『声を聴かせて』~第五章~

葉月は翌朝には目を覚ました。

―――何故だろう。
もう前の彼の面影は無くなってしまったはずなのに、彼女は彼で、彼は彼女だった。
当たり前といえばそうだろう。突然彼の心が消えてしまう訳ではないのだから。

暑い陽射しも昨日と変わらなくて、あの砂浜も昨日と変わらなくて、でも少しだけ変わったもの。
俺と彼の、彼女の会話。そしてある意味での関係だった。

「おはよう」

俺が笑いかけると彼も笑って、身長ほどもある髪を手に取ってまた笑った。

「知ってたから、あんなコト言ってたのか?」

彼は、笑って頷いた。俺はつられて笑いそうになるのを堪えて、言った。たどたどしくではあるけれど。

「何で、女になる? 今の人は、そう生まれてくるのか? それともお前は―――」

人間では、ないのか? そう言いかけて、口を押さえる。
人間でない訳が無い。今まで、一緒だったのだ。3年もの間、片時も離れずに―――

『多分、僕が生まれたすぐ後位からかな。ある事が起き始めたんだ』

勝手が違う、といった様子で葉月は砂浜に文字を綴る。
何かを思い出しながら、それは記憶を手繰り寄せるように続けられた。



『15才か16才までに、エッチしないと女の子になる病気……というよりも現象?』

何だそれは? そんな事ある訳……無い、とは言えずに、俺は押し黙った。
現に目にしてしまったのだから、本当にそんな事が有り得るのだ。
俺が世界から隔離された後で、そんな世界になってしまっていたのだ。

『原因は不明。性転換率80%強。おまけに僕は―――』

葉月は、ためらいつつも続きを書き出した。
信じられないような言葉が、そこには並べられていた。

『ずっと、人を好きになれなかった。親に管理されるような生活で、どんどん笑えなくなってった。
 外に出るのは学校の時だけ。僕は与えられた課題と練習をこなす、親の叶えられなかった夢を叶える道具。
 反抗は許されずに、縛られた毎日だったんだ。
 学校でもね、友達なんて一人もいなかったよ。当たり前だよね、一番楽しい休み時間に、僕は楽譜と睨めっこだもの』

彼は、彼女は笑った。
でもそれは俺の見ていたいモノではなく、困ったような、寂しそうな笑顔。
俺が思うに、彼女はなまじ頭が良いがためにがんじがらめになってしまったんだろう。
親が喜ぶには、怒られないには、叩かれないには、どうすればいいんだろう?
友達が欲しいのに、一緒に遊びたいのに、なんという不器用な求愛行動なんだろう。

俺は胡座をかいて、葉月を膝の上に載せた。
前とは違う感触と、伸びた髪がくすぐったい。
俺は彼女の髪を手で梳きながら、そっと肩に手を回した。
小さく、小さくなってしまった彼女は何かを書き、俺の腕に手を添えた。

『もっと強く……』

折れてしまいそうな葉月の身体を、俺は包み込むように抱きしめた。
何だか変な感じだ。あんなに固かった身体が、吸い付くように俺の肌に重なっている。
始めて味わう感触だ。もっと、もっと、もっと……ずっと、触っていたいような。

しばらくして葉月は身じろいだ。
俺が放すと、彼女はぷはっと息を吐いて何かを書き、俺を見上げた。

『お兄ちゃん、名前、なんてゆーの? ほんとに今頃だけど』

う、そうか。葉月には聞いたくせに名乗ってなかったか。
スマンスマン、と頭を掻きながら、指で砂浜をなぞる。
熱い砂の下から、湿った砂が見えた。

「俺は『旭』あさひ、だ」

呼ばれることの無い名前を、俺は何年振りに口にしただろう。
親から貰った大事な名前も、この島で暮らすのには全く使う必要が無かった。

いや、名前を忘れようとしていたのかもしれない。
昇る陽を見る度、名前を呼んでくれた両親の顔が思い出されるのだから。

両親で一つ、思い出した。
葉月が女になったゴタゴタの内に忘れていたけど、彼女に紹介しようと思ってたんだ。

「葉月、俺の親、見てみるか?」

葉月は驚いたように目を見開いた。
生きてるの? この島にいるの? そう言いたげに、目をキラキラと輝かせている。
顔が少し小さくなったせいだろうか、一際目立つ両の目で俺を見据えている。

「スマン、生きてはないんだ。 期待させちまったか?」

葉月はプルプルと首を横に振った。髪が遅れて顔に纏わり付いている。
シュンとした様子で、彼女は砂浜をなぞりだした。

『ゴメンね、わかってるはずなのに、つい…』

社会から離れた場所で生活するのに必要なのは、脳天気さと適度なバカさだ。
勿論運動神経だとかサバイバルの知識もあれば役立つ。
でも先ず必要なのは前者である。
幾ら後者があろうとも、人の死や孤独に苛まれれば弱るし役に立たない。
頭の良さも人を思いやる気持ちも、時としては辛いモノになってしまうのだから。

「バカ、気にしちゃないよ。そら、行こうぜ」

俺は葉月を引っ張り上げて立たせると、腰布を叩いて砂を落とした。
彼女の背筋は丸まっていて、傍目にもまだ気にしていると判る。
まったくそこまで気にする事ないじゃないか……
俺は彼女の腋に手を差し込み、高々と抱え上げた。
手に当たる柔かい毛と肉の感触と、軽くなってしまった重みを感じながら。










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最終更新:2008年07月21日 20:29
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