『声を聴かせて』~第七章~

「元々一人だったんだ。 そんなに心配すんなって」

自分の発した言葉の筈なのに、それはただの強がりでしかなかったのだ。
………葉月がいなくなって、何年が過ぎただろう。
そう、葉月は喋れなかったし、独り言のようなものだったと思ってもう諦めよう。そう考えようとした。
笑って送り出したことを今更後悔したりなんかして、俺は改めて自分の女々しさを知った。



―――あれは、確か2年前だろうか。俺の両親の墓参りをしてすぐの事だった。
船が、近くを通り掛かったのだ。小さな小さな漁船。待ち続けた筈の、救助。
俺達はボロボロになったシャツを旗代わりに、精一杯それを振り、祈り続けた。
頼む、見てくれ……!
誰か、気付いて……!
その時、思った。神様は、いるのだ。
徐々にこちらに向かって来る船では、恰幅の良い船員が手を振っている。
でも、俺は―――

『帰れるの?』

葉月は素直に嬉しそうに砂浜に文字を書いた。
その笑顔が嬉しくて、でも切なかった。だって、俺は―――

「葉月、お前は一人で帰るんだ」

「・・・?」

何を言っているのか解らない、と言ったように、葉月は首を傾げた。
―――そんな顔しないでくれよ。 決心が鈍っちまうだろ?
長い、永い、俺のこの島での生活。
爪はいつの間にか硬く鋭く発達し、体毛もヒトのそれとは思えない程に覆われていた。
進化。 退化。 どんな言葉で表せるかどうかなんて、俺には解らなかった。
………けれど一つだけ、ハッキリと解ることがある。
俺は、世界から取り残されているのだ。
諦めてしまっている、と言われてしまえばそうかもしれない。
怖いのか、と言われてしまえばそうかもしれない。

「葉月……」

だから俺は、葉月にしっかりと、言わなければならない。
この島で俺と暮らした日々を。
この島であった数々の出来事を。
この島で見つけた悠久とも言える時間を、お前は手放さなければいけないんだ、と―――

「俺は、友達も、親戚も、住むところも、覚えちゃいない。 でもお前は違う。 そうだろ?」

葉月の肩がピクリと震えて、目に涙を一杯に浮かべて、顔を上げる。
反論も何も、出来やしない。葉月の腕(声)は、俺が封じているのだから。

「俺はこんなだ。もうヒトじゃない。でもお前は違う。そうだろ?」

幾ら葉月が身じろいだとしても、幾ら腕を振り払おうとしても、俺は葉月を放しはしない。
【お兄ちゃんはヒトだよ】
【一緒に帰ろう】
そんな言葉、聞きたくないんだ。葉月は、一番言って欲しい事を言ってくれるから。

「俺はもう、離れすぎたんだ。それに―――」

葉月は、下を向いて動かない。
俺は、そんな葉月に話し続ける。

葉月が来てからの日々が、頭を過ぎった。

声を、失ってしまった事。
魚を捕るのが、徐々に上手くなっていった事。
塩辛い料理を二人で食べた事。
星を見た事。
喧嘩した事。
森を駆けた事。
女になった事。
葉月が笑っていた事―――

「……はァ……」

何度目かわからない溜め息が、零れ落ちる。
全く情けない事に、この溜め息がここ2年間の癖になりつつあるのだ。

葉月は元気にしているのだろうか?
何故俺も一緒に帰ると言わなかったんだろうか?
俺の事はもう、思い出になってしまったんだろうか?

全て自業自得だってのは解ってる。
自分の弱さが、今へと繋がってしまったのだ。

あの時も、こんな空だったっけ。
葉月の乗った船が、大きな入道雲の方へと消えていったのだ。
俺は岩場の陰で、遠ざかっていく船を見つめていた。

―――と、思い出すのも段々と辛くなってきた。
もう、葉月はいないんだ。洞窟に帰って、飯でも食って、寝てしまおう。

俺は高台から降り、ゆっくりと洞窟へと戻っていった。
西日が、全てを紅く染めていた。



『お兄ちゃんへ
 色々と言いたいことはあるけど、今はやめておきます。
 まず、今までありがとう。こんな私を見捨てないでくれて、本当にありがとう。
 このメモは、ちゃんと読んでもらえるかな?
 お兄ちゃんの事だから、薪代わりになっちゃわないか心配だけど、時間が無いから簡単に書くね。
 またね!
                          葉月』

「……?」

重ねられた薪の奥に隠されていた小さい紙切れには、あの丸文字で手紙が書いてあった。
色々あるという言いたい事を、全て聞きたかった。
一度でいいから、名前を呼んで欲しかった。
ずっと二人で、暮らしていければよかった。
本当はもう、救助なんて待ってはいなかったのに―――

『帰れるの?』

あの言葉と瞳の光が無ければ、俺は引き止めてしまったのかもしれない。
葉月のやりたいようにさせてやりたかった。それがもし、自分と道を分かつ事になっても。

……俺は葉月の…足枷にはなりたくないから。

自分でも酷く、矛盾を感じた。
放したくないのに、放す。 待っていない救助を、喜ぶ。
言い難く複雑な気分だ。まるで操り人形のように、自分が自分ではない感じ。
思い通りに動いてはくれないこの身体は、誰のものなのだろう。

燦々と降り注ぐ太陽に手を翳して、俺は今日も変わらず獲物を狩る。
何も変わらない、ただ葉月のいた時間が夢なのだ。そう自分に言い聞かせながら。











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最終更新:2008年07月21日 20:31
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