乃絵と比呂美のあいだに2

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前[[乃絵と比呂美のあいだに]] 病院へ行くには、竹やぶのトンネルを抜けて海岸通りに出るのが一番早い。 (眞一郎くん!!) 逢いたい、今すぐ眞一郎に逢いたい!! 比呂美の両脚は普段以上の力を発揮して、悪路を駆け抜けていく。 ……その時…… …………ガサガサッ…ガサッ……ザザッ………… 右側の竹やぶが不穏な音を立てて揺れ、何か塊の様なものが滑り降りてくる。 「!!」 バスケで鍛えた反射神経が反応して、頭が命じるより早く、比呂美の身体は止まった。 塊は人だった。見覚えのあるライトグリーンのコート………… 「比呂美っ!!」 息も絶え絶えの眞一郎が、比呂美の視界に飛び込んでくる。 突然のことに呆然としている比呂美を抱きしめようとする眞一郎だったが、 何かが彼の心にブレーキを掛け、その動作を止めさせる。 比呂美には、それが眞一郎の答えだと思えたが、もう決意が挫けることはなかった。 「母さんが…ハァ、ハァ……比呂美が…血相変えて…飛び出していったって……」 どうやら、おばさんが眞一郎の携帯に連絡して、遭遇を演出したらしい。 (おばさんったら……) 心遣いが嬉しかった。 最短距離を疾走してきたのか、眞一郎はまだ息が整わない様子である。 眞一郎の回復を待っている間に、ふと、辺りを見回す比呂美。 (……そういえば……) 偶然か、それとも必然か……この竹やぶは比呂美の恋が始まった場所だ。 終わるなら……ここが一番ふさわしいかもしれない。 ………… 「石動さん……お加減どうだった?」 「…………」 荒い呼吸が治まってきた眞一郎に問い掛ける比呂美。だが返事はない。 ただ真っ直ぐに……眞一郎は視線を比呂美の両眼に合わせてくる。 「比呂美っ!俺!!」 「待って!!!」 眞一郎の叫びを、もっと大きな比呂美の絶叫が遮る。 眞一郎は『ちゃんと』するつもりだ。どんな形、どんな結果にせよ、約束を守って『ちゃんと』してくれる。 …………でも………… 眞一郎に『してもらう』のは、もう駄目だ。自分が……自分から『ちゃんと』しなければ!! ………… 声の迫力に気圧されて絶句している眞一郎に、比呂美は静かに、だがハッキリと告げる。 「眞一郎くん……先に……私が『ちゃんと』したい」 「眞一郎くん……私ね……」 比呂美は静かに、秘めていた想いを……本当の自分を眞一郎に向けて解き放ち始める。 夏祭りの日、見つけてくれたあの日から……眞一郎に頼りきっていた自分…… それが当たり前なのだと、考えていた自分…… 何もしなくても、眞一郎が助けてくれると思っていた…ズルい自分…… だから…眞一郎に何かをしてあげられる乃絵が嫌いだった。 『兄妹』かもしれない、という壁に阻まれている自分を尻目に、 どんどん眞一郎の中へ入り込んでいく乃絵が憎かった。 眞一郎が『乃絵となら飛べる』ことに、気がついてしまうのが怖かった。 ……置いていかれるのが……怖かった…… 「……比呂美…」 「4番にね…『仲上に付き合えと頼まれた』って聞かされた時……辛かった……死んじゃいたいって思うくらい…」 比呂美の部屋に、初めて眞一郎が入ったあの時……別の何かを期待していた。 でも裏切られて……自分の嘘が原因なのに……悲しくて…… 自棄になって……好きでもない人と付き合って…… そうしたら、また眞一郎が遠退いていって……もっと悲しくなって…… 「おばさんにお母さんの事で責められて……私、ホッとしてた……これで眞一郎くんから逃げ出せるって……」 「…………」 でも眞一郎は必死で追いかけて来てくれた……抱きしめてくれた…… ……嬉しかった……嬉しかった…………本当に…嬉しかった…… 兄妹でも構わない、この人の側にいたい……ずっと…ずっと一緒にいたい……そう願った。 その後すぐ、血の繋がりなど無いと知らされて、想いは止まらなくなった。 でもまだ……自分から飛び込むのは怖くて……眞一郎に追いかけさせる、ズルいやり方を選んでしまった。 「勝ったと思ったの。石動さんから眞一郎くんの心を取り戻したんだって…………でも……違った……」 「…………」 部屋で二人になっても、海に散歩に出掛けても、……唇を重ねても……眞一郎の中から乃絵は消えなかった。 手遅れだったんだ……そう気がついても、待つことしか知らない自分には何も出来なかった。 そして麦端祭り…… 二人の絆を見せ付けられて……置いていかれて…………思い知らされた……。 自分で決める『フリ』だけして……全部、眞一郎に決めさせてきた……飛べない自分に罰が下ったんだって…… 眞一郎は身じろぎもせず、比呂美の想いを受け止めていた。 こんな自分に、眞一郎は真剣に向き合ってくれる……それだけで、比呂美の心は充分に満たされた。 ……あとは……この『想い』を……大きくて、持ちきれない……消せない愛を、眞一郎に……伝えたい…… 「こんなの……もう意味は無いんだって分かってる……でもね……やっぱり眞一郎くんに聞いて欲しい……」 比呂美の震える唇が、彼女の心の全てを載せた言葉を紡ぎだそうとする。 それは、比呂美が本当の意味で、自分の意志で道を選んだ瞬間だった。 「…………私…………私、眞一郎くんのことが!」 その時、話を聞いていた眞一郎が、比呂美との距離を一気に詰め、その身体を抱きしめた。 「!!!!」 抱擁で告白を遮られた比呂美は、刹那、絶望した。……自分は……想いを伝える事さえ許されないのかと……。 だが、悲しみに沈みかけた比呂美の心に、眞一郎の穏やかな声が、まるで福音のように響く。 「……その先の言葉……ちょっとだけ待ってくれ。……俺が、比呂美に『ちゃんと』してから……聞きたい……」 自分自身に向き合い、答えを見つけた比呂美を目にし、眞一郎は思った。 次は自分の番だと。比呂美に全てを……自分の全部を見せる! ……そして、想いを伝えるのは……ふたり一緒でなければ意味がない。……そう、眞一郎は確信していた。 一旦身体を離し、比呂美の目を見つめ直すと、眞一郎は話し始めた。 「ここだよな。あの時の場所……」 その短い言葉だけで、比呂美には眞一郎が何を言いたいのか分かった。黙ってコクリと頷く。 「俺……ずっとお前に謝りたかった」 あの時のこと……ちょっとした悪戯のつもりだったのに……自分は比呂美の心を深く傷つけた。 …………泣かせてしまった………… 下駄を探しに行く事は許してもらえなくて……おぶって歩く力は、まだ無くて…… どうしたらいいのか分からず……比呂美と同じように、片方を裸足にして歩くことしか出来なかった。 ……でも……比呂美はそれを喜んでくれた……笑ってくれた…… 「あの時……俺は決めたのかもしれない……比呂美を…ずっと笑顔にするんだって……」 「…………」 なのに……現実は逆だった。 笑顔になんて出来なかった……自分には何の力も無かったから…… 涙を流さず泣いている比呂美を、ただ見ていることしか出来なかった…… 本当は出来たのに……出来ないと思い込むことが、余計に比呂美を泣かせている事にも気づかなかった。 「そんな時に、アイツが…乃絵が現れたんだ」 「…………」 最初は変な奴だと思った。頭がおかしいに違いないと。 でも、親しくなるにつれて、深く話していくにつれて、乃絵への感情は変わっていった。 乃絵が口にした『飛ぶ』という単語が、心に引っ掛かった。 ……そして……比呂美に乃絵の兄貴が好きだと聞かされて…… 嫉妬して、苛立って、……でもそれが比呂美の望みなら、と思い直して…… なのに4番との仲立ちをしても、比呂美は笑ってくれなくて…… おまけに突然、比呂美と兄妹かもしれない、なんて言われて…… 自分の気持ちも、周りの状況も、どんどんグチャグチャになって…… 「混乱してる俺を見て、乃絵は『一緒に考えたい』って言ってくれた」 「…………」 その頃から、乃絵が自分に向けてくる感情に気づきはじめた。 自分のために用意してくれる弁当。自分のためにした比呂美との喧嘩。 そして、それが確信へと変わったとき……自分が乃絵を大切に思っていることにも気づいた。 「俺は乃絵が好きなんだ…………そう…思うことにしたんだ……」 黙って耳を傾けていた比呂美の表情が曇り、唇が噛み締められた。 自分はあと何度、比呂美を悲しませるのか……それを思うと、僅かながら決心が揺らぐ。 だが、これは避けられない事。比呂美と本当の意味で向き合う為には必要な事なのだ。 気持ちを奮い立たせ、眞一郎は話を続けた。 「でもさ……お前を…お前を諦めることなんて、出来るわけなかった」 比呂美が4番のバイクに乗って消えた時……家を出るといった時…… ……夢中だった。何も考えずに後を追った。 絶対に手放したくないモノ、それが何なのか……思い知った。 …………なのに………… 比呂美と気持ちが通じ合った後も、乃絵が自分の中から消えなかった。 自分は比呂美を一番大切に想っているはずなのに…… ……どうしても……乃絵の事が頭から離れない…… 自分の気持ちが自分で分からない……自分に向き合うことが出来ない…… …………向き合うことが…怖い…… 「ちゃんとするって言ったのに、何もちゃんと出来ない。……でも……それは俺だけじゃなかった」 祭りの前夜、いなくなった乃絵を見つけた時……聞いてしまった。 自分は飛べない……そう力無く呟く乃絵の声を…… 「アイツは……とっくに気づいてたんだ、俺の本心に。そして乃絵も、決める事を怖がっていた……」 ………家に帰って考えた……比呂美のいた部屋で……考えて……考えて……考えて…… ………… 「分かったんだ。俺が本当にしたいこと。俺がアイツにしてやれること。しなければならないこと」 ……それは自分が『飛んで』みせること…… 自分が何に向き合って、自分が何を選んで、自分が何を決めたのか……見せること。 乃絵自身にもそれが出来るのだと……飛ぶことが出来るのだと……彼女自身に分からせること。 ………… ……約束を果たそう……そう思った。乃絵とした二つの約束を。 その時、『雷轟丸と地べたの物語』のラストが見えた。 麦端踊りの本番……乃絵のために、舞の全てに魂を込めると決めた。 乃絵のお陰で自分は飛べた!その事を見せたかった! ……比呂美を傷つける……それを承知の上で…………その方法しか、自分には無かったから…… 黙って聞いていた比呂美の口から、吐息のように声が漏れる。 「……石動さんは……『飛べた』の?」 眞一郎は、優しい眼差しでゆっくりと頷く。 「……飛べた……俺も一緒に『飛んだ』。…………さよなら……したんだ。二人で」 乃絵との終焉を告げる眞一郎の言葉に、比呂美の心が激しく揺れる。 「俺は……不器用だからさ……乃絵と『ちゃんと』するまでは、お前と向き合えなかった……」 「…………」 消えると思っていた恋が……終わると覚悟してた愛が……また…繋がっていく…予感…… 比呂美は胸を震わせて、眞一郎の言葉を聞いていた。 「俺、『ちゃんと』した。……ちゃんと出来たんだ……   だから……俺が何を決めたか、何をしたいか……お前に……比呂美に聞いて欲しい……」 一陣の風が吹きぬけ、竹のトンネルをサワサワと鳴らす。 その隙間から差し込む蒼い月光が、両眼いっぱいに蓄えられた比呂美の涙を、キラキラと光らせていた。 「引越しの前に見た絵のこと……覚えてるか?」 身体を喜びで震わせながら、頷く比呂美。 忘れるはずがない。……比呂美が初めて目にした眞一郎の絵……とても奇麗な絵…… 赤く染まった空……とても広い空が、大粒の涙を流して泣いていた…… そして、その空を見上げる少女の後ろ姿…… きっと……きっと泣いている…少女の…… 彼女は自分なのだと、比呂美には分かっていた。 何度も、何度も塗り重ねられた絵の具と紙の傷み具合…… それが自分を見つめ続けてくれた、眞一郎の時間の長さを物語っていた。 書き添えられた文章も、ハッキリと思い出せる。 ………… 「……ぼ…僕の……中の…き、君は…………いつ……いつも泣い……グスッ………泣いていて……」 浮かんでくる言の葉を紡ぎだそうとする比呂美だったが、こみ上げてくる嗚咽が、その声を詰まらせる。 眞一郎はその後を引き受け、自分の『想い』を比呂美に告げた。 「……君の涙を…………僕は…拭いたいと思う……」 比呂美の頬に眞一郎のしなやかな指が伸ばされ、零れ落ちる透明な雫を優しく拭った。 「……君の…………比呂美の…涙を……」 「!!!!」 互いの身体全体をぶつけ逢う様にして、眞一郎と比呂美は抱き逢った。 どちらからともなく求め逢う……相手の唇…… 溶け逢い、交じり逢う……眞一郎と比呂美の気持ち。 伝え逢う、お互いの存在と温もり…… ……そして……二人の内側からこみ上げ、溢れ出す、気持ち………… 「……比呂美…愛してる……ずっと、ずっと前から…お前が好きだった」 「……私も……私も…ずっと前からあなたが好き……眞一郎くん……愛してる……」 ………… ………… 風に揺られる笹の葉の音が、柔らかいメロディとなって二人を包み込む。 世界が奏でる優しい音楽を聞きながら、眞一郎と比呂美は、時間を忘れて抱き逢った。 もう決して離さない……もう決して離れない…… 誰かにではなく、自分たちの心に宣言する揺ぎない決意。 …………二人で向き合い、二人で決めた………… それが仲上眞一郎と湯浅比呂美が共に見つけた、『飛ぶ』ことの答えだった。 つづく
前[[乃絵と比呂美のあいだに]] 病院へ行くには、竹やぶのトンネルを抜けて海岸通りに出るのが一番早い。 (眞一郎くん!!) 逢いたい、今すぐ眞一郎に逢いたい!! 比呂美の両脚は普段以上の力を発揮して、悪路を駆け抜けていく。 ……その時…… …………ガサガサッ…ガサッ……ザザッ………… 右側の竹やぶが不穏な音を立てて揺れ、何か塊の様なものが滑り降りてくる。 「!!」 バスケで鍛えた反射神経が反応して、頭が命じるより早く、比呂美の身体は止まった。 塊は人だった。見覚えのあるライトグリーンのコート………… 「比呂美っ!!」 息も絶え絶えの眞一郎が、比呂美の視界に飛び込んでくる。 突然のことに呆然としている比呂美を抱きしめようとする眞一郎だったが、 何かが彼の心にブレーキを掛け、その動作を止めさせる。 比呂美には、それが眞一郎の答えだと思えたが、もう決意が挫けることはなかった。 「母さんが…ハァ、ハァ……比呂美が…血相変えて…飛び出していったって……」 どうやら、おばさんが眞一郎の携帯に連絡して、遭遇を演出したらしい。 (おばさんったら……) 心遣いが嬉しかった。 最短距離を疾走してきたのか、眞一郎はまだ息が整わない様子である。 眞一郎の回復を待っている間に、ふと、辺りを見回す比呂美。 (……そういえば……) 偶然か、それとも必然か……この竹やぶは比呂美の恋が始まった場所だ。 終わるなら……ここが一番ふさわしいかもしれない。 ………… 「石動さん……お加減どうだった?」 「…………」 荒い呼吸が治まってきた眞一郎に問い掛ける比呂美。だが返事はない。 ただ真っ直ぐに……眞一郎は視線を比呂美の両眼に合わせてくる。 「比呂美っ!俺!!」 「待って!!!」 眞一郎の叫びを、もっと大きな比呂美の絶叫が遮る。 眞一郎は『ちゃんと』するつもりだ。どんな形、どんな結果にせよ、約束を守って『ちゃんと』してくれる。 …………でも………… 眞一郎に『してもらう』のは、もう駄目だ。自分が……自分から『ちゃんと』しなければ!! ………… 声の迫力に気圧されて絶句している眞一郎に、比呂美は静かに、だがハッキリと告げる。 「眞一郎くん……先に……私が『ちゃんと』したい」 「眞一郎くん……私ね……」 比呂美は静かに、秘めていた想いを……本当の自分を眞一郎に向けて解き放ち始める。 夏祭りの日、見つけてくれたあの日から……眞一郎に頼りきっていた自分…… それが当たり前なのだと、考えていた自分…… 何もしなくても、眞一郎が助けてくれると思っていた…ズルい自分…… だから…眞一郎に何かをしてあげられる乃絵が嫌いだった。 『兄妹』かもしれない、という壁に阻まれている自分を尻目に、 どんどん眞一郎の中へ入り込んでいく乃絵が憎かった。 眞一郎が『乃絵となら飛べる』ことに、気がついてしまうのが怖かった。 ……置いていかれるのが……怖かった…… 「……比呂美…」 「4番にね…『仲上に付き合えと頼まれた』って聞かされた時……辛かった……死んじゃいたいって思うくらい…」 比呂美の部屋に、初めて眞一郎が入ったあの時……別の何かを期待していた。 でも裏切られて……自分の嘘が原因なのに……悲しくて…… 自棄になって……好きでもない人と付き合って…… そうしたら、また眞一郎が遠退いていって……もっと悲しくなって…… 「おばさんにお母さんの事で責められて……私、ホッとしてた……これで眞一郎くんから逃げ出せるって……」 「…………」 でも眞一郎は必死で追いかけて来てくれた……抱きしめてくれた…… ……嬉しかった……嬉しかった…………本当に…嬉しかった…… 兄妹でも構わない、この人の側にいたい……ずっと…ずっと一緒にいたい……そう願った。 その後すぐ、血の繋がりなど無いと知らされて、想いは止まらなくなった。 でもまだ……自分から飛び込むのは怖くて……眞一郎に追いかけさせる、ズルいやり方を選んでしまった。 「勝ったと思ったの。石動さんから眞一郎くんの心を取り戻したんだって…………でも……違った……」 「…………」 部屋で二人になっても、海に散歩に出掛けても、……唇を重ねても……眞一郎の中から乃絵は消えなかった。 手遅れだったんだ……そう気がついても、待つことしか知らない自分には何も出来なかった。 そして麦端祭り…… 二人の絆を見せ付けられて……置いていかれて…………思い知らされた……。 自分で決める『フリ』だけして……全部、眞一郎に決めさせてきた……飛べない自分に罰が下ったんだって…… 眞一郎は身じろぎもせず、比呂美の想いを受け止めていた。 こんな自分に、眞一郎は真剣に向き合ってくれる……それだけで、比呂美の心は充分に満たされた。 ……あとは……この『想い』を……大きくて、持ちきれない……消せない愛を、眞一郎に……伝えたい…… 「こんなの……もう意味は無いんだって分かってる……でもね……やっぱり眞一郎くんに聞いて欲しい……」 比呂美の震える唇が、彼女の心の全てを載せた言葉を紡ぎだそうとする。 それは、比呂美が本当の意味で、自分の意志で道を選んだ瞬間だった。 「…………私…………私、眞一郎くんのことが!」 その時、話を聞いていた眞一郎が、比呂美との距離を一気に詰め、その身体を抱きしめた。 「!!!!」 抱擁で告白を遮られた比呂美は、刹那、絶望した。……自分は……想いを伝える事さえ許されないのかと……。 だが、悲しみに沈みかけた比呂美の心に、眞一郎の穏やかな声が、まるで福音のように響く。 「……その先の言葉……ちょっとだけ待ってくれ。……俺が、比呂美に『ちゃんと』してから……聞きたい……」 自分自身に向き合い、答えを見つけた比呂美を目にし、眞一郎は思った。 次は自分の番だと。比呂美に全てを……自分の全部を見せる! ……そして、想いを伝えるのは……ふたり一緒でなければ意味がない。……そう、眞一郎は確信していた。 一旦身体を離し、比呂美の目を見つめ直すと、眞一郎は話し始めた。 「ここだよな。あの時の場所……」 その短い言葉だけで、比呂美には眞一郎が何を言いたいのか分かった。黙ってコクリと頷く。 「俺……ずっとお前に謝りたかった」 あの時のこと……ちょっとした悪戯のつもりだったのに……自分は比呂美の心を深く傷つけた。 …………泣かせてしまった………… 下駄を探しに行く事は許してもらえなくて……おぶって歩く力は、まだ無くて…… どうしたらいいのか分からず……比呂美と同じように、片方を裸足にして歩くことしか出来なかった。 ……でも……比呂美はそれを喜んでくれた……笑ってくれた…… 「あの時……俺は決めたのかもしれない……比呂美を…ずっと笑顔にするんだって……」 「…………」 なのに……現実は逆だった。 笑顔になんて出来なかった……自分には何の力も無かったから…… 涙を流さず泣いている比呂美を、ただ見ていることしか出来なかった…… 本当は出来たのに……出来ないと思い込むことが、余計に比呂美を泣かせている事にも気づかなかった。 「そんな時に、アイツが…乃絵が現れたんだ」 「…………」 最初は変な奴だと思った。頭がおかしいに違いないと。 でも、親しくなるにつれて、深く話していくにつれて、乃絵への感情は変わっていった。 乃絵が口にした『飛ぶ』という単語が、心に引っ掛かった。 ……そして……比呂美に乃絵の兄貴が好きだと聞かされて…… 嫉妬して、苛立って、……でもそれが比呂美の望みなら、と思い直して…… なのに4番との仲立ちをしても、比呂美は笑ってくれなくて…… おまけに突然、比呂美と兄妹かもしれない、なんて言われて…… 自分の気持ちも、周りの状況も、どんどんグチャグチャになって…… 「混乱してる俺を見て、乃絵は『一緒に考えたい』って言ってくれた」 「…………」 その頃から、乃絵が自分に向けてくる感情に気づきはじめた。 自分のために用意してくれる弁当。自分のためにした比呂美との喧嘩。 そして、それが確信へと変わったとき……自分が乃絵を大切に思っていることにも気づいた。 「俺は乃絵が好きなんだ…………そう…思うことにしたんだ……」 黙って耳を傾けていた比呂美の表情が曇り、唇が噛み締められた。 自分はあと何度、比呂美を悲しませるのか……それを思うと、僅かながら決心が揺らぐ。 だが、これは避けられない事。比呂美と本当の意味で向き合う為には必要な事なのだ。 気持ちを奮い立たせ、眞一郎は話を続けた。 「でもさ……お前を…お前を諦めることなんて、出来るわけなかった」 比呂美が4番のバイクに乗って消えた時……家を出るといった時…… ……夢中だった。何も考えずに後を追った。 絶対に手放したくないモノ、それが何なのか……思い知った。 …………なのに………… 比呂美と気持ちが通じ合った後も、乃絵が自分の中から消えなかった。 自分は比呂美を一番大切に想っているはずなのに…… ……どうしても……乃絵の事が頭から離れない…… 自分の気持ちが自分で分からない……自分に向き合うことが出来ない…… …………向き合うことが…怖い…… 「ちゃんとするって言ったのに、何もちゃんと出来ない。……でも……それは俺だけじゃなかった」 祭りの前夜、いなくなった乃絵を見つけた時……聞いてしまった。 自分は飛べない……そう力無く呟く乃絵の声を…… 「アイツは……とっくに気づいてたんだ、俺の本心に。そして乃絵も、決める事を怖がっていた……」 ………家に帰って考えた……比呂美のいた部屋で……考えて……考えて……考えて…… ………… 「分かったんだ。俺が本当にしたいこと。俺がアイツにしてやれること。しなければならないこと」 ……それは自分が『飛んで』みせること…… 自分が何に向き合って、自分が何を選んで、自分が何を決めたのか……見せること。 乃絵自身にもそれが出来るのだと……飛ぶことが出来るのだと……彼女自身に分からせること。 ………… ……約束を果たそう……そう思った。乃絵とした二つの約束を。 その時、『雷轟丸と地べたの物語』のラストが見えた。 麦端踊りの本番……乃絵のために、舞の全てに魂を込めると決めた。 乃絵のお陰で自分は飛べた!その事を見せたかった! ……比呂美を傷つける……それを承知の上で…………その方法しか、自分には無かったから…… 黙って聞いていた比呂美の口から、吐息のように声が漏れる。 「……石動さんは……『飛べた』の?」 眞一郎は、優しい眼差しでゆっくりと頷く。 「……飛べた……俺も一緒に『飛んだ』。…………さよなら……したんだ。二人で」 乃絵との終焉を告げる眞一郎の言葉に、比呂美の心が激しく揺れる。 「俺は……不器用だからさ……乃絵と『ちゃんと』するまでは、お前と向き合えなかった……」 「…………」 消えると思っていた恋が……終わると覚悟してた愛が……また…繋がっていく…予感…… 比呂美は胸を震わせて、眞一郎の言葉を聞いていた。 「俺、『ちゃんと』した。……ちゃんと出来たんだ……   だから……俺が何を決めたか、何をしたいか……お前に……比呂美に聞いて欲しい……」 一陣の風が吹きぬけ、竹のトンネルをサワサワと鳴らす。 その隙間から差し込む蒼い月光が、両眼いっぱいに蓄えられた比呂美の涙を、キラキラと光らせていた。 「引越しの前に見た絵のこと……覚えてるか?」 身体を喜びで震わせながら、頷く比呂美。 忘れるはずがない。……比呂美が初めて目にした眞一郎の絵……とても奇麗な絵…… 赤く染まった空……とても広い空が、大粒の涙を流して泣いていた…… そして、その空を見上げる少女の後ろ姿…… きっと……きっと泣いている…少女の…… 彼女は自分なのだと、比呂美には分かっていた。 何度も、何度も塗り重ねられた絵の具と紙の傷み具合…… それが自分を見つめ続けてくれた、眞一郎の時間の長さを物語っていた。 書き添えられた文章も、ハッキリと思い出せる。 ………… 「……ぼ…僕の……中の…き、君は…………いつ……いつも泣い……グスッ………泣いていて……」 浮かんでくる言の葉を紡ぎだそうとする比呂美だったが、こみ上げてくる嗚咽が、その声を詰まらせる。 眞一郎はその後を引き受け、自分の『想い』を比呂美に告げた。 「……君の涙を…………僕は…拭いたいと思う……」 比呂美の頬に眞一郎のしなやかな指が伸ばされ、零れ落ちる透明な雫を優しく拭った。 「……君の…………比呂美の…涙を……」 「!!!!」 互いの身体全体をぶつけ逢う様にして、眞一郎と比呂美は抱き逢った。 どちらからともなく求め逢う……相手の唇…… 溶け逢い、交じり逢う……眞一郎と比呂美の気持ち。 伝え逢う、お互いの存在と温もり…… ……そして……二人の内側からこみ上げ、溢れ出す、気持ち………… 「……比呂美…愛してる……ずっと、ずっと前から…お前が好きだった」 「……私も……私も…ずっと前からあなたが好き……眞一郎くん……愛してる……」 ………… ………… 風に揺られる笹の葉の音が、柔らかいメロディとなって二人を包み込む。 世界が奏でる優しい音楽を聞きながら、眞一郎と比呂美は、時間を忘れて抱き逢った。 もう決して離さない……もう決して離れない…… 誰かにではなく、自分たちの心に宣言する揺ぎない決意。 …………二人で向き合い、二人で決めた………… それが仲上眞一郎と湯浅比呂美が共に見つけた、『飛ぶ』ことの答えだった。 つづく

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