はこの方法を用いている。通常はこのまま目的の姿を形成するが、さらに相転位空間の“継ぎ目”を切り離すことで攻撃魔法に転化できる。
 それは多層次元の接触分裂を利用した攻撃だ。
 これで攻撃されると、アルカンシェルと同様、物質の強度や剛性といったものはまったく意味を成さなくなる。
 空間をそのまま切り取るため、分子間力もあらゆる粒子結合もひといきに分解されてしまう。いわゆる魔力結合といった場合、これは統一場理論における電磁気力に基づいた結合である。これをもとにしているバリアジャケットは当然、空間ごと切り取られれば切断される。
 はやての身体に残された、両腕両脚の切断面が非常になめらかに切り落とされていることがその証拠だ。
 筋肉や神経、骨などをほとんど破壊することなく切断した。生体組織の破壊が少ないため、血液は心拍の圧力によって自然に流れ出していくが、肉体のダメージはその様相から想像されるほど大きくはない。

 なのはもフェイトも慄き、死が目前に迫る恐怖に襲われているが、エリーはあきらめてはいなかった。

「高町さんっ!!ヴィータさんを艦後部の居住区へ運んでください!まだ間に合います!!」

 エリーの必死の呼びかけに、なのははどうにか気を取り直す。
 破損したSPTの回収はあきらめ、ヴィータをかかえて再び飛び立つ。今のところ、リインフォースの姿をした幻影ははやてのそばから動く様子が無く、ドラゴン本体の方はクラウディアを追いかけるのに気をとられている。
 なんとかヴォルフラムを再起動し、スバルたちの班を回収しなくてはならない。
 あちらも、おそらくこの様子だとザフィーラがほとんど動けなくなっているはずだ。回収したグレイ入りのカプセルと、さらにザフィーラも担いで運ばなくてはならないので、スバルとノーヴェが戦闘機人だといっても腕力的に厳しいものがある。

 なのはが飛び立ったのを見届け、エリーははやてと幻影に向かいあった。

 はやての身体は夥しい量の血の海に浮かぶような光景の中、手足をもがれてとても小さくなっている。
 血液に浸って濡れた髪が、うなじや肩に張り付いている。

 リインフォースの姿をした幻影は、ゆっくりと顔を上げ、エリーの方を向いた。

「これが、闇の書の意志──」

 思わず口をついて呟きが出る。
 エリーも、闇の書事件の顛末ははやてから語って聞かされたことがあった。
 しかし、闇の書の意志──リインフォースのことについては、姿を収めた映像資料なども残っておらず、ただ、きらめく銀の髪をした美しい女性、という程度にしか聞いていなかった。
 はやてやヴィータの驚きようから、今目の前にいる幻影は、リインフォース本人とまさに見紛うほどに瓜二つの姿をしていると思われる。

 幻影に対して、言葉が通じるかどうか。
 呼びかけてみるしかない。

「艦長の命を救わなければならないんです──」

 リインフォースの姿をした幻影は、片膝をついて身体を上げ、エリーを見上げた。
 穏やかな表情だ。これが幻影などと、にわかに信じられない。
 しかし事実、この幻影はつい先ほど、この微笑みをたたえたまま、触手を振るいはやてを斬った。

 管理局次元航行艦隊の幹部士官として、これほど自分が切迫した行動をしていることは初めてだ。今まで、どんな訓練でも実戦でも、冷静に任務をこなしてきた。どんな状況に直面しても冷静さを失わない自信があった。
 しかしそれは、状況に対して無感動になるという意味ではない。
 愛する者を傷つけられて、怒りがわかない人間などいないだろう。そして怒りに駆られる自分を客観的に受け止め、それでいてなお自分を見失わないことが大切だ。

「──……ッ!?」

「エリーさん!?大丈夫ですかっ、幻術魔法が!」

 なのはが上空から呼びかける。なのは自身はどちらかといえば大出力の攻撃魔法で正面切ってぶつかり合う戦闘スタイルのため、補助魔法などを駆使した精神攻撃はもともと不得手であった。
 それゆえに、かつての機動六課では希少な才能を持っていたセンターフォワードのティアナに、ずっと目をかけていた。
 JS事件を解決し、教導隊での勤務に戻ってからも、六課時代に彼女に教えたことを自分でも実践し、無駄に魔力を消耗しないよう、レイジングハートをカスタマイズしてきた。

 エリーもまた、魔力量そのものは目を見張るような値ではないが、総合的な状況判断能力、高効率の補助魔法に優れる。
 ここで指揮官を損耗しては、ヴォルフラムの戦力は大いに殺がれてしまう。

「大丈夫です──相手は、少なくとも何か言葉を使いたがっているようです──!」

 リインフォースの姿をした幻影は、それ自体が声を発することはできない。
 見た目をそっくりに似せても、中身は均一な無機質粒子の塊であるため、声を出す仕組みが備わっていない。

 幻影は、ドラゴンが制御する魔法にしたがってエリーにテレパシーを送る。
 術式は異なっているが、これも一種の念話だ。

「これは──声──船が──?」

 ドラゴンが唱える呪詛が、ヴォルフラムの艦体をも低周波で振動させている。
 しかしそれまでの、音響定位を分散させたものから指向性が高くなり、ドラゴンの声として耳が認識できるほど、音の聞こえる方向がクリアになっている。これであれば耳が混乱しなくなる。

 念話に音声だけではなく、映像信号をも載せて送ってくる。これを復号すれば直接情景を思い浮かべることができる。
 エリーが映像のデコーダを提示すると、リインフォースの姿をした幻影はただちにその形式に合わせたデータに信号を組みなおして送ってきた。
 人類が使う符号化方式、量子化方式などすべて知っていると言うかのようだ。

 エリーに見えたのは、かつてまだ惑星TUBOYが生命を持ち、水と緑の惑星だった頃の光景だった。
 空に舞うのは、あの人型機動メカ──エグゼクターである。
 宇宙空間から単独大気圏突入をしてきたエグゼクターは、対流圏まで降下すると主翼を展開し、戦闘モードに入る。脚部内に格納されたハンドガンを取り出し、惑星TUBOYの地上へ向ける。
 地上の森林や渓谷に隠されていたバイオメカノイドたちが、空を見上げて現れる。
 さまざまな姿をしたバイオメカノイドは、それぞれに武器を構え、エグゼクターを狙って撃つ。迎撃している。

 エグゼクターは、惑星TUBOYに由来する兵器ではないというのだろうか。
 惑星TUBOYの住人が、暴走したバイオメカノイドを止めるために作ったものではないというのだろうか。

「この宇宙船は──“スピンドリフト号”──?」

 軍艦ではない、民間船舶だろうか。船体の腹に書かれた船名の綴りは、“Spin Drift”とある。
 おそらく英語である。ミッドチルダ語ではほぼ似た書体のアルファベットで綴り、そしてこれは最初に惑星TUBOYに派遣されたカレドヴルフ社の輸送船の名前でもあった。
 ただし、今見えている船は、同社のものではない。
 スピンドリフト号は、青い海と白い雲を纏ったかつての姿の惑星TUBOY上空を周り、軌道上から戦闘の様子を監視している。

 やがて、惑星の夜の面から、もう1隻の艦が姿を現した。

「インフェルノ──!」

 赤い、楔形をした船体。
 外部に露出した艦上構造物を極力減らしたデザインは現代の次元航行艦にも通じるフォルムである。
 しかしその船体は、今エリーたちがいるはずのインフィニティ・インフェルノと見比べると明らかに小さく、また武装も少なく見える。

「これはかつての──まだ惑星TUBOYの住人が生きていた頃──?いや違う、最初の戦役があった頃──」

 惑星TUBOYの地表で発見された化石、破壊されたメカの残骸、土壌サンプル、そしてCW社が入手したエグゼクターのボイスレコーダーなどのデータから、この惑星はかつて大規模な宙間戦闘を経験したという予測が立てられていた。
 今見えているのはその頃の光景である。おそらく1万数千年は昔の時代──その頃には、古代ベルカ文明もまだ興っておらず、人類は原始時代を生きていたと、従来は考えられていた。
 しかし、一見してオカルトの領域であった宇宙考古学などの分野から出現してきた超古代文明仮説は、ロストロギアに分類されるオーパーツの発見によりその信憑性を急激に高めている。
 現代では滅んでしまった超高度技術文明が、かつて存在した。
 現代の人類にロストロギアを遺した文明は、かつてこの星で、バイオメカノイドたちと戦った。

 その戦争の終結がどのようにしてなされたのか──ミッドチルダだけではない、どこの次元世界の考古学者もまだ誰も知らないことである。

 スピンドリフト号は、あくまでも非武装の調査船のように見える。
 インフェルノは、この当時の船体でも、強力なビーム兵装を搭載した戦闘艦だ。

 やがてインフェルノ艦内で、動力炉か、制御装置か、とにかく内部から破壊された大爆発が生じ、エグゼクターが脱出してきた。
 制御を失ったインフェルノは、炎の尾を引きながら惑星TUBOY上に墜落していき、そしてエグゼクターはスピンドリフト号へ戻る。
 エグゼクターを収容したスピンドリフト号は、インフェルノが破壊されたことを見届けると、エンジンを噴射して軌道を離れ、宇宙のかなたへ消えていった。

 スピンドリフト号が去った後、惑星TUBOYが夜を迎えたとき、軌道上に小さな物体が周回しているのが見えた。
 それは破壊された別のエグゼクターの機体だった。惑星TUBOYの衛星を分析した当初の予測通り、バイオメカノイドとの戦闘で撃破されたエグゼクターが、惑星TUBOY上で人工衛星となって周り続けていたのだ。

 スピンドリフト号──かつて1万数千年前の戦いで、インフェルノを撃沈した船──それは、いったいどこの星の住人のものなのだろうか。

 エグゼクターの機体のコンピュータには、彼らの母星のデータも収められていた。
 バイオメカノイドたちは、かねてより惑星TUBOYに接近していた探査機を撃破して入手した情報によって、彼らが、自分たちバイオメカノイドが侵攻予定だった惑星の住人であると確認した。
 宇宙船スピンドリフト号がやってきたことで、探査機を破壊したことによって自分たちの侵攻作戦が察知され、その阻止のためにエグゼクターが送り込まれたのだということを知った。
 それは、清黒の海と、碧色の大気を持つ、宇宙の瞳のような惑星である。
 次元世界全体を見渡しても他に類を見ないほどの、極めて高度な科学技術文明を持つ世界。

 時空管理局が“第97管理外世界”と呼ぶ惑星──地球。

 超古代先史文明はかつて地球にあり、そして惑星TUBOYと戦いこれを撃破したのは“当時の”地球人である。
 そして1万数千年後の今、先史文明は滅んでしまったが、惑星TUBOYとバイオメカノイドたちは生き続けていた。

 仇敵であろう、地球へ再び向かうために。

 しかし、長い刻を経て、その様相も大きく変わってしまった。
 惑星TUBOYが再び目覚めるまでに、人類はいったん滅び生まれ変わっていた。
 地球へ向かっても、そこにはかつての敵は、もういない。

 侵攻プログラムは、いったん凍結され、再検討が行われている。
 惑星TUBOYは未だ生きており、これを破壊しなければバイオメカノイドたちは止まらない。

 ここでインフェルノを沈めても終わりではない。まだまだ、ごく一部の先遣部隊を撃破したに過ぎないのだ。

『──さんっ!!エリーさんっ!!』

「──!!」

 ヴォルフラムに到着したなのはが念話で呼びかけ、エリーははっと我に返る。

 エリーの目の前、あと一歩踏み出せば届く間合いに、リインフォースの姿をした幻影は立っている。
 その足元にははやてがいる。
 血液のほとんどが流失し、失血死してもおかしくない状態──それでもはやてはギリギリで、残った魔力で傷口にバリアジャケットを張りなおし、出血を抑えていた。
 そしてそれは幻影にも察知できたようである。
 幻影は左手で氷結魔法を展開し、はやての胴体を包んだ。
 皮膚表面だけが瞬間的に冷凍され、切り落とされた傷口は切断面の組織を保持したまま凍結される。

 次第に、エリーも焦燥が落ち着き、思考が冷静さを取り戻してくる。
 この幻影がはやてを斬った理由が分かってくる。

 ──彼らは、進化の末に肉体を捨て去った種族だった。
 バイオメカノイドたちの内部に搭乗していたグレイでさえ、彼らが持っていたであろうかつての肉体を模して作った結果生まれた存在であった。
 先史文明人たちは、物理的な肉体を捨て去り、精神生命体にまで到達しようとしていた。
 それが何かのきっかけで失敗し、そして精神生命体はリンカーコアという形で自らのカタチを残して、ある程度巻き戻されたところから進化をやり直すことになった。
 遺伝子操作技術を駆使して、二足歩行の人型をつくった。そうして生まれた生物が、グレイだった。
 当時の地球人類にとって、もはや肉体とは好きなように作り変え、着替えるように変更できるものであった。

 かつての地球はそこまで、高度科学技術文明を到達させ、星の海を渡り歩いていた。
 もっと後になってのことだと考えられていた、ミッドチルダへの地球系民族の移住──それが、次元世界成立の極初期まで遡ることになる。

 はやての体内にある、2個のリンカーコア──バイオメカノイドはそれを目当てにした。
 夜天の書の主に選ばれ、リインフォース・ツヴァイを生み出した源となった稀有な魔力資質。
 魔力資質の高い人間とは、すなわちより先史文明人に近しい存在ということである。

 邪魔な肉体を削ぎ落とし、より純粋な存在になれ。

 バイオメカノイドたちの、渇望が見える。

 人間にとっては異形にしか思えない、金属と無機質の身体を纏い、冷たい宇宙を漂っていた惑星TUBOYの“生命”たち──
 彼らにとって、次元世界人類の来訪とはまさに神の再臨にも等しかったであろう。
 自分たちの目指すべき約束の地は未だ失われておらず、そこを目指す旅路につくことが可能である。
 惑星TUBOYが目覚めるとき、それは彼らの生命圏の拡大であり、そして同時に人類にとっては外宇宙からの侵食となる。

 四肢の切断面を凍らせたのは、残った胴体だけでリンカーコアを維持するためである。
 この状態では、下手に治癒魔法をかけてしまうと傷口が歪に再生してしまい、かえって治りが悪くなる。
 リインフォースの姿をした幻影は、はやてを殺そうとしたのではない。リンカーコアだけの状態にしようとして、自分たちと同じ状態にしたうえでの会話をしようとしたのだ。

「だからって──!」

 リインフォースの姿をした幻影が、表情を穏やかにしたまま首を傾げる。
 バイオメカノイドには、外見を似せることはできても仕草までは真似られない。

「だからって、黙って言いなりにはなれない──!!」

「副長!!危険です、下がってください!」

 念話ではなく肉声で、CICの当直についていたレコルトが艦橋の窓から呼びかけてくる。

「ハラオウン艦長が来ます、下がって!」

「黙ってくださいガードナー!!私は、艦長を──ッ!!」

 リインフォースの姿をした幻影が、再び触手を突き出す。
 エリーのバリアジャケットは一般的な海軍士官用のもので、はやてのもののような強度はない。接触すれば間違いなく貫かれる。
 これに打ち勝つことが人間にはできない──

「ッッ!!」

 触手が、直前で異層空間から実体化し、エリーの身体を物理的に突き飛ばす。
 貫通せず、直接触れて打撃を加えた。

 突き飛ばされたエリーの身体はヴォルフラムの甲板に、滑りながら倒れる。
 触手がヴォルフラムの甲板を追撃で叩き、その衝撃で弾き飛ばされていたはやての腕や脚が、跳ねて艦の舷側に転がり落ちていった。とっさにバインドを放って捕まえようとするが、追いつけない。
 エリーが甲板に背中を打ち付けると同時に、はやての手足はヴォルフラムの船体から落ちていってしまった。腕から離れて転がっていたシュベルトクロイツだけが何とか拾うことができた。

 右腕で受身をとりながら体勢を立て直そうとしたエリーの目に、白い矢が走るのが見えた。

「スティンガーレイ・アイシクル──!」

 1本だけ飛んできた長大な氷の矢が、リインフォースの姿をした幻影の中心を、寸分違わず貫いた。
 幻影は冷却によって強度が落ち、自重で砕けるように崩壊する。
 細かい粒になって自然に溶けても、もはや魔力結合を保てるエネルギーを残していない。

 エリーはすぐさま起き上がり、はやての元に駆け寄った。

 はやてを抱き起こし、振り返る。
 艦尾を向けてドラゴンの攻撃から庇うように陣取ったクラウディアと、魔法陣を展開して空中に立つクロノの姿があった。

「スピードスター三佐!八神艦長を本艦へ収容する、シグナム一尉と同時に処置をする」

「ハラオウン艦長!」

「君はヴォルフラムの指揮を引き継げ!今、竜に目を付けられたらひとたまりもないぞ!ウーノ、敵を牽制しろ!現在本艦ヴォルフラム共に動けん、一発も撃たせるな!」

 念話でクロノはクラウディア発令所へ指示を出す。それにこたえ、クラウディアが艦を回頭させて5インチ速射砲による全門射撃の態勢をとる。
 大型魔導砲は発砲時の余剰魔力の噴出が激しいため、甲板員などへの被害を避けるためシールドが必要になる。もちろん、周囲にむき出しの人間がいる状態では発砲できない。

『了解です。バウスラスター始動、面舵30度、艦を回頭。砲塔旋回、右舷指向方位3-0-0』

 クラウディアの5インチ速射砲が連続発射され、ドラゴンの3つの首をそれぞれ叩く。プラズマ弾はドラゴンの口からブレスのように発射されることが判明しているため、首をこちらへ向けさせなければ攻撃を回避することが可能だ。

 クロノが不在の間、艦の指揮は副長であるウーノがとる。
 なのはにとっては、かつて戦闘機人ナンバーズとして戦い、敵であったはずの彼女が、自分の知り合いの艦に乗り組んでいるというのはこれも驚くべきことであった。

 インフェルノの後部へ退避していたミッドチルダ・ヴァイゼン連合艦隊の旗艦リヴェンジから、クラウディアとヴォルフラムに対し入電が届いた。
 破口周辺で外部観測を行っていた偵察機が、地球からの迎撃機と思われる機体の発進を確認した。
 念のため、戦闘配置のまま警戒を継続する。

「クロノくん、地球の戦闘機が!?」

「ロケット機かどうか──こちらクラウディア、発進した機体の識別は可能か!?」

『こちらリヴェンジ、偵察機の報告によるとおそらくジェット戦闘機とのことだ、今映像を送る』

 クロノの手元に、偵察機から撮影された地球戦闘機の映像が送られる。
 なのははレコルトの後を追って艦橋に出て、エリーを迎えている。

「──なのは、これを見ろ」

 クロノはなのはにも映像を転送した。
 雲海をはるか下に見送り、青い炎を噴いて飛ぶ機体が見える。
 なのはははやてほどには兵器に詳しくはないが、昔、父である高町士郎が持っていたアルバムの中に、これと同じ機体が映っていたのを覚えていた。

 現在でも現役で運用されているものとすれば、それは一つしかない。
 ミコヤン・グレビッチ設計局が造り上げ、ソビエト連邦防空宇宙軍が擁する、2023年現在、地球上で唯一の宙間戦闘が可能な機体。

 “MiG-25SFR Starfox”。

 MiG-25迎撃機をベースにエンジンを標準の低圧縮ターボジェットから熱核ロケットエンジンに換装し、酸化剤なしでの燃焼を可能にしている。
 ソ連ではこの技術をもとに、EUアリアンスペース社と共同で初のSSTO(単段式軌道往還機)を開発し、ソユーズ宇宙船と共に軌道上宇宙ステーションへの低コストな打ち上げシステムを実現している。

「間違いありません。地球の、ソ連の戦闘機──実用上昇限度無限大、事実上宇宙まで行ける戦闘機です」

『では地球は我々を──いや、インフェルノを迎撃しようと』

 クロノはクラウディアへのはやての収容作業と並行して、ミッド艦隊との通信を行う。

「いや、いかに宇宙戦闘機といえども単独で戦艦とはやりあわんだろう。これはあくまでも偵察だ。インフェルノがどのような軌道をとっているかは地上からの観測でもわかる。
地球に激突しないように軌道を変えたのなら敵の動きはある程度読める──減速して軌道に乗ってから、攻撃なり降下なりを行うということだ。
少なくとも地球人はこの巨大戦艦が恒星間マスドライバーキャノンの弾丸でないということは理解したはずだ」

 エリーははやての胸に、待機状態に戻したシュベルトクロイツを提げさせた。
 もはや血液量の減少により頬はとても冷たくなっている。だが、命はまだ残っている。

「エリー──わたしも見たよ、やつらの心を──」

「艦長、しゃべっちゃダメです、体力が」

「悔しいんや──人間の定義なんてそいつの主観で簡単に揺らいでまう──やつらは、人間を殺したとは思ってへん──
やつらにとって人間とはグレイ、バイオメカノイドのことなんや──!ホモサピエンスはやつらにとっちゃ、祖先かもしれんが人間やあない──
私やエリーに話しかけたのも、人間やない相手にどうにか言葉が通じるかもしれんと向こうが期待したからや──わたしらが試すのとおんなしように、異種族への対話をこころみたんや──
──そんな、そんな信頼のされ方なんか、されたってちっともありがたくもあらへん──!!」

「はやて、気をしっかり持つんだ。すぐに処置をする」

「クロノくん──ああ、私はまだ地獄におちてへんな──」

 速射砲でドラゴンを牽制しながらクラウディアが艦を寄せ、クロノはクラウディアの後部艦載機ハッチへはやてを抱えて飛び上がる。
 それを見届け、エリーはヴォルフラムの艦橋へ急いだ。

 リインフォースの姿をした幻影は溶けて消え去り、甲板にははやての血が、血だまりをつくってゆっくりと艦の傾きに沿って流れ落ちていっている。

 操舵席は無事だった。フリッツが舵輪を握り、ルキノは機関室へ向かいエンジン操作を手伝っている。

「副長、スバルさんたちの班を収容しました!いつでも飛び立てます!」

「オーケイルキノ、フリッツ、舵を」

「まかせてください副長!」

 艦橋に戻ったエリーは、艦内放送のスイッチを入れる。

「こちら副長、艦長負傷につき現刻より本艦の指揮を代行します!機関室へ、エンジン始動、方位ベクトルを反転、アップトリム一杯機関逆進!浮上します!」

『了解、機関逆進よし!』

 飛行魔法が起動され、ヴォルフラムの艦体がゆっくりと身震いし、再始動する。
 微速で後進をかけ、頭からインフェルノ内壁に突っ込んだ状態から浮上をかける。みしり、みしりと艦がきしみ、フリッツは艦体構造に無理がかからないよう細かく艦の姿勢を調整する。

「アップトリム10度に修正」

「アップトリム10度よし、艦尾が浮き上がります!」

「よーしよしその調子だ……いけっ!」

 電測室で、ヴィヴァーロが艦の姿勢をモニターする。その情報をもとにエリーは操艦を指令し、ルキノとフリッツがそれぞれエンジンと舵を操作する。

「バウスラスター右舷全速、艦傾斜右15度!艦首を持ち上げてください!──、今!機関前進取舵一杯!反転上昇!」

「おっし……取舵一杯、アイ!おっりゃああ!」

 エンジンノズルから展開される飛行魔法のフィードバックが舵輪に伝わり、フリッツが気合をこめて舵を左へ切る。
 右に傾きながら浮上したヴォルフラムは、バウスラスターを使っていっきに艦首を左へ振り上げ、インフェルノ内壁を離れる。

 後方へ付いていたクラウディアも、ヴォルフラムが再浮上に成功したことを見て取り、ドラゴンへ止めを刺すべく戦闘位置へ進出していく。

「再浮上完了!艦底が内壁を離れました!」

「よろしい電測長、レーダーの作動状況は!?」

「対空警戒レーダーアレイは4面中、前方の2面が潰れました、ですが射撃管制装置は生きてます、マニュアル入力なら主砲を撃てます!」

『こちらCIC、2番主砲はユニットは無事ですが揚弾装置の故障でカートリッジロードが追いつけません、連続射撃はできないですよ』

「それだけ生きてれば十分です──」

 現在のヴォルフラムは、各種装置の損傷により使用可能な兵装も減り、エンジンも全力を出せない状態である。
 積極的な戦闘はできないが、それでもエリーには自信があった。
 主砲1門があればドラゴンの攻撃をしのぎ、脱出することが可能である。

 スバルたちが回収したグレイの遺体を持ち帰り、分析する。
 ここで一度、ヴォルフラムは本局へ帰還する。現在の状況では、このままインフェルノと交戦することは不可能である。
 地球近傍での戦闘は、地球上に被害をもたらす危険から大規模には行えず、破壊するにはできるだけ地球から離れたところで行わなくてはならない。

 インフェルノの船体規模では、完全に破壊するにはまず次元潜行能力を奪わなくてはならない。これがある状態ではアルカンシェルの威力が大きく減衰されてしまう。
 次元潜行さえできなくすれば、通常出力のアルカンシェルで破壊、ないしは地球大気圏で安全に燃え尽きる程度の大きさの破片に崩壊させることが可能である。

 もちろん、次元潜行状態でも無理やり破壊できるほどの攻撃──アルカンシェルであろうと通常の魔法攻撃であろうと──を行えば、地球だけではなく太陽系ごと吹き飛ばしてしまうだろう。

 ミッド艦隊では、空母から攻撃機をインフェルノ内部に突入させ、艦載魔導師による上陸戦を行う準備をしている。そのために艦隊の各艦では上陸する兵の選抜を行っていた。
 全長数十キロメートルという、大都市に匹敵する規模の空間を捜索し、制圧しなくてはならない。
 空母や揚陸艦に乗り組んでいる陸戦隊だけではなく、小型の巡洋艦でインフェルノ内部の構造を掘り進み、道を作るという作業も必要になってくる。

 インフィニティ・インフェルノの外殻が、次元航行艦の存在を地球から隠してくれる。
 地球の目から逃れながら、地球のそばで戦うという、奇妙な状況である。

 ミッドチルダ・ヴァイゼン連合艦隊の兵員たちもようやく、これが管理外世界での作戦であり、自分たちの存在さえ知られてはならない世界へ踏み込んでいるということを理解しつつあった。

 

 

 謎の巨大宇宙船──地球との距離が38万キロメートルを切り、肉眼でも地上からの観測が可能になりそれは小惑星ではなく人工物であると認識された──は、地球大気層に接触して大きく減速を行い、圧縮衝撃波による巨大な炎の雲を纏って大西洋上空に現れた。
 長い部分で100キロメートル以上に達する大きさと、その全体を包み込む電磁妨害フィールドは、通信衛星などに電波障害を引き起こしていた。

 ソビエト連邦防空宇宙軍はこの事態を鑑み、偵察目的の迎撃機を発進させた。
 高度270キロメートルから撮影された巨大宇宙船は、赤い楔のような船体を持ち、地球上のあらゆるテクノロジーと隔絶しているように見えた。

 これは紛れもなく、異星人の乗り物である。

 既に地球接近の5時間ほど前から減速を始めており、地球軌道への進入が目的であるとみられた。
 外宇宙航行速度に近い猛スピードで飛んでくれば、地球をすり抜けてすっ飛んでいってしまう。
 減速した上で地球重力圏に入り、周回軌道に乗る。測定された速度から、巨大宇宙船のとる軌道は遠地点がおよそ40万キロメートル程度になる、対地同期軌道への進入を図っていると推測された。

 南側から地球へ向かってきたので、近地点が北半球、遠地点が南半球を見ることになる、いわば逆モルニヤ軌道ともいうべき場所である。

 北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)では、巨大宇宙船に対する地上からの核ミサイル攻撃が可能かどうかを検討していた。
 大出力の核兵器を宇宙空間で使用する場合、距離が近すぎるとシールドされていない衛星が強力な放射線を浴び、電磁パルスのエネルギーによって電子機器の故障を起こす危険がある。
 そのため、ヴァン・アレン帯の外で命中するように発射すべきとされた。
 また、発射可能なプラットフォームとして、大重量の弾頭を搭載可能なソ連のR-7、R-39、アメリカのピースキーパー、トライデントミサイルが候補にあげられた。これらは地上基地または潜水艦から発射される。

 一つ目のプランとして、巨大宇宙船が逆噴射による減速を行っている間に攻撃することが考えられた。
 地球への接近を許さず、あくまでも地球に衝突する危険のある物体を迎撃するための攻撃である。

 しかし、巨大宇宙船が軌道変更を行ったことでこのプランは不可能になった。
 相手は地球への衝突を避けようとした。そこへの先制攻撃は過剰防衛である。もし相手が知的文明を持つ種族であったなら一方的な攻撃はなおさら行えない。

 算出した軌道をもとにミサイルの発射諸元を計算し、常に巨大宇宙船の追尾を続けることが決定された。

 とにかく相手の目的が何かを突き止めなくてはならない。
 友好的な訪問なのか、それとも攻撃か。
 もし攻撃が目的であるのなら、市民の安全を図らなくてはならない。
 宇宙からの攻撃に対し有効な防御手段が存在するかどうか──アメリカはそれ以前に、他の核保有国へ対し巨大宇宙船への攻撃をしないよう要請しなくてはならなかった。
 疑心暗鬼に駆られた小国が、反射的にミサイルを撃ってしまうかもしれない。
 そうなれば、どこの国が行ったことであろうとそれが地球人の総意ととられてしまう。

 毎年何本もつくられるハリウッド映画のように、そう簡単には地球はひとつにまとまってはくれない──事態を知らない人々が年忘れの祭事に浮かれる中、アメリカ国務省の外交官たちは慌しく各国の大使館を回ることになった。

 ボイジャー3号は、遭遇した惑星の観測を継続し、現在地球に接近している巨大宇宙船がそこから発進してきたことをほぼ確定した。
 巨大宇宙船の周辺を漂う岩石のスペクトルと、惑星のスペクトルを比較した結果、組成が一致していた。
 すなわち巨大宇宙船はあの惑星から飛び立ったということである。

 12月28日、国際天文学連合(IAU)は、ボイジャー3号が発見した新しい系外惑星を“キグナスGII”と命名し、NASA及びアメリカ政府、国防総省へ報告した。
 算出されたキグナスGIIの物理的性質は直径4530キロメートル、質量は地球の93分の1、主星からの平均距離2億8千万キロメートルの楕円軌道を周るエキセントリックプラネットである。
 この惑星が存在する宙域は地球から見ると天の川銀河のはくちょう腕の先にあり、距離はおよそ170万光年である。
 観測される電磁波が可視光よりも赤外線領域に偏っていることから、暗黒銀河によって隠されているため地球からは見えにくい場所であると予想された。

 FBI捜査官マシュー・フォードはロンドン郊外の草原の中のロッジへ赴き、連絡を取っていたある人物と待ち合わせていた。
 その人物は、かつて異星人の宇宙船による誘拐──アブダクションを経験したとされる男である。

 彼は以前に接触した別のFBI捜査官の調べに対し、およそ半年間、異星人の母星に滞在し、その行き帰りで異星人の宇宙船に乗ったと話していた。
 異星人は地球人に比べてのっぺりとした丸い顔立ちをしており、色素の薄い皮膚、原色の頭髪など、特徴的な風貌を持つ。
 体格は地球人よりも細く、頭部、特に眼球が大きく、背が高い者が多い。

 そして何より、異星人は超能力を持っている。彼らの携帯する武器は光線銃や熱線銃が主体であり、また浮遊・飛行能力まで持っている。

 音もなく、風が木のドアを動かすように現れ、黙ったまま、テーブルに着く。
 フォードの目の前に現れたその男は、意識が今も宇宙のかなたに取り残されているかのような、抑揚のない声で言った。

「連中はいくつもの星を従えているんだ。地球だって例外じゃない。地球が妙なことをしなければ向こうから手は出さないと俺に言ってくれたんだ」

 地球よりも数段上の科学技術を持った知的文明である。またそうでなければ、地球にまでやってくることはできないだろう。
 地球には、問題の異星人たちがすでにかなりの長期間にわたって滞在している。
 フォードが今回、この男に会うのを決めたのは、その異星人たちから、アメリカ政府に対し申し入れがあったからだ。
 ブレイザーがフォードへ手紙を送ってまもなく、アメリカ国家安全保障局(NSA)が対地球外文明交渉プログラムを開始した。
 地球に滞在している異星人からもたらされた情報として、未知の脅威が地球に迫っている。

 既にフォードには、ブレイザーからの手紙とは別に、今回の事件に対するアメリカ国防総省の計画に基づく指令が下されていた。
 すなわち、アメリカは独自に異星人とコンタクトをとり、技術交換の確約を取り付ける。
 異星人たちが求めた見返りとして、彼らの組織に対する地球人の参入を要請する。ついては、彼らの組織に敵対ないし反抗しようとする個人ないし組織の行動を、いかなる手段を用いても阻止せよ──というものである。

 つまるところ、地球にはもはや件の異星人の組織──“ビュロー”に参入するより他の道はないということである。
 もし地球が拒むのなら、地球人は永遠に宇宙へ飛び出すことはできず、この小さな星にへばりついたまま、資源を使い尽くして干からびる未来しかない。

 宇宙空間は既に異星人たちのテリトリーである。
 外宇宙へ飛び出す能力を持たない世界は、なぞらえるならば交易を行わない原住民族のようなものである。
 外に出ようとしなければ害はないが、外に出ればたちまち遭難してしまう。

 国防総省以外にも、NASAでチーフディレクターを務めるシェベル・トルーマンが、個人的にフォードに知らせてくれたことである。
 このタイミングで異星人が地球にコンタクトをとってきたのは、地球人が外宇宙に出る手段を実現したからである。
 トルーマンの管轄しているプロジェクトは、無人の宇宙探査機をワープ航法を用いて天の川銀河の外へ送り出すことに成功し、そこで新惑星を発見した。
 そして、その惑星から飛び立った無人兵器が、地球へ向け航行中である。

 もたらされる被害の大きさから、地球人への警告が必要であると判断した──というのが、国防総省を通じて伝えられた異星人の言い分である。

 過去十数年間、アメリカやヨーロッパを中心とした先進国において発生していた行方不明事件を、フォードは独自に分析していた。
 不可思議な超常現象に巻き込まれたとしか思えない──今目の前にいる男も当時はそう言われただろう──人間の失踪、そのおよそほとんどが、彼ら異星人の仕業であると考えていた。
 一見して地球にとって有利な材料に見える、彼らの組織への地球人の参入という条件も、今回の件を通じて事実上合法的に地球人を彼らの星へ連れ去ることを可能にせよという意味であろう。

「──魔力、だ」

「魔力?」

 男は、鎖骨の付け根辺りを指で示しながら言った。

「連中は、色んなエネルギーを魔力と総称して呼んでいるんだ。電力も原子力も化石燃料も、連中は一緒くたに魔力と呼ぶ。そして連中が言うには、そのエネルギーは、人体から発生する──俺たち地球人は、連中よりも強いエネルギーを出せるというんだ」

「つまり地球人を電池として攫っていたというわけか」

 そう主張するのだな、とフォードは念を押した。
 国防総省からは、異星人は地球人との混血を要求しているとの情報がもたらされていた。かつて中世や古代のヨーロッパにも、天に召された人間というのは異星人に連れ去られた者が含まれている。
 彼らの星ではおそらく、進化によって肉体が脆弱になっており、そのために地球人の遺伝子を求めているのではないか──というのはNSAの意見である。

 とはいえ、フォードの目の前にいる男はそうは考えていないようだ。
 仮にひ弱な肉体を持つ種族であれば、たとえば地球人と腕力で勝負したら負けるだろう。
 彼らは、体力を超技術で──所謂ところの魔力で──補うことができ、さらに地球人よりも遥かに強靭に仕立てることができる。

 彼らの星は地球と比べても重力や大気組成は変わらず──少なくとも男の言い分では歩いたり跳んだりするのにも感覚は変わらず、呼吸も問題なくできたという──異星人は、あくまでも魔力をまったく取り去った場合にのみ地球人よりやや弱くなる、という程度だ。

 異星人にとって重要なのは肉体の強度ではなく、あくまでも魔力の強さである。

 地球人は、強い潜在魔力を持ちながら、それを利用する技術を持っていない。
 すなわち、魔力技術を教え、文字通りの“人材”として利用しようということである。

 異星人に魔力の扱い方を教えられた人間は、異星人のために働くようになるだろう。どんな教育手段が用いられるのかは想像に難くない。
 何しろ魔力は脳にさえ作用する。睡眠学習など必要ないほどの高効率の知識の蓄積や思考の練習が可能であり、さらに応用すれば幻覚を見せたり、刷り込みをかけることさえが可能だ。

 異星人たちの中でも、魔力だけあっても魔力を扱う技術を習得している者ばかりではないらしい。
 同じコストをかけて教育を施すならば、より魔力の大きい人間が適している……というわけである。

「ミスター・グレアムは俺に便宜を図ってくれた」

 色の落ちたデニムのジャケットをつまみ、男はその名を口に出す。

「俺だって自分がこんな目に遭うまでは宇宙人なんて信じてなかったんだ。だけど俺は実際に体験した。そしたら、自分の記憶が白昼夢じゃないかどうかを確かめるには、信頼できる人間に自分の記憶を検証してもらう必要がある」

「その、グレアム氏というのはどういった人物なのかね?」

「とぼけるのはよしてくれ」

 本当にフォードはとぼけて答えた。ギル・グレアムの行動についてはCIAとMI6がそれぞれ独自に接触と情報収集を図っており、また身辺を洗っていた。
 グレアムが殺された事件では、異星人の組織内部での抗争が原因として考えられるとCIAは報告し、ブレイザーを通じてフォードに伝えられていた。
 数年前よりグレアムは自宅から滅多に出ることがなくなり、彼の自宅周辺で不審な車や黒スーツの男たちが目撃されることが時折起きていた。それまで参加していた医療福祉団体からも退き、資金の提供をやめていた。
 その医療福祉団体というのが、関連組織としてアメリカにサイバネティクス技術研究グループを持ち、実質NASAの下部組織であるという事実がある。
 彼らが研究する技術とは、すなわち異星人が持ち込んだオーバーテクノロジーだ。
 あるいは地球にたまたま墜落して軍に回収された彼らの宇宙船を調べて入手したものでもある。そして、グレアムはその宇宙船が、自分が所属している異星人の組織に関わる技術を秘めていることを当然知っていただろう。
 異星人に長年協力していたグレアムが、その協力関係を反故にするような行動を取ろうとしたため、口封じをされたという見方がある。
 彼の飼い猫が殺されていたのは、異星人は動物を人間に変身させる技術を持ち、使役していたからだ。
 グレアムと一緒に殺されていた二匹の猫は、人間の姿を持って彼とともに異星人の組織で働いていた。
 そして、彼が関わったとされる、2005年の海鳴市における事件──

 異星人の組織内部でも、この事件の事実を公表し現地政府(地球、すなわちイギリス、アメリカおよび日本)と協力して危機解決に当たろうという意見と、あくまでも秘密を守り地球人の前に姿を現すのは時期尚早であるという意見が対立している。

 知的文明を持ち、それなりの近代国家体制を標榜する組織が、彼らにとっても異星人である地球人を殺害するということは、国際問題に発展する危険があるのではないか──というのはフォードも意見した。
 しかし今のところ、アメリカとしてはギル・グレアムの行動はやはり冷静さを欠いた性急なものであり、現在の地球の状況では異星人の存在を公表するわけにはいかない、という考えのようだ。

 地球に接近した巨大UFOを迎撃しなかったことからもそれは明らかである。
 アメリカだけではない、地球の科学力や軍事力では、異星人と正面からやりあって勝つことはできない。何しろ相手は何億光年もの宇宙を自在に渡り歩く技術を持っているのである。
 太陽系の中でさえ何ヶ月もかけて低速で這いずり回るしかない地球の宇宙船では太刀打ちできない。
 そんなところに、地球の軍が手を出すことは、なおさら慎重にならなくてはならない。
 とはいえ、このまま異星人に巨大UFOの迎撃を任せ、借りを作ってしまうのはいかがなものかという意見もあることはある。
 巨大UFOの出現は、地球人に貸しを作るための異星人の自作自演ではないかと疑う声もある。

 だとしても、地球がこの事件の対策に参加するには、異星人の提示した条件──彼らの組織、“管理局”への参入が必須であることには違いがない。

 異質な価値観である。
 地球は人間を貢ぎ物として差し出せということだ。
 すでにグレアムをはじめ、地球人でありながら管理局に参加し働いている人間も少なくない数がいる。

 グレアムが殺されたのは、交渉の窓口を限定し、地球に選択の余地をなくさせる作戦ではないか──というものだ。
 ただ、もしグレアムを殺した組織が異星人のものなら、彼らの中にも、管理局に従わない勢力が存在することになる。
 彼らとしては地球人をまさに生体素材として使いたいが、管理局がそれを許してくれない。ならば独自に地球と交易を持とう、と考えるのではないかという推測だ。

 圧倒的に高い技術力を持つ異星人を相手に、彼らの組織内部での勢力争いを内偵するというのは困難な仕事である。
 同じFBI内部でも、オカルトだの何だのとうるさい捜査官がいる。彼らを何とか説き伏せ、情報を共有し分析しなくてはならない。

 フォードがウッドチェアに座って組んだ足を組みかえ、男はタバコを取り出そうとしたが手が震え、ジッポーが地面に落ちた。
 ジッポーを拾おうと身体をかがめた男のジャケットの下に、鈍色のきらめきがあるのをフォードは見つけた。

「地球を守らなくてはならないんだ」

 セーブ・ジ・アースというフレーズは、一般的には環境問題などについて語られる。
 ただしここでは、外宇宙での星間戦争の脅威から守るという意味になる。

「グレアムさんは地球を守ろうとしていたんだよ」

 抑揚のないまま、声の強さだけが上がっていく。

「彼を殺したのはあんたらFBIじゃないのか!?グレアムさんは俺以外にも連中の星へ行った人間をたくさん知っている、アメリカ人もイギリス人も日本人も、男も女もたくさんいる。
もう地球は連中に支配されているといっても過言じゃないんだ。だっていうのにあんたら政府は、何てことをしてくれたんだよ!」

 舌をもつれさせながら、男は立ち上がりジャケットの裏側から拳銃を抜いた。
 口径の小さい、小型の護身用拳銃である。しかしこの至近距離であれば防弾着など意味を成さない。
 眼前に突きつけられた、鈍く光る銃口をフォードは見透かし、男の顔を見据える。

 銃口から眉間まで、1フィートもない。
 テーブルを挟んで向かい合い、右腕を伸ばす男の拳銃が、フォードの顔の前で震えている。

「答えろ!」

 男の顔に浮かんでいる感情は、恐怖だ。
 異星人たちの乗る宇宙船には、地球を一撃で焦土に変えられるような武器が積まれている。もし地球人が刃向かってくるならこれを撃つぞと脅すことができる。
 実際にそれをやるかはともかくとして──だ。

 国防総省が言うには、異星人はきわめて紳士的な振る舞いをしている、とのことだ。
 もちろんフォードとて彼らの言うことを頭から信用しているわけではないが、星間文明を築くことができる程の種族なら当然国家運営に長けていてしかるべきであり、たとえその志向が外征主義であったとしても表面上はそれを隠すだろう。

「私はそれを捜査するために君に話を聞きにきたのだ」

「ぐ……!」

 男の指がトリガーにかけられ、握られる手で銃身が揺れる。

 乾いた発砲音と共に、ガラス質の砂がはじけるような音が響いてフォードの目の前に閃光が生じた。
 空間に浮かび上がった光の膜のようなものに、撃ち出された銃弾がめり込み、空中で止まっている。

 やがて光が薄れ、銃弾は頭をひしゃげさせて床に落ち、湿った木材の音を立てて転がった。

「──」

「“連中”も、グレアム氏のことは痛く受け止めているんだ」

 頭で理解してはいたが、実際に自分に向かって撃たれるというのは恐怖である。
 冷や汗を気取られないように、フォードは静かに声を抑えて言った。
 男は震え、あごが定まらないまま言葉を失って、銃を取り落とした。

 フォードは椅子から身を乗り出し、銃のマガジンを外して弾を抜き、安全装置をかける。

 男は椅子に身体を戻せず、床にへたり込んだ。

「貴重な話が聞けた。──“捜査への協力、感謝します”」

 決まり文句を述べ、フォードはロッジを後にした。

 草むらをしばらく歩き、最寄の農道に止めていた車に戻ってくると、フォードをここに案内した若い男が、車のそばで気配を消して待っていた。
 彼らは、異星人の組織──管理局に所属する人間である。地球人ではない。
 今回の事件を聞きつけ、地球での捜査を命じられて赴いてきたのだ。

「どうでしたか」

 男はフォードに聞いてくる。見たところ年若いが、背丈はフォードと同じくらいはある。
 欧米系の顔立ちには見えない。時折、町の本屋に並ぶオカルト雑誌に「宇宙人の顔」として載せられるいかさま写真のものともやはり似てはいない。
 一見して人間だが、どこか違った雰囲気はある。

「完璧に作動してくれたよ。この──デバイスというやつは」

 フォードはスーツの襟をめくり、縫い付けておいた金色の金属チップのような部品を見やる。
 特別に使用が許可された、異星人のオーバーテクノロジーによって製造された装置である。
 これを用いて、いわゆる魔法を使うことができる。
 ただし、何もしなくても勝手に発動してくれるものだけではなく、自分の意思で発動させるためにはそれなりの訓練がいる。

「彼は?」

「ウェンディがやっています。──終わったようです」

 男のほうが草むらの向こうを腕で示し、フォードが振り返ると、ここにフォードを案内してきたもう一人である若い女が、フォードの後を急いで追ってくるところだった。
 こちらはやや小柄だが、体つきはやはり地球人とは微妙に違う。違和感がない程度に偽装──もちろん魔法を用いて──できるらしいが、人間の第六感というのか、なんとなく違うという程度は嗅ぎ取れる。

「処置はばっちりッス。マシューさんがアイツと会ったことも、アタシたちがここに来たことも、アイツはなんにも覚えてません。アタシたちは今日この時間、ここにはいなかったってことになるッス」

「流石の手際ですね、──ウェンディ執務官補、でしたか」

「慣れてるッスから」

 執務官とは、異星人たちの星間国家を取りまとめるための組織、時空管理局における役職のひとつである。
 さまざまな惑星において、星間国家に参加しているか否かを問わず、事件の捜査を行う。
 地球でいうインターポールのようなものだろうか、とフォードは思った。ただし、その職務ははるかに困難が伴うものであるだろうことは想像に難くない。

 フォードが束ねているFBIのセクションでは、イギリス国内における異星人たちの活動をサポートすることになっている。
 すでにブレイザーが手紙を送ってきたとおり、アメリカは大西洋上で、長年研究してきたUFO──エイリアン・クラフトの技術実証試験を行う予定である。
 その上で、アメリカ国内に滞在している異星人たちに対する、地元警察や探偵気取りの民間人などからの警護を行うことになる。

 異星人の男のほうは、エリオ・モンディアルと名乗った。
 イタリア系の名前ではあるが、彼自身がイタリア系人種の外見を持っているわけではない。
 ヨーロッパ人というには顔の造形は彫りが浅く、かといってアジア系でもない。
 特に特徴的な頭髪は、エリオもウェンディも、一般的なメラニン色素による赤髪ではありえないようなあざやかな発色だ。これも、魔法を使って目立たない色に偽装している。

「では行きましょう。あの男の話から、ミッドチルダが独自かつ秘密裏に地球へのコンタクトをとっていたことが判明しました。
これは次元世界連合の人道協定に違反する行為です──自分たちの技術的優位を利用して、地球人を誘拐していたことになります」

 用意していた黒塗りのセダンに乗り、エリオが運転してフォードは助手席に、ウェンディは後席に座る。
 郊外の草原ともなると、通りがかる車や人間は少ない。ここももともとは牧場の一角だったらしいが、地主が土地の管理をしていなかったらしく手入れがされておらず、誰も近寄らない場所になっていた。

「次元世界連合、というのはあなたがたの所属している──国際連合と考えてよいのですか」

 セダンを走らせるエリオに、フォードは尋ねる。
 静かな走行音の車内では、落ち着いて、会話をすることができる。

「ええ。僕らの住む世界はいくつもの星があります。人間が住んでいる星だけでも50以上、また植民惑星も同じくらい」

「われわれの地球もその中に」

「いいえ、こちらから人間の住んでいる星を発見しても、基本方針としてコンタクトはとりません。彼らが外宇宙へ進出する技術を持って初めてその星の住人に僕らの姿を明かします。
これは僕ら管理局内での呼称ですが、次元世界連合に加入し、かつ軍事相互管理条約を結んでいる星は管理世界といいます。
そうでない星は管理外世界と呼ばれます。他にもいくつかの分類はありますが、おおむねこの2つの区分けがあると考えていただければ結構です」

「地球は管理外世界であると──そうすると、先ほど仰られたように地球は未だ外宇宙航行技術は獲得していませんから、本来であればそちらから接触を持ってくることはなされないはずだった」

「そうです──もし何らかの事件が起きてその対処をしなければならない場合も、現地住民、この場合は地球の方々に、僕らの活動や存在が知られてはならないのです。
機密情報の漏洩のみならず、他の惑星の住人に無用の混乱をもたらすことは人道的に避けるべきことです。
しかしながら、協定違反を犯して管理外世界への接触を持とうとする企業や非合法組織は後を絶ちません」

「──やはり、どれだけ技術が進歩しても人の心はそう変わらないものなのですな」

「仰るとおりです」

 フォードたちももちろん、地球ではアメリカ政府などが中心となり、異星人の来訪に備えた対応方法の検討というのはこれまで行ってきた。
 イギリスなどは、寄せられるUFO目撃報告に対して空軍が公式にコメントを出すなど、政府間でもけして荒唐無稽なフィクションの世界の話、と切り捨てていたわけではない。

 ただし、まだまだ一般市民の理解は得にくいものであるのも事実だ。

 オカルトや陰謀論を扱ったドラマや小説で描かれるように、非公開組織が極秘裏に接触を持ち、異星人の存在を国民に隠蔽するというのは、“常識的に考えれば”そうせざるを得ないものである。

 地球における異星人来訪の伝説は、それこそ有史以前から存在する。
 数千年の昔に存在した古代文明も、他の星からやってきた者たちに技術を教えてもらったのではないかと思えるほど、その時代を考えれば高度すぎるほどの文明が突如として出現しているのである。
 そしてそういった文明は、天から降りてくる神々を、神話として語り残している。
 あるいは彼らは本当に、他の星から技術を持ってやってきた者たちだったのかもしれない。

 こういったいわゆる超古代文明については、異星人たちの星でもまさに解明途上のものだとフォードは聞いた。
 その過程で、彼らでさえも扱いに困るようなものが発掘されてしまうこともある。

 地球にも過去には、そういった物体が事件をもたらしていた。

「私の捜査していた件は、もちろんそちらに情報があるのでしょうな」

 エリオとウェンディは、ここイギリスにおける、管理局次元航行艦隊元提督、ギル・グレアム爆殺事件の捜査のために第97管理外世界を訪れた。
 地球に到着してすぐにインフィニティ・インフェルノの再起動と浮上が判明し、哨戒艦が撤退してしまったため、二人は当分地球にとどまらざるを得ない。
 グレアム提督の名は、エリオもよく聞いたことがあった。
 幼少の頃、エリオを実験施設から救出し、保護してくれた執務官フェイト・T・ハラオウンが、嘱託魔導師として初めて担当した事件の当事者であった。

 地球で発見された第一級捜索指定ロストロギア“闇の書”の封印のため、管理局はリンディ・ハラオウン提督の指揮のもと次元航行艦アースラを派遣した。
 闇の書の起動に先立って活動を開始していた守護騎士システムヴォルケンリッターと交戦し、幾度かの戦闘の末、闇の書を暴走させていた元凶である自動防衛プログラムの破壊に成功した。
 これによって闇の書はその機能の大部分を失い、最後の主となったはやてのもとに、デバイス1個ぶんの欠片を遺して消滅した。

 現在、はやてが使用している夜天の書は残されたデータをもとに新たにつくられたものである。
 守護騎士システムを用いてリインフォース・ツヴァイを作成したとき、既につくられていた4人のヴォルケンリッターのデータの中に、本来の夜天の書のバイナリが残されていることがわかった。
 機能としてはおそらく、万が一夜天の書自体が致命的な損傷を負う事態に備えて、分散バックアップをとるように設定されていたものと思われた。
 ただしソースコードではなく機械語に変換されしかも圧縮された状態であったため、どのような機能がありコアのどの部分に組み込まれていたのかがわからなかった。
 このバイナリを解凍し復元するには、本来の夜天の書に備わっていた自己修復機能が必要であり、またその機能がはたらくために用意していたデータがこのバイナリなので、おおもとの機能が失われてしまった状態では意味のないデータと化したことになる。
 いくら情報をCD-ROMやMOディスクに記録しても、読み取るためのドライブが無ければ意味がないのと同じことだ。

 はやてのために新たに作成された夜天の書は、ハードウェアとしては単なる大型ストレージデバイスである。
 その容量は個人携行用としては最大級でありそれゆえに魔力消費も激しく、単発の処理速度よりも複数魔法の並列発動を重視した設計になっている。

 実際、はやてはこの夜天の書でじゅうぶんに戦うことができていた。
 ストレージデバイスとしての性能はあまりあるので、あとは必要になってくるのは、その性能でもって“本来の夜天の書”の姿を解析復元することである。

 もちろん、復元作業によって再び闇の書に変化してしまう危険はある。

 管理局としては、有用なロストロギアはなるべく原形を留めて確保したいものである。
 確かに闇の書は数あるロストロギアの中でも大きな被害をもたらしたものであるが、では完全に壊してしまい消滅させればそれでいいのかというと疑問が残る。
 どのような技術によってつくられ、どのような原理でその威力を発揮しているのか。なぜこのようなものが生まれることになったのか。
 それを調べれば、魔法技術のさらなる進歩が望める。
 今後新たなロストロギアに遭遇したときに、より有効な対処ができる可能性が高まる。

 ジェイル・スカリエッティにしてもそうであるが、この種のロストロギアにかかわる事件で被告とされる人物は、類まれな才能や重要な人脈を持っていることが多い。
 管理局には司法取引が制度として存在する。
 スカリエッティもグレアムもその適用を受け、極刑(次元世界においては冷凍封印処分をさす)を免れて生存していたのだ。

 そこへきて、グレアムが隠居先で出身世界でもある第97管理外世界で事件に巻き込まれ、命を落としてしまった。

 これは管理局としてはまったくの予想外の出来事である。

 犯人は誰なのか。地球での報道通り、偶然巻き込まれただけなのか。
 あるいは、次元世界のどこかの組織が、グレアムを亡き者にするために謀ったのか。

 エリオたちは地球へ到着すると、すぐさま現地の諜報組織との連携を取り、捜査を開始した。
 既にMI6とNSAについては管理局との連絡ルートがあったため、その線で人脈をたどった。
 そして、直接捜査を行っていたマシュー・フォードにたどり着いたというわけである。

 

 

 ロンドン市内に戻ってきたセダンは、テムズ川にかかるヴォクソール橋のたもとに建つ小さなオフィスビル地下駐車場へ入った。
 ここには表向きには民間医療福祉団体の事務所が入居している。
 ロビーの壁には、この団体のメインスポンサーでありイギリス音楽界では有名な歌手の一人であるアイリーン・ノアのポスターが掛けられていた。

 斜坑エレベーターで地下に降りたフォードとエリオ、ウェンディは、警備の職員にIDカードを提示し、厳重に隔離されたフロアに入った。
 フロアの中では、エリオやウェンディと一緒に来たもう一人の異星人、チンク執務官補がフォードたちを迎えた。
 彼女は黒い眼帯を付けており外見でやや目立つことが懸念されたため、外には出ず施設内での資料分析などを行っていた。また、エリオたちが外に出ている間、この施設内の監視を行う任務もある。

 壁と床と天井が一体化したチューブ状の通路を通り抜け、分厚いゲートが開く。
 よく見るとその動力も、モーターや油圧シリンダーではない。
 人工筋肉のようなリニアレールの上を、可動部のない扉板が浮上移動する。

 ほんの十数年前なら、未来の超ハイテクと呼ばれたものだろう。

 壁のつなぎ目の中には、シールドされた障壁発生装置が見えている。
 このフロアの中では、エリオたちも魔法の使用が制限される。
 地球人も、このような装置で魔法を防御できるとは思ってもみなかったことだ。異星人からの情報提供を受けて初めて判明したことである。

 グレアムの管理局入りに伴い、イギリスはアメリカに先駆けてこれら魔法技術を入手し、数十年を掛けて研究配備を進めてきた。
 アメリカも対抗上、独自の魔法技術開発を進めてきた。
 それは端的には、ネバダ州にあるグルームレイク空軍基地などで目撃される未確認飛行物体として人々に知られていた。

 フォードたちが入ったフロアでは、全高4メートル半ほどの人型ロボットがハンガーに固定され、白衣を着た技術者の指揮によって数人の作業員が機体の各部を点検していた。

 銀色のロボットは、半透明のバイザーを被った頭部を持ち、中空構造の多いスケルトンのような外見だ。
 本来は背部に装着されている飛行ユニットはオミットされ、基礎フレームのみの状態だが、これでもここまで再現するのに何年もかかっている。
 この機体は、元々は“オートマトン(自動人形)”として、各地の教会などで聖遺物として保存されていたものである。
 教会で発見された機体はほとんど骨組みだけか、あるいは手足が欠損していたりなど不完全な状態であったが、日本の──海鳴市において、ほぼ完全な自動人形の機体が発見され、いっきにその技術の解明が進んだ。
 ギル・グレアム、月村忍、そして異次元より現れた“企業”の協力も得て、イギリス空軍の管轄の下、この戦闘用大型自動人形──エグゼクターの復元に成功した。

 まだ基礎フレームのみを動かすに成功しただけであり、オプション装備となる飛行ユニットや武装は全く搭載されていないが、こちらも復元に成功しさえすればいつでも装備できるところまではこぎつけている。

 イギリスに技術提供を行ったこの“企業”が、グレアム殺害事件に絡んでいるとウェンディはみていた。
 執務官補としてティアナとともに働き、次元世界の裏で渦巻く数々の陰謀をその目で見てきて、どんな世界でも表に出せないような争いを人間は繰り広げているのだということを理解した。
 それは管理世界でも管理外世界でも変わらない。
 そして管理局員、執務官であってもまた、その事実に目を背けてはならない。

 正義や法に盲目になってはいけない──ティアナがウェンディによく言い聞かせていたことである。
 法律違反だからただちに断罪してよいわけではない、ものごとが起きるには必ず原因と状況があり、人間の意思の連鎖の結果として出来事が起きる。それを広く見て取らなければ真実をつかめない。

 地球がこのような技術の開発を行っていても、それを邪魔することは内政干渉に当たるし、管理局にはそのような権限はない。

 このロボット──エグゼクターも、今から申請したとしても実際にロストロギアとして認定されるまでにはいくつもの審査を通る必要がある。そもそも人の手で復元できた時点でロストロギアの定義からは外れることになる。
 またそれで仮にロストロギアと認定されたとしても、ではただちに管理局部隊の出動が可能かといえばそうではない。
 外部文明との接触は非常な衝撃をもたらすものであり、安易に行ってよいものではない。
 もし第97管理外世界を訪れるどこかの民間企業があったなら、地球人との接触はまさにその衝撃を、身をもって見せ付けられることになるだろう。

 地球が次元世界連合との国交を開かないのであれば、“地球の要請に基づいて違反企業を告訴”ということはできない。地球とミッドチルダは犯罪者の引渡しなどの協定を結んでいるわけではないので、地球で発生した事件を捜査するには面倒な手続きが要る。
 あくまでも形式上は、管理世界所属企業の法律違反を管理局が管理世界内で摘発したという形をとる必要がある。

 さらにフォードと例の男の会話から、問題の企業は地球人を生体魔力炉の材料にしようとしていたことが伺えた。
 人間を魔力炉の材料にするなどということは管理世界であっても許されないことである。魔法技術が公式には存在しない世界の人間をそれに使うとあってはなおさらだ。

 従来の誘導コイル式と比較した場合の生体魔力炉の最大の利点とは小型軽量化が可能なことである。
 生体魔力炉の場合、人体もしくは生物の肉体から抽出したリンカーコアを魔力結晶内に封入固定し、蓄電池のセルのように連結接続する。
 リンカーコア1個ぶんではもちろん人間ひとり分の出力しかないが、リンカーコアは機械に比べて非常に小さい。よって、通常のデバイスサイズの筐体に、数百個ものリンカーコアを詰め込むことが可能になる。
 また生身の魔導師と違い肉体の負荷を考慮しなくてよいので、人体が内部から燃えてしまうような高出力を発揮させることが可能だ。
 リンカーコアは素粒子物理学的には、電子と陽電子の対である魔力素を電磁気力に変換する器官である。変換された電磁気力は攻撃魔法であればさらに炎や電気に変換され、機械の動力であればもっぱら電気として利用される。
 どんな魔導師でも、人体の負荷限界を超えて出力を発揮することはできない。リンカーコアにとっては魔導師の肉体は実は足枷ともいえるのだ。

 生体魔力炉の製造には、文字通り数百人もの命が使われることになる。
 もし管理外世界から人間を集めていた場合、管理局は現地の人間がいなくなったことを把握できない。
 また管理世界であっても、ミッドチルダのように国勢調査を精密に行っている世界ばかりとは限らず、旧い王政国家などでは村ひとつが丸ごと消えても気づかないといったケースさえままある。
 そうやって製造された生体魔力炉は、これまでは炉の搭載が不可能であった小型武器──特に携行型デバイスの劇的な戦闘力向上を可能にする。

 ティアナがウェンディに預けていた捜査資料から、これら人体採集に関わっている企業として、第16管理世界リベルタに所在するヴァンデイン・コーポレーションの名前が挙がっていた。
 そして、生体魔力炉を製造しているのは同社よりリンカーコアの提供を受けた、第1世界ミッドチルダに所在するアレクトロ・エナジーである。

 いずれもそれぞれの世界で大きな業界シェアを持つ大企業だ。
 アレクトロ社はかつて開発途上の技術であった触媒式魔力炉で大事故を起こしたことがあり、ヴァンデイン社に至ってはエクリプスウィルスの研究過程で重大なバイオハザードを発生させるなど、その企業活動において黒い面が多々ある。
 それでも両社とも、特にヴァンデイン社はEC事件を経てなお、企業解体を免れ存続している。
 次元世界連合の運営にも両社は少なくない出資をしており、それが大企業のロビー活動に政府が振り回される原因となっている。

「──僕ら管理局の調べでは」

 2階のテラス状になった視察フロアからエグゼクターの機体を見下ろし、エリオがフォードに言った。
 階下では研究員たちがそれぞれの作業を行っている。

「ミッドチルダ人も地球人も、遺伝子の塩基配列を含め、その成り立ちにほとんど違いはないという結果が出ています」

「同じ人類と言っても過言ではないと──違う星で進化して生まれたのなら違う生物になっているはずだが、ということですか」

「ええ。これは地球だけではない他の世界の人間にも当てはまります。その理由が、もしかしたら今回の事件をきっかけにわかるかもしれません」

「──超古代文明がさまざまな星に人類を広めたというものですかな」

「まあそんなところです。しかし、地球でもそういった研究は行われているのですね」

「いえ、私の恩師といいますか、そういった仮説に興味のある者がいまして。考古学界では、疑似科学の域を出ていないものです」

「それはミッドチルダでも大体似たようなものです。ただ、僕らの世界ではロストロギアというものが発見されていますから、学者も認めざるを得ない状態です。何しろ目の前で現物を見せられたわけですからね」

 なるほど、とため息をついて、フォードは腕を組んだ。
 地球では幸いというべきか、そのようなオーパーツが甚大な災害をもたらした事例は起きていない。

 ただ、フォード自身が昨年調査に赴いた海鳴市で痕跡が見つかったように、全く存在しないというわけでもないようだ。
 ミステリースポッドのように呼ばれたり、人間が近づけない場所にそういった物体が存在する可能性は依然として残されている。
 海鳴市では、ジュエルシード──この名称はエリオから教えられた──が放射線異常を痕跡として残しており、CIAが発見した21箇所の痕跡が、海鳴市に落ちたとされる21個のジュエルシードの数と一致した。
 フォードが海鳴市内で発見した戦闘の痕跡も、管理局の記録を改めた結果、一致することがわかった。
 海鳴市では西暦2005年の春と冬に、計2回にわたって魔法による事件が起きており、管理局が対策部隊を派遣していた。

 その痕跡は、日本政府も気づかない振りはしているが、実際には概ねその内容を把握している。

 そして今回、地球に接近する巨大UFOが発見されるに至り、アメリカを始めとした先進各国はこれまで蓄積してきた地球外文明に由来する技術と地球外知的生命体の存在を確信した。
 巨大UFOはグリーンランド上空で地球に最接近した。大西洋上空を北から南へ通過して地球をぐるりと半周するように曲がり、大きな楕円軌道をとって地球周回を始めたことが観測されていた。
 空のかなたを、炎を纏いながら突き進む巨大UFOの姿は、北米やヨーロッパのほとんどの国から見えた。
 アメリカ南部のテキサス州やフロリダ州、また巨大UFOの軌道の真下に位置した中南米では、南の空に遠ざかる巨大UFOが太陽を呑み込むように映り、人々を震え上がらせた。

 ついにこの世の終わりが来たのか。
 聖書に預言される審判の日が来たのかと、教会につめかける人々や、国外へ脱出しようとする人々などで各地にパニックが発生した。
 州政府は警察だけでなく州兵も出動させて警備を行っている状況である。

 巨大UFOが南半球側へ抜けていったため、現在、日英米ソ各国からは一時的に巨大UFOは見えなくなっている。
 オーストラリアやニュージーランドのアマチュア天文家が独自に撮影した巨大UFOの映像をインターネットを使用してリアルタイム配信を行い、最新情報に遅れがちな日本でも人々の間に今回の事件が知られつつあった。

「過去に同種の事件は」

 フォードの質問に、エリオは視線を強張らせるようにやや顔を伏せ、首を横に振った。

「いいえ。僕が知る限り初めてです。発掘された古代の宇宙船を誰かが勝手に動かしたとかいうのならともかく、人間の関与なしに動き出したという事例は、管理局がこれまで遭遇した事件にはありません」

「そうなると、あれをどう扱ったものかとなりますな。こちらから手出しをしなければ何もしてこないのか、それともいずれ地球に対して爆撃を始めようとするのか──単に月が2個に増えたというわけにはいきませんな」

「まずは相手の正体を知ることです。ここまで地球に姿を晒してしまった以上、僕らだけではない、艦隊もいつまでも隠れてはいられません」

「私個人としては、あなたがたの立場はじゅうぶんに理解しているつもりです」

「ええ。僕やウェンディとて、いつあなたがたに銃を向けよと命令されないとも限りません──それは絶対に避けたい事態の一つです」

 英語はミッドチルダ語と似てはいるがやはり細かい語彙などは違う。
 ミッドチルダ語では、デバイスとは武器全般のことを指すが、英語では装置一般という意味だ。
 なのはやはやてとの会話で、エリオも自然に覚えてはいた。フォードに対する言葉で、エリオはデバイスのことをガンと表現した。
 地球人にとっては、DeviceではなくGunが武器の一般的な表現である。

 管理局からの情報が一時的に途絶えているため、エリオたちも問題の巨大UFO──戦艦インフェルノに対しては下手に判断できない状態である。
 ミッドチルダとヴァイゼンが共同で艦隊を出撃させたということは情報が入っていたが、戦闘が発生したのかどうか、またその決着がついたのかどうかわからない。
 地球からは、ハーシェルⅡ宇宙望遠鏡、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡による観測で、火星軌道付近で大規模な戦闘が発生したことが判明していた。
 その後は巨大UFOの発する次元干渉が強まり光学観測ができなくなったため、地球はミッドチルダ・ヴァイゼン連合艦隊の行方を見失った状態である。

 艦数からみても残らず撃沈されたとは考えにくく、どこかに隠れて再攻撃の機会を伺っている可能性が高い。
 地球接近の際に、アメリカ軍およびソ連軍が保有する偵察衛星が、巨大UFOの撮影を行っている。
 その画像は今まさに分析が行われている最中である。
 分析結果によっては、効果的な攻撃方法が判明するかもしれない。

 地球最接近から12時間後、軌道傾斜角63.78度、遠地点高度7万4820キロメートルを通過したインフェルノは再び地球への接近を開始した。
 地上からの観測により、遠地点付近での減速が確認され、次の周回では遠地点がやや近づくことが計算された。これにより、対地同期軌道からは外れ、地球の自転よりもやや速く回ることで地球上の広い範囲を見渡せることになる。
 最終的には、地球を12時間で一周する準同期軌道へ入ると予想された。この軌道をとる場合、地球上のあらゆる地点を24時間以内に照準に収めることができる計算になる。

 直径100キロメートルの物体ともなれば、肉眼でも容易に観察できる。
 目で見えるものを、存在しないと言い張ることはできない。
 各国は軍事的な対策だけでなく、ヒステリックに情報をよこせとわめきたてるマスコミやジャーナリストたちへの対策も取らなくてはならなかった。

 次の接近では、最接近地点はラブラドル半島上空になる。
 数日もする頃には、ニューヨーク上空、自由の女神の頭上を巨大UFOが通過するであろうことを、もはやアメリカ国民は誰ひとりとして疑わなかった。

 

 

 カスピ海のほとりに建設された即席の発射基地では、ソ連製ロケットに独特のチューリップ型ランチャーに吊るされたR-7ミサイルが発射準備を整えていた。
 巨大な食虫植物のように、錆止めの赤い塗料をむき出しにした鉄骨が、葉脈のように空に花を開いている。
 ソ連式の打ち上げシステムでは、日本やアメリカのロケットのように発射台にロケットを固定せず、支柱から吊るした状態で点火して空中に浮かばせる。
 この方式ではロケットが自身の重量に耐える強度を持つ必要がないため、軽量化した分を燃料搭載量にあてることができる。
 打ち上げに伴って、支柱の鉄骨が四方に倒される光景はソ連ロケットに独特のものである。

 総勢12基の発射台が突貫工事で据え付けられ、トレーラーで運ばれてきたR-7がランチャーにセットされる。
 弾頭には宇宙戦用に調整された核出力320メガトンのトリチウム爆弾が取り付けられ、宇宙空間でも減衰しない強力なβ線を放射する。

 現在ソ連は夜であり、夜明けとともに、南の空に浮かぶ赤い彗星のように巨大UFOの姿が見えてくるだろう。
 地球接近時に観測した画像では、巨大UFOは自らの引力で大気を持っていることが判明した。見かけの大きさと地球に接近したときの軌道から計算される質量では、自己の質量に由来する重力で大気をひきつけるほどの引力は生じない。
 このことから、巨大UFOは人工重力を発生させることができると考えられる。
 また減速時にロケットの噴射炎などが観測されなかったことから、エンジンは化学燃料ロケットではない可能性がある。
 宇宙空間を高速で飛行するための慣性制御が可能であり、それを推進器にも利用していると考えられた。

 ソ連防空軍のMiG-25偵察機が低軌道上から接近して撮影した画像では、巨大UFOは幅の太い側を大きく損傷しており、無数の破口が生じていることが確かめられた。
 天王星宙域への出現当初に周辺に観測されていた数百隻の小型宇宙船──といっても数百メートルもある大型艦だが──は現在見えなくなっており、巨大UFOの内部に収納された可能性がある。
 それが母船と子機という関係なのか、それともこの破口は戦闘で生じたものであり宇宙戦艦たちは巨大UFO内部へ突入した後なのか──は依然として不明である。
 ソ連側には異星人からもたらされた情報が少ないため、イギリスおよびアメリカへ情報提供を要求しているが外交ルートを通じてのやりとりはなかなか手間取っているようだ。
 特にこの二か国は、それぞれの情報機関に異星人が派遣され所属している。前世紀よりあらゆる意味で有名になったエリア51をはじめ、アメリカ政府は異星人とのコンタクトをすでにとっており、地球に異星人が来訪している。
 あの巨大UFOが彼らの母船であり大々的な訪問のためにやってきたのか、あるいはアメリカを通じて事前偵察を行ったのち準備万端整えて地球侵略のためにやってきたのか、ソ連は正確な情報を持てていないのだ。

 確実に安全であるという保障がない以上、ソ連軍としては迎撃準備をしなければならない。
 ミサイル部隊を指揮する将官たちは、12基の鉄の花弁に包まれた核ミサイルが飛び立たずに済むことを願いつつも、その刻がくれば発射命令を下さなくてはならない。

 司令官は、作戦規定に基づき発射管制キーの照合を行った。あらかじめ決定された暗号に基づいて取り出されたキーが一致しなければミサイルは発射できない。
 また、多段階の暗号を順に正確に解除してキーを差し込まなければたとえエンジンを始動していてもただちにミサイルの発射は中止される。
 核兵器の発射には、“安全を期すために”非常に複雑な手順を経る。
 作戦時間を示す時計が120分にセットされ、カウントダウンを始める。
 このまま発射中止の命令が届かなければ、2時間後には、12基のR-7が巨大UFOに向けて飛び立つことになる。

 

 

 クラウディア艦内でははやてとシグナムの、ヴォルフラム艦内ではヴィータ、シャマル、ザフィーラの懸命の処置が行われていた。
 はやては治療ポッドに全身を漬けて、外部から強制的に心臓を動かしている状態である。
 治癒魔法を使用しての血液造成加速を行っているが、塞ぎきれない血液が、両肩と腰の傷口から魔力溶液中に溶け出していっている。

 シグナム以下ヴォルケンリッターたちは、もはや手の施しようがない状態であった。
 魔力枯渇によって多臓器不全を起こした状態であり、通常の人間と同じ治療装置が使えない。

 はやても、ヴォルケンリッターも、ほとんど冷凍保存されたような状態である。
 淡い白色の魔力光を放つ治療ポッドは、傷口の変質を止めるだけの機能だ。これ以上悪化もしないが、回復もしない。あくまで現状に留めるための、応急処置用のものだ。

 装置そのものは時の庭園でプレシアが使っていたのと同じで、きちんと作動していれば既に死亡した遺体であっても数十年は全く劣化させず保存できる。

 フェイトやなのはは処置室へは立ち入れないと各艦の軍医から言われた。
 カプセルに詰められた生物標本のような状態のはやてたちの姿は、親友である彼女たちに見せるには酷に過ぎると判断した。

 クラウディアの発令所に戻ったクロノは、はやての回復は絶望的だとウーノに言った。

 ドラゴンはクラウディアの砲撃によって首の一本を吹き飛ばされ、外殻側に墜落している。
 現在、ミッドチルダ・ヴァイゼン艦隊が偵察機を出して行方を探っている状態である。
 ひとまず当座の脅威は凌いだわけだが、もしドラゴンがまだ生きていることが判明すれば、確実にとどめを刺す必要がある。

 あの幻術魔法をかけられたら、対抗できる魔導師はほとんどいないだろう。

「ただの幻術魔法ではないと思いますが」

 発令所のメインスクリーンに、インフィニティ・インフェルノの予想軌道を表示させたクロノの背中にウーノは言葉を投げる。

「あれはアコース査察官のレアスキルと似た魔法と推察します。すなわち、特定の思考を強制的に送信するものです」

「幻覚を見せることが可能というわけか」

「採取した音波のパターンから読み取れます」

「バイオメカノイドは我々に対話を試みていると?」

「その可能性は否定できません」

 クロノは振り向き、スクリーンを近くで見るようウーノを呼び寄せた。
 女性としては身長が高い方になるウーノは、クロノと並んでも目線がほぼ同じ高さだ。

「その通りだ、ウーノ。彼らは姿こそ異様だがれっきとした生命体だ。その事実をまず次元世界人類は認めなくてはならん」

「破壊という言葉が駆除と言い換えられるだけではない」

「命あるものを人間は特別視する。ゆえに命はそれだけで武器になる」

「その武器の強さゆえに」

 惑星TUBOYが伝説と呼ばれたのは、そこに居るのが生命の定義を塗り替える存在であるからだ。人間の一般的な生命の定義から外れる存在をもし生命と呼ぶのなら、人間は意識の変革を求められる。
 それが時代を下るごとに、命さえ操れる魔法、と変化して言い伝えられていった。

 ミッドチルダで発見されたグレイの皮膚欠片から採取された遺伝情報と、インフェルノ内部から採取されたグレイの持つ遺伝情報を照合し、それが一致することをクラウディアでは確認した。
 グレイは、その内部に人間と同じ46基の遺伝子コードを持つ。
 金属でできている無機質の身体は殻を被っているようなものであり、正にバイオメカノイドとは無機物と有機物が混ざり合ったごく小さな芯だけがその姿である。
 フェイトが行った捜査で突き止められたこの事実は、バイオメカノイドの技術を入手しようとする次元世界の企業たちにとっては絶対に外部に知られてはならない機密情報である。
 それゆえに、その事実を知ってしまった鑑識官はグレイによって殺された。
 クラナガンでの一連の戦闘以前に、バイオメカノイド、そしてグレイがミッドチルダに持ち込まれていたことがこれで確実になった。

 クロノはサブスクリーンにマッピング済みのインフェルノ内部空間地形図を表示させた。
 後部のやや狭くなっている部分からは依然として強い魔力反応が検出されており、インフェルノの主動力炉がまだ生きていると予想される。
 インフェルノ内部の人工重力は複雑な分布をしており、ドラゴンの墜落地点を正確に計算することは難しい。
 偵察機も撃墜される危険を冒してまで深部へ潜りこむことはできず、捜索開始から2時間を経過しても未だドラゴンを発見できていなかった。

 破口から外部観測を行っていた別の偵察機が、インフェルノが地球周回軌道の遠地点を通過したことを報告し、月が見えていることを知らせてきた。

 月から反射された白い光が、インフェルノ内部に差し込んでくる。

 

 

 新暦83年12月28日23時15分、LS級巡洋艦ヴォルフラムは管理局次元航行艦隊司令部へ、敵バイオメカノイド搭乗者の身柄確保成功を打電した。

 加えて、敵大型バイオメカノイドとの戦闘によって艦長八神はやて二佐が負傷し意識不明の重体となり、副長であるエリー・スピードスター三佐が指揮を代行していることも報告した。
 通信ウィンドウの向こうで、レティは眼鏡のブリッジをつまみ、表情を隠すように顔を伏せた。
 元機動六課メンバーにおいて最大戦力であるはやてを緒戦で失う結果になったことは、レティ以下、元機動六課チームにとっても堪え難い痛手である。

 ヴォルフラムに収容されたヴィータ、シャマル、ザフィーラの3人は、現時点ではプログラムの実体化が解除されないように凍結するのが精いっぱいで、医学的処置はとれないとモモが報告していた。
 ヴォルケンリッターという、魔法技術史においても非常にまれな存在であるため、損傷時の治療方法というものが確立されていなかった。
 たとえ体内の臓器の構造や機能が人間と似ていても、その根幹となる動力が異なるのである。
 人間はあくまでも食物を消化して取り出したアミノ酸をエネルギーにしているが、ヴォルケンリッターは物質中に含まれる魔力素をエネルギーにしている。
 人間用の医薬品が通用するのは、魔力で再現できた臓器の機能に対してのみである。
 それ以上のレベルでダメージを受けてしまうと、これを修復できるのは夜天の書の主以外にいない。

 しかしその夜天の書の主たるはやてが、真っ先に戦闘能力を奪われてしまった。
 リンカーコアが無事だったことは不幸中の幸いというべきか、はやての身体は生命維持装置がきっちりと作動してさえいれば生命を保つことは可能であるとクラウディアからは連絡が届いた。
 ただし、はやてはもう今までのように歩いたり、自分でデバイスを持って戦うことはできない。
 魔力溶液を満たした治療ポッドの中に浮かんだまま、そのカプセルから外に出ることができないのだ。
 たとえ顔かたちが綺麗なまま残っていたとしても、生命維持装置のカプセルに閉じ込められたまま動けないのでは、かつての最高評議会の3人と同じようなものである。

 現在のところ、はやては心臓は何とか動いているが、出血多量による低酸素状態が起きていたため脳の活動が低下し、昏睡状態にある。
 もし奇跡的に意識を取り戻していても、脳に障害が残る可能性は高い。
 そうなれば、もはや今までのように魔法を操ることは永遠にかなわない。それどころか、なのはやフェイトたちと会話さえできなくなるかもしれない。

『わかりました──。本局への帰還はすぐに行えますか?』

 エリーはいったんレコルトの方を見て、このままドラゴン追撃戦に参加はできないということを確認した。
 現在のヴォルフラムが使用可能な兵装は5インチ速射砲1門だけであり、艦首魔導砲も対空誘導魔法も撃てない状態では戦闘は困難である。

「現在、インフィニティ・インフェルノは地球周回軌道に乗り、遠地点を次第に地球に近づけつつあります。地球からの探知を避けて脱出するには、この軌道上で遠地点に到達したところを狙って飛び出す必要があります。
現在すでにインフェルノは最初の遠地点を通過して地球に近づきつつあり、およそ10時間後に再び地球へ最接近します。よって、次の遠地点通過を狙うためにはあと1日待つ必要があります」

『よろしい。ヴォルフラムは可及的すみやかにインフェルノ内部より離脱し、本局へ帰還してください。確保したグレイのサンプルを、確実に持ち帰るように。
──ハラオウン艦長はそこに居ますか?』

「──いえ、現在、敵大型バイオメカノイドの捜索を行っています。
八神艦長とシグナムさん、フェイトさんはクラウディアに収容されましたので、移乗手続きを取ります」

『できればクロノ君からじかに聞きたいと思うのだけれど、難しいかしら』

 エリーはポルテを見やる。ポルテはヘッドセットを右手で押さえ、首を横に振った。

「クラウディアからは現在応答ありません、次回の連絡は1時間後と予告したきりです」

「ロウラン提督、クラウディアはやはり独自に行動しているようです。我々に対しても、ミッド・ヴァイゼン艦隊に対しても、積極的な協力や対立を行おうという印象は見られませんでした──
少なくとも、ハラオウン艦長の行動は彼の独自の意志のようです」

『そうですか──。こちらでも、リンディをはじめ私たちの会派に対する追及の声が上がり始めています。
どんな形にしろクロノ君の言葉がきければ、彼らを少なくとも説得できるカードが手に入るのですが』

「──いずれにしろ、ハラオウン艦長は惑星TUBOYとバイオメカノイドをはじめとした次元世界超古代文明の存在を知らしめるべきであるという行動を示しています。
我々が第511観測指定世界で確かめた真実、そして──スクライア司書長が調べていたアルハザードの真実──これらを、真相を闇に葬るべきではないというのは、我々も同じ考えです」

「副長、それではミッドチルダと第97管理外世界の関係が──」

 レコルトが横から言ってくる。
 インフィニティ・インフェルノの真の目的地がミッドチルダではなく地球だと判明したということは、バイオメカノイドたちは最初から地球を狙って目覚めたことになる。
 カレドヴルフ社によってミッドチルダに連れてこられたバイオメカノイドたちは、そこが地球かどうかわからずに動きだし、地球でないことを知ると、宇宙港に大挙して押し寄せ、地球へ向けて飛び立とうとした。
 もしあの戦闘でバイオメカノイドがミッドチルダから惑星TUBOYまで連絡を飛ばせていれば、インフェルノはまずミッドチルダに来襲し、連れ去られたバイオメカノイド群を回収してから地球へ向かったと思われる。

 過去の地球が惑星TUBOYと戦っていたというのであれば、ミッドチルダからしてみれば、言ってしまえば完全なとばっちりである。

 そして逆に、地球から見ても、ミッドチルダがバイオメカノイドを目覚めさせてしまったせいで地球が襲われているということになる。
 インフェルノが地球到着と同時に即座に攻撃を開始しなかったのは、現在の地球にいるのがかつて自分たちと戦った文明ではないと気付いたからだ。
 もし彼らが新たに生まれた人類であるのなら、バイオメカノイドたちが今持っている地球の情報は全く古いものであり、まずは相手の分析からやり直す必要がある。

 しかしいずれ、現在の地球の戦力が星間文明の水準に達していないことを確認すれば、インフェルノは地球への攻撃を再開するだろう。
 クラナガンでの戦闘で回収されたバイオメカノイドの制御装置は、内部に組み込まれたわずか数十個のトランジスタの組み合わせから、ごく単純なロジックしか持ち得ていないことが判明していた。

 ──“あらゆる生命を抹殺せよ”──

 バイオメカノイドの本能はこれのみである。
 彼らにとっては、人類をはじめとした炭素系有機生命体は正しく畜生のような存在である。飼い育て、そして喰らうものである。
 人類は、生命圏たる水と緑と酸素のある地球型惑星でなければ生きることができない。
 しかしバイオメカノイドは、有機物、無機物問わずあらゆる元素を生命活動の材料にできるので、宇宙のどんな場所でも生きることができる。
 人類側の視点を抜きに、バイオメカノイドから見れば、人類は生態系における被食者にしか映らないだろう。
 首尾よく地球を滅ぼしたら、バイオメカノイドたちの次の目標は、かつての超古代文明の子孫たる次元世界連合となるだろう。

 バイオメカノイドにとっては、炭素系有機生命体を殺すことは呼吸のようなものである。
 人間が酸素を吸うように、バイオメカノイドは有機生命体を探し、破壊する。おそらく彼らに殺人という概念は存在しないだろう。

 もしバイオメカノイドが人工的な兵器システムであるのなら、これを制御することは非常に困難である。
 惑星TUBOYに、もし本当にかつて一般的な人類が住んでいたのなら、なぜこのようなシステムを建造したのか──とても想像がつかないことである。

 そしてさらに、バイオメカノイドが人工物ではなく自然に生まれた、超生命体とも呼べる種族であるのなら──

 ──次元世界人類はまさに、宇宙における人類の存在意義を懸けた生存競争に挑まなくてはならない。

「今ここで判断を下すのは我々の職責を超えます──しかし、いずれ我々は決断しなくてはなりません。第97管理外世界の前に姿を見せ、敵バイオメカノイドを倒すために戦うことをです」

『ええ。私からも管理局首脳部には働きかけている──それと、ミッドチルダ・ヴァイゼン両政府にもね。聖王教会の協力も、今交渉中よ。
騎士カリムが次元世界政府を取りまとめてくれれば、管理局も動きやすくなる』

「ともかく、今は確実に本局へ帰還することですね。我々が入手した事実を正しく伝え、この次元世界で起きている出来事の真実を知らせなくてはなりません」

『待っています。スピードスター三佐、貴官がこれからヴォルフラムの全ての指揮をとるのです。期待しています』

「了解しました──」

 通信ウィンドウを閉じ、エリーは続けてクラウディアへの連絡をとるように言った。
 ヴォルフラムが一旦離脱するには、はやてとシグナムを置いていくわけにはいかない。
 艦内では治療設備も限られているので、本局の病院に収容し、どうにか手立てを考えなくてはならない。

 

 

 1時間後、クロノは予告通りにクラウディアをヴォルフラムに接舷させた。
 クラウディアが侵入してきたインフェルノ後部の破口は地球から隠れる面に大きく開いており、ここからならインフェルノの船体を盾にして地球から見えないように脱出することができる。

 インフェルノ内部の前方部分では、ミッド・ヴァイゼン艦隊がインフェルノ艦内の捜索と制圧作戦を進めている。
 慎重に慎重を期し、フロアを一つずつ確実に確保しながら部隊を進めていく。
 艦内に出現するまさに無数のバイオメカノイドたちには、武器の火力はいくらあってもありすぎるということはない。
 時には確保したフロアをいったん放棄して後退し、艦砲射撃で敵を根こそぎ吹き飛ばしてから再進出しなければならないような状況も生じている。

 甲板に出てクラウディアからの内火艇を迎えていたなのはは、沈痛な面持ちでタラップを上がってくるフェイトと、その後ろでクラウディアの乗組員たちに抱えられている大小二つの治療ポッドを目にした。
 治療ポッドは二つとも、不透明のシートでくるまれ、中が見えないようになっている。
 なのははふらふらと吸い寄せられるようにフェイトの前に歩み出て、言葉を吐いた。

「フェイトちゃん──はやて、ちゃんは」

 フェイトは何も答えない。
 伏せた顔は目線を合わせられない。なのはの後ろで、モモたちが受け入れの準備をしている。

「答えてよ──、見てたんでしょ、シグナムさんを助けたのはフェイトちゃんなんでしょ」

「──だめだよ」

「フェイトちゃん──」

 フェイトの声は慄きが拭えていなかった。
 彼女に衝撃をもたらしたのは、親友が大怪我を負ったことそのものではない。
 次々と発見される次元世界の成り立ちにかかわる事実が、管理局という組織の能力をはるかに超える水準で姿を現してきていることだ。

 惑星TUBOYこそがアルハザードであるという説は、選抜執務官──エグゼキューターの噂と合わせて、既に何人かの執務官たちの間でもかねてよりささやかれていた。
 そして、無限書庫から持ち出された情報をもとにミッドチルダ政府が動いていたというタレこみも、過去に何度かあった。

 さらに、義兄であるクロノの突然の独断行動。
 クラウディアに収容されてからも、フェイトはクロノとほとんど話せなかった。
 艦内での行動はさほど制限されなかったので、行こうと思えば発令所に行って話をすることもできたのだが、艦橋でのクロノはずっとウーノと作戦についての相談をしていて、その間に割り込んでいく勇気がなかった。
 話に参加しても、バイオメカノイドたちを相手にした作戦に、自分は何も案を示せず話題に加わることができない。
 自分がまだまだ未熟であると思い知らされたのだ。

 立ち止まったフェイトの横を、治療ポッドを抱えたクラウディア乗組員たちが通っていく。
 なのはは思わず、横からシートをめくってしまった。恐怖に耐えきれなかった。中を見て確かめなければ焦燥でどうにかなってしまいそうだった。

「あっ、高町さん──」

 乗組員の一人が声をあげかけて、言葉を途切れさせた。

 なのはは、見てしまった。

 大きな治療ポッドには、左半身をほとんど吹き飛ばされたシグナムの身体が収められていた。
 傷口を洗浄して凍結処置をしただけでなので、流れ出して魔力溶液に混じった血糊が凝固して膜のようになり、ポッドの透明部分に貼りついていた。左腕は肩口ごと無くなり、腰は半分に割れた骨盤が露出してしまっている。
 左肩の傷口は胴体にまで達し、引き裂かれた騎士甲冑の下に、穴が開いて破れた肺と、筋肉ごともぎ取られた左乳房が無残にぶら下がっていた。
 顔面に比較的損傷が少ないことが、人体が欠損する衝撃をさらに増幅する。

 小さな治療ポッドには、四肢を失って胴体と頭部だけになったはやてがいた。
 このポッドは本来は乳幼児用のサイズである。はやては、見る影もなく小さくなってしまった。
 壊れた彫像のように、肌が薄白くなっているように見える。
 生きているのが不思議なくらいだ。

 身体が震えている。
 無造作に肩をつかむフェイトの手が、なのはを引き戻した。

 クラウディアの乗組員たちは申し訳なさそうになのはの前を通り過ぎ、モモたちに治療ポッドを渡す。

 よろけて倒れそうになり、フェイトに抱きかかえられたなのはは、目と鼻の奥と、胃のあたりと、腰の奥がきりきりと痛み、濡れてきているのを感じていた。
 衝撃と恐怖のあまり、身体のあちこちが漏れてしまった。
 手を下腹部にやり、かろうじて服の外にまで濡れが見えていないことを確かめる。

「なのは、もういい、もういいから──」

 絞り出すように言ったフェイトの言葉も、なのはは上の空で聞いていた。

 タラップの前でクロノと話していたエリーは、負傷者の引き渡しが完了したことを確認し、敬礼を交わして戻ってきた。

「高町さん、フェイトさん──行きましょう。本艦はこれより管理局本局へ帰還します」

「なのは、戻ろう──帰れるよ。私たちは任務を果たした──帰ろう」

 ヴォルフラムの損傷した甲板が、巨獣の傷口のように天に向かって牙をむいているように見える。
 真っ暗で何も見えないインフェルノの外殻を見上げ、なのはは目じりに浮かんだ涙が、それ以上流れ出そうとしないのを感じていた。

 身体が、異常事態に適応するために感情を殺そうとしている。
 心が変質して、凄惨な衝撃を受けても涙が流れなくなっている。
 教導隊の先輩のひとりが、引退間際になのはに語ったことを思い出していた。
 長く軍に勤めすぎてしまった者は、身を隠してひっそりと生きるしかない。ミッドチルダの市井で最近よく語られる、軟弱な若者を軍に入れて鍛えるなどという言説は、全く現実を見ていないたわごとである。

 軍人は高度な専門職である。

 それゆえに、一度軍に染まった人間は、もう軍から離れて生きていくことはできない。
 闇の書事件が終結して嘱託魔導師になり、管理局に入ったころからずっと、はやてが、自分の行く末に思いを馳せていたのはそれを予感していたからである。
 管理局に入って、戦闘魔導師として戦うなら、一生をそれに懸けることになる。
 幸運にも定年まで生き延び勤め上げることができたとしても、そこから何ができるだろうか。基地警備や災害出動などばかりであればいいが、実戦に出撃した経験を持つ人間は、良くも悪くもまともではない。
 少なくともクラナガンの一般社会は、軍隊帰りの人間にとって住みよい社会ではない。

 もう、戻れない。
 クラナガンに帰ったところで、そこでまた今までどおりの生活ができる保証はない。
 バイオメカノイドという存在が、この世に存在することを自分は知ってしまった。
 そうなれば、これと戦い殲滅するまで平和は無い。
 表面上、戦闘が起きていなくても、いつまたクラナガンが襲われるかという恐怖に日々さいなまれることになる。そんな中でヴィヴィオを過ごさせることはできない。

 もう今までどおりの生活は帰ってこない。
 本局に帰っても、次の作戦のために準備と訓練をする。

 そうやって生きていくしか、もう未来は無い。

「……──!?フェイトちゃん、外が……」

 外殻の向こう側、破口から差し込む光が、かすかに揺らめいた。
 現在のインフェルノが向いている角度では、主に差し込んでくるのは地球表面で反射した光である。そのほとんどは大気上層や雲、海面で反射したものだが、人口密集地のビルの明かりなど、強い点光源があるとそれは宇宙からでも見える。

 切迫する予感を的中させるように、ミッド・ヴァイゼン艦隊からの通信がヴォルフラムとクラウディアへ届いた。

『総員艦内へ退避!総員、大至急艦内へ退避!高町さんも、急いでください!地球からミサイルが発射されました!!』

 ポルテが念話で呼びかけてきた。
 ミサイル発射。地球が──アメリカかソ連かはわからないが──、インフェルノへの攻撃を開始した。
 この超巨大宇宙船が地球への攻撃目的の軍艦だと判断したということだ。

 続けて、ミッド艦隊所属の偵察機がミサイルの分析を行う。

『シエラ4、現在の地球までの距離は!』

『距離およそ5万3千、ミサイルは現在高度1500キロメートルを突破!数は……12!まっすぐこちらへ向かってきます!』

『弾頭はわかるか!』

『お待ちを、ミサイル弾頭より高レベル魔力反応を確認、スペクトル照合──とっ、トリチウム、ミサイル弾頭はトリチウム爆弾、推定魔力値──12兆以上!センサーの測定限界を超えています!
核出力に換算したら、艦載魔導砲とは比べ物になりません!』

 驚愕に声を張り上げる偵察機パイロットの声は、なのはにもフェイトにもエリーにも届いた。
 文字通り桁外れの破壊力を持つミサイル。
 地球が保有する兵器でそのようなエネルギーを持つものは、ひとつしかない。

 核ミサイル。

 偵察機のパイロットはトリチウムと言った。
 すなわち、三重水素を使用した水素爆弾である。確かにこれは高いエネルギーを持ち、さらに周辺空間の魔力素を増大させる作用を持つ元素だ。
 ミッドチルダでは、AMF環境下での戦闘方法としてバリアジャケットにトリチウム生成機能を持たせてAMFを中和する方法が研究されているが、そもそもトリチウムを生成するために必要な魔力量が大きくなりすぎてしまい実用化は困難とされていた。

 水素爆弾をはじめとした核兵器は、地球でも制御しきれない破壊力と環境汚染著しい兵器として前世紀より忌避され続け、廃絶すべしとされてきた。
 宇宙空間で核兵器を使用するなら、その性質上直撃狙いのはずだ。
 物理的な破片を撒き散らして攻撃する通常のミサイルと違い、宇宙空間では爆風が生じないため、核兵器の威力を最大限に発揮させるには目標に直撃させて起爆させ、発生した熱線エネルギーを余さず目標に浴びせる必要がある。
 メガトン級の爆弾でも、数十キロメートルも離れてしまえば威力は極端に減衰する。

『高町さん、フェイトさん、早く艦内へ!』

 エリーが念話で呼びかける。
 なんとか我に返ったなのはは、フェイトに手を引かれてヴォルフラム艦内へ急いだ。核爆発の熱線と放射線は金属の船体とシールド魔法でかなり遮蔽できる。さらにインフェルノの船体が巨大な盾になる。
 今宇宙空間に出てしまえば、核爆発の余波でいかに次元航行艦といえども吹き飛ばされてしまうだろう。

 ヴォルフラムに戻ったなのはとフェイトは、エリーたちが指揮を執っている発令所へ急いだ。

「エリーさん、戻りました!甲板員も艦内へ退避完了してます!」

「よろしい!タラップ収納、発進用意!」

 クラウディアとの舫い綱を放し、それぞれ機関を始動して動き始める。
 ミッド・ヴァイゼン艦隊では核ミサイルの追跡を続け、ミサイルはインフェルノに向かうコースをとっており、命中は17分後と計算した。

「インフェルノの外には──」

「ここからでは間に合いません。外に出たとたんに熱線で溶かされます」

「もしミサイルがインフェルノに命中したら」

「外殻に大穴が開いて──どこに命中するかによります。もし私たちのすぐそばに当たったら、外壁がいっきに崩れてきます……埋められないように祈るしかありません」

 電測室から、ヴィヴァーロは独自にミサイルの追跡を行っていた。
 ポルテが偵察機のパイロットを呼び出し、それぞれの観測データを確認している。

「副長、ミサイルは計12本が来ます。1本あたり12兆以上の魔力値、これが全部爆発したら──!!」

「──機関室、魔力炉出力は何パーセントまでいけますか?」

「副長」

 ポルテが不安げに呼びかけ、しばらくの沈黙をおき、機関室からの返答が返ってくる。

『出力18パーセントまでは安定、それ以上は短時間しか無理です』

「わかりました。結界魔法出力に全エネルギーを回して、防御態勢をとります。砲雷科員は後部居住区へ退避。全兵装を停止して結界を張ります」

「──了解!」

 地球はこの巨大戦艦インフィニティ・インフェルノが地球を攻撃しようとしていると判断し、迎撃のためにミサイルを撃ったはずだ。
 また、ミッド・ヴァイゼン艦隊も、クラウディアもヴォルフラムも地球にその存在を知らせていない。だとすれば、いくら巻き添えを食らう危険があるといってもこのミサイルを打ち落とすことはできない。
 そんなことをすれば、こちらがインフェルノの味方だと地球に思われてしまう。

 あるいは地球の発射したこの12本のミサイルは威嚇であり、起爆させずに自爆させるか──少し考えて、その可能性はありえないとエリーは考えを振り払った。
 ミサイルには実物の核爆弾が装填されている。威嚇ならば弾頭を外して撃つはずであり、貴重なトリチウムを満載したミサイルをわざわざ12発も空打ちするはずがない。
 こちらの索敵装置では、ミサイルの頭部に核物質が詰まっているかどうかを外部から観測できるが、地球の技術ではそれはできないはずだ。

 予想されるミサイルの破壊力は、おそらくインフェルノを完全に包み込む火球を発生させるだろう。

 次元航行艦の発生させるシールドの出力は、と思い出そうとしたが、エリーはすぐにその思索をやめた。実戦の現場では、そのような机上の計算は役に立たない。実際にミサイルが爆発してみなければ、シールドに熱線を浴びせてみなければ本当の防御力は分からない。
 どちらにしろ、このミサイル攻撃を凌がなければ脱出はできない。

 ミサイル着弾まであと、15分。
 インフェルノ艦内にいるヴォルフラムからは、外部を直接観測することはできない。
 ミッド艦隊の偵察機も、核爆発から退避するために帰艦している。ひたすら息をひそめて待ち続ける、押し潰されそうになる時間だ。

 レコルトが居住区に戻っていてはどうかとなのはたちに言ったが、なのはもフェイトもレコルトの申し出を断った。
 今更、逃げ隠れしてもどうしようもない。この戦いの行く末をきっちりと見届ける。
 地球人類が、この超巨大戦艦に──バイオメカノイドに、戦いを挑もうというのなら。

 

 

 

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最終更新:2012年12月19日 11:15