カップに口をつける。口の中いっぱいに広がる紅茶の香り。
夕食後の穏やかなひと時。
「おっと」
中身をこぼさないように気をつけながら、カップを上に上げる。
一瞬前までカップのあったところを、枕が通り過ぎる。
枕だけではない。椅子、食器、掃除機、辞典などなど、さまざまな物が
部屋中を飛び交っている。そう、文字どうり飛んでいるのだ。
僕がこの部屋に越してきて、一週間。ラップ現象から始まり、ついには、
ここまで発展したか。ポルターガイスト。
上半身を軽く仰け反らせる。目の前を、びゅうん、と時計が通り過ぎる。
時刻は、十時を指していた。僕は、残りの紅茶を飲み干す。
「・・・少し早いけど寝るか」
「なんでええええぇぇぇ~~~~!!!」
いきなり、大声が部屋中に響く。──近所迷惑だよなぁ。
声がした方したほうを見てみると、そこには可愛いが顔をした女性が、目を険
にして、立っている。
恐らく、彼女がこの部屋の主だろう。



「あんた、おかしいんじゃない?何で無反応なのよ!?」
    • いきなりおかしいやつ扱いされた。まあ、いいや。慣れてるし。
「こんだけやってんだから、泣いておびえて震えなさいよ!」
「・・いや、そんなこと言われても、ねぇ。僕こういうの結構慣れてたりするし」
「・・慣れて、る?」
「うん。だから、この位じゃ、驚いたりはしないよ」
僕は、少し余裕を見せるように、両腕を広げながら言った。その時、
  つん
と、いきなり、誰かにわき腹をつつかれた。
「うわあ!?」
不意打ちだった。思わず声を上げてしまいましたよ。
「なんだ、驚くじゃないですか」
冷めた声。振り向くと日本的な可愛い、しかし、声と同様に冷めた表情の女の子。
──二人いたのか・・・
僕に目をくれず、スタスタと最初の幽霊の前に行く女の子。
並んでみると、二人は雰囲気は多少違えど、顔は似ている。姉妹かもしれない。
「姉さん、声大きすぎです」
──やっぱり姉妹か。
「だって、深雨(みう)、あいつ、むかつくんだもん」
妹のほうは、深雨ちゃんというらしい。むかつかれたことはスルー。
「気持ちはわかりますが、近所迷惑です。」
やっぱり、冷めた声の深雨ちゃん。てか、気持ちわかるんだ・・・。




「それは、さておき・・・」
いいながら、深雨ちゃんがこちらを向く。
「おめでとうございます」
「?」
「新記録です。一週間逃げ出さなかったのは、お兄さんが初めてです」
「・・・・・どうも」
「まあ、この先もがんばってせいぜい頑張って下さい」
「・・・・」
「絶~っ対に意地でも怖がらせてやる」
横でお姉さんが嫌な決意を燃やしている。
「ん~、君みたいに可愛い幽霊なら怖くないからね。難しいと思うよ?」
「へっ・?・・か・・かわ・・・?」
とたんに、きょとんと毒気を抜かれたような顔になる。が、見る見るうちに赤くなり
「ふ、ふざけないでよ!!!!」
と、起こって消えてしまった。
「うーん、怒らせちゃった」
「それは違いますよ」
「?」
「お兄さんが可愛いとか言うから、姉は照れたんですよ」
「そうなの?」
「ええ、姉は男の子慣れしてませんから」
「・・・・深雨ちゃんもすごく可愛いよ」
「ありがとうございます」
まったく表情を変えず、ぺこりとおじぎをする。深雨ちゃんは男なれしてるということか・・?
どうみても、十代前半の少女なんだが・・・・
「では、そろそろ寝ますか」
「・・・そうだね」



次の日の朝、寝室(なんと、うちは六畳三部屋、家賃一万円!!)からおきてリビングに入った
ところ、僕の鼻は、普段はありえない匂いを嗅ぎ分けていた。
それは、食卓にのる朝食の香り。
「えー・・・・と・・??」
一瞬実家にいるのかとも思ったが、どう見ても自分の部屋だ。
「食べないんですか?」
「うわあ!?」
いきなり後ろから声をかけられた。深雨ちゃん、まったく気配ないし・・・・
「また、驚きましたね」
「う、うん・・それより、これ、僕が食べてもいいの?」
「他に誰が食べるんです?」
さも、当然のように言ってくる深雨ちゃん。なんか、状況がつかめないんですけど・・
「よっぽど、お兄さんに可愛いといわれたのが嬉しかったみたいですね」
「はあ・・・それじゃ、せっかくだし、いただきます」
「どうぞ」
 僕は久しぶりに満たされたおなかで大学に行った。




学校から帰ってくると、お姉さんが食卓でぼうっと、頬杖を付いていた。
僕は、とりあえず、朝のお礼を言おうと近づいた。
─瞬間、僕の体が、一気に天井まで浮かびあがった。
見下ろすと、期待に満ちたような目で見つめるお姉さん。
「・・・・ただいま」
「あ~!もうっ!!!」
乱暴に地面に落とされた。結構、痛い。
「おびえてよ!」
「いや、そんなこと言われても・・だから、僕、こういうの慣れてるし」
「どんな人生送ったら、慣れるのよ!」
「いや、僕、遺伝なのか、昔からよく見えちゃったりするほうだったから」
「・・・遺伝?」
「ああ、親父が見える人でさ。若い頃、事故で亡くなった恋人の霊と暮らしてたことがあるんだって。
幽霊とキスしたって、自慢していたから」
「あ、あたしはキ、キスなんかしないからね」
なんか、赤くなるお姉さん。てか、論点ズレてない?
「まあ、そんなことよりもさ」
「うん?」
「朝、ご飯ありがとね」
「なっ!」
「朝起きて驚いたよ。想像もしてなかったから」
「だ、誰があんたのためなんかに!!」
そう言ったきり、少しの沈黙。
「・・あっ・・・いや・・なんでもない」
お姉さんは何かを言いかけたが結局何も言わずに、すうっと消えてしまった。



「騒がしい姉ですね」
「・・・・そうだね」
またも突然表れた深雨ちゃんは「つまんないです」とつぶやいた。さすがに三回目なので、
この子の神出鬼没にも慣れてきた。ちょっと、優越感。
「ねぇ、お姉さん、最期になにをいいかけたのかな?」
「わたしは、姉の通訳ではありませんよ」
「まあ、そういわずに」
「・・・そうですね、料理の感想を聞きたかったけど、照れて聞けなかったってとこでしょう」
──ああ、確かに。考えてみれば、僕もありがとうとしかいっていなかった。食事を出してもらって、
『おいしかった』を言わなかったのは、われながら非常識この上ない。
「じゃあさ、伝言してもらえる?」
「いいですよ」
「朝食は、すごくおいしかった。とくに、卵焼きが最高だったって」
「わかりました」

また次の日
朝起きてみると、リビングにはいい香り。
食卓を見ると、昨日は二つだった卵焼きが、三つに増えていた。


どーでもいい追記
 この後、食卓につこうとした僕の椅子を、気配無く忍び寄った深雨ちゃんに引かれた。
無様に転がる僕を見て、初めて深雨ちゃんが少し笑った気がした。
まぁ、それだけ。
最終更新:2011年03月01日 19:20