■ 13
軌道上に待機していた管理局艦は、アルザス政府へ攻撃可否の問い合わせを行った。
ロストロギアの事故などにより、惑星ごとアルカンシェルで破壊処分とすることは過去にも何度か行われてきた。
独立した領土を持つ次元世界に対する攻撃も、行われたことがある。
バイオメカノイドが湧き出してきている次元断層は、規模が小さくアルカンシェルによる破壊が可能と見積もられた。
ただし、バイオメカノイドが次元断層を経由してアルザスにやってきているということは、ここへアルカンシェルを撃ち込めば空間歪曲のエネルギーが虚数空間に漏れ出し、周辺時空に比較的大型の次元震を誘発するおそれがある。
狙うとすれば次元断層が消えてからにするべきかもしれないが、それを待っていてはバイオメカノイドたちがアルザスからあふれ出してしまうかもしれない。
アルザス政府は、避難に成功した一部の閣僚たちによる検討で、惑星本体を残したままのバイオメカノイド駆除ができないかと管理局に依頼した。
アルカンシェルを撃てば、アルザスの惑星自体が消滅してしまう。
そうなれば、仮にバイオメカノイドを殲滅できたとしても、生き残った住民はどうすればいいのかとなる。
どのみち他の世界へ移り住まなくてはならないのなら、意味がない。
惑星は何とか残存させてほしいと、管理局は依頼を受けた。
アルカンシェルを使用しない場合、魔導師および次元航行艦を大気圏内に降下させ、通常兵器を使用してバイオメカノイドを各個撃破していく必要がある。
管理局はアルザス政府への返答として、大出力魔力爆弾の使用可否を問い合わせた。
バイオメカノイドが分布している面積の広さ、また個体数の多さから、爆弾を使用して一度に多数のバイオメカノイドを破壊していかなければきりがない。
また同時に、次元断層を破壊してこれ以上のバイオメカノイドの流入を防ぐ必要がある。
攻撃力の高い武器を使用しなければ、バイオメカノイドの殲滅は困難であると管理局はアルザス政府に通告した。
魔力爆弾の投下や、軌道上からの次元航行艦による艦砲射撃を行えば、惑星自体は壊れないかもしれないが地上はクレーターだらけ、穴だらけになってしまう。
焦土と化した地上を、それでも惑星が消滅してしまうよりはいいと考えられるだろうか。
バイオメカノイドを殺しても、その後に死骸は残る。しかもその死骸は金属の殻と毒性の強い化学物質を大量に含んでいる。
アルザスの地表で増殖したバイオメカノイドは、山岳地帯の岩盤に由来する炭酸カルシウムを大量に含み、水分と接触して激しく燃焼して炭酸ガスを撒き散らしていた。
フッ素を含まないのが幸いといえたかもしれないが、これによってバイオメカノイドの死骸を経由して大量の炭素がアルザスの地殻から大気に放出され、アルザス全域で異常気象が起こり始めていた。
雨が降れば、さらにバイオメカノイドからの炭酸ガス放出が加速する。
これを除去し、人間の生活に適した環境を復元するには大変に大量な作業が必要になる。
アルザスは比較的早くに次元世界連合に加入した世界であった。
元々惑星の地理的条件から、大都市は首都周辺の貿易港に限られ、ほとんどの住民は自然の中で、昔ながらの暮らしを続けてきていた。
また召喚魔法が発明され実用化されていたほぼ唯一の世界であり、希少技能保有者──レアスキルとは微妙に異なる──である召喚士の保護と技術継承の観点から、大掛かりな魔法技術の輸入も避けてきた経緯がある。
住民感情への配慮から、管理局はアルザスには大規模な戦力の配置を避けてきた。
ここにきてそれが裏目に出た形となった。
アルザスには管理世界でありながら管理局の目が届かない地域が多くあり、バイオメカノイドがまさにそこから出現してきたため、すべての対応が後手後手になってしまった。
クラナガンと違い、現地政府がバイオメカノイドの事実を詳しく知らなかったことも災いした。
少なくとも、首都の住民やアルザス政府の閣僚たちは、正体不明生物の出現を、単に野生の魔法生命体が山から里へ降りてきた事例だと当初は認識していた。
それが野生動物などではなく、異世界より現れたモンスターエイリアンであると認識したときにはもう遅かった。
管理局でもクラナガン宇宙港での緒戦の戦闘分析データを整理しきれておらず、バイオメカノイドに対する応戦方法がまだ組み立てられていなかった。
いずれにしろ、次元航行艦の到着が遅れた時点ですべては手遅れだったのかもしれない。
ヴァイスは武装局員に支給される防水防塵のミリタリーウォッチを見やり、時刻を確かめた。
午後5時を回り、日は暮れ始めている。
しかし気温は、日中よりも上がってきているように感じられる。
広がった雲が熱を溜め込み、また地表を埋め尽くしたバイオメカノイドたちが吐き出す炭酸カルシウムが水と反応して熱をさらに供給し続ける。
バイオメカノイドは変温動物の様相を呈し加熱による活動への影響が無いため、いったん熱を持ってしまうと際限なく排熱し続ける。
その熱量は、惑星全体の気温を上げるほどのものがあった。
軌道上からの観測で、バイオメカノイドはアルザスに生息する竜を狙ってやってきた可能性が高いと分析された。
アルザスでは、通常の生物よりもはるかに高出力のリンカーコアを持つ大型は虫類が生息しており、これを使役して戦闘に利用する召喚術が古くより研究されてきた。
召喚術は竜を使い魔に似た魔法生命体に変換して格納し、転送魔法を応用してこれを任意に実体化させる技術によって成り立つ。
使い魔の場合は死んだ個体への人工魂魄の注入によって作成され、能力は作成者の魔力によって上限が生じるが、魔法生命体へ変換された動物は生前の記憶を保ち、また使役者との自然言語による対話を用いて高度な制御が可能である。
魔法生命体への変換のためにはあらかじめ目的の動物を制圧する必要があるが、逆にそこさえクリアすれば使役者よりも大きな魔力を持った動物を召喚獣にすることも技術的には可能である。
召喚術では魔法生命体への変換作業を“契約”と呼び、その術式は通常の攻撃魔法に比べて非常に複雑である。
そのため召喚術を習得した魔導師、召喚士は非常に高度な専門職であるとされている。
キャロ・ル・ルシエは召喚士として類稀な才能を持ち、神職としての側面もあるアルザス文化圏においては当代きっての逸材といわれていた。
それゆえに、既存派閥との軋轢もあったと予想される。
草むらを踏みしめるブーツの音が聞こえて、キャロとヴァイスは後ろを振り返った。
管理局武装局員の略式軍装を着たギンガが、二人に向かって歩いてきていた。
ギンガの口から紡がれる言葉を、ヴァイスもキャロも既に予期していた。
こうなってしまっては、もはやとれる手段はそう多く残っていない。
第6管理世界アルザスを放棄、生存者を管理局艦に乗せて取り急ぎミッドチルダへ避難させる。
アルザスは元々人口がそれほど多くない世界なので、避難民を乗せるにはL級巡洋艦が3隻もあれば十分だろうということだ。
「沖合いに待機している空母への移送が完了したら私たちも撤退します。
ヴァイス陸曹、それまでの間あなたの班で周辺警戒をお願いします」
「了解です」
「念のため、避難民には防疫処置をとります」
「バイオメカノイドが紛れ込んでいないかを調べるんですか?」
「人間の体内に侵入していないとも限らないわ」
キャロの質問に、ギンガは顔を伏せて眉間の皺を隠した。
やりきれない無力感を、部下に当たり散らすなどもってのほかだ。
キャロにもまた、かねてより問題になっていた魔法生命体の異常増加を、管理局上層部に訴えかけても無視され続けてきたという事実があった。
自然保護隊にはその性格上、上層部に発言力を持つ幹部が少なかった。
タントやミラにしても、所詮は一介の現場隊員である。彼らが上に報告を提出しても、それが上の目に留まらなければ仕方がない。
もともと自分の担当ではなかったアルザスにおける魔法生命体の異常増加は、キャロがその事実に気づいたときには既に1年前の3倍近くにまで達していた。
生息している竜族に突然変異の個体や、異常な創傷を負って死んでいる個体が発見され、これらはいずれも死骸が酷く焼け焦げており、自然に存在する動物同士の戦闘で死んだものではないとみられていた。
何者かが──人間でなくてもたとえば宇宙怪獣かもしれない──、アルザスに侵略行為を行っていたことになる。
「調べるなら、遺体も余さず調べてください。人間だけじゃなく、動物も、竜もです」
鋭く、キャロはギンガを見上げる。
フリードはキャロの背負っているナップザックから顔を出して、低くうなるような鳴き声を発している。
「それは、もちろん──」
「竜も調べます。搬送する遺体の中に召喚術習得者がいればそれは運び出してはいけません。アルザスの外に持ち出したら、拡散を止められません」
「キャロちゃん」
ヴァイスが面を上げて、キャロの横顔をのぞく。
生まれ故郷のはずのこの世界に、彼女は何を思っているのだろうか。
この世界特有の禁忌を、キャロは知っている。そして、ミッドチルダの基準では対処できない事柄も、アルザスに限らずさまざまな世界には存在する。
そして今、管理局がアルザスでの事件に対処するために頼れる人間はキャロ一人だ。
他の住民は、ほぼ全滅してしまった。
離島などでバイオメカノイドの襲撃をかろうじて免れた小さな村落くらいしか残っていない。
管理局としてとれる作戦は、生き残った彼らを安全なほかの世界へ避難させることだ。
次元航行艦隊による殲滅作戦も、これほど大規模にバイオメカノイドが増殖してしまった状態では、惑星全域に艦を配置して一度に攻撃しなくてはならない。
物理的には可能でも、それだけの戦力を、いってみれば既に回復の見込みのない世界に割り振る事は、作戦立案上できない。
考えうるもっともコストのかからない作戦は、LZ級戦艦を1隻回航し、安全が確保できるじゅうぶんに離れた距離からアルカンシェルを撃つことである。
もしくは、旧時代の次元破壊弾道ミサイルを撃ち込むこともできる。ただしこれは質量兵器禁止の風潮が広がった現代ではとでもではないが不可能な戦法だ。
アルザス政府は管理局の作戦案に対し、嘆願書を添えて再検討を依頼する旨の親書を返送してきた。
自分たちの故郷が消滅してしまう悲しみは、理解できる。
しかし、これはアルザスだけの問題では済まない可能性が高い。
バイオメカノイドが次元断層から出現したということは、バイオメカノイドが虚数空間への次元潜行能力を持っているという証拠になる。
次元断層は宇宙のあちこちに暗礁のように点在し、自然に出現や消滅を繰り返すが、小さなものなら次元属性魔法によって作り出すこともできる。次元航行艦はとくに、魔力センサーによる探知を回避するために次元断層の中に隠れる事もある。
次元潜行は、単に航行するだけの艦船に比べて非常に高い精度での魔法制御が求められる。
バイオメカノイドは、次元間を自在に移動できる。
これが事実なら、バイオメカノイドはアルザスだけでなくミッドチルダやヴァイゼン、他のあらゆる次元世界に侵攻することが可能になる。
そしてもちろん、管理世界だけでなく管理外世界にも、魔法技術や次元間航行技術、外宇宙航行技術を持っていない管理外世界にも現れる可能性が生じる。
事実、バイオメカノイドが巣食う巨大要塞、インフィニティ・インフェルノは第97管理外世界に出現した。
大気圏外より日本列島に向かってくる未確認飛行物体が、既に発進していたE-767のレーダーに探知された。
目標の大まかなサイズや速度、進行方向を分析した後、未確認飛行物体に最も近い石川県にある航空自衛隊小松基地からただちにスクランブルが発令され、2機のF-15戦闘機が発進した。
早朝に墜落した宇宙戦艦と違い、こちらは自ら大気圏内に降下してきた。
おそらく、異星人の乗る別の艦で、墜落した艦の捜索にやってきたことが考えられる。
それでも念のため、戦闘機パイロットによる目視、またカメラによる光学撮影で確認する必要がある。
未確認飛行物体は大まかに見て細い楔のような形をしており、かねてより地球に来訪しているといわれていた異星人の宇宙船──ビュロー・シップに比べて、表面がごつごつしていて複雑な形状をしている。
大気圏内に降り、高度25キロメートルに達して速度はおよそ800km/hで未確認飛行物体は日本へ向け南下を開始した。
降下地点は日本とソ連のちょうど中間あたりの日本海上空で、このまま進んでいけば未確認飛行物体は南アルプスを縦断し、中部地方に達する。
その先には、宇宙戦艦が墜落した現場である海鳴市がある。
宇宙戦艦は何らかの手段でレーダー欺瞞や光学観測の妨害が可能であるとみられていた。
レーダーの反応はまるで雨雲を見ているように揺らぎ、あるいは透き通り、それが金属の固体であるような振る舞いを見せなかった。
過去、いわゆるUFOと呼ばれる飛行物体に対して戦闘機が向かっても捕捉できず翻弄されてしまうという事態は日本だけでなくアメリカを始めとした世界各国で何度も起きていた。
国によってはUFOに対し空対空ミサイルでの攻撃を試みたこともある。
しかし、UFOは全くそれを認めず、ミサイルは空を切って落ちてしまっていた。
今回、日本上空に現れた飛行物体が地球に訪れた異星人の乗り物であることがはっきりとわかっている。
これまでの接触事例から、宇宙戦艦側からの地球への攻撃はまずないとみられていた。
真に敵として対処するべきは、巨大無人機動要塞である。
地上からは小惑星のように見えていたそれは、全長100キロメートル、総質量30万ギガトン以上にも達する人工惑星のような物体だ。自由軌道をとって宇宙を遊弋し、進路上の惑星を侵略していくのである。
この巨大無人機動要塞から現れた戦闘メカは、異星人たちの母星にも出現し甚大な被害をもたらした。
はるかな何万光年もの宇宙を航海する技術をもつ異星人ですら対応しきれないほどの脅威である。
宇宙における危険な猛獣とも呼ぶべき存在だろうかと、対処を検討している内閣官僚たちは思っていた。
この現代における宇宙開発分野では、日本は特異な立ち位置である。
前世紀より宇宙空間の占領を拡大していったソ連、それに対抗してハイテク兵器を次々と作り出したアメリカと違い、日本は表向きには目立った宇宙兵器をつくることはできなかった。
少なくとも公式には戦争放棄を謳っている。
しかしそれは、戦わずに降参するという意味ではないことは、政府内の、特に若手の官僚たちには深く苦く思い募らせられていた。
その端緒となったのは、2005年の海鳴市での事件である。
この年は、史上初めて、日本が直接異星人の訪問を受けた年であった。
異星人たちは自分たちの世界から地球へやってきてしまった暴走兵器を破壊するため、現地政府──すなわち日本へ、便宜を図るよう依頼した。
彼らに協力していたのは日本人であった。
ただでさえ、中国香港やイギリスの工作員が多数潜伏し、防諜上のアキレス腱として内閣情報調査室を悩ませていた海鳴市である。
そこへきて異星人まで現れるとあっては、日本の、殊に自衛隊の面目が立たなくなってしまう。
西暦2005年12月24日、このときまでにJAXAおよび防衛省は運用する軍事偵察衛星、観測衛星を日本上空から退避させ、軌道平面上を見る方向へ移動させてカメラを構えていた。
さらに航空自衛隊と海上自衛隊により、近海の中国艦やソ連艦を追い払い、日本上空をクリアな状態にした。
この夜に起きるであろう出来事は、他のどこの国にも見せない。
日本だけが保有できる異星人とのコネクションを、わずかでもいいから入手する。
それがその当時の日本において急務であるとされた。
過去に起きていたいくつかの事件でも、日本ではいわゆるUFO研究というものを体系的に行ってこなかった。
所詮空想、幻覚の産物、絵空事である、という認識ももちろんあったが、それ以上に、世界の厄介な紛争ごとはすべてアメリカかソ連がやっているので対岸の火事であるという意識がぬけきっていなかった。
そんなところに現れたのが、ミッドチルダ人を自称する異星人と、そして彼らが操る次元航行艦の存在である。
彼らの出現は予期されていなかったか、あるいは示唆されていても無視されていた。
少なくとも日本においては本格的な異星人対策プロジェクトが走り出したのは2006年以降である。
2005年末、JAXAは海鳴市上空1200キロメートルの宇宙空間において巨大な重力場を観測した。
それは通常考えられる天体の質量に由来するものではないことが、観測データから示された。算出された重力場は、超新星爆発にさえ匹敵する規模でありながら、周辺の空間に与えた影響が極めて少なかった。
あたかも、爆発の衝撃波が異次元へ逃げていってしまったかのようであった。
異星人が用いたこの兵器に関する技術は最高機密に属する情報であり、地球へは知らされなかった。
しかし、日米はじめ各国の科学者たちが解析を試みた。
物理現象としては対消滅である。これはすぐに予想が立てられた。対消滅を起こすほどの反物質をどうやって作り出したのかはさておいても、予想されるエネルギー量が、非常に狭い範囲に集中して投入され、そしてその外には影響を及ぼさない。
距離による減衰以上に、エネルギーをあらかじめ決められた空間の範囲内に押しとどめる技術も用いられていることは明らかであった。
重力波が観測されたことから、異星人の持つこの兵器は異層次元制御技術を用いているとの見解が物理学者らから出された。
20世紀中ごろより提唱されてきたスーパー・ストリングス理論によれば、宇宙空間は通常人間が認識している3次元空間と1次元時間の他に素粒子以下の領域で丸め込まれた26次元の空間が存在する。
この次元にアクセスすることによって、まったくの真空からエネルギーを取り出すことが可能であるとされた。
現実的には当時の技術ではそれを再現できるだけの装置が作れなかったが、CERNが擁するLHCをはじめとして近年になって幾つも建造された大型加速器や、やはり異星人から入手した墜落した宇宙船を解析するなどして少しずつ装置の製造が行われてきた。
アメリカが開発したとされる新型戦闘機には異星人の技術が用いられている。
日本の情報収集能力ではその正体まではつかめていなかったが、今回の巨大宇宙船接近に伴い、新型戦闘機の実機が出撃しているとみられていた。
降下してきた宇宙戦艦は高度20キロメートルで日本列島上空へ侵入した。
通常であれば領空侵犯の対象となるが、今回は事情が異なる。F-15編隊は規定に従って宇宙戦艦を追尾する態勢に入る。宇宙戦艦は亜音速で飛んでいるので、ジェット戦闘機でも追跡が可能だ。
過去の事例では、大気圏内を衝撃波も起こさずマッハ10以上もの速度で飛ぶUFOが目撃されたりなどしていたが、少なくとも今回はそのような行動を見せる機体ではないことが信じられる。
「後方乱気流が感じられない」
F-15のパイロットは司令室へ報告した。
接近し、宇宙戦艦は目測で400メートル以上の大きさがあるように見える。
通常これほどの大きさの物体が飛行すれば、押しのけられた空気が強烈な乱流を生み出す。ジェット旅客機クラスの大きさでさえ、小型機を巻き込んで墜落させてしまうほどの気流が残る。
しかし、宇宙戦艦はF-15がその真後ろについても全く操縦に影響を及ぼさなかった。
何らかの手段で気流を制御し、航跡を残さずに飛行することができるようだ。
『MAD(軍事遭難信号)とIAD(国際航空遭難信号)を使用して警告を』
「了解、周波数を変えながら送る」
F-15から宇宙戦艦へ向け、領空侵犯警告が送られる。
もちろん、向こうがこちらの通信を受け取る手段を持っているとは限らない。
また何らかの信号が発信されていることを探知できたとしても、その意味するところを解せないだろう。
もし宇宙戦艦が地上への攻撃をしようとするならこちらもただちに応射しなくてはならない。
「目標は水平飛行を続けている」
『まもなく小牧のサイトに入る。管制を引き継ぐ』
「了解した、名古屋上空は晴れている、目標のシルエットはおそらく地上からも見えるはずだ」
『伝える』
高度20キロメートルを飛ぶ400メートルの大きさの物体であれば、地上からも肉眼で見える。
さらに南アルプスを越えるあたりで宇宙戦艦は高度を下げ始めた。
「下降する」
『確認した、現在セントレアと小牧は民間機の発着を止めている、支援機の発進を要請するか?』
「頼む」
『了解、追跡を続けてくれ』
降下に伴って速度はやや低下して760km/h程度になった。
宇宙戦艦はやや艦首を引き上げた姿勢で、毎秒50フィートほどのペースでゆっくりと降下していく。
降下開始からおよそ30秒後、宇宙戦艦は船体を左へ傾け、旋回を始めた。船体の軸線に対して艦尾側がまず外へ向き、それにつれて艦首が軌道の内側を向く。後尾翼式の航空機に近い動きをする。
「目標が旋回を始めた」
『予想軌道を算出する、少し待て』
宇宙戦艦に対し70メートルの距離をとり、後方と左真横にそれぞれF-15がついている。
相手の動きに対してぴったりと位置を合わせる。
未知の物体が接近すれば軍用機が迎え撃つのは異星人たちにとっても通用する常識であるかどうか、F-15に乗る2人のパイロットたちは宇宙戦艦の姿を注視する。
全体的なシルエットは旧来の水上艦艇のように見える。レールガンにも似た細い板状の砲身と、船体の中央やや後ろ寄りに配置された多数の針のような構造物はおそらくレーダーやセンサーだろう。
船体表面は光沢のある黒色に輝き、地球のいかなる軍艦や航空機とも異なる外見をしている。
『航空灯を使用して発光信号を送るプログラムを今からそちらの機に入力する。これで目標に知らせろ』
「向こうはモールスを?」
『大西洋に現れたミッドチルダ艦が米軍機に対しモールスらしきものを打ったそうだ、今向こうでも解析しているらしいが、通じる可能性はある。ミッドチルダの言語は英語に似ている』
「わかった、やってみる」
管制を引き継いだ小牧基地からF-15に向けデータが送られ、完了すると、主翼に取り付けられている航空灯を使って発光信号を打てるようになった。
モールス信号で簡単な文章を送ることができる。
宇宙戦艦が通信に電波を使用していない以上、F-15がもともと持っている通信設備では宇宙戦艦と交信することができない。
意思疎通をはかるためには機体を動かす身振りや、発光信号のやりとりが空中では使えることになる。
宇宙戦艦の左舷およそ70メートルまで接近し、F-15からモールス信号が送信された。文面は“Follow
me”に続けて方位、距離。可能であれば、小牧基地の滑走路へ誘導する。
この光を艦内から見ることができていれば、こちらからの交信を受け取れる可能性がある。
岐阜基地から発進してきたF-2が、誘導のために宇宙戦艦前方へ向かう。万が一の可能性を考えて対艦攻撃能力を持つF-2を使用する。
『返信はあるか』
「いまのところ無い」
F-15のパイロットは、少年時代にハリウッド映画で見た光景を思い浮かべていた。
地球に現れたUFOに対しアメリカのアパッチヘリコプターが投光機を使って交信を試みたが、UFOに乗っていたのは侵略エイリアンであり、ヘリは一瞬にして撃墜された。
風防に叩きつけられる空気の流れが見え、高度計はゆっくりと下降方向へ針を回している。降下速度は変わらず一定で、こちらも宇宙戦艦に合わせて旋回率を一定に保つ。
Gメーターは降下と旋回が釣り合ってほぼ1Gを示し、ある種異様なほどに機内は静穏に包まれている。
もし向こうが攻撃を行ってきても、この距離ではかわせない。
宇宙戦艦の照準装置が電波を使っているとは限らない。敵戦闘機や地上砲台のレーダー電波を検出するロックオン警告装置は役に立たないだろう。
レーザー砲やビーム砲などの武器であれば、こちらは脱出する猶予さえないかもしれない。現在使われている空対空ミサイルはあくまでも現在使われている戦闘機を撃墜するためのものでそれ以上の威力は無い。
戦闘機を落とすためには翼やエンジンなどを破壊して飛べなくすればいいわけで、たとえば機体を丸ごと粉々にしてしまうような大威力の弾頭は必要なく過剰性能である。
お互いに使用する機体のだいたいの耐久力がわかっているからこそ、威力は最小限に抑えられているのである。
しかし、もしかしたら異星人の使用している戦闘機はもっと防御力が高いかもしれない。とすれば必然的に、それを撃墜するための対空兵器も威力を高める必要がある。
そのような兵器で撃たれれば、地球の戦闘機は一瞬で蒸発させられることさえありうるのだ。
「ロールが戻る、再び直進降下に移るようだ」
『確認した、方位を報告しろ』
「方位1-8-0、真南へ向かっている。このままの速度なら──いや、待ってくれ降下率が上がっている、目標が大きく減速を始めた、いったん前方に出てから反転する」
『了解、距離を取り直せ』
「どうやらこちらの通信は受け入れられなかったようだ」
『まあ仕方ない。こちらでも捕捉した、このまま降りると目標は三河湾上空へ達する』
「海鳴市か」
『どうやらそのようだ。向こうは味方艦が墜落した場所をかなり正確に特定している』
「どうする、着陸するまで付き合うか?」
『念のためだ。給油機を準備しておく、そのまま待機しろ』
「了解」
F-15の機内燃料ではあと2時間程度の飛行が可能だ。
宇宙戦艦の速度ではあと数分で海鳴市上空に達するため、ただちに着陸するのであればそれを見届けてから小松基地へ帰投することが可能だが、もし上空にもうしばらくとどまるのであれば給油が必要になってくる。
小牧基地には救難機が主に配置されているため、実戦装備を持つ戦闘機はたとえば浜松や岐阜から向かう必要がある。
F-15の速度なら10分程度で射程距離に達することができる。
空中管制機は一旦瀬戸内海に移動して宇宙戦艦の追跡を続ける。
この時点で、ソ連空軍のTu-95偵察機がオホーツク海から日本列島の東海上を南下しつつあった。
通常の偵察飛行のコースであればこのまま日本南岸に達する。Tu-95が南回りで太平洋側から海鳴市にやってくる可能性が考えられ、航空自衛隊はこれへの対処も行う必要がある。
過去のスクランブルの事例から、Tu-95を陽動にして日本海側から別の機が現れる可能性があった。
その場合、使用される機材はミグである。
「背中を刺される事態にならなければいいが」
F-15のパイロットもその可能性は考慮している。
ソ連空軍では航続距離が非常に長いMiG-25SFR型の配備を進めており、これが現れた場合、ハバロフスクから日本南岸までマッハ3以上の超スピードで駆け抜けることができる。
『日本海の警戒は続けている、情報があれば知らせる』
原因が何であれ、日本側の注意が宇宙戦艦に引き付けられている間は、ソ連側にしてみれば日本に付け入る隙になる。
ソ連にとってはUFOへの対処と同時に、日本の防空能力を確かめることも行わなくてはならない。
ある意味でお互いの予想通りに、ソ連はハバロフスクにある防空軍基地からMiG-25SFRを発進させた。
水平離陸による単独大気圏離脱が可能な熱核ロケットの利点を生かし、領空外となる高度150キロメートルに一旦上昇してからの日本縦断を試みる。
ここまで上昇すると宇宙戦艦よりも高い高度まで達するため、機体を反転させて大きく背面ロールするような姿勢で再突入を行う。
再突入時の速度は5000km/h以上にも達し、これほどの速度を追うことのできる短距離AAMはない。
地球の戦闘機もこれほどの性能を持っているのだと異星人に見せつける意味もソ連では考えていた。
大気圏高層部、高度30キロメートル以下に達したところで航空自衛隊のE-767に探知される。
MiG-25SFR型による強行偵察はこれまでにも何度か行われたが、その機体特性から日本に大きく接近することはなく、沿岸から離れた海上を、その速度性能を見せつけるような飛び方をしていた。
しかし今回は、まっすぐ日本へ向かってきている。
その目標はひとつしかない。
現在、愛知県海鳴市上空にやってきている異星人の宇宙戦艦である。
『ソ連の“Starfox”が現れた、あと5分で追いつく』
「速いな」
『全速だ。機体が熔けてもおかしくない』
超音速飛行を行う戦闘機にとって最大の壁は、抵抗によって圧縮された空気が高熱を発生させて機体の構造材を熔かしてしまうことだ。
F-104などの第2世代機の頃からすでに、エンジンパワーにはまだ余裕があっても機体強度が耐えられないために最大速度が制限を受けるというケースはままあった。
そして実際の戦闘では亜音速域を使うことが多いとわかったため、世代が下るごとにエンジンの特性は最大速度よりも中間加速に重点が置かれていった。
『舞鶴の護衛隊群が捕捉している』
「海自さんに頼るしかないか」
宇宙戦艦は海鳴市の市街地を越え、今朝がたの墜落地点を発見したようだ。
ブルーシートで隠されているが、そこにある物体の大きさやシルエットを見れば、それが自分たちの仲間の艦であることは、異星人にはすぐわかるだろう。
「墜落した艦の乗組員はどうなっている」
『司令部の話ではイギリスのPMCが保護しているらしい、海鳴はもともとやっこさんの縄張りだ』
「交渉は俺たちが出張る話でもないということかな」
『ソ連機が彼らに対しどう出るかだ』
「発砲許可は」
『オーケーだ』
F-15のパイロットは操縦席のコンソールを操作し、主翼下に搭載したAAM-5空対空ミサイルのスイッチを入れる。
現在の航空自衛隊が装備する主力ミサイルだ。
「距離60マイル、まっすぐこちらに向かって突っ込んでくる──」
真正面から近づけば、侵入機側は迎撃ミサイルのロックオンを受けることは明白である。
ましてやMiG-25SFRは既に日本領空内に侵入している。この状態では警告なしで撃たれても文句は言えないことになる。
対空警戒レーダーに、ソ連機の影が映る。猛スピードだ。
音速で表現するならマッハ4を超えるほどだ。
これほどの速度で飛べば、まともに旋回などできないだろう。ソ連機といえど現代ではフライバイワイヤを採用しているが、操縦桿はフォースフィードバックによってほとんど動かせないほどに重くなり、水平尾翼も垂直尾翼もわずかしか動かせないはずだ。
少しでも進行方向がずれてしまえば、そのまま真っ直ぐ突き抜けるしかなくなる。
「距離40マイル、目標ロックオン──」
発射ボタンに指を置く。
この距離で向かい合いながら互いにミサイルを撃つなら、こちらは反転してフレアなどによる回避ができる。しかし向こうは動けない。速度が速すぎて、旋回による回避ができない。頭からミサイルに突っ込んでいくことになる。
撃つのか、撃たないのか。
空に上がる者同士に通じる、心の駆け引き。
──交差。
F-15は右へ、MiG-25SFRは左へそれぞれロールして離れる。
旋回したF-15の正面に、空中静止状態で徐々に高度を下げつつある宇宙戦艦の姿が見えてきた。
今日の海鳴市は晴れており、空中に静止する巨大な宇宙船の姿は地上の誰の目からもよく見えるだろう。
西の青い空に、白い針のようなきらめきが見えた。
対空レーダー上では、後方へ距離75マイル、右旋回で大きく離れて名古屋市上空を飛んでいるMiG-25SFRが映っている。
方位、速度──速度、3300km/h。鋭く右へターンし、こちらへ向かって分裂した影が飛んでくる。
ミサイル。
この距離で撃つなら、R-37だ。最大射程距離110キロメートル以上、最大速度はマッハ6にも達する。
どちらを狙って撃っているか──それは距離が近づき、指令誘導からアクティブホーミングに切り替わった時にわかる。
「ミサイル接近、ソ連機がミサイルを発射した」
『確認した、こちらが攻撃を受けた。反撃は可能だ』
「こちらに向けたかどうかがまだわからない」
管制室のオペレータがわずかに言葉を止める。
「宇宙戦艦を狙っているかもしれない」
『──わかった、着弾前に空中で迎撃しろ』
「了解──」
2機のF-15はそれぞれ宇宙戦艦の前後に付くように位置を取り、高度を下げてミサイルを見上げるように機首を向ける。
宇宙戦艦に対し地球のミサイルが有効であるかどうか──核ミサイルは、機動要塞にはダメージを与えた。
だとすれば、通常弾頭のミサイルも宇宙船にはダメージが与えられる可能性がある。
海鳴の山の斜面をなぞるように上昇に転じたF-15から、AAM-5空対空ミサイルが発射される。
距離、7マイル。R-37ミサイルのロケットモーターの炎をロックオンし、真下から突き上げるように命中する。AAM-5の機動性と命中精度は世界最高峰だ。戦闘機だけでなく、敵の発射した長距離高速ミサイルも迎撃できる。
空中に小さな炎と鉄の白い粒が散り、煙を吹きながらミサイルの残骸が散らばって落ちていく。
宇宙戦艦までの距離は1キロメートルを切っていた。
砲身が動くような様子は見られなかった。また、異星人の武器は地球のものと同じような火砲の類ではないかもしれない。
もし、異星人の宇宙戦艦と地球の戦闘機が交戦するような事態になればますます厄介なことになる。
「ソ連機は左へ旋回していく、こちらから離れていく」
『了解、小松基地の別部隊に追わせる。引き続き宇宙戦艦の上空直掩を続けてくれ。総理から直接の命令が下った。戦闘機を使用して異星人の宇宙船を護衛せよ──だ』
「日本国内に受け入れるということか」
『乗組員の身柄を引き渡さなくてはいけないからな。浜松の教導隊が来てくれるそうだ、例のド派手な“ストライカーズイーグル”でな。連中が到着したら一旦小牧に降りて給油してくれ』
「了解、海鳴市上空を旋回して待機する」
宇宙戦艦はまったく動揺するそぶりを見せず、ゆっくりと降下して、墜落した艦の上空50メートルに位置を取って停止した。
現場に待機していた空自救難ヘリの乗員と、イギリス特殊部隊の隊員たちが連絡を取っている。
やがて、宇宙戦艦から数名の乗組員が降りてきて、墜落艦の乗員が避難しているPMC訓練所へ案内されていった。
空中からは、山林の上に巨大な影を落として停泊する宇宙戦艦の姿がはっきりと見える。
晴れた昼間の日光を浴びて、船体が輝いて見える。金属素材は、おそらく宇宙空間での電磁波防御を考慮して非常に反射率を高く作られているのだろう。
地球の戦闘機は視認による発見を避けるため濃紺や灰色、黒色系の迷彩塗装が施されているが、これをそのまま宇宙へもっていけば太陽光線の直射によってあっという間に熱せられてしまうだろう。
MiG-25SFR型ではその対策として、旅客機やスペースシャトルのようなあざやかな白い機体色をしている。
巨大な船体が、空中に微動だにせず停止しているのはよく考えれば異様な光景だ。現在の地球では反重力の技術など無いし、あくまでもSFの中だけの概念とされている。
空中で静止するためには機体の重量を支えるだけの推力を常に真下へ噴射し続けるか、気球のような軽い素材で機体をつくることが必要だ。
しかし宇宙戦艦は、数万トンはあるであろう金属の船体をまるで空間に貼りついたかのように停止させている。
その存在がごく自然に風景に溶け込み、それでいて現在の地球の科学力を超越した技術水準を見せ付けている。
ソ連が撃ったミサイルは幸いにして打ち落とせたが、異星人たちは、地球人同士のこの行動を、果たしてどう受け取っただろうか。
自分たちに刃向かう蛮族の行いと受け取っただろうか。ミサイル攻撃が地球人の総意と取っただろうか。
その場合、今周辺にいる自分たちも、攻撃の機会をうかがっていると見られているだろうか。
宇宙戦艦は撃たれたミサイルに対して何の回避行動も防御行動もとらなかった。
それは被弾してもダメージはないということだったのか、それとも、地球人に対して武器を向けないという意志の表れなのか。
MiG-25SFRは再び加速して高度を上げ、日本側の追尾を振り切って大気圏外へ逃げていった。
この件に対しては外交ルートでのソ連への抗議が必要だろうが、それは自衛官である自分たちが口を出す領分ではない。
武器を搭載した異星人の宇宙戦艦を領土内に迎え、日本周辺は非常な緊張に包まれていた。
時空管理局本局では、第97管理外世界に派遣したヴォルフラムからの報告と、第6管理世界アルザスに対するバイオメカノイド急襲の報告を受けて、対策案を検討していた。
管理局に与えられた権限として、次元世界各国が保有する次元航行艦を必要に応じて徴発する事ができる。
組織の性質上、管理局に常時在籍する艦は比較的小型のものに限られ、攻撃力の高い戦艦や、外征能力を持った空母などは原則として各国海軍が独自に保有するものとなっている。
国際特務機関でありどの国家からも独立した組織を建前としている以上、管理局自身の戦力というものは各次元世界の話し合いによって厳密に管理され制限されている。
ただし、その話し合いの場においても最も発言力を持っているのは首席理事国たるミッドチルダであり、そこにヴァイゼン、アルザス、オルセアなどが続いている形となる。
リベルタは安全保障理事会には参加せず独自の防衛体制を提唱しており、またオルセアの場合は加盟そのものはしているが管理局による治安維持は受け入れないとしている。
管理局システムの構造的欠点として、出資額の大きい世界の発言力がどうしても大きくなり、他の世界の意見が引きずられてしまうということがかねてより言われてきた。
定期的に開催される公開意見陳述会ではミッドチルダといえどもあくまで1票の議決権しか持たないが、しかしミッドチルダには多くの多国籍企業が本社を構えており、彼らの経済活動によって成り立っている次元世界はミッドチルダの意向に逆らえないという問題がある。
ミッドチルダに不利な投票などをすれば、経済的、外交的さまざまなルートで圧力がかかる。
このため、管理局はミッドチルダの出先機関であり次元世界支配のための隠れ蓑であると、たびたび指摘されてきた。
オルセアが管理局体制に反対し、管理局部隊の駐留を認めていない原因である。
世界の規模自体は大きいため、周辺次元世界を巻き込んでオルセアは独自の経済圏を構築しようと目論んでいる。
これとは対照的に、リベルタやアルザスなどは元々地理的にミッドチルダに近く、古代ベルカ時代から隣国どうしとして同盟したり対立したりの歴史を重ねてきた。
ミッドチルダ陣営について世界統合を行おうとする意見は古くからあった。
アルザスもまたミッドチルダとヴァイゼンの勢力境界付近に位置し、ベルカ時代にもまたミッドチルダの勢力圏にたびたび入るなど歴史的には禍根が少なくない。
管理局が大規模な艦隊派遣を行うためには、ミッドチルダの協力が必要不可欠である。
各管理世界に派遣されている管理局所属艦はせいぜいが巡洋艦どまりで、アースラのように古いL級を近代化改装しながら使っている程度だ。
新型であるXV級も、クロノが乗るクラウディアを含む30隻程度以外は、建造されたほとんどがミッドチルダ海軍に優先的に納入されている。
また、対惑星攻撃を行える大型戦艦は管理局は保有していない。多数の艦載魔力戦闘機を搭載する空母も同様である。これらはその使用目的が正規戦争であるとされ、管理局の任務には過剰な装備であるとされた。
したがって、もし戦艦でなければ対処できない事件が起きた場合、管理局はミッドチルダから艦の貸与を受けて出撃することになる。
名目上は徴発という形をとるが、実のところ権力的にはミッドチルダの方が立場が強いものである。
ミッドチルダは、今後の対バイオメカノイド作戦を主体となって行いたい旨を管理局に対し申し立ててきた。
そこには、今回の一連の事件に深く関わっている企業であるアレクトロ・エナジーを庇おうとする姿勢がありありと見えていた。
アレクトロ・エナジーには、既に管理局執務官の捜査の手が入っている。
違法な生体魔力炉製造の疑いが持たれている。さらに、同社に対する破壊工作の捜査を行っていた執務官が不審死する事件が起きている。
これで疑うなという方が無理なものだ。
管理局もまた、保有する次元航行艦のエンジンはその多くがアレクトロ社製であり、もし同社によるメンテナンスや機材の導入を受けられなくなると、艦の維持ができなくなる可能性がある。
もしアレクトロ社に対し行政処分が下るにしても、業務を行う企業そのものは存続させなくてはならない。
そうでなければミッドチルダのみならず多くの管理世界でのインフラが大混乱をきたすことになる。
そのために、ミッドチルダは先陣を切って対バイオメカノイド作戦を展開し、その事後処理も含めて主導権を握ろうとしているのだ。
今回の事件はいってみればミッドチルダがその極秘プロジェクトにおいてミスを犯したことが原因の一つともいえる。
そして、その極秘プロジェクトが明るみに出てしまえば、管理局もまた堪えがたい大ダメージを負うことになる。
選抜執務官──エグゼキューターの存在は、これまでの管理局執務官の権限を大きく超える、まさに絶対君臨者とも呼べるものだ。
装備すべき兵器は次元航行艦さえも凌駕する威力を持ち、従来のように何百人もの武装隊を動員して捜査を行わなくとも、それ“一機”だけで、標的とした組織もしくは個人を抹殺することが可能になる。
その任務の性質上、エグゼキューターの持つ力とは単なる巨大な破壊力そのものではなく、それを隠密裏に、察知されることなく執行可能だということである。
エグゼキューターが必要とされる任務は、正規の手続きを経たものではない。
それはいうなれば、定期的に人間に降りかかる試練のようなものだ。
それをはねのけ打ち勝つことができれば、人間がさらに強くなっていく。
ロストロギアという形で人類の繁栄を妨げている超古代文明の軛を振り払うために、それは必要と考えられた。
選抜執務官になる者は、あえて言えばすでに人間を辞めた者である。
角を嵌められ、街に解き放たれた闘牛である。
それは人を襲うように仕向けられながら、最後は人に狩られる運命である。
従来の管理局システムに縛られない力の執行者として、エグゼキューターは次元世界を渡り歩いている。
ミッドチルダ政府は管理局に対し、LFA級戦艦2番艦「フューチャー」をアルザスへ派遣可能であると申し出た。
同級が搭載するアルカンシェルでバイオメカノイドを確実に殲滅可能であるし、また必要とあらば大気圏内で掃討作戦を行ってもよいという。
この事態に対し、ミッドチルダの軍事的プレゼンスを発揮する絶好の機会であるとミッドチルダは考えた。
LFA級の戦闘力を実戦で示せば、他の次元世界はミッドチルダ海軍による安全保障にさらなる期待を寄せるだろうということだ。
事実上、管理局を貶める意図のある発言である。
現在の管理局には次元世界の平和を守る実力がないと言っているのと同じだ。
それは誰もが口には出さずとも、8年前のJS事件以降薄々思っていたことである。
ジェイル・スカリエッティによるロストロギア「ゆりかご」の起動と浮上は、管理局、殊更にミッドチルダ地上本部の体制の古さと機能不全を浮き彫りにした。
ミッドチルダ側からの情報がなければ地上本部は動けなかった。現場に到着したのは管理局の次元航行艦隊と、ミッドチルダ海軍の沿岸警備艦隊である。
ミッドチルダ政府は既にゆりかごの戦闘力は現代艦を相手にしては脅威たりえないと分析を下しており、外洋に出ていた艦隊を呼び戻したりということはしなかった。
沿岸哨戒などで近海に待機していたXV級だけで対処可能であると判断され、管理局艦とともに軌道上へ向かったが、結果的には管理局──“海”であるが──に花を持たせる形で止めを譲った。
このような体たらくでは、レジアス・ゲイズが熱弁していた地上本部の強化などといっても当てにできないというのは正直な感触だ。
少なくとも地上の警備においては、ミッドチルダ陸軍による対処を行うべきであると、政府内では意見が強まった。
もし管理局が外洋警備をすべて行うと宣言したとしても、それは信用できないとミッドチルダが言えばそれまでである。
少なくとも海軍としては、シーレーンの防衛をすべて管理局に任せてしまうというのは、これもまた自らの存在意義を否定することだ。
管理局はあくまでも次元世界間の紛争調停をその職務として専念すべきであり、今回の事件はミッドチルダ海軍が対処するべき、あくまでもミッドチルダ国内における問題であると、ミッドチルダの大使は管理局に対し見解を述べた。
ゆえに、アルザスに向かうなら管理局部隊としてではなくミッドチルダ海軍としてということである。
リンディ・ハラオウンは第97管理外世界より時空管理局本局に召還され、査問会に出頭していた。
今回の事件の、“表向きの”発端となった、クロノ・ハラオウン一佐が指揮する次元航行艦クラウディアの独断行動に対してのものである。
管理局側からはリンディの他に、レティ・ロウラン軍令部総長、ラルゴ・キール名誉元帥、ミッドチルダ側からは国防省幹部、次元航行艦建造を請け負っている重工業企業重役、さらにアレクトロ・エナジーのシルフィ・テスタロッサ相談役が姿を見せていた。
居並ぶ面々を見渡し、これはまさにミッドチルダにおける軍産複合体のトップ会談がセッティングされたのだとレティは察していた。
伝説の三提督のひとりであるラルゴ・キールがこの場に呼ばれているのも、彼の権威を利用したいミッドチルダ大企業の意向が働いていることは想像に難くない。
特に宇宙開発において、魔法技術は必要不可欠である。
次元航行艦の建造技術を持つ企業は、それゆえに各国次元世界政府との結びつきが強く、ヴァイゼンのように政府が直轄する研究所や設計局を持ち、官民一体となって運営が行われているところもある。
次元世界においてトップレベルの技術力を持つミッドチルダは、その豊富な開発リソースを生かし、次元の海を制圧できる強力な艦の開発を進めていた。
それと同時に、惑星上などで運用する搭乗型機動兵器の開発を試行していた。
管理局がもくろんだ、次元世界に対する死刑執行人──エグゼキューターである。
ミッドチルダの野心、ともいうべき、管理局に成り代わって次元世界の警察の称号を名乗ろうという計画である。
また現代のミッドチルダはそれだけの国力──軍事力とそれを維持するための経済基盤、他次元世界への金融や情報技術をはじめとした外交基盤──を持ち、次元世界を事実上支配する事が可能だと信じられている。
それはミッドチルダが自称するだけではなく、ミッドチルダと国交を持つ次元世界の人々が実感として受け止めていることだ。
過去の戦乱時代でも、長年にわたって続いた戦争によって最終的に疲弊していったベルカをついに下したのはミッドチルダである。戦乱時代からの世界平定は、ミッドチルダが主導して行われている。
終戦直後はさすがに管理局構想に従う素振りを見せていたが、情勢が落ち着いてはや50年近くが経過し、分裂した次元世界は同盟や連合を重ねて二大陣営に分かれ、いよいよヴァイゼンとの軍拡競争が限界に達してきた様相である。
当初よりミッドチルダ周辺が次元世界内でも先駆けて勢力圏を拡大し、辺境世界であるオルセアやヴァイゼンは近代文明の発展が遅れていた側面があった。
現代でこそヴァイゼンは政府主導の強力な開発計画によって巨大なハイテク都市が建造されているが、辺境では古い時代のままの鉱山村も多く残り、またオルセアは依然として小都市ごとに分かれた国内民族勢力の内紛が続いている状態である。
このような情勢の中で、ミッドチルダによる世界支配が進んでいく事は国際的にみて非常に危険であると、ヴァイゼンならずとも思っているところだ。
「(ミッドチルダだけじゃない、ヴァイゼンの新興軍需企業の幹部たちも──ここまでくると13人委員会さながらね)」
この査問会の会場では念話は傍受結界が張られているため使えない。
レティは黙って胸の中で独白する。
現実に次元世界に存在した影の統治機構としては最高評議会があるが、こちらは表向きには、名前だけなら管理局の組織概要にも記載されて公表されている諮問機関であり、彼ら三人が脳髄だけの身体であるという実態を抜きにすれば真っ当な組織ではあった。
次元世界において都市伝説や陰謀論などの形で囁かれる、影で世界を支配している組織というものはさまざまな形態が喧伝されている。
特に有名なのは古代ベルカ時代から続く13の諸王の家柄が大企業や財閥を支配し、次元世界各国政府に影響力を持っているとするものである。
JS事件以降、聖王の存在が公表されたことでこの論はかなり勢いを増していた。
次元世界では最も広範に布教されている聖王教会は、それだけに各種陰謀論の題材にされやすい。
もっともレティたち管理局首脳部の人間からしてみれば、それもあながち全くの妄想とは言い切れないところがある。
現実問題として聖王教会は各地に伝わる古代ベルカ時代の伝承を取りまとめる考古学研究的な事業も行っており、特に発見されるロストロギアの多くは古代ベルカ時代に一旦復元されて稼動していたものも多いことから、分野によっては民間企業よりも解析が進んでいる。
聖王教会は次元世界によっては現地政府との結びつきが強い場合もあり、旧ベルカ領周辺の世界などでは教会出身の聖職者が閣僚として国家運営に携わっているケースもある。
実質的には、カリム・グラシアを筆頭とする聖王教会本部騎士団はミッドチルダに事実上黙認された独立国軍といえる。
第97管理外世界でいえばイタリア国内にあるバチカンのようなものだ。
「クラウディアは既に第97管理外世界に接触したのですか」
「敵戦艦を追ってイギリスに降下したとの報告が1時間前に」
「やはりハラオウン艦長は我々の計画を知った上での行動をとっていると思われます」
ラルゴ・キールは革椅子に深く腰掛け、管理局礼装のマントを羽織りなおしながらミッドチルダ官僚たちを見渡した。
「ミッドチルダ海軍隷下での作戦立案に無理があったのではないですかな」
官僚たちがわずかに目を曇らせる。
ラルゴ・キールは管理局参入前からミッドチルダ海軍の名提督として戦功を挙げており、ミッドチルダにとっては無碍に扱えない人物である。そのラルゴから指摘を受けては、ミッドチルダ側としても反論がしにくい。
「乗組員名簿を改めたのですが、現在クラウディア副長として配置されておりますウーノ・スカリエッティ三佐……彼女の出自と申しますか、人格面については問題は無いのですか」
沈黙から最初に口を開いたのは、今回集まっているミッドチルダ政府の者では最も若手になる、角眼鏡をかけた国務次官だった。
レティもラルゴも、かつてのJS事件の犯人グループの一員であったウーノをクラウディアに配置するにあたっては、対外的に問題が生じる可能性は承知していた。
いかに機械を組み込んだ戦闘機人とはいえ、意志を持った個人として扱われる以上その意志を100パーセント信用するということはできない。信用を得るためには、それまでの経歴や言動、交友関係などを審査にかける必要がある。
管理局内部での事務処理上は、ウーノもその審査をパスしたことになっている。
機動六課解散直前、ウーノを含む戦闘機人11名には、思考発生器のリプログラムが施されている。
一般的な人間の思考を再現できる、インテリジェントデバイスのAIに搭載されるものと同等の思考発生器に積み替えられているのだ。
ただし機人技術そのものが市民権を得たものではない以上、技術的な検証によって安全であると証明するには難しい面があるのも事実だ。
「クラウディアの全乗組員のパーソナルデータおよび経歴については先に提出した資料の通りとなります。
ウーノ・スカリエッティ三佐はミッドチルダクラナガン出身、新暦64年にミッレミリア士官学校を卒業し管理局へ入局しています。82年4月の艦隊編成替えに伴いクラウディアへ配属されました。家族はクラナガン湾岸区に父と妹の二人がいます」
各席の端末へデータを送り、レティがウーノの身分について述べる。
ウーノの家族とされる人間が存在するのは事実である。経歴もまた、それは現在のミッドチルダにおいて事実である。
それは戦闘機人技術の開発に協力した以上、ミッドチルダ側としても認めざるを得ないことだ。
「いずれにしろ、我々ミッドチルダの主導するエグゼキューター計画が非常な困難に直面しているのは事実です。特に惑星TUBOYにおけるバイオメカノイドの発見は、これが次元世界全体の危機に発展する危険性をはらんでいます」
「わがミッドチルダとしては海軍部隊による捜索を行い、クラウディアに対する事実確認をしたい意向です」
「クロノ・ハラオウン艦長以下クラウディア乗組員に対する処置は」
「クラウディアはわがミッドチルダ政府の指揮下にありました。したがってミッドチルダ国内法に基づく軍法会議を開く事になります──厳しい処分となる可能性は覚悟していただきたい」
別の高官が、右手を挙げて発言を求めた。
「ロウラン総長、先日第97管理外世界に派遣された管理局艦ですが、こちらはクラウディアに接触できたのですか。報告では、バイオメカノイドとの戦闘により被害甚大との事ですが」
「第97管理外世界、地球上空で敵バイオメカノイドとの戦闘が発生しました。クラウディアはわが方の艦『ヴォルフラム』に対し、バイオメカノイドの存在を全次元世界へ公表すべきとの声明を発しております。
またこの声明はオープンチャンネルによりミッドチルダ、ヴァイゼンの両艦隊にも送られました」
「全次元世界への公表……──」
ミッドチルダ国防省の高官たちが、椅子に背を沈めて唸る。テスタロッサ相談役も彼らを見やり、険しく眉間をつまんだ。
これはミッドチルダ側としては絶対に避けたい事態の一つだったはずだ。
もし、バイオメカノイドが惑星TUBOYから発生していることが知られ、惑星TUBOYにミッドチルダとヴァイゼンの軍艦、企業が向かっていたことが知られてしまった場合、この事件がミッドチルダに対する非難の口火になってしまう。
惑星TUBOYと、あえて含めてもクラナガン宇宙港での戦闘までで対処しきれていればまだ言い訳はできたかもしれない。
だがクラナガンがバイオメカノイドに襲撃され、しかも主要先進国のひとつであるアルザスがほとんどなすすべなく全滅してしまった現在では、これらの事実を公表すればミッドチルダの軍事力をもってしても対抗できない存在の証明をすることになってしまう。
そのような事態になれば、管理局だけでなく、ミッドチルダもまた次元世界連合における求心力を失う。
バイオメカノイドの脅威は想像以上である。
それでも政府内では、情勢に疎い者などはまだこれを単なる小型野生動物のように捉えている。魔導師によって対処が可能であると考えられている。
しかし実際は、単体での戦闘力のみならず圧倒的かつ爆発的に発生する物量によって、次元航行艦ですら応戦困難な場合さえある。
バイオメカノイドと戦うには、人間同士の戦争のようにはいかない。
人間を相手に想定した魔法では打撃力不足であり、ましてや交戦法規の縛りがある正規戦争のようにもいかない。
持てる火力の全てを投入してやっと勝負になるかどうかというものである。
しかもバイオメカノイドは人間のように逃げたり撤退したりなどしない。いったん前進を始めたら、殲滅されるか他に優先度の高い攻撃目標を見つけない限り、その命が尽きるまで攻撃をし続ける。
クラナガンでも、惑星TUBOYでも、アルザスでも、その津波のような圧力に、管理局部隊や次元世界正規軍はまさに押しつぶされてしまっていた。
ミッドチルダやヴァイゼンが配備している次元破壊兵器は、その性能、目的からそれが実際に使用されるときとは終末戦争であるとされてきた。
この兵器を使用してしまえば世界が滅んでしまう、だから反撃にこれを使用される可能性がある戦争を仕掛ける事はできない──というのが、現在の次元世界の軍事バランスである。
それがいかなる目的であれ、次元破壊兵器を実際に使ってしまうと互いに配備している兵器の量が減り、そうすればミッドチルダとヴァイゼンの間の軍事力の均衡が崩れてしまう危険がある。
だからこそミッドチルダはヴァイゼンと共同で惑星TUBOYに向かわざるを得なかったし、管理局設立以降100年近くにわたって続けてきた二党体制をここに至って放棄し、水面下で手を結ぶことになったのだ。
艦船搭載型と違い、地上基地や次元潜行艦から発射して射程距離内の目標宙域に直接弾体を転送する戦略級アルカンシェルの場合、危害半径はまさに天文学的範囲となる。
居住惑星を、その所属する恒星系ごと吹き飛ばせる。あるいは恒星中心核などに衝撃を与え核融合を狂わせて超新星爆発を誘発させたりなどといった事も行える。
かつての戦乱時代には、各国がこれら次元破壊兵器の実験をこぞって行い、各地に甚大な環境汚染をもたらした。
現在では、艦船搭載型アルカンシェルを除く次元破壊兵器の実戦使用および発射実験、技術供与や新規開発は軍事管理条約によって禁止されている。
しかしここに至り、その破滅兵器でなければバイオメカノイドに対抗できない可能性が出てきた。
アルザスに出現したバイオメカノイドは次元断層から現れ、わずか数時間で──戦略的には一瞬と表現してよいタイムスケールである──ひとつの惑星を埋め尽くしてしまった。
これに呼応するように、惑星TUBOY宙域で生存者の捜索救助を続けていたミッドチルダ艦隊の駆逐艦が、惑星TUBOY内部にさらなる重力場の出現を探知していた。
インフェルノが発進した後、惑星TUBOY表面に現れた火山活動のように見えた噴出物は、やがて溶岩ドームのような洞穴をつくり、それは惑星内部で製造されたバイオメカノイドの搬出口であった。
惑星自体が、あたかも卵を産むように無数の産卵口を表面に出し、バイオメカノイドが次々と生み出されていた。
惑星TUBOY表面に出現した大型バイオメカノイドは、トラクタービームを放って駆逐艦を引き寄せ始めた。
インフェルノ内部でヴォルフラムに向かって放たれたものと同じで、出力はさらに強く、効果範囲も広いものだった。駆逐艦隊のうち2隻が引き込まれ、惑星TUBOYに墜落した。
駆逐艦はインフェルノ浮上直後の戦闘で撃沈された艦の乗員救助を行っており、1000名以上が乗っていた。
やわらかい岩盤にめり込むように墜落した駆逐艦は船体を潰しながら地中へ貫通していき、崩れた土砂によって埋まってしまった。
かろうじてトラクタービームを逃れたほかの駆逐艦からは、惑星が艦を食べているようにさえ見えていた。
惑星TUBOYは、地中から噴出する火山ガスが表面を取り巻き、大気圏の厚さを急激に増しつつあった。
まさに生きた惑星、惑星サイズの巨大生命体であった。
バイオメカノイドと戦った人間は、それを身にしみて実感させられる。
ラルゴ・キールは、クロノの意向に結果的には沿う形になるが、次元世界全体への協力を呼びかけてバイオメカノイドに対処すべきであると提言した。
ミッドチルダ側の閣僚たちは戸惑いを隠せない。この事件の真実が明るみになれば批判を受けるのは自分たちである。そして少なくともクロノが命令違反を犯した事には変わりは無いのだから、それに対して管理局は償いをすべきであると答えた。
「このラルゴ・キールの頭でしたら幾らでも下げますが。しかし、これは我々だけの問題では収まりませんぞ」
「そこを何とか我々だけで」
「事実ですよ。事実から目を背けてはいけません」
ラルゴの言葉を、先ほどの角眼鏡の次官が継いだ。
ミッドチルダ閣僚たちも、さすがに言葉を詰まらせる。
形式的にはクロノの親族であり第97管理外世界にほぼ唯一、公式に派遣されていた総務統括官たるリンディを矢面に立たせての査問会の形をとっていたが、実質的にはミッドチルダと管理局は互いに脛に傷をつけてしまった格好となる。
ミッドチルダも管理局も、互いに出し抜こうとすればするほど泥沼にはまる。
面子にこだわっている場合ではなく、事実を説明し、対応するべきである。
「カワサキ次官、それではわが政府からも何人か首を差し出さねばならなくなるぞ」
「それほどの覚悟でこの計画を推進していたのではないですか、われわれは」
ミッドチルダ国務省で次元世界の新たな枠組みを模索している彼は、多国籍企業との癒着が指摘されがちなミッドチルダ政界において若い新風と期待されている。
管理局で人事部を統括していたことのあるレティは、国務省の一年生官僚だった頃から、彼──アンソニー・カワサキの活躍ぶりは聞いていた。
既存の権力を恐れず、また阿ることなく己を貫く、かつてのレジアス・ゲイズを思わせるような理想に燃える青年だった。
今ではミッドチルダ国務大臣も一目置く、ロジカルかつラジカルな新進気鋭の政治家に成長していた。
「自国の軍人さえ欺いたんです、もはや管理局だけに責任を押し付けて済む問題ではありません。ハラオウン統括官、われわれミッドチルダ政府としてはまず敵の詳細な情報を共有するべきと考えます。
また、第97管理外世界への正式な訪問、現地地球政府への交渉を開始する必要があります。そうなりますと、PT事件、闇の書事件の両方において地球に赴いたハラオウン統括官が適任です。
まず地球と次元世界連合の間で連絡が必要です、さしあたっては無限書庫司書長ユーノ・スクライア氏への面会許可を頂きたい」
「高町教導官、また八神司令の両名に顔が利く彼ならば、ということですか」
「無限書庫に保有されている第97管理外世界の情報を検索します。あちらも次元世界の一つである以上、過去に他の次元世界との行き来がなかったとは言い切れません」
「既にヴァイゼン艦隊のイリーナ・M・カザロワ少将が第97管理外世界に艦を降下させています。このまま地球とヴァイゼンが衝突すれば、必ずわがミッドチルダにも飛び火します」
カリブラ・エーレンフェストがトゥアレグ・ベルンハルトに質したように、第511観測指定世界に派遣された艦の乗組員のみならず、艦長さえもが惑星TUBOYの真実を知らされていなかった。
それだけが原因とは言い切れないが、惑星TUBOY地表での戦闘、およびインフィニティ・インフェルノとの戦闘で多数の戦死者を出し、艦が撃沈されている。
ミッドチルダもヴァイゼンも、艦隊司令であるベルンハルト、カザロワ以下、ごくわずかの司令部要員にしか情報を知らせていなかった。
そのような状態では、艦長は足りない情報を補う為、それぞれの裁量で独自の行動を取らなくてはならなくなる。
そうなれば、艦隊の統率が乱れ、落伍した艦などが艦隊の指揮を離れた状態で地球と接触してしまう可能性がある。
事実、ヴァイゼン所属の巡洋艦が1隻、地球に墜落し、イギリス特殊部隊によって乗員は保護されている。
ヴァイゼンが、独自に第97管理外世界と接触を持った。墜落した艦と、その救助に向かった艦を領土内に受け入れた日本は当然、ヴァイゼンとの接触を公式に発表するだろう。
そうなれば、これまで秘密裏に工作員を地球に滞在させていたミッドチルダは激しい非難を浴びる事になる。
敵戦艦が地球に向かっているのがわかっていたのなら、なぜもっと早く情報を公開せず、現地政府の協力を求める事もしなかったのか、また現地政府に脅威を報告する事もしなかったのか。
ミッドチルダにとってはまさに足元をすくわれた形となる。
この状態で、ただ管理局だけを糾弾して済む問題ではないというのはもはや明らかであった。
「わが管理局としては渡航封鎖が解かれ次第、ただちに執務官を第97管理外世界に派遣したいと考えています。
その任にはハラオウン統括官を充てたいと考えていますが──よろしいですね、カワサキ次官?」
「問題ありません」
「しかし、カワサキくん彼女は──」
「ハラオウン家に対する査察部の調査は行われております。思想、生活記録、交友関係など全てにおいて厳重なチェックを重ね、問題は報告されておりません」
リンディの本局への帰還直後、インフェルノの第97管理外世界への出現によって渡航が停止され、エイミィと二人の子供は海鳴市に残ったままである。
彼女たちがただちに地球の現地警察もしくは軍隊に拘束されるような事態はさすがにないとはみているが、それでも、リンディとしては不安になるのは致し方ない。
レティは眼鏡をなおし、再び面を上げた。
「クロノ・ハラオウン艦長については我々の方でも呼びかけを続けます。今回の彼の行動の真意をつかむ事が重要であると私は考えています」
テーブルの上で手を組み、シルフィ・テスタロッサがレティとリンディを順番に見やる。
彼女はアレクトロ・エナジーの創業時からのメンバーであり、定年退職後も相談役として経営陣に参加している。
フェイトの実母であるプレシア・テスタロッサとは特に血縁ではないが、同じアルトセイムの出身でありまた同じテスタロッサ姓ということで、アレクトロに勤めていた頃のプレシアとは面識があった。
「ロウラン総長、これは私どもの──わが社の意向でもあるのですが、現在管理局にて編成されているエグゼキューター部隊、こちらについては既にご存知で?でなければ、改めて組織概要をお渡ししたいと思いますが」
「レティ、それは──」
リンディは小声でレティに囁いた。
管理局の人事および組織編制を取りまとめるレティの立場なら、当然、新たに部署を立ち上げる際には届けが上がってくることになる。
普通なら、新たに編成された部隊である選抜執務官の存在を、レティは知っている事になる。
「把握しております。こちらも、我々で対策部署の手配を致します」
「わかりました。宜しくお願いします」
時間にしてほんの5、6秒のやりとり。
この中に、レティとシルフィの間で交わされたのは、互いにそれぞれの組織の黒いものを抱えているのだという事を確かめ合うものである。
レティはその立場上、公開非公開を問わず管理局のいかなる組織についても──その存在程度は──知っていなければならず、またシルフィも、アレクトロ社最高幹部として、エグゼキューター計画に基づいて同社が管理局に納入している機材を知っていなければならない。
それを知らないと言ってしまえば、互いにそれぞれの組織に対する背任となる。
一見、なにげない確認の言葉のやり取りに、丁寧なやわらかい言葉のやり取りに見えて、その中にこめられたのは互いの疚しさを握り合う恫喝である。
管理局は現在、実質上のトップが空席となってしまっている状態である。
レティや、故レジアス、またそれぞれの部門の事務長官はいるが、管理局は組織としては非常に権力が分散し、トップダウン構造を避けた体制となっている。
最高評議会を例外とし、中央集権を避ける事で、次元世界各国の政府指揮下にない軍事力の存在に対する批判をかわす狙いがあった。
言ってみれば、それぞれの部門の長は自分の下にある組織全ての責任を負っている事になる。
レティには、なのはやフェイト、はやて、リンディ、そして管理局で対処にあたる局員に対し、エグゼキューター計画について説明する義務がある。
そして、それをシルフィによって確認された事になる。
そしてそれは管理局だけでなく、ミッドチルダ政府にとっても同様である。
時空管理局本局の奥深く、厳重に隔離された実験モジュールの中で、マリエル・アテンザ技官の指揮の下、大規模クラスタードデバイスの構築作業が行われていた。
通常、魔法戦闘に用いられるデバイスを、高機能コンピュータとして使用するものである。
原理としてはマルチタスクと同じであり、多数のストレージデバイスを管制人格に接続し、スーパーコンピュータとして使用する。
電源供給ケーブルと魔力通信ケーブルを組み込んだラックに、3万台以上もの魔導書型デバイスが積み込まれ、接続されていく。
無限書庫も実装形態こそ違えどこれとほぼ同じ仕組みだ。ただし、その規模は無限書庫のほうがはるかに巨大である。
8年前、JS事件解決直後の時期、無限書庫司書長ユーノ・スクライアの提言により、カリム・グラシアのレアスキルである預言の解析を主目的としてこのスーパーコンピュータ開発計画はスタートしている。
ストレージデバイスは大量の魔法を溜め込む用途から特に大規模計算に適しているとされ、これを多数組み合わせて学術計算に用いるアイデアは古くからあった。
連結されたデバイスは8台または16台ごとのユニットにまとめられ、これを管制人格AIが制御し、モジュールとして複数をスイッチによって基幹バスに接続してクラスタを構成する。
現在、管理局が構築しているものは32768台のS8C型ストレージデバイスを広帯域の魔力回線にて接続し、550ZFlopsの計算能力を発揮可能としている。
デバイスの本質は超高性能コンピュータであり、打撃武器としての筐体や戦闘用魔法を発射する魔法陣はあくまでも単なる出力装置である。
その外部出力を省き、データストリームの処理に特化させることは実装変更の範疇である。
預言解析もさることながら、このクラスタードデバイスの上で走らせる検索魔法の開発も並行して行われていた。
自然言語で書かれたデータを直接分析することで、預言だけでなくあらゆる現象を分析できるようになる。
そして現在、取り組むべきはバイオメカノイドの正体と真実を解き明かすことである。
この未知の敵に対し、管理局は、ひいては人類は、どのように立ち向かい、戦えばいいのか。
そのためにはどんな武器が必要なのか。人間が作り出したコンピュータと魔法は、人間自身の能力を超えて動き始める。
ヴェロッサ・アコースは、実験モジュールを取り囲む真空断熱ブロックの窓に手を映し、冷却装置の轟音に包まれて静かに稼動し続ける巨獣の姿を見つめていた。
3万台ものデバイスを連結した大きさは、一辺の長さが20メートルもある。フロアは空調の効果を出すために広く作られ、その中央に鎮座する堅牢なラックはまるでSF映画の中の光景のように、それぞれのチップセットごとに色とりどりの魔力光を放っている。
いくら人間が訓練を積み、肉体を鍛えても、一人の魔導師が発揮できる魔力には限界がある。
そして、一人の魔導師が処理できる魔法の術式にも限界がある。
機械は、いくらでもその大きさを巨大化させられる。もし人間も肉体の縛りが無ければ、魔法生命体のように巨大なリンカーコアを持ち、巨大な魔力を行使できるようになれるだろう。
しかし、そうなった人間は、そのときかつての自分と現在の自分を、客観的に比較できる意識を保てているだろうか。
自分のレアスキルゆえに、人間の意識の限界をいやおうも無く見せつけられる。
思考操作はあくまでも出発点であり、もし強力な魔導師の脳を見てしまい、意識に飲み込まれたら、丁度仮想空間から出られなくなったハッカーのように、意識が永遠にさまよい続ける事になるだろう。
そして、今自分の目の前にあるクラスタードデバイスは、これまでに建造されたあらゆるデバイスをしのぐ処理能力を持ち、まさに化け物のような意識空間を持っている。
デバイスはあくまでもコンピュータ、機械であると一般的には見なされているが、ヴェロッサにはそれもまた人間と同じ意識を持ち、しかし人間とは隔絶したものごとのことわりを持っている存在なのだと思えていた。
足音を感じ、ヴェロッサはゆっくりと振り返る。
「気晴らしに休憩、ですか?」
はためく白衣に、空気が揺れる。
足音の主は、白衣のポケットに手を隠したまま、薄笑いを浮かべながらヴェロッサを見やっている。
「それもあるが、司書長殿が君をお呼びでね。私も、君の意見を聞きたいと思っていたのだよ」
「僕の、ですか。自分で言うのもなんですが僕はかなりの捻くれ者ですよ」
「ぜひお願いしたいね」
肩でため息をつき、ヴェロッサは苦笑した。
この男は、良くも悪くも鎖に繋がれていない。どんなときでも自由であろうとする。
それがこの男、ジェイル・スカリエッティをして稀代の天才科学者と謳われた所以だろう。
周囲との折り合いを気にしてしまうと、心は身動きが取れなくなる。
歴史上でも、後世に天才と語り継がれる人物はどこかネジが外れたような者ばかりだ。伝記小説などは非の打ちどころのない偉人、というような書き方をすることもあるが、それはあくまでもきれいごとである。
もし何百年か後、後世になって、ジェイル・スカリエッティの伝記が書かれたとしても、ゆりかごにまつわる記述はさらりと流されるだろう。
そしてそれは、今の自分たち自身がそうしようとしている。
本局内のレストルームで、ヴェロッサ、スカリエッティ、ユーノは集まっていた。
ユーノはここ数日ずっと本局内の個室にこもって完徹で業務を行っていたので、やや目元が青くなっている。
「おえら方の具合はどうなのかね。最近、ミッドチルダの部隊がこっぴどくやられて逃げ帰ってきたと聞いたが」
先行してミッドチルダへ帰還していた駆逐艦は生存者の引き揚げを行い、できる限りの報告を行っていた。
けして少なくはない戦力を投入したはずだが、それでも敵ははるかに強大であり、ミッドチルダ、ヴァイゼンとも多大な損害を被り、このまま補給なしでの第97管理外世界での作戦継続は厳しくなってきている。
ヴェロッサはいつものように、テーブルにチーズケーキの包みを広げた。
「実はそれです。ミッド政府とうち(管理局)の話し合いの結果、今回の事件の元凶──バイオメカノイドの存在を、次元世界連合および第97管理外世界へ情報公開を行うことが決まりました。
それで、我々にやってもらいたいのは分かっている限りの資料をとにかく手あたり次第集めてくれということだそうです」
「簡単に言ってくれるね。まあしかし、そういう方向だったら僕としては願ったり叶ったりだ。この件は管理局全体で取り組む必要がある」
「随分調子がいいな。ここに高町君がいなくて幸いだったね」
ヴェロッサはソファに背を沈めて姿勢を低くし、無精ひげにこけた頬で笑みを浮かべるユーノを不敵に見上げる。
バイオメカノイドとの戦闘によってミッドチルダや管理局の艦隊が大打撃を受け、しかも市街地での戦闘が発生したことで市民にも大勢の犠牲者が出ている。
こんな状況で、研究が解禁される、予算がたくさんつく、といったことを馬鹿正直に喜ぶそぶりを見せては、現場で戦っている人間にとっては怒りさえ覚えるだろう。
ヴェロッサと向い合せに座ったユーノの隣で、スカリエッティは相変わらずの調子でゆっくりと紅茶を啜っている。
「ところで、査察部の方では私には何か話はないのかね。ミッド政府のおえら方連中の喧々囂々具合だと、ウーノの身辺も突っ込まれているのではないのかね?」
「それについては僕らが良しと言えばそれで。彼女自身、家族が居るのは“嘘ではない”ですからね」
「しかしまあよくも探し出したものだ」
ふん、と鼻を鳴らし、スカリエッティはちびちびと紅茶のカップを口につけている。
「その様子だと、私の出自、テスタロッサ博士の出自についてもおおよその調べがついているのだろう」
JS事件の際、ヴェロッサは戦闘機人ウーノたちに思考捜査を行っている。
そこから得られた情報をもとに、管理局情報部では各地の次元世界において、アルハザードの由来にまつわる情報──これはスカリエッティ自身のルーツをたどることでもある──を集めていた。
かつての最高評議会が、どこからアルハザードの真実にたどり着き、スカリエッティを擁して戦闘機人計画を進めるに至ったのか。
スカリエッティ自身が自分の生まれについて詳しく知っているわけではないので、彼の出生当時──少なくとも180年は遡ることになる──に存在した組織でそのような研究を行っていた可能性のあるものを、資料を改めていかなくてはならない。
戦闘機人技術は、スカリエッティ以前のものはあくまでも部分的なサイボーグにとどまっていた。
人体を含めた生物の肉体は常に新陳代謝によって細胞が入れ替わるものであり、いったん埋め込んでしまうと自然消滅や再生成が起きない機械は、人体にとっては異物となってしまう。
スカリエッティが最高評議会に対して提出した研究報告は、人体の幹細胞を調整することで機械部品に対する拒絶反応を緩和するものだったが、これはあくまでも間に合わせの発想であった。
本来の戦闘機人技術とは、生命体と機械体の融合である。金属で出来た血肉、あるいはタンパク質でできた機械。それらを相互に互換可能とするのが目的である。
それはまさに、惑星TUBOYで発見されたバイオメカノイドそのものであった。
「ミッドチルダ政府は驚愕しただろう。自分たちが追い求めていたのがどれほど強大で、そして恐ろしいものであったのか。
神話や伝説などというのは往々にして人間の願望が入り込む。神というからには全知全能であるはずだというのは思い込みだ。実際には、それは非情で俗なものなのだよ」
現代のミッドチルダだけでなく、ゆりかごと聖王が持つレリックウェポン・システムをはじめ、古代ベルカなど様々な時代、世界で生命融合機械が研究されていたのは、それらが同じ一つの伝説を起源にした資料を基にしていたからである。
それが、次元世界人類がアルハザードと呼ぶ未知の次元世界であり、そしてそれは新暦83年の現代になって、第511観測指定世界『惑星TUBOY』として発見された。
伝承は、人から人へ伝わるうちに変化していく。何百年も、何世代もを重ねていけば、次第に抽象的に、おぼろげに変化していく。
アルハザードは、失われた数々の魔法技術が眠る場所とされていた。
そこに眠る技術を使えば、死んだ人間さえ蘇らせることができる。
また、生命、そして時間、さえあやつることも可能であるとされた。
たしかにアルハザード(とされる場所)には、魔法技術があった。現代の最先端魔法科学でも実現できていない数々の技術があった。
しかしそれは、おおよそ、人間に歓迎されるような代物でもなかった。
そこは、目指してはならない場所だったのかもしれない。
惑星TUBOYに眠る技術は、やがて人間を人間でなくしてしまうだろう。
戦闘機人技術が、アルハザードのオリジナルによって完全に実用化された場合、それは戦闘機人が子孫を残すことを可能にする。
現時点では、スバルとギンガの二人、またナンバーズ9名、彼女たちから産まれるのは普通の人間であり、その体内には機械部品などもちろん無い。受精卵がいくら細胞分裂してもできるのは普通の人体であり、機械部品は組み込めない。
しかし本来の戦闘機人から産まれてくるのは戦闘機人の赤ん坊である。生まれたときから機械が体内にあり──言い換えれば機械の肉体を持っており、機械部品も肉体と同様に成長していく。
外見以外は、もはやバイオメカノイドと全く同じ生態といえる、とスカリエッティは述べた。
「ナカジマさんにとっては、受け入れ難いことでしょうね」
「最高評議会の御三方にも同様に、だろうね。私の上げた報告の中でそれだけは却下されたよ」
結果として、スカリエッティは通常のサイボーグの延長上の形態を持たせてナンバーズを製造した。
試作した戦闘機人の素体も全て破棄し、それは完全に破壊されている。
スバルとギンガの二人──“タイプゼロ”を製造した組織の施設に管理局の捜査員が踏み込んだ時には、既に製造設備は破壊され失われていた。
生体融合機械を、これから新しく製造することは不可能になったと思われていた。
しかし、惑星TUBOYがあった。
そこには、今も生体融合機械たるバイオメカノイドが棲息し、外宇宙へ向けて動き出す準備を着々と整えていたのだ。
次元世界人類はそれを見つけてしまった。そして、目覚めさせてしまった。
確かにそれは危険なものだった。
だがそれならなぜ、人はアルハザードを目指していたのだろうか?
アルハザードについて研究を進めていく限り、たとえミッドチルダやカレドヴルフ社が手を出さなくても、いずれ惑星TUBOYは発見された。
そしてバイオメカノイドは次元世界人類の存在を知り、人類を絶滅させるために動き出しただろう。
仮にそのようなアルハザードの実態が伝承されていたとしたなら、絶対に手出ししてはならない禁断の世界、というふうになるはずだ。
どこかで伝承が変化したのか、それはもはやわからないが、少なくとも多くの冒険家が夢見るような理想郷でないことだけは確かだ。
「確かにPT事件以前にも、アルハザードを目指した魔導師はいました。それらの試みの多くは成果をあげることはできませんでしたが、いくつか、アルハザードを目指す手がかりは少しずつ得られていました」
「宇宙探査機#00511号の打ち上げとはどちらが早かったかな?」
「00511号は新暦75年の打ち上げです。丁度、機動六課が設立されていた年ですね」
「君は知っていたかね?」
「いいえ、その当時は特にこれといったニュースもありませんでしたので。宇宙開発に対する市民の関心も薄かったでしょう」
ヴェロッサの言葉に、ユーノは腕組みをして薄笑いを浮かべた。
実際はこの当時既に、高町なのはを含む管理局戦闘魔導師たちと、ユーノは距離をとり始めている。
「まあ、00511号を含む新暦75年の探査機打ち上げは、少なくとも学会では期待を持たれていたようだよ。ボイジャー台長もよく知っている」
ミッドチルダ国立天文台のクライス・ボイジャーは、ユーノと共に00511号の観測データ分析を行い、第511観測指定世界が発見される契機をつくった。
ボイジャーの観測と、ユーノの資料捜索で、ミッドチルダにおける外宇宙探査はここ数年でひそかに、そして大きく前進していた。
「ゆりかごのことだが」
ユーノの言葉を受けて、スカリエッティが口を開く。
彼自身、JS事件は自分の楽しみのためだったと言いきっている。
ゆりかごそれ単体で管理局やミッドチルダを制圧できるとは考えていなく、次元世界人類がいまだ知らないロストロギアの真実をもし人々が知ろうとするならこうなるのだということを知ってもらい、興味のある者たちの研究参加が増えれば幸いだと、言った。
是非はともかく、ゆりかごの復活と浮上は管理局のロストロギアに対する認識を大きく改めた。
あくまでも古代ベルカ時代の魔法アイテムというイメージだった従来のロストロギアに対し、その背後には現代の次元世界人類の技術水準をはるかにしのぐ、超古代先史文明が存在するのだという説が非常な現実味を持って浮上してきた。
管理局の古代遺物管理部──特に著名な機動六課以外にも一課から五課までのタスクフォースを持っている──は、ゆりかごの復活によって、それまで仮説の域にとどまっていた超古代文明の存在を確信したと報告していた。
ゆりかごは、古代ベルカ当時においてさえその全容が把握されていなかった。
確かに当時としては世界最強を誇る戦闘艦であり、多くの次元世界軍を撃破した歴史がある。純粋な戦闘力だけなら現代次元航行艦には譲ってしまうが、実際、JS事件当時に発揮した性能がそのすべてだというわけではない。
実際には、ゆりかごは生体融合機械を格納する輸送船のようなものだ。
そのため、武装は“自衛用の最低限のもの”しかなく、ガジェットドローンはあくまでも積み荷である。
搭載されるレリックは単なる動力源であり、それを聖王家が人体強化に転用しただけだ。
そして、レリックは古代ベルカ人が特に手を加えなくとも、発見されたそのままの状態で、人間を強化できる機能を持っていた。
すなわち、レリックを製造した文明は、この一見無機物のように見える魔力結晶を、生体融合機械に適応するように設計したということである。
彼らは、現代の一般的な人類──ホモ・サピエンスと同じ外見をしているとは限らないかもしれない。
それこそ本当に、バイオメカノイドのような種族だったのかもしれない。
超古代先史文明がなぜ滅びたのか、その正確な理由は分かっていない。
ただ、各地に残されている1万~2万年前の地層に含まれる物質を分析した結果、全宇宙規模の星間戦争が行われていた可能性が高いとみられていた。
ゆりかごが浮上する前ならば、それは神話に語り継がれるうちに描写が誇張されていった、おとぎ話のようなものと一笑に付されていたかもしれない。
しかし、JS事件によってそれがおとぎ話では済まない可能性が出てきた。
第97管理外世界にも、たとえばアトランティスやムー、ラーマーヤナなどの、いわゆる古代核戦争説を示す伝承は残っている。
当時の次元世界が、現代人の想像をはるかに超える科学技術を駆使し、宇宙戦争を行っていた可能性は否定できない。
「聖王家でも手を加えることができなかった部分がある。そこの分析を私のところではこれまで進めてきた──古代ベルカ人が、あの船を発掘して使い始める前のものをね」
「魔力残滓の分析で?」
「半減期が短すぎて使えない。放射性元素年代特定法では、1万4千プラスマイナス1500年という結果が出た。年代的には合致する。
第97管理外世界に伝わる伝承では、宇宙からやってきた神の船という記述を数多く見ることができる。これが我々の考える次元航行艦ではないとは、あながち言い切れないだろう」
「ゆりかごはかつて第97管理外世界にも進出したことがあると」
「可能性は高い。そして、聖王家が自分たちのクローニングに用いていた装置も、これも彼らが独自に開発したものではない。ゆりかごにもともと備わっていたものだ。
これは現代の技術をもってしても再現不可能だ。ゆえにロストロギアに該当した」
「解析、復元のめどは?」
ユーノの質問に、スカリエッティはテーブルに肘をついて口元を歪めた。
「できあがるものの“姿かたちにこだわらなければ”すぐにでも可能だ。何しろ現在稼働している現物が見つかったのだからね」
その言葉に、ユーノもヴェロッサも神妙に、見つめ合い沈黙する。
互いに向け合う表情に、現代の次元世界人類が恐るべき禁断の扉を開けてしまったという事実の実感がにじみ出ている。
聖王家が、生命操作のために用いていたレリックウェポンは、バイオメカノイドの製造システムと全く同じであった。ゆりかごに残されていたバイオメカノイドの孵卵器(インキュベーター)を、人間に転用したのだ。
「第511観測指定世界に、すでに準同型艦の存在が多数発見されている。
昨日、ミッドチルダ海軍のトゥアレグ・ベルンハルト少将の署名入りで正式な報告書が時空管理局本局に届いた。現在同世界において遭難者救助と惑星TUBOYの監視を行っている艦から、同惑星内部で多数の艦艇が発進し、そして建造されつつあることを観測した」
「アルザスを襲ったのも」
「おそらくその可能性が高い。彼らは惑星TUBOYの資源をほぼ使いつくし、新たなエネルギー補給の必要に迫られているはずだ。
今の状態では、どこの次元世界に突如出現してもおかしくない」
アルザス政府の依頼に基づき、ミッドチルダ海軍は空母機動部隊の出撃を決定した。
管理局からの、大規模な艦隊出撃はひかえてほしいという要請をおしての出撃となる。
戦略級次元破壊兵器の使用ができない以上、惑星全体に広がってしまったバイオメカノイドを掃討するには空母艦載機および艦載魔導師による航空攻撃しかない。
通常のタスクフォース8個艦隊に相当する、空母8隻および巡洋艦32隻、攻撃型次元潜行艦16隻の艦隊がアルザスに派遣されることになった。
この時点で、アルザスが完全にバイオメカノイドに覆われる前に対処することは不可能となり、ミッドチルダ艦隊の到着は年明けになるとミッドチルダはアルザスおよび管理局に通告した。
「選抜執務官にとってはまさに格好の事件だろう。旧来の防衛体制で対処が不可能な事件に対し、その力を誇示する。
ミッドチルダとしても本当に空母部隊をぶつけるつもりは無いのだろうね」
「アルザスの世界は」
「惑星自体は残るだろうが、はたして住めたものかね。テラフォーミングで環境を修復するよりも、そこで生存できるように遺伝子改良をした方が手っ取り早いと私は思うね」
いかにもスカリエッティらしい言い分である。
しばしため息をついて茶菓子に手をつけ、やがてヴェロッサの携帯電話が鳴った。
右手に通信ウインドウを出すと、次元航行艦隊司令部からの入電だった。
ヴェロッサとも顔なじみの、いつもの若い女オペレータの顔が映る。
「アコース査察官だ。どうしたんだい?」
「管理局近衛艦隊所属、ヴォルフラムより入電です。現在次元間航路を航行中、本局への到着予定時刻は明朝0730とのことです。
それから──、ヴォルフラム艦長八神はやて二佐が敵バイオメカノイドとの戦闘で負傷し意識不明の重体、シグナム一尉以下ヴォルケンリッター4名、全員──戦死と」
慄いた声色で、オペレータはヴォルフラムからの報告をヴェロッサに伝えた。
ユーノもスカリエッティも、報告の内容を理解し、神妙に通信ウインドウを見つめる。
「それは確かか」
「はい。指揮を代行しているエリー・スピードスター三佐からの報告です」
「わかった。レティ提督にもよろしく頼む。ご苦労様」
「はい──」
通信を閉じ、数秒ほど息を詰め、やがてゆっくりと吐き出す。
痛恨の損失である。
はやてとヴォルケンリッターは、元機動六課メンバーの中では最大の戦力であった。
なのはとフェイトの二人もかなりのものだが、単独での総合戦闘能力でははやてが群を抜いていた。
襲い来るであろう大量のバイオメカノイドを相手にして、はやての広域殲滅魔法が大きな力になると見込まれていたが、その選択肢は使えなくなってしまった。
「──マリーに連絡だ。クラスタードデバイスで闇の書の解析作業を再開する」
ユーノは腕を組んで口元を隠し、眼鏡の奥で眼光をきらめかせた。
「八神二佐以外にも夜天の書を使えるようにするのかね?」
「守護騎士システムの再起動をする。デバイスとしての能力はこちらのものが闇の書を超える。はやてには悪いが──これはチャンスだ」
夜天の書は、現在はやてが持ち、ヴォルフラムに搭載されている。
しかしすでに、はやての協力によって大半のデータをバックアップすることに成功していた。
データそのものはコンパイルされた機械語の術式プログラムだが、それを走らせるための実行環境はほぼ組み上げられている。あとは実際にプログラムを走らせ、起動することを確認すればよい。
「術式の読み込みは5分でできる。必要ならヴォルフラムが到着してから人工魂魄のリッピングとデクリプトを行いデータを吸い出す」
本来の守護騎士システムは、魔法によって作成されたプログラム生命体であり、そのプログラムが走るハードウェアさえ無事ならば何体でも作り出せる。
もちろん4体だけとはいわない。魔力さえ供給できるのならコピーを取ることもできる。
闇の書の破壊に伴い、再生能力を失いつつあったヴォルケンリッターだが、今、それを新たに再構築することが可能になった。
そのデバイスは管理局が新たに建造したものである。
ユーノが提案したクラスタードデバイスシステムは、闇の書を超える大型大容量デバイスをつくり、闇の書に備わった独自の機能を現代の技術で再現することを目標にしている。
再現が可能になれば、それは失われた技術ではなくなり、闇の書はロストロギアではなくなることになる。
そして同時に、闇の書が幾千年にもわたって続けてきた次元の旅の過程で得られた、ロストロギアをこの世に遺した超古代先史文明の手がかり──それをも、入手することができるだろう。
管理局の技術者たちが点検をしている実験モジュールのフロアの中には、数えてきっかり3万2千7百6十8冊もの魔導書が収められて巨大なスーパーコンピュータークラスターが構成され、それは闇の書に生まれ変わる。
第97管理外世界から虚数空間へ移動したヴォルフラムは、本局まであと10時間で到着可能な位置までたどり着いていた。
バイオメカノイドによる追尾もなく、ひとまずは無事に帰れそうである。
当直に立っていたルキノに、医務室からの緊急コールが届いた。
「こちら発令所、モモさんどうしました?」
「大至急、副長をお願いします!艦長が、八神艦長が──!」
切迫したモモの声に、ルキノは胸が絞まり、全身から血の気が引くのを感じ取った。
「わかりました、すぐに向かいます!ポルテ、副長を起こしてください!緊急事態です!」
「は、はいっ!」
フェイトとともに医務室に向かったエリーは、装置に立てられた治療ポットを見た。
5台のポットには、はやてと、ヴォルケンリッターたちが入っていたはずである。
「これは……」
そこには、空のポットがあった。
左端に、はやてが入った小さなポットがある。
しかし、残りの4台のポットには、何も入っていなかった。
透明な魔力溶液だけが、静かに揺れていた。
何も無かったわけではない。ヴォルケンリッターたちが着ていた管理局制服──騎士甲冑を装着したまま意識を失ったため脱がせることができなかった──が、服だけの状態でポットの中で揺られていた。
これが示す状況とは、ヴォルケンリッターの肉体が完全に消滅してしまったということである。
ヴィータが入っていたはずのポットには、うさぎのぬいぐるみが縫い付けられた帽子が、ポットの底に沈んでいた。
フェイトは言葉を失い、ひざが崩れて、その場にへたり込んでしまった。
何度も死線をくぐってきた戦友であった。かけがえの無い人間であった。
消えてしまった。
死んだ──そう表現していいのかわからない。
彼女たちは、人間になりつつあったはずだ。人間と同じように、言葉を交わし、心を通じることができた。
共に笑い、共に訓練し、共に戦ってきた。
それは人間であったはずだった。
「そんなっ……モモ軍医、いったいどうして、凍結できていたはずじゃ……」
「わかりませんっ、ほんの、ほんの1分もしてないんです、消毒薬の片づけをしてて、それでふと見たら──」
「──フェイトさん、見てください。ポットには誰も触れていません、スイッチは入ったままです。生命維持装置は動き続けています」
「じゃあっ、どうして」
「──考えられるとすれば」
言いかけて、エリーは言葉をつぐんだ。
これはそのままフェイトには言えない。
考えられる可能性としては、はやてが自ら守護騎士システムをシャットダウンしたということである。
守護騎士がその行動に支障をきたすほどの重大な損傷を受けた場合、プログラム生命体は肉体を新たにつくりなおすことが可能である。
実際、過去の闇の書として活動していた時代にはそれはごく当たり前に行われていた。
人間の魔導師なら不可能である、帰還を前提としない特攻作戦を行い、肉体が破壊されても、主の魔力があるかぎり何度でも復活できる。
そういう戦い方を、過去のヴォルケンリッターたちは経験している。
しかし、闇の書事件によってその機能は失われたはずだった。
今のヴォルケンリッターは、その外見とおおよその肉体は、人間と変わらなくなってきているはずだった。
それでも、目の前で起きたことは事実である。
「──定時報告の時間です。本局へ報告を──殉職者を4名、追加します」
エリーが重く告げる。フェイトは何も言えなかった。
治療ポットの中で魔力溶液が揺れる、かすかな水音だけが、ヴォルフラムの医務室に漂っていた。
エリーははやてのメディカルチェックをやり直すようモモに言い、報告書の再作成に取り掛かった。
はやての容態は今のところ安定しており、リンカーコアの出力はやや回復している。
それが肉体の治癒によるものか、ヴォルケンリッターの存在を維持するための負荷がなくなったからなのか──は、はやてのみぞ知るところである。
治療ポットのカプセルの表面をそっとなで、エリーは胸の中ではやてに呼びかけた。
意識を失っている状態では念話も通じない。そっと、はやての貌を見つめる。
ここからどう、立ち上がるか。
バイオメカノイドは、肉体なしにリンカーコアのみで生きる可能性を自分たちに示した。バイオメカノイドの声を聞いたのは、エリーとはやての二人だけである。
この状態からどうやって命をつないでいくか、はやてならどう考えるだろうか──エリーは、胸の詰まる思いだった。
管理局に勤め、戦闘魔導師として前線に出る人間で、その時が来ることを考えない者などいない。
毒吐きのスピードスターとあだ名されたこともある、裏腹に心に仮面を被っていた自分を、はやては気にせず迎えてくれた。
忌憚なく、腹を割って話し合える友人だった。
2つ違いの後輩だったはやてを、ずっとずっと見ていた。
それなのに、今、考えを思い浮かべることができない。
心が通じるなどというのは幻想だったのか。うわべだけの関係だったのか。
そんなことはない、と、強く想う。
八神家のパーティーの思い出、士官学校の同期会で遊び明かした夜の思い出。同じ寮の部屋で、寝食を共にした思い出。毎晩、消灯時間になるまでずっと勉強していた。
ずっと、はやてを見ていた。
今ここから、どうやって、よみがえる。
はやては絶対にあきらめていない。
夜天の書は健在である。新たな主を探して転生を始める気配は無い。
はやてはまだ、生きている。
そして、守護騎士システムも、生き続けている。
それは希望であると同時に、生きようとする意志がときに死よりも恐ろしいものを生み出してしまうという現実を、この世に見出しつつあった。
ヴォルフラムからの報告を受けて、管理局ではクラスタードデバイスによる闇の書復元プログラムを起動させる。
次元世界人類が建造した史上最大の儀式魔法である。
これを使えば、はやての命を救い、シグナムやヴィータたちの命をよみがえらせることができる。そして、バイオメカノイドに打ち勝つ事ができるだろう。
しかしそのとき、人間が人間の姿を保っている保証は、無い。