SERIES 7. 決意と選択
海鳴市、スクライア商会のガレージになのははZを預けていた。
もう一度エンジンを開け、内部をセッティングする。エンジンを下ろすためにはクレーンが必要なので、スクライア商会の工場を使わなければならない。
ユーノにも手伝ってもらい、通常のエンジン脱着工賃5万円で、クレーンを使わせてもらえることになった。
「どこをいじる?こないだのオーバーホールで、少なくともパワーの谷は消えたよ……
特に悪い部分がないのなら、手を付けない方がいい──どんな機械でもそれは基本だ。組み直しのわずかなミスで、それまで悪くなかったところに故障を引き起こしてしまう危険もあるんだ」
「うん……。でも、Zがもっと速く走ろうとしている、そんな声が聞こえるんだ。
今のセッティングじゃあ全然満足できない、もっと速く、もっとパワーをって、走ってると、そんなふうに急かされている気さえするんだ。
私のセッティングじゃあぜんぜんこのエンジンのパワーを引き出せてない──やってみないと気が済まないよ」
なのはの目は、もはやZを疑ってはいなかった。
本当に、このZは魔力を持っている。そして、なのはにはそれにこたえる資質がある。
「わかった……。ただ、最後にもう一度だけ言うよ。エンジンの中に手を入れるってことは、そくブローの危険をはらむことになる──ラフな運転は絶対にできない、それだけを忘れないで」
「うん、ユーノ君」
タービンの配管を取り外し、サージタンクをあらかじめ外しておいてからエンジンクレーンをかける。
L28エンジンの巨大なクランクケースには、軽量化のために穴あけ加工が施されたレーシングフライホイールが鈍い銀色の光を放っている。クラッチはカーボントリプルプレートで、大パワーに耐える用意はある。
エンジンさえ力を取り戻せば、このZはもっと速くなれる。車体もサスペンションも、そのパワーを想定してセッティングされている。もっとパワーを出していったところに、このZがバランスするポイントはある。
L28改ツインターボは、悪魔の心臓のように、太い血管のようなインテークパイプをまとわりつかせている。
収録を行うスタジオの駐車場に、フェイトはテスタを乗り入れた。
とりあえずリハビリ期間ということで、NOSはスイッチを切り、エンジンも回転上限を7000rpmまで抑えてECUセッティングによりパワーをセーブしている。
顔合わせはすでに済んでいるので、原稿を読み合わせた後すぐに収録に入る。
この番組はもともと主要メンバーに車好きのタレントを男女一人ずつ迎えていた。
今回、メンバー交代に伴いフェイトに声がかかったというわけだ。
司会を務める城島の軽快なトークに、フェイトも素直に話を合わせる。
普段、アルフからは煙たがられていた車談義も、このメンバー、いやこの男となら素直に楽しめる。
環境が変わるということはこれほどまでに人間の生き方を変えてしまう。
もっと、いい仕事ができる。
気持ちが、すうっと軽くなっていくようだとフェイトは思っていた。
「お疲れ、初めてだったから僕も抑えたけどどうだったかな、こういうテンションは初めてだろ」
城島もメンバーへの気配りを忘れない。
「ええ、むしろどんどん突っ込んでもらっていいですヨ、なんかもうハマってる感じで」
「いいね、今度フェラーリ本当に引っ張ってこよーか、F355ならいい伝手もある」
「いいですねソレ、もちろん私が乗って」
「外ロケもたのしいヨ、結構いろんなショップも車両を提供してくれてるからね、いろんな車に乗れる」
チューニングカーに触れる仕事に携われる。そのうれしい思いはフェイトの胸の中ではずむ。
「ん?あんまりうれしくないかな?」
「いえ──うれしいですよ、もちろん──ただ、なんていうんですか、いいのかなって思っちゃって、
私だけこんな──」
「カン違いしないでくれよ、オレは君の才能(スキル)を評価したんだ、君は車に対する情熱を持ってる。
単にトバして走りたいだけの若者とは違う、車を走らせる、車の成り立ちを考える、車を評論する、そーゆう車にかかわるすべてがスキなんだ、そしてそのための知識と思考力を持っている。
それは才能なんだぜ、ただスキってだけじゃあ仕事はできない、能力をそなえるからこそ仕事はできるんだ、歌手や声優だってそうだろ?単に歌がスキでも歌がヘタじゃあコンサートは開けない」
「はい──」
テレビ番組のロケというのは何本か分をまとめて行う。スケジュールを集中的にとることで、放送のためのストックをためておく意味もあるし、出演するメンバーや機材の手配もしやすい。
この日の収録では、千葉県の某ショップが制作した白いポルシェターボが持ち込まれていた。
ブラックバードの乗る964型よりひとつ新しい993型だ。このモデルからサスペンション形式が見直され、より路面追従性が増している。
借り切ったワインディングをゆったり走らせるだけでも、スムーズかつ力強いな走りができる車だとわかる。
「スカリエッティさんに会ったんですよね」
「ああ、あの人も昔と変わらないようだった。今は君のテスタとブラックバードの2台だけなのかな、みているのは」
「みたいですね。そういえば、なのはは──」
「あのコも一人でいろいろ試行錯誤しているみたいだヨ」
フェイトは、いつもブラックバードのそばにいた栗色の髪の少女を思い出していた。
家族か、親戚か──海鳴大学病院にもよく通い、一緒に帰宅していくのを、1か月の入院の間に何度も見た。
あの少女はなのはの友人だと聞いた。彼女は、学校でのクラスメイトからはどう思われているのだろうか?
学生のうちからスポーツカーを乗り回し、湾岸を走るなど、少なくともいい目では見られないはずだ。
彼女はどういう気持ちで走っている──今の自分のように、恵まれた環境を探していくことは、学生の身分ではいろいろと制約が大きいはずだ。
仕方のないこと、ではすませたくない。
フェイトは、もっとなのはに近づきたいと思っていた。
近づき、お互いがより見える領域を探したい。
今は、それは深夜の首都高だ。
共に走る仲間、それだけかもしれないけれど、でも、今の自分はそれ以上を求めている。
はやてが住む八神家は海鳴市のはずれにあるが、リインは普段は八神家には住んでいない。
もともと実家も別だったし、家の世話はシャマルとシグナムに任せているので自分が出張っていくことはないと考えていた。
シャマルは聖祥での仕事もあるし、ヴィータは子供、ということで、そこに自分が割り込んでいくのはいいことではない。
資産管理をしてくれている親類というのが、ギル・グレアム提督だというのは以前から知っていたことだった。
医大時代のドイツ留学に際しても、現地の大学への根回しがあったと耳にした。
グレアムはどのような意図で八神家にかかわっているのか──リインは、かすかな疑念は持ち続けていた。
クロノ・ハラオウンにモンスタースープラを与え、対ブラックバード撃墜マシンに仕立て上げた。
リーゼ姉妹の手でドラテクの特訓をさせ、首都高ランナーとしての経験を積ませていった。
そうして、いずれクロノは自分の前に現れる。
ブラックバード撃墜を目指す走り屋として。
海鳴大学病院の駐車場から911を発進させるとき、いつもリインは首都高の方角を見て、思いをはせる。
「(クライドが望んでいたのは私とのケリをつけること──それは確かにそうだ──)」
あのダブルエックス2.8も当時としてはトップクラスの速さを持つチューンドだった。
その車で、自分のポルシェターボとの決着をつける。
果たせないまま、クライドは逝ってしまった。
クライドは、自分に妻と子供がいることは、ごく親しい人間にしか話していなかった。
そのことを聞いていたのは、グレアムをのぞけば自分とスカリエッティ、おそらくこの二人だけだ。
だからこそ、スカリエッティもクロノに対しては目をかけようとしている。
それゆえに、この911ターボを完璧に仕上げようとしている。向こうもプライドをかけてつくってくるであろう最速のスープラを、完璧なポルシェターボで迎え撃つ。それは首都高を走る者の戦いだ。
ブラックバートと戦うということは、スカリエッティと戦うということを意味する。
目的は一致している。スカリエッティは作り手として、自分は乗り手として。
911のノーズを首都高へ向け、リインは決意を確かめる。
湾岸線西行き、有明ジャンクションを通過して300km/hを維持しながら、ブラックバードは13号地コーナーへ切り込む。
通過速度は280km/h。一般車がいなければラインどり次第ではもう数km/h上乗せできる。
その数km/hの差が、最高速バトルでは大きな意味を持つ。
911のギア比は、5速をレブリミットの7500rpmまで回しきってちょうど320km/h出るようにファイナルギアを組んでいる。
それ以上の速度はバトルでは無駄で、5速での待ちから一瞬のチャンスを見てダッシュするスピードレンジにあたる250km/h→300km/hの加速をよくするほうが、一般車をすり抜けながらのバトルでは重要になる。そういう考え方で最高速度を設定していた。
湾岸を下りきり、再び第3京浜へ向かう。
リインがスカリエッティのガレージに到着したとき、ちょうど入れ替わりにテスタが出ていくところだった。
フェイトと一緒に見える人影は、先日Kレコードで見た自動車評論家の男だろうか。
「…………めいっぱいだったろう?あれで」
テスタを見送り、スカリエッティは唐突に言った。
その言葉の意味は、リインも分かる。
「……次のステップへ」
「OK、車を入れたまえ」
いったん閉めかけていたシャッターを再び上げる。
明かりがともされた作業場は、きれいに片づけられて新しい仕事に備えられていた。
リヤのエンジンハッチを開けた911を、腕組みしてスカリエッティは見下ろす。
その隣で、リインは静かに立っている。
海鳴大学病院でも、口数は少なくマシーンのようにオペをこなす冷静な人物像で通っているリインだが、スカリエッティにはかすかな変化が見て取れたようだった。
「まずタービンを一つ上げる……今入れてるタービンはエンジンの様子を見るためのものだ。
エンジンの状態次第で、回せる大きさにも差が出てくる。ターボはあくまでも補機でありパワーを発揮するのは最終的にはエンジンの実力だ。
そのエンジンの持つ能力以上のパワーはターボをつけても何をしても引き出せない」
「可能な限り状態の良い個体を用意したはずですが」
「ワルくない。元々の状態もわるくはなかったが、君が乗り始めてからはいいアタリがつき始めている。
キカイに負担をかけない走りができる……重要なことだよ」
「…………」
横に平たい形をした水平対向6気筒エンジンは、両脇にタービンを抱え、そこから最短距離のパイピングでインタークーラーに接続されている。
交差するように冷却コア内を通過した空気はサージタンクを経てインテークマニホールドへ流れ込み、これも左右独立のスロットルバルブを経てシリンダーへ導かれる。
配管長を短くすることは、圧力損失を最小限に抑え、アクセルレスポンスの向上に効果がある。
大きなタービンはそれだけ回り始めるのに時間がかかり、アクセルを踏んでもすぐに過給がかからない、いわゆるターボラグが発生する。
だが、この911は設定ブースト1.2kg/cm2にもかかわらずまるでスーパーチャージャーエンジンのように鋭く回転が立ち上がる。湾岸線での全開走行で、わずかのもたつきもなく途切れない加速が可能だ。
「パワーとしてはシングルターボのほうが有利かと思いますが」
エンジンルームから視線をスカリエッティに移してリインが言う。911のエンジンルーム配置ではタービンはちょうど後輪の斜め後ろあたりに位置し、スペース的には少々苦しい配置だ。
「まあ確かに大容量シングルならこのエンジンでも1000馬力に手は届く。997の3.8リッターエンジンに載せ換えればさらに上を狙える。だがまあ、前にも言ったが踏みっぱなしというワケにはいかないだろう。
250km/hオーバーで一瞬アクセルを抜く、そこから再び踏んだ時、ストンと落ちたブーストがどれだけ早く立ち上がるか……パワーとレスポンスをバランスさせるなら私は迷わずツインターボを選ぶね」
「トップエンドを100馬力削っても……」
リインが思い浮かべていたのは、2か月前のフェイトとの走りだった。
クロノのスープラとなのはのZも一緒だったが、あのテスタの加速力は圧倒的だった。
250km/hオーバーからのあの加速、もし5速へきっちりつなげていれば、300km/h前後から再びパワーバンドに乗る計算になる。
911ではエンジンが吹け切り、もう加速できない上限の速度に至っても、テスタはさらにそこから加速できるスペックを持っていた。
「まあしょうがないかね。あんなのを見せつけられては」
テスタのパワーは、911のナビシートでスカリエッティも見ていたはずだ。
ギアボックスを砕いてしまうほどの強烈なパワーを、あの車は発揮していた。
3.6リッターの排気量を持つ、911のM64エンジンは鈍い銀色で光っている。
「今更に驚いているんですヨ……自分がこれほど嫉妬する人間だったということに」
スカリエッティは背を屈めるようにして笑いをこらえた。
「おいおい、そりゃ何に対してだね。君のポルシェは控えたのに、あのお嬢さんのテスタをフルパワーにしたことかね?」
「こうしてあなたのつくった車に乗るとわかるんです。あなたほど機械に誠実なチューナーはいないと」
吹き出した口元を手の甲で拭い、スカリエッティは再び白衣のポケットに手を突っ込む。
「君が今までみてもらっていた車屋はそんなにダメだったのかね」
「いえ。プロらしい仕事をキチンとしてくれました。ただ、ある時から進む方向が違っただけです」
18歳で免許を取り、首都高を走り始めてからずっと世話になっていたガレージだった。
気が付けばもう10年以上、深夜の走りを続けている。夜通し、疲れを知らないエネルギーにあふれていた仲間たちは、いつしか一人消え、二人消え、そして今は自分ひとりだけになってしまった。
公道での暴走行為など、どんな言葉を並べても認められるものではない。
もう十分だろう。
はやてを悲しませないで。
それでも、自分はもはや降りることはできない。取りつかれている。
「──今君が考えているのと同じ理由だよ。誰だって自分の仕事には誠実でいたい。
だが、時としてその誠実さが足を引っ張る──機械に誠実に接しようとすればするほど、その矛盾から目をそらせなくなる」
車をイジる。それは、凶器をつくる仕事だ。
午前4時。クロノは首都高から中央高速へ乗り、横田基地家族住宅へ向かっていた。
走り込みは今週で切り上げ、最後のセッティングを行う。
このスープラに対するマリーの仕事もこれで最後だ。
東の空が、仄かに青み始めている。
「その車、まだ持っていたんですか」
ガレージの中には、銀色のシボレーコルベットが置かれていた。
クライドが生きていた頃、グレアムが乗っていた車だ。
明け方の淡い空を背に自分を見たとき、グレアムが一瞬思い出したような表情をしたのを
クロノは見て取った。
「ああ。もっとも走らせたりはしていないがね。週に一度、その辺をゆっくり動かすだけだ」
「何馬力くらいでしたっけ」
「770馬力は出ていたはずだ。もっともシャーシがパワーについてこれなくてね、クライドのスープラには最後まで勝てなかったよ」
ロータス社によって開発された7リッターの排気量を持つV8OHVエンジンは、イートン製スーパーチャージャーによって過給され、1.6トンの重量級ボディを獰猛に加速させる。
そんなモンスターマシンも、今は余生を過ごすように眠りについている。
早朝の基地は、発着する航空機もなく嘘のように静まり返っている。クロノが入ってきたときも、ゲートに立っていた若い歩哨はカフェインガムを何箱も開けて、眠そうにしていた。
「もうすっかり乗りこなせているようだね。アリアたちも君にはもうかなわないと言っていたよ」
「いえ、めいっぱい集中してようやくやっと、ってところですヨ。もうほんとに、底の知れない速さです。
──でも、最後まで行けるって思えるんです。このスープラなら」
懐かしさ。ずっと求めていた場所にたどり着けた、その感慨。
父は自分を、見ていてくれるだろうか。このスープラを、最高のステージで走らせる。
悪魔のZ。ブラックバード。もうすぐ、クロノは彼らと同じ舞台へ上がる。
東京都内の、やや郊外へ入ったバイパス道路のそばにそのチューニングショップはあった。
シャッターを開けた工場フロアには何台ものスポーツカーが所狭しと並び、おおぜいのメカニックたちがあわただしく作業をしている。
ボンネットを開けてエンジンルームの整備をしているもの、リフトに載せられてアンダーフロアの処理をされているもの。
そんなチューニングカーたちのボディには、“RGO”のロゴマークをデザインされたステッカーが張られている。
RGOスピードファクトリー、日本チューニングカー業界の最古参にして最大手だ。
それは単なる改造屋の領域にとどまらず、専門メーカー顔負けの自社開発パーツを数多くリリースするほどだ。
主力車種はGT-RとRX-7。特にGT-RはデビューしたばかりのR35型GT-Rのチューニングに、業界の先陣を切って取り組んでいる。
そんな華やかなチューニングカーたちの群れに、今日は一台の高級車が静かに混じっていた。
メルセデス・ベンツSL600。城島洸一の愛車だ。もっとも、こういった車を乗っていれば対外的なアピールになるという意味から、普段のアシとしてこの車種を選んでいるところもある。
城島本人は、RX-7、とくにFC3S型RX-7に特別な思い入れを持っていた。
「よぉー城島、どうしたよ突然訪ねてきて」
「いやぁはは、ここのところ調子が上がってきたって感じで」
「さすがにもうヤンチャできる元気残ってねーだろ、すっかりテレビ人だもんナ」
「ええまあ……元気をもらえることがあったんです。知ってますか、あのS30──“悪魔のZ”を」
軽口を叩いていた大田も、その言葉を聞いて懐かしむような顔になる。
「あれか……まだ走ってたんだな。やっぱり首都高か?」
「ええ。相変わらずの速さで。ひょんな縁でスカさんとも会いましてね」
今度は目を細めて破顔する。このRGOの大田や、YM
SPEEDの山本和彦、トミナガスピードの富永公、彼らチューニングカーブームの立役者だった名チューナーたちと、スカリエッティは同期の人間だった。
表舞台に出ることはなかったが、ストリートレースというアンダーグラウンドの世界で、確かに認め合うつながりがあった。
「アイツ、生きてやがったのか。しぶてえ野郎だな」
そうは言いながらも、大田はやんちゃ仲間の悪友とつるむように笑った。
「今オレの番組に出てる歌手のコいますよね、フェイトちゃんて……彼女の車をチューンしたんですよ。
今どき珍しいくらい車に入れ込む若者だって、スカさんも感心してましたね」
「おーあれか、ナンか最近リカコが珍しくCDなんか買ってくるからなんだと思ったら、あのコの歌なんだよな、雑誌とかには出してねーらしーが、知れるとこには知れてるみたいだナ、結構な車好きて」
「今、悪魔のZを走らせてるのはそのフェイトちゃんの知り合いで──オレも一度、会いに行きました」
大田は黙って煙草に火を点け、一息深く吹かした。
「いつんなっても変わらねえものって、やっぱりあるんだよな。昔は、もうチューニングカーなんてのはいつまでも古い車種をいじくりまわすだけで先細っていくんじゃねえかと思ってたもんだが──
──新しい車でも、イジっていきたい、イジっていける部分はあるんだってな。それを見つけていく、それを見つけようとする気持ちを持てる──あのZはそんなコトを教えてくれる気がするよ」
「アマさんとこも最近また結構やりはじめてますよね」
『アマさん』の愛称で呼ばれるRE雨宮代表の雨宮氏は、最近のトレンドであるドレスアップ系のチューニングカーも数多く制作している。
現在、ロータリーエンジンチューナーたちを湧き立たせているのは、発表されたばかりの次期RX-7……開発コード『RX-9』だ。
この世代ではハイブリッドカーの時流に乗り、後輪に強力な電気モーターが搭載される。主機関となるロータリーエンジンはこれまでのRE-13系を継承するか、あるいは新規開発のRE-16X系のどちらかになるといわれている。
「REってのはとにかく低速トルクがダメダメなわけよ、そこで電気モーターだ。モーターってのはガソリンエンジンと違って回転数が低ければ低いほどトルクが上がる特性がある──」
「REのデメリットを打ち消すにはまさにうってつけの組み合わせですね」
「いや最近マジで思うのよ、10年後のチューニングカーってのはモーターをカリカリにイジってんじゃねーかってな(笑)」
「面白いですよね(笑)」
RE雨宮、カーアクション映画にも車両を積極的に提供しているヴェイルサイドに続き、RGOでもRX-9のコンセプトカーを制作していた。
もちろん実車がまだ世に出ていないので、RX-8をベースにオリジナルのカウリングを架装した車だ。
エンジンはFD3SのRE-13B型をベースにターボを取り除いてNAペリフェラルポート化し、インナーサイレンサーを装着しなければ公道走行が不可能なほどの爆音を張り上げる。
「なー城島、いつか聞かせてくれたお前の持論があったよな、スポーツカーは20年ごとに大きく世代交代するって」
「ええ、1969年のS30Zと1989年のR32GT-Rですね」
「まさにお前の予言どおりに2007年R35GT-Rが出たわけだ。久々に日産の本気を見たって感じだぜ、山本も富永ももう大はしゃぎよ、さっそくデモ車つくってバリバリ走らせてんだぜ」
「デュアルクラッチミッションでトランスアクスル、ドライサンプエンジンでしたよね。
オレのもうひとつの持論も見事に吹っ飛ばしてくれました」
「第3世代GT-Rがどこまでいくか、そしてオレたちチューナーもどこまでそれを追えるか──
少しでも新しい若い世代がやってくれればいいな」
どんなに一世を風靡した車であっても時の流れには勝てない。20年もたてばどうしようもなくくたびれてしまい、修復するのにも一苦労する。そうなれば、もはや現役の走りはできない。
新しい、走りの車は、どんなに少数派でも確実に求める層がいる。
「そういえば吉井のやつがまた一台引っ張ってきてシコシコやってるぜ、見に行くか?」
「ええまあ、機会があれば。ちなみに車種は?」
「ルーチェロータリーターボだ、12Aターボを積んでる1982年式だ。オレらが現役だった頃はマジでシビれたのヨ、何せREに初めてターボがついたんだからな。
その頃のサバンナRX-7はNAしかなかったからな、速攻エンジン載せ換えるぞって解体屋巡りしたもんヨ」
サバンナも含め、当時のマツダが展開していたRXシリーズの流れをくむ車だった。
RX-2カペラ、RX-3サバンナ、RX-4ルーチェ、そしてRX-5コスモ。
これらのRE車たちで熟成されたロータリーエンジンは、FC3S型RX-7でひとつの完成をみる。
往年の名車たち。今発売されている新車も、時がたてばそう呼ばれる時代がやってくる。
そんな時の流れの中に、あの車は自分だけの流れを持っている。
悪魔のZは、L28エンジンのサージタンクをさらに拡大し、キャブレター全体を覆うように造りかえた上で再びその心臓を収めた。
フロートやジェット、スロットルバタフライの調整をするためのメンテナンスホールをタンク脇に設け、整備性も考慮した。このサージタンクはユーノが自らの手でアルミ叩き出しで成形して制作した。
エンジンを降ろして色々と検討した結果、ブースト圧を確実にエンジンへ押し込むことを追求することに決めた。
キャブターボの場合、いちばん難しいのは燃料制御だ。
キャブレターはもともと、吸入空気の負圧を利用してガソリンを吸い出す仕組みのため、吸気圧が変動すると燃料もうまく供給されなくなり、パワーが出ないだけでなくエンジントラブルのもとになる。
そのため、タービンによって加圧された環境下にキャブレターをそっくり収納してしまうことで、常に変動するブースト圧にキャブレターが確実に追従できるようにした。
燃料供給の最適化により、パワーもレスポンスも大きな向上が期待できる。
だが、燃料供給を最適化するということは、これまで安全マージン側に振られていたセッティングが、最適な領域へ移されたことにより、危険域に近づくことをも意味する。
ユーノは今回のチューンにあたり、A/F計(空燃比計)をキャブレター直後のサージタンク内に取り付けた。
キャブレター式の6気筒エンジンの場合、2気筒あたり1個のキャブレターがつくので、コクピット内には新たに3個のメーターが取り付けられることになる。
「A/F計で実際に見てみたところだけど、今までのセッティングはかなり燃調を濃くされていた。
これを高回転域で絞っていくことで、ドロップ感は軽減されるしパワーも上がる……ただ、燃調を絞るということはそくブローの危険が増えるよ」
「うん、わかってる。走ってると感じてたよ、力が空回りする感じがあった」
燃調が濃ければ点火しにくくなり、回転も鈍くなる。薄ければ、自己着火などを起こしてブローに至る危険がある。
きめ細かで正確な制御ができるインジェクションと違い、キャブレターではどうしても大まかなセッティングしかできない。
いくらキャブ側でセッティングしても、アクセル操作のわずかなミスで燃料噴射が狂い、ブローさせてしまう危険がある。
だがそういったリスクと引き換えに、強力無比なパワーを発揮する。
悪魔のZが、速さを取り戻していく。
神奈川湾岸線、浮島料金所を過ぎてトンネルを抜けるころには、Zはすでに300km/hを超えて加速している。
今までは一般車がいないタイミングを狙って踏んでもトンネルを抜けるまでには280km/h程度までしか速度をのせられなかったが、今は明らかに加速力が上がっている。
9500回転まで引っ張ってもパワーが落ちない。
パワーバンドを考慮すると、純粋な加速競争ならシフトアップは早めに行う方が効率がいいが、たとえばバトルなどですり抜けをする場合は引っ張っていった方がシフトチェンジのロスを含めるといい。
5速をめいっぱい踏み切れば、おそらく350km/hに達するだろう。
それでも、そのスピードに追い付いてくる車がいる。
「速い……900馬力ってのは本当みたいだね」
JZA80スープラ。
相対速度からすると、おそらく280km/h前後で巡航してきた。Zをパスして前に出たスープラをなのはは追う。
後ろから見ると、動きが相当ダイレクトになっている。ボディが強化され、パワーをしっかり路面に伝えられるようになっている。
「FRでもこんなにトラクションかかるんだ……!」
同じタイミングで踏んでも、スープラがより早く加速体勢に移れる。Zはアクセルをラフに開けるとすぐにリアが滑ってしまい、パワーが逃げてしまう。
リアに荷重を移し、タイヤのグリップの範囲内で少しずつアクセルを開けていかないと、車体が前に進まない。
大黒ジャンクションから横羽線へ渡り、環状へ戻る。
加速、減速、旋回、スープラの性能はあらゆる面でZを上回っている。いや、現代のスポーツカーでZに負ける性能の車のほうが少ないだろう。どんなにチューンされていてもZは40年前の車だ。
横羽線の高速コーナーを、やや車間をあけてZとスープラは突き抜ける。
スープラの動きがよく見えるように、そして、次第に車間を狭めていく。
そして環状へ、浜崎橋ジャンクションを左へ折れ、環状外回りへ向かう。
連続するS字コーナーを駆け抜け、霞が関トンネルへ飛び込む。スープラの車体は路面に張り付いたように、スムーズに旋回していく。Zはリアを大きく振り出し、ドリフトアングルをとって姿勢を安定させる。
踏んでいって挙動を制御する。なのははZのパワーを、腰の奥に沁みるように感じていた。
「クロノさんのスープラ……あれを作った人は、このZを知っている……?」
加速する時、沈むリアタイヤとボディの動きが、ワンテンポおいて連動しているのが見える。
シャーシはサブフレームを組み込んで、ボディパネルは応力を受けないようにしている。
Zと同じだ。ガッチリと路面に食いつくシャーシは、モノコックボディでは出せないダイレクトさを持っている。
いわゆるレーシングカーの動き──路面の1センチの凹凸にさえ反応し、それでいて限界域での粘りもある。
それはあたかも、ドライバーを鍛えようと対話してくるかのようだ。
車が、話しかけてくる。声が、聞こえる。
湾岸線を下り、Zとスープラは大黒パーキングへ入った。
クロノは今夜は一人で乗っていた。
斜めに向かい合ったスペースに停め、車から降りる。
「そういえば、家どこでしたっけ?いつも帰るのはこっちからなんですか」
「横須賀だ。母親が基地勤めでね、実家……というか、日本での住まいは軍人住宅があるんだ」
「あ、そうだったんですか。私は海鳴なんで、ってことは帰り道は途中まで一緒ですね」
首都高から海鳴へ帰る場合は湾岸線をそのまま直進する。海鳴で降りずにさらに道なりに進むと、横須賀まで行き着く。
「こういう車に乗ってると、ご家族に心配されませんか?」
「君こそ」
クロノはそう言いかけて、ふと、なのはの顔を思索した。
「ああ、そうか──うちの店に来た娘たちが君のことを話していたんだ」
なのはは他の嬢たちがホストクラブに遊びに行こうと誘ってもあまり付き合いはしていなかった。
仕事が終わればすぐに家に帰って、走りに出るかZをいじるかしていたい。そっちのほうがずっと楽しい。
年頃の少女たちのように、休日は街へ遊びに、ということもない。
アリサなどからすればなんてもったいない、と思われることだが、なのはは今のところは、Zで走ること以上の楽しみはない状態だった。
「結構背伸びした子供だったんですね」
「そう言われてみると、そうかもしれないな」
「自分で言っておいてなんですけど、私は結構そういうとこあったと思うんです。
うちは両親共働きで、きょうだいも歳離れてたんで、その辺で自分が幼いっていう実感が無かったんですね。
高校入ったらもう一人暮らしするって、でバイトして生活費稼いで」
恭也も士郎も、自分の仕事柄、なのはにあまり気をつかわせないようにしていた。
なのはもそれを察していたから、自立できるようになったら早く独り立ちしよう、という気持ちがあった。
早朝の風が、海から静かに吹き寄せている。
秋も深まり、風は涼しくなってきた。
今まで、自分はどこを目指して走ってきたのか。これから先、自分はどこを目指して走っていくのか。
なのはは黙ってZに乗り込み、エンジンをかけて発進させた。
バックミラーにクロノとスープラの姿が小さくなっていく。
走り始めてから出会った者たち。ユーノ、フェイト、アルフ、ブラックバード。
そして、はやてとも再会した。ヴィータやシャマル、八神家の者たち。
悪魔のZをつくりあげた、ジェイル・スカリエッティ。
幼いころ、テレビの向こうで活躍していた、城島洸一。
彼らと出会って、自分の人生はどのような方向へ振れただろうか?彼らに出会わなければ、もっと違った年頃の娘らしい華やかな人生が待っていたのだろうか?
Zの車内に、キャブレターの噴射音が奏でられる。
ピークパワーだけではなく、ローブースト時の回転がとてもスムーズになった。
これならもっと速く走れる。直線加速だけではなくコーナーでも勝負できるようになる。
ステアリングを握り直し、シフトダウン、アクセルを踏み込む。
走り続ける。たとえどんな結果が待っていようと、前へ、走り続ける。
それがZの願い、そして自分の願い。
このZとともに、行き着くところまで行きたい。
おぼろげだった感情が、小さな決意へと変わっていく。
そしてそれは、ひとつの未来を選びとることと引き換えに、いくつかの未来を捨てる選択でもあった。
早朝の横浜湾岸線を、Zはなめらかに駆け抜けていく。
車はいなく、海には朝もやがかかっている。
力強いL28ツインターボの歌声が、海鳴市に流れている。