通勤の途中に公園がある。
幾ばくかの近道になるので、そこを通らせてもらっている。
帰りは中の自動販売機でジュースを買うのが習慣となっている。
最近はめっきり寒くなったので缶コーヒーに変わった。
いつも通りに販売機の前で一息つくとベンチに座っている少女が見えた。
こんな時間にひとりで?と思ったが、塾通いの子もいるし
そんなに訝しがる事も無いか、と別段気にしなかった。
しかし少女が目に止まった次の日も、そのまた次の日も、またまた次の日も
そこのベンチに座っているのを見て、多少は興味が出てきた。
販売機の場所からは俯き加減で顔はよく見えないが
少女はいつもそこに微動だにせずベンチに座っていた。
自動販売機のHOTの欄が一周した時、思い切って声をかけてみた。
少女は声をかけられて私の方を一瞥したが、興味無さそうに横を向いた。
なるほど少女にしてみれば私は一見の不審者である。
警戒するのも無理はないのであろう。
その日はお近づきの印として、缶コーヒーを少女の側に置いて早々に退散した。
次の日も、そのまた次の日も、またまた次の日も、私は少女に声をかけた。
しかし少女は関心をしめさない。いつも俯き加減で座っている。
こうなれば根比べである。私と少女の戦いである。
どちらが先に折れるか、プライドをかけた戦いである。
缶コーヒーを二桁ほど置いたであろうか、毎日続く私の儀式に、ある日少女は呆れたように呟いた。
「いい加減しつこい、何様?」
季節を象徴するかのような凛とした声、こちらを向いた顔は中々の器量である。
私は興味を持ってくれた事を嬉しく思い、はにかみながら答えた。
「いや会社帰りに、ここでいつも座っているのを見かけてね。何してるのかなと。」
「そんな事アンタに関係ないでしょ。」
最もな意見である。しかし袖擦りあうも多少の縁という言葉がある。
「まあそうなんだけど、ちょっと声をかけてみたくなってね。隣座っていい?」
返事が無いが拒否の意思が感じられなかったので、私は側に座る事にした。
「いや
寒いね、最近はめっきり寒くなってきたね。」
「・・・・・・」
「いつもこんな時間に座っているけど、誰かと
待ち合わせ?」
「・・・・・・」
側で話そうとするが相変わらず無言のままだ。
暫く話しかけても反応が返ってこないので切り上げることにした。
「じゃ、また。風邪引かないようにね。」
そう言って私は少女に別れを告げた。
次の日から帰りは少女の側で話しかけるのが日課となった。
相変わらず返事はないが、一応私の話は聞いてくれてるようだった。
あくる日の朝、やけに寒いと思ったら雪が降っていた。
風は強くないが空から降ってくる雪は、寒さの厳しさを感じさせるのに十分だった。
さすがにこんな日はいないだろうと帰りに公園に寄ったら
いつも通りに少女はそこにいた。
「驚いた、こんな日にいるとは。」
「そんな事アンタに関係ないでしょ。」
「こんなに寒いのにじっとしてたら風邪引くぞ。」
そう言って私は少女に自分のコートをかけてやった。
少女はキョトンとした顔で私を見て言った。
「何やってるの?」
「何って、寒いと思ってコートをかけてやった訳だが。」
「アンタコート脱いで寒くないの?」
「いや寒いけど、君が風邪引く方が心配だね。」
そう答えると、少女は柳眉を歪めて言った。
「はぁ?アンタ馬鹿じゃない?見ず知らずの人を何で気にかけるのよ?」
「いや毎日会ってるから見ず知らずじゃないし、それにいつも話してるじゃないか。」
「アンタが側に座って一方的に喋ってるだけでしょ!」
少女は怒気をあらわにして言った。怒りのせいで顔が真っ赤だ。
むぅマズイ、昔からディベートと反論は苦手である。ここは退散する事にしよう。
「いや家ココから近いんで大丈夫。君こそココにいると風邪引いちゃうよ?
次に会った時返してくれれば良いから、じゃあね。」
「あ!ま、待ちなさいよ!」
三十六計逃げるにしかず、くわばらくわばら。
翌朝目覚めると体がダルかった。まさかとは思ったが風邪を引いたみたいである。
上司に電話をして、病院に行くことにした。
診断はインフルエンザ、何という事だ
医者が言うには、入院の必要は無いが暫く安静にしろとの事である。
事情を説明して溜まっていた有給を使うことにした。上司は仕方がないなと許可してくれた。
こういう時に一人身は辛い。咳をしても一人である。
全快するのには片手の指を折り返すほどの日を要した。
健康というのは良いものである。職場の皆に頭を下げ、職務を再開した。
そして帰りに公園に行くと、相も変わらず少女がそこにいた。
近づいて声をかけようとしたら、逆に少女の方からかけてきた。
「遅かったじゃない。」
思えば少女の方から声をかけて来たのは、これが初めてである。
私は下らない事に嬉しくなり、顔を緩めて答えた。
「いや風邪引いちゃってね。引継ぎ等で色々あってね。」
そう答えると、少女は柳眉を逆立てて言った。
「だから言ったじゃない!アンタが風邪引いてどうするのよ!?
私の事なんかほっといてくれれば良かったのに!バッカじゃない!?」
「いやゴメンゴメン、悪かった。次から気をつけるよ。」
私はそう言って側に座った、少女は変わらずまくし立てる。その日から話し役と聞き役が逆転した。
公園に行くと少女がいる。少女は私を見つけると側に座るように言う。
そしていかに私が馬鹿なのか延々と語る。私は相槌をうって話しに耳を傾ける。
そんなのが日課となった。
そうして彼女の罵倒にも慣れたある日、私は彼女に言った。
「こうして話していられるのも今日が最後かもね。」
「・・・・・・どういうこと?」
「いや、この間転勤が決まってね。引っ越すことになったんだ。」
「はあ!?あんたソレOKしたの?」
「入社の時に転勤OKの条件があるからね、断れないよ。」
「はあ!?あんたバカ?そういうのを組織の歯車っていうのよ!」
彼女はまるで自分の事の様に怒っている。私は微笑んで言った。
「ありがとう。」
「え?」
彼女は面食らったようだ。
「いや自分の為に怒ってくれるなんて、家族がいたらこんな風に親身になってくれたかな、と。」
次の瞬間、彼女は真っ赤になって叫んだ。
「ば、ば、ば、バッカじゃないの!?そんな考えだから体よく利用されちゃうのよ!」
罵詈雑言が私にむかって次々に飛んでくる。私は適当に相槌をかわした。
しばらくして語彙が切れたのか、彼女が無言になった。
そして、私の方を一瞥して呟いた。
「・・・・・・また、帰ってこれるんでしょ。」
どうだろうか。一応上司の話では二、三年で戻ってこられるという話だが。
「帰ってこれると思うよ、多分。」
「・・・・・・多分じゃ駄目、約束しなさい。」
「わかった、約束する。必ず帰ってくるよ。」
「絶対よ、女の子との約束やぶる甲斐性無しは許さないから!」
そうして、彼女とベンチを後にした。
そして、戻ってくるのには五年の歳月を要した。
ニ、三年で戻ってくるというのは出来なかったが、とりあえず帰ってこれたのである。
彼女は今もいるのであろうか。私はすぐに公園へと向かった。
五年経って来て見れば、公園は様変わりしていた。
住宅事情なのか知らないが、前より狭くなっていた。
そして、彼女と座っていたベンチも撤去されていた。
その日は半日待っていたが、彼女が来る気配は無かった。
私は今日会うことは諦め、アパートへ戻ることにした。
アパートは、前にここに住んでいた時と同じアパートにした。
そうすれば帰宅途中に、また公園を通る事が出来るからである。
私は入居の挨拶の為、管理人に会った。
管理人は私の名前を聞くと、奥からコートを出してきて尋ねた。
「これ、もしかしてあんたのコートかいのう?」
驚く事に、私が少女にかけたコートである。
そういえば貸していた事をすっかり失念していた。
「確かに私の物ですが、どこでコレを?」
訝しがる私に管理人は話してくれた。
区画整理があった時に、公園から多量の缶と一緒にコートが出土されたそうである。
工事業者がコートを探ると、レンタル店の会員証があったので
そこにあった住所を辿って届けてくれたそうである。
そういえば中に入れたままかけた様な気がする。親切な人も居たものである。
「一応、人の物だからと言って届けてくれましてのう。そんときはすでに
あんたが転勤した後でのう。連絡先がわからんから預かっていたんですわい。」
なるほどそういう事か。どうやら彼女は待ちあぐねて公園に私のコートを捨てたようだ。
彼女には悪いことをしたな。
「それにしても不思議な事もあるのですのう。」
「何がですか?」
「ベンチを撤去する時に発見されたんですが、掘り返した後が無かったとのう。
それに、埋められたのに綺麗過ぎると言っていましたのう。」
「・・・そのベンチはどこへ?」
「さあそこまでは・・・。老朽化していたし、廃棄されたのかもしれんのう。」
「そうですか・・・。」
私は管理人に礼を言ってコートを受け取った。
そして次の日から公園で彼女を待つことにした。
しかし次の日も、そのまた次の日も、またまた次の日も彼女は現れなかった。
公園は有る。私はいつもそこを通って帰る。ただ彼女と座ったベンチが無い。
しかし私は彼女を待ち続ける、彼女がそこに居たように。
そうすれば、彼女と会える日が来るかもしれない。
私がしたように、缶コーヒーを手に持って
「あんた何ボサッとしてるの?こんなに寒いと風邪引いちゃうわよバカ!」
と―――。
最終更新:2011年03月04日 18:03