- ヨミ:イナオノ
長野県塩尻市にある塩尻市役所から車で153号を走行、善知鳥峠を越えた20分のところにある一地区。塩尻市の北小野、辰野町の南小野に分かれている。
風土歴史
- まず注目すべきなのは峠を越えたにもかかわらず未だに塩尻であること。地形からして小野はすでに伊那である。通常集落と集落を隔てる山を境に文化がガラリと変わるものだ。なぜこの地区は塩尻なのか。
- 小野地区から直線距離で若干東にある勝弦地区も塩尻市街地との隔てる山を登る場所があり、小野から勝弦まではなだらかな斜面であることから勝弦も伊那ということになる。勝弦は元々独立村だったが北小野村と合併し筑摩地村になってる関係で北小野地区の一部になってます。
- で、本題だがなぜ南北に分かれているのかということだが―
- だが北小野にある小野神社と弥彦神社抜きでは語れまい。
- 実は弥彦神社は塩尻市北小野ではない。では、神社の所属はどこなのかというと―
- 上伊那郡辰野町。
- バカYEY!辰野町はこの先だろうが!なんで神社だけ辰野なんだよ!って思ってるあなた、実はこれは歴史的に造られた飛び地なんですね、過去を遡ってみましょう。
歴史年表
- この地は昔―吾妻鏡に小野牧とあり古来憑の里(たのめのさと)と称し弥彦大明神の頼母祭とともに都まで聞こえていた。地理的に見ると松本平木曽と諏訪を結ぶ交通上の要に当たる。伊那街道として天正年間(1573~1592)塩尻宿から小野を通り伊那谷への道が開かれたがこの道筋はその以前からあた。徳川家康が中山道を開いた時に大久保石見守長安(おおくぼいわみのかみながやす)が木曽の桜沢から小野・岡谷を経て下諏訪ルート小野街道を強引に開いた。諏訪・高遠・飯田の各藩に命じて造らせた道だが大久保長安没後に生前の不正が発覚し遺子は切腹関係者は処分という事態になり長安の企画した小野街道は廃止され中山道は塩尻経由になた。
- 街道廃止は地元にとては困ることになる筈だがこの道は標高千㍍以上の牛頸峠を越え悪路で年々改修に金がかかる上、宿駅の運営も地元民の負担だたことからむしろ歓迎されたという。小野街道開設期間は十五年に過ぎなかった。小野駅から南が上伊那郡辰野町小野―旧小野村で北側は塩尻市北小野―旧筑摩地村だる。
昔は一つの部落で伊那の領域、飯田藩毛利将軍の支配下だったところで松本藩石川数正と飯田藩毛利秀頼の領地争いが起きた。この紛争に豊臣秀吉の裁きが下り
あれは天正18年(1590年)のことじゃった天正19年(1591)村の中央部に境界線が引かれ二つに分割す。北小野は筑摩へ、南小野は伊那に属すことになた。
地域の分割により北小野にある氏神の社域も分かれ、弥彦小野神社の境内も二つになり北小野の社は小野神社で建御名方命(たけみなかたのみこと)が祭神、南の辰野町小野弥彦沢の弥彦神社の氏神は大己貴命(おおなむちのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)及び建御名方命などの複神になった。
村も氏神も分かれたとはいえ同一の地域の宿場だったから合宿という特別の組織とし、旅人の入って来る側によって担当を定めた。地域の分割は必然的に両地区民の対立となり今に至るも合併というような機運に至ってねぇ。安政(1859)大火があり宿場は消失し現在旧小野村地籍に残る建物はその後のものだが豪壮な本棟造りの問屋、旅龍(龍は上に竹)、酒屋など昔をしのぶことができる。伊那側の猛運動で中央線がこの地を通ずることになり地域としてもそれに加わった筈だが停車場の設置については南北互いに土地がつぶれると相手方へ押しやろうとした。ようやく両村境の現在地旭(右にヽ)に決定、駅名は両村の共通の両+小野とした。互いに敬遠した駅だがその設置は地元の発展に大きく貢献した。戦前、第二の岡谷といわれる程度の製糸工場がたち盛況だった時代もあたが当時の面影はなくなた。近くから出た生石灰が専用貨物列車で運ばれたことも今では昔話、貨物取扱いは五十七年十月末に廃止され中央線塩尻峠直通については終始反対の立場だたが実施されるについてはその見返りにとコンコース兼用の待合室改善を要求、五十八年三
月に駅舎の一部が新しくなた。
簡素風に言うと
- あれは天正18年(1590年)のことじゃった。
- この地は信濃飯田藩藩主・毛利秀頼が支配する伊那の国でこの頃、小野はひとつの街だった。しかし、松本広域を支配していた松本藩藩主・石川数正がこの地に侵攻
- この地をめぐって毛利秀頼と石川数正との間に所領争いが勃発し辺りは緊張感が覆った。
- そこへ豊臣秀吉が仲裁に入り豊臣自身で分割を決めた。
- その結果、小野は筑摩郡小野村(北小野)と伊那郡小野村(南小野)に分割され、村は南北に分裂した。
- しかし南北との境界線が敷かれるとと南小野に神社がなくなってしまう。新たに神社を造る気がなかったのか当時あった弥彦小野神社も2分割し、境内北半分を筑摩郡に属す小野神社へ、残りの南半分を伊那郡に属す矢彦神社へとそれぞれ分かれた。
- このような経緯から現在でも弥彦神社だけ飛び地の中にある神社として親しまれている。
- その後北小野は勝弦村と合併したりして一度も南北統一することなく最終的に塩尻市へ編入された。
- 南小野も同様に雨沢村と合併したりして一度も一度も南北統一することなく最終的に辰野町へ編入された。南北統一だったら塩尻市北小野だけが辰野町南小野へ編入すればなることだが役所の位置とか行政サービスの相違で結局編入されないんだろうね。
- また北小野と南小野は別々の行政区でありながら様々な面で提携を結んでいる。
- 例えば辰野町小野にある両小野小学校を卒業すると通常は学区の関係から同一行政区内で生徒児童の自宅が学区内でその学区内にある中学校へ入学することになるのだが、近くの中学校といえば小野一帯には塩尻市域内の両小野中学しかないため辰野町域内で近い中学は辰野中学校しかない。ようするに南小野には小学校、北小野には中学校がそれぞれ1つしかない。伊那小野の場合は町域を越えて隣市の塩尻市にある両小野中学校へ入学できるようになっている。このため南小野に住む中学生は北小野の学校へ通えるし、逆も同じで北小野に住む小学生が南小野の学校へ通えるようになっているのだ。
- 交通は鉄道が通っているが後述する。鉄道駅は伊那小野駅しかない。
寸劇風なにまとめると
- あれは天正18年(1590年)のことじゃった。
- この地は信濃飯田藩藩主・毛利秀頼が支配する伊那の国でこの頃、小野は元々ひとつの集落だった。
- しかし、そんなある日だった。
- 松本広域を支配していた松本藩藩主・石川数正がこの地に侵攻
- 石川「ふははははは、小野郷はいただいた!」
- 毛利「なぁにを抜かすか!よそ者に小野はやれるか!」
- この地をめぐって石川と毛利が取り合いっこした。
- 豊臣「これこれ、どうしたんだ?」
- そこへ豊臣秀吉が仲裁介入
- 双方が事情を説明する
- 豊臣「ふむ、なるほろ~。じゃ、分割すりゃいいね。
- まず、小野を分割しよう。」
- 秀吉は地図を取り出した。
- 豊臣「ここの沢がある、この沢を殆ど境として、ツ~~っと。」
- 毛利「豊臣様、地域の民は弥彦神社を信仰しております!ここは我が飯田藩へ!」
- 石川「いや、我が松本藩へ!」
- 豊臣「ふむ、じゃ、神社も分割しよう!
- 神社の南側を四角く囲って、こっちが飯田じゃ!
- これで仲裁になっちゃろーがね」
- 毛利「豊臣様!これは敵の領内を通らねばなりませんぞ!」
- 石川「なぜ、我が領内にコヤツの領地を入れなアカンのですか!」
- 豊臣「やかましいぃ!文句があるならあの世の支度しやがれ!」
- こうして、小野は北小野と南小野に分割された。
小野地区と地域輸送
- 現在、当地区で唯一の駅はJR辰野線の伊那小野駅である。
- 当駅から南北境界線までは約200m前後である。
- バスは伊那小野駅から町営バス小野線が山奥の山口地区まで通っているが本数は極少。
- た・つ・のぉ~・ちょう・うぇい・ヴぁ~す!
- 北小野では地域振興バスが走っていないが2012年春頃に勝弦線を延長する形で駅まで北小野線を開通する予定。
- 『塩尻~(勝弦線並走)~勝弦詰所~勝弦西~秋葉神社下~上田公民館入口~弥彦神社~北小野支所前~大出公民館~伊那小野駅前~大出公民館~北小野支所前~弥彦神社~宮前公民館~両小野中学校入口~小野神社西~古町~古町公民館』になると思われていたが勝弦線を延伸して北小野線に改称なそして古町より先へ善知烏峠を越え塩尻市へ帰っていく。バスの運行形態は並行する辰野線需要に影響しないよう列車運行がない時間帯にズラしてある。開通してから初めて乗ったがすぐに乗れる塩尻行きの電車ねぇ一方で辰野行きには30分程度待っただけで乗れた、しかも通院用なのか終バス早いぜ。
- 2011年冬時点に運行されてないもんだった。どちらかと言うと地区内を福祉バスが3本運行しているらしい。で、2012.04.01から勝弦線を延伸さす格好で、北小野線の名として運行を開始した。「塩尻→(旧・勝弦線経路)→伊那小野駅→塩嶺峠→塩尻営業所→塩尻駅」のルートで運行されちょるんが、JR辰野線の収益に影響配慮して、電車が走らない時間帯に運行されてる。最終が早くなってしまったのは残念である。逆回りはないので注意してちょるすきーぬ。
その後の展開
- 合併問題について両集落内の人口30%が今のままでOKと答えた。
- 他は「どちらかに統合・編入したほうがよい25%」、「委員会などで時間をかけ検討20%」、「今更ヶ一緒になる必要はない19%くらい」、「次の国策・国によりゃ合併主導まで留保でよい6%」と答えた。
共通点
- 共通点
- =====塩尻市====辰野町
- 農協:JA塩尻市北小野 ∥JA辰野町小野
- 保育:北小野保育園 ∥小野保育所
- 教育:両小野中学校 ∥両小野小学校
- 郵便:北小野郵便局 ∥小野郵便局
- 図書:市立図書館分館 ∥町立小野図書館
- 医療:得陽堂医院 ∥両小野国保診療所
- 仏閣:祭林寺 ∥捜索中・・・
- 神社:小野神社 ∥弥彦神社
- 水道:勝弦浄化センター∥小野水処理センター
- 警察:北小野駐在所 ∥小野駐在所
- 消防:北小野分団 ∥小野分団
- ※医療は他にも小松歯科があり、神社も小野一帯に多数存在。
- ※警察管轄で南小野は伊那警察署、北小野は塩尻警察署の管轄になっていて上記通りそれぞれの行政区によって管轄が違う。同地区でありながら行政は別々だ。
関連項目
- 塩尻市
- 辰野町
- 小野郷
最終更新:2013年05月21日 21:57