ここは何処だ…?
周りはねっとりとした霧に囲まれ視界が悪い。
河原のように石が敷き詰められた地面、辺りは薄暗く静まりかえっているが遠くに水のせせらぎのような音が聴こえてくる。
腕時計を見る。
23時30分。
俺はなぜ夜中にこんなとこにいるのだろう?
ああ、そうだ
俺は…事故にあったんだっけ
いつもの仲間とツーリングに来てて、よく覚えていないけどトラックと接触して…
で、多分下の渓流に投げ出されたのだろう。
他の奴らはどうしたのだろう?
とりあえず水場に行こう。川沿いに行けば下山も容易いし仲間もいるかも知れない。
しばらく行くと河が見えてきた。濃霧で視界が悪いせいかやけに川幅が広いように見えるが幸い浅いようだ。
「おぉーい、藤井ーこっち、こっちだ」
聴き慣れた声だ。
見ると河の向こうから藤崎が手を振っている。
「ちょっと!何ぐずぐずしてたのよ!ホントにノロマなんだから!」
「藤井くーん、はやくおいでよ」
「さっさと来なさいよね!」
ああ良かった、藤原も藤沢も一緒のようだ。
「今行くよ!」
藤原の悪態に急かされるように河に踏み込んだ、
その時。
刺激的な異臭が鼻を刺すと同時に俺の肩にズチャリと水分を含んだ腐った雑巾のようなモノが食い込み凄まじい力で背後に引き飛ばされる。
「ひ!!」
俺の目の前に立っているのは、ゾンビそのもの。いや、そんな生易しい代物ではない。
全身くすんだ黄黒色にただれ腐り、剥け落ちた部分からはビクンビクンと脈動する筋肉組織が色鮮やかに露出している。
そして毛穴であったであろうブツブツとした穴からはまるでコールタールのように黒くヌメった膿がドロドロと滴っていた。
「う…ぐ、ぐぇぇ」
まるで異世界の怪物のような醜さにたまらず俺はその場で嘔吐する。
ゾンビは白く濁った硝子玉のような目で俺をジッと見つめ、おもむろに掴み掛ってきた。
腐肉から覗く黄ばんだ骨からボロボロと蛆虫と液体化した骨髄が溢れ落ちるのを見た時、俺の精神より肉体が先に反応した。
けつまづき、まろびながらも何とか逃げ出す。背後なんて気にするゆとりなんてない。
とにかく一心不乱に逃走。
気が付いたら迷っていた。あの怪物は何とか振りきったようだが…藤原達とも当然はぐれてしまっている。
そういや、あいつら川向こうにいたっけ。
俺は浅瀬の川を恐る恐る進んでいくことにした。
突如目の前に人影が飛び出てきた。
思わず身構える俺。
「いた!藤井くん!」
良かった、藤沢だ。あのゾンビじゃない
「ちょっと!探したじゃないの!余計な手間ばっかりかけさせるんじゃないわよ!」
藤原も藤崎もいる。
「いや無事で良かったな、もう藤原が心配しまくってパニクって大変だったんだぜ?」
「な…!べ、別に心配なんてしてなかったわよ!!
た、ただあんた一人置いてくのもあれかなーって思って!」
「ああ、分かってるよゴメンな」
分かっている。
藤原は口は悪いが誰よりも俺の事を気に掛けてくれている。
「全く、わたしがいないと全然ダメなんだから!」
「それより、やっと合流できたんだ。はやく逝こうぜ」
「ああ」
『キャアァァァァッ!!』
藤沢の悲鳴で振り返る!
あのゾンビだ。
奴が藤沢に組ついて彼女の頭部にムシャブリついている
「た、助けて!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛」
ぐじゃり、と湿った音を立ててゾンビが藤沢の脳髄を引きずり出す。
溢れ出た暗灰色の脳をクチャクチャと咀嚼するゾンビの目前で 藤沢の躰が糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
奴は口をモグモグさせながら緩慢な動作でこちらに向き直る。
「藤原!藤井と先にいけ!ここは俺がひぎィァァ!」
「ふ、藤崎!?」
「ははは早くいいいいくわよよっ!ちょ、
はは早くおぶってよ!ベベベ別にこここ腰が抜けててる訳じゃなな無いのよ!?ちょ、ちょっと疲れてるのよ?」
急いで藤原をおんぶ&ダッシュ!
…
「ここまで来れば大丈夫だろ」
「そ、そうね」
「そろそろ降りろよ」
「…ヤダ」
ぎゅ、と俺に腕を回してしがみつく藤原。
「私、疲れてるんだよ?
だからこのままが、いい」
「藤原…」
「ね、だからこのまま。ずーっとこのままがいいの」
「重いんですけど」
「くきー!!黙れ小僧!いい!?アンタは私の下僕なんだから黙って私についてくりゃいいのよ!」
ズチャ
俺達のいつものやり取りを遮るように湿った足音が背後から聞こえた。
…奴だ。
恐る恐る振り向くと、あの悪魔が猛スピードで突進しくる!
油断した!最近のゾンビは走るんだっけ。
「…降ろして」
背中の藤原が呟く。
「大丈夫、アンタは渡さない。私のモノだもの。絶対に一緒連れてくんだから」宣言するように告げると
「オラァァァッッ!死ねやァァァァ!」
とゾンビにフライングクロスチョップをカマす。
そのまま、取っ組みあいもつれあい地面を転がる二人。
だが勝負はあっけなくついた。
ゾンビが骨じみた鋭い指が藤原の眼窟にかかり、そのまま押し込む。
「ギャアァァァァ!」
ブチュッ、と藤原の眼球がハミだすがゾンビは意にも介さず指をえぐり込んだ。
ミシミシと頭蓋骨の軋む音と共に藤原の耳と鼻からブバっと粘った血が噴出し全身が激しく痙攣する。
そしてゾンビは俺の方にゆっくりと振り向く。
(逃げなくては)
ゾンビが迫ってくる。だが体が動かない、まるで蛇に睨まれた
カエルのように。
俺は恐怖のあまり失神寸前。
奴はもう目の前だ。
ゆっくりと皆の血と臓物に濡れた手を差し延べてきた時、
俺の意識は暗転した。
目を覚ます。
まず知覚したのは白い天井。
(ここは…?)
と、全身に激しく痛みが走る。
「……!」
思わず身じろぎする。
ここは…病室?
「まだ動いちゃダメ!誰か!先生を!」
気付かなかったが近くに看護師がいたようだ、慌てて押さえ付けられた。
その後は慌ただしかった。
先生曰く、俺はかなりヤバい状態だったらしい。助かったのは奇跡的だと。
「応急処置が良かったのでしょう、そうでなければとても助かりませんでした」誰かがあのゾンビから助けてくれたのか?
その後なぜか刑事がきた。例のゾンビの事を聴かれるのかと思ったが、彼らの話は意外な内容だった。
「轢き逃げ?」
「ええ、犯人は捕まえましたが…あなたのお友達は気の毒でした」
「いや!藤原達はゾンビに」
怪訝な顔をする刑事に先生が何やら囁く「事故で記憶が混乱…」というのが聴こえた。
「藤井さん、落ち着いて聞いてください。
あなた達五人は昨夜22時、トラックによる轢き逃げにあったのです。あなただけは山側斜面に投げ出され一命をとりとめましたが、他の方は…残念ながら即死でした」
22時?そんな馬鹿な。
だって藤原達は…
「お聞きしたいのはその後の事です。山林に落ちたはずのあなたは応急処置を施された状態でこの病院の前に倒れていました。
恐らく誰がここまであなたを運んだと思われますがその時の状況を憶えてますか?」
「いや…何も」
頭が混乱している。
あの時の仲間達は…なんだったんだ。
あのゾンビは?
「その、我々も困っているのです。あなたの倒れていた周りにはベッタリと腐った膿のようモノが…
もしもし、藤井さん?
聞いてますか?」
(疲れたな…)
彼女は疲弊した体を引きずりながら住まいの祠に帰る。
(あいつ、大丈夫かな?人の手当てなんて久しぶりだったし)
わざわざ三途の川まで呼び戻しにいったのだ。なんとか元気になってほしいものが…
(そう言えば…あの娘、あいつの事が好きだったのかな…ちょっと悪い事をしたかも)
だがこの地を護る産砂神として、死者が生者を連れていこうとするのは見過ごすわけにはいかない。
なんとか間に合って良かった。
彼を町まで運ぶのは腐敗が進んだ体ではキツイ仕事だったがこれも人助けだと思えば何て事はない。
(でも何もいきなり吐くなんて失礼よね)
彼女の繊細な乙女心には少なくないダメージがあったが。
(舌があればなぁ)
ちゃんと説明できるのに。
彼女の舌はとっくに腐り落ちてしまっていたが、その魂は神々しく美しい。
そう、彼女の名は祟り神様。
孤高のツンデレ神。
最終更新:2011年03月05日 21:38