赤羽根探偵と奇妙な数日-4日目朝1-

『異対委の役員死亡、どうなる新法審議』


 ―――先週の金曜日未明、新宿三丁目のアパートにて発生した火災の際、焼死体で発見された身元不明の男性が、厚労省の異性化疾患対策委員会の役員であることが警視庁の調べで明らかとなった。
 死因は、焼死と見られていたが解剖の結果、銃殺と判明。
 被害者の遺留品や凶器が現場から発見されていないことを含め、警察は強盗放火殺人事件として調べを進めている。
 昨今、新法の審議を巡り世間から注目を集めている、異対委の役員が殺害されたことを受け、同委員の長を代理で務めている神代 宗氏は報道陣を前に
「誠に遺憾であります。警察には一刻も早い事件解決を求めます」―――とコメントするに留まった。
 過去に異性化疾患に関する暴露本を出版し、世間の注視を集めたことも記憶に新しい神代氏。
 今回の報道を受け、大胆かつ実直な政界のサラブレッドと謳われた同氏でも、流石に疲労と困惑の色は隠せないようだ。"



 ―――誰か噛み砕いた訳にしてくれ、日本語じゃねぇよ……これ。

 記事にも載ってた神代サンの暴露本以来久しぶりの睨み合いは、活字の勝利で終わりを告げようとしていた。

「なぁに難しい顔して似合わないモノ読んでるかな」

 さっきコンビニでスポーツドリンクと一緒に買った新聞を眺めていると、後ろからハネたようなソプラノの声がした。
 ……似合わないというのは承知の上だが、本人に向かって言うかフツー?

「おはよー、健全な青少年くんっ」

 振り返ると、いつもの青いリボンで結った短めのポニーテールが映る。

「よ、よぉ」

 視線を少しだけ下に向けると、砕けた様子で笑う、るいの姿があった。
 ……珍しい、今日は初紀は一緒じゃねぇのか?

「今日から、初紀ちゃんとは別登校なんだよ~」
「そうなのか。って……別になんも言ってないだろ」
「あははっ、ひーちゃんってば目が正直だし、お喋りだから分かりやすいんだよね」

 左脇に抱えた新聞の表現を借りるなら、ダテに"政界のサラブレッド"の下で働いていないらしい。

 ………。

 それにしても、珍しいコトもあるもんだ。
 "仕事"にかまけて初紀にべったりな奴が、一人で登校するなんて。様子を見る限りじゃ、初紀とケンカしたって訳じゃなさそうだが……。

「そ、そんなに見つめると照れちゃうよ……」
「わ、悪いっ」

 自身を抱くようなポーズをとりながら、顔を赤らめるるい。凹凸がはっきりとしている身体のラインについ目が……

「……ひーちゃんの、えっち」
「っ」

 ……っ、ヤバい。
 思わず下半身が漲るところだった。
 ……と、とりあえず、流れていく雲にでも視線を向けて、心と下半身を落ち着かせろ、俺、可及的速やかにだ―――。

「―――……ぷっ、あっはははっ! おっかしー!
 相変わらず純情だね、ひーちゃん! おねーさん安心したよっ!」

 俺の内心なんか露知らずと言わんばかりに、るいはくびれた腹を抱えた。……なんか、今、すげーバカにされた気がする。

「あはっ、ごめんごめん、お詫びに……ちゅーしてあげよっか?」
「ち……!?」

 人通りも多い通学路でなんつー破廉恥なことを耳打ちしてくるんだっ!?

「あははっ、冗談だよ、じょーだん」
「……」

 軽くウインクをしながら可愛らしく笑うもんだから、なんか怒るに怒れない。
 つーか……なんで朝っぱらからこんなテンション高いんだ?

「ひーちゃんから定期的に純情成分を補給しないと、やっぱり生活にハリが出ないねっ」
「ヒトを化粧水みてーに言うなっつーの!」

 理不尽だ。なんでこんなにも、俺だけ慌てふためかなきゃなんねぇんだろう。
 ……言わずもがな惚れた弱みだろうな、十中八九。
 そんな俺の心境を、知ってか知らずかるいは、誰もが元の性別を悟ることが困難な悪戯っぽい笑顔を向けてくる。

「くすっ、ひーちゃんは、そうじゃなきゃ」
「……ヒトをからかって楽しいかよ?」
「うんっ」

 楽しそうに即答すんなっつの。

「だって赤羽根さんなんか、何しても無気力な返事しか返ってこないから、つまんないし」

 るいは不貞るように言って、不満そうに口を尖らせた。

「赤羽根……? あぁ、あの口の悪ぃ探偵サンか」
「うん、でも、ひーちゃんが言えたコトじゃないと思う」

 放っといてくれ。

「……そういやぁ、確かあの人の妹が転入してくるんだっけか」
「ありゃ? よく知ってるね」
「その赤羽根サンから、よろしく頼まれたからな―――」

 兄がああなら妹の性格は柔和するもんだと、自身の経験則から勝手に想像していたが、例外は存在するらしい。

「―――そう考えると今月は転入生ラッシュだな」
「そーぉ?」

 キョトンとした顔で、るいは首を傾げてみせた。

「そうだろ。
 この前にウチのクラスに転入してきた"佐伯"ってヤツを含めて"三人"だぜ?」
「三人? その子―――佐伯さん―――と、なのちゃんの二人じゃなくて?」
「もう一人居るんだとさ。三人ともすげー可愛いってウワサがクラスで持ちきりなってる」

 件の転入生の内、二人は顔を知っている。
 その内の片方は――今から考えたら俺のバカげた行動のせいで――遠目からでしかその姿を見たことはねえけど、確かに顔立ちは整っているような印象を受けた。

 探偵サンの妹は年齢の割に大人びていて、言うなれば同性異性を問わず、人気が出そうな雰囲気を身に纏っている。
 まだ直接話したことは無いから断言は避けるが、あれで人当たりが良かったら、一部の女子連中が"お姉さま"とか言い出しかねない。

 ――佐伯 琴夜は、なんつーか、つかみ所がない奴だ。
 彼女が転入してから何週間か経つが、既存の生徒から転入生に向けられる興味の視線を気にする様子すら見られないし、
 来るもの拒まず去るもの追わず精神の持ち主なのか、特定の誰かと仲良くする訳でもない。
 間延びしたような喋り方と、自分が興味を示したものをところ構わず携帯で撮影する癖のせいで、クラスの連中の評価は二分化している。
 主観的に言わせて貰えるのなら、苦手な部類だ。
 佐伯と十秒間会話しただけで、えもいわれぬフラストレーションが溜まる。

「ふぅん……?」

 ……何かの地雷を踏んだのか、るいは右手の人差し指を唇に当てがいながら、細い目で俺を一瞥してきた。

「他のコのコト、そんな気になるんだぁ?」

そこに普段よりトーンの高い大袈裟な声色も付け足される。

「ち、ちげーよっ!」

 事実無根……の筈なのに、るいに凝視されると反射的に言葉に詰まっちまうのはなんでだ畜生。

「クラスに居たらそーいうウワサはイヤでも聞こえて来るんだっつの―――!」
「―――別にいいんだよ? 私だって気持ちは分かるもん。男のコが可愛い女のコを気にしたってさ……うん」

 故意と、無意識。
 その、どちらとも取れるような憂いた顔から乾いた笑みを向けられて……心臓が高鳴った気がした。
 純粋に、その憂いを帯びたるいの笑顔が綺麗だったからか、俺が答えを先延ばしにしている罪悪感からか、あるいはどっちもか。

「……なーんてねっ」

 居心地の悪い心音に言葉を詰まらせている俺を見かねたんだろう。
 るいは取り繕うように破顔してから、まるで、ダンスの振り付けのようにくるりと背を向ける。
 遠心力に従ってふわりと跳ねる短めのポニーテールが、やけにしょぼくれて見えた。

「……なぁ」

 繋ぐ言葉も見当たらないまま、いつもよりも小さく見える彼女の後ろ姿に声を掛けた。
 でも、るいは、振り向かない。

「その……何かあった―――」

 自分でも苦笑しそうなほど白々しい言葉を寸でのところで飲み下す。
 るいの愛用してる鞄に盗聴器が仕掛けられた直後だってのに……"何も無い"なんて言わせるつもりなのか?

 ……バカか、俺?!

「―――ちょ、タンマ、今の無し!」
「……ほぇ?」

 唐突且つ無拍子なリテイクに、会話が再び止まる。他に登校してる学生やら、これから仕事場に向かうサラリーマン達からしたら、俺達は奇妙に見えたと思う。……互いが互いに、戸惑い、考え、悩んでいることなんか知らねぇんだから。

「……ぷっ、ふふっ、ひーちゃんってばおっかしーんだぁ!」

 その、他人から見たら空白にしか見えない珍妙な無言の間に耐えきれず、吹き出す、るい。

「~~~っ、しょーがねぇだろっ、適当なワードが見当たらなかったんだっつの!!
 ……だから笑うなっ!!」
「いや、ごめん、無理っ! ぷっ、くくく……」

 るいは心底愉快そうに、俯き、身体中を震わせ、笑って―――
 ―――……笑ってんのか?

「るい……?」
「……っく、くくっ、……あーすっきりしたっ」

 嗚咽なのか嘲笑なのかも分からない声を一仕切りあげたるいは、再び俺から背を向けて大きく伸びをする。

 ―――すっきりしたなら、なんで俺から目を逸らすんだよ? なんで指で目ぇ擦ってんだよ……?

「………ねー、ひーちゃん?」

 背を向けたままの水向けに、とっさの言葉が出なかった俺を責める訳でもなく、るいは曇天を仰ぐ。


「死亡フラグ、立ててもいい?」
「………は?」


 あまりに突拍子も無い、本気とも冗談とも取れる言葉に、俺は一音のリアクションしか返せなかった。

 その戸惑いの一音をイエスと解釈したのか、るいはふわりと振り向き、その持ち前のポニーテールを逆さに垂らす。


 ……るいの様子が尋常ではないことを頭よりもカラダが悟った。
 肌がざわつき、口が乾き、顔が熱くなる。

 ―――……ワケがわかんねぇぞ、おい。

 ―――なんだよ、なんなんだっつのっ!?

「……楽しかった。
 キミに会えて、初紀ちゃんに会えて、この数ヶ月、すっごい私は幸せでした。
 ホント、ありがとう」

 イヤな予感しかしなかった。

 以前のゴタゴタのように、るいが両親の居る海外に連れ戻されるなんて生易しいモンじゃなくて。
 もっと、こう……直接的な何かだ。
 なんて表現すればいい……?
 ………。
 ………バカ言うな、るいは……とっくに答えを出しただろーが!



 『死亡フラグ』って。



 日常では冗句混じりにしか使わない言葉なのに、それに寒気を覚えざるを得ないって、どういう状況だっつの!?

「っ、はは……っ、ワケ、わかんねぇよ」

 笑っていたのは声と膝だけだった。
 ………十秒もしない内に、それも意図しない笑いだけになる。
 それが、るいに聞こえているのかは定かじゃないが……彼女は踵を返しながら頭を上げ、また曇天を見上げた。

「……私が、もっと"男の子"だったら。
 もっとキチンと伝えられたのかな」

 言い得て妙な言い回しでるいは呟く。
 多分、それは俺みたいな男には、知る由もない感覚。
 共感することを許さない見えない壁が、俺とるいとの間に横たわったような気がした。

「………それでね、お願いがあるんだけど、いいかな?」
「あ、あぁ、……いいぜ」

 背を向けたままのるいの問いに、安易に答えたのは、平たく言えば失敗だった。
 ……膝の笑いを誤魔化したくて、苦し紛れに嘯きに返ってきた言葉は―――。

「もう、私に――――――で」
「…………へ?」
「聞こえなかったかな。

 もう、私に近寄らないで欲しいんだ」

 ―――強い拒絶だった。

「……ねっ?」

 また、るいは笑う。

 見たことがない……いや、たった一度だけ見たことがある笑みだった。
 普段浮かべるような悪戯めいたものでも、自嘲するような乾いたものでもない。

「じゃ、ね、ひーちゃん……よろしくね」

 いつもと変わらないようで、いつもと全く違う表情を作ってみせると、るいは……直ぐさまに走り去る。

「…………っ」

 俺は、その後を追い掛けた、いや……追い掛けようとした。

「―――よ、学ランクン」

 ……不意に後ろから呼び止められたりさえしなければ。るいを見失うこともなかったのに。



―――――
―――
――

 なんで俺、一周り弱も年下のガキに、振り返り様に睨みつけられなきゃなんねぇんだ? なんかしたっけか?
 まぁ、ンなことでは俺の防御力は下がらねぇがな。

「……おはよ、陸」

 道案内役として駅で合流した初紀嬢ちゃんが普段よりも低いトーンで学ランに声を掛けた。
 そのテンションに負けず劣らずの溜め息を吐きながら、斑な茶髪少年は―――

「……おう」

 ―――とだけ返す。
 ……学ランは、他にも何か初紀嬢ちゃんに言いたいことがあるような面をしているし、初紀嬢ちゃんは初紀嬢ちゃんで苦虫を噛み潰したような渋い面のまま何も語ろうとはしねぇし……。
 部外者の俺は居心地が悪いことこの上ない。
 多分、名佳も同じだろう。
 気まずそうに萎縮してながら、初見である学ランと初紀嬢ちゃんを交互に見ている。

 ……もしかして、嬢ちゃん絡みで何かあったのか? 俺や警察が嬢ちゃんを犯人として疑ったことを伝えた昨日の今日だ、その可能性は大いにある。
 が。
 ……それにしたって妙な話だ。
 嬢ちゃんは、事件発生時から警察の疑いが自分に向けられていることに気付いてる。
 今更、わざわざ友人と距離を空けるっつーのもオカシな話だ。
 仮に嬢ちゃんが犯人だとして、逃げる算段を目論んでいたとしても、行動に移すまでが遅すぎる。
 アタマの回転が早い嬢ちゃんなら尚更―――。

「……あの」

 ―――不意に、沈黙に耐えかねたように名佳が口を開いた。

「……一応、初めまして」

 次いで、おずおずと斑な茶髪の学ラン少年に向かって頭を下げる名佳。
 "一応"と付け足したのは、学ランとの顔合わせ自体は初めてでは無いからだろう。
 嬢ちゃんの鞄に盗聴器が仕掛けられていた事件が発覚する―――その少し前にお互いに顔は見知ってるんだからな。

「今日から一緒の高校に通う、あ、赤羽根……名佳です。よろしく、お願いします。……えと、学ランさん」

 素直に俺が付けたあだ名を復唱し、丁寧に自己紹介をする名佳の―――妙なとこだけで発揮される―――天然さが可笑しくて吹き出しそうになった。

「アンタ、自分の妹に何教えてンスか?」

 と、俺への低い声での非難があった上で―――

「―――陸」
「え?」
「前田 陸。大陸の"陸"って書いて"ひとし"って読む。間違っても、アンタの兄さんみてーな呼び方はしないでくれ」

 ぶっきらぼうに名佳から視線を外しながら学ランは言った。

「仕様が無ぇだろ、名前に特徴ねぇンだから」
「……だからといって"学ラン"ってあだ名もどうかと思うンスけど」

 テンション低いクセに、いちいちうるせーなこの学ラン。

「んじゃ、"プリン"とか"マダーラ"とか呼んでやろうか?」
「……名前で呼んでくれっつっても無駄なンスね」

 半ば諦めた風に、学ランは俯いた。

「……前々から思ってたけどさ、ネーミングセンスないよな、アンタって」

 俺にだけ聞こえるようなトーンで名佳が呆れたように呟く。自分の仮の名付け親と同格同列な風に言うんじゃねーよ。

「……ん?」

 ふと、学ランの左脇に抱えられた高校生には似合わないモンに目が行く。……新聞だ。無彩色なところを見る限りだと、スポーツ紙じゃない。
 昨日の朝、バスロータリーで会った時にはそんな高尚なモンを持ち合わせちゃいなかった筈だが。

「……読みます?」

 っと、俺もまだまだ未熟だな。こんなバカそうなガキに思考を読まれるなんて。

「いや、いい」

 差し出された新聞の見出しだけで内容は大体伝わったからな。
 学ランは少し不服そうな顔をしてから、視線の矛先を名佳に向ける。

「……"赤羽根 なのか"っつったっけ?」
「は、はい」
「……疲れねぇ?」
「……えっ?」

 学ランの意図の汲み取れない言葉に俺を含む一同がキョトンとした。
 その一瞬の間も意に介することなく、学ランは斑な後頭部を掻きながら、少し気まずそうに話を続ける。

「初紀達は気を遣ってか何も言わねーし、身内である探偵サンは勿論黙ってるけどよ―――その、アンタも、元男だろ?」
「っ!」

 ………こいつぁ驚きだ。

 俺が学ランと初めて接触した時には、名佳が異性化疾患に掛かった人間だということは伏せていたし、
 学ランの口振りを聞く限りじゃ、二人の嬢ちゃんから何かしらの前情報を貰った―――ってワケでもなさそうなのにも拘わらず、こいつは……名佳の正体をあっさり見破りやがった。
 事情を知ってる人間は全員、思わず言葉を失っちまってた。
 これじゃ暗にハイって言ってるようなモンじゃねーか。

「……俺の勘違いだっつーんなら殴ってくれ」

 ただ、学ランの中での確信はないらしい。
 変に情報が漏れて、後手に回ることを考えたら、俺が学ランを殴っとくべきかもしれないが。

「なんで……なんで、わかったんだよ……?!」

 それも一足遅かったみたいだ。
 俺と出会った時のような無防備な状態ならいざ知らず、
 入念な準備をした現段階で、正体を赤の他人である学ランに見破られたのは名佳としてもショックだったのかもしれねぇが……。
 ……それにしたって白状するのが早すぎねぇか? こりゃ、名佳が警察で尋問されたらひとたまりもねぇぞ……。
 ……でも、ま、学ランが名佳の正体を見破った切欠は気になるトコだし、俺は黙って会話の顛末を見守ることにした。

「……勘っつーか、なんつーか」

 期待外れの回答に俺達兄妹は盛大につんのめっちまった。

「う、嘘だろ……?」
「勘だけで、そこまでハッキリと断定した言い方が出来るかっつの!」
「あ、いや、その、所々で『あれ?』って思っただけッス」

 学ランの中でどういった理論が構築されてんのか読めない。多分、第六感的なモンもあったんだろーが……それだけで核心に迫るとは到底思えねぇし。

「……ねぇ、陸。最初になのかちゃんに違和感を感じたのはいつだったか、覚えてる?」

 付き合いが長いのか、初紀嬢ちゃんから助け舟が出る。

「初っ端からだよ。初めて……その、……探偵サンの妹サン―――」
「―――呼び捨てでいい」

 いきなり鍍金が剥がされたのか余程ショックだったのか、名佳は拗ねるように横槍を入れる。

「―――その、赤羽根が委員会に居た時から変な感じはした」

 "呼び捨てで良い"と言われ、何故俺と混同するかもしれない苗字を選んだのかは……この際、言及しないでおこう。

 ……漸く合点がいったとこでもあるしな。

「俺が名佳を連れて委員会を訪れたあの日、俺は学ランと初紀嬢ちゃんを見掛けて異性化疾患に何かしら関係する人間だと当たりを付けた。
 学ランも同じタイミングで同じようなことを考えてたワケか」

 尤も、その違和感の正体にまで学ランは気付いちゃいなかったみたいだが。

「……まぁ、そんなとこッス。後はちょこちょことした違和感が積み重なって、もしかしたらって……」

 人を勘ぐることが好きではないのか、学ランは気まずそうに目をアスファルトに向ける。

「―――赤羽根が、どんな理由があって隠してたのかは知らねーし、別に無理に暴くつもりもねーけどよ。
 ……あんま無理すんなよ」

 よくもまぁ、邪な心なしにそんな台詞が吐けるもんだなこの学ラン。……流石、恋愛天然記念物ってトコか?
 だが。

「……大きなお世話だ」

 名佳が、そっぽを向いて呟いた。
 思わず空を仰ぐ……何か雲行きが怪しくなってきていた。

「そうやって善人ぶって、アンタは何がしたいんだよ?」
「っ」
「……あか……"兄さん"が何て言ったか知らないけど、うざったいんだよ」

 オイ、今危うく、兄妹の秘密までバラしそうだったぞ。

「もっとハッキリ言わなきゃわかんないか? 訳知り顔で他人に気を遣ってるフリをして、自分に酔ってるようにしか見えないんだよっ、アンタは!」

 何故、名佳は学ランにこうも突っかかるんだろうか。
 学ランも学ランで、なんで何も言い返しもしねぇンだ……?

「"無理するな"?
 "疲れるだろ"?
 分かったような口を利くなよっ、どうせお前は―――!」「―――なのかちゃんっ!」

 水を打ったような静けさが、広がる。

 ……名佳の怒りに任せた口撃を遮ったのは、初紀嬢ちゃんだった。
 流石に、家で空手を嗜む者ということもあってか直接名佳に手出しはしなかったものの、音で殴られたような錯覚に陥りかねない声量で訴えた。

「……ごめんなさい、赤羽根さん、なのかちゃん」

 しばしあってから、何故か、初紀嬢ちゃんが頭を下げた。
 容赦なく名佳の口撃を浴びた学ランも、下を向いたまんま黙っているだけで、名佳を責めるようなコトはしなかった。

「―――悪い、先に行くわ。
 行くぞ、名佳」
「………っ」

 努めて何事も無かったように言い、俺は名佳の左手を取る。
 微弱な抵抗はしたものの、この場に留まるよりはマシと判断したんだろう。抵抗を止め、妹は沃(そそく)さと俺と共に歩き出した。

 その時、学ランが背後で言ってた言葉が妙に気になった。

『本当の意味で理解出来てたら、苦労なんざしねぇよ』

 ……世の中、異性化疾患になってもならなくても、苦労っつーモンは付いて回るコトを、体現したような言葉だった。

「――――で。
 なんでわざわざ、波風立てるようなコトを言ったンだ?」
「……わからない」

 俺の手から離れ、右隣をトボトボと歩く名佳は虚ろに言った。
 さっきまで学ランに対して烈火の如くキレてたのが嘘みたいな消沈っぷりだ。

「単にヤンキーまがいな格好が嫌いだったんじゃねーのか?」
「……」

 あの切れ長の目と斑な茶髪とか見る限りじゃ誤解されかねねぇが、悪い奴ではないンだろうな。
 でなければ、わざわざロリコン官僚に付き合って委員会の本部にまで出向き、"被験者"なんて面倒なことはしねぇだろうし。
 その辺りの知識は公共に出回ってねぇから、名佳が知る由もないのは、まぁ、当然といえば当然だが。

「……ごめん、嘘ついた」
「なにがだよ」
「前田 陸にあんなこと言った理由。本当は分かってた」
「……そんじゃ、参考までに訊こうか」

 それから数秒、名佳の躊躇うように口元を右手で覆ってから、大仰に溜め息吐いた後に―――

「……嫉妬だよ」

 ―――嫌悪感を全面に押し出すように呟いた。……その嫌悪の対象が誰なのかまでは分からないが。

「嫉妬?」

 振り幅の小さい首肯が返ってくる。

「……アイツからは、焦燥感が感じられなかった。
 ……多分、御堂さんか坂城さんを相手に、もしくは……"青色通知"だっけ?
 その、いずれかで"予防した"んだろ」

 "青色通知"、ね。
 名佳が来る以前は、委員会から受け持ってたメインどころの仕事だったワケだが、こうして名佳からその単語聞くと酷く懐かしく思えた。

「……要するにアイツ自身は、もう発病する心配なんて無いじゃないか」

 ―――だから嫉妬か。

「その、優越感に浸られた。少なくともオレはそう感じた。
 その証拠に……アイツは御堂さんが止めてからも何も言い返さなかったじゃないか」

 苦々しく吐き捨てる名佳を見て、人間のコミュニケーションの本質を垣間見た気がした。
 なるほど……コミュニケーションに一切の打算が無くなると、こういうコトになるワケか。

「……そんで?
 その一連の学ランクンにふっかけた行動には、これから、自分が、より安全に、学校生活を送る上で、どんなメリットがあったンだかな?」
「っ………」

 意地悪く語意を粒立てて言ってやる。
 それは、遠回しに自分の首を絞めたことになってるんだと、思い知るキッカケになればいい、と。

 だが、妹は返事をしなかった。

 代わりに、俺にとってはノスタルジックな予鈴の音が鳴り響いてただけだった。

――――――
――――
――



 赤羽根サンの言うことは尤もな意見の筈なのに、何故かオレは素直に聞き入れることが出来なかった。

 ……ただ、単なる醜い嫉妬のせいだと言い聞かせる自分と、アイツ―――前田 陸―――が悪いんだと思う自分がせめぎ合って、息苦しくて仕方がない。

 一人じゃどうしようもない境遇に諦めをつけようとしていたオレの前に、何の不自由もなく元来の性別を享受しているアイツが現れたのが、悪いんだ。

 男としての快楽、悦楽を味わったことのない……髪の毛から爪先までコンプレックスの塊に成り果てたオレからしたら、あんな言葉限りの気遣いなんて……単なる辱めだ。

 確かに、あの時はそう思った。

 でも、もしも……これを切欠にオレが異性化疾患を発病した元男だとクラスにバレたら?
 ……下手をしたら、今まで事情を知るみんなが積み上げてきたものが無駄になるかもしれない。
 何のために恥を忍んで女の格好をして、坂城さん達から女の子講座を受け、学校転入したのか分からないじゃないか……!
 朝方に決意した事が、限りなく無駄になってしまうことを……オレはやらかしたんだ。
 ………なのに、赤羽根サンは特別オレを責めようとはしなかった。
 愛想を尽かされた訳でもなく、至って普通にオレの横に居てくれた。

 ………それだけが、唯一の救いだった。

「……佳……名佳っ!」
「っ」

 気がつくと、怪訝そうな顔で俺の見つめる赤羽根サンが居た。
 辺りを見やると、そこはこれから少なくとも数日間は世話になるだろう高校の正門前だった。

「なぁに呆けてんだ。行くぞ」
「あ、ああ」
「……言葉遣い」
「う、ん……」

 赤羽根サンから咎められても、スイッチが錆び付いた電灯みたいに、上手く口調の切り替えることが出来ない。
 まずい、しっかり……しっかりしないと。

「とりあえず、さっきの学ランとのやりとりは忘れろ」

 目線を校舎に移しながら、赤羽根サンは呟くように言った。
 つられてオレも校舎の方に目線を移すと、陸上部らしきジャージ姿の男女が各々、リラックスした雰囲気で昇降口に向かっているところだった。

「……難しい注文だよ、それ」

 乾いた笑いしか出なかった。
 忘れようと意識するなんて、思い出すのと、ほぼ同義じゃないか。

「そうかもな」

 愛用だという帽子の縁を軽く叩きながら、しばらく考えた後に赤羽根サンは―――

「そンじゃあ……今日の昼飯に、購買で何買うかでも考えてろ」

 ―――と言ってきた。

「なにそれ」
「いーから」
「う、ん………わかった」
「……何買うか当ててやろうか?」
「そんなの無理だって」
「やってもいねぇのに無理とか言うなよ」
「……じゃあ当ててみてよ」
「コーヒー牛乳」
「…………っ」

 ……問題も間違っていないし、確かに当たっていたけど、なんだか凄い腑に落ちない気分になる。
 そんなの、オレがこの数日間、コンビニでいつも買ってたのを見てただけじゃないか。

「んじゃ、行くか」

 さっきの回答が合ってるのかどうかも確認せずに、赤羽根さんは正門をくぐる。
 まったく……呆れるのを通り越して笑うしか出来ないじゃないか。
 オレは、ダラダラと歩く赤羽根サンの後ろをついていった。


「―――おはようございます。本日より貴校に転入することになりました、赤羽根 名佳の保護者です。担任の先生はいらっしゃいますか?」

 赤羽根サンの似非爽やかなアルカイックスマイルが来賓兼職員用通用口の受付で炸裂する。この探偵の素を知ってるオレからすると……不気味の一言に尽きる。

「はい、少々お待ち下さい」

 ―――ンだよ?

 ―――別に。

 慇懃無礼な事務員が奥の内線電話に向かうのを確認してから、目配せで兄とそういった意味合いのやり取りをしていると―――
 ―――脇の廊下に居る女子生徒が目に映った。
 後ろ姿しか見えないけれど、あの背丈と青いリボンで結った短いポニーテールは……。

「坂城さ―――んぐっ!!?」
(騒ぐなっつの)

 ただ彼女に声を掛けようとしただけなのに、ゴツゴツとした大きな掌がオレの口元を塞ぐ。

「んーっ!」

 くそっ、何するんだよ、このバカ兄貴はっ!?

(嬢ちゃんが、何のためにわざわざ自分に疑いが向くようにしてンのか分からねーのか?)
「……っ?」

 掌が離れて、新鮮な空気に触れた口元がひんやりとした。
 再び坂城さんらしき後ろ姿が居た廊下に目を移したけど、その可愛らしいポニーテールの少女はもう居ない。

「なにする……のっ!?」

 慌てて口調を修正したものだから、変につっかえたような言い方になってしまう。

「言っただろ、嬢ちゃんには近寄るなって」
「でも―――」
「―――何のために、嬢ちゃんがそんな真似してると思ってンだ」
「っ、ど、どういうことだよっ」
「……わからねーなら、その方が都合いいかもな」
「だから、どういう意味―――」「―――お待たせしました」

 ……なんてタイミングの悪さだ。
 オレが赤羽根サンを問い質そうとしていたその瞬間に、内線で連絡を終えた事務員がこっちに戻ってきたのだから。

「"赤羽根 名佳"さんですね。まず担任を紹介しますので、職員室までお願いします」
「「……わかりました」」

 事務員に負けず劣らずの慇懃無礼さを伴った異口同音だった。
 オレはまだ履き慣れない真新しい上履きに、赤羽根サンはサイズの少し小さいスリッパに履き替えて、それぞれ職員室へと向かう。

 ―――独特の匂いがした職員室にて、担任だという中年の先生と対面した。
 その先生は、オレや赤羽根サンに対して妙に媚び諂っていたような気がする。
 恐らくは、便宜上、あの神代っていう人の親類だということにでもなっているんだろう。

 ……でも、そんなの、どうでも良い。

 ただ、オレは赤羽根サンが言ってたことが気になってた。

『―――何のために、嬢ちゃんがそんな真似してると思ってンだ』

『……わからねーなら、その方が都合いいかもな』

 それが分かれば苦労しないっていうのに、赤羽根サンは意地の悪い言い方しかしない。

 ……自分で考えろってことか?

「―――そういえば、今日はキミとは別にもう一人、転入生が来るんだよ」
「え……?」

 ―――気がつくと担任教師が、オレに話を振っていた。

「珍しい時期の転入生同士、仲良くするといい」

 こちらの意志なんて全く無視した無責任な言葉に少し苛立っていると、示し合わせたかのように、職員室の扉が開く。

「お、ちょうど来たみたいだね」

 ご都合展開のそれよろしく、そこには保護者らしいスーツ姿の男性に連れられた背の小さい女生徒が立っていたが――――

「「……あ」」

 ――――お互いの姿を認めた、その刹那に時間が止まった気がした。
 それは、赤羽根サンも同じだったらしい。


 低い背丈と、可愛らしい童顔とはアンバランスなハニーブラウンの長い髪を拵えた、一見するとオレよりも年下に見えるヒトが、わなわなと震えながらこちらを見ている。

 今、一つだけ疑問を述べるとすれば。

 ―――赤羽根サンとは腐れ縁だという、新宿警察所属の女刑事さんが……何故、オレと同じ制服に身を包んでいるんだろう……?


  【赤羽根探偵と奇妙な数日-4日目朝1-】


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最終更新:2010年09月28日 00:16
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