体育館にて。 「え!?練習休み?」 「……う、うん、今日はちょっと……体調悪くて。……みんなに、伝えておいて」 「めずらしいね、比呂美が練習休むなんて。今日は朝練にも昼練にも来なかったじゃない」 「……う、うん、そ、その……あ、足とか腰とか、痛くて……」 うつむき加減になっている比呂美の、思いつめたような顔をのぞきこみながら、朋与は心配そうに尋ねた。 「ふうん、なに?今日は女の子の日とか?」 「あ……。……そ、そう、……う、うん、そ、そうなの、そう……」 歯切れ悪そうに、ごにょごにょと比呂美は呟いた。目をそらしているのは、彼女が嘘をつく時のいつもの癖だ。 「……ははあん、……わかった。また仲上君とのこと?」 眞一郎の名前を聞いて、はっと比呂美が顔をあげる。 その、さっと赤くなった頬に、朋与は納得して言葉を続けた。 「ほんと、あいつ鈍いよねー。ひどいよねえ。比呂美さんがこんなにも待ってるっていうのに」 「ち、ちが……」 「まあ、いいからいいから、この朋与さんにはすべてわかってるから。で、それで?あいつなにしたの?」 朋与は友人を思いやるせいいっぱいの笑顔を浮かべて、比呂美の肩をぽんぽんと叩いた。 比呂美は、びくんと一度体をふるわせたあと、力なく微笑みを浮かべた。あきらかな愛想笑いというやつだ。 「んふ、わかってないのはあなたじゃないの?」 そこに、後ろから大人びた声がかる。 「あ、キャプテン」 高岡が、チームメイトを引き連れながら、こちらにやってきた。 高岡は、朋与の首に後ろから腕をまわして、自分のところに引き寄せながら、 比呂美に向って優しい声で語りかける。 「いいのよ、比呂美。今日はゆっくり休みなさい。帰っていいのよ」 「あ、ありがとうございます。キャプテン」 「ちょ、ちょっとキャプテン、私達、まだ話が」 「いいから。じゃ、いきなさい、比呂美」 「はい」 比呂美はよたよたと危うげな足取りで、体育館を出ていった。 心配そうにそれを見送った朋与が、高岡に抗議の声をあげる。 「キャプテン!いいんですか!?比呂美をほっといて」 「……あなた、ほんとうにわかってないのね……」 高岡は心底呆れたといった顔でため息をついた。しかし、何故か高岡キャプテンの顔はほんのり赤い。 「……え?」 気がついて見渡すと、高岡ばかりでなく、周りのメンバーも似たような表情を浮かべていた。 どこか遠いところをみるような目をして、ほんのりと顔を赤らめたメンバー達。 「???ど、どうしたの、みんな?」 「比呂美!!」 体育館からふらふらした足取りで出てきた比呂美に向かって、 眞一郎は大きな声で彼女の名前を呼んだ。それから、彼女に向って急いで走り寄っていく。 夕暮れ迫る校庭に、二人の長い影が伸びる。やがて二つの影が寄り添うところで、 眞一郎はもう一度彼女の名前を呼んだ。 「比呂美」 「眞一郎くん……」 顔を上げた比呂美の大きな瞳に、ちょっとだけ眞一郎はたじろぐ。 まだ、二人でじっと見つめあうのには、少しだけ慣れない。 熱を持ちはじめた頬を軽く掻きながら、眞一郎はややうわずった声で比呂美に尋ねた。 「きょ、今日は練習に出ないのか?」 「……う、うん……」 「そ、……そうか」 眞一郎はうなづいて、それきりそのまま黙ってしまう。 やがて、今度は比呂美がおずおずと眞一郎の顔をうかがいながら口を開いた。 「し、眞一郎くんは、わたしを待っていてくれたの?」 「あ……、あ、うん、きょ、今日は暇だったから」 「そ、……そうなんだ」 「じゃ、帰ろか」 それっきり、二人とも口を閉ざしてしまう。 おだやかな暮色に包まれながら、二人はゆっくりと帰りの長い坂道を下っていく。 しかし、歩くうちに、やがて比呂美の足取りが遅れがちになっていった。 俺、なんて口べたなんだろう、と眞一郎は考える。 伝えたい言葉はたくさんあるけれど、うまく言葉になってくれない。 でも、ここは、やっぱもっと俺がしっかりしなきゃ駄目なんだろうな。 よし―。 眞一郎は思い切って立ち止まり、振り返って、比呂美の顔をのぞくようにして訊ねた。 「比呂美、どうした?体調悪そうだけど……」 今日の比呂美は何故か変な調子だった。いつもの元気な比呂美じゃない。 ずっとぐったりした調子で、いまも弱々しく体を引きずるような足取りで歩いている。 何か、不安に思うことがあったんだろうか? こういう時、女の子はとても不安になると聞いたことがある気がする。 「今日、ずっと体調悪そうだったよね。比呂美、どうしたんだい?」 夕陽に照らされ、比呂美の伏せた顔からは表情が読み取れない。 つとめて優しく、眞一郎は比呂美に声をかける。 「何か、俺、比呂美が不安になるような感じだったかな?」 「……え?」 「心配しなくても、俺、絶対比呂美が大事だから」 「え?え?」 比呂美はぱちくりと大きく瞳を開いて、驚きの表情を見せた。 「俺、ほんとに、ほんとに比呂美が大事だから!!」 「ちょ……ちょっと待って眞一郎くん」 勢いよく詰め寄る眞一郎を抑えるように、比呂美が手を挙げる。 それから、ふうっと比呂美は深呼吸をして、言った。 「……あ、あの、そうじゃなくて……」 「じゃ、なんだんだ?」 またしばらくの沈黙。 そして、比呂美はもじもじとちぢこまって顔を赤らめながら、意を決したようにぽつりと言った。 「……まだ、痛いの……」 「はあ!?」 「……なんだか、まだ眞一郎くんのが、入ってるみたいで……」 その頃、体育館では―。 「だから、朋与はわかってないのよね」 「だーかーらー、なんのことですかー、教えて下さいよー!!キャプテン!」 まだ一人、意味のわかっていない朋与が高岡に食いついていた。 「まーまー、そのうち朋与にもわかるかしらねー。あれ?いま何か聞こえた?」 少女達の耳に、こだまのように聞こえてきた、少年の叫び声。 「ちゃんとするから」―。 遠く離れた夕暮れの朱色の中で、少年は少女をいつまでも強く抱きしめていた。 (了)
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