■ 15
その飛行物体が地球上空7万キロメートルを切った時点で、北海にいるミッドチルダ艦隊XJR級の魔力センサーに探知された。
探知した時点での速度は秒速200キロメートル以上、そこからさらに大きく減速しつつあり大気圏突入姿勢をとっている。
巨大な魔力反応が検出され、推定される魔力量は400億と計測された。
艦隊主要打撃力として船体サイズの割に強力な魔力炉を積むXJR級の、なお2倍以上の出力がある。もちろん生身の魔導師とは比べるまでもない。
脅威度の非常に高い目標の接近を探知し、大ダコが頭部をもたげて射撃体勢に入った。
ビットが周囲をせわしなく動き回り始め、上空へプラズマ砲の照準を向ける。
上空からほぼ真っ逆さまに突っ込んでくる飛行物体の様子は、ほどなくザクセン級およびトライトン級にも探知された。
偵察飛行中のMiG-35、Su-47、MiG-25SFR、X-62の各国戦闘機はいったん海域を離脱して距離をとる。
X-62による光学超望遠撮影で、突入してきた飛行物体が変形して戦闘機型から人型になる様子が認められた。
背部のブースターユニットから激しく炎を吹き、成層圏の高さいっぱいを使って減速する。これは炎は吹いているがロケットエンジンのような反動推進ではなく、異星人たちが使う飛行魔法と呼ばれる重力制御技術である。
これによって異星人の艦艇は外宇宙航行能力と、大気圏内での浮遊能力を獲得している。さらに通常の戦闘機では不可能な高G機動も実現する。
冬の宵闇を切り裂くように、北海上空に光の矢が走る。
大ダコの真上を占位した人型ロボット──エグゼキューターは、ただちに攻撃態勢を取った。
さらに、クラウディアへ通信を送る。
クラウディアが使用する回線の周波数を知っているのである。
「人型ロボットから念話が発せられています──」
クラウディアの通信士は、ヘッドセットを押さえながら振り返ってクロノを見上げた。
目の前にいるロボットは、正しく機械仕掛けの人形であり、血の通っていない無慈悲な戦闘マシーンであったはずだ。
それが、人間に対話を試みようとする姿勢を見せている。
「繋げ」
「はっ、はい」
クロノは短く命令し、通信士はコンソールを操作して受信モードに切り替え、スピーカーにチューナーをつないで周波数をセットする。
「地球艦もこれを見ています」
ウーノが横から念を押す。
この人型ロボットの来襲は、地球にとっては待ちに待った増援となるだろう。何しろ自分たちが何十年もかけてやっと少しずつ解明してきたオーバーテクノロジーの塊が、完全に稼動した状態で目の前に現れたのだから。
それが自分たちに味方してくれるか敵対するかなど、この際どうでもいい。
力を欲する人間の欲望は限りない。
それは地球人類であっても次元世界人類であっても変わらない。
「人型物体──っいえ、エグゼキューターより本艦に向けて通信です!『60秒後に攻撃を開始する、ただちに退避せよ』と!」
「艦長」
通信士が半ば叫ぶようにして電文を読み上げる。
あれはロボットなのか。コンピュータによって操られる、人工知能なのか。それとも、パイロットが乗っているのか。人間が乗って操縦しているのか
カレドヴルフ社が惑星TUBOY地表で鹵獲しクラナガン宇宙港で破壊された同型機の場合には、コクピットブロックそのものは搭載されていたが、内部は無人であり、おおよそ人間が乗れるサイズではなかったという。
「よろしい。砲撃態勢解除、面舵一杯艦回頭180度。ドイツザクセン級を援護しつつ大ダコとの距離をとれ」
「面舵一杯、アイ!」
クロノの命令を復唱し、クラウディアの操舵手は舵を右へ切る。
艦尾ノズルから魔力光を吹き、クラウディアが旋回していく。
それを見届けるように、エグゼキューターはゆっくりと降下を始め、やがて大ダコの真上、300メートルほどの高度で静止した。
大ダコは上空のエグゼキューターに向けてプラズマ弾と小型レーザーを撃つが、そのほとんどはエグゼキューターが機体周囲に展開しているバリアのようなものに弾かれ、上空へ散らばっていっている。
エグゼキューターと大ダコの戦闘の様子は、地球艦からも目撃されている。
「間違いありません、あれはわがイギリスが発掘したロボットです。同じ型の機体です」
タイフーンIIIからの映像を受け取ったトライトン級イージス艦『アローヘッド』CICでは、艦長以下幹部乗員たちがテレビモニターに映し出されたエグゼキューターの姿を食い入るように見つめていた。
レールガンによって大ダコの射程外から攻撃を行えるアローヘッドは距離160キロメートルを保ったまま、水平線の向こうへ曲射砲撃を行っている。
ICBMにも匹敵する弾速で飛ぶ艦載型レールガンは、通常の艦砲に比べてかなり低い弾道で飛び、目標にはほぼ真横から当たる。
大ダコが被っている肉塊はある程度の衝撃を受けるとちぎれてしまい、防御力を失うようだった。
少なくとも21世紀の現代でも、ロボット、特に人型となるとまだまだサイエンスフィクションの領域を出ないものである。
まず、介護用などの民生向けであれば意味がある人型も、戦闘機械として考えた場合は無駄が多すぎる。
手足が長くても武器がたくさん持てるわけでもなく、関節部が多いということはそれだけ脆弱な駆動機構が露出することになり防御面で不利である。
また2本の足で直立する姿勢は、車両型などに比べて前方投影面積が大きく被弾率も高まる。
しかし、あのロボット──エグゼキューターは、そんなある意味では低レベルな技術的問題などまったく意に介さないような圧倒的な性能を見せ付けている。
防御力にしても、厚い金属板や強化炭素繊維などを使った装甲に頼らなくても、エネルギーフィールドを張ることで砲弾でもミサイルでもレーザーでもビームでも防げる。
エネルギーフィールドにより、構造強度をも増すことができる。それは機体の軽量化と、駆動機構の柔軟性を高める。
また軽量な機体に大推力のブースターを組み合わせ、慣性制御装置が搭載されているので従来の戦闘用航空機のような荷重制限(現代の最新ジェット戦闘機で12~18G程度)もない。
さらに、人型のプロポーションは人間が操縦する場合、神経接続で肉体を繋ぎ替えることで複雑なレバーやスイッチなどを不要にする。
計器類も必要ない。操縦に必要な情報は随時、パイロットの視覚野に投影される。
真っ当に研究しようとすれば、人道的、倫理的問題などからとてもではないが実現は不可能だと、これまで考えられていた数々の技術を、エグゼキューターは実物を──開発者からしてみればお手本という形で──目の前に見せてくれる。
「電磁波ノイズ増大、レーダー画像が乱れます」
「おそらく攻撃を始めるつもりだ、甲板員は艦内に退避!消磁回路作動、レーダー素子は耐電磁波防御措置を取れ」
「了解」
これほど離れた距離でも、指向性の高い強力な電波を浴びれば電子機器が破損する恐れがある。
それでなくても軍事用レーダーの電波は直撃すれば人体を焼き上げてしまうほどの出力がある。
「レールガン発砲停止。しばらくあちらさんに任せるぞ」
アローヘッド艦長が艦首砲塔へ指示を出した7秒後、水平線上に雷鳴のような閃光が走った。
大ダコの北側で隊列を単縦陣に組み替えていたミッドチルダ艦隊XJR級は、大ダコの真上に位置したエグゼキューターがその機体の表面全体から強烈な電撃を放つのを目撃した。
高い電荷によって空気はイオン化し、酸素と窒素、それからアルゴンガスがそれぞれの原子に特有の蛍光を発して励起される様子が見える。
細い稲妻のようなものが全周囲に放たれ、海面に触れるとそこの海水が爆発して弾ける。
稲妻に絡め取られた大ダコ表面の肉塊が、体内の水分が沸騰するように弾けて破裂し、中身の体液を蒸気と共に撒き散らしながら飛び散る。
大ダコはたまらず水中へ潜ろうとするが、それでも電撃は水中にまで飛び込み、海水ごと爆発させる。
「“ゼクター・サイクロード”……と、空間内の粒子をいちどに励起させる、電撃・粒子複合属性の広域殲滅魔法ですね」
クラウディア艦橋で、ウーノが分析結果をコンソールからスクリーンに転送する。
エグゼキューターの機体全体から放射される電撃は、ただの雷や電撃魔法とは違って電磁気力を直接空間に投入している。
これを放たれると、効果範囲内にある物体はどこにも隠れられない。
空間そのもののエネルギー量が瞬時に増大するので、空気、あるいは海水、もしくは真空であっても、対生成・対消滅サイクルが加速されてエネルギーがあふれ出す。
特に大気中の魔力素をいちどに攻撃力に変換するという点で、非常な威力を発揮する。
大ダコがひるんだ隙にXJR級、トライトン級からの砲撃が殺到し、大ダコ頭部の周囲を旋回していたビットが5基すべて破壊された。
肉塊もほとんどが剥がれ落ち、大ダコはもはや丸裸である。
エグゼキューターはさらに降下して大ダコの頭部に着地すると、右脚脛部のウェポンラックからハンドガンを取り出した。
この銃はクラナガン中央第4区での戦闘でも使用された、7.62ミリ劣化ウラン弾を撃てる携行型レールガンである。
加速レールの長さは16インチ、砲口初速は秒速90キロメートル以上に達し、非常な貫通力と、目標内部での弾頭変形による破壊力を併せ持つ。
両足を広げて踏ん張り、ハンドガンを大ダコの頭部に当ててゼロ距離射撃を撃ち込む。
発砲と同時に大ダコの頭部が瞬間的に膨れるように脈打ち、体内に突入した大重量ウランの弾丸が暴れまわっているのがわかる。
この種の弾丸はいわゆるホローポイント弾と呼ばれ、目標内部に突入すると抵抗で弾頭がつぶれ、ランダムな軌道を描きながら目標内部を抉って進む性質を持つ。
この特性から、特に大型生物に対して有効であり、体内の広範囲にわたって肉を引き裂く効果がある。
通常のフルメタルジャケット弾が単に肉体を突き抜けるだけなら、体内には一直線の孔が開くだけだが、ホローポイント弾は肉体表面には銃弾と同じ大きさの孔が開くだけだが体内では非常に広範囲の肉や体組織が引きずられ、ちぎられる。
それこそ7.62ミリ口径の機関砲であれば、人間用の銃器であれば対戦車ライフルに匹敵する大きさの弾丸であり、これで撃たれれば人間など一撃で肉塊と化す。
さらに火薬で打ち出すのではなくレールガンで加速するので弾速が速く、大型機械や、建造物でも貫通してしまう。
相手が物陰に隠れていても、遮蔽物の向こうにいる相手さえ撃ち抜けるのだ。
大ダコは海中から触腕を振り上げて頭上のエグゼキューターを振り落とそうとするが、こちらも左手に同じく取り出したハンドガンで触腕を撃ち、近づけさせない。
右手の銃で大ダコの頭を、左手の銃で周囲の腕をそれぞれ撃っている。
プラズマ弾やレーザーはバリアで弾き返し、マイクロミサイルはパルスレーザーで撃ち落とす。
頭部に銃口を密着させたハンドガンが撃たれるたびに、臓物を搾るように震える大ダコの体表から黒い墨のような体液が噴出し、海に散らばっていく。
噴き出した体液は海水と混ざって、含まれている有機塩などと反応して粘性を増し、浮力が変化して大ダコは自重で沈み始める。
体内の主要な臓器を破壊しつくされ、大ダコの動きが鈍くなったのを見届けるとエグゼキューターは2丁の銃をゆっくりと両脚のラックに格納し、飛行魔法を使って飛び立った。
そのまま、反転してクラウディアへ向かう。
通信でさらに、甲板への着艦許可を求めてきた。
電波信号から復号された合成音声は、女性の声だった。
『着艦許可を求めます。これからわが機および貴艦はイギリスへ向かいます。間違いありませんね』
「艦長、われわれの作戦行動が!?」
慌てて声に出す航海長をクロノは後ろ手で制した。
40日前にミッドチルダを出航して以来、他のミッドチルダ艦との通信はしてこなかったはずだ。
もちろん、相手はヴォルフラムと接触していたはずもない。
クロノはマイクを取り、通信回線に声を送る。
「本艦の作戦内容は極秘である。貴機にはそれを知る権限があるか?」
『権限を持っています』
「担当将官の名を?」
クロノの質問に、ウーノと通信士がすばやく視線を走らせ言葉を追う。
『聖王教会本部騎士団筆頭、カリム・グラシア少将です』
クラウディア艦橋に、コンマ数秒かの視線の交錯が交わされる。クルーたちが互いに、疑問を表明しあい回答を待つ。
「──よろしい、了解した。貴機の武装はすべて待機状態にして格納せよ。着艦ポイントは後部ヘリパッドを使用されたし」
『わかりました』
回線が切れる際のクリックノイズを最後に、クラウディアの発令所はしばし異様な沈黙に包まれた。
エグゼキューターが念話回線を使用して送ってきた声は、なめらかなミッドチルダ語を話した。特に地方訛りもみられない、クラナガン首都圏の標準語である。
聞き取った声を落ち着いて考えると、単語のアクセントには軍隊話法独特のものがあった。
あれはミッドチルダの正規軍が運用している兵器なのか、搭乗しているのは軍人の操縦士なのか。
マイクをスタンドに置き、クロノはゆっくりと発令所の下段へ歩いて降りた。
ウーノが神妙に、しかし心配そうな表情をかすかに混ぜ、クロノを見つめている。
「ドイツ艦に発光信号を送れ。敵大型バイオメカノイドの沈黙を確認。引き続き警戒を続けよと」
「艦長、ここで“あれ”を本艦内に迎えるということはミッドチルダ艦隊に見咎められます」
「いずれ見せねばならぬことだ。エグゼキューターとはミッドチルダではなく管理局の力だ。
そして、現代の次元世界各国そして管理局はこの次元世界に、これまでの常識が通用しない力が存在するのだということを思い知る必要がある」
「ミッドチルダ海軍の抵抗が予想されますが」
「少なくとも第97管理外世界では向こうから戦端を開くことはできん。その瞬間にミッドチルダは地球からの信頼を失うことになる。
あの巡洋艦の艦長はそれを理解している。ミッドチルダ海軍司令部からの帰還命令を受けてなおこの海域にとどまっているということはだ」
XJR級戦隊は、これも命令変更を受けていなければ、ミッドチルダ海軍に対する命令違反を犯した艦であるクラウディアの拿捕制圧をも命令されているはずだ。
しかし、現状ではその命令を遂行することは困難である。
事情を知らない地球人の目の前で、管理世界同士が戦うわけにはいかない。
クロノは振り返り、発令所の上段にいるウーノに操艦の指示を与える。
「予告どおりイギリスへ向かう。目標はロンドン上空、針路2-7-0。エグゼキューターを収容し次第発進だ」
「はい──。甲板員、着艦作業用意。全艦警戒直を維持、各部署、交代で食事をとれ。機関部は魔力炉の点検を。エグゼキューターの着艦が完了したら知らせよ」
『こちらヘリ格納庫、了解しました副長。近くで見るとすげえイカしたロボですね』
威勢のいい甲板員の声が艦橋に届き、クロノは士官用ジャケットを軽く揺すって笑みを見せた。
つられて、艦橋にも緊張が抜け、それぞれがリラックスするようにため息を吐く。
「よろしい。航海長、巡航速度60ノットで航路を計算しろ」
「了解です」
ひとまず、当座の危機は脱した。
あとは軌道上のインフェルノをどう処理するか、また今回の戦闘で撃破されたミッドチルダ艦隊の艦と乗組員の処置をどうするかである。
沖合いの海上ではあるが、夜が明ければイギリスやドイツ、フランスなどの救難艦が捜索にやってくるだろう。
ミッドチルダ艦隊も、友軍艦を見捨てて撤退することはできない。
大破して浸水しつつあるレパードは艦の放棄が決定され、乗組員が救命胴衣バリアジャケットを装着して最上甲板に集まり、ソヴリンから艦載ヘリが飛び立って救出作業を行っている。
地球艦では、ソ連スラヴァ級は搭載していたヴルカーンミサイルをすべて撃ちつくし、反転してカリーニングラードのバルト艦隊基地へ帰投しつつあった。
大ダコのプラズマ弾を受けたドイツザクセン級ケーニヒスベルクは被弾箇所が艦尾の非防御区画だったことが幸いし航行に支障は無く、自力での帰還が可能と見られた。
トライトン級は引き続き海域に残り、クラウディアとミッドチルダ艦隊の監視を続けるようだ。
ポーツマスで出撃準備を整えていたもう1隻は決戦には間に合わなかったが、事後処理と周辺海域の警戒のために出撃する。
クラウディア後方の海面では、大ダコの体液と肉が溶けだして広がり、海面を粘つく糊のように変化させていた。
大ダコは体内に海水が浸入して比重が重くなり、次第に沈降していく。
海中では、まだ時折魔力光がまたたいているが、これもじきに弱まり消えるだろう。
敵の脅威が弱まったことを見て取り、離れた空域で待機していた各国戦闘機も上空からの接近観測を始めた。
これほどの巨大生物はかつて地球上では確認されたことがない。
大ダコの頭部は直径が20メートル以上はあり、鉛直方向の長さは50メートル近い。触腕は海中深くに沈み正確な長さが見えないほどだ。この海域の水深では、触腕を踏ん張って海底に立つことさえできる可能性がある。
地球上に生息するあらゆる生物でこれほど巨大なものはいない。ただの生物なら、水中でさえ自身の体重を支えきれなくなる。
海面に浮き上がった体液は鉱物油とみられるオイルを含んでおり、この大ダコが改造された生物機械であることを示唆していた。
イギリス海軍はポーツマスから出港するトライトン級イージス艦アヴェンジャーに救難艦と沿岸警備艇を随伴させ、オイルフェンスを張って大ダコの体液が拡散しない措置をとるよう手配をした。
宇宙怪獣の死骸から、未知の有毒物質が漏れ出していないとも限らない。もし大ダコの体液が海流に乗って拡散すれば、漁業や海洋生態系への影響が憂慮される。
またドイツ海軍でも、212B型潜水艦が曳航ブイを使用して水質の調査を行うことになった。
西暦2024年初頭、早朝から北海はにわかに騒然としつつあった。
大ダコの沈没地点は水深の浅いドッガーバンクの南端付近で、水上からの探査も容易とみられた。
また、大ダコとの戦闘で撃沈された次元航行艦レパードも、サルベージ船による引き揚げが可能であるとイギリス政府の依頼を受けた海運会社が分析した。
先行して海域に進出していたトライトン級イージス艦アローヘッドでは、乗組員の退避が行われているレパードの姿を光学望遠で捉えていた。
宇宙を渡り地球まで何万光年も飛んでくることが可能な異星人の宇宙戦艦でも、敵の攻撃で沈没することはある。
いかに異星人が優れた科学力を持っていても、人間のつくるものに完璧はない。
レパードは傾斜がさらに増し、着水から15分後、艦首が完全に海面を離れて浮きあがった。もはや沈没は時間の問題と思われた。
「異星人たちの様子はどうだ」
「ロープのようなものを垂らしています、どうやら個人で飛行が可能な装置を携帯しているようです」
暗視装置つき双眼鏡を構える航海長が答える。
飛行魔法を習得している者は自力で飛び移れるが、そうでない者は他の飛行魔法が使える者につかまえてもらうか、救援艦から展開されるバインドで運んでもらうことになる。
バインドは遠目に見ればロープのようにも見える。
「クラウディアが前方を通過します」
アローヘッドの前方43キロメートルでクラウディアは西へ向かい、高度を1000メートルに上げて航行している。
やがて、イギリス海軍司令部からの入電がアローヘッドに届いた。
ミッドチルダ人を名乗る異星人からの正式な報告書がアメリカに届き、現在軌道上にある無人機動要塞“インフィニティ・インフェルノ”に、無数の宇宙怪獣、バイオメカノイドがひしめいているという事実が明らかになった。
この機動要塞は地球だけでなく宇宙のあちこちの有人惑星に向け侵攻を開始しており、いかに異星人といえどもそれらのすべてに迎撃のための十分な戦力を割り振ることが難しい。
よって、地球においてはアメリカやソ連をはじめとする先進各国の持つ宇宙兵器を最大限活用し、対処に当たってほしいという要望だった。
打ち出された電文の感熱紙をくしゃりと握りつぶし、アローヘッド艦長は海軍帽を取った。
冬の北海は未だ夜が明けず、大ダコが撃破された海面はまだ、海底からほのかに放たれる魔力光によって緑白色に浮かび上がっている。
夜明けまでまだ、6時間はある。
大ダコの体内に含まれていた油は海面に浮き上がっているが、それ以外の体液は海底に沈んだものもある。
これらはすぐに海流によって流され、オランダ沿岸方面へ広がっていくだろう。
海洋汚染、また、この体液が地球に存在しない物質であったら。
上空からのタイフーンIII戦闘機による観測では、主な成分は炭化水素、アルカリ土類金属を主体にした無機塩、アミノ酸などであるが、特に、周辺海域の放射線強度が上がっている。敵の宇宙怪獣は放射能を帯びている可能性がある。
軍艦では特に対NBC性能が重視されるため、このトライトン級にも放射線検出器が積まれている。
それによると、主に発せられているのはγ線で、これは特に異星人が用いる魔力と呼ばれるエネルギーから多くが発せられる。
北アメリカ航空宇宙防衛司令部──NORADの分析では、異星人が呼ぶところの魔力とは地球においてはポジトロニウムと呼ばれるエキゾチック粒子であり、惑星大気圏内を含めた宇宙のあらゆる空間に普遍的に分布している。
この非常に寿命が短く微弱な粒子からエネルギーを取り出す技術を異星人は持っている。
これに伴って異星人の扱ういわゆる魔力兵器や魔力エンジンは主な排気として光子(フォトン)を出し、それは魔力光と呼ばれている。
その中にはγ線も含まれる。ただし、対生成サイクルでそのエネルギーはほとんど消費される。
北海で放射線強度が上がったという観測データがマスコミの知られるところになれば、おそらく朝方のニュースはどこの国の放送局も大騒ぎになるだろう。
やれアメリカの原潜が沈没した、ソ連が核魚雷を撃ったなどである。
実際には、魔力兵器から観測される電磁波のスペクトルは核兵器とはまったく異なっている。
「ご苦労なことだが──我々も、このまますんなり港に帰れるとは思わない方がよさそうだ」
航海長は海図に各国艦の位置をプロットし、ミッドチルダのXJR級が着水した地点にペンでバツ印を書き込む。
あの様子では、おそらくもう30分ももたずに沈没するだろう。
「あの宇宙怪獣はバイオメカノイドというのですか」
「そうだ。例によって、米軍と──それからMI6はもう何十年も前からその情報をつかんでいた。しかし今回、ホンモノのエイリアンが地球にやってきて、いよいよ隠しきれなくなったというわけだ」
「クリステラ議員が後押ししているという例のM機関が関連していると」
「そんなところだろうな」
エグゼクター工廠は政府筋の人間にはM機関という俗称で呼ばれている。
MはMagical(魔法のような)の頭文字であると同時に、最新宇宙論のひとつであるスーパーストリングス理論のバリエーション、「M理論」とのダブルミーニングでもある。
「だとすると厄介なことになりますね……。わが国ではUFOの存在を公式に認めてしまっています、他のユーロ諸国からの追及が向けられるでしょう」
「それを狙う勢力がいるということだ。グレアム元提督の死に不審な点があり、アメリカからはるばるFBIが大所帯でやってきているという事実はそれを裏付けている」
「しかし、海の上からでは陸の出来事には手が出せません」
「われわれにできることは地球に降りてくる敵を排除することだ。このトライトン級ならそれが可能だ──もちろん、エグゼクターがわれわれの戦力になればなお心強い」
「アメリカが了承しているのでしょうか、それは」
「いずれにしても地球の代表は、少なくともアメリカが自任するような役目ではないよ」
米英の微妙な関係が、アローヘッド艦長の言葉からは見え隠れしている。
かの有名なロズウェル事件をはじめ、20世紀後半のエリア51など、アメリカ合衆国という国では世界有数の人的・物的資源を基盤にした強力な開発リソースを生かし、数々のオーバーテクノロジーを回収復元してきた実績がある。
政府と強力に結びついたボーイングやロッキード、ノースロップ・グラマンなどの軍需企業は私設軍隊(アメリカにおいては企業が独自の警察機構を持つことが認められている)なども編成しての大掛かりな支援体制を敷き、地球外由来の技術を研究してきた。
SR-71やF-117、F-22などのステルス戦闘機、X-47などの無人戦闘機にそれはフィードバックされている。
そして現代、米空軍は試験戦闘機X-62を異例の実戦出動を行い、その作戦遂行能力が異星人や宇宙怪獣を相手にしても通用するということを確かめた。
片やイギリスでは、ユーロ連合の足並みをそろえる調整の都合から一国だけ飛び出たような立ち回りはできず、各国が互いに足を引っ張るような状況が続き技術革新は停滞していた。
もし本気で国力をつけようとするなら、それは連合などという横並びではなく、強力なトップダウン方式で優れた指導者が多くの組織を引っ張り、運営していかなくてはならない。
それはアメリカという国、そして遥か宇宙の彼方で次元世界を支配しているというミッドチルダがその証明となる。
ただどちらにしても、ロンドンの内閣では、アメリカの下にコバンザメのように張り付いていき権益を確保しようという、ある意味では小物的な考えがはびこっているのも事実ではある。
現在のイギリスの国力を考えた場合、単独でソ連やアメリカと渡り合うことは不可能だ。
これまでどおりのNATOの枠組みの中で立場を作っていく必要がある。
そうなったとき、現在の地球上において最大最強のオーバーテクノロジーであるエグゼクターがイギリス国内にあるという事実は有利な切り札になる。
このカードを生かすためにグレアムの力が必要だったが、それは失われてしまった。
事件そのものについてはアメリカが捜査を行っているが、これが純粋に犯人を探し出すためなのか、それともアメリカの自作自演なのか──は、外部の、殊更に一介の艦長レベルまでは、情報がおりてこない。
アメリカとイギリス、それぞれの政府が水面下で手を握っているのが事実だとしても、それによって現場の艦に送られる命令というのは変わらない。
ただ攻撃してよい目標と攻撃してはならない目標が振り分けられるだけだ。
それがなぜ攻撃してはならないのかということは、よほどのことがなければ説明はされない。
イギリス領空に接近しつつある異星人の宇宙戦艦に対し、迎撃を行う許可はされていない。
クラウディアおよびミッドチルダ艦隊XJR級戦隊では、停泊地としてイギリス本土内への着陸許可を申請した。
いかに次元航行艦といえどもずっと海の上で飛びっぱなしというわけにはいかないし、作戦行動のためには補給が必要である。またクラウディアの場合はエグゼクター工廠へ向かう必要がある。
10分ほどのやり取りで、ロンドン郊外にあるブライズ・ノートン空軍基地への着陸許可が下された。
クラウディアはロンドンの市街地上空を避け、南側の田園地帯上空を通過する。
速度は通常の航空機よりもかなり遅く、騒音を抑えた低速巡航だ。やや距離をとってXJR級3隻が続く。大ダコとの戦闘で沈没したレパードの救助活動のため1隻を北海に残し、残りの3隻がイギリスへ移動する。
夜が明ける頃──日本では日が暮れる頃──、海鳴市における墜落艦の救助活動を行っている航空自衛隊小牧基地にも、ロンドンにいるエリオ、チンク、ウェンディからの連絡が届いた。
イギリス時間で朝の8時なら、日本はその頃夕方17時である。
デビッド・バニングスは今回のUFO襲来事件に伴い、アメリカから日本に移動してきていた。
自分の会社であるバニングス・テクノクラフトの業務そのものは、海鳴市にある邸宅でも行えるように、エイミィ・ハラオウンによる手配があった。
彼らハラオウン家については、18年前の当時から娘であるアリサ・バニングスとの交友があった。
その関係からデビッドも彼らが所属している異世界については断片的ながらも見聞があり、その結果、今回の異星人たちとの窓口役を、アメリカ政府および日本政府から依頼されることになった。
もちろん拒否などできないし、少なくともこの時点ではデビッドには拒否しなければならない理由も見当たらなかった。
エイミィは普段どおりに振舞っていたし、彼女の息子、娘も元気にしていた。
ハラオウン家の案内で日本政府との連絡チャンネルを設置したデビッドは、現在海鳴市北側の森林地帯に墜落したヴァイゼン海軍所属の次元航行艦の乗組員たちが、海鳴市内に避難していることを伝えられた。
その移送について、海鳴市上空に待機しているヴァイゼン艦隊の旗艦チャイカへの収容作業が行われている。
ヴァイゼン艦の乗組員たちは、惑星TUBOY上空での戦闘で、次元間航路から飛び出してきた無人小型艇を発見していた。
次元間航路から飛び出してきた無人機、という言葉で、デビッドはすぐにその正体を察した。
この無人機の機体を製作したのはバニングス・テクノクラフトである。
搭載した観測機器はアメリカの各種機関から持ち込まれたものだが、それらを収める筐体はデビッドの会社で製作された。
機体性能は、次元間航行──いわゆるところのワープ航行に耐えるよう設計されている。
ボイジャー3号は、ウラヌスの槍ゲートを通過した際、異常な重力輻射を観測していた。
逆二乗の法則に当てはまらない急激な減衰と増幅をした重力波が観測され、これこそが、次元の壁に開いた穴であり、ブレーンワールド理論およびスーパーストリングス理論が予言する超高次元空間によってできたトンネルであると示された。
この次元の穴を制御することによって、宇宙のあらゆる空間を、一瞬のうちに行き来することができる。
そして現在地球を訪れている異星人の宇宙戦艦は、この技術を用いて外宇宙航行を行っている。
異星人たちはこの技術を次元間航行と呼んでいる。
デビッドは再度この機体、ボイジャー3号のスペックと、NASAから送られた観測データをエイミィに改めてもらい、ボイジャー3号が確かに次元間航行を行ったことを確認した。
「デビッドさん……この探査機は、まだ信号を?」
エイミィはかすかに慄くような口ぶりで尋ねた。
「そう聞いています。NASAでは、そのように」
「トルーマン主任ディレクターが」
「はい」
シェベル・トルーマンの名前は、FBIフォード捜査官を経由して管理局にも伝わっていた。
アメリカがこの第2次ボイジャー計画をスタートさせるためには、管理局の了承を得る必要があった。
この探査計画により、未知の次元世界に遭遇することになるのは管理局も同じである。
結果としてほぼ時期を同じくしてガジェットドローン#00511とボイジャー3号は第511観測指定世界に到達し、それぞれの世界に新たな未知の世界の存在を知らしめた。
地球人類にとっても未知の世界であり、そして次元世界人類にとっても未知の世界であった。
エイミィは、クロノからは次元航行艦隊での任務についてはほとんど知らされていなかった。
軍人は、任務上の機密事項についてはたとえ家族であっても漏らしてはならないとされる。
アメリカの軍事産業に携わる人間として、デビッドもエイミィの立場を理解することはできる。自分も、娘であるアリサに明かしていない事柄は数多い。
自分の会社がどのような製品を作っているのか、それはどこへ出荷されどんな目的に使われるのかなど。
次元世界という、地球ではない別の星の住人であっても、そのような組織に所属していれば、さまざまな人間に対しさまざまな秘密をもたなければならなくなることは、いくらでも起こりうる。
「現在私たちの身柄はCIAの監視下にあります」
デビッドはそう告げた。
海鳴市において、権益を持つのはアメリカもイギリスも同様だ。
イギリスは、かつて高町士郎が仕事を請けていた上院議員アルバート・クリステラが主導するM機関に関連する計画で、海鳴市に研究機関を設置している。さらに、民間軍事企業の社員、すなわち傭兵を常時派遣している。
また、アメリカの持つ権益といえばデビッド・バニングスその人がそうである。
彼が日本で持っている各業界や企業とのコネクションはそのままアメリカのものとなる。デビッド自身、アメリカに戻り宇宙関係のプロジェクトに携わるようになってそれを実感した。
「地球は管理世界を認知していると──」
「──そしておそらくは、あなたがたが思っているよりもずっと早くに、です。
あなたがたの部署、管理局において、グレアム氏なる人物が要職に就いていたのであれば、当然、彼があなたがたの組織に参入するにはこちらの政府の人間がそれを後押ししているはずです」
「管理局はすでに地球とのコンタクトをとっていたということです……ね」
確かめるように、エイミィは言葉を口に出す。
エイミィも、クロノと結婚してハラオウン家に入り、管理局にも長年勤務しているとはいえ、元々は艦船勤務の水兵であり、政治部へのつながりは薄い。
業務主管たるリンディが本局に戻っている間、管理局の第97管理外世界に対するアクセスは手薄になる。
「リンディさんはいつお戻りに」
「艦の手配が出来次第すぐにと聞いています。今、ミッドチルダ政府とも管理局は交渉を行っています。
次元世界連合は正式に第97管理外世界へコンタクトを取る、と」
「それはこれまでとはまた違う、オフィシャルなものと」
「そうです」
軍備相互管理条約との絡みから、かつてのPT事件、闇の書事件でも管理局は正式な介入が困難だった。
ややもすれば独断で艦隊を送り込みかねないミッドチルダやヴァイゼンを抑えるには、事件の発覚そのものを遅らせるしかない。
結果としてギル・グレアムによる独自作戦を行うことになっていた。
これについては、リンディが指揮するアースラはほとんど捨て駒として使われたようなものである。
もっと簡単にやるならば、LZ級を1隻借り出し、同級の装備する強力な結界魔法で闇の書を押さえ込んでハッキングと無力化をおこなうこともできたかもしれない。
しかし所詮はたらればである。いつも必要なときにほしいだけのリソースがまわせればいいが、現実はそうもいかない。管理局やミッドチルダにある艦艇の数は限られているし、また魔導師の数も限られている。
さらに事件にかかわる情報を理解し対処を行える人間、逆説的に言えば事件にかかわる情報を教えてよい人間となるとさらに限られてくる。
実質的に、現場に向かい対処を行うことができたのが、リンディ、クロノ、ユーノそしてなのはとフェイトだけということに、結果的にはそうなってしまった。
新暦65年12月、リンディ・ハラオウンは日本政府に対し接触を図った。
ロストロギア『闇の書』の復活に伴い、海鳴市周辺で大規模な戦闘が起こる可能性が高い。よって、アースラの使用する大規模結界に対する処置を周辺自治体に依頼する。
ルートとして、高町士郎が仕事を請けたことのある政治家周辺から官営の研究所、防衛省技研、さらに内閣情報調査室を経由して話を通していった。日本としても海鳴市は重要な先端技術研究の拠点であり、ここが各国の諜報戦に利用される可能性は考慮していた。
たださすがに異星人までもが絡んでくることは想定外だったようで、取り急ぎ、近海に護衛艦を待機させ上空の監視衛星を避難させることにした。
日本が研究していたのは、ヒトの遺伝子に含まれる未使用のコードから超能力を使用可能にするものを見つけ出すことである。
いわゆる古代核戦争説、古代宇宙飛行士説に基づけば、現代の人類とはいったん高度科学技術文明を築いた後、何らかの理由で原始時代まで後退し新たに文明を再開発してきたことになる。
日本に限らず世界各地の古代遺跡で、前触れ無く突如高度文明が出現したようにしか思えない発掘物の存在は、国家レベルでの秘密研究を行う動機として十分であった。
内閣情報調査室──いわゆる内調は、日本国内における中国系の違法地下組織の暗躍を特に問題視していた。彼らが、各国から人間を実験体として拉致し日本国内へ持ち込んで超能力開発を行っていたからである。
リンディの進言により、日本における超能力──すなわち魔法技術開発に、管理局がバックアップを行うことが同意された。
これに基づき日本政府は闇の書の観測体制を整え、JAXAは退避させた衛星のカメラを海鳴市上空へ向け、海上自衛隊護衛艦は万が一に備えて全兵装の起動準備をした。
新暦65年──西暦2005年、12月24日深夜、海鳴市上空で管理局所属艦アースラは闇の書の防衛プログラムに向けて次元破壊波動砲『アルカンシェル』を発射し、これを殲滅した。
このときの空間歪曲と反応消滅に伴う重力子波動は日本だけでなく世界各国の天文台、観測施設で検出された。
日本はただちにこれを分析し、異星人──管理局の持つ技術を解明し開発していく体制に入った。
管理局としても、いかに緊急避難としてであっても管理外世界に魔法技術を流出させたと指摘される可能性があるため、地球における魔法技術開発はあくまでも地球──第97管理外世界独自のものとして扱う必要があった。
管理外世界が独力で魔法技術を開発するならば何の問題もない。
その後で、次元世界連合への加入を依頼する形になる。
「先月のロンドンでの爆破テロ事件で、グレアム氏は亡くなられたと聞きました」
「ええ。私たち管理局でも捜査は行っています」
「次元世界の人間が仕組んだものではないと」
「民間企業の──企業警察などの人間が絡んでいる可能性があります」
エイミィとしても、たとえ民間企業であっても管理世界の人間が、国交のない管理外世界の人間に被害を与えたという事件は口に出すことを憚られるほど、心を痛める。
「グレアム氏はあなたがたの星でも著名だったのですか」
「次元航行艦隊──こちらでいう国連軍のような組織です──艦隊の立役者といわれていました」
「外国出身の人間がその国の主要なポストに就いたということですか」
「おおむねそんなところです」
ミッドチルダの人種観はどのようなものだろうか、とデビッドはしばし思案した。
デビッドの出身国であるアメリカは元々植民地から独立した移民国家で、ひとくちにアメリカ人といってもさまざまな地方の出身者がいる。
他の国のようにもともとそこに住んでいた人間が作った国ではなく、他の地方から移り住んできた人間が作った国である。元々住んでいたのはいわゆるネイティブアメリカンと呼ばれる原住民族だ。
たとえばデビッドはイングランド系移民の子孫で、バニングス家は20世紀はじめ頃にイギリスから移住して会社を立ち上げ、代々実業家として今に至る。
他にもドイツ系、ギリシア系、スペイン系、フランス系、アフリカ系など、さまざまな国から移り住み、アメリカ人となった国民がいる。
ミッドチルダでは、いわゆる“ミッドチルダ人”と言った場合、ミッドチルダという惑星で生まれた人間をさす。同じ第1管理世界内でも植民惑星となるとやや事情が異なるが、ミッドチルダで生まれた人間は自動的にミッドチルダ人となる。
そして、他の次元世界から移り住んだ人間でも、比較的、ミッドチルダ国籍を取得することは容易である。
次元世界文明の中心地であり、能力のある人間ならば誰でも、どんな出自でも活躍できるという風土がある。
ギル・グレアムのように、他の次元世界出身であっても、公的機関などに就職することが可能である。
日本のような国籍条項はない。
しかし逆にレジアス・ゲイズのように、ミッドチルダから管理局に出て行った後でミッドチルダに対して影響力を持とうとしても、なかなかミッドチルダ国民の理解を得にくいという側面もある。
時空管理局は国際特務機関であり、建前上はどこの次元世界にも属さないため、たとえばミッドチルダ出身で管理局の直属組織に入ると、たとえ勤務地がミッドチルダの地上にあったとしてもそこは外国であるということになってしまう。
レジアス・ゲイズが管理局地上本部で活躍しそれでも各関係機関からの賛同が得られにくかったのは、ミッドチルダとしてやるならいいが管理局では……という、ある種の身内びいきが働いていたということは否めない。
たとえ地上でずっと働いてきていても、その建物のゲートを一歩くぐればそこは管理局のエリアでありミッドチルダではない。
一般職員たちの間でも、そんな意識はあった。
八神はやてやゲンヤ・ナカジマが抱きつつも思うように口に出せずにいた、ミッドチルダならではの問題である。
アメリカでは、過去にも黒人大統領が当選したこともあるし、家系がどこの国の出自であってもアメリカ人であるならば社会的な制限は課せられない。
ただしそのための条件として、アメリカという国のために働くことが必要になる。
アメリカという国で受け入れられるためには、国民一人ひとりが力を合わせて運営しているアメリカという国に、自分も加わることが必要である。
デビッドももちろんそれは受け入れていたし、日本で業務を展開していてもそれはアメリカで利益を社会に還元するためだと思っていた。
だからこそ、NASAからのオファーを承諾したし、それにしたがってボイジャー3号を製造した。
ミッドチルダでもそのあたりの感覚は比較的近い、とエイミィは話した。
ミッドチルダでは、能力のある人間は積極的に社会貢献をすべきであるという考え方が広まっており、結果として、管理局はさまざまな世界からの人材のスカウトを行うことがある。
ギル・グレアムはもちろんのこと、八神はやて、高町なのは、フェイト・テスタロッサもそうである。
ユーノ・スクライアも、元々は辺境世界の少数民族出身だがその能力を買われて管理局に勤めている。
確かにアメリカは、ある種の寛容さと排他性を併せ持っているのは事実だ、とデビッドは答えた。
そしてそれはミッドチルダでも同種の問題を抱えているだろう、ということも理解した。
エイミィも、デビッドの指摘は重々承知しているところである。
「私たちがやらなければならないのはお互いが誤解を生まないように正しい情報共有を行うことです」
「同感です。ミッドチルダ政府側からもよい感触を得ていると、リンディ統括官から連絡が届いています」
仕事の場では、エイミィもリンディのことを母親としてではなく上司として接する。
リンディとレティが話し合ったミッドチルダ政府のアンソニー・カワサキ国務次官は、ミッドチルダ政府の統一見解を出すべく現在政府に戻り各方面との交渉を行っている。
いずれにしても時間がないため、現在地球に進出している管理局、ミッドチルダ、ヴァイゼンの艦はそれぞれ連絡を取り合い、互いの協調をとることが必要になってくる。
互いに出し抜こうとしても、それは往々にして良い結果はもたらさない。
デビッドもまた、自分がこうしてエイミィと話し合った内容を、アメリカ政府へ伝えなくてはならないと思っていた。
それはアメリカ国民としての義務であるし、また地球人の一人としてなすべきことである。
クラウディア艦内に収容されたエグゼキューターの機体は、手足を折り畳んだ格納状態に変形して艦載ヘリ格納庫へ入った。
間近で見ると、通常の金属素材に比べて非常に表面が平滑で、鏡面仕上げのように光の反射の強い材質に見えた。
これは通常の冶金で作成された鋼材ではなく、インテリジェントデバイスと同じように魔力で形成された金属原子の塊であることを示している。
機体誘導を担当した甲板員は、エグゼキューターの機体表面から発せられる強い魔力を感じ取った。
戦闘魔導師クラスの魔力資質がなくても感じられるほどの強烈な魔力である。
たとえば電子機器が発するオゾン臭のように、漏れ出る強力な魔力残滓は周辺空間のイオン濃度などに影響する。
XV級巡洋艦の格納庫はエグゼキューターの繋留設備を持っていないので、機体は両肩と背部の主翼桁部分に当て布をかぶせた上でワイヤーケージにより固定する。
やがて胴体部分のカバーが開き、転送魔法の魔法陣が機体上部に現れる。この機体は乗り降りに転送魔法を使用する。
巡航状態に入ったため、クロノは艦の当直をウーノに任せ、格納庫に来ていた。
機体から降りたエグゼキューターのパイロットは、バリアジャケットを解除し、その容貌があらわになる。
橙色のセミロングストレートの髪が流れ、その体格、身長は女性のそれであった。
「次元航行艦隊の在籍名簿には載っていないな」
クロノが先に声を掛けた。
他の作業員たちは機体を繋留する作業をしている。
「所属と名前を」
「時空管理局本局調査部選抜執務官、ティアナ・ランスター三等空尉です」
「ランスター三尉は既に除籍されているはずだが」
「昨年12月7日に再配属されました」
クロノは改めて、ティアナの姿を下から上まで改めて見やった。
管理局執務官の通常制服であり、襟章も間違いなく三尉のものである。
「ロンドン郊外のイギリス空軍基地へ到着するまであと2時間ほどある。貴官が本艦に搭乗することは作戦指令に含まれているか」
「はい」
「それは聖王教会の意向が?」
「はい」
「貴官は本艦の任務を知っているか」
「カリム・グラシア少将より受領し、閲覧しています」
ふむ、と腕を組み、クロノはあごに手を当てた。
今、二人の目の前にあるエグゼキューターの機体は正しく本物の実機であり、これは複製や偽装などできないものである。
また実際に敵大型バイオメカノイドを撃破した戦闘力は、従来の魔力戦闘機や装着型デバイスでは発揮不可能なレベルだ。
もっともクラウディアも昨年11月末の出航時点で持っていた情報では、エグゼキューターの実機が完成したとは知らされていない。ただ、カレドヴルフ社を初めとする多くの企業が管理局に納入した機材の目録から、ある程度の推測は可能であった。
クロノは当初より、クラウディアにエグゼキューターを擁しこれを第97管理外世界へ持ち込む算段であった。
「よし。それでは今後の作戦方針を協議する、15分後に艦長室へ出頭してくれ」
「わかりました」
ティアナはクロノに従い、格納庫を出て行く。
クラウディアを含むXV級の艦内配置では船体中央部のCICを中心に、上部に航海艦橋、戦闘艦橋、防空指揮所、前方に居住区画、後方に機関室と格納庫を配置している。
中央通路はCICの上側を通過しており、艦内を行き来する場合は中央のロビーを経由することになる。
艦内の明かりに照らされて、クロノはティアナの姿を改めるが、特に不自然な様子はない。
「『アエラス』について報告が必要ですか?」
「頼む」
「了解です」
ティアナの口調は、抑揚を抑えた丁寧なものだが、以前の彼女を知る者ならば不自然さを感じられるだろう。
元々生真面目な性格ではあるが、それでも年頃の若い女性らしい元気さがかなり抑えられ、冷たい印象を残している。
航海士に当直を引き継ぎ、クロノとウーノを含むクラウディア幹部要員は艦長室へ集合した。
末席にはティアナもいる。
エグゼキューターの機体はエンジンを切って格納状態にセットしており、この運用方法はSPTと同様である。これについては、元々SPTの中の一機種であるという。
ティアナ自身が持参したメモリーペンから、カレドヴルフ社発行の技術仕様書(テクニカルシート)が開示された。
同社はSPTの完成形として、エグゼキューター系列の機体を既にテープアウトしており、ミッドチルダ海軍と管理局技術部にはすでにサンプル出荷が行われている。
これは既に納入が開始されているSPTがデチューン版であるならばフルスペック版ともいうべきものであり、ヴォルフラムに配備されたものを含めて、封印された機能の有効化を行えば直ちに最大出力での起動が可能である。
エンジンもまた、主要動力は生体魔力炉のために非常にコンパクトであり、すべての機種で少なくとも180億以上の魔力値の発揮が可能である。
これば大型戦艦や最新型打撃巡洋艦に匹敵する容量である。もちろん、生身の魔導師とは比べるべくもない。
「さて、既に諸君らも承知のとおり本艦は第97管理外世界へ進出、現地国家イギリス政府と接触をはかることに成功した──イギリスはかのギル・グレアム提督の出身国である。
今回のバイオメカノイド出現事件──これはミッドチルダおよび管理局が共謀し起こした事件だ──この事件の対処において、我々は次元世界人類に対し、従来の次元世界に対する認識を改めるよう促していく。
次元世界は広大であり、そしてこの世にはミッドチルダの想像力の及びもつかないような存在がある。
次元世界人類が真に宇宙の覇者たることを望むならこの戦いは避けて通れない。そして同時に、現在のミッドチルダと管理局ではこの戦いに勝てない。
そのために我々が、この次元世界宇宙の真実を知らしめ、意識の改革を図っていく必要がある。
──本艦はそのために第97管理外世界に進出し、そしてこの世界が持つ力をミッドチルダに対し認識させる。これは次元世界にとっても、第97管理外世界にとっても必要な試練だ」
ウーノも、航海長以下各部署の長も、神妙にクロノの話に傾注している。
ティアナは手を膝に置き、黙ってクロノを見つめている。
「ミッドチルダは第511観測指定世界の探査において本艦を用いることにより、管理局への影響力を示せると考えた。
ミッドチルダは依然として次元世界連合のリーダーを自認しており、またこれに基づいて管理局不要論を唱える者も数限りない。
今回の事件で、本艦を追うために管理局はLS級艦船ヴォルフラムを差し向けた──管理局が独自にこれを決定したのならば、管理局は未だ独立を保ち、はっきりとした意志を示しているといえる。
逆に、ミッドチルダが管理局に対しヴォルフラムを送り込めと指名していたのなら、管理局は次元世界の反管理局勢力が指摘するように、ミッドチルダの走狗と成り下がったことを意味する」
「八神艦長に、そこのところは確認を?」
機関長が手を挙げて質問した。
「いいや。これは八神艦長自身が、そして彼女の下にいる者たち、彼女を指揮する者たちが自身で気づかなければならん。
そうでなければ彼らは永遠に自らの足枷に気づかないままだろう」
クラウディア幹部たちは、この航海にかけるそれぞれの思いと決意を確かめるように表情を引き締めている。
JS事件やEC事件を経て次第に明らかになってきた、管理局に対するミッドチルダの態度は、この次元世界連合の運営において管理局はもはや邪魔者であるというものだった。
ロストロギア“ゆりかご”の浮上に際して、ミッドチルダ海軍はほとんど目立った動きを見せなかった。
クラウディアを含む管理局所属のXV級と、たまたま整備のためにクラナガンにとどまっていた数隻のXV級が出動したが、外洋に出ていた他の艦はまったく動かなかった。
もちろん哨戒線に穴を開けるわけにはいかないものであるが、それでも艦の融通をきかせようとしたそぶりすら見せなかった。
現在の次元世界においては、ミッドチルダはロストロギアを軽視している。
これはJS事件に先立ち、学術研究目的で貸し出されたジュエルシードの1個が紛失したという事件でも明らかになっている。
ミッドチルダとしては、ジュエルシードの1個程度は所在が不明でも問題ないという考えである。
たとえ1個のジュエルシードが暴走したとしても被害は局地的で限定的なものであり、またミッドチルダの戦力ならばそれをすぐに鎮圧できるという計算である。
実際、レティやリンディなどが考えるように、現代の管理局の力では次元世界の紛争調停という本来の任務を遂行することがもはや難しくなっているということは次第に実感されつつある。
PT事件や闇の書事件などでも、ごく限られたリソースで対処を行わなければならなかった。
ミッドチルダも、10数年前当時の時点ではまだ第97管理外世界との接触が公にされておらず、下手に手を出してやぶへびになってしまうよりは管理局にすべてを押し付けたほうがいいと考えた。
現代では、管理局の組織そのものが形骸化しつつある。
かつての次元間大戦からの復興という意味ではそれはよいことであり、各世界がそれぞれ独立して運営していけるのならそれはそれでいいのかもしれない。
しかし、ミッドチルダは管理局の存在を、旗印、大義名分として利用しようとしている。
すなわち、紛争調停を名目に他の次元世界へ介入することである。
オルセア程の大国ともなれば、介入を拒否するとはっきり明言もできるが、実際にはほとんどの中小次元世界はミッドチルダかヴァイゼンのどちらかの下につかなくてはやっていけないという状況である。
次元世界間の交易が発達し大規模な経済活動や人の移動が次元をまたいで行われている現在では、ひとつの次元世界で孤立することは事実上、民族としての消極的自殺を選択することを意味する。
いずれ人もいなくなり、経済が縮小し、文明は後退していくだろう。
ミッドチルダとヴァイゼンによる、次元世界を二つに分けての冷戦構造は、ここ数十年間の次元世界の枠組みとなってきた。
しかしここにきて、その根幹構造を揺るがす事態が起きた。
第511観測指定世界と、そこに棲息するバイオメカノイドの存在である。
これまで、ミッドチルダ・ヴァイゼン両国とも、互いにこの次元世界には自分たち人類よりも強力な存在はいないという前提のもとに魔法兵器の開発と配備を行ってきた。
両国が次元間航路や虚数空間などに配備している次元潜行艦やその搭載する次元破壊弾頭である。
これらは第二次報復用兵器として配備され、両国間の最終戦争が起きない限り実際には発射されることのないものである。
現在、ミッドチルダ海軍が保有する最大の戦略次元潜行艦VG級の場合、主兵装として“ハヤブサ”次元間弾道ミサイルを96基搭載し、これは弾頭としてDB7次元破壊爆弾を1基あたり256発内蔵できる。
射程距離は実数空間換算で75億光年に達し、次元間航路に潜行した状態からほとんどの次元世界を射程に収めることが可能である。
その破壊力は人間が居住可能なスケールの恒星系を一撃で消滅させるとされる。
ミサイル本体の発射実験、そして実弾を使用した爆発実験は銀河からも離れた、外宇宙に近い球状星団内部で行われた。太陽の数十倍の半径を持つ赤色巨星表面へ発射したとき、空間歪曲によって質量バランスを崩して超新星爆発を起こす現象が観測された。
反応消滅によって欠損した質量の大きさは、周辺時空にも無視できない影響を及ぼす。恒星どうしの重力の釣り合いを崩し、周辺の何十光年もの範囲にある星たちが勢いをつけて動き出す現象も観測された。
これらの大規模破壊兵器は、星団や銀河の形が変わってしまうほどの影響を残した。
現在でもこれらの爆発実験が行われた跡は望遠鏡で見ることができ、いびつに歪んだ渦巻き銀河の姿は質量兵器廃絶へ向けた精神を広めるためとして学校教育や市民団体の講演でもたびたび引用される。
ひとつには、この次元破壊爆弾の実験によって、これまで考えられていなかった天文現象が観測されたことが、第511観測指定世界の発見につながった。
従来の物理学では、あらゆる物理現象の伝わる速度は光速(およそ秒速30万キロメートル)を超えることはないとされてきた。
化学燃料ロケットのみならず反動推進や慣性制御装置、他のどんな推進システムを使用しても光より速く飛ぶことはできないとされた。
そのために次元間航路を利用したワープ航法が開発され、次元世界の行き来に使用された。
しかし観測技術が進歩し、実際に移動している次元空間や虚数空間を観測できるようになってくると、これまで信じられていた物理法則の一部が、場合によっては成り立たないことがあるということが明らかになってきた。
アルカンシェル弾頭や次元破壊爆弾などの次元属性魔法を使用した場合、空間歪曲と反応消滅により重力波が発生する。
従来の統一理論に基づけば、この重力波の伝播速度は光速と同じである。
つまり、ある場所で爆発させた次元破壊爆弾の影響が30光年離れた星に届くには、30年かかるということである。
しかし実際には、周囲の少なくとも100光年スケールの範囲内で、爆発と“同時に”次元破壊爆弾の余波を受けて吹き飛ばされる星の姿が観測された。
爆発に伴う光はもちろん到達していない。しかし重力波は先に観測された。
重力波の伝播速度が光速を上回っているのかと当初は議論されたが、あらかじめ観測用オートスフィアを一定間隔に並べて検出しようとしても、計測される重力波の伝播速度はきっかり秒速30万キロメートルで、理論どおりの結果となった。
この現象の実体とは、これまで考慮されていなかった“超高次元”の存在が影響を及ぼしたものである。
すなわち、重力子(グラビトン)は超高次元を経由して瞬時に伝播していき、周辺の実数空間に漏れ出して、光よりも速く伝わっているように見えていた。
次元空間の実際の姿は、これまで人類が目にしてきたものとは大きく異なっていた。
次元世界とは、文字通りの別の宇宙ではなく、実際にはひとつの宇宙の別の領域であった。
それはすなわち、どんな次元世界からでも、人類が未だ知らない次元間航路を用いて侵攻することが可能になることを意味する。
次元間航路とは文字通り、通常人間が認識する空間3次元とは別のものである。
コンパクトに畳み込まれた次元はスーパーストリングス理論に基づいて合計24個のカラビ=ヤウ次元膜を示す。
これを経由することで宇宙空間の3次元座標はいかなる位置からでも距離をほぼゼロにできる。
ミッドチルダとヴァイゼンはほぼ同時にこの結論にたどり着き、さらなる大威力の次元破壊弾頭と、これを防御できる迎撃システムの開発に注力していった。
そしてその過程で、未知の次元世界を発見し、その多くは無人世界であったが、時には、そこからロストロギアに該当する物体が発見されることもあった。
つまり“過去の人類はそこの次元世界に到達していた”が、現代の次元世界人類にその記録が継承されていないということだ。
従来は古代ベルカ時代にそのほとんどがつくられたと思われていたロストロギアが、実際にはさらに古い起源を持っている可能性がある。
新暦40年代ごろから、ミッドチルダとヴァイゼンは外宇宙探査に力を入れ、多数の無人宇宙探査機を打ち上げた。
未知の次元世界と、未知のロストロギアが発見されることが期待された。
そして新暦83年、ついに第511観測指定世界と、惑星TUBOY、バイオメカノイドの存在が、次元世界人類の知るところとなった。
クロノは闇の書事件において、管理世界が未知の次元世界からの侵攻を受けることを想定していた。
闇の書は破壊されるたびに転生を繰り返し、さらに自律次元間航行能力を持つ。
これは管理局が把握していないところで、未知の次元世界にも闇の書が進出していた可能性があることを意味する。
グレアムは闇の書の追跡を行うにあたり、闇の書本体が第97管理外世界に留まったまま、周辺のいくつもの次元世界に探索魔法が発射されていく様子を観測していた。
これまで管理局は闇の書の本体を破壊することのみに集中してきたが、実際には闇の書は複数次元世界での同時行動が可能なものであった。
そのために、第97管理外世界で闇の書本体を破壊しても、他の次元世界にその残滓が残り続けることが考えられた。
クロノはその事実をグレアムから聞き、そして闇の書事件が公的には解決したとされた後も、独自の追跡調査を行っていた。
そして、次元間航行に伴って闇の書が行った位相欠陥の操作により、虚数空間の揺らぎと次元断層の位置が変動し、未知の次元世界に棲息する魔法生命体が管理世界にあふれ出してくる可能性を突き止めた。
予想される場所は第97管理外世界と第1世界のちょうど中間であり、そして同座標に位置する次元世界は既に、第97管理外世界から伝わった生命反応を入手している。
ボイジャー1号が放った電波信号であった。
これを探知した惑星TUBOYは長年の眠りからついに目覚め、自身に課せられた全生命抹殺という任務を遂行するために動き出した。
この事態に対し、クロノは聖王教会からも独自に連絡を受けた。
カリム・グラシアは、かつてJS事件に際して機動六課設立のきっかけとなった預言の再解釈を行い、これがさらなる外宇宙からの脅威をも示唆しているとの警告を、管理局に知らせようとした。
しかし現代の情勢では、次元世界大国の思惑から管理局が独自に行動することは困難である。
管理局独自の戦力となるエグゼキューター計画も、ミッドチルダとの共同で進めなくてはならなかった。
第511観測指定世界への探査任務派遣も、管理局所属の次元航行艦クラウディアを、ミッドチルダ海軍隷下に編入しての作戦となった。
ミッドチルダの専制行動は管理局にとっても身動きをとりにくくするものである。
クロノ、カリム、そしてティアナは、それぞれの立場から決起を意図した。
聖王教会はこの現代への聖王復活を明らかにし、騎士団の戦力編成を行う。
管理局は選抜執務官たるエグゼキューターを擁し、次元世界大国の意向に縛られない機動戦力を立ち上げる。
そしてクラウディアは第97管理外世界へ向かい、現地研究機関による、ロストロギア『エグゼクター』の起動を見届けることになった。
「ミッドチルダ艦隊の巡洋艦が現在、本艦についてきていますが、彼らにはエグゼクターの正体を」
クラウディア航海長のアルティマ・ヤナセ三佐が質問する。
現在クラウディアはイギリス本土の陸地に差し掛かるところを飛んでおり、ミッドチルダ海軍のXJR級巡洋艦が後続している。
彼らはもともとは第511観測指定世界派遣艦隊としてバイオメカノイドのサンプル奪取とクラウディアの拿捕を指令されているはずであり、現在クラウディアに対して行動を起こしていないのは地球人の目があるからである。
ミッドチルダ側としては、クラウディアに対する命令違反を追及すべきであるし、クラウディアはミッドチルダ海軍司令部の命令を無視して第97管理外世界への戦闘を誘ったと、少なくとも表向きはそう見られている。
「ミッドチルダが私を従えようとするならば」
ヤナセ三佐の言葉にティアナが応え、他の幹部たちもティアナのほうを振り向く。
「彼らは血と炎によって自らの行いを自覚することになるでしょう」
それぞれの重い意識が場に広がる。
エグゼキューター──ティアナが操縦していたとされるこの機体は、既にクラナガン中央第4区での戦闘で、攻撃を仕掛けてきたミッドチルダ陸軍の魔導師に対し反撃を行っている。
事情がどうあれ未知の相手を撃てば撃ち返されるのは道理であり、エグゼキューターに刃向かうことが何を意味するかは、ミッドチルダは思い知っているはずである。
自覚が足りないならば更なる自覚を促す。
その結果として、命が代償に支払われるだろう。
このエグゼキューターは、その動力に正しく人間の命を使っている。組み込まれた動力炉の中には、人体から取り出されたリンカーコアが詰め込まれている。
アレクトロ・エナジーは、エグゼキューターに搭載する動力として生体魔力炉を製造し、これはさまざまな世界から集められた人体が使われた。
第97管理外世界ではアブダクションなどと言い伝えられ、採取した人間をクローニングして増やし、リンカーコアを抽出していった。
ティアナはあえて口には出さないが、クロノはその背景を知っている。
そしてフェイトも、アレクトロ社を捜査して得られた情報、また同社保安主任プラウラー・ダッジの証言として、アレクトロ社とアメリカNSAが共謀してグレイ──バイオメカノイドの技術を奪取するために蘇らせた個体──を地球へ招き入れたことを知っているだろう。
人はこの機械仕掛けの巨人を、命を喰らう悪魔と恐れるだろう。
エグゼキューターの力は生まれたそのときから、最初から血塗られているものである。
「本艦はあくまでも単艦による作戦行動をとるということを忘れてはならん。現在、地球に留まっているミッドチルダ艦があるからといって彼らが我々に協力しているわけではない。
彼らは軍というシステムの中で、命令系統を離脱した存在に拒否反応を持つのはごく自然なことだ。我々は常に敵に囲まれた中で戦っていくということを心しておけ」
クロノはこの出航に際し、クラウディアの全乗員に訓示を行っていた。
これからの航海は長く苦しいものになるだろうが、それでもミッドチルダをはじめとした次元世界が批判するような無用の公務員として生涯を終えるよりは、ずっと意義のあるものである。
ただひたすら司法を捏ね繰り回すだけの歯車ではない。
たとえ逆賊と詰られようとも、この世には人間にばかり都合よくなどできていない、それを他ならぬ自分たち自身をも含めた次元世界人類に、身を持って理解させる必要がある。
組織に縛られた、ただ命令を待つだけのものではなく、自分たちの考えで世界に働きかけていく。
その意識の改革が必要な時期が差し迫っている。
クラウディアの行動は、大きな、そして激しい契機となる。
火種であり、きっかけであり、そして導火線である。
ミッドチルダとヴァイゼンだけではない、他の多くの次元世界に対しこれは知らされなければならない。
現在の、膨張しきって破裂しそうになっている軍事バランスの緊張を、管理局が主導して組みなおさなければならない。
そうしなければ次元世界人類はバイオメカノイドという脅威に勝てず、自滅してしまうだろう。
巨大国家という、とても動きの鈍く意思統一が困難な組織に対し、活性化を促さなければならない。
管理局本局でも、レティ、そしてリンディが、それぞれに動き始めている。
聖王教会は、この危機に対して人々の心を支えなければならない。
すべての人々が、自分たちが暮らす世界を守るためにそれぞれの仕事に立ち向かうのだ。
そのためならば人類の敵にさえもなることを辞さない。
クロノ、ウーノ、そしてクラウディアの全乗員76名は、その覚悟を持ってこの航海に臨んでいる。
朝方、セインはただならぬ気配を感じて目が覚めた。
住み込みのシスターたちが寝泊りする寄宿舎にセインは入っており、新年の祭事を終えてほとんどの者が休暇をとって里帰りなどしている中、聖王教会本部に残っているのはセインを含めたごくわずかである。
枕もとの時計を確認する。
午前4時20分過ぎ、まだ朝の支度をするにはやや早い。
外は暗く、空気は冷たい。
窓の外、教会の正門まで伸びてくる道の、石畳を囲む草原の中に、人影が見える。
それも一人や二人ではない。
大勢の人間が、この聖王教会本部を取り囲んでいる。
ただごとではない事態を察し、セインはじっと息を潜めて気配をうかがった。
もし外にいるのが堅気の人間でないのなら、インヒューレントスキルを使えば間違いなく探知されてしまう。
ひたすら感覚を研ぎ澄まし、耳と皮膚で気配を感じ取る。
冷えきった草の葉を踏み鳴らす、乾いたきしみ音が聞こえる。
正門から、あくまでも普通の手続きで訪問しようとするのは厚手の冬用スーツとジャケットを着込んだ男たちだ。
しかし周囲の草むらや立ち木などに隠れ(アンブッシュし)て、おそらく30名近い男女の魔導師が配置されている。彼らの動作からは、衣擦れの音がしない。すなわち、既にバリアジャケットを装着し臨戦態勢にあるということだ。
セインは意を決し、寄宿舎を出た。
あくまでも普段どおりに、朝の支度をするように装い、正面の庭に出る。
噴水はまだ動いておらず、水は凍りついたように、星空を映している。
「どうしました?」
白い息が見えるのは、自分の目に反射した光だ。
スーツの男たちは応えない。
ただ、4人いるうちのひとりがセインに向かって歩いてくる。
その動作には、一般にイメージされるような高級官僚らしい雰囲気は無く、荒い無骨さがにじみ出ている。
ミッドチルダ陸軍。あるいは、情報部の人間か。
他のシスターたちはまだ寝静まっているだろう。
セインはじっと、左足を擦って立つ向きを変える。
「何の御用でしょう」
教会を訪れる参拝者に対応するように、セインは平静を装って呼びかける。
男たちは何も言わず、無言でセインに向かってくる。
冬の早朝、冷たい空気に、速まる心臓の鼓動さえかき消されそうだ。
ディープダイバーを起動して地面に潜るとするなら、所要時間は最短でも0.2秒となる。
一般的に使われるデバイスの魔法発動速度なら、発射操作を行う人間の反応速度を考慮しても数十ミリ秒単位で、バリアジャケットなしではどうしても防御しきれない時間が生じる。
「すみません、礼拝でしたら……──ッ!」
反射的にディープダイバーを起動したが、間に合わず足首まで潜ったところで解除されてしまった。
セインは全身が痺れたように、身体の感覚がなくなるのを感じていた。痛みや熱さを感じたのではなく、感覚がなくなったということを感じ取った。
視界の瞬きから、スタン系の魔法を使われたのだという程度をやっと理解する。
暗い夜の中、教会の石畳の、白い丸石の表面が目の前に迫り、そこでセインの意識は途切れた。
うつぶせに地面に突っ伏したセインを、動かなくなったことを確認すると4人の黒スーツの男たちは手を上げて周囲に合図した。
彼らの合図に従い、魔導師たちは教会の建物を取り囲む。
時間にして1、2分程度をおき、じりじりと包囲を狭めていた魔導師たちが、いっせいに教会本部の建物内に突入する。
彼らの装備するバリアジャケットは通常の陸戦魔導師のものではない。
隠密性に優れた、黒い衣のようなものだ。
ミッドチルダ陸軍の特殊部隊である。彼らが行う作戦とは、すなわち、潜入や戦闘地域での救出、そして暗殺などである。
彼らが手に持つデバイスには、魔力光とそれに伴う音の放出を抑えるサイレンサーが装着されている。
音波が回折する冷えた空気を、くぐもった魔法の発砲音が駆け抜けていった。
時空管理局本局には、通常外を見るためのガラスの窓というものはない。
本局の外は宇宙空間であり、また構造物の表面はおよそ数キロメートルの厚さにわたってエネルギー吸収ガスによる防御幕が張られているため、たとえ宇宙服を装備してもこの空間では危険である。
そのため、人間が通常活動する空間は外殻からある程度深くにあり、外の様子はモニターで見ることになる。
軌道上からミッドチルダ地上を監視している衛星のカメラに、クラナガン周辺の駐屯地から移動する数台の車両がとらえられた。
単なる装備や人員の輸送ではない。
その車両がクラナガンから北へ向かうハイウェイに乗ったことが確認され、道路上に設置されている車両追跡システムが登録証の自動照合を行う。
通常このような監視データはただ記録され続けるだけで常時監視の人員が置かれたりなどはしないものだが、今回、探知された車両の登録が軍用のものだったために即座にアラートが発せられた。
ただちに本局査察部へ情報が送信され、問題の車両の追跡を開始する。
車両は、通常の野戦用トラックだ。幌つきの荷台があり軽火器程度を載せて運んだり、荷台にそのまま魔導師が乗ったりする。
しかしそのトラックは、ハイウェイを下りてしばらく走ると、一見何もないはずの林道で止まった。
乗っている魔導師、もしくは積まれている武器を、別の車両に移し変えていることが予想された。
それから数十分後、ヴェロッサの手元のコンソールが、聖王教会本部からの緊急救難信号を受信した。
尋常ならざる事態が進行している。そしてそれはミッドチルダの軍部が関わっている可能性が非常に高い。
本局査察官ヴェロッサ・アコースは、このような事態が起きずに済むことを願っていたが、それはついに破られた。
いかに本局の高ランク魔導師が持つ探索魔法でも、軌道上からミッドチルダの地表を狙うことはできない。
ヴェロッサは、すみやかにこちらも魔導師を送り込んで調査をすることが必要だと判断した。
現在の時刻はクラナガン標準時で午前4時半を回ったところだ。
新暦84年1月2日、まだほとんどの人々は年末年始の休暇をとっており、また特に新年の催しもひと段落して人々は眠りについているはずである。
このような時期に、大きな動きを見せている企業や団体があればそれは非常に目立つことになる。
ヴェロッサは査察部のオペレーションルームから、本局内の電話(内線ではなく本局は独自の電話網を持っている)でフェイトを呼び出した。
調査任務において最も技術があるのは執務官であるフェイトである。
また彼女ならば、権限という意味では多少の無理は通せる。
受話器を肩に乗せて両手でコンソールを弾きながら、ヴェロッサは言葉を綴った。
念話回線の向こうで、彼女が息をのんでいる気配が伝わる。
「心中察するが、事態は急を要する。緊急転送ポートの手配はしている」
『ミッドが……聖王教会を制圧って……』
「僕ら管理局の最優先目標はカリム・グラシア少将の救出だ。教会本部の地下には避難用の迷路がある、そこへ逃げ込めていればある程度は時間を稼げる。
騎士カリムが陸軍情報部の手に落ちることだけは避けなければならない」
彼らはシスターたちをどう扱っているだろうか。
その実態はともかく、宗教としての聖王教会はミッドチルダでは支持が篤く、議員たちにとっては票田でもある。
少なくとも手荒なことはできないはずだ。
「重ねて頼む、急いでくれ」
『わっ、わかった』
回線を切り、ヴェロッサは続けてクラナガンにいる査察部の局員たちへ連絡を繋いだ。
ミッドチルダ政府の動きを探る必要がある。
このタイミングでミッド陸軍の特殊部隊が動いたということは、今回のバイオメカノイド事件において、クラウディアを指揮していた真の組織である聖王教会を抑え、クラウディアの独断専行を阻止する目的があると考えられる。
聖王教会は次元世界政府だけでなく、管理局の運営にも関与し、主に辺境世界を中心に管理局員の活動支援を行っている。
管理局所属艦の動き、すなわち管理外世界の調査などの外洋任務について、聖王教会の意向が反映されるというケースはじゅうぶんに考えられることだ。
そこで、今回のクラウディアの行動に何らかの背後関係があると予想を立てたのなら、疑いの目が聖王教会へ向けられるのは時間の問題といえた。
聖王教会本部には、主要幹部である騎士カリム、シスターシャッハの他には、元ナンバーズの戦闘機人たちが戦闘要員として配属されている。
彼女たちはいってみれば僧兵のようなものだ。
しかしそれが、次元世界政府の擁する正規軍と戦うことになるなど、この現代ではまず想定されていなかったはずだ。
過去の歴史では、まだ古代ベルカ戦乱期などであれば各地の教会が独立国を宣言して軍勢を率いたことなどはいくつか例があったが、近代国家が成立して以降そのようなケースは起きていない。
JS事件にしてもスカリエッティは単に研究を行うスペースとしてゆりかごを起動させただけで、たとえば聖王ヴィヴィオを奉じて独立しようなどと企てていたわけではなかった。
現在、聖王教会本部に残っているのはセインとディエチがいるはずである。
オットーとディードはヴィヴィオの護衛のために本局に移動していて、ノーヴェはヴォルフラムに乗り組み、チンクとウェンディは執務官補として第97管理外世界へ赴いている。
残るのは、本局にいるトーレが出ることができるか──というところだ。
少なくとも彼女はまだ外で公に活動できる身分を持っていない。
さらに、ヴィヴィオもまた、聖王教会が急の事態となればじっとしてなどいられないだろう。
士気を高める意味で、またこの事件に対する管理局の威信を示す意味で、聖王の出撃は必要かもしれない。
そうヴェロッサが考えたところで、ちょうどよくフェイトからの返信が届いた。
なのはとフェイト、それから案の定、ヴィヴィオも一緒に行くと言い出したそうだ。
ヴィヴィオが行くということは当然、オットーとディードも行くことになる。
大所帯になるが、今回転送ポートの使用許可が出ているので、本局から直接教会近くの管理局陸士部隊駐屯地へ移動できる。
『スバルたちはフレームの調整がいるから動けないけど、私たちはすぐに行けるよ』
「相手はおそらくミッドの情報部だ。正面からでは嵌められる危険がある」
『わかってる、大丈夫。クラナガンの執務官にも根回しをしてる』
「慎重にやってくれ」
突入時刻は15分後。
全員の転送が完了するまで3分、そこから装備を整え教会本部に向かうまで10分強といったところだ。
さらに周囲に展開するまでは、あとは現場で判断するしかない。
フェイトたちの出撃に先立ち、管理局の魔力戦闘機がミッドチルダ地上へ降下する。
万が一ということもある。ミッド情報部としては事件が表沙汰にならないよう手早く済ませる必要があり、自分たちが関わった証拠を残してはならないが、あるいは航空機を仕立てて上空から制圧しようとするかもしれない。
そうなった場合、こちらに航空戦力がない状態ではいっきに不利になってしまう。
空戦魔導師が装着する空戦用バリアジャケットはAEC武装と同様第5世代に含まれ、生身の魔導師を圧倒する戦闘力がある。もっぱら宇宙空間用であるが、大気圏内に降りることもできる。
クラナガンからも、フェイトの連絡に基づいて首都防衛隊が緊急出撃の手はずを整えた。
ミッドチルダにおける、管理局および聖王教会への明らかな実力行使。
ミッドチルダ政府としても、末端の各部署が独自に動いてしまうことを抑えきれない。
あるいはこの期に及んで、管理局に対立しようとしているということも考えにくい。政府の首脳部は先日の査問会で話し合われたとおり、管理局との協力体制をとるよう、国務省から進言されているはずである。
だとすれば、事件鎮圧のためにミッドチルダ陸軍の協力が得られるか、もしくは中立姿勢を保つよう要請することも可能なはずだ。
第97管理外世界にいるエリオからもたらされた報告も気になるところだ。
現在、次元世界人類を公式に認知しているのはアメリカ、イギリス、そして日本のごく限られた政府筋のみであり、たとえば各国の警察や軍、情報機関も、部署によっては次元世界の干渉を知らない者たちがいる。
グレアムが巻き込まれた爆破事件の捜査の過程で、そのようなかなり大きな規模の組織が存在する可能性が浮かび上がってきたとエリオは報告していた。
こうなると、彼らが安全に本局まで戻ってこれるかどうかというのも怪しくなる。
場合によっては現地武装組織の襲撃を受ける可能性があり、そうなると管理世界の人間と管理外世界の人間の間で戦闘が発生する。
地球と管理局の関係が危うくなってしまう危険があるのだ。
真に対処すべき敵を誤ってはいけない。
地球とミッドチルダで、それぞれの人間たちの思惑が、網を絡めるように複雑に交錯しつつある。
聖王教会本部の地下室で、カリムは持ってきた情報端末に預言の内容を入力していた。
突如教会を襲撃してきた者たちは、教会に保管されている文書資料を入手しようとしていると思われた。
カリムはただちにシスターたちを避難させ、自分は執務室に置いていた預言の内容を書き起こした文書を持って地下室に避難した。
この情勢の中で、最も奪われてはならないのは第511観測指定世界の発見を預言した詩文である。
逆に言えばそれさえ守れれば、他は捨て置いてもよい。そのほかの過去の詩文や教会の教本などは、内容そのものは他にいくらでも書き写しのあるものや既に出版されているものである。
シャッハが点呼を行い、欠けた者がいないことを確かめた。
教会本部中央の中庭で、ディエチが防衛線を張っている。地下室に下りる階段は寄宿舎と礼拝堂の両方にあるが、おそらく礼拝堂の階段は見つかるまでに時間がかかると思われる。それまでに、ディエチは何とか礼拝堂へ移動しようと様子を伺っていた。
教会に住み込んでいるシスターたちは寄宿舎で寝泊りし、こちらから地下室へ降りる階段はすでに崩して埋めている。
カリムの私室はすでに突入部隊が入り込んでいたが、こちらには重要な資料はない。カリムが持っていった端末以外に、詩文は入力していないし、文面そのものはJS事件の際に発表されたもので、解釈もすでに発表済みだ。
この詩文を第511観測指定世界に結びつけた解釈は、まだカリムはシャッハとセインに話したのみで、ヴィヴィオにも知らせてはいない。
『ディエチ、シスターは全員そろってます。そっちはどうですか』
念話でシャッハが聞いてくる。ディエチはイノーメスカノンを構え、中庭の茂みに隠れて慎重に移動ルートを目算する。
固有武装であるこの携帯魔導砲も、対人戦に必要十分な程度の威力に抑え、サイズを小さくしている。
駐退機構を銃身前面に被せて取り付けることで全体の長さを短縮し取り回しを改善している。
「ほとんどは寄宿舎を漁ってるようです。ただかなりしつこく調べまわってます、なんとか礼拝堂を基点に陣を敷ければ。
負傷者はでてませんか?」
『みんな軽傷で、とりあえず治癒魔法で応急処置はできそうです。セインも何とか意識は戻りました』
最初に突入部隊に遭遇したセインは背後からバレルショットを撃たれ、強烈な物理衝撃で昏倒していた。
突入部隊が教会内に入っていった後、起き上がりディープダイバーで地下室まで潜ってきた。
バレルショットの衝撃波でかなり激しく脳が揺れたようでしばらく足元がおぼつかない様子だとシャッハはディエチに伝えた。
敵はおそらく捕縛系に重点を置いた魔法を使用している。
派手な魔力光を吹き散らす通常の砲撃魔法を避け、確実な打撃力を有する術式だ。
ディエチの側としては、現在こちらが襲撃を受けていることを知らせることは有利につながる。
イノーメスカノンから、閃光弾を撃つ。
上空から斜めに照らし出され、伸びた影に人間のものが含まれていないことを確認するとディエチは礼拝堂へ走った。
すぐ後ろで、これもバレルショットだろう、地面の土が激しく弾けて吹き上がる。
目標を外したバインドが、空中で礫を引き付けて弾き飛ばす。
「っ!!」
イノーメスカノンを床に滑らせるように放り出し、前転して受身を取る。
走ってきた衝撃を緩和しつつ、起き上がって砲撃体勢へ移行する。
礼拝堂の中は突入部隊の兵士が3名入ってきており、二人が祭壇の裏を調べ、もう一人が周辺警戒に立っていた。
ディエチが入ってきた横の通用口からはどちらも左右にそれぞれ腕一本分程度離れた角度で、ちょうど祭壇の裏もこちらからは見える。
向かって左側、祭壇の表側にダッシュし、礼拝者用の長いすを遮蔽物にしてディエチはイノーメスカノンを構えた。
この暗がりで、お互いに暗視装置を使っている。
こちらは普通の教会用バリアジャケットを纏っているように見えるだろう、しかし、相手が着ているのは明らかに実戦用のスニーキングスーツである。出所を示すようなバッジやエンブレムはないが、あれは、ミッドチルダ陸軍が使用しているとされる隠密用バリアジャケットだ。
かつてナンバーズとして活動していた頃、ミッドチルダの主な装備としてウーノが調べていたものを見せられたことがある。
発砲。
暗視装置越しなら、生身の人間とは異なる発熱具合を持つ戦闘機人であることを向こうは見て取ったはずだ。
特にディエチの場合、遠距離からの砲撃主体に性能が調整されているため、腕の付け根や腰などにショックアブソーバーが組み込まれ、この部分が稼動に伴って特に発熱する。さらに顔面も、索敵装置を組み込まれた眼球は通常の人体の体温よりも高い熱を持つ。
通常のマンシルエットではない、異様な姿が突入部隊には見えただろう。
「ターゲットキル、次へ」
抑揚を抑えた声でつぶやき、ディエチは祭壇の裏へサーチを向ける。
警戒に立っていた兵士は胴部中央への一撃で仕留めた。イノーメスカノンの速射砲弾で吹き飛ばされ、少なくともデバイスを取り落としたので再度攻撃に移るには時間がかかると思われた。
──今の攻撃で生きているとすれば、Sランク以上の防弾バリアジャケットを装備していた場合である。そうでなければ、弾丸の衝撃が肋骨を粉砕しているはずだ。
ディエチを含めたスカリエッティ製戦闘機人たちは、JS事件後には全員に身体能力のデチューン処置が施されている。
更生プログラムを受けるにしろ、強すぎる力を持たせておくことはしないため、程度の差こそあれ元ナンバーズたちの戦闘能力はJS事件当時よりも低下している。
連続戦闘では疲労の蓄積度合いも変わってくる。
また瞬間速度や筋力などもかなり下がっている。
イノーメスカノンのような大型武器を取り回すのも不便になったため、軽い素材で作り直すなどの処置を行っていた。
「一体何をしているんだ……」
砲口を向けた先、突入部隊の兵士たちは念話で応援を呼び、デバイスを構えて応戦する姿勢を見せながら、それでも何かを探していた。
戦術の基礎に基づいたものではない。
相手はディエチを探そうとして入るが、同時に別の目標を探している。
戦場において複数目標を同時に相手取ることは避けなければならないことである。
人間の注意力は複数を相手にすればきっかり半分にはならない。半分以下に大きく低下してしまう。これはもちろんマルチタスクなどの技能を使ったところで変わらない。
ディエチは思い切って声に出した。肉声での警告に応えないのなら、もう問答無用で撃たれても文句は言えないはずだ。
対話を、向こうから断ったことになる。
「デバイスを置いて手を上げろ!その場を動くな!」
デバイス。ミッドチルダでは、魔力機構の有無を問わず武器全般をdeviceと呼ぶ。
単にデバイスといった場合、特に魔法を使うための魔導デバイスのことをさすが、火薬式の銃器や、鈍器、刀剣類、打撃武器なども、魔力を使わなくてもデバイスと呼ぶ。
魔力を使わない火薬拳銃などの実弾武器は、特に区別する必要があるときはPhysical Device(物理武器)と呼ぶ。
「……!」
1秒、数える。
暗視装置の送る視覚の中、二人の突入部隊兵士はデバイスを下げない。
こちらも立ち止まっている。撃とうとすれば狙えるはずだ。それとも、教会の修道女がこんな大掛かりな武器を持っているとは予想していなかったのか。戸惑っているのか。
違う、とディエチは悟っていた。
彼らは、混乱している。
正確には、自分たちの持っていた規範を疑い始めている。彼らに命令を下したのがどこの誰であるにしろ、彼らはこちら側、聖王教会側を敵として教えられたはずだ。
ミッドチルダに住む人間で、聖王教会本部の場所を知らない人間などいない。
ここに建っている建物が教会本部であると、知っていて突入してきたはずだ。
彼らに命令を下した組織は、聖王教会が実力行使を受けるに値する何かをしたと、教えたはずだ。
しかしここにきて、彼らはそれが嘘の命令だったのかもしれないと思い始めている。
だが、武器は下げない。
依然として、こちらを攻撃しようとしているとみなせる。
もし目当てのものを見つけられなければどうするか。シスターたちをひとりひとり尋問し自白させるのか。
そこまでされる道理は、少なくとも無いとディエチは思っていた。
「!」
立て続けに2発の速射砲弾を撃ち、祭壇の裏にいた二人を撃ち倒す。一人は腕に弾が当たり、右腕の肘から先が飛んでいった。
セインが念話で、敵は少なくとも30人以上いると伝えてきた。
これまでに倒したのは少なくとも7人、まだ大部分が寄宿舎を捜索している。
仮に崩された地下への階段を見つけたとしても掘ることはできない。
『ディエチ、私がディープダイバーでさぐってくる』
「無理はしないで。向こうは少なくともこっちを口封じするよりも大事な目的があるみたいだ、それを達成するまでは動かない。
もし目的のものを見つけられなかったらあきらめて帰るかもしれない」
『でも』
「長引くと見つかる可能性が高くなる。向こうとしてはそれは避けたいはずだ、本当なら突入してすぐに騎士カリムの部屋に向かって、それで何かを見つけられたらそのまま脱出する作戦だったはずだ」
ディエチが砲撃で応戦したので突入部隊はしばらく足止めされ、その間にカリムとシスターたちは地下室へ避難できた。
ディエチが中庭に移動した後、突入部隊が教会内に他に応戦できる人間がいるかどうかを探すよりも寄宿舎の捜索を先に始めたことで、彼らの目標は教会内にある何らかの資料もしくは品物を入手することだと思われた。
その目標物とは、事ここに至ればひとつしか考えられない。
『きっと騎士カリムが持ってる預言の解釈だ、それを狙ってる。はやてさんが今調べに行ってる観測指定世界の』
「それは──まだ未発表の?」
『うん』
遠方、教会の2階テラスに上がってきた兵士をさらにひとり、遠距離砲撃で倒す。
念話越しに、イノーメスカノンの野太い発砲音が轟く。
「どうして解釈が問題になる?」
『これまでにない外敵の存在だよ』
慄いた声色でセインが言葉を吐き出す。
カリムの預言は時にロストロギアの災厄を予知することもあり、管理局では長期作戦の指針にしてきた。
しかし誤解されやすいことだがこれは未来予知ではなくあくまでも既知の事柄に基づいた分析と洞察である。したがって、外部に知られていない情報を基にした預言というのは本来ならば出現しないことになる。
ゆりかごもまた、その存在自体は管理局や各国政府には知られていたし、ミッドチルダの惑星にはかつて墜落して埋まった古代ベルカ時代の戦艦があるという程度は知られていた。
しかしこれが、未知の次元世界を表していた場合。
いったい誰がその存在を知っていたのだ、という話になる。
どこの誰が入手していた情報に基づいて預言が組み立てられたのだ、という疑問だ。
詩文そのものは新暦75年の時点で発表されていた。
すなわち、もしこの預言が第511観測指定世界のことを表していたのなら、その時点で少なくとも次元世界人類の誰かが第511観測指定世界の存在を知っており、何らかの有意な情報を入手していたことを表す。
公式には、新暦75年に打ち上げられた宇宙探査機によって新暦83年に発見されたことになっている。
第511観測指定世界の存在は、これ以前には知られていなかったはずだ。
もちろん非公式では──その限りではない。
ミッドチルダ政府は少なくとも10年以上前から、位相欠陥に阻まれて観測困難な未知の次元世界が存在する可能性に確信を持っており、そのために外宇宙探査を行っていた。
それはその次元世界を占領することで、軍事的に、地政学的に、優位な立場に立つことを目的としている。
この情報は外部に知られてはならない。
同様に、外部の人間が独自の分析によってこの情報を入手することも阻止しなくてはならない。
「──だから、預言の解釈を」
『たぶん、それしか考えられないよ。ここにあるものでやばいものっていったらあれしかない』
ミッドチルダにとっては、聖王教会がこの預言の解釈を発表すれば、自分たちの極秘計画が暴かれてしまうおそれを考える。
預言を発表し、カリムのレアスキルの仕組みを知っている者からすれば、どうしてそれをミッドチルダ政府が知っているのかという考えに至るのは自然な流れだ。
ましてや、JS事件さえそれをカムフラージュするために起こされたのではないかとも疑われる危険がある。
「どっちにしろ口封じだね」
吐き捨てるように言い、ディエチはイノーメスカノンを構えなおした。
そもそもの話をすれば、ミッドチルダが秘密にしていた陰謀が、預言をきっかけに暴露されてしまいそうになったからそれを阻止しようというものである。
だとしても、すでに第511観測指定世界惑星TUBOYは発見され、そこからミッドチルダに持ち込まれたバイオメカノイドはクラナガンに放たれ、広大な都市が壊滅する被害をもたらしている。
クラナガンでは今も、管理局地上本部とミッドチルダ陸軍がそれぞれ、すべての部隊を動員しての救助活動と、残存個体の捜索を行っている。もし撃ちもらしたバイオメカノイドが残っていれば、今いる被災者たちや他の地区が襲われてしまう危険がある。
この事態がミッドチルダの責任にされてはひとたまりもない、と考えるのは自然といえる。
しかしそれも、管理局としてもどうしようもないし、聖王教会としても困ったことである。
「今さらっ……どうしてこんな、教会本部に突っ込むなんて大げさなことを」
『そこまでは……でも、このまま夜が明けるまで持ちこたえれば』
「私がそこまで持たない──っ、よ」
薄明るくなり始めたクラナガンの市街地の空を向こうに、寄宿舎の通用口付近で魔力光がきらめくのをディエチは見た。
同時に、右肩のあたりに鈍い衝撃を感じる。
至近距離で、肉が叩かれる湿った音が響く。
『ディエチ!?』
「くっ──、大丈夫、弾は抜けた──」
被弾した。バレルショットではなく、通常の射撃魔法だ。バリアジャケットを貫通するレベルまで圧縮された魔力の塊が高速でぶつかり、ディエチの右肩を貫いた。
体内で機人フレーム部分にぶつかり、弾道を曲げながら背中側に抜けていった。
とっさに右肩を押さえ、傷の具合を確かめる。
人体の骨格と、それを覆うように配されたチタン合金のフレームのうち、魔力弾は肩関節と鎖骨の間あたりを抜けた。
フレームには異常は無いようだが、生身の鎖骨が、おそらく折れている。
左腕にイノーメスカノンを持ち替え、応射する。
こちらとしてはあまり教会の建物を壊すわけにもいかないが、暗視増幅により向かいの寄宿舎に隠れている相手を見つけ出す。
「さらに2人──、あと周囲には、たぶん、相手は寄宿舎から事務所棟へ向かってる」
『ディエチ、撃たれたの!?腕は、フレームは大丈夫なの』
「大丈夫、痛みがあるってことはどこがやられたかわかる、機能は失われてない──」
すでにイノーメスカノンの砲撃を命中させた敵は10名近くになる。
数えた限りでは敵の戦力の3分の1近くを減衰させたことになるが、ディエチはいまさらのように、砲を持つ腕が震えているのを感じていた。
JS事件の後、ナカジマ家に引き取られてからもう8年が経つ。
何度か、管理局入りを打診されたこともあった。同じようにナカジマ家に引き取られたチンク、ノーヴェ、ウェンディは管理局に入り、それぞれの仕事についている。
事件の現場にも出たこともある。それからも、この専用魔導砲を人間に向けて撃ったことは、久しく無い。
元々対物砲として使うことが多かったイノーメスカノンは人間相手にはオーバーキルな破壊力がある。
小型化して威力を落としているとはいえ、まともに当たれば人間を文字通り粉砕して吹き飛ばしてしまう。
ディエチ自身、後方から支援砲撃を行うガンナーとして機体を調整され、普通の人間では持って撃てない大型のグレネードランチャー(魔導榴弾砲)やガトリングガンを扱える身体能力がある。
自分の力はそれだけ、人間を超えている。
弱装弾に切り替えたイノーメスカノンを持ち直し、ディエチは礼拝堂の石畳の上から、寄宿舎の回廊を狙った。
ここは壁が無く雨よけの板葺き屋根が渡してあるだけで、ここを通ろうとすればそのときだけ無防備な状態を晒すことになる。
「なんとか外と連絡を取れるように」
『今やってるよ、呼び出してるけど、たぶんオットーもディードも本局にいるはずだから届くかどうか』
「私一人で30人斬りは、厳しいよ」
『もちろんわかってる、ディエチだけにやらせるわけにはいかない』
「本局は──大丈夫。必ず来る」
ディエチは空を見やり、軌道上にあるであろう管理局本局の方角を見つめる。
ミッドチルダの軌道上には偵察衛星が飛んでいる。これがどれだけのレベルで地上を監視しているかというのは軍事機密でありこれを当てにすることはできないが、少なくともカリムとシャッハが緊急通報を発信しているので、いずれ近隣の警察なりが事態を発見する。
また相手も、地元警察の介入が始まる前に任務を終えて離脱し、そして証拠を残してはならないはずだ。
正規軍の関与が疑われてはならないはずだ。
だからこそ、魔力残滓の検出しにくい魔法を主体に装備している。
地下室では、自分も戦うと息巻くシャンテをセインとカリムが何とか宥めているところだった。
年末年始の時期も、シャンテは実家が無いので教会に身を寄せている。
相手はプロの特殊部隊であり、インターミドル出場経験を持つとはいえ所詮素人のシャンテではどうしようもない。
さらに突入部隊が最初に撃ったバレルショットを掠っており、足首が酷く脱臼していた。バレルショットはバインドで目標を固定した上から衝撃波を当てる魔法であり、人体に命中すると特に関節に巨大な荷重が掛かる。
バリアジャケットを装備していればまだしも、生身で受ければ容易に骨折や筋肉断裂を引き起こす。
治癒魔法でどうにか痛みは緩和しているが、シャンテは戦闘が不可能だとシャッハは見立てていた。
「下手したら閉じ込められる危険がある、とにかく応急処置をして、傷を深めないで」
砲撃の威力を上げれば壁の向こうにいる敵も狙えるが、当てる箇所を考慮する必要がある。柱を折ったりすると建物全体が崩壊する危険がある。
再び寄宿舎の2階窓から射撃魔法が撃ち下ろされ、ディエチは中庭の石塀に飛び込んで身を隠す。
高速の小口径魔力弾が背中を掠り、フレームに当たって弾き飛ばされるが細かく叩くような感触が伝わる。
戦闘機人の身体はある程度の耐弾性を持っているが、それでも痛覚は遮断しきれない。
身体を切りつける痛みに、砲撃で丸ごと吹き飛ばしてしまいたいという意識がわきあがってくるのを抑える。
怒りに任せて力を振るってはいけない。
それでも、身を守るためには敵を倒さなくてはいけない。
「早くあきらめて……」
絞り出すように呻き、ディエチは2階の窓を狙って砲撃を撃ちこむ。
弾が天井に当たって木切れが散らばる音が響き、足音がそれに続く。敵は寄宿舎と事務所棟の間に陣取っているようで、ここに立てこもられるとこちらも手が出しにくい。
焦れば、それだけ注意力が落ちる。
冷たい空気を呼吸し、のどが冷えて渇く。
寄宿舎の建物の向こう、森林地帯の中のあたりで、小爆発が起きるのが見えた。
木々が一瞬だけ照らし出され、爆音がかすかに聞こえてくる。
にわかに兵士たちの動きが騒がしくなる。彼らがここまで乗ってきた車が破壊された。
別勢力の襲撃を察知し、兵士たちの注意が一瞬、ディエチからそれたように見えた。
『ディエチ、なのはさんたちが!』
セインの声が念話で届く。同時に、ディエチは自分の胸に重い衝撃を感じた。
「敵が逃げ出そうとしてる──っ」
魔力弾の運動エネルギーを正面から受け止めたフレームが、その衝撃を跳ね返して周囲の生体組織が揺さぶられる。
体内への直撃を避けても、弾丸が持つエネルギーはディエチの小さな身体を激しく突き動かす。
『なのはさんたちが助けに来てくれたんだ、今、呼び出してる!通信がつながったよ、ディエチ、──ディエチっ!?』
「だ……じょうぶっ、まだ……」
『ディエチ!!どうしたのっ、聞こえてるの、ディエチ!』
膝の力が抜け、立っていられなくなる。
目の前が一瞬揺らぎ、衝撃波が空気中の水蒸気を結露させて吹き飛ばすのが見えた。バリアジャケットの破片が、水煙をつくって散らばっていく。
敵がうろたえた様子を見て、自分の注意も途切れてしまったと気づいたときには遅かった。
突入部隊の兵士が撃ったバレルショットが、ディエチを直撃した。
イノーメスカノンが弾き飛ばされて遠くの地面に転がり、胸がひしゃげるほどの衝撃を受けて突き倒される。衝撃波は修道服をちぎり飛ばし、皮膚が裂ける。肉の繊維がちぎれる音が聞こえる。
寒気を素肌に浴び、体温が奪われていくのをディエチは感じていた。自分の身体が仰向けに地面に倒れている。
胸の辺りに穴があいたような感触がする。フレームの上から魔力弾を叩きつけられ、肋骨と胸骨が砕けている。
脳への血流が弱まり、意識が急速に霧散していく。
必死に呼びかけるセインの声をつかめないまま、ディエチの意識は朝靄の中に消えていった。
ワイドエリアサーチによるスキャンで、教会から離れた森の中の開けた場所に不審なピックアップトラックが停められているのを発見したなのははフェイトに連絡し、ただちにこれを破壊に向かわせた。
教会本部を襲撃したのが陸軍情報部の小隊ならば、ここまでやってくるのに人員を輸送する車両が必要なはずである。
ピックアップトラックは一見して放置車両に偽装されていたが、よく見ると塗装も新しく、また魔力残滓が検出されたため不審車両と断定し破壊措置が取られた。
それからまもなく教会にいる戦闘機人セインとの通信がつながり、さらにカリムとシャッハの無事も確認された。
教会本部に突入してきた兵士たちは教会事務所を中心に潜んでいるという。
『なのはさんっ、ディエチが、ディエチが撃たれて、返事がないんだ!外で、応戦してたんだけど、敵が多くてっ』
「落ち着いてセイン、地上の建物に残ってるシスターはいないんだね?私たちはすぐに敵部隊の掃討にかかるよ」
『ディエチがいるはずなんだ、あいつら、シャンテにも魔法を撃って、怪我したシスターもいる』
陸軍情報部であればバレルショットを使う。
なのはの場合は闇の書事件のときに管制人格相手に使ったことがあるが、陸軍で使用されるものはさらに威力が大きい。さらに人間よりも防御力の高い管制人格相手には動きを止める程度しか効果が無かったが、人間に使えば骨格を砕くほどの荷重をかける。
戦闘機人がこれを被弾した場合、フレームが歪み、駆動に支障を生じる可能性がある。
さらにフレームで保護されている心肺部分も、至近距離で炸裂する衝撃で損傷する危険がある。
セインの泣き叫ぶような念話を聞き、フェイトは眉を顰めた。
軍人とは国民を守るための職業であり、国民を傷つけるなどもってのほかだ。聖王教会本部もまた、そこに住み込んでいるシスターはミッドチルダ国籍を持っている。
たとえ聖王教会が事実上の治外法権を持っているといわれていても、次元世界最大宗教の総本山に対してこのような異常な実力行使に出るなど、発覚すればミッドチルダはますます各国からの非難を受けることになる。
それがわからないのか、となのはは口元を引いた。
遠距離からの砲撃では教会の建物に二次被害が出てしまうため、敷地内に突入しての白兵戦を行う必要がある。
こうなると、もともと近接格闘戦主体のヴィヴィオが力を発揮する。
「ママ、私が前に出る。ディードが持ってきてくれたこのバリアジャケットならたいていの対人魔法は防げるよ」
「油断しないでヴィヴィオ。ジャケットの防御力はあくまでも最終手段、攻撃を受けないことが原則だよ。必ず遮蔽をとって、一度に複数を相手にしないように」
「うん、わかったママ」
なのはとフェイトは飛行魔法で飛び、ヴィヴィオ、オットー、ディードはクラナガン郊外上空で合流した管理局の戦闘機につかまって移動し降下する。
戦闘機は魔力エンジンの排気が大きな音を出すため、建物の中にいても気づくだろう。
管理局所属機の接近を察知すれば、陸軍情報部としても急ぎ撤退しなければならなくなるはずだ。
『ハラオウン執務官、地上本部からの返事が来ました。緊急逮捕の要件を満たします、突入部隊の拘束は可能です』
「わかった。すでに教会内で戦闘が発生している、もしかしたら人数が欠けるかもしれないから、書類の準備を」
『了解です』
現地の執務官からの連絡を受け、フェイトはなのは、ヴィヴィオ、オットー、ディードのそれぞれに交戦許可が下りたことを伝達する。
管理局の権限でミッドチルダ陸軍の聖王教会に対する違法行動を摘発する。
セインの報告から、ひとり残って応戦にあたっていたディエチが戦闘で負傷したと伝えられた。
戦闘機人であり常人からは並外れた耐久力を持つ彼女だが状況は予断を許さない。1秒でも早く現場に到着し確保しなければならない。
『陛下、まもなく教会上空です。ぎりぎりまで高度を下げます、着地降下の準備を』
戦闘機のパイロットがヴィヴィオに伝える。管理世界で使われる戦闘用航空機は形態としては空戦魔導師のバリアジャケットが大型化していった結果できあがったもので、成り立ちそのものが異なるため地球の戦闘機に比べると非常に小さい。
これは無人航空機でも同様であり、たとえばガジェットドローン2型は翼幅も全長も3メートル程度しかない。
「準備はOKです、私の合図で投下を」
ヴィヴィオの後ろでパイロンにつかまるディードが3人を指揮する。
なのはは上空から索敵と支援砲撃を、フェイトとヴィヴィオが教会内で敵の制圧を行う。
「みんな、行くよ!」
「うんっ!」
なのはの号令と共に、全員が教会本部へ向かって突入する。ヴィヴィオは教会の中庭に向かって降下し、オットーの展開するホールディングネットを使って減速、着地する。
東の空がわずかに明るくなってきており、夜空の、東の端がぼんやりと浮かび上がっている。
3人が降下していったのを確認した戦闘機から照明弾が発射され、教会の中庭を照らし出す。
中庭にはところどころに魔力弾が命中した穴が開いており、石畳がそこかしこで割れ、石灰の粉が飛んでいた。
激しい戦闘が行われたことが容易に想像できた。
「フェイトちゃん、東館へ!そっちに敵が集まってる」
「了解!ディード、オットー、ヴィヴィオを頼むよ!」
「はいっ!」
フェイトは寄宿舎の上を飛び越して反対側の棟へ向かう。こちらは教会に隣接した司祭たちの屋敷につながっており、応接用の部屋が入っている大きな建物がある。反対の西側には礼拝堂と古い寺院があり、一般の参拝客はこちらへ普段は来る。
ヴィヴィオたちが降りた中庭からは、おびただしい数の弾痕が刻まれた礼拝堂の壁が見えた。
古い石造りで、漆喰で白く塗られていたが、塗装がはげて灰色の石の地が露出している。門の飾りつけなども割れて吹き飛んでいる箇所がある。
視覚増幅を行って周囲を見渡したディードは、礼拝堂の入り口のあたりに倒れている人間の死体を発見した。
身に着けているものを確認すると、これは間違いなくミッドチルダ陸軍情報部の兵士だった。装備しているバリアジャケットは魔力結合が解けていたが、隠密型の術式が使われていた。
「オットー、陛下から離れないで、周囲を警戒して。敵は間違いなくミッド陸軍よ」
ヴィヴィオとオットーは中庭の中央付近で、打ち崩された石畳の回廊を調べていた。
魔力残滓がほとんど検出されないことから、極めて高度な魔法を使用する特殊部隊の仕業である。
「まさか本当に……セイン姉さん、敵の目的は何なんだ」
『騎士カリムが、以前の預言の再解釈をしてたんだ。ドクターが、ゆりかごを起動させたときの……』
オットーは念話をヴィヴィオにも転送する。
JS事件は、ヴィヴィオにとってはまさに当事者となった出来事である。
聖王のゆりかご。
かつてベルカ戦国時代、当時世界最強といわれた次元航行艦である。
当時の軍艦は箱型の船体に多数の小口径砲を積むものが多く、現代の艦載砲のような大威力の攻撃魔法は開発されていなかった。
艦そのものも魔導師をどれだけたくさん運べるかという性能が重視されており、砲撃はあくまでも前哨戦で、決戦とは艦同士を接舷させて魔導師を敵艦に突入させる切込み戦が行われていた。
ゆりかごを特色付けたのは動力として搭載したレリックを聖王と直結させて魔力増幅を行うレリックウェポンシステムであり、これによってゆりかごに乗る聖王はレリックからの魔力供給を受けて強大な戦闘力を発揮した。
武将同士の一騎打ちにおいてこれは非常に有利な武器となった。
もちろんこれは古い旧式の仕組みであり、現代魔法戦闘では有効なものではない。
JS事件の際も、ゆりかごはエンジン出力も低いままで、武装なども基本的には手を加えられなかったため、元々装備されていた対空砲があった程度で魔導師を相手にしてそれほどの防御力は発揮できず、老朽化した船体はXV級の艦砲射撃で容易に貫通された。
いかに聖王がレリックウェポンシステムで強化されても単体で対艦戦闘は行えないため、これに関してはスカリエッティが言うとおり、ゆりかごは“ただの輸送船”であるといえる。
ただし、このゆりかごに搭載された積荷であるレリックウェポンシステムこそは高度なオーバーテクノロジーの塊であり、真に対処すべきロストロギアとはゆりかごではなく、単体のレリックでもなく、それをもとにして結合するレリックウェポンシステムである。
ゆりかごは巨大な物体であったために目を引いたが、それ自体は単なる船であり特別な機能はない。
惑星TUBOYで発見された、バイオメカノイドたちの宇宙戦艦。
それが、このゆりかごの祖先である可能性が浮上してきた。
惑星TUBOYから浮上して第97管理外世界に向かったインフィニティ・インフェルノはいわば巨大なコロニー、人工惑星であり、艦船というよりはアステロイドシップの芯のようなものであった。
その内部には岩石質のモジュールが多数埋まっており、第97管理外世界における戦闘では地球の核ミサイルを受けて外殻が破壊され、一部がちぎれて地球に落下し内部に埋まっていた大型バイオメカノイドが動き出した。
船体は年輪を刻むように船殻を何枚も重ねて大型化していっており、内部には小さな船体がいくつも埋まっている。
その小さな船体──それでも数千メートル級の大きさである──が、惑星TUBOY内部で次々と生まれ、発進していっているのがミッドチルダ艦隊によって観測された。
トラクタービームによって引き寄せた隕石や、ミッド艦隊の駆逐艦をも材料にして、艦船型バイオメカノイドともいうべき戦艦がいくつも惑星TUBOYを飛び立ち、各地次元世界へ向かっている。
そのうちの一群はアルザスに現れ、この世界を瞬く間に埋め尽くして制圧した。
これらの戦艦群がいつ、ミッドチルダを目指してやってこないとも限らない。
『レリックは、第511観測指定世界で製造され、あちこちの世界で使われていたんだ。それを集めて、ゆりかごは、起動したんだけど、でもその大元は第511観測指定世界にあったんだ』
「……セイン、そのシステムは、まだ生きているの」
『陛下』
バイオメカノイドの正体。ヴィヴィオにとっては、親友リオを殺した憎むべき敵である。
その正体をつかみ、そして最も効果の高い戦い方を選び、敵を殲滅する。
コロナや自分を守ろうと、果敢にも立ち向かっていった少女の蛮勇を、ヴィヴィオは責めることなどできない。
だから、彼女の無念を晴らしたい。
それがヴィヴィオの願いだった。
『ドクターも今分析をしてる最中なんだ、詳しいことはまだ全部はわかってない、けど、──ゆりかごにあった、“聖王の鎧”と……惑星TUBOYで発見された船の動力は、同じものだって』
「ミッド艦隊が収集した情報で?」
『今艦隊の本隊は敵の巨大戦艦を追って第97管理外世界へ行ってて、惑星上空で救助活動をしてた駆逐艦が、惑星内部の様子を見たって通報してきたんだ』
「ミッドチルダは……それを、手に入れようとしてたんだ」
「陛下……」
ディードが心配そうにヴィヴィオを見上げる。
中等部に上がってからヴィヴィオは背が伸び始め、クラスの女子では一番背が高く、なのはやディードよりも大きくなっている。同年代、14歳の女子としてはかなり体格はいい。
「……わかった。ありがとうセイン……」
「陛下」
「ママたちが調べていること、私も少しくらいはわかる……ミッドチルダと管理局は、今の人類の祖先が何なのかを調べてる。
ベルカ時代、そして現代でも、大昔には天から降りてきた神が人類に魔法を授け戦ったっていう伝説があるんだ」
地球だけでなくミッドチルダにも、超古代文明の伝説はある。
それはあくまでも伝説、神話として、実際に見つかるロストロギアとは分けて考えられていた。
しかしロストロギアを研究して出てくる結果、そして実際に未知の無人次元世界が発見され、そこにある古代遺跡などを調べていくにつれ、単なる御伽噺とは思えない、正真正銘の超古代文明の存在が全次元世界に影響を及ぼしていた事実が、無視できなくなってきている。
インターミドル大会がオフシーズンの間、アインハルトと一緒に図書館で本を探したり、時にはユーノに無限書庫での本を探してもらったりしていた。
そうやって見つかる文献には、断片的にだがそういった伝説が記されており、それは自分たちの出自と重ね合わせて考えると、過去、古代ベルカ時代よりも昔には、現代の次元世界人類を文字通り“創造した”超古代文明とその神々たちが、人類と共に生きていたことになる。
ここ数ヶ月の不審事件、フェイトが捜査していた事件から、その神々たちの正体とはバイオメカノイドであり、グレイであったということがわかってきている。
当時の人類にとっては、魔法を操る存在とはそれだけで神のように見えただろう。バイオメカノイドは、機械を知らない人類にとっては幻獣のように見えただろう。
「第511観測指定世界は、今まで伝説だけの存在だったアルハザードなんじゃないかって言われてる。そこに住んでいたバイオメカノイドの技術を、ミッドチルダは手に入れようとしてる。
そのために船団を送って──、最初から、ヴァイゼンと手を組むつもりだったから、カレドヴルフ社が調査を担当して、それで、発掘したバイオメカノイドをミッドチルダに運んできたんだ。
それを調べた結果、バイオメカノイドが生まれる仕組みは、ゆりかごと同じ──、生体融合機械を魔力で作っていることがわかったんだ」
「それは、戦闘機人が」
ヴィヴィオの言葉に、ディードが表情を慄かせながら応える。
スカリエッティが製造していた戦闘機人の構造、仕組み、性能諸元などは、元ナンバーズであるディードたちは当然知らされている。
しかしスカリエッティが本来作ろうとしていたものは違っていた。
機人フレームに合わせてクローン培養した人体を調整するのではなく、最初から機械がそれに適合した生体組織を生産するものである。
機械とは、何も金属で出来ているとは限らない。セラミック材料やカーボンファイバーなどはそれこそ炭素の塊であるし、たんぱく質で出来た機械をつくることは可能である。それが自己複製能力を備え、人型に成形することが出来れば、それは文字通りアンドロイドとなる。
本来の戦闘機人とはそのような形態をとる。スバル、ギンガ、そしてナンバーズを含めた現在の戦闘機人は、形態としては本来ならばサイボーグに分類されるべきものだ。
「さすがにこれを認めてしまうと、人間の定義が揺らぐってミッド政府は考えたんだと思う。使い魔だって、それは人間が作るものだし、ディードたちだって、もし結婚して子供を生んでも生まれるのは戦闘機人じゃないし」
「被造物ではなく、なおかつホモ=サピエンスではない、すなわち人類と同等以上の知的生命の存在は認められないと」
竜族や蟲族などの召喚獣も、一般的にはヒトよりも低級の知能であるとみなされている。
「バイオメカノイドは、人類以外の独立した生態系を作っていたんだ。今の次元世界にあるあらゆる生命とそれは対立し、排他的で、相容れない──どちらかが住んだ領域に、もう片方は入れない。
だから、人類はバイオメカノイドを残らず絶滅させなくちゃならない」
スカリエッティによる分析でも、バイオメカノイドの構造や生態はともかくその目的は未だ不明である。
生命にはその目的などそもそも存在せず、ただ生まれた結果として生存し続けるという見方もあるが、現在のところ、バイオメカノイドは超古代文明の時代の人間が何らかの目的で製造した人工生命体であると考えられている。
目をそらし続けていれば、気づくことはなく、恐怖で眠れない夜をすごす必要は無かったかもしれない。
しかし、それは問題の先送りである。
この次元世界に生きている限り、必ず、いつかどこかで衝突は起きた。
人類と、バイオメカノイドは、互いに生存競争に挑まなくてはならない。
ミッドチルダ政府が国民に隠れてひそかに調査を行おうとしていたことが、すでに人類の手に負えない相手だというのを証明しているようなものだ。
管理局の捜査を拒み、いくつもの多国籍大企業を引き入れて人体実験を行い、さらに管理局執務官の殺害事件までをも起こした。
プラウラーの証言で、アレクトロ社は既に数十基の生体魔力炉を製造し関係各省へ出荷を行っていることが判明した。
第6管理世界アルザスに向かう空母機動部隊の様子は、月面泊地を出航した時の映像が報道で流された。地上から脱出したアルザス政府閣僚の談話も、放送された。
ようやくといったところで、ミッドチルダ政府は情報の公開を始めた。ただし、その内容は制限され、初めて遭遇するロストロギアによってアルザスは殲滅されたという概要であった。
アルザスに、すなわち管理世界に対する攻撃への報復措置として、現在アルザス地上を占拠している“ロストロギアを違法に所持している勢力”に対する攻撃を行うためにミッドチルダ艦隊は出撃する。
艦隊の空母には、マスコミの人間は乗せられなかった。記者たちは軍の報道官から送られる資料を見るだけである。
現在の次元世界人類が保有する兵器がどれだけバイオメカノイドに有効かどうかを試す、“実験場”としてアルザスは利用されるようなものだ。
管理局でも検討の結果、戦略級次元破壊魔法を使わずに通常兵器のみでバイオメカノイドを掃討することは困難と回答している。
ミッドチルダはそれに乗じて、空母艦載機による航空攻撃、および潜行艦による長距離雷撃でアルザスを攻撃する作戦を立てた。
次元潜行艦の装備するミサイルは次元空間を経由して飛び、非常に射程距離が長く破壊力も大きい。
大型戦艦をも一撃で沈めるほどの威力のミサイルを地上に向けて撃てば、アルザスの大地はクレーターだらけになってしまうだろう。
「どうしようもないんだ」
ヴィヴィオの言葉に、ディードは思わず面を上げる。
ヴィヴィオは使命感に燃えていた。しかし、現実は厳しく、敵は強大にして堅固である。人類がどう足掻いても勝てない相手のように思える。
しかしヴィヴィオは、その言葉とは裏腹に、激しい憤りを含めた感情で声を奏でた。
「どうしようもないんだ、このままじゃ!ミッドチルダも、管理局も、このままじゃ……力を合わせるどころか、足を引っ張り合って、ろくに力を発揮できないまま、やられるだけだよ!」
「ディード、ディード聞こえるか!?早く来てくれ」
オットーの切迫した声が念話でかぶさり、ディードとヴィヴィオは気を取り直して中庭中央へ向かう。
魔力弾で切り刻まれた立ち木の下で、オットーはディエチの身体を抱えていた。
傍らには飛ばされて転がったのか、砲口に泥が詰まったイノーメスカノンが置かれている。
「オットー!ディエチ姉様は」
駆け寄ってきたディードは、血液に混じって流れ落ちる茶色い液体を見た。
機人フレームのアクチュエーターに使用される作動液である。グリコールを主体にし生体への毒性は比較的低いものであるが、これが外に漏れるということは相当の衝撃がフレームに掛かったことを意味する。
ディエチはオットーの呼びかけにも応えず、完全に意識を失っている。
頬に触れると冷たい。ゆっくりと首筋に指を移すが、脈動は、感じられなかった。
「オットー、まさか……」
「陛下……」
片膝をついて地面にしゃがみ、ディエチの身体を抱きかかえていたオットーは、おそるおそる顔を上げ、そっと首を横に動かした。
遅れてディードを追いかけてきたヴィヴィオは、愕然としたように眉をゆがめ、見下ろしている。
ディエチの胸は、巨大な杭で打たれたようにへこみ、皮膚を突き破ってフレームが露出していた。胸の中に、やや黄みがかった白いものが見える。
割れた胸骨だった。機人フレームは胴体部分では肺と心臓を包み込むように厚さ1.5インチの中空チタン合金製の装甲が張られている。
この装甲は身体を動かすときに突っ張らないようにいくつかの板に分割されそれぞれ重なって動くようになっており隙間がある。
限界を超えた衝撃を受けて隙間が開き、そこから割れた骨が飛び出してしまっていたのだ。
この状態では、通常の電気ショックによる心臓マッサージは使えない。治癒魔法で止血をしつつ、胸部装甲をどけて直接心臓を掴まなくてはならない。
ディードは意を決し、固有武装である剣、ツインブレイズを取り出した。
「オットー、ディエチ姉様の肩を支えて。陛下、カートリッジを使って治癒魔法をかけます」
「わかった」
ディエチの身体を寝かせ、緊急の胸部切開を行う。
寄宿舎棟の向こうから、砲撃音が時折響いてくる。屋敷に突入したフェイトが、情報部特殊部隊と戦闘に入ったようだ。
「ディード、私は周囲を見張るよ。カリムさんに連絡も、救急隊の手配を」
「お願いします」
ヴィヴィオは念話で地下室に連絡を取り、ディエチが重傷で意識不明であることを伝えた。
すでにカリムは緊急信号を発信していたが、それに加えて近隣の病院へ救急車の手配を依頼する。院長は教会とは面識があり、冥王イクスヴェリアの収容も引き受けてもらっている病院だ。
しかし聖王教会本部は周辺の市街地からも離れており、また教会敷地内で戦闘が発生しているため容易には近づけないことが予想された。
ディードはツインブレイズですばやくディエチの胸部機人フレームを切り取り、生身の骨をあらわにする。
張り付いた筋肉を傷つけないよう、割れた胸骨と肋骨の破片を慎重に取り除き、ツインブレイズの先端で胸部装甲を切断する。
オットーはフィジカルヒールがインストールされた緊急用の治療パックを使い、切開部の止血を行う。
心臓はほとんど拍動がみられなくなっており、徐脈を起こしている。この状態では、1秒でも早く血流を再開させ脳に酸素を送る必要がある。低酸素状態が長く続くと神経細胞は致命的な、回復不能なダメージを受ける。
手袋をはめ、ディードはディエチの心臓に手を伸ばした。肋骨を慎重に持ち上げて開き、肺の隙間に手を入れて心臓を握る。
手のひらから魔力を出しつつ、脈拍のリズムを取り戻すように心臓を動かす。
肺は血流が低下して色が薄くなりつつあった。もはや一刻の猶予もない。
この血生臭い光景をヴィヴィオに見せるのは忍びない、と思いつつ、ディードは姉の蘇生を願った。
セイクリッドハートを使用して周囲の捜索を行ったヴィヴィオは、寄宿舎の2階に倒れている兵士を発見した。
傷が深く動けないようだが、かすかに息がある。
後ろを振り返り、ディエチたちがいる場所との位置取りを確認する。部屋の窓から腕を出せば、中庭を狙える。
もし敵が再び動き出せば、ディエチたちが危険である。
他の方角には敵はいない。すべて倒されている。イノーメスカノンの砲撃を受けて死んでいる。
また、残りの敵もすべて屋敷のほうへ移動しておりもう中庭周辺には残っていないと見受けられた。
「ディード、寄宿舎の2階にまだ生きてる敵がいる」
「陛下、こちらはまだ動けません、警戒してください」
「どうする!?とどめをさす」
「もしかしたらミッド政府の情報が聞けるかも」
オットーが言葉を急ぐ。ヴィヴィオに、無闇な殺しはしてほしくない。聖王たる者が、怒りに任せた戦いをしてほしくない。
ディードの心臓マッサージにあわせてオットーは人工呼吸を行い、ディエチの肺に酸素を送り込む。なんとか洞房結節に電気信号を復活させれば、心臓が自力で動き出すことができる。
その状態までもっていったら、胸を縫合して急ぎ設備の整った病院に搬送して治療を行う。
手のひらの魔力で心臓を握り締め、血液を送り出す。体温を取り戻す。
心臓マッサージ開始から20秒ほどで、ディードは洞房結節が自発収縮を始めたことを確認した。さらに心臓の動きが安定したら、肋骨を戻し、止血をして胸郭を綴じる。
「ママ、聞こえる!?ディエチさんが、敵に撃たれて大怪我を、今何とか蘇生処置をしてる、救急車を呼んだとして教会まで来れそう!?」
上空から、なのはは教会全体の様子を見渡せる。今戦闘が発生しているのは司祭たちの屋敷の中で、もし彼らが他の民間人の接近を発見した場合これにも攻撃を行う危険がある。
『敵を無力化しないと厳しいかも、ヴィヴィオ、もし危ないようだったら私が飛んで運ぶ、カリムさんに伝えて!
どうやら残ってる敵は屋敷の中に集まってるみたい、フェイトちゃんならやれる』
「わかった、お願い!ディードさん、救急車が教会に近づけないかもしれません、外まで運びます!どこか、待ち合わせられる場所は」
「っ、それならハイウェイのインターを下りた場所のロータリーが、石像が真ん中に立っている場所だからすぐわかります」
「ありがとう。──カリムさん、まだ敵との戦闘が続いてます、もし救急隊に通信がつながるなら、インターチェンジのロータリーで待機してと伝えてください!そこまでなのはママがディエチを運びます」
『わかりました──陛下、くれぐれも気をつけて』
『陛下っ!ディエチが、やられたの!?大丈夫なの』
「シャンテ……っうん、大丈夫、大丈夫だから」
ヴィヴィオはとっさに言葉を詰まらせ、答えたが、ディエチが助かるかどうかは現状ではかなり厳しい。心臓マッサージで心拍が戻っても、低酸素状態によって既に肉体全体がダメージを受けていれば再び心不全を起こす危険が大きい。
また、もし助かっても意識が戻らず植物状態ということもありうる。
シャンテの幼い声が、いつもより、はかなげに、頼りなく聞こえた。
家族がいない寂しさを吹き飛ばすような元気いっぱいの少女だった彼女の声が、とてもか弱く聞こえた。
既に自分たちは戦禍の中に飛び込んでしまっているんだ、と、ヴィヴィオは自分の意識が泥に呑まれそうになるように感じていた。
屋敷の窓から時折金色の魔力光が吹き出し、かと思えば壁が激しく揺れて石灰のかけらが飛び散る。
フェイトは屋内での機動性を重視したインパルスフォームで戦っており、さらに敵が撃って外したバレルショットが壁や天井に当たって屋敷を揺らしている。
なのはが使用するバレルショットはレイジングハートの特性との兼ね合いからあくまでも牽制程度の威力に設定されていたが、隠密部隊向けの本来の術式では不可視の衝撃波で人間を圧殺するものである。
戦闘機人であるディエチでさえ、胴を押し潰されるほどの威力があったのだ。
屋内で撃てば、コンクリート造の建物であっても壁を砕いてしまう。
フェイトは敵の最後の分隊を屋敷の食堂に追い詰め、バルディッシュをライオットザンバーに切り替えた。
廊下や部屋では取り回しの良いライオットブレードを使い、広い場所では威力の大きいライオットザンバーを使う。
敵兵士はカスタマイズされた小銃型デバイスを持ち、バレルショットとフォトンランサーを使用できるようだった。
どちらも隠密性が高く、フォトンランサーは弾丸の口径を小さく速度を上げており、魔力光の漏れ出しが少ないタイプだ。
「どうあっても投降する気はありませんか」
フェイトの呼びかけに、兵士たちはまったく答えず無視を貫いていた。言葉をしゃべってはならないと命令されているのか、それともこちらを教会の私兵とみなしているのか。
いずれにしろもうミッドチルダ陸軍への照会を行い、陸軍は情報部が秘密裏に教会を襲撃しようとしていたことを事実上認めさせた。
彼らはもう後ろ盾を失った状態である。
できれば、傷つけずに逮捕し事実関係を明らかにし、それなりの刑を受けさせるのが筋である。
しかしおそらく、彼らはそれを受け入れないだろうとフェイトは思っていた。
この屋敷の中の戦闘で、彼らは外に気配を気取られないことだけを気にしているように見えた。流れ弾になる危険が少ない長い廊下などではためらいなく大威力のバレルショットを放ち、フェイトはこれをライオットブレードで受け流していた。
管理局執務官ないし警察官に対し、捕縛用バインドを撃ち落とすことは公務執行妨害に該当する。
あるいは、管理局相手ならば強気に出られると思ったのかもしれない。
ミッドチルダと管理局の間で小競り合いという事態になれば、どちらも上層部がその対処と折衝を行わなくてはならない。
ミッドチルダは隙あらば管理局を糾弾しようとしている。
それは国の、政府のトップが方針を改めても、情報部のような独立性の高い部署では、もしもその部署の長が管理局への反感を持っていた場合、独自権限で人員を動かしてしまうことが考えられる。
今回の襲撃事件はそれが現実に起きてしまったと考えられた。
バルディッシュを振り上げ、突進する。
テーブルを踏み切っていっきに10メートル近くをジャンプするフェイトに、兵士たちはフォトンランサーで応戦しようとするが、デバイスの引き金を引くのが間に合わない。発射された魔力弾は、フェイトの頭上数十センチを飛び越して天井のシャンデリアに当たる。
飛び散る小さなカットガラスの破片が、蛍光ランプのスパークを反射して激しく瞬く。この屋敷では蛍光灯だけでなく油をつかったランプも使われており、炎のかけらがガラスを燃やしながら落ちてくる。
斜め上段から振り払われたライオットザンバーに、残っていた兵士たちは3人まとめてなぎ倒され、暖炉にぶつかって倒れた。
ひとりはまだ呻いているが、ひとりは暖炉の角に身体をぶつけて腕が外側に曲がってしまっている。
バルディッシュに記録されたログを改め、すべての敵ユニットを撃破したことを確かめると、フェイトはなのはに念話を送った。
「なのは、こっちは片付いた。敵部隊は全員、こちらの説得を拒否──少なくとも5名の殺害を確認。教会関係者の犠牲はゼロを確認したよ」
『お疲れフェイトちゃん──こっちは、ディエチが重傷で、今救急搬送の手配をしてる。ヴィヴィオも無事で、カリムさんとシャッハさんも──それから、シャンテちゃんが負傷してる。
あと、ヴィヴィオが突入部隊の兵士を一人確保して、こっちも拘束して地上本部へ送る。尋問の用意を』
「わかった。──やられたね」
『うん……。どっちにしろ、教会に被害が出たのは事実で──ミッドはそれを黙認したことになる』
ディエチの搬送をなのはに任せ、ヴィヴィオとディードは地下室へ向かった。
カリムはすばやく預言の詩文を持ち出しており、これは奪われることなく守ることが出来た。
ヴィヴィオの姿を見つけると、シャンテは足を引きずりながら駆け寄ってきて、ヴィヴィオの胸に抱きとめられて泣いていた。
シスターたちも、この時期は教会に残っていた者は比較的少なかったが、逃げるときに突入部隊の兵士に撃たれた者が何人かいた。
カリムは教会は通常どおり開くと言い、シャッハとシスターたちは外の掃除をするためにそれぞれ立ち上がった。
オットーは礼拝堂や中庭から兵士の死体を探して外へ運び出し、シスターたちが凄惨な光景を見なくて済むようにしていた。
東の空が白み始めている。
冷たい朝靄が浮かび上がり始め、森は何事も無かったかのように緑を広げている。
針葉樹が深い碧色で山を包み、空はいつもどおりの冬の朝を迎えていた。
散らばって壊れた椅子や燭台を片付け、新しいランプに火をともす。
礼拝堂の片づけが終わったとき、なのはを通じて、病院から連絡が届いた。
搬送から36分後、医師たちの懸命の手当ても甲斐なく、出血多量による多臓器不全でディエチが息を引き取った。
シスターたち、シャッハも、カリムも、沈痛な面持ちで報せを聞いた。
ヴィヴィオは、彼女たちに何も言葉をかけられなかった。
オットーもディードも、顔を伏せ、表情を崩さないように必死に装い、涙をこらえていた。緊急の心臓マッサージをしていたディードの手のひらには、必死で命を取り戻そうとしていたディエチの心臓の熱が、感触が残っていた。
なのはは最後に、本局から武装隊一個小隊を回して教会の警護を行うこと、それからヴィヴィオを本局へ連れ帰る便の手配をしたことを伝えた。
「……ママ、次にヴォルフラムが出航するのはいつ?」
「──うん──予定通りなら、1月12日の朝で……、第97管理外世界へ向かい、現地に滞在している管理局員の把握と安全確保、それから敵バイオメカノイドの捜索掃討を。
ミッドチルダとヴァイゼンの艦隊主力はアルザスに転進したから、地球に残る戦力は少なくなってる」
「私も行く」
「陛下っ、なりません」
さすがにディードが声を上げて、ヴィヴィオを制す。
ここまできて、ヴィヴィオを更なる危険に晒すわけにはいかない。
戦闘訓練を受けていないヴィヴィオが前線に出て行かなくてはならない状況ではない。
「うん、わかった。“はやてちゃんに”伝えておくね」
「なのはさん」
「それから──カリムさん、レティ提督からのお願いで──、カリムさんも、本局へいったん避難してほしいと。今の情勢では、カリムさん自身が狙われる危険が大きいという判断です」
シャッハとセインは驚いたようにカリムのほうを振り向く。
確かに預言の新解釈は恐るべきものであるが、それがどうしてカリムが狙われることにつながるのか。
思わず振り向いてから、じわじわと、闇が湧き上がるように予感が浮かぶ。ミッドチルダが、この預言を握りつぶそうとしているのだ。この教会本部が襲われたのは、そう考えるミッドチルダの一部の人間が暴走した結果だったのだ。
「──わかりました。教会の事務はシャッハに、私は過去のものも含めて預言の資料をすべて本局へ移します」
「騎士カリム、それは──」
「教会本部を、管理局の前線基地にしてしまうわけにはいきません──そうなればますますミッドチルダは教会に対する警戒を強めます。
私だけなら、自分でもある程度は彼らをあしらえます」
「でもっ、陛下もいなくなるのに、私たちだけを残して行くなんて」
「シャッハ──」
「どうしてもっ、どうしてもだめなんですか!?どうしても行かなきゃいけないんですか!?管理局に任せておくことはできないんですかっ!?
私たちが、関係ないはずの私たちがこんな目に遭わされて、管理局は一体──」
「──申し開きの出来ないことであることは確かです。聖王教会騎士である私がこの事態に関わっていることも──
以前のJS事件の際に得られた預言が、もっと別の大きな事件を予知しているという可能性を私と管理局では分析していました。
その結果、昨年11月に発見された第511観測指定世界がそれであるという事実を掴んだのです」
「みんな、私は──自分の出生の由来を、確かめる。今ミッドチルダが面している危機に、私の、聖王の真実が関わっているかもしれないんだ」
関係の無いことではない。田舎の小さな教会ならともかく、この聖王教会本部、そして聖王とは、単なる宗教的存在ではない。
次元世界の成り立ちそのものに関わってくる組織の一角なのだ。
その組織の運営に目を背けた状態で、生きていくことはできない。
聖王ヴィヴィオが現代の世に生きているという事実は、人類がその独立と尊厳を保つ拠り所となる。
バイオメカノイド、そして超古代先史文明とその残滓たるロストロギアに、いつまでも振り回されたままではいないという人類の決意の表れなのだ。
聖王教会は、この新暦84年という現代に人類が迎えた危機に対し、人々に人類の独立を説いていくという使命がある。
「私が戦うことでみんなを元気付けられたらいいと思う、私は、ただのか弱い少女じゃない、守られるだけのお姫様でもない。
みんなに勇気を与えるシンボルに、象徴になりたいと思うんだ」
シャッハは神妙にヴィヴィオの言葉に聞き入り、シスターたちの中には涙をすすっている者もいる。
ヴィヴィオは、もう子供ではない。立派な王になるために力を高めていく。
成長することを決意している。自分がどのような生まれを持っていて、どのような力を持ち、どのような運命を持っているのか。それを正しく知り、逃げず、立ち向かう。
そしてシスターたちも、聖王教会の聖職者の一員として、ヴィヴィオの言葉のもと、人々を勇気付けていくのだ。
「ママ、行こう。オットー、ディードも──ママの故郷を襲おうとしている敵を倒しに、そして、ディエチの弔いを」
「シスターシャッハ、教会本部の決裁権限を私、カリム・グラシアより全権委任します。──留守を頼みます」
なのはもフェイトも、もうヴィヴィオを止めるだけではなく、ヴィヴィオの意志を尊重して助けていくことが必要だと実感していた。
ヴィヴィオは、自分自身を自覚し意識を高めている。
管理局が超古代先史文明の研究を行うにあたり聖王の存在は無視することができない。
ヴィヴィオ自身の協力が得られるなら願ってもない材料になるだろう。
本局技術部では、シャリオとマリーが検討した結果、当初ヴィータ用に確保されていたSPTの予備パーツを、セイクリッドハートを組み込めるようにセッティングすることが決定された。
現状で最も魔力量が大きいのはヴィヴィオであり、また管理局にあらかじめ用意されていたSPTのパーツで3機までは組み立てられるため、なのは、フェイト、ヴィヴィオの3人にこれを割り振ることが最も攻撃力が高くなると計算された。
本局に戻り次第、ヴィヴィオへSPTの操作訓練を施す。
SPT自体はデバイスとしては装着型のため、着込んだ状態でそのまま手足を動かしたり他のデバイスを持つことが出来るが、SPTならではの強力な機能や魔力蓄積には慣れておく必要がある。
スカリエッティは、第511観測指定世界に派遣されたミッドチルダ艦隊の持ち帰った観測データから、ゆりかごと同クラスないし一回り程度上回る大型輸送船が少なくとも2000隻以上、惑星TUBOYを飛び立っていることを分析した。
表面に見える武装が無いことから、おそらくこれは内部に大型バイオメカノイドを格納していると思われた。
形状も、インフェルノをそのまま小さくしたような楔型あるいは変形デルタ翼型の船体形状はゆりかごに近い。
ミッドチルダ国立天文台でも、惑星TUBOYの持つ魔力光スペクトル、また放射性元素を用いた表面の土壌の年代測定から、惑星TUBOYがおよそ1万4千年前に大規模な地殻変動を起こし、惑星全体の地殻が作り直された状態であることを突き止めた。
クライス・ボイジャーがユーノから引き受けた分析依頼で、同天文台では第511観測指定世界がミッドチルダや他の次元世界よりも、およそ1万4千年、年齢が若いという計算結果を導き出した。
宇宙スケールでは、数万年程度は誤差の範囲である。誤差の範囲内での計算を行うことは困難であったが、それでも、宇宙方程式に組み込まれる宇宙定数は、これまで観測されたあらゆる次元世界と、第511観測指定世界ではきっかり同じ量、偏移が発生していた。
これらの分析結果が示すこととは、第511観測指定世界を親宇宙とし、宇宙が膨張していく過程でいくつもの次元世界が位相欠陥によって分割されて現在の次元世界を形作ったということである。
1万年以上昔の超古代先史文明の時代には、すべての次元世界はつながっており、その中心とも呼ぶべき星間文明の首都惑星は現在の第97管理外世界に位置していた。
そして、その文明が最大の敵対勢力として戦っていた無人兵器群が、現在の第511観測指定世界、惑星TUBOYということである。
第511観測指定世界にて太陽周回軌道に乗り、惑星TUBOYの観測を行っていた探査機ガジェットドローン#00511は、進路前方に接近してくる別の探査機をキャッチした。
宇宙探査機ボイジャー3号。
第97管理外世界、アメリカ合衆国の擁する宇宙機関、NASAが運用する探査機である。
ミッドチルダ宇宙アカデミーは、両探査機の間で通信リンクを確立することを提案した。
対バイオメカノイド作戦を遂行するにあたり、ミッドチルダと地球の両世界が情報共有をするためには敵の観測偵察をも共同で行う必要があると科学者たちは主張した。
量子スピン通信により探査機ガジェット#00511からのメッセージを受信したNASAチーフディレクターシェベル・トルーマンは、国防総省へ異星人──ミッドチルダからの提案を報告するとともに、CIA長官トレイル・ブレイザーにもこの情報を知らせた。
ブレイザーは、今まさに、異星人の機動兵器が地球に降下していると答えた。
それはイギリスが発掘し復元を試みている、超古代に存在した高度技術文明が製作した搭乗型ロボット、エグゼクターである。
異星人の組織も一枚岩ではない。それぞれの人間は、それぞれの部署の立場から主張を行う。それは互いに同期しているとは限らず、互いのたとえば同じような職掌の人間は互いに理解しあえても、それぞれを統括する上層部が理解できないというケースもままある。
ブレイザーはイギリスに滞在しているCIA諜報員に対し、ただちにロンドンへ向かうよう指示した。
現在フォード捜査官は地下のM機関研究所におり、ここは強固なセキュリティで守られているが逆に穴熊のような立地であり侵入されたら逃げ場が無い。
フォードと一緒にいる異星人の捜査官を狙って、別のFBIの人間が強行突入を図る可能性もある。
年末の便でイギリスに向かった4人のFBI捜査官の身元をCIAでは調べ、彼らが数年前から現在にわたり、いわゆる地球外生命体とアメリカ政府が企んでいるとされる陰謀論に係わる事件を捜査していたことを突き止めた。
彼らの目には、フォードはエイリアンに協力している政府の手先のように、エリオや、ウェンディ、チンクの姿は、地球を侵略しようとしているエイリアンのように見えてしまうだろう。
誤解から戦争に発展するような事態だけは避けなくてはならない。
早急に彼ら4人の消息を追い、その試みを止める必要がある。
そして、イギリスに着陸しようとしている異星人の戦艦に、彼らが攻撃をしないように防がなくてはならない。
東部標準時はUTCよりマイナス5時間。イギリスで夜が明ける頃、アメリカではまだ真夜中である。
ブレイザーは執務室に備え付けのコーヒーメーカーに豆を継ぎ足し、湯を注いで眠気覚ましのコーヒーを啜った。スティックシュガーを入れようかしばし思案してから、2本取ってカップに流し込む。
時計を見上げ、時刻を確認する。
時空管理局所属次元航行艦、クラウディアが指定した着陸予定時刻まで、あと1時間と17分に迫った。