リリカルミッドナイトForce 予告(仮)
車の通りもまばらな、首都高湾岸線。
流れをわずかにリードする速度で、一台のポルシェが走っていた。
トラディショナルな舟形のボディながら、全高は低く抑えられ、ワイド&ローなフォルムをつくっている。
ヘッドランプユニットはボンネットにくいこむように補助ランプを配置し、涙目とも、威嚇ともとれる戦闘的な外観を見せる。
色は銀色。高速道路をぎらつくように照らす高圧ナトリウムランプの光に、塗装面の粒状が見える。
ポルシェ・911ターボ、996GT2。
最大出力は462馬力、量産車種ではオプション設定されていた4WDシステムを廃止することで軽量化し、ポルシェのロードゴーイングカーとして最強のスペック、公道最速を誇るモンスターマシンだ。
その最高速度は優に300km/hを超えるが、ポルシェの伝統的なRRレイアウトから挙動は気難しく、さらにこのGT2は4WDを廃して軽量化していることで重量配分もかなり後ろ寄りであり、高速域でのコントロール性はピーキーである。
ステアリングを握るのは、およそこのような凶悪な面構えの車には不釣合いに思えるほどの、幼げな顔立ちの少女だった。
やわらかい亜麻色のロングヘアを肩に流し、銀色のバングルを左腕にはめている。
本革巻きのカーボンコンポジット製ステアリングホイールは、素手で触れればいっきに侵食されてしまいそうな、殺気立った印象を持たせる。
しかし、少女はその細く華奢な手指で、996GT2のステアリングをしっかりと握り締めていた。
幅広タイヤを履くために大きく膨らんだリアフェンダーには、「STROSEK DESIGN」のステッカーが輝いている。
ポルシェの本国ドイツで、最高の栄誉あるポルシェチューナーとして知られる「シュトロゼック・デザイン」社のエンブレムロゴである。
ドライバーの少女の名はリリィ・シュトロゼック。
彼女は日本で、この996を最大限に走らせられる場所を探していた。そして、夜の湾岸という舞台を見つけたのだ。
ギアを3速にいれ、アクセルを踏み込んでいく。
996は240km/h程度まで一気に加速していき、そこでいったん速度を落とす。
道にはだいぶ慣れてきたつもりだったが、それでもこの車を限界域まで加速させていくのは容易な操作ではない。
ポルシェがドライバーに求めるレベルは非常に高い。ただ乗るだけなら乗りやすいが、いざ本気を出せば、ポルシェは、特に911は、突然にその表情を豹変させる。
ドイツのアウトバーンでも、制限速度が無いとはいえなかなか一般のドライバーは、そこまでスピードは出さないし出せない。
「私じゃ……だめなのかな……?この車をもっと乗りこなせる人でなきゃ……」
呻くように呟くリリィ。いかに彼女がシュトロゼックであろうとも、この996は少女がすぐに乗りこなせるような車ではない。
ふとバックミラーに目をやると、さっきまでいなかったはずのヘッドランプが近づいてくるのが見えた。
「嘘っ!?湾岸に入ってから他の車は追い越してない──追いついてきたの!?このスピードに……」
ヘッドランプは、古風な丸型二灯である。
色温度を低めにして視認性を高めたHIDランプの強烈な光が、996のテールとリリィの頬を眩しくあぶる。
近づいてくる相対速度からして、後ろの車はおそらく250km/h以上で走ってきた。
瞬く街灯に、かすかにシルエットが浮かび上がる。
それはリリィにとっては、もはや見慣れたフォルムであった。
「911!あれも同じポルシェ──!」
一方、996を前方に発見したドライバーも、かすかな期待と共にその後姿を見つめていた。
「996か──あのウイングはGT2だな。しかし走りの人間ではない──か──?」
特に飛ばして走っているわけではない様子を見てとると、リインはステアリングを左へ切り、すばやく中央車線へレーンチェンジした。
相手に動揺する暇を与えず、死角から音も無く抜き去る。
公道は一般車が走っている場所であり、無駄に煽っても危険なだけで意味はない。一般車の流れを壊さず、それでいて速く走る。
湾岸、首都高で走るにはその流れをつかむ感覚が必要だ。
そして見たところ、まだあの996のドライバーは、その流れをつかめるところまでは到達していない。
オーバーテイク。
リリィも、間近に迫ったそのポルシェ911の姿をはっきりと見た。
964型3.6ターボ。装着されたエアロパーツはカレラRS用のもので、これほどのスピードレンジでもしっかりと空力効果を持ち、ダウンフォースを発生させ車体を安定させる。
リリィも、日本に来るにあたって噂程度には聞いていた。
首都高湾岸線には、おそろしく速いポルシェターボがいる。
そして、そのポルシェと肩を並べるほどの速さを持つ、古い日本車がいる──
少年、トーマは、ふとしたきっかけでその車に出会った。
「これ、ポルシェですよね?なんて名前なんですか?」
少女、リリィは、彼の持つセンスに気づく。
「へぇー、ポルシェっていってもいっぱい種類があるんですね」
「はい。これは現行モデルのひとつ前、996っていう型なんです。他にも、993、964──とか、あります」
あのターボにもう一度会いたい。同じポルシェ乗りとして、このまま引き下がることはできない。
こちらはより新しい996型なんだ。旧型の964に負けたままではいられない。
「お嬢ちゃん、あのブラックバードを追ってるのかい?」
「ブラックバード……?山本さん、よければそのポルシェについて教えてくれますか」
チューナー・山本和彦も、リリィの持ち込んだ996に興味を持った。
「トーマ君だっけ、ユウジから君のことは聞いてるよ。カメラもいいが、車もまた魅力的だろ、特にチューンドカーは」
「ですね……。純粋に機能を追求した機械っていうのは共通してると思います」
「時には、機能を追求することが人間にとって扱いきれないモノを生み出してしまうこともある──」
ポルシェ・911ターボ。
それは日本の、いや世界中のスポーツカー愛好者にとって、永遠にかけがえの無い特別な存在だった。
「知ってるかい?アメリカでは911のことをウィドーメーカー(未亡人つくり)っていうんだよ。
乗る人間はみなすぐ死んで、家族があとに取り遺される──それほど危険な車と認知されてるんだ」
「姉貴は俺にも話してねェよ──小僧、お前にそのつもりがあるなら、心しておけ。お前は毒になるんだ──ポルシェターボという毒にな」
「それでも多くの人間の心を虜にし、引き換えにそいつの人生を吸い取る──たまらないじゃないか」
湾岸の黒い怪鳥、ブラックバード。
その二つ名で呼ばれるリインフォースこと八神リインも、自分を狙い飛び立とうとする者の存在を察知する。
「富永サンは930の頃から見てるんですよね」
「オレが16の頃だ。派手なアナウンスも宣伝もなく、東京モーターショーにひっそりと展示されていた初代ポルシェターボは、マット(つや消し)な銀色に塗装されていた──
ショーモデルとしてはあまりにも控えめに。オレはそこに製作者の戸惑いを感じ取った、本当に売っていいのかコレを──と。
それから毎日オレは考えたわけよ、あの機械に惹きつけられたわけを……ただ、あの車が持つ毒を感じ取っていたんだ」
引き返せないほど、のめりこむ。途中で降りることはできない。
「試作車は280馬力で最高速度280km/hとアナウンスされた。これは当時としては驚異的だ。
量産モデルは260馬力と少し常識的なスペックに仕立て直され、1975年発売開始──その毒を世界中に撒き散らし……そして認めさせた」
「毒、ですか」
「そうだ──ポルシェターボは、毒だ。それは新しくなった996でも変わらない。電子制御や4WD、とりあえず優しいフリしてるだけだ。
相変わらずその内側には正しくない機械がいる──ひと皮むけば毒の本性をあらわにする」
世に出たときから、ポルシェターボは世界中のスポーツカーたちにとっての基準となっていた。
新しくつくられるスポーツカーは、須らく当時のポルシェターボと比較された。
他のメーカーには真似できない、有無を言わせない圧倒的な高性能。
機械として精密に作りこまれたそれは、同様に機械としては最初から間違っていた。
このような車を作るなど、ましてや売るなど間違っている。
自然吸気モデルでぎりぎり、乗用車としての体裁を保っていた911は、ターボ化によってまったく別物の車へと変貌してしまった。
「スピードに魅せられた人間なら誰でも分かる──NAの911がRRとして正しくつくられた機械なら、911ターボは、あれはもう911じゃあナイ。
ポルシェターボはあらゆる意味で別格なんだ」
「それは──、それは、この996でも同じなんでしょうか。スカリエッティさん──」
世界中のメーカーが、チューナーが、走り屋が、ポルシェターボ撃墜を目指して走り出す。
それは日本車であっても同じだった。
日産、S30型フェアレディZ。
この小さな大衆グランドツーリングカーも、世界中でポルシェターボと競った。
そして、現代日本の首都高速道路でも。
金の剣十字──シュベルトクロイツを握りしめ、リインは前人未到の領域へ踏み込む。
最後は、あの悪魔を撃墜するために。
「最終的にあのZを追撃できるのはポルシェターボのみ──私はそう判断した。
だから君の911をチューンする。あのトーマとかいう坊やもじきに走り出す──迷っている暇は無いよ」
「わかりました──」
首都高の白い悪魔。
その伝説は、さらに続いていく。
リリカルミッドナイトForce 娘T○PE Vol.1から連載開始!