『声を聴かせて』~第六章~

深緑の森の中は微かに湿り気を帯びていて、鬱蒼とした雰囲気は小鳥達が掃っていた。
俺達はその愉しげな歌声と共に、獣道を進んでいる。

「葉月、身体は何ともないのか?」

歩を止めて振り返ると、葉月は笑顔で何かを書き出した。
微かに肩が上下し、長い髪が所々背中に張り付いてしまっている。
小中学生並の身体では、やはり体力もそれなりに落ちてしまっているようだ。

『ちょっと、ゆっくりにしてもらえるとうれしい』

やっぱりそうみたいで、上げた顔は汗が頬を伝っていた。
思えば歩幅も速度も元のまま……
そっか、と頭を掻いたところで体力が回復する訳もないのだ。

「んー……そっち向いて、脚開いてみ?」

怪訝な表情で振り返る葉月は、おずおずと脚を開いた。
瞬間、俺は葉月の股に頭を突っ込み、そのまま持ち上げる。

『………!……!!』
「おわっ!? こら、暴れんなって!」

どうやら肩車はお気に召さないようだ。
力いっぱい足をジタバタされた揚句、頭を叩かれた。

散々な抵抗の後、結局は頭を抱えるようにしがみつく事で落ち着いたらしい。
肩を掠める葉月の髪がくすぐったいけど、これなら多少は休めるはずだ。

「あと10分くらいだから、我慢な」

返事の代わりに髪が縦に揺れた。
頷いているのだろう。俺はゆっくりと歩を進めた。

赤や黄の果物をかじりながら進むと、森の出口が見えた。
俺が【お爺さん】と勝手に呼んでいる枯れかけた目印である樹は、前と変わらずそこにあった。

森を抜けた先は菜の花に似た花の咲く丘だ。
一面に広がる背の低い花達は、年中風に揺られて蜂や蝶と共存していた。
この丘の端……大きな岩が突き出た場所に俺の父さんと母さんが眠っている。

「よ……っと。葉月、花取って来てくれ。なるたけ綺麗なの」

葉月を降ろした俺は葉月にそう頼んで、岩へと向かった。
葉月は髪を揺らしながら、花畑を走り回っている。

岩は髭のような草に囲まれていた。
花が生い茂り、草木は豊かにその葉枝を揺らす。
そんな自然の中で唯一人の造り出した鉄の板のようなもの。
不自然な、昔の俺に造ることが出来たやっとの墓標。
文字の部分は錆びてしまっているが、【お父さん お母さん】と書いてあるのは読み取れた。

ここに来るのはいつぶりだろうか。
辛いことばかりでろくに訪れる事も出来なかった。
いや、ここに来る事自体、辛いことだったのだ。
冷たい、動かない、もう笑わない両親を思い出すから。
思い出の中の両親はいつも笑ってて、俺の名前を呼んで、優しくて、温かくて……

ポン、と肩を叩かれて俺は我に返った。
振り返ると、葉月が花を抱えて立っている。

「お、あぁ……サンキュ。ここに供えてくれ」

葉月は花を置くと振り返り、俺の頬に手を当てた。
……どうやら泣いてしまっていたらしい。いい大人が恥ずかしい話だが。

『どんな人たちだったの?』

葉月は俺の隣に座り、そう尋ねてきた。
どうしてだろう。また目の前がぼやけてきたんだ。
誰かにそんな事を聞かれるのは初めてだった。
自分でもうろ覚えな親の顔は、思い出せば思い出すほど溢れてきて止まらない。
怒られたり、励まされたり、微笑みかけたりしてくれた。
元気だった頃の思い出が、言葉に出来ない程溢れた。

『うらやましいなぁ……』

葉月は俺の肩に頭を添わせながら、そう書いた。
聞いた感じだと、俺の親の話は自慢話にしか聞こえないような話なのだ。

『ね、ボクみたいなのでもちゃんとした親になれるのかな?』

葉月はどんな気持ちでそう綴ったのだろう。
俯いたまま、顔を上げようともせずに。

どう答えればいいのだろう。
そんな事は考える暇もなく、俺は思ったことを口にしていた。

「"なれるか"じゃなくて"なる"んだろ。親に。今から悩むと疲れるぞ」

ふと、葉月の頭から震えが伝わって来た。
何事かと目を向けると、お腹を抱えて笑っている。

「な、なんだ? なんか変な事言ったか?」

元気付けようと、というかほぼ考え無しでの発言でここまで笑われるとは思っていなかった。
葉月は目を擦りながら、必死に笑いを押さえようとしている。

『悩んでるのが馬鹿らしくなっちゃった。ね、そろそろ戻ろ』

葉月はそう言って立ち上がり、何本かの花を摘んだ。

「葉月、それ持って帰るのか?」

駆け寄って来た葉月は大きく頷き、俺をしゃがませ、肩に飛び乗った。
何だか存外気に入っているようで、足がピコピコ動いている。

やれやれ、と俺は立ち上がり、帰路に着いた。
来る時感じていた妙な抵抗みたいなものは、もう感じなくなっていたんだ。










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最終更新:2008年07月21日 20:29
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