「はい、仙川君」
ぼけーっと外を眺めていると、前の席から声が掛かった。
いつも何もやることのないロングホームルームの時間は、俺の睡眠タイムである。
だが今日は何かやるようだった。
全員にプリントを配り、なにやら説明をしている。
「仙川君、どこ見てるの?」
「いや、国道を通る車をね。」
「ふふっ、仙川君らしいね。」
「俺らしいってどういうことだよ。」
前の席の水上さくらが、プリントを渡しながら話しかけてくる。
短めの髪に、ちょこんと出っ張ったポニーテールが目に付く。
ポニーテール萌えの俺にとって、彼女の後ろで授業を受けられるということは、この上ない幸せである。
ほのかなシャンプーの香りが漂ってくるときは、恍惚の状態に。
学校のトイレで何度となく自慰行為をしたことか。
おっと、失言失言・・・
彼女は俺に対し、とても気兼ねなく接してくる。そして優しい。
思春期真っ只中の14歳。
ちょっと女子が気兼ねなく接してくるだけで、自分に対して気があるのかと思う。
今の俺はまさにそう思ってしまっている。
始めのうちは友人としてよき存在であったが、いつの間にか彼女のことを一人の女性として捕らえるようになっていた。
俺は水上さくらが好きだ。
そして多分彼女も俺のことが好きなはずだ。
所謂両思い?
その日のLHR中は、ずっと彼女のポニーテールを見ながらニヤニヤしていた。
思春期の思考回路は、とっても単純なんだなと今でも思う。
その日の授業も全て終わり、俺はさっさと帰る支度をした。
支度といっても、鞄に筆記用具をしまうだけ。
教科書、ノートなんて学校に置いておくのが一般中学生と言えるだろう。
スッカラカンの鞄を背負い、足早に駐輪場に向かった。
俺には仲のよい友人があまりいない。
水上とは普通に話していたが、あれは席が前後ろってだけであって、いつもあのように話すということはない。
唯一、小学校から仲のよい友人がいるが、その人は女の子。しかも部活に所属している。
男友達はほとんどいないので、一緒に帰る人がいない。
ここ2年は、ほぼひとりで帰っている。寂しいと思ったことは無い。
寂しいのには慣れている。
小さい頃に母親が亡くなり、兄弟はいない。
父親は仕事で忙しく、家には一人ぼっち。
学校に行っても内気な性格からか、向こうからも自分からも寄ろうとはしてこない。
こんなことが小学校の頃から続き、早8年目。慣れるのも当然であろう。
でも今の自分には水上さくらという天使がいる。
今までただ漠然と学校に来ていただけだったのだが、最近は来るのが楽しい。
彼女の笑顔を見て、彼女のポニーテールを見る。そして彼女の髪の香りを楽しむ。
彼女の後姿を見ながらにやにやしている自分の姿は、犯罪者と見間違われてもおかしくない。
明日も彼女のことを考えると、学校が楽しみで仕方が無い。
明日彼女とどのようなことを話そうか考えながら、俺は帰宅の途についた。
「ただいまぁ・・・」
誰もいない家に、俺の声が寂しく響く。
暖かく出迎えてくれる人は一人もいない。
でも鍵っ子の俺にとって、こんなことはもう慣れっこだ。
鞄をその辺りに放り投げ、テレビとゲームの電源を同時に入れた。
一人でやることといったら、これくらいしかない。俺の唯一の遊び相手だ。
文句も、我侭も、何も言ってこない。最高の遊び相手である。
俺は父親が帰ってくるまで、ずっとゲームにかじりついていた。
「ん・・・んあ・・・?」
少し重たい瞼をこすり、時計に目をやる。時刻は8時をまわった所。 俺はいつの間にか寝ていたみたいだ。
テレビの画面からは、何度もデモ画面が繰りかえし流されている。
軽く背伸びをし、父親がいないことを確認する。
いつもだったら父親は帰ってくる時間なのだが、まだ帰ってきていない。
残業か、部下の人たちと呑みにでも行っているのだろうか。
そういうときには、電話がしてくるはずだ。
電話に目をやると、チカチカと留守電ランプがついていた。
「―――――というわけで、今日は帰れそうにありません。留守番よろしく。」
電話機から、忙しそうに父親の声が流れる。まだ会社にいるみたいだ。
どうやら、今日明日までにやらなければいけない仕事があるらしく、家には帰って来れないとのこと。
今日も残業か、と思っていると、俺の腹から大きな音が鳴った。
そういえば、まだ夕飯を食べていなかった。
給食を食べてからどれくらいだ・・・10時間近くは経っている。
その間、何もモノを食べていなかっただから、腹が減るのは当然だろう。
こういうとき、夕飯は出前かコンビニで買ってくるかのどちらかになる。
俺は迷った。
この前、出前を頼んだばかりだし、かと言ってコンビニ弁当もそろそろ飽きてきた。
自分で作るという手もあるのだが、玉子焼きすら作ったことのない俺なのだから、作れる料理なんてあるわけがない。
机の上には、中華料理屋や寿司屋などの注文表が並べられている。
俺は腕を組みながら悩んでいた。
「とりあえず・・・テレビでもつけるか・・・」
少し埃の被ったリモコンを手に取り、再び電源を入れる。
するとタイミングよく、とあるコンビニのCMが流れていた。
ジュワーという音を出しながら、肉汁溢れるカルビが鉄板の上で踊っている。
「今ならカルビ弁当○○○円!」とお馴染みの謳い文句で喋ってくる。
知らぬ間に俺は涎を垂らし、指を銜えてテレビを眺めていた。
この映像を見せられてしまった今、俺の今日の夕飯は確実に決まった。
――――――――――――――――――――
「えらっさいませぇ~」
店員のやる気の無い声が店に響く。見た感じ高校生といった感じだ。
夜の10時前、そろそろ夜勤の人との交代の時間。だれて来るのは致し方ない時間だろう。
店の中にはその店員と、店長らしき人物、そして雑誌売り場の前には女の子が一人。中学生くらいに見える。
そういえば、今日はジャンプの発売日だ。弁当を見る前に、俺は雑誌売り場へ向かう。
一番下の段に、少年誌や、ヤング誌などが乱雑に置いてある。所どころエロ本が混じっている。
誰かが読んで、18禁コーナーに戻しておかなかったのだろう。見れないようについているテープが剥がされていた。
上の方に置いてある本は表紙が折れ曲がっている。俺はそういう本を買うのが嫌だ。
まだ綺麗な、下のほうに置いてある本を取り出し、ぱらぱらと今週号の内容を確認した。
「富樫さん、連載再開したんだよね。」
突然後ろから声が掛かる。どこか聞き覚えのある声だ。
くるっと後ろを振り向くと、パジャマ姿のさくらがそこにいた。
風呂上りらしく、シャンプーの香りがいつも以上に俺の鼻に衝く。
「えへへ?驚いた?」
腕を後ろに組みながら、にこっと微笑む。
風呂上りだからなのだろうか、髪の毛を縛っていない。
ポニーテール姿でない水上もまたいいものだ。
少しばかり濡れた髪を右手でかきあげる。左手には雑誌を持っている。
「水上さん、ジャンプ読むんだ。」
「あたし、こういうの好きだよ。マガジンとか、サンデーとか。」
「へぇ、意外だね。」
「変?」
「いやいや、全然変じゃないと思うよ。」
否定はしない。今の時代、女の子が少年誌を読むということは、別段変なことではない。
でも彼女がこういう雑誌を見るとは思ってもいなかった。
少女誌、りぼんとかちゃおとか、そういう類のしか見ていないものだと、俺の中でイメージがあった。
人は見た目によらず、強くそう思った。
「水上さん、一緒に払ってあげるよ。」
「本当に?」
「いいよ。カゴに入れちゃって。」
「えへへ、ありがとう。」
遠慮がちに入れるものかと思いきや、意外とあっさり俺のカゴに雑誌を入れた。
これが野郎だったらカチンと来ていたが、水上さくらという人物が入れたのだ。
しかもすごく微笑んでいる。可愛すぎる。胸が締め付けられるぜ。
目的の弁当も買い、一緒に店を出た。
冬の冷たい風が、痛く体に突き刺さる。
コンビニの中とは大違い、一気に体の体温を奪っていく。
早く家に帰ろう。俺はそう思っていた。
ぬくぬくとコタツにもぐりこみ、のんびりとゲームをやる。
一刻も早く、温もりのある場所へ行きたかった。
「寒いねぇ~」
「うん、寒いねぇ」
二人とも体を小刻みに動かしながら寒さを凌いでいた。
こんなことなら今すぐに帰ればいいのだが、このまま水上と分かれるのも勿体無いと、俺の心の中でリピートしていた。
誰にも邪魔されず、二人っきりでいることが出来る機会なんて滅多に無い。
後にも先にも、今がチャンス。大チャンス。
9回裏、ノーアウト満塁で自分の打席、一打サヨナラのチャンスくらいに好機。
ここで告白するのもあり。ありっちゃありだけど、ロケーション的に今ひとつ。
場所はマンション併設のコンビニ前、そして糞寒い冬の外。いただけない。絶対にいただけないロケーション。
ここは・・・俺の家しかない・・・!
「ね、ね、俺の家に・・・こ、来ない・・・?」
さらっと言おうと思ったが、いざとなるとやはり噛んでしまう。俺、格好悪い。
体を摩っていた彼女も、一旦動くのを止めた。顎のところに人差し指を置き、どうしようか考えている。
俺は目線を上にやり、ふうっと息を吐く。
目に飛び込んでくるのは、無数に散らばる星屑達。寒い夜ほど空が映える。
「ん~・・・別に構わないよ。」
「マジ?」
声が裏返った。
本当に彼女がそう言うとは思ってもいなかった。
俺の家には俺と水上さんしかいないんだよ、という旨を伝える。それでも構わないとのこと。
思春期真っ只中の男子中学生と、純粋無垢な女子中学生が二人っきり。
これはどう考えても危ない構図。彼女は何をされるのか分からない。
俺がもしかしたら彼女のことを押し倒すかもしれない。そしたら俺は女体化せずに済む。
いや、そんなことは考えてはいけない。正当な方法で彼女に告白し、正当な流れで彼女と・・・
そんなことを考えていると、自然と俺はにやついていた。
不思議そうに見る彼女の目線が、痛く感じた瞬間でもあった。
最終更新:2008年09月19日 22:16