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 鈍音。
 光さえ届かぬ空間に響く音は鈍く、そして連続したものだ。鼓動と呼ばれる音は三秒間の内に
二回の割合で正確に鳴り、光が存在しない部屋では音のみが空間を支配する。
 しかし直後、それを崩すものが幾つか発生した。
 一つは部屋の中心部から発せられた、硬質のガラス同士が擦れるような低く乾いた音で、もう
一つは同じく部屋の中心部から響いた、粘度のある水を床にブチ撒けたような音。最後の一つは
軽く、そして弾力のあるものが遅いテンポながらも床を連続で打つ音だ。
 最後の音は空間内を動き、そして止まって二秒。
 プラスチックを打つ軽い音が響き、空間に光が満たされる。
 無数のコードが接続された培養層を中心に構え、多様な計測器が配置された10m四方の部屋の
中心に立っていたのは、幼女だった。身長は1m弱、ストレートの赤い長髪を持つ幼女は、衣服
を身に着けていない姿のまま、周囲を見渡した。三度首を回したところで視線を一点に固定して
数歩移動し、そのまま自分の正面、金属素材で作られた箱へと左手を伸ばす。
 箱が開き、現れたのは義腕だ。
 武骨と言うよりも未完成という表現に近い、フレーム剥き出しのそれを掴み取ると、幼女は己
の右肩、本来は腕が存在している位置へと押し当て、幼女は漸く人の姿になる。だが接合部から
肉を突き破る鈍い音と、内部の金属シリンダーがジョイントする音が連続する。大小多種の接合
の度に繋がる速度は加速し、最終的に五つのプラグが肌を突き破ったのは一瞬だった。接合が27
を数えた時点で音が止まり、垂れた血が無機質な金属製の床に複数の赤い点を描いてゆく。
 続いて箱から取り出したものは、黒の色彩を持つ布だ。義腕の一振りによって広がった布は、
正確な5m四方。それを二度目の振りで回転させると、幼女を包む壁へと変化した。それは既に
服や鎧ではなく空間と呼べるもので、反射をすることのない闇として存在していた。
 完了を確認し、幼女は箱から一歩後退。
 続くものは声だ。
 自分は産まれたのだと、この世界に現れたのだという意味を持つ声。自分という一つの存在が
始まったのだと世界に証を残す声、自分という存在を一番最初に主張する声を産声という。
 だから幼女は紅色の薄い唇を開き、天井を見上げた。この世界へと誕生したのだから、中心に
あるものを見なければならないと、そう言うように。


 ◇ ◇ ◇

「どうすっかなぁ……オイ」
 管理局の食堂は狭いので基本的には込み合うが、昼食の時間から外れると途端に利用する者が
少なくなる。現在、食堂の中に居るのは休憩に入っている少数のみで、設計されている面積より
寧ろ広く感じる状態だ。随所に空席が存在するが、しかし虎蔵は隅のテーブルを選び、その上に
つっ伏していた。吐息として出てくるのは重い空気と言葉だ。
「どうしたんですか?」
 対面に座り、問うてくるリィタの声に返すのは澱みを持った自然で、
「ヘドロっぽくないダーク視線というのも珍しいですね」
 うるせぇ、と返す声は弱いもので、そのことにリィタは首を傾ける。ヘドロ、という二つ名が
示す通りに虎蔵は頻繁に汚泥の如く濁った目をするが、それは娘であるサユリや、死別した妻の
セリスの写真、そして回数はサユリやセリスに比べると少ないが、義娘であるリィタへ向かう
ものだ。しかしそれは深い情が込められたものであるし、他人が見て不安を抱くものだが、心配
を抱くようなものではないからだ。
 だが今、虎蔵が浮かべているものは正反対のもので、
「何か悩みがあるんですか?」
 数秒前と僅かに意味を変えて問われ、虎蔵は視線を上げた。
「リリィがよ、一言も口を聞いてくれなくなった」
「いつものことでしょう? まぁ、責任の一旦は私にありますけど」
 上着代わりに着ている作業服を椅子の背もたれに掛けながら言うリィタを見て、虎蔵は再度の
吐息をした。始まりは朝からで、確かに原因の一旦はリィタ自身が言った通りだとも言えるが、
しかし違うとも言える。だから虎蔵は首を振り、否定の言葉を小さく呟いた。これは事故のよう
なもの、悪い偶然が重なっただけのものだ、と。
 Dr.ペドとの最後の大戦の後でリリィと虎蔵は一緒に住むようになり、そして起こった変化が
幾つかあった。局員寮の同室に住むようになれば通いという制限は消え、虎蔵よりもリリィの方
が早く起きればリリィは虎蔵を起こしに寝室へと来る。一年という時間の中で定着したものだが、
同時期に起こったもう一つの変化があった。Dr.ペドや管理局から逃げることがなくなり、また
虎蔵の住所を知ったシオリやミク、ムツエが旅館の非番になると寮へと遊びに来るようになった
ことだ。それ自体には何も言わないが、しかし今朝は違った。

 リリィが起こしに来て普段のように乱暴に布団を捲り、目にしたものは虎蔵以外の姿だ。虎蔵
のベッドにサユリが潜り込んでくるのは珍しくないが、しかし今朝は虎蔵に抱き付くように眠って
いたのだ。更にシオリやミク、ムツエまでもが虎蔵に抱き付き、結果的にリリィは今朝から暴言
を吐いてきた。更に偶然が重なり、突然告げられた第79番監獄都市への出張や、リリィの不定期
な生理が重なり、
「ご機嫌ナナメだ」
 眼前に置かれた自販機の安い珈琲を軽く含み、声を漏らす。
「茶化すつもりは無いが、せめて生理が違う日ならな」
「……重いらしいですからね」
 僅かな間を空けて答えたリィタの声に含まれているものに気付き、虎蔵は頭を下げた。これは
言ってはいけないことだった、と後悔を込める。リリィと違い、リィタの身体は魔法幼女のもの
として年齢が固定されたものだ。成長もしなければ、子供わ産む準備が出来るという、最も女性らしいと言えるものが来ることも
絶対にない。そもそもリィタの体は一度瀕死になり、死にゆく自分の身体の代替として無理矢理
手に入れたものだ。望まぬ方法だし、リリィとは一卵性の双子であるにも関わらず現在は他人の
遺伝子を持っている現状など本来は口にすることも避けるべきことだ。それを出してしまった、
という後悔は、眉根を寄せた表情を作らせる。
「気にしないで下さい、これでも気に入ってるんですから」
 気を使わせているな、と思いつつ浮かぶのは苦笑。無意識の内に頭を撫でると、わ、と喜びの
声が聞こえ、それに救われているなと思う。
 気分を紛らわす為にテレビを点けると、聞こえてくるのはサユリが毎週日曜朝に見ている戦隊
ものの再放送、それのCM明けだ。目を向けると異常に筋肉質な褐色肌の五人組がポーズをキメ
ており、敵の怪人が「キレてる!!」と連呼していた。ラバーマスクが戦隊的に顔を隠しているが、
皆同じなので戦隊としての個性が足りないとも思う。
「『隆肉戦隊ビルダー5』、これは、サユリちゃんに見せても良いんですか? 教育に悪いし、
それに見た目が気持ち悪いので嫌いですよ」
「俺がガキの頃に流行った『医療戦隊ケミカルジャー』よりはマシだ。『非常に興味深い験体だ、
フシシシシ』『き、貴様らの血こそ何色だぁ!?』というのがPTAに不評だった。前半で怪人を
捕まえて、CM明けると突然解剖シーンが始まる」
「それ、放送禁止にならなかったんですか?」
「あぁ、全員が無免許な上にモルヒネ中毒という設定が出てきた次の週にな」
 セリスは寂しがり、結果、第二のケミカルジャーを目指して医療課に入ったと、過去に言って
いたことを思い出した。サユリが最近筋トレをしているのはビルダー5を目指しているからかと
嫌な予想をして、今後は出来るだけ見せないようにしようと決心する。それには抗議のハガキと
電話が必要だが、軽いジャブとして4000枚ほどだろうか。
 不意にリィタが表情を真面目なものに変えた。
「真面目な話ですが」
「サユリの教育の話か?」
「真面目な話ですが!! 今夜の出張は20時00分に転移装置室の前で良いですね?」
「そうだな」
 虎蔵は首を鳴らして立ち上がり、歩き出す。リィタも慌てて立ち上がると空になった紙コップ
を握り、自分とは別の歩幅に合わせて小走りで歩き出した。
「リリィの歩幅、ですか」
「何か言ったか?」
「何でもありません」
 リィタは首を振り、虎蔵との距離を詰めた。

 ◇ ◇ ◇

「大した仕事じゃなかったな。大体よ、新型機械人形の実戦テストなんて、俺よりも野崎の方の
仕事だろうに。リィタもそう思わねぇか?」
「『乱牛』さんは野島さんと共同で第81番監獄都市の調査だから仕方ないですよ。それに典型的
なパワータイプの人より、テクニカルな戦い片の虎蔵さんが選ばれたんじゃないですか? 実績
なんて、それこそ対『D3』とおものがありますし」
 疲れの吐息をして部屋から出ようとすると、妙なことに気が付いた。周囲に人間の気配が全く
感じられないのだ。転移時に余計な遺伝子情報を読み込ませないようにする為、使用時には人間
だけでなく虫のような些細なものも入れないようになってはいる。しかし操作は専門の者が外部
から行うので最小限の人数はドア付近で待機している筈だし、転移後の身体に不備が無いがなど
チェックする為の医療課の人間も数名は居る筈だ。それなのに今は何故か無人の状態で、人間が
存在していたことを示しているのは、淡い光を放つ制御装置のみだ。
「虎蔵さん」
 リィタの声に頷きを返し、腕輪をいつでも起動出来るように待機状態へ。
 耳を澄まし、聞こえてくるのは、
「足音?」
 体重の軽い者が、素足で二足歩行するような音だ。肉がタイルを打つ柔らかな足音が、こちら
に向かって進んでくる。想像は幾らか出来るが、サユリだろうかと考えて、しかしすぐに否定の
言葉が頭に浮かぶ。今日は学校の友達の家に泊まることになっているし、それは仕事の前に相手
の家に電話をかけて確認もした。それに冷えるタイルの上を裸足で歩き回るような悪い癖は無いし、歩くテンポも、サユリのもに
しては不規則だと思う。聞こえてくるものは、何かを探して回っているような迷いを持ったもの。
正しい道順が分からない、迷子の子供のようなものだ。
 数秒。
 ドアが開き、見えたのは、
「幼女?」
 隣でリィタが息を飲む音が聞こえ、幼女がこちらに出てきたことで、その意味に気が付いた。
 赤い髪を持った幼女の姿は、普通のものではなかった。光を全く反射しない素材で出来た長大
な黒布を身に纏い、それは空間を埋めるように揺れている。更には右の腕が生身のものではなく、
装甲の無いフレーム剥き出しの義腕を着けていた。血が飛んだ腕の付け根から見えるのは鋼塊で、
それを見て思い付くのは、
「機械人形か?」
「いえ、純粋なものではありません。これは恐らく人型の人工生命へ無理矢理機械人形の部品を
組み込んだものです。……しかし、ハーフな技術は封印指定だった筈ですが……」
 リィタの言葉を遮るように、幼女は鋼の腕を上げると虎蔵を差し、
「見付けたわ」
『DragneelSystem:Enter;』
 踏み込みの高い音をたて、腕を振り被りながら飛翔した。


 ◇ ◇ ◇

 リリィは肩を怒らせながら、それでも転移装置室へと歩を進めていた。このまま虎蔵と喧嘩を
したままでも良いのかと問われ、その辺りの後悔もある。上司である薫に言われ、自分にも非が
あるのだと、そう思う部分もある。出張は虎蔵の方に非は存在しないし、今も鈍い痛みを与えて
くる生理とて自分の身体のことだ。多少の苛つきは存在するが、それは自分の問題で、虎蔵など
自分が持っている意味もないのに何故か常備している鎮痛剤を置いていってくれた。今朝の事も、
薫に言われて納得したものだが、虎蔵に非はないものだ。ガードが甘いのは腹が立つが、しかし
それでも悪いものではない。サユリは虎蔵の連れ子だから嫉妬の対象にしてはいけないし、ミク
とムツエはガチレズ姉妹だから攻略の対象になることはない。シオリは少し可哀想なことに友人
としか見て貰えていないし、リィタも娘としか見られていない。
 何より納得させられたのは、
「虎蔵さんの意思、ですか」
 セリスが殺されて以降、浮いた話は無いと言うより、そうならないよう他の女を寄せ付けない
ようにしていたと薫は言っていた。恋人めいた存在が完全に居なかったという訳ではないのだが、
それでも一定のラインは保っていたようだ、と。その虎蔵が一緒に住むことを許したのは義娘で
あるリィタを除けばリリィのみで、それは共に過ごすことを認めても良い、と判断されたという
ことだ。年齢など親子程も離れている相手だが、一緒に住んでいることが喧嘩の原因だと考えて、
「このまま喧嘩別れしても良いの?……ですか」
 それは嫌だ、と考え、嫌だという思考は脚の動きを加速させる。もはや早足と言うよりも走る
という動きにまで脚の回転は早くなり、視線は真っ直ぐ目的地へ向かう。
 横を見れば、
「寝不足なんですか?」
 何故か局員が揃いも揃って倒れているが、珍しい光景ではないので無視をする。どうせ毎回の
如く無意味にテンションを上げすぎて馬鹿をしまくり、その結果倒れたのだろうと思う。虎蔵は
馬鹿のメンバーに加わることはないのを理解しているので興味は無いし、寧ろ意外に真面目な虎蔵に感心する。
 リリィは小さく笑い、
「虎蔵さんを見習って下さいね」
 しかし直後、リリィは妙な音を聞いた。

 ◇ ◇ ◇

 変身した虎蔵とリィタは、幼女と戦っていた。二人とも基本形態のままだが、敵の力が未知数
であることと、リリィがこの場に居ないことが原因だ。しかし自分達の手の内を見せずに済むと
いうことでもあるので悪いことではないし、
「手を抜いているのか?」
 何故か敵と自分達が対等に渡り合っている今の状況では、戦力不足だとは思わない。だが疑問
のようなものが残る。こちらが全力で攻めれば全て防いでくるのだが、逆に自分が少しでもミス
をした場合には待っているかのように動きを緩めるのだ。まるで、こちらの何かを確かめている
ように、だ。更に言えば幼女が攻撃を仕掛けてきたのは跳躍と共に放たれた一撃のみで、以降は
こちらに攻撃を仕掛けてくることも無い。戦闘しているのではなく、踊っているかのようだ、と
錯覚してしまう程だ。
 鈍音。
 強い踏み込みと共にブレードを叩き込むが、硬質な音を持って弾かれた。通常ならば今の間を
縫うようにして反撃の一発でも打ってくるものだが、しかし身構えた虎蔵に幼女は視線を向けた
だけだった。虎蔵が飛び退いて距離を取ると同時にリィタの白銀杭が飛来するが、それは刹那の
回転で加速を持った左手で威力を殺され、
「マジかよ」
 現段階での最大攻撃力を持つパイルバンカーが通じなかったことに対し、虎蔵は歯噛みをして
考えたのは敵の目的だ。これだけの能力を持ちながらも特に目的があるようには思えない行動の
パターンだし、その疑問は実際に対面する以前の段階。足音が聞こえていた時点でも微かに存在
していたものだ。歩く足音は道に迷っているようだったし、それなのにスタッフ達を、こちらに
気付かせることなく片付けていた。逆に言えば、幼女は、それだけのことしかしていない。
「どういうことだ?」
「そろそろ、来るわ」
 幼女の声の示すものは何か、と考えたところで聞こえてきたのは、
「虎蔵さん!!」
 リリィの叫びに呼応するように、彼女の五指に填めた指輪が音を鳴らし、瞬間的に起動する。
微細に振動する青の宝石の内部、埋め込まれた正六面体フラクタル回路は処理能力限界まで行使
されたことにより白熱の光を放ち、
「まだ全力は出せませんが、全盛期の約七割を計測。行けます!!」
 吠えて、虎蔵の動きが先程の倍にまで加速する。
 室内という限られた空間で加速すれば距離を詰めるのは一瞬よりも短い時間、鼓動さえしない
時間で距離を詰めた虎蔵はブレードを振り抜いた。
 鋭音。
 何度も繰り返した攻撃だ。弾かれたのはリリィが来る以前と変わらないが、繰り返した故に、
分かる変化というものがある。今までは弾かれていたときに自分も後退していたが、しかし今回
は自分ではなく幼女の方から後退をして距離が開いたのだ。
 だが幼女は表情を変えずに、リリィを見て、
「そう、貴方が」
 頷きを一つ。
「これで全員……揃ったわね」
 呟きと同時に、幼女が身に纏っていた黒布が広がった。幼女の足元を埋めていた黒布は部屋を
飲むようにして一瞬で埋め尽くし、光さえも生まぬ黒の色彩で満たされる。
『EDEN:Open;』
 続くものは『D3』特有のシステムコードで、虎蔵は足元が急な変化を持ったことを感じ急速
にブースターを展開。同時に発炎で生まれた光を利用して周囲に視線を巡らせ、
「虎蔵さん」
 無事だったか、と声のする方向に目を向けた。
 驚愕する。
 この部屋は10m四方程度の筈で、しかも転移装置を置いていたから、動ける範囲というものは
更に狭いものになる。だがリリィ達が居る場所は目測でも20m以上、光源など殆んど存在しない
状況なのだから、更に離れている可能性もある。
 現状の理由を幾つか考えたところで、背後から聞こえてかたものは幼女の声。
「貴方はパパを倒したから、これで飛ばしてあげる。でも……」
 空間を構成する闇が、一気に虎蔵の身体を飲み込んだ。

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最終更新:2008年01月15日 18:26