■ 17
時空管理局本局は、次元世界人類が建造した史上最大のスペースコロニーであり、人工天体である。
その建造に際しては、従来の宇宙船の常識をはるかに超えたいくつもの要素があった。
この世のどんな物質でも、自身の持つ質量に応じた万有引力を発生させ、重力によって周辺の空間を、わずかながら歪める。これが重力場である。巨大な質量を惑星の至近に置くということは、惑星の重力場に影響を与えるということである。
惑星が、主星の周りを安定して公転できるのは、互いの質量によって引き合う重力が釣り合っているからである。
もしここに、外部から物質を持ち込むなどして質量が増加すると、この重力の均衡を崩してしまう恐れがある。
この種の多数の天体の運動を扱う軌道計算は多体問題とよばれ、扱う変数パラメータの数が莫大であり最新のコンピュータをもってしても計算が困難な問題である。
万が一、軌道上に大きすぎる物体を置いてしまうとミッドチルダの軌道が乱され、太陽系の中で生存に適した領域からはじき出されてしまう恐れがあった。
本局構造体はミッドチルダ地表から高度3万6千キロメートルの赤道上空を周回しており、いわゆる静止軌道上に位置している。
クラナガンは北半球中緯度地方の都市のため、おおむね、南の空を見上げれば、視力のよい者なら昼間にはうすぼんやりと空がにじむ本局の影を見ることが出来る。
夜間の場合、本局は外部への光の反射を抑える防御フィールドを展開しているので地上から見えることはない。
定期便シャトルなどの窓から見ると、本局構造体は靄のようなガスを纏い、周囲に孫衛星を配置した、棘状の構造物が生えた金平糖のようなシルエットをしている。
このガスは暗黒物質であり、物体のエネルギーを非常によく吸収する性質によって本局を防御する。またこのガスの内側には、本局表面を取り巻くシールド魔法が展開されている。
地球においても、他のあらゆる次元世界においても、宇宙空間に滞在する施設や艦船にとって最も重要で困難な問題とはいわゆるスペースデブリの防御である。
本局施設は差し渡し数十キロメートルに及ぶ巨大なサイズと質量を持っているため、第97管理外世界で運用されている宇宙ステーションのように都度都度軌道を変更するというようなことは行えない。
そのため、あらゆる防御魔法を用いてデブリの衝突に耐えられる構造として設計、建造が行われた。
新暦20年代、本局施設が宇宙空間に移された当初は直径数キロメートルほどの球形構造であり、全体を通常のシールド魔法によって覆っていた。
当時の魔法で、秒速3キロメートルで衝突する直径10ミリメートルまでのデブリを防御できた。これはおおよそ、当時使われていた標準的な野戦砲の魔力弾の運動エネルギーに相当する。
これ以上の大きさや速度のデブリないし流星体が衝突した箇所は、宇宙服バリアジャケットを装備した魔導師が船外活動によって定期的にパネルの張り替え作業を行っていた。
さらに管理局の規模が増大するにつれ、建築構造物は幾何学的に延びていき、増築を繰り返した結果形状も複雑化し、単純なプロテクション系のシールド魔法で防御することは難しくなっていった。
衝突時の破片の飛散を予測しやすくするため、本局の増築は90度ないし45度の角度の鉛直方向のみに限定された。そのため、離れたところから見た本局の全景は巨大な刺胞生物のようにも見える。
腕部の長いヒトデやサンゴのような姿をしている。外壁は完全な平面ではなく、岩石質の材料で表面を覆い、シールド魔法を貫通してきた物体に対して内部の構造を防御している。
この構造はいわゆるアステロイドシップと呼ばれ、当初は宇宙を舞台にしたSF小説などで発想が登場した、小惑星に推進装置を取り付けて宇宙船とするアイデアである。
本局の場合は、建造資材の節約と工期短縮のために採用された。外装が岩石ならば、材料の調達や修理も容易である。また複雑な加工をするための手間も少ない。
インフィニティ・インフェルノも、当初は類似の設計思想を採用したものであると考えられた。
本局よりも巨大な100キロメートル以上ものスケールを持つ宇宙船の構造体を作るには、外壁の表面積も大きくなるので人工的なパネルやタイルを貼り付けていくやり方では手間が掛かりすぎると考えられた。
しかし実際のインフェルノの構造は内外まで完全に一体化したたまねぎ状の層構造をしており、木が年輪を重ねて生長していくように、船体そのものが中まで詰まった金属結晶を成長させていきその内部をくりぬいて通路や部屋を作っていた。
スバルらヴォルフラム陸戦隊が振動破砕で採取したデータを分析した結果はそのようにはじき出された。複雑な配管のように見えていたのは、金属結晶内部に取り込まれた水やガスなどが抜けた跡であった。
内部構造を分析し、それが従来の水上艦や宇宙船とは全く異なっていたことで、インフィニティ・インフェルノとは惑星サイズの巨大生命体であるという可能性が高まってきた。
彼らは惑星内部に埋めて育てた巨大生物を自由に操れるように寄生する形でスペースコロニーとしていたのである。
バイオメカノイドには人型サイズの“グレイ”、自動車程度の大きさの“小型バイオメカノイド”、艦船サイズの“大型バイオメカノイド”があることがこれまでの遭遇で知られていた。
ここに新たに、天体サイズの“超大型バイオメカノイド”が存在する可能性が浮上してきた。
インフィニティ・インフェルノをはじめとして、現在、ミッドチルダおよび本局に接近しつつある大型輸送艦もそれに類されるであろう。
一般的に、生物は宇宙空間では生存できない。
強力な宇宙線などもあるし、空気がない状態では水はあっという間に沸騰ないし蒸発して失われてしまう。また宇宙空間は低温であり、生物の肉体に普遍的に含まれる水分が凍りつく、あるいはゼロに近い気圧すなわち真空の影響で蒸散してしまう。
そのためごく一部の昆虫や細菌など以外は宇宙空間では生存できない。
人間ももちろん、全身を空気で包み込む宇宙服ないし同等の機能を持つバリアジャケットを装備しなければ宇宙空間での活動は出来ない。
しかしバイオメカノイドはこれまでのところ、そのような水と空気を保持する装備を持たないまま、生身で宇宙空間を泳いでいる。
また構成元素としても水分は含んでいるが化合物(いわゆる水酸化物)の形で持っているため、バイオメカノイドの肉体は真空中でも脱水を起こさない。
人間が宇宙で活動する場合、絶対必要になるのは酸素と水である。
酸素は呼吸のために必要である。また生命活動を維持するには体内の水分量を保つことができなければならない。
これらの機能を魔法によって実現するには大変な術式計算負荷と魔力量が必要であり、術者自身の魔力ではまず維持できない。そのため、従来の物理宇宙服以外では、電池によって魔力を供給する宇宙服、もしくは独立したエンジンを持つ航宙機や航宙艦が必要になる。
すなわち次元航行艦や魔力戦闘機である。
「見えるかマリー、クラナガンから発進してきた艦隊がバイオメカノイドに向かってく──本局とミッド海軍の連携は取れてるんか?
艦がばらばらにうごいとったら敵を押さえきれんよ」
エネルギー吸収ガス帯の領域を抜け、宇宙空間に出たはやては三日月形に輝くミッドチルダの惑星の姿を見た。
「私たちのとこから外は見えません、中に浮かんでるだけです。ともかく技術部では外の詳しいことは聞いてませんでしたが、レティ提督がミッド政府との折衝をやってるらしいです」
「レティ提督が」
「この状況ではどうもこうも言ってられません、少なくともあの船団がミッドの観光にやってきたわけではないのだけは確かです」
「距離4万の領空内に入り込んだら即撃ち始めるか」
「たぶん、ですね。レティ提督の出したGS級2隻がいるはずです、おそらくもうすぐ接敵します」
「そこに私も突っ込むのはさすがに無茶やな」
今のはやては、外部から見れば人間の姿ではない。平滑な表面で全体が淡く発光する葉巻型UFOのような姿になっている。
防衛プログラムは単体では固定された姿を持たないため、蒐集された魔法が1つもない状態ではただの光球のような外見になる。
内部は無重力の空間になっておりマリーとユーノはそこに収容されている。
「まずは、ユーノ君とマリーを安全な場所まで運ばなあかん──」
マリーは比較的軽傷だが、ユーノは実験モジュールが衝撃を受けたときに吹っ飛んできた机に押し潰される格好になったため、両脚が折れているようだった。
ひとまずフィジカルヒールで応急処置をし、バインドを自分にかけて足が動かないように固定している。また逆向きのシールドを皮膚の上に密着させることで止血しているがこれも短時間しか維持できない。
上半身が無傷だったのが不幸中の幸いといえたが、その分、大きく損壊した自身の肉体を目の当たりにする異様な感覚に耐えなくてはならない。
「できれば安静にさせてほしいな。このまま重力下に入ったら痛みで転げまわりそうだ」
「その減らず口、いつまでたたいとる余裕あるかな」
ガス帯の外に出たことで本局からの距離が離れ、はやての姿は本局に設置された警戒レーダーに探知される。
未確認飛行物体の出現を探知して、本局構造体に埋め込まれた自動迎撃レーザーが魔法陣を出現させて射撃の構えを見せる。
「発進しますか?」
「いや、たぶん本局は私の正体をつかめてない。下手に動くと混乱させる」
「おとなしく待ってるしかないですね。折角私たちが命がけで復元した“夜天の書”です、本局艦隊とミッド艦隊の助太刀に向かいたいのはやまやまですが──」
「極秘の計画やったんやろ。今頃んなって“闇の書”が出てきたゆうたところで、頼もしい思うよりやばい思う人間のほうが多いわ」
マリーは『夜天の書』と言ったが、はやては『闇の書』という呼び名を自ら使った。
この魔導書は本来は夜天の書として作られたが、悪意を持った改変によって災厄を撒き散らすロストロギアとなり、闇の書と呼ばれて恐れられた──従来よりいわれてきたこの伝説は、真実ではなかった。
はやては闇の書のすべてを知り、それに気づいたのだ。
闇の書は最初から闇の書だった。誕生したのは古代ベルカ時代ではない、先史文明時代。
最初からこの姿を持って生まれ、本来は、人類を観察し情報を収集する単なる装置であった。
その秘められた力に恐れをなした人類が、勝手に恐怖を抱いて呼び名をつけただけだ。
途中で改変されたのではなく、機能を発揮できないよう枷がはめられた。そのために闇の書になった。
最初から、この機能を持っていた。
次元世界のすべてを見通すアカシックレコードである。
闇は、それ自体が悪ではない。ただ、人間にとって都合が悪いから、人間が勝手に扱っているだけだ。
闇の書という呼び名を使ったからといって、それをはやて自身が言うぶんには、それはネガティブな意味を持たない。
あくまでも自分自身の名前である。
かつて闇の書事件の際、アースラのサポートを行ったマリーは、夜天の魔導書というのが本来の名前であると管制人格が主張したと伝え聞いていた。
何代にも渡って闇の書と呼ばれ恐れられ続けたことで、人間たちに不当な誤解を受けていると感じていたようだ。
しかしそれは、闇の書が嘘の名前ということではない。
人間を、恐れをなしながらしかしそれでいて自分を利用しようとしている人間を試しているのだ。
闇の書とてデバイスである。
デバイスの動作は、書き込まれた術式──すなわち厳密なプログラムに従う。
それがじゅうぶんに複雑かつランダム性を持っていれば、人間との見分けを難しくする。
今の闇の書は、はやての一部になった。
最後の夜天の主とは、闇の書の最後のひと欠片となった人間が闇の書に帰ってくるという意味である。失われた先史文明人の遺伝子を、何代にも渡って受け継いできた人間が次々と闇の書の主になり、少しずつ復元していく。
はやての復活により、それは成された。失われた先史文明人のDNAが、はやてによって最後のひとピースをはめられ、完全に復元されたのだ。
先史文明が遺したロストロギアの一端を、復元解明したことになる。
はやては闇の書を真の意味で自分のものにした。
そして同時に、この次元世界に、人類が抗うことの出来ない力の一端が現出したことになる。
自分たちがやろうとしていたことの意味を本当に理解しているのか──レティや、管理局、ミッドチルダ政府。そして、マリーでさえも、ユーノでさえも。
そして、自分とともに戦ってきた、高町なのは、フェイト・T・ハラオウン。
かけがえのない親友である。
今の自分の姿を彼らに見せたらどんな感情を抱くだろう、とはやては思っていた。
生還を喜ぶか、それとも恐れをなすか。
彼らがはやてを恐れてしまうようでは、残念ながら、今の人類にはこの次元世界で生き延びていく力がないということになる。
エグゼキューターとなったティアナ、闇の書となったはやて。
この次元世界の真実を知るためにクロノは旅立った。
そして管理局はその真実を追っている。
ミッドチルダはどうか知らない。ヴァイゼンと組んで、あくまでも世界支配のために、権益確保のためにやろうとしているのか。
だとするなら、真に遺憾ではあるが、管理局はミッドチルダに対し制裁を発動する必要がある。
もし管理局にそれだけの実力がないのであれば、はやてを──闇の書の力を、利用しようとするだろう。
今後、はやてを継続して管理局員の身分に置こうとするならば、管理局は闇の書という次元世界最大の武力をその支配下に置くということになる。
はやては管理局員としての命令を受け、任務として闇の書の力を振るうことができる。
そんなことを、ミッドチルダが許すか。
管理局が強大な武力を持つことを許すか。それは管理局による国家間安全保障と治安維持を、その実力による支配を受け入れるかどうかということになる。
あくまでも治安維持機構であることが管理局の本分であり、闇の書の存在は管理局には過ぎた力と見なすか。
そうなった場合、ミッドチルダやヴァイゼン、オルセアなどの次元世界大国が取りうる行動──管理局を解体するか。もし管理局がそれに応じない場合、実力行使によって制圧する事も考えられる。
それは人間同士の戦いである。
全次元世界を巻き込む戦争である。
多くの次元世界で、危機の責任を回避する事が望まれる。それはバイオメカノイドという外敵の存在によって可能になる。
しかし、ミッドチルダが不用意にバイオメカノイドを目覚めさせてしまった事から、この災厄がミッドチルダの責任にされてしまうおそれがある。
追い詰められたミッドチルダがとるであろう行動は、他の次元世界国家を捨て石にしてバイオメカノイドに殲滅させることだ。
他の次元世界がいくら滅んでもミッドチルダさえが残ればよく、またミッドチルダに賛同する世界のみを残せば良い。
しかし現実にはそのような作戦は非常に困難である。バイオメカノイドの増殖はおおむね取り込んだ物質の量に比例するため、よりたくさんの惑星や次元世界が襲われると、それだけ敵の総戦力が増大していく。
ミッドチルダは、末端の戦闘要員はともかく首脳部がこの問題に目を向ける事が出来ていない。
生き残る事よりも自分たちの保身が優先してしまっている状態である。
バイオメカノイドという危機を目の前に、次元世界人類の生き方が試されているのである。
見物につめかけた大勢の市民たちが見守る中、総勢5名のイギリス空軍軍人たちが、空港のエプロンに着陸した次元航行艦に向かって歩いていく。
次元航行艦は重力制御(飛行魔法)による浮遊能力があり、ランディングギアなどの降着装置を持たない。
そのため、ちょうど飛行船を繋留するように、艦そのものは地上すれすれに静止したまま、地上に設置したおもりにワイヤーバインドを繋ぎ、乗り降りのためのウイングロードの設置作業を甲板員が行っている。
本局のドックや次元世界の宇宙港では、次元航行艦の繋留設備として上甲板の高さまで登れる桟橋があるが、地球にはそのような設備はないので、艦後部のメンテナンスハッチを臨時の出入り口として使う。
集まったロンドン市民たちは、宇宙船は円盤型じゃないのかとか、光に包まれて空中に吸い上げられるんじゃないのかとか口々に言っている。繋留用ワイヤーバインドの基部にある魔法陣を見て、あれでミステリーサークルを作っていたんだなどと言っている者もいる。
21世紀ももう四半世紀が過ぎようとしているが、なかなか、異星人の宇宙船というものもレトロな認識がぬぐいきれていないようだ。
市民たちの中でも、地球周回軌道に入っている巨大要塞を、ただの珍しい天文現象としかとらえていない者もまだまだ多い。
インフェルノは軌道を上げて地上から見える範囲が広がったので、イギリスでは、空を高速で移動する赤い彗星のように見えている。
南米や中東などで、パニックを起こして教会に駆け込む人々の様子が報道されたりなどしたが、少なくともロンドンではまだそういった様子を、科学知識に乏しい後進国の人間だからなのだと、遠い世界の出来事のようにとらえている。
北海やバフィン湾で戦闘が発生した事例は、米軍およびイギリス軍が報道管制を行っているのでまだ大きく取り上げられてはいない。
北海での大ダコ型バイオメカノイドとの戦闘ではドイツ海軍のフリゲートが損傷したが、ドイツ海軍は高波に遭遇したことによる破損と発表した。
バフィン湾では空母ジョン・C・ステニス艦載機のF/A-18F編隊が発射した核ミサイルによりドラゴン型バイオメカノイドを撃破することに成功し、続いて現れた小型バイオメカノイドのユスリカをソ連空軍との共同作戦でどうにか凌いでいる状態だ。
イギリスでは昼間だが、アメリカでは早朝でありまだ人々は眠りから覚めず、どの局も朝のニュースの時間になっていない。さらにジョン・C・ステニスが進出しているバフィン湾は北極圏に入り、この季節は一日中太陽が昇らない。
暗闇の中、空を覆う極夜の雪雲の向こうに瞬く粒子砲の閃光を見上げながら、アメリカ空母機動部隊はバイオメカノイドの大群を食い止めている。
それでも一部は、艦隊を迂回して南下を始めていることが確認された。
敵はあまり積極的に攻撃をしてこないようだったが、とにかく数が多く、レーダー電波が乱反射を起こしてまるでチャフが撒かれたかのように対空捜索や通信に支障が出ており、ジョン・C・ステニスでも敵の正確な動きを掴みきれていなかった。
敵の体躯がレーダー電波をすべて遮ってしまい、反射波を拾うことが困難になっている状態である。
空母に随伴していたタイコンデロガ級3隻のうち『プリンストン』は早々に対空ミサイルの残弾が尽き、速射砲の弾丸も少なくなったため海域を離れて敵の捜索に専念し、残る『シャイロー』、『ゲティスバーグ』もミサイル節約のために速射砲での攻撃に移行した。
北極の空を埋め尽くすほどのユスリカの群れは気象衛星の撮影画像にもはっきりと写り、速射砲を無照準で撃っても命中するほどだった。
巡洋艦は敵が近づくと、速射砲に加えてCIWSパルスレーザーでも攻撃する。
ユスリカはプラズマ砲以外には攻撃手段がないようで、時折巡洋艦の甲板に降りてきて張り付いたりしたが、艦を左右に振って波しぶきをかけるとすぐに飛び立っていった。
乗組員たちは、敵バイオメカノイドは機械(この場合は戦闘機や水上艦)が何物なのかを判別できていないようだという印象を持った。
動いている物体であるということ程度は理解しているようだが、その機械に自分たちが攻撃されていることを認識できないようだということを、群れの動きからは読み取れた。
レーダー画面上ではユスリカの群れは大きな塊のように映り、ひとつひとつの個体がどのような動きをしているのかはつかめない。
しかしそれでも、上空から観測しているF/A-18FやSu-35からの報告で、群れ全体が次第に南下し、ハドソン湾方面へ移動しつつあることが確かめられた。
ユスリカのプラズマ砲で撃墜されたのはF/A-18Fが16機、Su-35が3機にのぼり、ジョン・C・ステニスでは当初ドラゴンに対し核攻撃を行ったステイン小隊12機のうち4機を含む全搭載戦闘部隊の3分の1が損耗していた。
ドラゴン撃破後、破片が降り注ぐ中を強行発艦したプラッツ小隊、ポリッシュ小隊も、発艦直後の戦闘突入で空中で陣形を整える余裕がなく多くが非撃墜を喫した。
大ダコが撃破された翌朝──1月1日の時点で、ムルマンスクの北方艦隊基地からソ連海軍の航空戦艦『ミンスク』が出港していたが、今のところソ連首脳部は同艦をノルウェー沖に待機させ、本格的な戦闘突入を決断しかねていた。
バイオメカノイドの戦闘力を相手にしては、いかに強大なソ連海軍といえども損害を受けることは必至である。
それに対し国民や議員からの支持は得られるのかという心配がある。
連邦構成各国、特に東欧方面のグルジアやオセチアなどでは、インフェルノが天王星宙域に出現した当初、アメリカがなかなか詳しい情報を明かさなかったことに不信感を持っている。
アメリカの作戦に付き合って戦力を消耗した場合、今後の大西洋および北極海での軍事バランスが崩れる恐れがあるということを中央共産党では危惧していた。
いずれにしろミンスクがバイオメカノイドを追うにはアイスランド沖を通過する必要があるため、NATOとの協調をとることが必然的に導かれる。
20世紀ならいざ知らず、少なくとも現代では表面的には冷戦は終結したというのが国際的な認識である。
いかなる出来事が──宇宙怪獣の襲来であろうと──起きようと、ソ連とアメリカが争うことはない、という姿勢をアピールし続けることが、国際関係の中でソ連がとるべき方針である。
光の階段──クラウディア乗員が設置した移動補助魔法ウイングロードを登り、2名のイギリス空軍将官と、彼らを護衛する兵士3名が、大勢のロンドン市民たちが見守る中、異星人の宇宙戦艦、次元航行艦へ乗り込んでいく。
人々は、先頭に立ってまず着陸した白黒ツートンの艦と、それとはややシルエットが異なる白色の艦3隻、合計4隻が、空港のエプロンに停まっているのを見ていた。
今のところ、空軍と交渉をしているのは先頭の艦だけである。
見た印象として、他の白い3隻は搭載している武装が多く、本格的な戦闘艦であるとみられた。
白黒の艦(クラウディア)が旗艦であり、他の艦は護衛だろうか、と一般の市民たちは推測した。
空港の広い平坦な地面を流れる風は、艦の下に入ると勢いを増して吹き抜けている。
少なくとも、今目の前にある巨大な宇宙戦艦は現実に存在する物体であり、UFO否定派の科学者たちが言うような幻覚などではない、と、クラウディアを見上げる空軍将官たちは思っていた。
やってきた二人のうち、年長の将軍はかつてこのブライズ・ノートン空軍基地でNATO駐留時代に航空団司令を務めていたことがある。
20世紀、米ソ冷戦の激しかった時代、時折やってくるソ連空軍の偵察機ではない、異質な特徴を持つ飛行物体をレーダーに捉えたことが何度もあった。
それらは当時のジェット戦闘機やレシプロ偵察機などを圧倒する速度を持ち、迎撃に上がった戦闘機を振り切って逃げたり、逆に近づいたりした。
レーダー画面上には至近距離で並走しているように映っているのにパイロットの目には見えないということもあった。
逆に、パイロットは光る飛行物体を目撃していても地上基地のレーダーや機上レーダーでは捉えられないということもあった。
それらが、すべてとは言わないが今、目の前にいる異星人の宇宙戦艦や、その艦載機である魔力戦闘機なのだ。
次元航行艦や魔力戦闘機は、飛行には空力を用いない。地球の航空機のように、翼に空気を受けることで揚力を得る必要がないのだ。飛行魔法とは重力制御技術であり、クラウディアや他のミッドチルダ艦が地面すれすれに浮かんで静止していられるのも飛行魔法ゆえだ。
ウイングロードを形成しているのは魔力によって固定された大気分子であり、これは足をかけて踏み切ることが出来る。
表面に描かれている幾何学模様は魔法陣と呼ばれ、魔力を行使するための出力装置のようなものだ。クラウディアの乗組員が先導し、歩いて大丈夫ですと手招きする。
ウイングロードの表面は魔法陣部分以外は透明で滑走路のコンクリートが見えているため、慣れない身には、足を踏み出すのにやや思い切りがいる。
そっとブーツをのせると、確かに踏み応えがあり、少なくとも人間の大人の体重を支えることが出来るのだということが感じられる。
護衛の兵士3人のうちひとりがまず先に出て、安全な通路であることを確かめる。
防弾チョッキ入りの野戦服と自動小銃の装備は、兵士の体重と合わせて100キログラム近くの重さになるが、それだけの重さが乗ってもウイングロードは微動だにしていない。
ご心配なさらずに、とクラウディア乗組員が言った。
大丈夫だ、と空軍将官は答えた。
若い方の将官はこの基地の現職の情報将校で、民間の某セキュリティ企業から登用されてイギリス空軍におけるC4Iシステムの開発を担当していた。
その縁で先端技術に触れることが多く、イギリス空軍が管轄してのエグゼクター発掘復元計画をスタートさせることができていた。
ブーツの裏に伝わる感触で、ウイングロードの表面は極めて平坦度が高く、また適度なたわみを持っていることがわかる。敷きたてのアスファルトのように非常に理想的な路面である。大気分子を魔力で固定している、という説明がなるほど、しっくりくる感触だ。
ウイングロードで登った先は、XV級では艦載艇格納庫であり艦尾に位置する、バイタルパート外の部分である。
軍艦の場合、民間の旅客用次元航行船に比べて燃費効率よりも抗甚性を重視するため多軸推進が一般的で、XV級でも艦の竜骨をはさんで左右に推進器が配置されている2軸推進である。
水上艦との違いは舵板がないことくらいだ。代わりに、重力制御装置の部品のようにも見える、テーパーのついた細い板状のスタビライザーフィンが艦尾左右の斜め下にそれぞれ突き出ている。
視界の左右に、飛行魔法発生器のノズルが大きく口を開けており、ロケットエンジンやジェットエンジンとは異なる、光沢のある金属結晶のような噴射口が艦尾に突き出ている。
竜の腹の中に潜っていくようだ、と将官たちは思っていた。
「こちらです」
「随分広いな」
「散らかった場所で恐縮です」
クラウディア乗組員の言葉に、若い情報将校はこの艦──クラウディアが自分たちイギリス軍を欺くつもりはないのだろうと察していた。
どうやら本当に、迅速な会見をセッティングするならこの場所から乗せるしかないのだろう。異星人は自力で──おそらくはごく小さな装置だけで──空を飛べるが、地球人はそうではない。
このウイングロードなる仮設タラップを艦橋まで伸ばしてもいいのだろうが、それでは慣れない人間を歩かせるのがいささか危険である。
よって、早く艦に乗せるにはなるべく地面に近い側の扉を使うしかない。
艦載機の格納庫の中を通らせるというのは、確かに要人を艦内に迎えるにあたっては失礼なものだろうが、しかし今回に限っては事情が異なる。格納庫の中を見せる、つまり積んでいる武器を見せるということは自分たちの手の内を明かすということである。
だとすれば、この宇宙戦艦──次元航行艦の艦長は、自分たちが地球人に隠すべきことは何もないのだということをその態度で示しているのだということになる。
格納庫の中は広く、横幅が5メートルほどの短艇のような機体が2台と、もう1つ、隅の方に布をかぶせられた人型ロボットのような機体がある。
関節部が折り畳まれてシルエットが変わって見えるが、あれがおそらく、北海で大型バイオメカノイドを撃破した異星人の人型機動兵器だ。あれはこの艦の艦載機だったというわけだ。
二人の将官はクラウディア艦内に乗り込み、後ろを警戒する空軍兵士が艦外を念入りに調べながら、やがてウイングロードを収納してクラウディアの艦尾ハッチが閉じられる。
イギリス軍人たちの姿が艦内に消え、それまで固唾を呑んで見守っていた市民たちの間に再びざわめきが戻っていった。
次元航行艦の内部は、一見して、地球の軍艦と変わりないように見える。
宇宙空間では、水に浮かぶための形状は必要ないので、このクラウディアも上下左右がそれぞれ対称に近い形状をしている。
乗組員の話では、もっぱら宇宙空間もしくは大気圏内でも比較的高い高度に限って運用し、着陸や着水をすることはまれであるという。
後続してきた別の3隻はもともと5隻の戦隊だったが、北海での戦闘で1隻が敵大型バイオメカノイドの攻撃によって沈没し、もう1隻が残って救助活動を続けている。
大まかなところは似ているが、よく見ると違いが見えてくる。地球の艦に比べて、通路や室内の構造材に継ぎ目が非常に少なく、平滑に作られており、突起物がほとんどない。
金属を一体成型する技術は地球よりもはるかに優れていることが見て取れる。
空軍情報部の分析では、魔法を用いて金属を原子レベルで接合することができると予測されている。地球では、金属どうしをくっつけるにはリベット留めや溶接といった加工が必要だが、魔力を使うと、もとからひとつの金属の塊であったように作れる。
20世紀中ごろから各地でイギリス空軍が回収してきた、UFOの残骸とされる金属片を分析してそのような結果が得られていた。
この艦も、あたかも各辺300メートルの高張力鋼のインゴットを削り出して作ったような見た目をしている。もちろん実際には金属のパーツを組み合わせているが、溶接のように高熱で金属を変質させてしまうことがなく、非常に強度が高くなっている。
「艦長がお待ちです。こちらへ」
「失礼します」
若い方の将官が、ドアの上に掛けられたプレートを見上げる。
「作戦会議室、ですか」
「読めますか」
「簡単ですが、単語程度ならば読み替えが可能な対照表を頂いております」
ミッドチルダ語のアルファベットは地球のものとはかなり書体が異なる。それでも使用する文字体系は同じであり、綴りも似ているので意味を類推することが出来る。
会議室では、クラウディアの乗組員たちが入り口の警備をしている。
ミッドチルダ──次元世界では、一般的な歩兵用の携行武器は杖のような外見をしている。ただしこれも、老人が歩行の補助に使うようなものではもちろんなく、全体的なシルエットはどちらかといえば杖というよりはメイスやモーニングスターなどの棍棒に近い。
杖の頭部には、機種にもよるが小型の粒子加速器や電子銃が仕込まれ、武器としてはいわゆるアサルトライフルにカテゴライズされる。
発射するのはレーザーやプラズマ弾などである。民間向けなどは純粋な打撃武器として弾丸発射機能を持たないものも多いが、軍用のものではいわゆる魔力弾を発射する機能を持ち打撃武器としての使用を考慮していない機種が多い。
イギリス空軍の兵士たちとクラウディアの水兵たちは、それぞれ互いの持つ銃身を交差させる交代の合図をし、一人ずつドアの両側について警備位置につく。
作法はやはりミッドチルダと地球では異なるが、おおむね、どちらもそれは理解している。
会議室に入った将官たちは、四角いテーブルを囲み、一番奥の上座の席の横に立って待っていた、礼装の軍服を纏った若い男の姿を見た。
この艦の艦長である。
若輩であろうが、しかし実戦経験は自分たちと同じくらいか、それ以上あるかもしれない。
同時に、軍人としてどこか違う、組織のシステムに縛られていない、若い煽動家のようなカリスマ性を持っていると嗅ぎ取っていた。
「ようこそ、“クラウディア”へ。私が本艦の艦長、クロノ・ハラオウンです」
クロノの英語は、今までアメリカやイギリスを訪れていた他の異星人に比べてずっと流暢でなめらかだ。教養ある者から学んだであろうことがよくわかる、正統派のクイーンズイングリッシュである。
かつてギル・グレアムに師事したというこの異星人の提督が、自分たち地球人をどのように見ているのかというのはイギリス軍人たちにとっても興味をひかれる事柄である。
異星人、すなわち他の惑星に住む人類。
それが今この場にいるということは、彼らは何万光年もの距離を航海して自分たちの母星から地球までやってきたということである。
しかし地球の宇宙船では、彼らの船についていくことができない。何光年どころか、1天文単位を飛ぶのにさえイオンエンジンをちびちびと噴射して何日もかけなければならないのである。
グレアムは、西暦2005年末に日本で起きた異層次元航行型機動兵器の暴走事件に際してその責任を問われ、管理局を退いたと聞いていた。
実際にはそのとき管理局とイギリス政府の間に何らかの取引があり、グレアムは次元世界各国の追及を逃れるべくこの地球──彼らの呼び名では第97管理外世界──に隠遁した。
その後も、表向きには医療福祉活動に携わる資産家という暮らしを送っていたグレアムだったが、西暦2023年、ついにその活動の実態が次元世界の多国籍大企業の幹部たちの知るところとなり、地球と管理局のつながりを挫くべく刺客が送り込まれた。
もともとイギリス軍人ではない民間の人間であったが、アメリカが主導した管理局との交換留学計画──民間の都市伝説ではプロジェクト・セルポというのが著名であろう──に参加するにあたり、グレアムも短期間ながらイギリス海軍で幹部養成課程を受けている。
年長の将軍の方はグレアムとは直接面識はなかったが、名前程度は耳にしていた。
その彼が、異星人の暗殺者に襲われ、命を落とした。
夥しい短機関銃の弾を撃ち込まれ、自宅ごと爆破された。異星人たちの星──ミッドチルダでは、拳銃サイズの携帯武器であっても粒子砲の類が使われ広く普及しているが、ずっと入手しやすいであろうそれを使わず、あえて地球製の銃を使って殺害した。
地球上に存在しない武器を使っては、異星人の関与がすぐに疑われてしまう。これも当然のことだ。
事件後、イギリスに派遣された異星人の捜査官はアメリカFBIと協力し、問題の暗殺者──“キャンサー”という暗号名で呼ばれている──を捜索している。
少なくとも、イギリス国内に未だ潜伏していると考えられる。
これまで太陽系内には管理局の巡洋艦が常時滞在しており、それらの警備艦艇が取り締まっている航行艦船記録によれば、2023年11月以降、民間の次元航行船が地球を訪れた事例はない。
地球と次元世界の間にはもちろん定期便などは運航されていないし、次元世界の人間が地球を訪れるには厳しい審査を経て承認されなければ宇宙船を飛ばすことはできない。また、その審査も実質パスできる人間はいない。
もし企業がひそかに送り込んだ工作員がいるならばこれより前のことであり、またグレアム殺害事件以降管理局は民間船の渡航を全面禁止したため、異星人の暗殺者は地球から外に出ていないと考えられた。
いかに異星人でも星から星への移動には宇宙船が必要であり、転移魔法などのいわゆるテレポーテーション技術を持つ者でも単独での次元間ワープは不可能である。
FBIによる捜査の結果、イギリス本土には現在稼動している転送ポートもなく、次元世界の人間が立ち入ることは不可能であると結論付けられた。
闇の書事件に先立つPT事件で、次元航行艦を使わずに移動可能なよう設置されていた転送ポートは海鳴市内のものを含めてすべて破壊処分され、これ以降、次元航行艦によるサポートなしに人間の魔導師が地球に侵入することはできないようになっていたはずである。
当直のために発令所にいるヤナセ航海長を除くクラウディア幹部士官たちが会議室に集まり、イギリス空軍将官たちはクロノの正面の席に案内された。
クロノの隣には、軽いウエーブのかかった青い髪の副官がいる。ウーノという名前の彼女は他の幹部たちと同じように礼装の軍服を着ているので、彼女がこの艦のナンバー2であるということだ。
「どうぞ、掛けてください」
ウーノが着席を促し、二人の将官は席につく。
既に現場の諜報員などから聞き及んでいたことではあるが、同じヒューマノイドであっても地球人と異星人(次元世界人類)では外見に若干の差異がある。
皮膚は角質の含水量が多く表面の皺状構造が目立たない膜状であり、体毛は色素の種類が多く多種多様な色をしている。地球人では基本的にメラニンのみが発色しているが、次元世界人類ではこの他にもいくつかの色素がある。
また骨格としては四肢が良く発達し頭部が大きく、感覚器の中で特に眼球が大きく逆に鼻と耳は小さめである。
これらの特徴はミッドチルダ人でとくに顕著であり、古代ベルカ系の遺伝が濃い人種では若干地球人に近い、鼻筋の通った彫りの深い白人系の顔である。
並んで立てば、確かによく見ればわかるといった程度だが、この程度の差異では街の人ごみに紛れ込んでいても気づかれないだろう。
地球の一般的な人間からすれば、宇宙人といえば往年のタコ型火星人や、SF映画などで描かれるグレイタイプを思い浮かべることが多いだろう。
しかし少なくとも次元世界人類は、地球人とほぼ同じ外見をし生物学的にも、遺伝子分析などの結果から見ても同じヒトと呼んでよい種族である。
異星人研究ではノルディックと呼ばれているタイプに該当するであろう。
次元世界──ミッドチルダという異星人たちの星間国家の中心となる星では、これら様々な星に住む人類たちの似通った形質についても研究が進んでおり、あるひとつの超古代文明が現在の人類の祖先として存在したという仮説が立てられている。
その超古代文明は何らかの原因で既に滅びたが、彼らはさまざまな惑星に子孫を残しており、それぞれの星で再び文明を興したというものだ。
この説に基づけば、高々1万年程度では、人体の形質はさほど大きくは変わらず、交配不可能なほどに種が分化してしまうこともない。
ミッドチルダ人の滑らかな皮膚形質は、魔法使用に適した変化であると考えられている。
「我々が最優先すべき目標は地球軌道に滞在している敵機動要塞の破壊です」
若い空軍将官が先に発言した。
この場で、話し合いの主導権を握ることがまず重要である。ただでさえこちらは科学技術的に、戦力的に不利な立場である。
異星人が何らかの要求をしてくるのかわからないが、それに簡単に応じることはできない。
「われわれの艦隊は300隻近い戦闘艦をあの要塞に向かわせました。しかし、要塞の破壊は未だなされないままです」
クロノが応じる。われわれとはミッドチルダ・ヴァイゼン連合艦隊であり、地球人に対する次元世界人類である。管理局ではない。
地球からは、ソ連のR-7熱核弾頭ミサイルを12発も命中させている。ソ連だけでなく、現在の地球が保有するほぼ最大といっていい威力を持つ兵器だが、これをもってしてもインフェルノを完全破壊するには至らなかった。
しかもこの攻撃の際に異星人の艦隊を巻き添えにし、そのうちの1隻が日本に墜落した。正確なところはまだ伝わってきていないが、死傷者も当然出ているだろう。
ソ連による再攻撃、もしくはアメリカのミサイルによる追撃は困難である。
「ミッドチルダとヴァイゼンの連合艦隊です。ミッドチルダについては既にいくらかをご存知かと思いますが」
ヴァイゼンというのはイギリスにとってもほぼ初めて聞く国名である。
異星人の星間文明、次元世界連合ではそのほとんどで惑星1個につき1つの政府を持つ統一国家であり、次元世界では一般的にはひとつの有人惑星をひとつの国家とみなす。
次元間航行によって様々な技術レベルの星の人々が互いに行き来できるという事情から、発展途上国などでは大都市に作られた中央政府が各地の町や村を都市国家群としてまとめあげる政治体制をとるケースが多い。
次元世界はそれぞれの番号を持っており、ミッドチルダは第1世界、ヴァイゼンは第3管理世界である。
これは若い番号のほうは管理局に加盟した順番とほぼ一致しているが、後のほうになるほどその規則は崩れ、再発見や分類変更などで順番が入れ替わった世界が多い。
地球は、管理局による正式な呼称では『第97管理外世界テラリア』という。
「同規模の機動要塞は既に他の次元世界各国へも進出が確認されています。敵は、地球だけではなく全宇宙の人類を絶滅させることを目的にしているというのがこれまでの接触および交戦で得られた予測です」
「そのような敵が……ハラオウン艦長、彼らはエイリアンなのですか。それとも米軍の情報どおり、宇宙怪獣なのですか」
「彼ら、バイオメカノイドは人間ではありません。また有機生命体でもありません」
「無機物、機械であると」
「無機生命体である可能性があります。これに関してはわが管理局でも分析の途上ですが、彼らは概ね、人間を識別し狙うことができる能力を備えた非常に攻撃的な性格を持つロボットです。
また生命体としてみた場合の耐久力も高く、一般的な対人武器では倒しきれません。艦砲や戦車砲などの大口径の武器を使用する必要があります」
地球の英語と比較した場合のミッドチルダ語との差異を吸収できるよう、クロノはそれぞれ『バトルシップに装備されたガン』、『ビークルに装備されたガン』と表現した。地球では、武器を指してデバイスという呼び方はしない。
また、ミッドチルダ語ではバトルシップという言葉は特に断りがない限り次元航行艦のことをさす。次元航行艦は多くの艦種で大気圏内飛行能力、水上航行能力、またある程度の潜水能力を持っている。
バイオメカノイドは人類の持つ力をたやすく超えてくる敵である。インフェルノは全長100キロメートル、全幅全高25キロメートルの威容を持ち、内部の体積は小国の領土がすっぽりおさまってしまうほどだ。
その中に、人類を殺戮する本能を持ったロボットや怪獣たちが無数にひしめいているのである。
「アメリカが打ち上げた宇宙探査機──ボイジャー3号が彼らの巣となる惑星を発見しました。ミッドチルダの探査機も同時にその惑星に向かっており、現在、共同で観測を行っています」
「NASAが調べているのですね」
「そうです──そのように、伺っているはずです」
アメリカとイギリスは完全に連携が取れているわけではない。クロノもそのあたりの感触を、会話の流れから探っている。
空軍将官たちも地球の内部事情をあまり探られてしまうわけにはいかない。あくまでも地球は統一された意思を示すことが必要である。
既に着陸作業中の間にも、バフィン湾にて交戦中の米第2艦隊から連絡が届いており、想像を絶する数の小型バイオメカノイドが大気圏内に降下しつつあると報告されていた。
ユスリカのような姿をした羽虫型の個体で、口吻のような部分から高速プラズマ弾を発射する。
その威力はジェット戦闘機を容易に粉砕し、米ソあわせて20機近くの戦闘機が撃墜された。
現在、バイオメカノイド群は海上を飛びバフィン湾を南下、一部は既にラブラドル半島に上陸した。
バイオメカノイド群が飛ぶ様子を目撃した住民からの報告では、まるでイナゴの大群のようだったという。
アメリカは陸軍部隊をカナダに移動させ、防衛陣地を構築している。
これも、人間の兵士が生身を敵前に晒すことは非常に危険な行動である。バイオメカノイドは艦艇や航空機などに対してはただの金属物体としか見えないのか積極的に攻撃してこないが、人間に対しては非常に高い攻撃性を持つ。
ジョン・C・ステニスでも、甲板に出ていた作業員がユスリカに飛び掛られ、4人が頭や手足を食いちぎられ、他にも何人かが海に転落していた。敵は空母そのものには興味を示さず、乗っている人間だけを攻撃してきていた。
兵装が攻撃されにくかったのが幸いし、現在ジョン・C・ステニスはCIWSで艦そのものは防御できているが甲板上の作業は不可能になっていた。ファランクスとパルスレーザーで自艦の甲板上を掃射したため甲板員が巻き添えになり、露天繋止していた機体も破損した。
人間相手の戦い方は通用しない、特殊な性質を持つ異形の生物である。
突如宇宙より飛来した。地球のほとんどの人間にとってはそのような印象であろう。アメリカや日本などの一部の政府高官や軍司令部の人間などは知っていたか、予想していたかもしれない。
しかし、少なくとも単なる基地司令のレベルには情報が降りてこなかった。
イギリス政府中枢はバイオメカノイドの存在を知っていて、それで管理局艦をこの空軍基地へ迎えるよう指示したのかもしれない。
今、この場で自分たちが出来ることは、敵バイオメカノイドへの対処方法について管理局に仰ぎ、指南を受けることである。
クロノは手元の情報端末を操作し、会議卓の中央に立体映像を投影した。
これはティアナが撮影した、アルザスにおける撤退戦の様子である。
ティアナの操縦するエグゼキューターは、クラナガン中央第4区での戦闘の後、惑星TUBOYに立ち寄ってから敵輸送船団を追跡してアルザスに向かい、派遣されていたL級の戦闘の様子をひそかに撮影した後で第97管理外世界を訪れた。
アルザスでのバイオメカノイドの侵攻速度や移動パターンなどを観測した後、インフェルノ追撃を開始したということである。
アルザスに現れたのは小型個体とドラゴンなどの大型個体であり、輸送船団が直接地表に降下はしなかった。
軌道上にいた管理局のL級巡洋艦にも向かっていかなかったことから、おそらく敵輸送船は対艦攻撃能力が低いとみられた。
キャロのヴォルテールをはじめとした、アルザスの地元魔導師たちが使役する大型竜によるブレス攻撃で、カメラの画角いっぱいの範囲がいっきに爆発した。
地球で用いられるサーモバリック爆薬にも匹敵する規模である。
「これは地球時間で60時間前に撮影されました。われわれの次元世界連合に加盟する世界──第6管理世界です。
バイオメカノイドは最初の出現から24時間以内に、直径7200キロメートルの大きさを持つこの惑星すべてを埋め尽くしました」
空軍将官たちは表情を強張らせ、それでも動揺を押し殺して映像を見つめる。
わずか1日で惑星全土を埋め尽くすということは、地表全域にわたって同時多発的に出現したということである。
現時点の地球に、もしこれと同じ規模で敵が出現すれば、おそらくどこの国の軍隊も対応できないだろう。それは、地上最強を誇るアメリカ軍であっても同じだ。
「これは7日前の第6管理世界の衛星画像です。そしてこれが──現在の様子を、同じ位置から撮影したものです」
最初にかつてのアルザスの様子が翡翠色の惑星として映し出され、次に赤黒い血液の滴のような画像に切り替わった。
バイオメカノイドの個体量が増え、地面に堆積したことで、惑星の形状が完全な球ではなく表面がでこぼこになっている。
この色は削られて深成岩までが露出した地殻と、ワラジムシなどの節足動物型の個体の体表の色が混ざり合ったものである。地下から摂取した鉱物元素の結晶が赤い色を出し、光を吸収して星全体を黒く見せている。
地球は、宇宙空間からは大気の反射で青黒く見える。かつて世界初の宇宙飛行士ガガーリンが言ったように、地球は、宇宙からはとても美しい青い星に見える。
このアルザスという次元世界も、かつては美しい翠の星だった。
それが、バイオメカノイドによって見るもおぞましい姿に変えられてしまった。
赤褐色の星は、たとえば火星や金星のように、生命の存在を許さない苛酷な環境という印象を与える。
わずか1日間で、人間が住む惑星1つが壊滅してしまった。
それはこれまでの地球人の認識では、“世界が滅亡した”と表現されるだろう。
まさに恐るべき力である。第6管理世界の人口がどれくらいかは地球では知られていないが、それでも、想像するのも厭になるほどの数の人間が死んだだろう。
「現在、ミッドチルダ海軍ではこの第6管理世界において生き残った全住民を別の世界へ避難させ、バイオメカノイドに対する有効な兵器や戦術を探る実験を行おうとしています」
「実験……実験ですか!?あの星を使って!?」
思わずイギリス空軍将官は聞き返した。
つい数日前まで人間が暮らしていた星に、あらかじめ住民は避難させるとはいえほぼ好き勝手に兵器を撃ち込むというのである。敵を倒すためではなく、兵器の威力を確かめるために。
かつての地球でも、南太平洋の島などで米英仏など各国が核実験を行い、放射性降下物をはじめとした環境汚染によって大変な非難を浴びている。その影響は2024年の現代でも残り続けている。
アルザスは既にバイオメカノイドによって蹂躙しつくされ、もはや人が再び住めるように環境を復元することは不可能になっている。
バイオメカノイドを倒しても、彼らの死骸が地表を埋め尽くし有毒物質に大地が汚染されている。
都市は全くの更地になり、また地表を更地にしてしまうほどの威力の攻撃でなければ敵は倒せないだろう。
人間や他の動植物は、液体の水や酸素の大気がなければ生きていけない。
しかしバイオメカノイドの生存にはそれらは必要ない。岩石や金属を噛み砕いて直接肉体に作り変える。それは機械をつかって鉱山の資源を掘りつくすように、惑星を穴だらけにしていく。
アルザスはもはや人の住める世界ではない。
地球でも、鉱物資源を月や他の小惑星などから採掘しようというアイデアが宇宙開発の意義として提唱されていた。
現代人類はそこまで無茶はしないかもしれないが、かつての産業革命時代の頃は、あのように乱暴に地球を掘り、鉄や石油や、銅や石炭を掘り出し、木々を切り倒して土砂を積み上げ、地球を穴だらけにしていたのだ。
「現実には兵器の性能、カタログスペックだけでは戦えません。配備されているというだけなら、惑星を一撃で吹き飛ばすミサイルもミッドチルダは保有しています。
しかし、軍縮の流れからその実戦使用は厳しく制限され、現時点でもそれを使用するための各国のコンセンサスは得られていません」
「確かに──いくら危急のときであっても、現場の人間の判断だけで核ミサイルを撃つことは──できませんね」
言いかけて、イギリス将官はソ連のR-7発射を思い出し言葉をやや止める。
あれは実質的にはソ連が独自に行った攻撃だが、最終的にはアメリカと日本が承認した。
米ソを含む核保有国はホットラインで核使用の認識を確かめていたし、いったんはミサイル防衛の手順に従いスタンダードミサイルが発射されたが、ホワイトハウスの直接命令により迎撃は中止された。
次元世界で少なくとも公式にバイオメカノイドの襲撃が認知されたのは新暦83年12月8日、クラナガン宇宙港での戦闘が最初だ。地球時間でもまだ1ヶ月ほど前のごく最近である。
バイオメカノイドの存在そのものはすでに知られ、民間企業を使って調査を行っていたが、その過程で不意の事故によりバイオメカノイドが目覚め動き出した。
当初想定していたよりもそれははるかに強大であり、敵の本格的起動をさせずに破壊しようとしたLZ級戦艦アドミラル・ルーフによるアルカンシェル砲撃にも、惑星TUBOYは耐えてしまった。
初手で敵を抑えきれず、その後の増殖を許す猶予を与えてしまったことになる。
ミッドチルダも、まだ対応方針を打ち出すことができないでいる。
しかし管理局の捜査に対抗しなければならないという事情から、ほぼ泥縄的に艦隊は編成され出撃した。
それがインフェルノを追って第97管理外世界までやってきたのである。
クロノはそんなミッド・ヴァイゼン連合艦隊の決断の遅さを利用して、彼らを戦いに駆り立てることに成功した。
ミッドチルダ、そしてヴァイゼンは、いよいよ本気になって対バイオメカノイド作戦を検討しなければならなくなっている。
最初に考えていたように、あくまでも秘密裏にサンプルを持ち帰るということはできなくなった。管理外世界への正規軍進出が知られてしまった以上、これに正当性をもたせることができなければ、ミッドチルダはこれ以上戦うことが出来なくなってしまう。
軍を動かし続けることに、各国からの、ひいては自国民からさえも信用が得られなくなってしまう。
体面を気にして生存競争などやっていられるかとも、前線の人間ならば考えるだろうが、実際、現場と政府首脳の認識の違いが、クロノに付け入られる隙であったことは事実だ。
次元世界連合と管理局理事会の決議を待たず独断専行で次元世界各国へ介入し、それでバイオメカノイドを撃破できたとしても、その後数十年、下手をすれば数百年以上も、ミッドチルダはその十字架を背負い続けなくてはならなくなる。
古代ベルカのように、国が消滅したから責任も消滅した、というわけにはいかない。
敵が現れたからといって、ではすぐに最大戦力で迎え撃て、ということは現実的には、事前の情報があったとしてもとてもではないが不可能なことである。
「ハラオウン艦長、我々は少しでも戦力の拡充を急ぎたい。わがイギリス以外にも、世界各国で先進兵器や古代の発掘兵器などの研究が行われています。
管理局は、それらを承認しているという認識でよろしいのでしょうな」
「ええ。──地球は、大変優れた技術を持っています」
クロノは、言葉をゆっくりと、かみ締めるように述べた。
それは今でも次元世界の一部過激派に屯する、魔導兵器をもって地球を属国化し、質量兵器を駆逐すべしという旧態依然とした考えを挫くという意志の現れである。
確かに、現在の管理局の公式見解では地球に魔法文明はない。
しかしそれはあくまでも表面的なものである。
同じ技術でも、次元世界では魔法と呼ぶものを地球では魔法と呼ばない。
粒子加速器やレールガンなどは、次元世界では電撃魔法や砲撃魔法として扱われている。魔導兵器、質量兵器という区分は純粋に政治的な都合であり管理世界、殊更にミッドチルダの都合による呼び名である。
たとえば、明らかに航空母艦としての能力を持つソ連キエフ級が、ボスポラス海峡通過のために対外的に巡洋艦を名乗っているようなものだ。もしくは日本における護衛艦という呼び名もそうだ。
ズムウォルト級が装備するプラズマレールガンや、各国戦闘機のパルスレーザーなどをミッドチルダの市民が見ればあれは砲撃魔法だと認識するだろう。
地球における魔導兵器開発において、ほぼ唯一といっていい最後の技術的関門であった飛行魔法についても、X-62の実戦テストによりクリアされた。
あとは大量生産の習熟に専念すればよい。
現在ですら、軍が用いる兵器の中で最も最先端のテクノロジーを注ぎ込まれる戦闘機なら、パイロットは超音速で飛びながら各種の情報を処理するまさに魔法のような技術に囲まれている。
大推力を発生するエンジンは、古くから使われてきた石油燃料を使用するジェットエンジンだけでなく熱核タービンエンジンが作られており、航空機における機内容積と重量を大きく占める燃料タンクを不要にすることで戦闘機の能力は格段に向上している。
さらに宇宙船用として普及したイオンロケットから派生したプラズマロケットエンジンも、次世代型SSTOのメインエンジンとして有力視されている。
古くはRQ-1プレデターに始まり、RQ-170センチネルやX-47ペガサスなどで完成された無人自律飛行能力も、パイロットの負荷を軽減し、結果として一人のパイロットがこなせる作戦任務の範囲が大きく広まった。
デジタルコンピュータとそれがもたらす情報処理能力はまさに魔法と呼べるだろう。そして地球人はそれを使いこなすノウハウを、どこの次元世界よりも蓄積している。
かつて人間が搭乗する有人戦闘機はパイロットの肉体的な限界があるので無人機に取って代わられると考えていたが、この現代では数々の技術的ブレイクスルーによって、再び有人機が戦場の主役になろうとしている。
ミッドチルダ陸海軍および管理局における航空隊の訓練では、空中戦闘機動による荷重制限を27Gと定めている。また空戦魔導師が使用するバリアジャケットは最低限27G機動に耐える慣性制御能力を備えることとされている。
地球製戦闘機の場合、米空軍および航空自衛隊のF-15で18G、F-22で21.5G、ソ連空軍Su-35で16G程度が目安とされている。
例外的にX-62では、試験機のため構造強度に余裕を持たせ機体そのものは180G程度まで耐えるが、操縦システムに制御が入るため掛けられる荷重は70Gまでに設定されている。
単純に魔導師と戦闘機を比較はできないが、おおむね、地球由来の技術は次元世界でも高い評価を受け、それだけにミッドチルダやヴァイゼンからしてみれば少々非合法な手段を使ってでも手に入れたい、まさに垂涎の的である。
「あなたがた管理局の取り締まりにもかかわらず、地球に──密入国する者は後を絶たないと」
「そのために“我々”は、管理局の改革を図る必要があります。今後、地球が次元世界に係わっていく上でです」
将官たちはクロノの言葉にかすかな違和感を覚える。
この提督は、管理局の任務として地球を訪れたのではないというのだろうか。
管理局が地球に協力するために艦を派遣したのではないというのだろうか。
「わがクラウディアは管理局所属艦ですが、今、隣にいる3隻の艦は、ミッドチルダ海軍の艦です。所属が異なる、すなわち複数の次元世界の艦が集まっているのです」
「多国籍軍であると。管理局というのは、地球でいう国連のような組織ということで間違いはないのですな」
「ええ。加盟各国の意向に足を引っ張られがちであるということも、地球の組織と似ています」
この艦長はまるで、自分が新しい組織を作ろうとしているかのようだと将官たちは感じていた。
基地内で、新たな部隊を立ち上げるために案を持ってくる空軍委員会(イギリス軍における組織人員の編成管理を行う部署)の人間のような顔つきと印象を与えてくる。
「ハラオウン艦長、──あなたは、ご自分の組織に不満をお持ちで?」
若い将官が尋ねる。
「今回の件に対する対応も、もしかしたらもっとよいやり方が出来たかもしれない」
「確かに管理局の対応の遅さは次元世界でも問題になっています──しかし、わが艦はエグゼキューターなる戦力を擁しています。幾度かの実戦出動により、予想をはるかに上回る戦闘力、優秀な任務遂行能力を発揮しました。
北海での戦闘の報告はご覧になられたでしょう。これは従来の管理局システムを超える力を持ち、全次元世界に調和をもたらすことを可能にします」
「超えるということは、何万隻あるのか存じませんが、そちらの宇宙戦艦、その艦隊と、乗り組んでいる兵──いえ、魔導師、それらよりも強いと」
「予想をはるかに上回る優秀な戦闘力です」
「それにわがイギリスも──いえ、地球も参加せよというのですか」
「現状の次元世界情勢では、地球にとって不利な条件での次元世界連合加盟となることは免れないでしょう」
「それは──どういうことですかな?ハラオウン艦長」
「互いの世界の市民感情はさておき、現時点でこうしてわれわれが地球に赴いている通り、こと次元間航行能力において地球は劣ります。
これではミッドチルダやヴァイゼンなどの強硬な次元世界大国に有利なように外交を進められ、次元世界から持ち込まれる物資や通貨によって経済も影響を受けるでしょう。
ミッドチルダは第97管理外世界で自由に活動できますが、地球は各次元世界ではなかなか思うように活動できないでしょう。
そうなれば、すべてにおいて地球の立場は弱くなります。これは管理局の権限にはないものです。いかに管理局であっても、各次元世界の内政に干渉することはできませんから」
「つまり──ハラオウン艦長、あなたはあなたの従える“エグゼキューター”と、ご自分の艦、この“クラウディア”で、新たな防衛力をこの地球に与えようというのですな?」
「そう受け取っていただいて結構です。あなたがたイギリスだけではない、アメリカも日本も、いきなり宇宙の彼方からやってきた異星人に、いきなり従えと言われて従うことはできないでしょう」
それはもちろんだが、という言葉を二人の将官はなんとか飲みこんだ。
魅力的な提案を目の前に並べ、意識を高揚させていくやり方である。
その若輩な見た目からはにわかに想像しがたい、一杯も二杯も食わせてきそうなしたたかな男である。
単なる軍人ではない、政治家としての才覚さえあるだろうと、二人の将官は思っていた。
「確かにそのような“お心遣い”がいただけるのなら我々としても悪い話ではありませんが」
通訳を介さない、互いに英語を用いた会話である。
管理局は組織としては国際機関だが本局施設そのものはミッドチルダ軌道上にある。国連本部がアメリカ領土内たるニューヨークにあるのと同じだ。
ミッドチルダ人に対し、英語で交渉が成り立つか。ミッドチルダの人間がどのように受け取るのか。
若い将官は、これこそ自分が最も適した任務だと考えていた。
地球の先進諸国の中で、イギリスが地位を高めるために、そして次元世界に対して発言力を持つために、利害をうまく調整した立ち回りが必要である。そして、これは管理局にとっても損な話ではない。
ミッドチルダと管理局は必ずしも一枚岩ではない。次元世界における軍備、経済などの面でまさに宇宙最強を誇る超大国と、国家間の治安維持と紛争調停が任務である国際特務機関。反りが合わないのはある意味当然である。
もし地球と管理局が独自に結びつけば、ミッドチルダによる地球への介入に口実を与えてしまうだろう。
次元世界連合の加盟国であるミッドチルダは、その権限を超えた次元世界(地球とて数ある次元世界の1つである)への干渉を行った管理局を批判することが出来る。
ミッドチルダは確かに管理外世界への不用意な進出をしてしまったが、管理局も出過ぎたことをしてしまった以上それを表立って追及できない。
逆にここであくまでもミッドチルダを抑えようと管理局が狙うなら、その権限と戦力をこれまで以上に高め、次元世界各国をたとえミッドチルダであっても実力で押さえつけることが必要になる。
「確かに、地球は外宇宙航行技術において遅れを取っていますから、次元世界全体としては発展途上国であるでしょう。
しかしそれは、先進国の介入を甘受すべき理由にはなりえません」
かつて大航海時代、イギリスがアフリカや南米の植民地経営で経験した事と同じだ。
若い将官の言葉に、クロノも目を見据えつつ深くうなずく。
「もちろんです。あらゆる次元世界はその独立を尊重されなければなりません」
「これまでのように、地球にあくまでも不干渉の姿勢を取ることはできないと」
「管理局として不干渉を保っても、次元世界独自の介入を止めることはできません。またそうなれば、管理局は次元世界正規軍を相手に戦わなくてはならなくなります──今の管理局にはそのような決断は不可能でしょう」
「ましてやバイオメカノイドが地球に襲来した現在となっては──ですね」
将官たちはあくまでも落ち着いた姿勢を崩さず、思考を加速させる。
いずれにしても国務の重大事項である。一軍人である自分たちにそれを決定する権限はない。この話を、イギリス政府とそれから少なくともアメリカ政府へ伝えなくてはならない。
事ここに至り、次元世界──それは宇宙全体と言い換える事もできる──の中で、地球だけが知らぬ存ぜぬを突き通すことはできない。
他の星での事件だから、自分たちは関係ないからなどとは言っていられない。
もしミッドチルダが地球併合を強行しようとするなら、安全保障理事会の開催が不可能であると認められれば管理局最高評議会の権限により、運営理事国各世界の同意なしに第1世界ミッドチルダへ対する制裁発動が可能になる。
ただそれでも、現在の管理局の戦力ではミッドチルダと正面から戦っては勝ち目はないだろう。
また、もし地球近辺で次元世界軍同士の戦闘が発生すれば、遠からず地球を巻き添えにする。そうなれば地球としても、ミッドチルダへの、ひいては次元世界全体への不信感が募るのは避けられない。
もちろんミッドチルダとしても正面切って戦端を開くのは他の次元世界の非難を受ける行為であり、可能な限り、相手に先手を打たせるための姦計を巡らせるだろう。つまり、最初に攻撃してきたのは管理局でありこちらは防衛行動をとったまでだと主張するためである。
そこに、ある意味では正面戦力だけでは判断できない勝敗の分かれ目がある。
いかにミッドチルダ軍の装備数量が強大であろうとも、次元世界国家正規軍であるという立場上、必ずそこには付け入る隙があるということだ。
翻って地球には、最後まで不利なカードが残り続ける。それは惑星TUBOYと戦っていた超古代先史文明が所在した星が地球であるという可能性である。
これがもし事実であるなら、バイオメカノイドによって起こされた事件のすべての責任が地球に押し付けられる危険がある。いくらその文明が1万数千年前に消滅し、今の地球人はそれを知らないとしても、ミッドチルダは巧妙に論理をつくるだろう。
たとえば自分たちの領土内に存在していた物体を正しく把握せず他の次元世界に被害をもたらした、などといった口実である。
管理局としてはそれは阻止しなくてはならない。
本来の紛争調停の任務としてなら、第1世界ミッドチルダと第97管理外世界の間に紛争が発生する事を未然に防がなくてはならない。
将官たちも考える。
この話をイギリス政府に取り次いだところで、議会も内閣も同じ答えしか返せないだろう。
地球が生き残りを図るなら、たとえばミッドチルダに下り、軍部隊の地球への駐留を受け入れた上で次元世界連合へ加入するのが最も楽で労力の少ない道かもしれない。ミッドチルダに取り入れば、少なくとも生存はできる。
だがそれでは、安全は保障されるかもしれないが自由はない。地球は常にミッドチルダの支配下で、文明の進歩は閉ざされてしまう。
死ぬよりはまし──確かにそうかもしれないが、それでは、生きていることにさえ意味がなくなってしまうかもしれない。
ミッドチルダとて仮にも先進国家を標榜するならば人道的な考え方を持っている──だとしても、自らへりくだって這いつくばるのは、人間の誇りを捨てた選択肢だ。
少なくとも今はそういう答えしか出せない。
今持っている情報では、これ以上の答えを出せない。
「わかりました。ハラオウン艦長、貴官の提案は我々にとっても、またあなたがたにとっても有益なものとなるでしょう。
この危機を乗り越えるため、政府にも伝え、働きかけます。前向きに検討させていただきたい」
「良い返事を期待しています」
地球は、ミッドチルダにもヴァイゼンにも与しない。
地球は地球のやり方で生き残りを目指す。
そしてそれは管理局によって道が切り開かれる。クロノは、その道を半ば無理やりに、地球の前に置いてみせた。
第97管理外世界として地球は、管理局ならびに全次元世界に対して対等な地位を築かなくてはならない。
そうでなければ、戦いに向かう人間の心はいずれ錆び付き崩れてしまう。
少なくとも“現時点”では、地球人の誰もがそう思っていたはずだった。
ロンドン市内では、いつもどおりに新年を迎えて人通りが戻り始めている。
冬の冷えた空気は、テムズ川から昇ってくる湿り気を霜として道路や建物に吹き付けている。
黒い厚手のコートを着た男が二人、川沿いの道を歩いている。
彼らは、仕事に向かうビジネスマンを装っていた。
通り沿いに並んでいる証券会社のオフィスを訪ねるふりをして、20分ほど前から通りの往復を繰り返している。
やがて彼らが5軒目のオフィスビルに向かったとき、そこはエントランスがやや奥まった位置にあり通りの両側からは見えなかった。
立っている警備員たちに朝の挨拶をする。同じく二人いる警備員はやや怪訝な表情を浮かべながら挨拶を返す。
昨年頼んでいた手形の件で、と二人の男は警備員に言った。
御用でしたらこちらから、と透明ガラスの自動ドアを案内する。もう一人の警備員はイヤホンマイクで屋内の守衛室へ来客を知らせる。
『来たのは二人だったか?』
「ええ」
『アメリカ人か』
「おそらくは」
『わかった。そのまま仕事に戻ってくれ』
当直の守衛はインターホンを置き、監視カメラのスイッチを切り替える。
取引に訪れる客たちがフロアに集まっている様子が映し出され、いくつも並んでいるモニターのうちの1つには、電光掲示板の下に位置する通用口を中央に捉える角度で設置されたカメラの映像が映されている。
「来ましたよ、主任。録画の準備を」
わかってる、と苦々しげに呟く警備主任の背後に、黒いフォーマルスーツの女が立っている。
今朝方、ロンドン証券取引所の立会時間が始まる直前に突然やってきて、情報局保安部発行の捜査令状を見せて乗り込んできた。
事前の予告なしに彼らが押しかけてくるのはいつものことだが、今回も、ただ彼女の指示に従い監視システムを操作することを命ぜられた。
主任も、外で立っている警備員も、いったいMI5が何をターゲットに監視を行っているのかは知らされない。
ただなんとなく、どういった情勢の捜査なのかということは察していた。今やイギリスだけでなくヨーロッパ全土、いや世界中があるひとつの事件に対処するための体制を整えつつある。
「彼らは手形の換金を?」
「そう言ってました。今、社の人間が対応してます」
警備主任は証券会社の社員だが、外に立つ警備員は専門の外注である。
いわゆる民間軍事企業は警備業務も業種として手がける。軍事が必要とされるのは何も戦場だけではない。紛争地域での要人警護などで培ったノウハウを、機密度の高い民間企業へもフィードバックしているのだ。
「尻尾は見せてますか」
主任の質問に、女はモニターを見上げたまま返事を返さなかった。
主任もモニターから目を離すわけにはいかないので、前を向いたまま声を掛けた。
ふと、隣の席に座っていた別のオペレーターが主任に声を掛けた。
「あれ?主任、例の保安部の、彼女どこ行きました?」
そこでようやく主任も振り向く。つい1分前まで後ろに立っていたはずの女は忽然と姿を消していた。
部屋を出て行ったのかもしれないが、その気配を全く感じさせなかった。
監視カメラのモニターには、やってきた二人組みのアメリカ人が相変わらず映っている。持ってきたかばんから書類の束を出して、様式に間違いがないかどうかの検査を受けている。
少なくとも映像で見る限りでは不自然なことをしているようには見えない。
「どうします、保安部に照会してみます?」
「確かにちょっと妙ではあるが……ただ、この身分だって、伝えてもわからないだろうさ。それに本当のことを私らに教えるとも思えん」
女が提示した身分証のコピーが、入館者リストのいちばん上にピンで留めてある。
所属は確かにイギリス情報局保安部である。氏名欄には、“ティアナ・ランスター”とある。
ていねいな筆記体のサインが記されている。人間が書いた署名であることは間違いない。
「MI5が何をしようと、私らは自分の仕事をするだけさ」
主任は監視カメラの撮影データをバックアップする日次作業の準備にとりかかった。
今のところ、ロンドンの町は落ち着いている。
空軍基地に異星人の宇宙船を見に行った者がちらほらいる程度で、多くの企業はいつもどおりに営業しているし市民もいつもどおりに生活している。
ただ、かすかに漏れ聞こえるうわさから、北極海に派遣されている米海軍部隊がこれまでにない苦しい戦闘に突入しているという予感はある。予測は立てられる。
それは取引のフロアに訪れる客たちが、普段とは違う様子を見せて歩き回っていることから見て取れる。
何の銘柄をどれくらい取引しているかというのは渉外の人間でなければわからないが、その分、こちらでは人々の群集心理のようなものが、カメラのレンズ越しに浮き上がって見えてくる。
隅のモニターで、通用口のドアの曇りガラスがかすかに揺らぐ光を反射した。
同時刻、通りからオフィス街の裏手に入った細い路地で、一人の清掃員が作業をしていた。
朝の収集の時間で、自分で運転する小型トラックの荷台に据え付けたコンテナにゴミ袋を投げ込んでいく。
無造作にポリエチレン製のゴミ袋を持ち上げてトラックの荷台へ放り込むが、やがてその中のある一袋が、妙に重いことに気がついた。
袋の中に入っているのはファストフードの紙箱や空き缶などで、取り立てて重いものが外からは見えない。
また一般ごみに紛れ込ませて廃家電でも捨てようとした輩がいたのか、とその若い清掃員は袋の結び目をちぎり、中を改めようとする。食べ残しのフライドポテトが、酸化して腐りかけた油の臭いを放っている。
ボール紙でくるまれた、青い結晶状の石がその中にあった。
宝石か、と思ったが、見た目は鉱物のように見えず、樹脂のような奇妙な人工物のような感覚があり、さらによく見るとほのかに発光している。
まさか放射性物質、と脳裏をよぎり、思わず袋を放り出す。
確か南米のどこかで、不法投棄された医療用放射線源が被曝事故を起こしたという事件を聞いた事があるのを若い清掃員は思い出していた。
「何だ……刻印がある、エックス……いや、ローマ数字か……?」
言葉に出すうち、その声が自分の口とは異なる場所から聞こえるように移動しつつあることを感じ、やがて意識が失われる。
目に見えるものは変わらず、音も聞こえるが、しかし、その清掃員は意識を乗っ取られた。
何事もなかったかのようにゴミ袋の口を結びなおし、荷台へ投げ込むと、清掃員はトラックの運転席に戻り、エンジンを掛けて車を発進させた。
しかし、中に入っていた青い結晶石は自分の作業着のポケットに入れたままである。
“XXXIX”すなわち39の刻印が刻まれた結晶石は、青白い光をかすかに放ち続けている。
一方、とりあえず保安部の女が戻ってくるかもしれないと監視カメラのチェックを行っていた警備室の要員たちは、結局何事もなくこの件は終わりそうだという認識を高めていた。
やってきた二人組みのアメリカ人のうち一人が、そろそろ時間なので予定より少し早いが、と言って商談を切り上げ、帰る準備を始めた。
カメラで見ていた限りでは、二人組みはこのオフィスに入ってきてからずっとフロアにいて、担当の社員とずっと一緒にいた。彼らが妙なことをしようとしているのであれば社員が気づくし、またフロアには他の客もおおぜいいる。
彼らが何らかの工作を行った形跡は発見できなかった。
最初に彼らが来たときに持っていたビジネスバッグの中身はそのままで、フロア内で開けたときも担当職員が中を見ている。
何の変哲もない書類の束で、その中に新しい何かを詰めたり、中から取り出したものを置き残していったりなどはしていない。
アメリカ人の二人組みがフロア内にいたのは7分程度だった。持ち込まれた手形は間違いなく正規の手続きで発行されたもので、ロンドンに事務所のあるNGO団体の出資者の一人が寄付のために振り出したものだった。
主に遺伝子医学の研究サポートを行っていたこの団体では、多くの資産家や実業家たちが社会貢献として寄付を行っていた。
もし必要であれば手形の署名や、入手経路などを調べて追跡することができるが、その指示を出すと思われていた保安部の女はどこかへ消えてしまった。
何かがあったとしても自分たちからは口は出せない、と考えていた警備主任たちはそのまま、いつもの業務へ戻ろうとしていた。
それから、おそらく数分程度だったが、経過した後、外から大爆発の音が響いてきた。
何事かとあたりを見回す。監視カメラのモニターの中でも、あわてて物陰に隠れようとする客たちの姿が映し出されている。
フロアでは、普段は株価情報などを表示しているテレビが、L字帯を使って緊急ニュースを流していた。
テムズ川下流、タワーブリッジで自動車爆弾と思われる爆発が発生。橋桁が一部損壊し、爆発した車両を含め自動車数台が川へ転落した。
西暦2024年1月2日、日本時間で午後7時12分。丁度夜のニュースの第1陣が始まっていた時間であり、ロンドンで発生した爆弾テロ事件としてそれは報道された。
各家庭のテレビでは、テレビ局スタッフが横からアナウンサーに原稿を手渡し、緊急ニュースを読み上げる様子が見られた。
タワーブリッジという、歴史的な観光名所でもあるロンドンのシンボル的建造物が被害を受けたという事でどの局も大きく扱った。
1ヶ月前にも郊外の住宅街で爆弾が使用される殺人事件が起きており、しかも新年早々に立て続けに首都ロンドンで爆発が発生したことで、イギリスを標的にしたテロが展開されているのではないかとの予測をジャーナリストらが発表した。
新年早朝の、しかも交通量の多いタワーブリッジでの爆弾テロ事件ということで市民への不安も広がっていると報道された。
桃子をいったん自宅まで送り、ハラオウン邸に泊り込んでいた士郎とデビッドも、このニュースをエイミィと共に見た。
リンディからの連絡で、早ければ明日にも海鳴へ戻るとの言伝を受け取った。
ミッドチルダ国務省のカワサキ次官は1月2日午前中の緊急会見で、第97管理外世界への艦隊派遣を正式に認める発表を行い、1月第1週中の開会を目指して議会招集を発令した。
これに連動する形で時空管理局最高評議会は安全保障理事会の開催を発表する。形式的な措置であるが、即日、ミッドチルダ政府から不参加の返答が行われ、これを受けて時空管理局は管理局法に基づく第97管理外世界への緊急介入を自動採決した。
いつまでも艦隊派遣を秘密にしておくと、万が一軍事衝突に発展した場合にミッドチルダが不利な立場になる。
そのため、形式的ながら管理局安保理の要請に基づいたという形をとることで他次元世界へのアピールを行う意味がある。
今回第97管理外世界へ艦隊を派遣したのなら、この事例を認めると他の次元世界も同様に、ミッドチルダによる予告なしの軍事介入を受ける懸念が広まる。
それを事前に牽制する意味がある。
しばらくして、エイミィに今度はアメリカから、ロンドン市内に別の指揮系統下にあるFBI捜査官が潜入している可能性が高いと連絡が入った。
この情報はエリオら管理局捜査官と行動を共にしているマシュー・フォードからもたらされたものである。
FBI局内でも、かねてより次元世界による介入をよしとしないグループが、管理局の行動は地球への侵略行為だとして秘密裏に人員を集め、捜査を行っていたことが知られていた。
これについてはKGBやNSAなどの関係各省が共同で証拠隠滅などの対処に当たっていた案件である。
今回、地球への次元航行艦着陸および軌道上への巨大戦艦インフェルノの出現という事象が立て続けに起こった事で、彼ら一部のFBI捜査官たちが大規模な異星人の侵攻が迫っていると考えて行動を起こした可能性が非常に高いと推測された。
フォードが取り急ぎ聞き込みを行ったところ、車に乗ってちょうどタワーブリッジに差し掛かるところで爆発の瞬間を目撃したドライバーからは、爆発したのは高級セダンでありテロリストの使用する自動車爆弾とは異なる印象があったという証言が得られた。
たとえば、実際に爆発したのはスーツケース爆弾でありその自動車に乗っていた人間は何らかの謀略によって爆弾を持たされ、車ごと爆破されたのではないかという推理が成り立つ。
「もしかするとこの爆発事件はFBIが」
「──あるいは、その捜査官を暗殺するために仕組まれた可能性もあります」
「それはミッドチルダ軍が実行を?」
「現時点ではなんともいえません──確定できる情報が少なすぎます」
エイミィは再び重く俯き、唇をかみ締めた。
たしかに危急の事情であることはわかる。だが、こんな荒っぽい手段に訴える必要があるのか。これでは、第97管理外世界からの信頼が得られないおそれがある。
ミッドチルダは地球を手荒に扱っていると見られてしまう危険がある。
管理世界同士においてさえ、一部の過激派──それは往々にして巨大複合企業の支援を受けた結社団体であったり、あるいは企業そのものであったり──は次元世界各地でテロリズムを含む事件を起こし、各地の警察や軍とたびたび衝突している。
王政国家や古い共和制から、一段飛びに科学技術を手に入れてきたという次元世界ならではの背景がある。
2年前のEC事件などもその最たる例であろう。
ロストロギアは、それを最初に発見するのが必ずしも管理局員や、個人の探検家であるとは限らない。企業が最初からそれ目当てで捜索隊を組織し、あるいは探険家を雇い、ロストロギアを発掘する。
そしてそれを管理局に届け出る事もなく秘匿所持し、それによって巨大な武力を手に入れる。
そのような事件は枚挙に暇がない。管理局が設立されたのも、国家ではそれぞれの利害から行動してしまい、中立的な立場で紛争調停を行えないという理念による。
いかにミッドチルダ強大なりといえども、ある特定の国家による秩序維持体制では、遠からず専制支配に至ってしまう。
今回も、第511観測指定世界が発見された事によって、次元世界大国政府の支援を受けたいくつもの企業が同世界での権益確保を目指し、そしてカレドヴルフ社がバイオメカノイドを掘り起こした。
しかしそれはこれまでのロストロギアに関する次元世界人類の知識を全く凌駕し、凶暴な力を持って次元世界人類に襲い掛かってきた。
管理局と、第97管理外世界。
もしこのまま、地球を管理外世界のままにしておくなら管理局は積極的な防衛行動が取れない。管理外世界とは次元世界連合においては末席とされており、次元世界によってはそもそも正式な国家として承認していない場合さえある。
しかし、今ここから地球を管理世界へ分類変更するというのもまた困難な作業である。
管理世界になる条件として、少なくとも次元世界連合への加盟が必要であり、あるいは理事国である先進諸世界の承認を受ける必要がある。
現在の情勢では、クロノが言うように地球にとって不利な条件での加盟を強要される危険性が非常に高い。
こうした次元世界の情勢の中で、レティ、リンディそして三提督が考慮するプランとは、管理局として第97管理外世界の次元世界連合からの独立を承認し次元世界における独自の行動を認めるというものである。
すなわち次元世界連合の以降に縛られない行動を可能にするという意味だ。
次元世界連合だけが宇宙のすべてではないということである。
ミッドチルダ政府内でも、カワサキ次官がまとめるチームが閣僚たちへの説得を進めている。
ミッドチルダとしての方針表明をきっちりと行わなければ、他の次元世界にも混乱が広まってしまう。ミッドチルダに、地球の現在の様相と次元世界進出をそのまま認めさせるということである。
レティらによる分析では、クロノは最初から第97管理外世界と管理局が同盟を結ぶことを目的にしていると結論付けられていた。
「私たちにとっては、政府の対応を期待することしかできませんね」
エイミィも静かにうなずく。エイミィやリンディはともかく、デビッドと士郎はあくまでも民間人の立場である。
さまざまな事情はあるにせよ、本来的には日本もアメリカもイギリスも、バニングス家や高町家に対して特別扱いはしてはくれないことを覚悟しておかなければならない。
もし地球側がそのような対応を取っていればミッドチルダから追及される。
よって、地球としてはあくまでも独自に行動しており管理局が処遇を引き受けるという形をとる必要がある。
クロノの行動がなければ、管理局は決断できなかっただろう。
レティはまだ、エイミィに直接自分の予想を話したわけではない。レティ自身もクロノの口から直接聞いたわけではないのであくまでも予想である。あくまでも予想ではあるが、それでも、これまでクロノが見せた行動はすべて、この目的に合致していると分析された。
信頼できる管理局情報部の局員たちが下した判断である。
管理局に限らずミッドチルダでは、血統を重視する文化から有力な提督の下に集まる派閥というくくりが大きな力を持つが、特にレティの周辺に集まる有力な局員たちも、それぞれの立場から検討を重ね、クロノの行動を分析していた。
おそらくミッドチルダも早晩この事に気づくだろうが、しかし、管理局とはまた異なる性質を持つ、巨大国家たるミッドチルダがどう動くかというのはさらに不確定な事象である。
「管理局として、私たちは地球を──もちろんあなたがたを含みます──支援します。今回のバイオメカノイド事件への対処だけではない、これから次元世界に係わっていく上での支援を行います」
エイミィの言葉は、奇しくもクロノが言った言葉とほぼ同じ内容だった。
海鳴市と、ロンドンと、遠く離れたそれぞれの場所で、二人のミッドチルダ人は、地球人類に対してそれぞれの立場から意志を述べた。
彼女の夫はこれを見越していたのだろう、と士郎は察した。
総務統括官として基本的には海鳴市で業務を行っていたリンディとエイミィには比較的会う機会が多かったが、艦隊勤務のクロノとは、士郎もあまり話した事はない。
それでも、あの若い執務官──当時はまだ見かけも小さな子供で、なのはより4つか5つ上の程度だった──は、今は管理局を代表する提督となり、次元世界という無限にさえ思えるような人類文明社会の中で頭角を現している。
あの男が、クロノ・ハラオウンが行動したというのならそれは必ず確固たる意志と目標がある、と士郎は考えていた。
クロノが提唱するエグゼキューター計画とは、今一度、真に国家間の利害から解き放たれた抑止力を管理局が発揮しなくてはならないということである。
どんな強大な国家に対しても通用する抑止力を作らなくてはならないということである。
これまでのような、ミッドチルダとヴァイゼンの二大超大国による軍事調和ではなしえないことである。
そのような、人類がこれまで見たこともなかったような存在を、新暦84年のこの現代に、クロノは現出させようとしているのだ。
改ゆりかご級の出現が探知されたとき、なのは、フェイトらはクラナガンの地上本部へ戻り、教会での戦闘の報告と事後処理を行っていた。
ミッドチルダ陸軍に対する聖王教会および管理局からの抗議、そして管理局による事実確認のための捜査を伝達する。
地上本部より査察官が派遣され、今回の事件を起こした陸軍情報部の責任者と実行部隊の指揮官に対して事情聴取を行う。
ミッド陸軍の側からも、査問会を開くとの返答がなされた。
少なくとも軍上層部は今回の事件の責任をとる姿勢は見せている。
聖王教会本部の施設が戦闘によってかなりの範囲にわたって損壊し、シスターに負傷者が出ている。
また、教会に居合わせた女性一名──ディエチのことだ──を、突入部隊の兵士が殺害したことが確認された。
イノーメスカノンに残されていたログから戦闘記録が読み取られ、突入部隊が使用したバレルショットにより胸膜破裂、粉砕骨折を起こした肋骨が肺を傷つけたことが致命傷になったと判定された。
フェイトは、突入部隊の隊員たちがフェイトの説得を拒否し、バインドによる捕縛をも実力で拒んだことを報告した。
相手が管理局執務官であるとわかった上で逮捕を拒否したことになる。
陸軍情報部に対し、厳しい処分と綱紀粛正を求める、と地上本部の担当官は言った。
『ところで、高町くん、ハラオウンくん。既に知っていると思うがバイオメカノイドの大艦隊がミッドチルダ軌道上に現れた。
敵はまっすぐクラナガンに向かってきている、ここに多数の次元航行艦が配置されていることを嗅ぎつけているのだという分析が出ている。
バイオメカノイドは人間のリンカーコアに誘引されるということで間違いないようだ』
「市民の避難は進んでいますか」
『先月の戦闘で損壊したシェルターも多い、今のところ郊外部の住民に対しては自宅待機勧告にとどまっているが」
人間のリンカーコアを、バイオメカノイドはどれくらいの優先度で追うだろうか。
次元航行艦のエンジンよりも優先して追うだろうか。
高い魔力資質を持つ人間が惑星ミッドチルダ地上を移動した場合、バイオメカノイドはそれを追いかけるだろうか。
人間がどこへ逃げようと、バイオメカノイドはどこまでも追ってくる。
市民を、一箇所に集めて守りやすくするか、それとも一度に襲撃されることを避けて方々に散らばせるか──管理局、ミッドチルダ陸軍は、恐るべき、そして重責のある判断をしなくてはならない。
もともと、ミッドチルダはつい四半世紀ほど前までヴァイゼンとの冷戦下にあったので、その当時には住宅メーカーや警備会社などが個人用シェルターを宣伝して売り出し、それなりに多くの家庭が導入している。
庭や地下室などに設置され、じゅうぶんな強度のシールド魔法で防御されている。
ただし、これがバイオメカノイドに対して有効かどうかは未知数である。
シェルターに閉じこもったが最後、周囲をびっしり囲まれて出るに出られなくなり中で飢えて干からびるということにならないとも限らない。
アルザスの事例からしても、バイオメカノイドの個体量いかんによってはミッドチルダ全域が埋め尽くされてしまう恐れがある。
そうなれば、シェルターなど無意味だ。生き延びるためには惑星を放棄して宇宙へ逃げるしかない。
ミッドチルダを放棄しなければならないなど、この数十年で生活基盤を築いた市民たちにとっては受け入れがたい選択であろう。
現に今、いまだバイオメカノイドは宇宙空間にあり、街で空を見上げても姿は見えない。
まだ、危機を実感しきれている人間は少ない。
緊急出撃したGS級が2隻あり、まもなく接敵する。
これはレティがほぼ独断で出撃させた艦だ。現在管理局はミッドチルダ側との作戦方針のすり合わせにてこずっており、互いに命令系統が共有できていない状況だ。
艦数だけはたくさんあっても、力を合わせることができない状態に陥ってしまっている。
地上本部からもミッドチルダへの協調を促すと事務局長が言った。
レジアス・ゲイズ亡き後、本局地上本部では特に現場レベルでの情報共有と連携が重要であると認識されていた。
そしてそれを実現するには、互いのトップが歩み寄ることが必要である。
『ミッドチルダ政府に働きかけて、Sランク防衛体制の発令を促します』
防衛体制ランクとは第97管理外世界でいえばアメリカのデフコンに相当する。Sランクとはまさに戦争状態にありすべての国家機関および指定を受けた基幹企業が戦争行動を前提とした活動を優先する体制である。
JS事件の際でも発令されたのはAランクであり、国内の甚大災害もしくは広域テロリストに対する体制であった。
ベルカ衰退からミッドチルダ建国がなされ、管理局が設立されて以降、初めてとなる発令である。
既にミッドチルダは、人類は戦争に突入した。
それをミッドチルダ政府に認めさせなくてはならない。
『陸軍には、市民の安全確保を。海軍および空軍はミッドチルダ上空および周辺宙域にて敵バイオメカノイドに対する防衛線を張ります』
「わかりました。私たちもクラナガン宇宙港より出撃します」
『地上本部でも、陸軍前線部隊からの出撃命令を早く出せという要請があがってます。政府もいずれ決断するでしょう』
市民を守るために戦うことは軍人の任務であり誇りである。
多くの兵士たちは、そんな誇りと正義感を失っていない。
ミッドチルダの人々に、その意志が残っていることは幸いだと、フェイトは少し緊張を解いた。
セインとシャンテは、感情に配慮して教会の最寄の病院ではなく、クラナガンの西区病院に収容された。
既に冷たくなったディエチのそばにいさせることは忍びないと思われた。
ディエチが死んだことを知らされたとき、セインは地面にくずおれて泣き伏せ、シャンテは茫然自失となっていた。
やり場のない気持ちを、爆発させてはならない。今は、静かに心を休めることが必要である。
そして彼女たちを守るために、なのは、フェイト、ヴィヴィオは出撃する。姉妹たちの無念を晴らすためにも、オットーとディードも、教会を離れて戦いへ向かう。
『ハラオウン執務官、新たな連絡です。管理局本局技術部棟内で魔力炉爆発事故が発生、これに伴い修復作業中だった闇の書が宇宙空間に放出され──、現在、八神はやて二佐が闇の書を制御下に置いている状態とのことです』
連絡を受け取り知らせてきた司令官の言葉に、なのはとフェイトは思わず目を見開いて顔を上げた。
つい先日、はやてを見舞うために技術部に赴いたとき、闇の書の修復作業が極秘に行われていると若い技官から教えられたばかりである。
もうそのことが知れ渡ったのかと驚くと同時に、闇の書が解放された状態にあるということはなのはたちに戦慄をもたらした。
闇の書とは恐るべき力と悲しむべき歴史を持つ強大なロストロギアであったはずだ。
18年前、海鳴市沖で戦った相手だ。はやての元に転生し、何年にも渡ってはやての魔力を吸い取り、足を麻痺させ、蝕み続けていた忌むべき魔導書であった。
しかしその実態は人間たちの悪意によって歪められた管制人格たちの悲しみの叫びであり、はやての説得によって闇の書はその闇を振り払われた。
管制人格は機能の破損が大きく助からなかったが、それ以降、はやては足も治り元々持っていた高い魔力資質によって魔導師として成長し、管理局に入るきっかけとなった。
そんな闇の書が、今再び目覚めたのだという。
技官は、復元作業の内容がどういうものかを詳しく語らなかった。
闇の書は管理局に認知され対抗作戦を取られるようになる以前にもいくつもの次元世界を渡り歩いており、そこで収集した情報に、過去のバイオメカノイド出現などの情報があるのではないかという推測を立てられていた。
その情報を入手するために復元作業が行われていたと技官は語った。ただし、それがどのような手段を用いて行われるかということについては、なのはもフェイトも技術者ではないのでわからなかった。技官も、詳しい内容を話すことは避けた。
なのはは、まさか闇の書を丸ごと復元するとは思ってもみなかった。中のデータを見られるように少しだけページをめくるようなものだと思っていた。
しかし、続けて地上本部に送られてきた報告はさらに驚くべきものだった。
本局より緊急射出された実験モジュールは内部に闇の書を抱えたまま本局を包むガス防御帯に接触し、分解されて消滅すると思われたが、ガス防御帯を突破して巨大な航行物体が現れたというのだ。
それは闇の書の防衛プログラムの──おそらく新たに作成された──戦闘端末とみられ、現在本局そばに滞空している状態だという。
実験モジュールの内部には、事故直前まで復元作業を行っていた技術部の職員十数名が残されていた。
彼らの救出は放棄された。管理局員十数名の命と、本局全体が被害を受ける危険性を天秤にかけ、いくらかの命を犠牲にしても本局全体を守る選択肢を選んだということだ。
実験モジュールに取り残された人間の中には、技術部第二局技師長マリエル・アテンザ、さらに無限書庫司書長ユーノ・スクライアの二名も含まれていた。
彼らが、本局のガス防御帯に接触して生きていられたかというのはまだ確認が取れていない。
なのはとフェイトは血の気が引いて唇が冷えていくのを感じ取り、震えを押し殺しながら、聞き返した。
「はやてちゃん──っ、八神二佐の状態は、どうなんですか?スクライア司書長も……」
後ろで、ヴィヴィオも驚きながらも取り乱さないよう努めているのを気配で感じ取る。
ヴィヴィオは小学生の頃からずっと、ユーノを慕っていた。書庫の業務が暇なときにはユーノと一緒に古代ベルカ王朝の文献を探したりもしていて、ヴィヴィオにとっては優しいお兄さんといった感じの人物であった。
『現在のところ、確認がとれません。本局至近に出現した航行物体が闇の書によるものであれば、その中で生存している可能性はありますが──』
「それに賭けましょう。急ぎ本局へ連絡を、八神二佐の捜索を要請します。レティ・ロウラン軍令部総長へ伝えてください」
『わかった』
フェイトたちのやりとりが終わる頃合を見計らい、ヴィヴィオが通信スクリーンの前にやってきた。
オットーが後ろから手を引いて止めようとするしぐさを見せたがディードがそれを制した。
「司令、スクライア司書長は、どうして技術部に!?しばらく前から、無限書庫に出勤していないと聞きました」
通信に割り込んできたヴィヴィオをなのははさすがに止めようとしたが、地上本部の幹部の前であまり騒ぎ立てるわけにはいかない、と思いとどまった。
『聖王陛下……──、これも我々にはほとんど知らされていません、スクライア司書長の身柄については管理局内でも機密ランクが高く──、申し訳ありません、地上本部では情報が得られませんでした』
さらに言い返そうとしたがヴィヴィオは言葉を飲み込む。
なのはの仕事ぶりから管理局の組織の雰囲気をなんとなくは見て、この窓口からこれ以上は突っ込めないと察した。
「そうですか……すみません。八神さんは、一緒にいるんですよね?」
『はい。八神二佐は本局技術部において闇の書復元作業を行っており、本局から切り離された実験モジュールにはアテンザ技師長とスクライア司書長が一緒にいました。
少なくとも直近30分以内にモジュールから脱出した人間は確認されていません』
仮に宇宙服バリアジャケットを装備して脱出したとしても、本局構造物とガス防御帯の間のわずかな隙間に身体をひそめていなければすぐに致命傷を負ってしまう。
ガス防御帯は分子間力(ファンデルワールス力)に作用して物体を構成する分子の結合を切り離して分解してしまう高エネルギーがあり、よほど強力な魔力で結合を維持しなければ触れるだけであらゆる物体が砕かれてしまう。
次元航行艦や地上との往復シャトルが発着するポート以外は、防御帯の隙間はない。またそのような場所へ移動できる動力をモジュールは持っていない。
「じゃあ、八神さんと司書長、マリーさんは一緒にいる可能性が高いってことですね──」
「あの、司令、闇の書は現在どのような状態ですか。本局から観測できていますか?」
フェイトが質問する。この場では執務官であるフェイトが最も上級の権限を持っているため、なのはやディードたちを指揮し引率することになる。
『本局からの報告では、全長80メートル、最も太い部分の直径が10メートルほどの、葉巻型の発光体が観測されているとのことです。
これがおそらく闇の書の機能で作成された戦闘端末である可能性が高いと、技術部ではみています』
「戦闘端末──何か、動きは?何らかの攻撃をしようとしている兆候は」
フェイトやなのはが最も恐れるのは、この闇の書がかつての海鳴市での事件のときのように、制御のできない暴走状態に突入してしまうことである。
もしくは既に闇の書は暴走状態に陥っており、本局に狙いを定めているのか──はやてと連絡を取ることができない以上、闇の書の状態は外部からはうかがい知れない。
通信スクリーンの向こうの司令官は、作戦司令室のオペレーターから渡された情報端末に目を落とし、やや逡巡するように口元を動かした。
スクリーンの解像度では、わずか数ピクセル程度の動きだ。それでも、そのわずかな動きからなのはたちは彼の戸惑いを感じ取る。
『葉巻型発光体は現在、本局第27区画表面から北東側へ5キロメートルの位置に停止しています。
発光体の先端──光り具合がやや強まっている方がおそらく前方にあたります、頭を軌道ポイントに向けています。今のところ、魔力量はおよそ1億を検出、波動は平坦で落ち着いています。何らかの動きをする様子は見せていません』
「魔力量1億──」
人間の魔導師とすれば常軌を逸した出力だ。
艦船のエンジンに比べれば小さいが、そもそものサイズ自体が違う。これを制御しているのがはやて一人だとすると、あの発光体の中で何が起きているのか──それはなのはたちの想像をはるかに超えるだろう。
フェイトが捜査していたアレクトロ社に対する破壊工作の一環で、炉心爆発を起こしたノースミッドチルダ第1魔力発電所。
誘導式高圧魔力炉から漏れ出した魔力素は、高剛性の耐熱金属をいともたやすく溶かし、飴のようにひしゃげさせ、人間を瞬時に乾燥した消し炭へと変えた。
ノーヴェら特別救助隊は、もはや死体運びしか出来ることがなかった。
発電所作業員たちの遺体は、手で触れるだけで砂のように崩れてしまい、もはや生きていた人体の名残さえ見えなかった。人型をした煤の塊になってしまっていた。
特別な装備をしていない人間の魔導師が発揮できる魔力量の限界は、およそ1500万程度とされている。
これ以上の高出力を発揮すると、リンカーコア周辺の体温が上がりすぎ、たんぱく質が変質して凝固し最終的に死に至る。
もちろんこれ以下の出力でも、長時間にわたって発揮し続けると人体に深刻な後遺症を引き起こす。
そしてこの1500万という魔力値の目安は、一般的な戦闘魔導師用バリアジャケットの冷却能力を目一杯引き出してリンカーコアの冷却を行ったうえで発揮できる量であり、冷却能力の低いバリアジャケットでは当然限界はさらに低くなる。
実用的でない冷却手段──たとえば氷結魔法を自分の身体にかけ続けるとか、転送魔法を用いて液体ヘリウムを体内に送り込むといったような──を用いれば瞬間的にはもっと高い魔力値を出すこと自体はできるかもしれない。
しかしそれを行った人間の肉体は再生不可能なダメージを受けるだろう。
マリーが言う、人体の負荷を考慮しなければ──とはそういう意味である。
ユーノ以外にも、マリーはリンカーコアの概要をなのはたちに語ったことがあった。なのはは11歳の頃の撃墜事件で入院していた際、魔法の連続使用で疲労が限界に達していたということを説明される話の流れで聞いたことがあった。
もちろん影響は熱だけではないが、民間レベルではない軍事組織に所属する戦闘魔導師が用いるほどの高出力魔法は多かれ少なかれ、人体に負荷を蓄積させていく。
「魔力量は発光体内部から?」
『周辺に他の魔力炉はなく、次元航行艦も出動していません。技術部のほかの棟にあった魔力炉もバイオメカノイド出現の際の次元震の余波を受けて出力の急な変動が起きましたが、どうにか緊急停止に成功しています。
配管が破れた炉もありますが、今のところ状況は落ち着いています。
放出されたモジュールについてはガス防御帯に接触して消滅したので、事故を起こした魔力炉はすでに消滅し残っていた燃料もすべて反応しきっています。
つまり今検出されている魔力は──、八神二佐が生きているなら、彼女の魔力です。だとすれば魔力が検出される限り、八神二佐は生存している可能性が高いです』
デバイスも、あくまでもリンカーコアからの魔力供給を受けて稼動する装置なのでそれ自体に魔力を発生させる仕組みはない。闇の書もそれだけは普通のデバイスと同じだった。
「わかりました──バイオメカノイドに対しての布陣は」
『今のところ本局近衛艦隊のXV級が先行して出ています、あとは月面泊地からロウラン総長麾下のGS級が、バイオメカノイド大型輸送艦を囲んでいる小型個体に、既に攻撃を開始しています』
「戦艦は」
『ミッド海軍でも準備はしていますがどうしても時間がかかります、一部の艦では乗員が独自に出港準備をしているようですが』
「猶予はないですね……」
戦艦クラスの次元航行艦は、魔力炉を起動させて出力が安定し、航行可能な状態になるまでにも小型艦艇よりもどうしても時間がかかってしまう。また炉を複数積んでいる場合は同調を取るためさらに時間がかかる。
機関停止状態で停泊していた場合、どんなに急いだとしても30分はかかってしまう。
バイオメカノイド群は大型輸送艦の周囲を小型バイオメカノイドが取り囲み、全体が同じくらいの速度で進撃していた。
ミッドチルダに向かってくる群れの場合、小型個体が大気圏に突入し、対流圏高度まで降りてくる頃に大型輸送艦が大気圏突入を開始する計算だ。
ただし大型輸送艦に関しては、軌道上に留まり内部の大型個体を放出してくることも考えられる。
どちらにしろ、第97管理外世界での戦闘事例からバイオメカノイドは、少なくとも大型個体は単独での大気圏突入能力を持っていることは確実だ。
宇宙空間から時速数千キロメートルもの速度で突っ込んでこられれば、空戦魔導師では迎撃が追いつかない。地上に下ろしてから戦うか、あるいは次元航行艦を使用して大気圏外で撃破するか。
地上で迎え撃つ場合は水際作戦である。防衛線が突破されたら、そこに待っているのは無差別殺戮である。
市民をひとつの場所に集めておけばバイオメカノイドの進む場所を限定できるかもしれない。あちこちにばらけさせて避難させると、バイオメカノイドがそれぞれに分散して向かっていってしまい手が回りきらないかもしれない。
誘い出すために。
ミッドチルダ海軍は、クラナガン市民の郊外への脱出を控えさせ、敵バイオメカノイド群の進路を限定した上でクラナガン上空低軌道での迎撃戦を展開することを決定した。
もしバイオメカノイドが、クラナガンの市街地──そこには大勢のリンカーコアを持った人間がおり、また大量の魔力機械がある──をまっすぐ目指してこようとするなら、おのずと大気圏突入軌道も限定されてくる。
そこへ艦を集中配置し、バイオメカノイドを正面から打ち破る。
今後の対バイオメカノイド作戦に対し、戦闘員の士気を高める上でも、敵を力でねじ伏せる経験をさせておくことが必要だとミッドチルダ海軍司令部は考えた。
これまでの戦闘で、バイオメカノイドを相手にした魔導師は最初のうちこそ高火力の攻撃魔法で威勢よく敵を撃破していくが、倒しても倒しても湧き出てくる敵に次第に疲労し、魔力が尽きてやがて押し潰されるという末路をたどっていた。
地上で戦う場合、遮蔽物などに隠れた目の届かない場所でバイオメカノイドが増え続けていってしまう可能性がある。
また地上では視界が限られるため、敵群の全体が見渡せず、あとどれくらい敵を破壊すればいいのかという目安がつけにくい。
敵が無限に湧き出てくるように錯覚させられることで魔導師たちは焦りを生み、精神をすり減らされ、やがて魔力も弱まって力尽きてしまう。
それを避けるためには、敵の全体がよく見える宇宙空間で、敵をまとめて相手にできるよう陣を敷き、圧倒的な攻撃力の武器で確実に仕留めることが必要だ。
次元航行艦の火砲で、敵バイオメカノイド群に対する全力砲撃を行う。
宇宙空間では、バイオメカノイド群がどれくらいの範囲に広がっているかというのはレーダーで探知しマッピングできている。
どれくらいの個体がどこへ向かっているのかを常に把握できる。
まさに総力戦である。
『転送ポートの使用許可は出ているが、ハラオウン執務官、一度本局へ戻りますか。
こちらでも、できれば地上、ないし成層圏に待機する魔導師を用意したいのですが』
フェイトは頭の中で戦力を計算する。
現在使えるオプションの中で最も攻撃力が高いのは次元航行艦の艦砲射撃である。これをかいくぐって大気圏に突入したバイオメカノイドがいた場合、地上砲台で狙い撃ち、さらにそれも突破してきたら空戦魔導師の出番である。
このあたりの高度では敵は既に突入を終えて大気圏内航行に移っていると考えられるので、空中で敵を迎撃する。
クラナガンの沿岸地域に陣を構えた陸戦魔導師が地上から砲撃を行う場合、だいたい高度6000メートルあたりがどんなにがんばっても狙える限界だ。
砲撃魔法の弾が飛ぶ距離はともかく、携行型デバイスの照準装置では数千メートル以上もの交戦距離では実用的な精度は出せない。10キロメートル以上先の目標だと、ほとんどめくら撃ちに近くなる。
そうなってくると、地上本部の魔導師たちを残らず全員出撃させクラナガンを囲むように配置した場合、どうしても隙間が出来る。防衛ラインの長さに対し人数が足りない。
たとえばトーチカを100メートル単位で設置し魔導師を配置していくと、せいぜい3~4ブロックぶん程度しか守れないだろう。
もちろんなのはやフェイトがこれに加勢したところでまかなえる戦力とは微々たるものである。
しかしなのはたちが本局へ向かいたとえば次元航行艦に乗ったとして、ではそれで艦の攻撃力が上がるかといえばそうではない。
なのはたちは艦載魔導師ではないので、宇宙空間での戦闘はできない。
SPTがあれば、というが、しかしそのものも本局のヴォルフラムに残しているので取りに行っている余裕もない。
別スクリーンに中継されている月軌道宙域の映像で、既に発進しているGS級の発射した長距離対艦ミサイルがバイオメカノイド群に命中した様子を映し出した。
小型個体が次々と破壊され、連鎖爆発が起きている。
敵は数に物を言わせて、体当たりでミサイルを壊しにかかっている。
10秒程度、だっただろうか。横で聞いていたヴィヴィオや、なのは、オットー、ディードは無限の熟考をフェイトがしていたように感じていた。
「──わかりました。私たちはクラナガン上空にて敵バイオメカノイド迎撃戦を展開します。ヴィヴィオたちは、地上から援護を」
『はっ──聖王陛下も出られるのですか』
司令官が驚きを顔に張り付かせて聞き返す。ミッドチルダでは聖王教は生活の中に自然に溶け込んでおり、ヴィヴィオ──すなわち聖王に対して敬語を使うことは人々にとっては自然な言葉の使い方である。
なのはが慎重に、ヴィヴィオに視線を向ける。
「ヴィヴィオ」
「大丈夫。今のセイクリッドハートなら支援魔法が使える、これでみんなを援護する」
「司令、私たちの方でセイクリッドハートとのデータリンクチャンネルを作成します。可能な限りの砲撃魔導師に統制攻撃を」
『……わかりました。支援、感謝します』
セイクリッドハートは本局から転送された索敵魔法をインストールしており、これによって成層圏までカバーできる正確な射撃諸元を得ることが可能になっている。
これで地上本部の魔導師たちの攻撃を補助し、敵をより効率よく撃破できるようにする。
オットーとディードは取り急ぎ陸士部隊の予備デバイスを持ち、支援砲撃を行う。
なのはとフェイトは空戦魔導師たちと共に空へ上がり、高高度で敵バイオメカノイドを迎え撃つ。
管理局では、少数の有志たちがそれぞれに立ち上がり、ミッドチルダを守る構えを作っていった。
ミッドチルダ軍もまた、遅まきながらも着実に準備を整えている。
バイオメカノイド群はミッドチルダと月軌道の中間点を通過し、クラナガンまであと19万キロメートルに迫った。
静止軌道上に艦列を並べた管理局近衛艦隊XV級が、艦首大型魔導砲の発射準備を整え、照準をバイオメカノイド群に向ける。
狙うは、改ゆりかご級大型輸送艦。これさえ撃ち減らせば、小型個体は対空砲火で弾幕を張って食い止めることができる。
太陽の光は管理局艦隊から見て左手側から差し、ほぼ真横から照らされたXV級は上甲板の白色と艦底部の黒色が強いコントラストを放っている。
星が、瞬く。
バイオメカノイド群までの距離、約15万キロメートル。
管理局艦隊XV級は、統制射撃によりアウグスト艦首魔導砲の発射を開始した。この距離では、魔導砲の弾速でも発射から着弾まで1秒近くかかる。大気などの抵抗がない宇宙空間でも、圧縮されて密度が高くなっている魔力弾の飛翔速度は光速をわずかに下回る。
新暦84年1月2日、クラナガン上空3万6千キロメートル。
次元世界人類の命運をかけた生存競争の、“最初の”戦役が火蓋を切った。