俺は子供の頃、よく親父に水族館に連れて行ってもらった。
あれからどれくらい経ったろうか。
親父の事業が失敗し、一家は離散。俺もついこの間までは大学費捻出のためにバイト三昧だったわけだ。
今? まぁ、今は特に何もないからさ。ほら、こうして思い出の水族館に来たんだよ。
あの頃はさ、ペンギンがブームでさ。よちよち歩くペンギンが、氷の上をスィーっと滑ったりおもちゃのピアノを弾いたり。
子供心に萌えをかんじたね。いや、まぁ、あの頃は「萌え」なんて言葉なかったけどよ(笑
で、俺のお気に入りのペンギンがいたんだ。ペン太って名前のオスでさ、ショーをするのはその一匹を除いてみぃんなメス。
子供心にかわいそうと思ったよ。幼稚園の頃は男より、女の方が強かったからな。いじめられてるんじゃないかと心配していたんだよ。
さて、そのペン太。俺の声援にこたえるんだ。
「がんぱれー、ペン太!!」「グァッ」って感じで。


「おお、兄さん、ペン太を知ってるのかい? あいつもペンギン冥利につきるだろ」
「ま、まだ生きてるんですか?」
「残念だね。あいつは2年前に老衰で死んだよ。ペンギンの寿命は大体20年なんだが、あいつは無事寿命をまっとうできたみたいだ」
はは。そうだよな。会えるわけねえよな。それでも、2年前生きていたんだからそれはそれでいいんだろ。
…もっと早く来ればよかったな…。久しぶりに訪れた水族館は古びてしまったがさして変わっていなかった。
俺は思い出のペンギンショーエリアに足を運ぶ。
ベンチの塗装やらがはげてちょっと古くなった感じはしたけど、やはり変わらない。
ペンギンショーが始まったんだが…なんか目の前が曇ってみえねぇ。と、どうした、これ?
たは、俺泣いてんジャン。やれねぇな。

とりあえず、「ペン太!!」って叫んでみた。横のちっちゃな女の子が俺の声に振り向いた。へん、恥ずかしくなんかねぇよ。
もっかい、「ペン太」と今度は小さな声。と、「グァ」と聞こえた気がした。


俺はもうそれ以上、ショーを見ていられずその場を離れたんだ。と俺の横に座った女の子がついてきた。
つつっと俺の服を引っ張る。
「お、娘ちゃん、どうした」「グァ」
…「は、はぁ!?」げ、こいつ、もしかしてペン太!? とそのとき思ったさ。
でも「ペンギンのまね。似てる?」だって。いや、ホント、むかつくを通り越して笑いがこみ上げてきた。
その子供、一人だったみたいだからさ。俺、そいつと一緒に水族館回ったよ。人攫いなんていうなよな。
そいつ、結構博識でさ。水族館の魚をほとんど知り尽くしてんの。
マイワシのコーナーで、「これ、うまいんだよね。最近は高級魚だからお兄ちゃんの薄給じゃ食べれないかしら」なんていわれて、向かっときたさ。
「ところでさ、お兄ちゃん、いい大人が一人でこんなところで何してんの」だって。
「思い出の場所なんだよ」
女の子は俺の顔を見て、「だっさ」といった。こんにゃろ。

少しむっとしてそっぽを向いていると、その子が俺を覗き込んできた。
「おこったの?」「オトナも傷つくんだよ」
「そんなことくらいで怒らないの。大人なんだから」なんか、説教されてる?
「娘ちゃん、そろそろおそいぜ、帰りなよ」「心配ない」
「そっか、俺は行くぜ」とそのまま水族館を出ようとした。…ぎゅっと服のすそをつかまれた。
「ちょ、離せよ」「…や」振り向くと目に涙をいっぱい称えている。
え…嘘、俺、わるもん?
人目もあるからさ、俺、とりあえず、残ったよ。
「お兄ちゃんのお話聞いてあげる」生意気な口調でいう。その目は真剣だ。
「…つまんねぇ、話だぞ…」「いいから、早く」
しょうがねえなぁ…



『俺は子供の頃、よく親父に水族館に…』





「ふーん、苦労してんだね」
「どういたしまして。そんなわけで顔だしたんだな」ベンチに座って天井を見上げる。と、女の子は俺の背後に回って目隠しした。
「お、およ」「およって変な声…少しじっとしなさい!」ぺしっと頭を叩かれる。
「むむ…」1、2分経ったか。不思議な感覚が訪れた。静寂に放り込まれる感じ。遠くから何か聞こえる。
「…ぐ…ぐぁっ…グァグァッ。グァっ」「ぺ、ペン太!?」「グァッ」こんなことあるのだろうか。脳裏にペン太の姿が鮮明に浮き上がった。
ちょ、ダメ。思いがけないペン太との遭遇(脳裏のイメージだが)に涙が溢れる。
その姿はまるで生きているようだった。娘ちゃんのペンギンの物まねとイメージがぴったり一致し、俺は本当にペン太に出会えたかのようであった。
変な光景だとは思う。だが俺はしばらく、娘ちゃんに目隠しされたまま泣いていた。

「満足した? また、死にたくなったらいつでもペン太にあわせてあげるね」

…どきりとした。

「死んでいいことなんて何も無いんだからね。ちょっとした幸せがあると生きる希望、出てくるでしょ」
すっと手が離れる。俺はどきどきした心を見透かされるのではと、後ろを振り向けない。
「な、なんでそう思う?」と振り向いた時には娘ちゃんはいなかった。
遠くで「グァ」っと声が聞こえた気がした。

俺は大学を卒業したが、就職に失敗した。
何もかもが嫌になっていた。
思い出の水族館を出たら、首をつろうと思ってたんだ

「兄さん、久しぶりの水族館はどうだったね」ペン太のことを教えてくれた案内のおじさんが声を掛けてきた。
「ああ。すごく…よかったよ」そして俺は、さっきの女の子のことを話した。
「兄さん、あんたぁほんまに、その子にあったんかね」「え、あ、はい」
「そうかそうか。やはりいい子じゃなぁ」
…ペン太の飼育係の人が一家無理心中をした事件があったという。家族で車に乗りそのまま海に飛び込んだという悲しい事件だ。
そして、飼育係には娘がいたそうだ。ペン太の好きで、いつも物まねをしていたんだそうだ。

『死んでいいことなんて何も無いんだからね』
俺はその言葉を胸に刻み水族館をあとにした(了)
最終更新:2011年03月03日 11:06