妄想と現実の間

 水上は一旦自分の家に戻り、色々と支度をする。
 俺の為に勝負下着に替えてくれてるのかな?と変態じみたことを想像しながら待つ。
 彼女を待っている間、おそらく俺の顔はずっとにやけていただろう。
 コンビニの前でにやにやしながら一人佇む俺は、一歩間違えれば変質者として通報されかねなかったはずだ。
 ふふ、と時折笑い声を出しながら彼女のことを待っていた。

 5分くらいして彼女が戻ってくる。
 先程までまとまりのなかった髪は、ちゃんとまとまっていた。ポニーテールも健在だ。
 少し厚めのジャンパーを羽織り、首には毛糸のマフラーが巻かれている。
 口元はマフラーにすっぽりと覆われており、その姿は可愛らしく見えた。
 右手には、自転車の鍵らしきものがある。チャリチャリとそれを回しながら、マフラー越しに話しかけてきた。
「それじゃ、仙川君の家に行こうか?」
「親は・・・大丈夫って行ってたの?」
「うん、全然大丈夫だって。」
「分かった・・・」
 改めて俺は聞く。今更断られても、俺は強引に連れて行っただろう。
 先程より激しく動く心臓を、少しずつ抑えるように大きく息を吸う。
 コンビニから俺の家まで自転車で10分ほど。少しでも長く彼女と居たかった俺は、自転車にのらずに押して歩こうと彼女に提案。
 彼女はこくんと頷く。二人は自転車に乗らずに、押して歩いていった。

――――――――――――――――――――

 カラカラと車輪の回る音が、真冬の道に響く。
 二人の間に会話はあまりない。2、3回キャッチボールが続くだけ。すぐにボールを落として会話が続かない。
 俺自体、そこまで会話が好きな人間でないので、向こうから話し掛けてくれないと中々喋れない。
 こんな好機、二度とこないだろうなと思っているのだが、思うように口が回らない。
 俺にとってはもどかしさが募るばかり。自分で自分を殴りたい、そんな心境だ。

 上空に一筋の流れ星。そんなものに気付く余裕の無い仙川であった。



「自転車・・・そこに置いて・・・」
 いつもは親父の車が置いてあるガレージを指差し、そこに彼女の自転車を置かせる。
 カションと勢いよく鍵を掛け、俺の後を黙ってついてくる。
 コンビニにいたときとは打って変わって、何かが違う。明らかに彼女のテンションがおかしい。
 緊張しているのか、はたまたこれから何が起こるのか分からない不安に駆られているのか、検討がつかない。
 ただ一つ言える事。それはとっても気まずい雰囲気であるということだ。

 家の鍵を開ける。誰もいないのだが、「ただいま」とつい癖で言ってしまう。
 彼女もそれに続いて「お邪魔します・・・」と消え入りそうな声で言った。
 真っ暗で、ひんやりとした家の中。早く暖房を付けないと風邪を引きそうなくらいである。
「とりあえず、俺の部屋に・・・」
 相変わらず無言で頷くだけ。一応家の中に入ったのだが寒いのだろう。先程より強くマフラーを締めたように見えた。
 俺は少し唇を噛みながら彼女のことを見る。焦点がどこにも定まってないように見える。
 果たして連れてきてよかったのか、俺の中で後悔の念が強く押し寄せる。
 あの流れで調子に乗らなければよかった・・・。しかしもう遅い。
 彼女は既に俺の家の中。ここで「帰って」と言うのもあれだろう。
 もう遅い。ここまで来たら進むのみ。
 少しだけあった気の迷いも消え、自分の部屋の扉を勢いよく開けた。
「ちょっとここで待ってて。飲み物取ってくる。」
 部屋に入るやいなや、すぐに暖房のスイッチを入れる。
 ホウ、という正気のある暖かな温風が俺らの体に当たる。
 彼女を座布団に座らせ、俺は飲み物を取りに一階の台所へ向かった。
 部屋を出るとき彼女の様子を少しだけ伺ってみた。
 キョロキョロと本棚を見回していた。見たい本でもあったのだろうか。
 家に上がる前のときよりかは元気があるように見えた。少しだけ安心する。

 足早に階段をくだり、冷蔵庫にある麦茶を取り出した。
 冷え切った容器を手に取ると同時に少し考える。
 こんな寒いのにキンキンに冷えた麦茶はないだろう・・・。
 少し考えてから、再び冷蔵庫のドアを開ける。
 温かいものの方が、冷え切った体も温まるだろう。

 キッチンに置いてあるティファールの湯沸かし器に水を入れ、コーンポタージュの袋を2つ手に取る。
 作業に手間取っていると、すぐにお湯が沸く音がする。
 沸騰する音に急かされるように、素早くマグカップを取り出す。
 コポコポとカップに注がれる暖かな湯気が、俺の手に当たる。
 トレーに軽いお菓子を載せ、こぼさぬよう気をつけながら自分の部屋に戻った。

 肘と足でドアを開けると、彼女は冨樫作品を読んでいた。
「やっぱハンターハンターは面白いよね。」
 にこっと満面の笑みでそう話しかける。
 先程までとは打って変わって、全く違った表情を見せていた。
 いつも学校で見せるような、あの笑顔が眩しい水上さくらがそこにいた。
 俺の杞憂は一瞬で吹き飛んだ。何かの間違いだろう。そう確信した。
「コーンポタージュだけど・・・大丈夫?」
「全然、私コンポタ大好きなんだよね♪」
 コトンとテーブルにトレーを置くと、彼女は漫画を読みながらカップを手に取った。
 かなり漫画を見入っており、熱さを確かめずにすする。
 案の定、コーンポタージュは激熱だった。彼女はうぐっ、と咽る。
「大丈夫・・・?」
「うへぇ・・・あてぃてぃ・・・」
 目を赤くし、少し赤くなっている唇をさすりながら話す。
 やっちゃった、という表情をしており、見た感じ大丈夫そうだった。

 少しばかり赤くなる彼女の唇。今すぐにでもそれに触れたい。
 止まらない唾を何度も飲み込みながら、彼女のことを見つめていた。
 口先では心配していたが、実際のところはそういう変態じみたことしか考えていない。
 隙があれば彼女を押し倒すことだって考えている。

 彼女も冷静に考えれば分かるはずなのだが、そんな素振りは一切見せずに俺の家に足を踏み入れた。
 思春期の男子と女子が二人っきり。どう考えても危ないシチュエーションだ。
 彼女はその点に関して、何も思わなかったのだろうか。
 寧ろこっちが心配になってきた。
 チラリと彼女のことを見る。ケラケラと笑いながら漫画を読んでいる。
 それほど仲のよくない女性を連れてくる俺も俺だが、初めて上がりこむ家で大笑いしながら漫画を読む彼女も彼女だ。
 どこからどうみても隙だらけ。いつ襲っても大丈夫な状態だ。

 先ほどより鼻息を荒くし、虎視眈々と彼女のことを狙う。
 一挙一動に注目し、その時を待つ。
 その姿はまるで、獲物を駆るアフリカの大平原に棲むチーターのようだった。

 すると、彼女の動きが少しよそおしくなる。
 漫画に集中しているつもりなのだろうが、もぞもぞと小刻みに動いているのが傍目から見て分かる。
 右足を前に出しては、すぐに左足を前に出す。それの繰り返し。

 これは・・・間違いなく催している。

 しきりに足をクロスさせ、尿意を我慢している。下手すれば股間にまで手が行きそうな雰囲気だ。
 彼女にしてみれば、俺に気付かれていないのだろうと思っているのだろうが、そんなことは一切ない。
 ここでお漏らしという鬼畜なことをさせてもいいのだが、如何せん俺にはそういった類の趣味は持ち合わせていない。
 だが彼女の口から「トイレ」や「おしっこ」と言った単語が発せられることに関しては、今か今かと待ちわびている。
 少し頬を赤らめながら「トイレ・・・行きたいんだけど・・・」と発した日には、俺は発狂しているはずだ。
 閉まりのない口元をどうにかして閉め、彼女の行く末をじっと見守っていた。



 5分くらい、その状態を眺めていた。俺にとっては至福の時間だった。
 まだかな、まだかな、とその言葉が発せられるまで待っていた。
 俺も漫画を読んでいたのだが、内容なんて頭に入るはずがない。
 読んでは彼女を見、読んでは彼女を見、の繰り返し。
 ひっきりなしに足をもぞもぞとさせる彼女の姿は、とても可愛らしく見えた。
 この姿を可愛いと言うのだから、俺はちょっぴり変態なのだろう。自分でもそれを認識していた。

 さらに5分後、ついに彼女が動き出す。
 ぴくんと体を硬直させ、読んでいた本を棚に戻す。
 少しあたりを見回す。すでに限界に近いのだろうか。
 勿論、俺は彼女のこの行動を見逃しているはずがなかった。
 ついにその時が来たのかと思うと、心臓が激しく動き出す。
 自分自身で興奮してきているのが分かる。右手を胸にやり、その鼓動の音を確かめてみた。
「仙川くん・・・」
「ん?何?」
 ゆっくりと話しかけてくる彼女。俺は何食わぬ顔で答える。
「あの・・・その・・・」
「どうしたの?」
「あの・・・いや・・・」
「何?具合でも悪いの?」
「いや、そんなんじゃなくてね・・・」
 彼女の口からその「言葉」が出てくるまで焦らす。多分俺の顔はにやついているはず。何と言う変態だろうか。
 そうこうしている間にも、彼女は限界が近づいてきている。先程より小刻みな動きが増していた。
 俺のことなど憚らずに、股間は手に行っている。相当我慢しているのだろう。唇を少し噛み、時折呼吸が止まっている。

 相変わらず何が起きているのか分からないフリをする。
「?本当にどうしたの?」
「・・・見て分からない・・・?」
 震えた声で俺に言う。少し漏らしてしまっただろうか。
 ちょっと怒った表情で俺のことを見ているのだが、何だか弱弱しく感じる。

 そう、立場的には俺のほうが圧倒的に上なのだから。

 ちょっとでも俺の気に触れるような態度をとったらアウト。ゲームセットだ。
 いざとなったら鍵をかけ、軟禁状態にしても構わない。
 ただ、そこまでいくと犯罪だ。そんなことやるはずがない。寧ろ、俺の良心が許さないだろう。
 ま、こんなことをやっている時点で良心だとか犯罪だとか言えるような立場ではないのだが。
「見て・・・分からないの・・・?」
「?」
 再び彼女は声を震わせて言う。それでも俺は分からないフリをする。
 普通の人だったら彼女のことをみれば、一目瞭然なはず。誰だってお手洗いに行きたいということぐらい察するはず。
 時折「くぅっ」と言う声を漏らす。すでに我慢の限界を超えているみたいだ。
 そして、ついにその時はやってくる・・・。

「・・・トイレ・・・どこ・・・?」

 ついに彼女の口からその単語が発せられる。
 たかがトイレという三文字だが、俺にとっては相当重要な三文字。
 心の中で軽くガッツポーズ。何だか大きな戦いに勝利したような気分になった。
 にやけつきそうな自分を抑え、淡々と答える。
「二階の壊れてるから・・・一階の玄関横のとこ。」
 本当は壊れていない。だが敢えて一階の一番遠い手洗いを教える。
 それを聞くと、彼女は猛ダッシュで部屋を出る。
 少し舌打ちしていったようだが、俺には聞こえない。
 聞こえていても、聞こえていないフリをするまでだ。



 5分くらい経ってから彼女は帰ってきた。
 小さい方にしては少し長かった。もしかしたら本当に漏らしていたのかもしれない。
 無言で再び本棚から読んでいた本を取り出す。
 明らかに怒っているような表情。俺が彼女のサインに気がつかなかったことに対してなのだろうか。

 そう思うと、さすがに少し罪悪感を感じてくる。
 先程までは狂気じみたことばかりが先行していて、罪悪感など道徳的な部分がどこかへ押しのけられていた。
 男の自慰行為の後のような状態、というのが当てはまる。

 しかし、何故彼女はそこまで「トイレに行きたい」ということを言いたくなかったのだろうか。
 そこまで我慢してまで言いたくないような単語でもないだろうし、寧ろここで漏らすほうがよっぽど恥ずかしいに違いない。
 重い空気が場を包む。

―――――――――――――――――――――――

 それから30分、二人は無言のままだった。
 俺から話しかけようにも、何を話せばいいのか分からない。
 彼女はそっぽ向いて漫画を読んでいる。向こう側から話しかけてくるとは到底思えない。
 さらに襲い掛かる罪悪感。数少ない仲のよい(と思っている)友人がまた一人いなくなってしまう。

 失うことに慣れている俺だが、慣れていても嫌だ。

 失う人物が、俺の好きな相手となれば尚更。彼女を失いたくない気持ちは、かなり強い。
 そしたら何であんな行動をとったのか?素直に「トイレ?」と言えばよかっただろうに。
 自分自身に沸き起こる怒り。それはどこにもぶつけようのないもの。

 こうなってしまった以上、後にも引けない。
 ただ・・・突っ込んでいくのみ。

 俺の暴走は、ここから始まる。



「ねぇ・・・」
 重い空気を引き裂くように、俺が口を開く。
 額には汗を掻き、少ばかり呼吸が乱れている。
 何だかいつもと様子が違う。こんなに呼吸が乱れるはずがない。

 その時の俺は、すでに取り返しのつかない状態にあったのだろう。

 俺の言葉に彼女は振り返る。
 むすっとした表情で、面倒臭そうに「何?」と答える。
 またその表情も表情で可愛いのだが、今はそんなこと思っている場合じゃない。
「怒ってる?」
「別に・・・」
「怒ってるでしょ?」
「怒ってないよ・・・」
 沢尻エリカばりの反応。確実に怒っている。
 一応俺の言葉に耳を傾けているようなのだが、漫画のほうに気が行っている。
 埒が開かないと思った俺は、彼女の気を引かせる為にあらぬことを聞く。
「ねぇ、さくらさん?」
「何・・・?」
「好きな人・・・いる?」
「はぁ?」
 流れを読めていない俺の唐突な質問。彼女は何言ってんだと言わんばかりの表情でこちらを見てくる。
 そりゃこんな状態でそんなこと言われれば、誰だってそんな表情になる。
 怪訝な表情でこちらを見ている彼女に対し、さらに畳み掛ける様に続ける。

「俺・・・さくらさんのことが好きなんだよね・・・」

「・・・何言ってるの?仙川くん?」
「何って・・・さっき言ったように・・・」
「マジで言ってるの?」
「うん、大マジ。」
「・・・」
 彼女はただ呆然とするしかなかった。
 どう反応していいのか分からないというのもある。
 いきなり異性の人に「好きなんだけど」と言われれば、そういう反応するのが普通だろう。
 俺は一方的に続けて話す。
「さくらさん・・・俺のこと好き?」
「・・・ちょっと待ってよ・・・」
 唐突すぎる流れ。カオスと言っても過言ではない。
 彼女は大分この流れを把握しきれてないみたいで、少し混乱しているみたいだ。
 額に手をあて、今までの流れを思い出している。

 何故か分からないが、これを好機と思った俺。
 確実に自分の世界に入っている為、自分が何をやっているのか分からない状態に居る。

 俺は絶え間なく出てくる唾を飲み、彼女の肩に手を置く。
 何、どうしたの、という感じで俺を見る。何が起きているのか、まだ思考回路は追いついていないみたいだ。
 だんだんと近づいてくる俺の顔。それでも理解し切れていない。

 次の瞬間、俺と彼女の唇が重なり合わさる。

 彼女は何が起きたのか全く分かっていない。
 目を大きく見開かせ、ただただ驚いているばかり。
 抵抗もせずに、ただその場の流れに従っている。

 暖房の音だけが、俺達の耳に届く。



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最終更新:2008年09月19日 22:20
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