空に知られぬ雪

1945年4月16日の正午は良く晴れていて無邪気な子供は外を走り回り、痩せこけた
親達はそれを微笑みながら見守り、今日のご飯の事を考えている。
格納庫で自分が操縦する九九式艦上爆撃機の整備を手伝っている僕も殆どそれと同じだった。
とは言っても、僕の考えている事はそれ程深刻なものではなく『何時飛べるのか?』とか
だとか『出来れば雨は降らないでほしいな』だとか平和的この上ない事を考えていた。
格納庫は全長10.20m、全幅14.40mの九九式艦爆が一機普通に入るくらい大きかったが、
天井に結構穴が開いていて『本当に軍の施設なのか?』と思うくらいボロかった。
外見も赤錆が浮いた無駄にでかいバラック小屋に近いし、滑走路だって雑草やら何やらで
本当に滑走路なのか分からないような所だった。
それでも開戦時からちゃんと機能しているし、上からだってちゃんと指令が来る。
お決まりの堅物基地司令やエースらしいエースはいないものの、それなりに纏まっていて
いままでも何度も危機を乗り越えている。
その何度も危機を乗り越えた基地のパイロット達に特攻命令が下されるのは午後5時を回っ
た所だった。

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「私としても貴重な戦力である君たちを散華させるのは心が痛む。よって特攻に志願する者はこの紙に丸を、志願しない者は×を書いてくれ」

基地司令の前で起立しているのは茜を入れてたったの5名。
この5名が大日本帝国の創尾基地パイロットである。
右から身長順に武田重次郎、山崎二郎、片桐新太郎、佐崎浩次、青笹茜。
さらに細かく身長を表すと176cm、168cm、166cm、162cm、157cm。
全員が華奢で細く、殴ればどこまでも飛んでいきそうなくらい貧弱に見えた。
ただ戦闘機乗りに必要な強靭な精神力は持っており、この時全員が手渡された紙に丸を書いた。
基地司令は涙ぐみながら集めた紙を見て、僕達を見た。

「出撃は三日後、ヒトナナサンマルに開始する!!各員に天皇陛下のご加護が有らん事を!!」

ここまで部下を人と思う上官は日本軍人には片手の指程しかいないのでは無いかと僕は思った。

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夜になって僕は宴会が開かれている第六格納庫を離れて配給された煙草に火をつけていた。
第六格納庫から離れた第一格納庫には明かりは無く、煙草の赤く小さな光だけが浮かんでいた。
耳を澄ましても聞こえるのは武田の豪快な笑い声と元気に歌う山崎と片桐の声が聞こえるだけだった。
数日後に死ねと言われているのに随分と騒がしいなと、僕が思っていると佐崎が歩いてきた。
茜と同じように片手に煙草を持っていて、まだ少年の面影を残す佐崎は僕に気づくとニコリと笑った。

「何やってんだ?こんなとこでさ」
「別にさ、ただ騒がしいのは嫌いなんだ。こう……ワーワーって騒ぐのが」

茜は手を軽く回して『ワーワー』の雰囲気をジェスチャーする。
それを見て佐崎は一瞬ポケンとした後、腹を抱えて笑い出した。
何事にも無表情で無頓着な奴だと思っていた茜は少し裏切られたような気持ちになりながら言う。

「何で笑うんだよ」
「はは…いや、やっぱお前って変わってると思ってな、ははは」
「何だよ……僕は本当のことを言ってるだけで――――」
「本当だからこそ面白いんだよ、だって戦うのが好きな奴ってお前くらいしかいないと思う。
 後、死への旅路の前の宴会に参加しないってのもお前くらいしかいない」
「………」

なおも腹を抱えて笑っている佐崎を見て僕は不満そうな顔をしながら夜空を眺めながら、煙草を吸った。
紫煙を吐くと白く輝いていた月に靄がかかった。
僕は綺麗だなと思っていたら佐崎はあろう事かその僕の顔面に煙を吐いた。
月に見とれていた僕は突然の事に訳がわからず、尻餅をついた。
それを見て佐崎がまた笑い出す。

「佐崎ぃ……仏の顔も三度までとは言うが、僕の場合二回が我慢の限界だ」
「ははは……って、本気になるな、落ち着け、落ち着いてくださ…おぶっ!」

僕の右フックは見事に佐崎の頬を直撃した。
佐崎がヘナヘナと倒れていく光景を横目に僕はもう一度月を眺めた。
見事なまでに白く、光り輝く満月だった。

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時の動きは早く、あっと言う間に三日が過ぎた。
特攻する日だと言うのに別段変わったことは無かった。
朝靄が立ち込める中、目を覚まし、顔を洗い、着替えをして、戦闘機を滑走路に移動させる。
移動させた後、最期の祝杯を挙げるため戦闘機を降りた。
前から順に武田、山崎、片桐が零式艦上戦闘機。佐崎と僕が九九式艦上爆撃機。
合計5機が同時に飛び立つのは今までも、そしてこれからも無い事だ。
全員が御猪口を手にして、天に掲げた後、注がれた日本酒を飲み干した。
基地指令が涙を堪えながら言う。

「全員、帝国の威信に掛け神風を果たさんとする事を心より願っている」

昨夜、隊員は全員遺書を書かされた。
武田は「どうせ検閲されるんだ。上辺だけ繕って適当に書け」と言って僅か5秒で書き上げた。
山崎や片桐は少し真面目に書いて、僕と佐崎は本当に適当に書いた。
茜は最初から適当に書くつもりだったし、佐崎は遺書を渡す家族がいないのだ。
基地指令の激励になっていない激励はまだ続いた。

「私は……私はこの特攻に意味があるのかは分からない。しかし!!大本営に住む国民の為に
 我々は………生ける盾と成り、死してなお靖国でお国を思い続けるのだ!!」

機体を出す前に白い布を掛けた机に豪華な料理が並べられ、最期の晩餐だと言われた。
手を出しても喉を通る訳も無く、殆どが処分された。
ただ用意された日本酒の一升瓶は一人一本では足りない位、皆飲んでいた。
誰も酔ってる奴はいなかった。死んでくのに酔う必要は無いだろと体が言っている様だった。

「では……全員配置につけ!!」
「はい!!」

五人全員が返事をした後、自らの乗機に走り向かった。
僕が九九式艦爆のコックピットに滑り込もうとすると機首に取り付いていた整備員が手招きした。
僕は不思議がって其方に行くと整備員は小さな声で囁いた。

「燃料は満タンに入れてあります。エンジンに不調があったら何時でも戻ってきてください」
「ありがとう。感謝するよ」

油塗れの顔で恥ずかしがりながらも笑い、機体から離れていった。
今度こそ僕は九九棺桶に身を滑り込ませた。
僕の小さい身体には余るほど、大きく、ボロっちいコックピットだった。
 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
創尾の空には曇りも無く、晴天だった。
創尾基地の部隊は武田の零戦を先頭として八の字型に編隊を組んだ。
僕と佐崎の九九式艦爆の後部座席には空っぽで人手が不足している事が嫌でも分かった。
途中、別の基地から上がった九九式艦爆十機と合流した。これでやっとさまに成った。
遠くの海原には目標の米艦隊が悠々と航行していた。
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カサブランカ航空母艦一隻とフレッチャー級駆逐艦三隻で構成される米軍偵察艦隊の指揮を取っている
ジョナサン=フランク中佐はその無精髭を触りながらレーダー観測員からの報告を聞いていた。
ブリッジからは前部甲板の127mm単装砲や、その近くで慌ただしく動いている水兵が確認できた。


「何だって?」
「ですから……」

耳の悪いジョナサンにレーダー観測員のフレッドがもう一度言い直す。
機関室へわざわざ整備状況を確認しに行ったり、対空砲火が甘いと行って自ら甲板に出て行ったり、
迷惑この上ないこの艦長は日常的に爆音を聞いているせいで耳が遠いのだ。

「ジャップの敵戦闘機が此方に向かっています」
「機種と機体数は?」
「機種はヴァル、機数は15機だと思われます」
「ふぅむ………カミカゼだと思うか?」
「は?」

フレッドは上官の口から出た異国語に思わず間の抜けた返事をしてしまった。
『カミカゼ』ジョナサンは確かにそう言った。
確かジャップが考えた卑劣且強力な戦術で、機体に積めるだけ積んで敵艦に体当たりさせる。
と、言う物だった筈だ。
貴重な機体とパイロットを爆散させるという事を考えると人間が思いつくような手段ではない。
ジョナサンはそれを頭に入れ、考えて言った。

「今ここでカミカゼをしても無意味だと、私は思います」
「そうか、しかし残念ながら外れだ。ルーキー」

自信満々に堂々と言うジョナサンは演技でもなく微笑んでいた。
その目は水を得た魚のように生き生きとしていて、獲物を見つけた鷹の様に鋭かった。
これが戦争を嫌というほど経験した者の目か、とフレッドは少し怖がりながら思った。
それ位ジョナサンの周りにはオーラが出ていた。

「ジャップはカミカゼをやってくる。絶対にだ。何たって頭がいかれてるんだからな」

さっきまでホンワリと柔らかかったブリッジの雰囲気がジョナサンのたった一言でヒンヤリと
監獄のように冷たく、堅苦しい空気に変わった。
空母に搭載されているF6Fヘルキャットに発進命令が出たのはその直ぐ後だった。
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我、敵艦ヲ補足シ、我、コレニ神風ヲ敢行ス
我ガ大本営ニ、敵ヲ通スベカラズ
各員ニ、天皇陛下ノゴ加護ノアラン事ヲ

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ポンコツの相棒、九九式艦爆のエンジンは順調に動いていて、プロペラを回し続けてた。
周りには何機も戦闘機が飛んでいて、全部が機体下部に爆弾を積んでいた。
いや、適切に表現するなら積んでいるのではなく括り付けられているのだ。
何せ、機体諸共敵艦に突っ込むのだから、投下する意味は無い。

『創尾の部隊は米軍の戦闘機を撹乱しつつ、隙あらば特攻せよ』

昨日の夜の作戦説明が頭の中で再生されていく。
爆弾を抱えたまま戦闘機と踊りあう芸当なんか多分僕には出来ない。
大体、九九棺桶で敵と殺り合える訳が無い。
その時、遠くの空で何かが光った。
直感からそれが敵の戦闘機だと判った。他の部隊に一通り知らせた後、高度4000mから一気に900mまでダイブする。
はるか上空で火線が交われば、僕の勘も的中した。

「やっぱり、上下で叩き潰す作戦か……」

殆ど同じ高度を飛んでいる敵機の翼が遠くにキラリと光った。
相手はまだ此方を見つけていないようで、直進を続けている。
恐らく、上に注意が回って前を見ていないのだろう。
スロットルを押し込み、スピードを上げる。最高速度430kmの鈍足が爆弾を括り付けているのでそんなにスピードは出なかったが、
油断しているヘルキャット六機を射程範囲内に収めるのには十分だった。
トリガー引くと7.7mm機銃の弾丸が撃ち出され、ヘルキャットに吸い込まれてゆく、通り過ぎると六機いたヘルキャットが二機になっていた。
勿論、僕一人でやったのではなく後ろにコッソリ付いていた佐崎が落としたものもある。
生き残った二機は旋回して僕と佐崎の機体に迫ってきた。
一機に一機が付いて、真剣勝負になった。
僕は敵に後ろを取られて、操縦桿をガシャガシャ回すけど、納豆の糸みたいに離れない。
仕方ないから操縦桿を引いて上昇する。それでも、馬力が違いすぎて直ぐに追いつかれる。
最後の手段とばかりに僕はフラップレバーとスロットルを引いて、そしてスロットルを限界まで押し込んだ。
機体が失速して、落ちそうになるがエンジンがフル回転してその場に踏みとどまる。
僕の機体を追っていたヘルキャットは予想通り、オーバーシュートした。
そして僕はここぞとばかりにトリガーを引いて、ヘルキャットに銃弾を浴びせた。
これで佐崎の援護に行けると思った瞬間、機体が変に揺れた。
佐崎を追っていたヘルキャットの機銃掃射だと解ったころには機体はボロボロで、僕自身もボロボロだった。
機体を平行に戻して、真っ直ぐ飛ぼうとするが、思ったように飛んでくれない。
やけになって自分で頭を思い切り殴ったらまともになって、真っ直ぐに飛べるようになった。
奇跡的にエンジンには当たってなかったようで、音も快調だった。
さっきのヘルキャットを撃ち落したのか、佐崎の九九式艦爆が僕の機体の隣につける。
佐崎が風防を開けろと、ジェスチャーしたので風防を開けると佐崎の大声が耳に入った。

「大丈夫か!?」
「何とかね」

僕が答えても佐崎は納得していない様子だったが、時と場所を考えたのか風防を閉めた。
目を細めると海面に浮かぶ四つの点が確認できた。
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最終更新:2008年09月18日 18:07
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