リリカルミッドナイト SERIES 5. 運命

SERIES 5. 運命

 

 

 夕日が山の向こうに沈む頃、海鳴臨海公園からZは発進した。
 サイドシートにはヴィータを乗せ、はやては、戻ってくるまでしばらく公園で待つと言った。
 横浜横須賀道路から、本牧ジャンクション経由で湾岸線に入る。大黒線を渡って横羽線上りに入り、環状へ向かう。

「いつもこっちを通るのか?」

 4点ハーネスの締め具合を確かめながらヴィータがたずねる。

「うん、横羽は結構好きなんだ、コーナーいっぱいあるし、感触を確かめるのにいいから」

「リインはいつも海側の道を行ってるよ、まっすぐだしそっちのが早いんじゃないのか」

「にゃはは、まーね」

 空はまだ、夕日の残光でうっすらと仄明るい。交通量もまだ多く、攻める走りはできない。
 平和島の料金所でしばらく並び、そこから、ゆっくりと再発進していく。

 このような法定速度の走りでも、Zのエンジンはしっかりついてきてくれる。
 一般的に、チューニングを進めてパワーを出していくと、その分低回転域の扱いやすさは犠牲になる。
 もちろん、このZでもそれは例外ではなく、普通のノーマル車に比べるとかなり回転数を上げなければ動きが鈍い。
 ブーストのかからない低圧縮の状態では、鈍くなった回転はゆったりと車体を動かし、それは恐ろしさを半減させる。

 両国ジャンクションから向島線に入り、隅田川を左に見ながら高架の上を走り抜けていく。
 ヴィータは黙って、Zのサイドシートに座っている。

 堀切ジャンクションから中央環状を経由して湾岸へ向かう。直線は長く、一般車の流れも速くなり、そしてスピードは乗りはじめる。140km/hで、一般車の流れをわずかにリードしながら走る。

「はやてを、悲しませるよーなコトには絶対にするなよ」

 つぶやくような小さな声で、絞り出すように力を込めてヴィータは口に出した。

「はやてちゃんは友達だよ」

 ヴィータはだいぶ落ち着いて、座席にゆったりと腰を落ち着けている。

「あたしも、リインがここを走ってるのはあんまり好きじゃなかったんだ、事故は怖いし、取り締まりだってもちろんある、でも、リインは走るのが好きなんだ、あたしにはどうしようもなかった──」

「どーしようもないってあきらめたかな?」

「運命だと思うんだよ、はやてがいて、リインがいて、おまえがいて、それでおまえとはやては友達で、おまえとリインはライバルで──そんで、リインがポルシェに乗って、おまえがZに乗って、そうやって出会ったのは運命だと思うんだよ」

 葛西ジャンクションから湾岸に入る。
 この時間は、一日の配送を終えて埠頭に戻るトラックが多い。また、仕事帰りの一般車も多い。

 いちばん左側の第3車線を選び、無理にトバさず、流れに乗って走る。

 回転がスムーズになった。全開で踏んだ時の回転の谷にばかり気を取られていたが、こうしてゆっくり流すと、エンジン全体のパーツの組み合わせがあって初めて回転が成り立っているとわかる。
 どこかに調子の悪いところがあれば、それは全体に影響を及ぼす。
 低回転域での鈍さも、はっきり軽減されてスムーズに回っているのがわかる。
 自分はまだまだ技術的には素人だし、ユーノやコウちゃんに手伝ってもらったといっても、このL28エンジンをきっちり精密に組み上げることができたわけではない──わけではないが、それでも、組み直されたエンジンははっきり、リフレッシュしているのがわかる。
 確かに、そのあたりのディーラーで売られている普通の新車と比べれば、回転はラフだしパワーカーブもでたらめで、雑な作りの改造車と感じるかもしれない。それでも、秘めたパワーは本物だ。

 乗り手と作り手の意志が、吹き込まれ、はっきりと保たれている。

 このZをつくった人間の意志が──

 

 

 つばさ橋を迎え、再び本牧まで戻ってきた。海鳴まではもう少しだ。

「ヴィータちゃん、運命ってさっき言ったよね、でもね、私はそれって、もう少し違うものだと思うんだ。
遠く離れたそれぞれの人間が、それぞれの気持ちで歩いて、そうして出会ったときっていうのは、遠く離れたそれぞれの人間の、気持ちが同じ流れの上にあったってこと。それを、運命って呼ぶんじゃないのかな」

「同じ流れに──」

「たとえばさ、今こうして湾岸を横浜方面に走ってる車って何百台もいるよね、で、同じところに向かう車もたくさんいるよね」

 一般車の流れの中、静かに現れる。
 赤いR32GT-R。乗っているのは、フェイトといつも一緒にいる、マネージャーの女だ。

「同じ目的で同じ場所に同じ道で向かっていれば、出会う確率は高い──それはきっと、運命って呼べるよ」

 なのははZを32Rの横に並べ、ウインカーを点けながら前に出た。
 ついてこい。そう気持ちを込めて。

 

 

 はやての待つ海鳴臨海公園まで、32Rはついてきた。
 車から降り、軽くお辞儀をする。

「フェイトさんと一緒にいるの見ました、えっと──」

「アルフ」

「アルフさん、ですね。高町なのはです」

「あんたのことはよくフェイトから聞いてるよ、フェイトはあんたに会いたくてたまらないみたいだね」

「ええ、こないだ私のバイトしてる店に来てました。テスタ、直ったみたいですね。そろそろ走り(ヤり)ますか?」

 なのはとアルフ、二人のやりとりを、はやてとヴィータは固唾をのんで見守っている。

 法定速度の流す走りでも、なのははこの32Rがかなりのハイレベルにチューンされた車だとわかっていた。
 ノーマルタービンを使い、パワー自体はそれほど飛びぬけた数値ではないがとにかくレスポンスが良い。
 足もノーマルの良さを生かし、無理に最高速を引き上げず、ノーマル+αで出る250km/hレベルでの動きをよくする。
 すべては、あのテスタを見守るために──。

 そういう車なんだと、なのはも後ろから見るだけでわかるようになってきていた。

「ま……こーゆうコトはあんまり言いふらさない方がいいのかもしんないけど」

「大丈夫ですヨ、私は」

「今度の水曜、一応ね。ブラックバードと一緒に湾岸に出る──あの先生、なんでかフェイトのこと気にかけてくれててね。
今は形成なんだけど、昔は外科全般もやってたんだって?執刀を引き受けてもいいって話してるらしくてサ」

 ブラックバードの名を聞き、はやてが顔を上げる。

「あ、そうなんですか──実はあの子、ブラックバード──八神先生の親戚なんですよ。
だよね、はやてちゃん」

「そうなのかい?」

「あっ、うん……リインはいちおーわたしのイトコにあたるけど……」

「ふーん……」

 近しい人間がこのような危険な行為をしているのを、気にならないわけはないだろう。
 口に出しそうになって、アルフは言葉を抑えた。
 会ったばかりのこんな少女に話してどうする。共感を得たいのか、それは一時の慰めだ。

「私はいつも通り横羽から上がりますから」

「わかった、伝えとく。期待しないで待ってるよ」

 アルフは32Rに乗り込み、走り去っていく。
 後ろで、はやてとヴィータが心配そうに見ている。

「……高町、やっぱり行くのか、どうしても」

「別にフェイトさんが来るからとかそーゆうのじゃないよ。どっちにしても水曜は走りに行くつもりだった……
それで、たまたま同じ日にフェイトさんも走る──それだけのことだよ」

「友達じゃないのか、その、フェイト、って人は」

 そういえば、はやてやヴィータはフェイトのことを知らない。今のアルフもそうだ。
 アニメにそれほど詳しいわけではないだろうし、最近結構な枚数を売っている歌手、としては耳にしたことがあるかもしれないが、名前を聞いてすぐには記憶を結び付けられない。
 ましてや、芸能人のマネージャーなどソレ単体で名前が知られることなどまずない。

「うーん、どうなのかな。あんまりそういうのって、考えたことなかったんだ、どんな人間とでも、永遠に一緒にいられるってわけじゃあナイし……
たとえば、学校はいつか卒業するし、バイトもいつかはヤメるだろうし、そしたらその場で出会ってた人たちとは離れちゃうワケでしょ。
はやてちゃんだって、高校に入ってからはしばらく会ってなかったしね」

「…………」

「でも、今はこうしてまた会ってるわけでしょ。それってやっぱり、なんていうかな、縁みたいなもの、あるんじゃないのかな。さっきヴィータちゃんが言ってた、運命みたいなものね」

「──フェイト、って人は、おまえと出会う運命だったのか?」

「私は、湾岸に行くよ。フェイトさんが湾岸に来ようという思いがあるなら、どっかで会えるんじゃないかな」

 夕日を浴びて、Zがあかね色に染まっている。
 なのはは昔からこういう人間だった、とはやては思い返していた。
 幼いころは、ぽややんとしたのん気な人間に見えたが、長じていくと、それがどこか世の中を達観し、自己の認識と枠組みをきっちり持っている人間なんだと気付いていった。
 来る者は拒まないし去る者は追わない、それをいちばん体現した人間だとはやては思っていた。

 

 

 夕暮れがうっすらと闇に沈んでいく中、アルフは32Rを遠見市へ向けて走らせながら、あの少女の顔を思い出していた。
 高校3年生ということは、フェイトよりもひとつ下になる。
 それなのに、どこかずっと大人びて見えた。
 心の中では、迷いや不満もあるのかもしれない。でも、そういった自分の中の負の要素に、逃げることなく向き合っている。
 だからこそ、あのZを乗りこなすことができるのだろうか──

 

 

 約束の水曜の夜、リインは海鳴大学病院からいったん常盤台へ向かい、スカリエッティを拾ってから三ツ沢線経由で首都高へ上がった。今回、フェイトは一人で乗る。

「気になりませんか?あれほどの極端なチューンをした車なら……」

 ナイトロシステムを搭載したテスタは、全力加速ではまさしく手の付けられない暴れ馬となる。
 首都高エリアでこの車の最高速度を発揮するには、神奈川湾岸線、川崎トンネルからつばさ橋までが完全なクリア状態であることが必要だ。

「横に同乗者がいるのはやはり気になるものだからね。もし何かあっても自分だけで済む──それに」

 大師のオービスを越え、羽田線エリアに入ると同時にテスタと911は速度を上げていく。

「私にできるのはマシンのチューンだけだよ。彼女個人のメンタルな部分にはタッチできない」

 フェイトはまだ、テスタのフルパワーを操り切れていない。今なら、余裕でオーバーテイクできる。
 コーナーごとに車体半分だけラインをイン側に寄せつつ、リインはテスタの動きを注視する。

 気の済むまで走る──それは実を言えば、自分の限界を超えるところまで踏み込み、自分の力のなさに打ちひしがれるという意味だ。本当に満足して湾岸を去っていく者などいない。
 ほとんどの人間は、これ以上走り続けられないと悟って降りていく。
 たとえば車を維持するための資金が尽きたり、取り締まりにあって免許がなくなったり、あるいは事故で一生ものの後遺症を負ったり、命を落としたり──

 今までは、他の走っている者たちがどんな結末を迎えようと気にも留めなかった。

 だが、今は、あの歌手の少女がそうなってしまうのが、つらい。
 それは彼女に、仲間意識以上の何かの感情をいだいたからなのか。

 

 

 浜崎橋を左へ折れ、環状外回りへ入る。数周回ってタイミングをとり、湾岸へ出る。

「同乗者がいると気になる──と言いましたよね……もちろんそれは私でも」

「ははっ、まあ君なら多少のプレッシャーは平気だろうがね」

「運転技術そのものよりも走りこんだ経験の差が大きいと」

「もちろんそれもある。だが、長い間、たくさんの走る人間を見ているとわかるのだよ。
彼らは仲間を求めて走ることもあれば、仲間を拒絶するために走ることもある──」

 パワーに慣らしていくように、テスタはパワースライドの量を調節している。ちょうどよい荷重のかけ方と加速時のアクセルの開け方、フェイトならばすぐにこの車の乗り方をつかむだろう。

 湾岸を一度横浜方面へ下っていき交通量の流れをつかんだら、横羽経由で環状に戻り、そこから本気のアタックに臨む。時間的にも、ドライバーの体力的にもそれが限界だ。
 今夜、その時だ。

 

 

 同時刻、中央高速八王子インターを東京方面へ、スープラが発進した。
 組みあがったエンジンをボディに載せ、問題なくパワーが出ていることを確かめてからセッティングに入る。
 900馬力を出すためにはタービンをただ組んだだけではできない。増大した吸気量に合わせて、燃料噴射量と点火タイミングをきっちり調整しなければパワーは出ないし、そくブローの危険もある。

 セッティングのためにマリーがナビシートに乗り、アリアの運転で環状線に向かう。

「っちょ、待──!!」

 走行車線に入るなりいきなり踏み込んでいくアリアに、マリーは思わずノートパソコンを抱えて叫ぶ。

 アリアは素早くシフトアップし、回転を抑えたまま速度を乗せていく。

「大丈夫よ、回転(レブ)はオーバーしてない」

「だからっていきなり全開はないでしょ全開は!ったく貴女ってコは……!」

「初期アタリはつけてるんでしょ?だったら平気よ」

「まあーそりゃそうだけど……ッ!」

 大排気量ターボエンジン独特の太く重い振動を伴った排気音が響く。環状を周回し、低速コーナーでの
エンジンのツキからストレートでのノビまで、全域にわたって感触を確かめる。
 普段の澄ました顔に似合わず、走りの激しさはロッテよりも上かもしれない、とマリーは思っていた。

「そういえば、この近くなのよね、クロノ君が働いてるの」

 環状線の高架の上からは、六本木のビル街が光の海のように見える。銀河の上を滑る船だ。

「降りてみる?この時間ならお客も上がり始めてるんじゃないかな」

「OK──じゃ下に降りてから電話入れてみましょう」

 飯倉出口から下道に降り、外苑東通りから六本木へ向かう。
 客待ちのタクシーが道路端に群れをなし、その中を、時折高級外車が走り抜けていく。

 この場所では、スープラはまるで華やかな舞踏会に紛れ込んだ野獣のようだ。

「停められるトコある?」

「大丈夫っしょ、こんな車警察もレッカーしないって」

 二重駐車でスープラを停め車から降りるマリーとアリアだが、アリアはともかくマリーはいつも基地で着ているツナギ姿なので、六本木の街にはあからさまに違和感を放っている。
 ちょっとよく見れば軍属だとわかるので、それだけで人々は若干避け気味になる。

「クロノくーん!」

 客らしき女を待たせ、クロノはマリーのもとに駆け寄ってきた。

「ごめんね、急に呼び出しちゃて」

「いえ、いいですよ──スープラ、組みあがったんですね」

「まあまだとりあえず組んだだけ、ってところだけどね。今夜は一応セッティング出しで環状を回るけど、どうする?」

「そうですね、一応店が3時までなんで、それからでいいですか」

「了解。じゃあそれまでに大体のセッティングはキメとくから、仕事が終わったら湾岸で踏んでみよう」

「わかりました」

 クロノは女のところに戻り、アリアとロッテはしばし、六本木の人ごみを眺めた。
 日本は狭い国だ。よく言われることだが、心の距離は、しかしもっと離れているような気がする。

 視界に入る何十人もの人間たちは、名前も知らない、昼間何をやっているのかもわからない、赤の他人だ。そして、見知った人間は、人ごみの中に紛れればあっという間に見失ってしまう。

 

 

 午前2時45分、Zは浜崎橋ジャンクションから環状内回りへ入った。最近、なのはは内回りの方が時間帯によっては道がすくと気付いていた。
 外回りは、主に環状の周回タイムを競ういわゆるルーレット族が走るため、それこそ時間帯によっては走り屋の車で混雑が起きてしまうほどだ。
 内回りならば、それほど攻めて走る車がいないので、周回しつつ湾岸へ出るタイミングをはかるにはいい。

 内回りを一周し、なのはは浜崎橋から台場線経由で湾岸へ出る道へ乗った。
 レインボーブリッジを走り抜け、有明ジャンクションから湾岸西行きへ乗る。

 海底トンネルを踏みきった後、すぐに大井ターンで環状に戻り、今度は江戸橋から湾岸へ向かい、辰巳から乗る。
 頭の中でルートを組み立てながら連絡路を降りた時、本線を走ってくる車の姿を、なのはは見た。

 アフターファイヤーの閃光とともに、テスタのリヤハッチ両サイドから白い湯気のようなものが噴出する。

「パージバルブ!?」

 ナイトロシステムを搭載する車両には、空燃比の急激な変化を避けるため、配管内の空気を強制排出する装置が取り付けられる。
 テスタも、NOS噴射のオンオフを頻繁に繰り返す方式を採っているため、レスポンスアップのために余剰酸素をすばやく追い出すパージバルブを装着していた。

「これは冗談抜きで速いよね、レイジングハート──!」

 Zも、全開加速からのすばやいシフトアップで、ブローオフバルブの鋭い排気音を吐き出す。
 2基装着されたK26タービンはほとんど回転数を落とすことなく、圧縮された高圧空気を大気解放する。
 ZはMAXブーストで2.5kg/cm2まで掛かる。調子が良ければ2.8kg/cm2まで掛かり、そこでウエストゲートが作動しはじめることを確かめている。

 バシュッ、バシュッという鋭い過給音を鳴らして、3台の車はエンジン全開で突っ走る。

 このZが何馬力出ているかというのも、シャーシダイナモで測ったわけではないので正確なところは分からない。
 過去に制作されたチューンドS30Zの例からいくと、L28改3.0リッターにブースト2.1kg/cm2かけて800馬力という車両がある、とコウちゃんから聞いていた。
 なのはは正直なところ、数値の大小よりも、Zがパワーを出していることを実感する方が好きだった。
 全力を振り絞って走るZは、たまらない快感だ。そしてその快感は、一時のものであって永遠には続かない。

 直線区間はすぐに終わり、きついS字にアップダウンがついたようなレイアウトの浜崎橋ジャンクションに突入する。
 環状内回りに向かう場合、ここは手前の直線でスピードをのせたままターンインすることになるので車体が跳ねる。ストロークの良い足回りでなければタイヤが浮いてしまう。
 パワーを出すだけではない、きちんと踏める足に仕上げることが、速い車をつくるためには必要だ。

 先頭からZ、テスタ、911と続く。そのまま汐留のS字へ。ゆるい左の後にきつい右が待ち構える。
 コーナー入り口での車線が広く、さらに八重洲との分岐のため出口は極端に狭い。
 狭まっていく道路に、意識を振り切られたら、そのときは壁に張り付くだけだ。

 アウトぎりぎりまで道幅を使って立ち上がるZ。横Gをねじ伏せるようにパワーに任せて立ち上がってくるテスタ。
 911は余裕をもってついてくる。

「くくく、よくやるねぇお嬢さんも。この狭い環状でよくもあれだけ自在にテスタを振り回せるもんだ」

 おそろしく乗れている。ドライバーの意のままに動いている、テスタの後姿がそう伝えてくる。
 だがそれは、綱渡りのように一瞬であっけなく切れてしまうタイトロープだ。

「しばらくチューンの様子を見ていて思ったんですが」

 銀座シケインエリアで速度は落ちてくる。3台とも、狭い道にアクセル全開時間を長く取れない。

「ピークパワー重視で下は切り捨て、ではないんですね。トルクカーブもずいぶんフラットで──」

「踏みっぱなしとゆーワケにはいかないからね、公道は。
100km/h以下に落ちる時間が長いこの環状なら2速中心でいける──そこから踏み足して加速していくとき、中速トルクの太さがものをいうよ。深川に回ればわかる」

 

 

 江戸橋ジャンクションを右へ入り、箱崎の合流へ突入。一般車は少ない。
 その中に、見覚えのある車が現れた。フェイトの注意が、一瞬、Zから後方のスープラに移る。

「80スープラ──クロノくん!?」

 深川線へ入る並行路を、それぞれ右側をスープラと911、左側をZとテスタが走り、高架の上で合流する。

「マリー、あの車は──!」

 クロノがつぶやく。マリーも、目を見張るようにして先行するポルシェのテールを見つめている。

「間違いない。スカリエッティチューンの3台──!」

 悪魔のZ。そしてブラックバード。さらに、ガンメタのテスタも続く。
 単なる数字以上の速さがあるといわれる、恐るべき車たち。

 クライドとグレアムが追っていた、首都高の帝王。それは現実の存在として、クロノたちの前に現れた。

「今夜はオーナー本人のドライブのようですね」

 バックミラーに目をやり、リインが言う。スカリエッティはサイドミラーでスープラの姿を留め、笑みを消して見つめている。

「あれかね、君も連中に何かのしがらみがあるのかね。だとしても、私のことを気にする必要はないよ。
走る以上、いつだって自分のために踏んでいきたまえ。でなければ死ぬだけだ」

 リインは正面を見据え直し、アクセルを踏みきっていく。
 鋭く加速する911は福住の立ち上がりでテスタをパスし、Zに並んだ。

「(グレアム提督──貴方は、この私を撃墜することを目的にあのスープラをつくった──
しかし、提督──貴方はその事実をクロノ君に教えているんですか──)」

 スープラは組みあがったばかりでエンジンを全開で回しきれないのだろう、最後方でやや離れてついてくる。
 湾岸に入れば、おそらく離れる──だが、ここで出会った以上、きっちりと走り切らなければ、心の決着がつかない。

 リインもまた、過去の──クライドの思いを知っていた。

 

 

「(私が在日米軍を離れるとき、慰留してくれたのはあなただったね、ギル・グレアム提督──
たしかにあの時の私の選択は正解とは言えなかったかもしれない、だが私は自分に嘘をついたつもりはナイ──
選ぶのはいつだって自分自身だ、そしてその結果を受け止めるのもまた自分自身だ──)」

 在外軍人の事故死。軍務中の事故ではなく、しかも駐留先の日本で起こした事故。
 ただでさえ風当たりの強かった米軍は、日本からの追及を恐れ、クライドの事故を隠ぺいしようとした。

 妻であるリンディも本国艦隊に配属替えとなり、スカリエッティも軍を離れ、一民間人として生きていくことになった。

 そして、クライドが死んだとき、もっとも近くにいたのがリインだった。

「(アクシデントは魔の時には起こらない──“走り”で死ぬことは絶対に無い、確かにそうだった──
走りではない、ただの下道で、スピードもまったく出ていなかったのに──)」

 また今度──いつものようにそう挨拶して別れ、交差点をそれぞれの方向へ曲がろうとしていた、ダブルエックスと911の2台に向かって、アクシデントは迫ってきた。
 原因となった歩行者はすぐにどこかへいなくなった──いや、原因というのも憚られるかもしれない、とにかく、道端から飛び出してきた酔っ払いをよけようとして車線変更しようとした911に、隣の交差点から出てきたトレーラーが、直進のまま突っ込んできた。
 そこで、咄嗟にリインの911をかばおうとしたのか、ダブルエックスが割り込んで──

 ほとんど真正面からトレーラーヘッドに蹴散らされたダブルエックスは、車体がちぎれるほどに大破し、病院に搬送された時点で、ドライバーは即死が確認された。
 トレーラーとの衝突軌道からダブルエックスによって押し出され、ハーフスピン状態で停車した911は、 車体側面にダブルエックスの銀色の塗料がひっかいていた。
 911を降り、なすすべもなく立ち尽くしていたリインの目の前で、潰れて横転したダブルエックスは、クライドを乗せたままガソリンに引火して爆発炎上した。

 誰も、目撃者はいなかった。
 当時のリインはまだ医大生で、研修医としては勤務していたが、まだ処置を任されるほどにはなっていなかった。
 しかも、当事者が米軍人であるということで民間の病院は救急受け入れを拒んだ。

 クライドを助けられなかった──その悔やみは、ずっとリインの胸に深く残っていた。

 

 

 木場の高架を湾岸へ向かって、テスタ、Z、911が疾走する。
 クライドの死から10数年がたち、今や彼の息子が、父親が乗っていたのと同じ名の車で走り始めた。

 どんな選択をするのも、どんな結果を見るのも、それはすべて自分自身の意志だ。

 それを教えることが、クライドとの約束だった。
 自分の意志で走れ。誰に強制されるでもない、誰の後を追うでもない、自分の意志でこの世界に踏み込んで来い。

 しっかり見てくれ。

 辰巳ジャンクションへの合流路へ向かい、Zと911が並んで踏み込む。
 そのすぐ後ろからテスタが続く。

 スープラは50メートルほど後方、この合流路通過でいったんは差は詰まる。

「マリー、今ブーストいくつでいける」

「──ッ、い、1.8!今燃調を補正したから、このまま踏み切って!」

「よし──とらえた!」

 クロノの視界に、ポルシェの丸いテールと、テスタの四角く平べったいテールが見えている。
 懐かしささえ覚える。
 あのポルシェ、ブラックバードを初めて見たのはほんの数週間前のはずなのに、ずっと前、幼い記憶の中に、あのポルシェがいたような気がする。
 父が自分を車でどこかに連れて行ったという記憶はない。
 だが、今こうして走っているときに、懐かしさを感じている。

「クロノくん──!」

 湾岸に出たテスタは、この4台の中ではトップのパワーだ。本気で踏んでいけば間違いなくトップスピードはいちばん上だ。踏んでいければ、だが。

「似た者同士って感じたのは──車だけじゃない、走りだけじゃない──!」

 4速シフト。元々6800rpmがレブリミットのテスタは、そのままではかなりワイドなギア比を持つ。
 Zや911が5速にいれる速度でも、まだ4速で引っ張れる。その分、加速で有利だ。

 辰巳から湾岸に合流すると、道はわずかに左へそれている。辰巳から有明まではおよそ2キロメートル、全開で踏めばものの数十秒で走り切ってしまう距離だ。
 第1車線がクリア状態だ。一般車はほとんどいない。

 踏み込む。

 Zと911が5速へシフトアップし、激しくアフターファイヤーを噴く。速度は250km/h。ここからの加速、5速オーバードライブギアでの加速が、湾岸での勝負どころだ。
 テスタの加速力はZも911をも完全に凌駕していた。NOSを噴射し、シフトアップに伴う回転落ちの隙をついていっきにテスタが前に出る。
 270km/h、6速ミッションを搭載するスープラがシフトアップ。
 第2車線を走っていたコンパクトカーを右側からかわす。オーバーテイク時の風圧は車体を瞬間的に揺さぶる。
 290㎞/h。テスタはここで5速に上げる。
 普通のエンジンがオーバードライブ(減速比が1未満のギア)であえぎながら加速していく中、テスタは余裕を持ったトルクで加速できる。

 東京ビッグサイトのシルエットが視界の左端に瞬く。

 クラッチを踏みつけ、シフトレバーを右奥の4速ゲートから、右手前の5速ゲートへ叩き込む。
 左足を戻し、クラッチがつながる──

「!!」

 クラッチペダルを通して連続的な打撃音が伝わる。金属がひしゃげ、引きちぎれる音がする。
 駆動力を抜けない。すぐさまシフトレバーをニュートラルに戻し、ブレーキを踏みながらダブルクラッチで4速へ。
 だが、これでも金属音がやまない。どのゲートに入れても手応えがない。すべてのギアが使用不能になっている。

「(クラッチじゃない!?ミッション……まさか、デフなの!?)」

 テスタの車速が落ちるにしたがい、金属音のトーンが変わってくる。おそらく、デフケース内でギアが割れたのだ。
 欠けた歯がケース内で暴れ、ぶつかる音だ。こうなっては駆動力を伝えることができないので、
このまま止まってしまえば走行不能になる。

 Zと911はそのまま加速して道の向こうに消えていく。
 なんとか惰性走行で高速を降りようとするフェイトだったが、速度の落ちが激しくランプまでたどり着けそうにない。

「(ブローしたギアの走行抵抗が大きすぎる──このまま路肩で立ち往生かな──!?)」

 フェイトがふとバックミラーを見ると、スープラがテスタに従って減速し、ハザードランプを点けていた。

 

 

 高速出口そばの一般道の路肩に、テスタとスープラは並んで停まった。
 スープラから、クロノとマリーが降りて駆け寄ってくる。

「ごめんね、手間かけさせちゃって──ゲホッ、ゲホッ!!」

「っ、だ、大丈夫!?」

 激しく咳き込むフェイトに、マリーがあわてて駆け寄って背中をさする。
 街灯の明かりだけではわかりにくいが、クロノは飛び散る血滴を見た。

「はは、は……やっぱ、医者の言うことはちゃんと聞いてたほうが、よかっ、……」

 道端の縁石に腰を下ろし、フェイトは顔を伏せた。
 もう体力の限界だ。予想以上に消耗していた。だから、シフト操作をミスってしまった。
 クラッチは確か許容トルク150kgmのトリプルプレートにしていたが、デフの方が耐えられなかった。

「あとの2台は」

「レイブリ経由ですぐ戻ってこれます、この電話に──すみません、もう声が、ゲホッ」

 短縮ダイヤルを表示させた状態でフェイトはクロノに携帯電話を手渡した。そのまま、発信ボタンを押す。
 やがて、電話のスピーカー越しでもはっきりとわかる、空冷ポルシェのエンジン音が聞こえてきた。

「……もしもし」

「やあ、お嬢さんじゃないのかね?電話もできないほどひどい怪我かね。それとも──」

「──大丈夫です、今牽引して高速を降りたところです」

 クロノはスカリエッティの言葉をあわてて遮った。たとえ冗談でも、この少女がそのような目に遭うことは考えたくない。

「場所は有明出口降りてすぐの──そう、りんかい線国際展示場駅の近くです」

「わかった。すぐに拾いに行くよ。お医者様もお急ぎだからね」

 スカリエッティはそう言って一方的に通話を切った。

 クロノはフェイトに携帯電話を返し、マリーはテスタの様子を見ている。

「とりあえず車体に目立ったダメージはないようね……それにしてもよほどのパワーが出ていたのね」

「直るのか?」

「フェラーリに限らずMR車は駆動系がイクと厳しいからね──ギアボックスごとアッセンブリー交換で300万コースよ」

「キツいな」

「でも、もっとキツいのは彼女の方よ──」

 

 

 数分後、有明出口で待っていたフェイトたちのところにZと911がやってきた。
 スカリエッティは911を降りるとすぐにテスタの様子を見に向かう。

 リインはゆっくりとフェイトの前に立ち、体育座りでうつむいているフェイトに静かに声をかけた。

「──こんな終わり方じゃあ納得しませんか」

 フェイトは顔を伏せたまま、じっと、思いをかみしめていた。

 母は、どうして自分に黙っていたのか。
 もともと身体が弱いのに、どうして無理をして仕事を続けたのか。

 そんな母を知っていたのに、どうして自分は家を出て、遠く離れた海の向こうの国へ来て、こんなことをしているのか。
 家族のことを、もう放り出してしまったのか?もう、母が人知れず死んでも、知らんぷりをするのか?

 思いはどんどんあふれてきて、止まらない。

 自分もまた、母と同じことを繰り返すだけなのか。咳き込んだ時に口を押えた手のひらには、赤い血が散っている。

「くくく、きっちり踏み切ってくれたようだね。4速全開で引っ張って5速につないだ瞬間のミッションブローだね。
まあ予想していたほどダメージはひどくはないよ、エンジンは無傷だ」

「わかっていたんですか?駆動系の容量アップをしたのに、まるでデフだけを──」

「マリー、やめろ」

 スカリエッティに食い下がろうとするマリーをクロノがなだめる。

「──じゃあ、行きましょうか。すでにオペの手配はしました。隣に乗っていきますか?20分で海鳴まで行きます」

「うん、頼むわ──」

 よろよろと立ち上がり、フェイトは911のナビシートに腰を下ろす。

 スカリエッティは自分の電話で、レッカー業者を呼んでいる。

「マリー、僕たちも帰ろう。長居してもしょうがない」

 後ろでじっと黙っていたなのはは、ゆっくりと、911に歩み寄って、サイドウインドウ越しにフェイトに呼びかけた。

 

 

「スカリエッティさんに伝えてください。私が退院するまでに、絶対テスタを直しておいて、チューン代の追い金もあとで持っていくから──」

「──うん」

 スープラがエンジンをかけ、走り去っていく。2JZエンジン独特の、力強い排気音が響く。

「フェイトさん」

「さん付けはいらないよ、ファーストネームだけでいい」

「声が直ったら、また一緒に走ろう、フェイトちゃん」

「うん、なのは──」

 なのはは髪を留めていたリボンをほどき、フェイトに渡した。フェイトも、同じようになのはに渡す。
 白と黒の交換。お互いに髪をおろした姿に、柄にもなく、なのははどきりとしていた。

「それじゃあ、高町──あとは私に任せろ」

「お願いします」

 フェイトを乗せ、リインは911を発進させた。
 このまま国道357号を走り、臨海副都心ランプから再び湾岸に乗って海鳴まで向かう。

 後には、スカリエッティとなのはだけが残された。

 Zは、エンジンをかけたままアイドリングし続けている。

「ん、テスタは私が責任を持って保管しておくよ、君は気にせず帰りたまえ」

 スカリエッティは一見そつなく言い放ったが、なのはは、よく考えればこの男に会うのは初めてだった、と気づいていた。
 ジェイル・スカリエッティ。無限の欲望、地獄のチューナーと畏れられ、そしてこの悪魔のZをつくりあげた男。このZは、何十年かぶりに、制作者の前に戻ってきたのだ。

「ジェイル・スカリエッティさん──ですよね。あなたが、このZをチューンしたんですよね」

「ふむ、最近私は若いお嬢さんがたに人気のようだね」

「どうしてこのZが、“悪魔のZ”と呼ばれているのか、教えてください」

 Zのアイドリングは、900rpmで安定している。チューニングエンジンとしては驚くほどのなめらかさだ。
 スカリエッティの視線の威圧にも、なのははひるまず、見据え返している。

 悪魔のZ。その作り手、そして乗り手──出会ったのは、運命だった。

 

 

 

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最終更新:2012年12月19日 11:59