くゆる紫煙を見ながら思う。
つくづく世界は意志の力で出来ている。

六畳一間の事務所に染み付いたヤニ臭さは、
60を超えようかという実年齢にそぐわぬ、
ゴムマリ様の、太い筋肉を、みっしり短躯に詰め込んだ、
灰髪の男の生き様の記録である。

これが、30期も前の、先輩か。
藩都大学・建築学科卒。
そこの、前々年度・首席である、アウ=ル=フォルトは、真鍮の輝き放つ肉体の主が放つ、肉の質感に、
背筋の強張りを、自覚させられざるを得なかった。

巌の如き顔面にある、太い割れ目にも似た唇から、
10秒ほども続いたろうか、煙の塊を、ごろん、ごろんと吐き出した、
眼前の男を、古式にも、一国一城の主と形容すれば、
炉から生まれて、野ざらしのままに、錆びず、朽ちず、ただひたすら荒ぶる形だけを与えられた、鉄塊のような、
ただ、丸椅子に座っているだけなのに、事務所を八方、威圧して、倍ほどの容積にも感じさせる、
凄まじい静けさにも、やっと自分の器で理解する端緒を見いだせた、と、
アウ=ルは気圧されるだけの自分を止めることが出来た。

「おめえさんが、デザイナーかい」

がらんがらんの干からびた声は、
塵を吸い、油を吸い、時には火花を吸い、命を吸った、
現場第一主義の証だろう。

株式会社 MEIDEA建築・社長、メイ=”ザ・ガイ”=ブラスフィールド。

この国の、あらゆる土木作業の請負の、
最後の防衛ラインとされる、高名な、社員たった二人から成る、
老舗事務所の主である。

「アウ=ル=フォルトと申します。以後、よしなに」

ニィ……。
尋常な挨拶を受けた相手の唇が、これほどにもひん曲がるのを見たのも、
アウ=ルには、やはり、初めての経験であった。

ザ・ガイ。
なるほど、二つ名に相違なき、文明の徒であるレンジャー連邦には、
二人とおるまいという、雄度である。

本当の種族はドワーフか何かで、生まれた国を間違えたんじゃないか、と、
つっこみたくなってくる。

これ、どう考えても、犬でも猫でもないだろう。

五月の名を持つ、その男は、頑丈だけが取り柄の安い金属机を、
バァン! と、分厚い手の平でぶっ叩き、ひとしきり以上にアウ=ルをすくませながら、
一人、喜悦の笑みを浮かべて立ち上がる。

「嬉しいぜぇ。この国にも、よう、まだ、おめえさんみたいな、
 若い衆が、逃げ出さずに、戻って来るんだな」
「……はあ」
「なんだ、掴み所のねえ返事だな。ま、デザイナーなんてなあ、そんなもんか」

いいぜ、始めよう。

そう、メイは口にした。

胸元に突き出された、節くれだった手指を見つめ、
アウ=ルは惑う。

この国を、復興しようという目論見が、
たったのこれだけの陣容で、始まってもいいものなのだろうか、と。

何しろ今、レンジャー連邦は、滅亡の危機に陥っているのだから。

/*/

何しろ疲れた。

国元が戦場になり、日常という日常が破壊し尽くされ、
それがもう、1年ばかりも続いたのだから、
やっと解放された故国に思うことは、誰もが、その、一言に尽きた。

砂塵舞う光景に、荒涼を覚えても、だから、それは仕方ない。

住まう者を持たぬ家たちは、荒れ、
整備されぬ街並みは、戦災の傷跡も生々しく、破壊という大巨人の足跡で、
平らかに、平等に、等しく、砕き上げられている。

「ひっでえなあ。なあ?」

メイが傍らで、身も蓋もなく口にした感慨に、
アウ=ルは、再び胸を切り裂かれた心地になった。

藩都大学、建築学科。前々年度・首席。
前年度の首席は、いない。戦争の最中にも学業を続けられるほど、
この国は、武闘派でもなければ、肉体派でも、ないのだ。

苦々しい面持ちになる。

高位の建築士としてアウ=ルが就職するはずだった会社は、
もう、営業していない。主だった社員たちが、国外に避難したまま、戻らないからだ。
去年、勇んで作った名刺に踊る、自分の名前についた、デザイナーとしての肩書きが、
アウ=ルには、とても虚しい。

だから、メイから、デザイナー、デザイナーと呼ばれるたびに、
身が縮む。

何故、俺なんだ。

早速測量を開始したメイの、かがんでまで、デカく、太い尻を、
見つめながら、思う。

避難先で会社を立ち上げるからと、戦時指定解除の報に、
国元へと戻ろうとしたアウ=ルを、同僚となるはずだったみんなは、
一様に引き止めた。

ある社員は、アウ=ルに、こうも説いた。

「これが商売なんだ。
 生きるために、やっているんだ。
 今、レンジャー連邦に戻ったって、まともな仕事なんか、当分来ない。
 僕たちだけじゃない、みんなそうさ。
 だから、戻るな、アウくん。ここにいよう。な?」

鳴り物入りの新人デザイナーとしての、厚遇を蹴ってまで、
アウ=ルが帰ってきたのは、ただ単純に、もう一度、見たかったからだ。
生まれ育ち、慣れ親しんだ、故郷というものを、見たかったからだ。

その時も、今と同じ光景が、目の中に、
胸の中に、イヤというほど、ぐりぐりと押し込まれて来て、
とても、痛かった。

何の虚栄か、よすがにしたか、
懐に仕舞い込んでいた名刺を破り捨てたのは、その時だ。
そして、破る途中で投げ捨てた名刺を、
今、瓦礫を拾い上げた手つきと同じように拾ったのも、
やはり、同じ、メイだった。

『これ以上、汚すんじゃあねえよ』

どうせ一緒だろうと反駁しかけた口が、その後に続いた言葉で、
閉ざされた。

『誇りまで、汚すこたあねえ。
 まだ、まっさらじゃねえか、この名刺はよ』

来い。
そう、有無を言わさず襟首をつかまれて、引きずられるままに見知らぬ男の事務所に泊まったのが、
昨晩のことである。

雑草の茶を、雑穀のかゆにぶち込んだ、粗末なメシを食わされ、
今朝、やっと互いに名乗りを終えたばかりの間柄だ。
それが何故、国の復興などというデカい話に駆り出されることになったのか。

そうこうアウ=ルが追想している間にも、
メイは、手際よく測量を終えると、大きく頷いて、こちらを振り返る。

「いけそうだぞ、あんちゃん」
「はあ……でも、何がですか?」
「おめえさん、土木地図もちゃんと見てねえのか?
 感心出来ねえな、デザイナーっつっても建築家の端くれだろうがよ」

む、とアウ=ルに反感がこみ上げる。
仮にも首席卒業の自分は、ここ、藩都どころか、レンジャー連邦の地理なら、
諸島に至るまで、すべて把握している。

反論しようとして、今、自分たちが立っている場所の地図を思い起こし、
ふと、気付きが脳裏に閃いた。

「水ですか」
「おお、なんだ。わかってんじゃんよ」
「そうか……国の復興は、まず、水回りからだ。
 生活用水を整備しないことには、どうにもならない。
 メイさん、新しい水路の敷設ですね?」

MEIDEA建築、通称め組の仕事はアウ=ルも聞いている。
今はすっかり産業となった燃料生産地を、拳一つでボウリングして掘り当てたという伝説が、
学科の中でも伝わっていたからだ。

そうか、オアシスの水脈を掘り起こすんだな。
でも、既存の井戸は?
農薬の汚染を危惧しているのか、いや、でも手間的には……などと、
アウ=ルが瞬時に考えを巡らせている間にも、

「いや、違うよ」

と、メイは、あっさり否定する。

「違うんですか!?」
「そんな基礎工事だけやっても、国は元気にならねえよ」
「でも、必要じゃないですか!」

ち、ち、ち。

ころんと、フランクフルトを思わせる、太く、日に焼けた人差し指が、
妙に愛嬌のある仕草で横に振られる。
その指が、ドン、と、アウ=ルのど真ん中を指した。

「デザイナー。おめえさんの仕事が必要なんだよ、この国にゃあ」

言葉に、ちくり、胸の中で、
悲しみとは違う痛みが走った気がした。

この痛みは何だろう?

/*/

アウ=ルは一人、事務所で図面を引く。
メイは、いない。現場第一主義の、め組の大将は、一人、
荒れ果てた市街の中で、地ならしを行っている、らしい。

『風呂だよ、風呂。
 くそ暑くて、イヤんなる位、ぼっこぼこにされたんだ。
 まず、休みてえじゃねえか』

言い出した案に、なるほどとアウ=ルは頷かされた。
聞けば、単純に、このドワーフ型オヤジは、自分が風呂に入りたかったらしい。

『んでもよう、おめえさんのアイデアも、いいじゃねえか。
 取り入れよう。
 水回りの中心になる、銭湯を作るんだ。
 今みてえな状況に、誰もが安心して使えるような、水の供給源よ。
 湯も沸かせる施設がありゃあ、そりゃ、火の自由に使えない間は、えらく重宝するぞ』

だから、おめえ、図面を作れ。
四都分、すげえくつろげて、すげえほっとするような銭湯を、
この世界に出してくれよ。

「……ああー、くそ、絡む! 地下の配線構想がまとまらねえ!
 まともに電気も来てないのに、紙資料だけで仕事出来るかよ!」

簡単に言ってくれる、と、言われた直後は顔がひきつった。
実際、着手してみて、想像以上に難航するのが、目に見えた。
そもそも一人で手掛ける作業量では、ない。

ブレーンストーミングをするスタッフも、
役所と折衝する事務員も、データを手配する資料係も、誰一人、いないのだ。

大学で学んだことは、もちろん知識だけではない。
各員の長所を把握し、チームを組む、リーダーシップやマネジメント能力、
突発的アイデアをむりくりに形にする行動力、そういった、
実践的なレベルでまで、取り組んできた。だからこその、首席だ。

だが……。
どんな時も、仲間がいた。

一人、一人、一人一人一人……!
そのことばかりが頭に渦巻く。
一人で仕事が出来りゃあ、苦労しねえよ!

「くそっ、混浴風呂に入りてええええええええええ」

苛立ちに任せて煩悩を叫ぶ。

「あら、そいつは随分熱烈なお誘いだねえ」

ぴた。

「こんなお婆ちゃんでよければ、ご一緒するよ?」

しっとりと低い、年かさの女性、ならではの声色の響きに、
振り返る。

「ちゃあんと仕事してくれたら、だけどね」

そこには、め組、唯一の事務員にして副社長、
メイロード=”ザ・レイディ”=ブラスフィールドが、
風呂敷包みを背負い、立っていた。

年輪が皺を刻み、皺が歴史を刻み、歴史が気品を刻み込んだ、
兄・メイとは裏腹の、エルフの老貴婦人のような、あでやかな老獪さが、
地にまで届く、長い長い、灰髪にも、漂っている。

「いや、その、今のはですね……」
「はいはい、慌てんじゃないよ、ぼっちゃん。
 あたしがわかるかい?」
「ザ・レイディ……メイロードさん、ですよね、社長の妹さんの。
 灰のラプンツェル」
「ははあ、うれしいね。まだまだこの髪も、見紛うことなく、
 私を伝えてくれるか」

そう言って、アウ=ルに向けて、自らの髪を手ですくって見せるメイロードは、
どさりと風呂敷包みをアウ=ルの着座している机の横に落とした。

「なら、これが何かもわかるだろう?
 あんたの仕事に使う、ありったけの最新の地図と、製品カタログと、書類の写しをかき集めてきたよ。
 金は、気にしなさんな。おえらいさんからの判子、もらってるからね」

ぺらり、風呂敷の中から取り出しかざして見せた、
猫と蝶の絡み合ったイグニシアが表紙に踊る書面は政府の認可状。
署名は丁寧に、政府職員一同、と記載されている。

「は、はは……。
 あらゆる現場の裏方を、たった一人でこなせる灰のラプンツェルの名前を、
 知らない学生はいませんでしたよ。
 ついに誰も射止めることの出来なかった、伝説の土木姫君、ザ・レイディですからね」
「よしとくれ。仕事に熱中して行き遅れただけのことだよ」

血が、騒いできた。
建築家は、大工でも、土木作業員でもない。
意匠を行き届かせるために現場を手掛けることもあるが、基本的にはデスクワーカーだ。

自然、大学での、学生たちからのネームバリューは、現場主義のメイよりも、
メイロードに集中していた。

曰く、ペイパー・ガール。
曰く、デジタル・ウェイトレス。
曰く、ウィングオブ土木テイタニア。

補佐という補佐をこなし、
仕えた人間の作業効率を何倍にも引き上げるという、
忍従のベテラン、艱難辛苦のプロフェッショナルが、
メイロード=ブラスフィールドという存在なのだ。

戦後の混乱も著しいというのに、これだけの資料を揃えるのに、
一体、どれだけの労力がいるというのか……。

想像しただけでも伝説が真実であったことを実感する。

早速、ひらり、眼前に提示された資料の内容一覧に目を通し始め、
すぐにアウ=ルは首をかしげた。

「メイロードさん……なんですか? この、人材リストって」
「あん? 決まってるじゃないか」

「作業スタッフ、全部あんたが決めるんだよ」

この仕事は、あんたのものなんだからね。
そう、当たり前のように告げたメイロードに、
アウ=ルは二の句が継げなくなった。

「そ……そんな、無茶苦茶なー?!」

どんだけ俺に仕事させる気ですか、あんたら兄妹は!!

頭の中でだけ、叫びつつ、
ふと思い出した異名は、灰燼のブラスフィールド兄妹。

なるほど。
これは確かに、関わってしまっただけで、灰燼だ!!

/*/

一週間が経った。

「親方ー、北都が進まねえー」

おう、わかった、と、アウ=ルは床板のハツり具合を確かめながら、部下の一人にいらえた。
うん、滑らかな仕上がり。やはり風呂屋の床は、天然板張りだろう。

工房には、カシュカシュと鉋をきかせる音、
やすりをかける、鼓膜にザラリ、鳴り響く音、
仕入れられたばかりの石や材木の検分に走る、
野郎臭い汗ばんだ大声のやりとりなどが、
ひしめいている。

屋外からは、大物を取り扱う、土木作業さながらの、
ゴツい金属音や、破砕音、研磨音も聞こえてくる。

今、アウ=ルがいるのは、作業用に広く取られたフロアだが、
戦場のような有様であり、けれど、あくまで「ような」であって、
実際目にした戦後の街並みとは比べ物にならない、
命の息づいた乱雑さが、展開されている。

アウ=ルもまた、地べたに直接図面や資料を敷き詰めながら、
その乱雑さの一部と化しながら、紛れ込んでいた。

北都。
戦場というならもっとも激戦区だったとされる、元・被占領地域だ。
水利の汚染は酷く、今頃は、新たに水源を得るために、
お得意のボウリング作業をメイたちが行っているはずである。

そう、複数の水源が必要なのだ。

親指の爪を噛みながら思考を切り回す。

それも、常用のものと、緊急ラインと、
2種類を用意しておく必要がある。

トン、トン、トン。指が水道地図上をたどっていった。
既に工事が開始されてから、一週間。少ない大学職員に動員をかけ、
企業の専門家たちとフィールドワークチームを組んでもらい、
可能性のある、ポイントは、ありったけ出してもらってある。

そこから、集めた事務方たちと知恵を寄せ合って、
さらに非常時、安全性の高い場所に、あたりをつけての、
ボウリング作業が開始されているのだ。

汲み上げすぎても、地盤沈下が起こる。
数を揃えればいいというものではない。
四方を海に囲まれ、一時期は、砂が飛散するということで、
国が、沈むのではないかと、騒ぎになったこともある。

走る水脈は、不思議なことに、この島の地下には幾重にもあるが、
なるべく取水量が均等になるよう配慮しなければならない。

頭の痛いことである。

アウ=ルは、搬入量チェックに書類を小脇で抱えて走っていた事務方の一人を捕まえると、

「水脈調査はどうなってる?」
「死活問題ッスからねえ。昔から大学でピックアップ済みの奴を抜いたら、
 幾らにもならんスよ」
「そうか。いい。増えてるんなら、贅沢は言わない。
 水量にも、水源数にもな」

そうこうしている間にも、入れ替わり、立ち代りに、
誰かしら、ふいとアウ=ルを見つけては尋ねてくる。

「親方ー、飾り石の形、見てやってください」
「おう、ちょっと待ってろ」
「親方ー、藩都の第一号店舗、骨組み上がってます」
「早いな、さすがに自治会に動員かけただけはある」
「親方ー、パンフレットのデザインで、女の子たちが話があるって」
「ええ? 写真の現物は予定でアタリをつけておけって指示したはずだろ。
 別件か? ちょっと待ってろ」
「親方ー、ボイラーの型番、現場の間取りと合わないってー」
「親方ー、食材輸入のルートがまだ開かないって、事務の女の子が泣いてる」
「親方ー、観光業者が相談したいことがあるって、直談判に」
「親方ー、空から女の子が」
「削れ削れ、壁の方を削って合わせろ! まだコンクリートも枠段階だろ、刺した鉄筋動かせ!
 見込みで動け、予め内外の企業と話をつけておいて、ルート開いたら物流テストしろ!
 つうか、外交筋は俺じゃないから! メイロードさんに出てもらえ、あの人コワいから話まとまりやすい!
 おいちょっと待ってろって言ってるだろ、整列!
 つうか、風呂屋の現場に女の子は降って来ねえよ!! お前どこの所属だ!?」

へい!

一斉に、あらくれた男どもが、
優男とまではいかないものの、学生上がりのやわい体をしたアウ=ルの一声で並び出す。

「ったく……」

結局、夕方になってしまったこともあり、途中から、
味噌汁のぶっかけメシをすすりつつ、みんなで車座になって、
まとめて話を進めてしまった。

こんな間に合わせじゃなく、うまい蕎麦が食いたいよ、と、ぼやく。
復興途中だと、温かいメシが食えるだけ、恵まれているのは、判ってる。
それでも、心にそろそろ、潤いというか、贅沢が欲しいのだ。

メシ、風呂、寝る。
誰が言ったか、偉大なキーワードである。
家があって、うまいものが食べられて、
一日の疲れを癒せる時間がありさえすれば、
人間は、結構、なんとか、生きていけるのだ。

ああ、蕎麦、蕎麦、わさびのきいた、蕎麦。

しかし、蕎麦には綺麗な水が欠かせない。
うまい蕎麦を、また食べるためには、水回りの再整備にも関係している自分たちが、
頑張るより他にないのだ。

そこまで思い至れば、ただただ肩を竦めるばかりである。

あろうことか、気がついたら、観光地の復興に関する総代にまで、
まつり上げられてしまっていた。

メイロード曰く、

『水回りの都市計画も含めた風呂作りは、ライフラインと密接に関わってくるからだよ。
 国や街が息を吹き返すにゃあ、まず、何がなんでも水なのさ』

だ、そうである。

まさか蝶と猫の絡んだ、国のイグニシアの判子が押された書類を、
持ってこられるとは、思わなかった。

【まかせた!】

聞けば、燃料生産地の建設地の発注書が、10文字だったそうだから、
再建が半分の5文字というのは、丁度いいのかもしれない。

丁度いいのか?

色々と、国の体制について、悩んでしまわなくもない。
フランクすぎだろ、これ。

とはいえ、さすがに観光地全体ともなれば、専門外のことが多いので、
信頼の置けるチームリーダーを選抜して、それぞれに働いてもらっているが、
一週間、机に突っ伏しては起きるような生活を繰り返しているので、疲労も大概だ。

親方、親方と、柄にもない呼ばれ方をしているが、
メイが大将なので、そちらよりはマシだろうと、我慢している。

「デザイナーにやらせる仕事じゃないって、絶対……」

風呂屋につきものの、食事処のメニューや意匠を確認しつつ、
ああ、ちくしょう、俺も久しぶりに食いたいぞ、バタフライアイス、と、
甘いものが欲しくなる。

よだれは垂れるが、手は抜けない。
風呂屋とは、総合リラクゼーションの空間であり、
清潔さ、店員のサービスの質の高さは勿論のこと、
お客が満喫出来る、ゆとりが必要なのだ。

それは、品目の限られた料理たちで定番感と独特感を同時に出し、
広々としていながらも、混雑の行き過ぎないよう、
精算も兼ねたデジタル入館キーを差した、靴箱の数まで考えて、
限界人数や、曜日ごとのペース配分まで考えなければならない、
といった、商売の域にまで、完全に立ち入った話になる。

無論、入浴施設そのもののクオリティも下げられない。
市街の中に設ける関係上、限りあるスペースを最大限に活かして魅せるため、
壁の高さや、入浴者たちの視点にまで配慮を行き届かせ、
うだらないよう、長く入って新陳代謝を高められるよう、
飽きることなく、涼む腰掛け処まで適度に配置して、
種々の風呂を組み合わせなければならない。

まして、今、手がけているのは、国営の銭湯である。

バリアフリーにも気を払わねばならないということで、
いくつかのパターンを試す形で、基本デザインを複数固めてから、
後追いで、各現場にねじこめるだけの工夫を重ねている。

「外が見えないよう、露天は壁の高さを……だな。
 ただ、閉じ込められている気分にならないよう、
 わざと空間と視線を区切るためだけの高板を外に出る際に設けよう。
 こうすれば、意識がそこで切り替わって、周りよりも、空の高さに気持ちがいく。
 広く感じられるぞ」

ぶつぶつぶつ、設計を進めていく。
幸いなことに、風呂自体は文化的にレンジャー連邦に根付いていたため、
蒸し風呂中心の組み立てという、ある程度までの骨組みは、流用出来た。

今、アウ=ルが詰めているのは、そこから先、
クオリティを追い求めての、空間デザインのレベルの話である。

「学生時代、建築事務所でアルバイトしてた経験が生きたっちゃ、
 生きたけど……」

集中力を回復させるために、のびをしながら、溜息ついた。

本当にまったく、どうして自分がやる羽目になったんだか。

/*/

さらに半月が経過した。

ブラスフィールド兄妹は、月明かりの下で、その名の通り、真鍮の色をした、
分厚い砂除けの衣を身にまとい、自然石の上に腰掛けている。

岩と砂とで、風呂屋の、本棟と食事処の渡り廊下から見える中庭に、
レンジャー様式の庭園をしつらえる予定の場所である。

まだ、無造作に大小の岩が置かれているだけだが、
岩のでこぼこ具合が、波間に突き出た島にも見立てられるような並びをしている。

「諸島造(しょとうづくり)か」

無精髭をなでつけながら、ぴしゃり、尻に敷いた岩を、
メイが手のひらで面白そうにぶっ叩く。口にしたのは、庭園様式の名前だ。

「こんな短い期間だってのに、よくやるじゃねえか、あのデザイナー」

三つに編んだ、長い灰髪を、己の膝にしなだれかけつつ、
妹であるメイロードの方は、これも、自分たちの足元を見つめている。

「そりゃ、わざわざ荒れた故郷に戻ってくるぐらいの奴ですからね。
 根性は座ってるでしょう」

二人の影が、月光に、圧し伸ばされて、大地に投げかけられていた。

「こいつも人を使ってやった仕事でしょ?
 いい目、してますよ」
「違えねえ」

いつになく、雷鳴のようなメイの大声は、鳴りを潜め、
しみじみと呟くように相槌を打つ。

「ああいう若いのが、いいんだよ。なあ、妹っこよ」

上機嫌に呼びかけられて、メイロードは皺深く苦笑した。
妹っこ、という呼ばれ方を、最後にしたのは、両親が工事現場の事故で亡くなる前だ。
それっきり、二度と兄は、自分のことを、そう呼ばなくなった。

社長、副社長、で、それからずっと、やってきたのだ。

だから、兄がその呼び方を口にしたことで、
メイロードには、すべて、わかったのだ。

「引退する気ですか」
「ははっ、まあなー」

メイロードを振り返り、からりと笑ったその日焼け顔は、
蒼い光を受けて、どこか穏やかでさえある。

「あの坊主、やれるじゃねえか。
 ああいうのがいるんなら、もう俺らの時代は、終わりよ」
「現場第一主義も、ここまでですか……長かったですね?」
「あん? 馬鹿言えェ、社長辞めるってだけだろが」
「まだ、働く気ですか、兄さんは」
「阿呆、おめえさんだって引退させねえからな。
 あいつにいい人が出来るか、いい相棒が出来るまで、当分現役だぞ」
「あら、事務方の子を慰めて、いい雰囲気になってたみたいですよ?
 若いっていいですよねえ、勢いだけで、あんなに真っ赤になって」
「あ? 聞いてねえぞ!? ちっきしょ、羨ましい野郎だな」

けらけらけら、本気になってやっかむ兄を、笑う。

「なんでも、湧き水にふっ飛ばされて、なんでかその時、服も脱げちゃって、
 真っ裸で落っこちちゃった子なんですって。
 もうお嫁にいけないとか、わんわん泣いて、『えー、ほんとに空から女の子、降ってくるのかよー』
 って、愕然としてましたよ、あの子。
 しかももう一人慰めた後だったから、なんだか微妙に修羅場っちゃったみたいで、大変で」
「おいおい、どんな漫画体質だよ、あいつは。分けろよその運を一人分ぐらい」
「結局私ら、独り身ですからねえ……遅咲きの華を目指しますか?」
「まず、おめえから片付いてもらわねえとな。
 俺にゃあ言い寄る女、いっぺえいるからよ!」
「はい、はい」

ついさっきの台詞と、もう矛盾してますよ、とは、
つっこまないでおくのが、言わぬが華ってものだろう。

……こんな時間を過ごすのは、久しぶりだ。
昼夜を問わない突貫作業も、国を背負ったプレッシャーも、
誰かの命を預かる責任感も、みんな、みんな、慣れっこで。

でも、いつの間にか、体は年老いていて、
疲れは深く骨身にこびりつき、拭いきれない。

とっぷり、今日みたいな、静かな夜に、
その疲れが浮かんできて、我にもなく、センチメンタルな気分にさせるのだ。

砂漠の夜は、冷たく、染みる。空の、冴え冴えとした黒さも、また。

「――――この国のことを、ちゃんと覚えていて。
 隅々まで目を通して、自分のセンスで新しく作り直せるような子、
 そうはいないものね。兄さん、本当にいい拾いものしましたね」
「あたぼうよ、こちとらめ組の大将だからよ!」

快活な哄笑が、夜空に響く。

「人の心をデザインするのが、デザイナーってもんだろう。
 明るくて、和めて、くつろげる。風呂だけじゃねえ。
 観光ってのは、光を観に、来るんだ。
 誰にとっても、光である、そういう心を、あいつはモノに籠めてしつらえられる奴なのさ。
 今、一番必要だろ? この国にはよ」
「だからって、最初っから総代丸投げはやりすぎだったと思いますけどね」
「なんだよ、おめえも反対しなかったじゃねえか」
「はい」

にっこり、笑い返しながら、思い出すのはアウ=ルのこと。

光を観ることを、諦めない。
たったそれだけのことを、アウ=ルは、やってのけ続けている。
だから、人がついてくるのだ。

ただの若造を、冗談で親方と仰ぐ奴らは、現場には、いない。
自分の命を預ける責任者なのだ。

性根の座っていない、「わかっていない」出向の臨時現場監督が、
影でどんな扱いを受けるかは、メイロードのよく知るところだ。

「あの子は、ちゃあんと人の命が動く、現場にいて、
 命で動く、現場を見て、仕事しようとする子ですからね」
「おうよ。それが商売ってもんだろ、なあ、妹っこ!」

にやにや、自分が座る岩とも大して変わらない、いかつい面構えを、
楽しそうにひん曲げ、メイは笑っている。

「あいつは国に戻ってきた。
 そこで、自分の仕事の意味を求めようとしてたんだよ。
 拾ってやりゃあ、働くさ。
 あいつは商売ってものをわかってる。
 生きるだけなら、ただの糞袋なのが、人間だ。
 生かそうとするから、人間って奴ぁ、すごくなれるんだよ。
 そいつが本当の商売だろう。
 あいつは国を、生かしたかったんだよ」

だから、それでメシを食わしてもらうことに、
疑いを持たずに、突っ走れる。

「見ろ。俺らみてえなロートルまで、あいつが帰ってきたせいで、
 働いちまってるじゃねえか」
「はい。生かされてますね、兄さん」

フフ、と微笑み、頷いた。

風は相変わらず冷たいが、砂漠の夜に、今日も月明かりは優しい。

/*/

よく、泥のように眠っている、という例えを、
口にしたり、耳にしたり、するけれども、泥は別に眠らない。

まどろみなんて言葉の中に、どろ、が、入っているから?

違うんじゃないかな。

アウ=ルは、夢と現の境で、後にはもう、取り出すことの出来ない、
意識の小箱を手にしていた。

真っ白な、光沢のある、つるつるしない、滑らかな紙製。
両手でそっと横側から支え持っていると、しっとりと温度の移る、
やわらかさ。

二つの手のひらには、余る、
見下ろす視線の中には、丁度よい、
ずんぐりと上蓋のかぶさった、
四角い小箱。

透明な波が、内側から小箱を透かして、
並々と湛えられている水色を、いっぱいに溢れ返らせていて。

アウ=ルは、愛しく思うのだ。

ああ、この水色は、命だ。

たくさんで、うごいていて、つかめなくて、けれども僕は、手を、のばしている。

目にあるはずの視点がズレて、自分を斜め上から把握している風に、
世界が変わる。

水色が、僕の中を、かき乱す。

土色の人形のような体の、指先から、
とても肉体の目ではすべてを感じとれないほどの、猛烈な渦を巻かせて、
入ってくる。

土の人形が、泥になる。
ひとつながりに固まっていたはずの腕から足から、
全部がかき混ぜられて、わからなくなる。

どこまでが、僕だったろうか。
どこまでが、水だったろうか。

宙に浮いた心地。

僕と世界が、混じっている。

そうだ。

この感覚は、僕が求めたから、与えられたんだ。

命の源、海、潮騒……なあんて、洒落た音色は響いていない。
僕にあるのは、ただ、濁流のような、速い鼓動。
がむしゃらに、体中を、突き抜けている。

いくつも触れた声たちが、
いくつも移ろう顔たちが、
真剣に、笑い、怒り、戸惑い、怯え、
恥じらい、黙り、悲しみ、
そしてみんなどこかを見つめていた。

すべてが僕を突き抜ける。
すべてが僕を、かき乱す。

どこまでが、自分だろう。
見誤ることは決してない。
どこまでも自分で、それなのに、
どこかでも、世界なんだ。

泥のように眠るとは、僕の実感だと、こんな感じ。

みんな(世界)といっぱい触れ合った、
だから僕は泥になる。

そんな感じ。

うん?

この、幻のような時間の外で、
ところで僕は今、何をしていたんだっけっか……?

/*/

時と、場所は、すでに現実の側のことである。

汗と、砂埃とで、どろどろに汚れた顔をした男女の群れが、
二列に分かれて、間に道をあけて、並んでいた。

奥手には、周りの市街の痛み具合から浮いた、
真新しい建物。

手前には、背中をしゃちほこばらせたアウ=ル。
着たきりスズメだった、変形のスーツは、裾が、ぴょこりと皺の寄って、
はみ出ている。

髪も、肌も、あごひげも、荒れ放題で、脂が浮いていた。

どこからも、それを非難する声は挙がらない。
誰も、似たような格好なのだ。乾いた気候のため、相当近くに寄らなければ、
臭いがしないのは、誰にとっても幸いだったはずである。

よくよく新築の建物の様子を伺うと、
さらに奥の方の、天井あたりが、ゆらり、ゆらり、
陽炎と似て非なる濃さで、大気が揺れていた。

人の列の、一番奥、左右に分かれて立っているのは、
遠目にも異彩を放つ、パンパンに太い筋肉を持った壮年の男と、
地を擦るほどに長い灰髪を三つに編んだ、年輪も艶やかな女。

二人の手には、縁取りの色、鮮やかな、
紅白のテープがつまみ持たれていた。

そして、アウ=ルの右手には、鉄製の厚い、作業バサミ。

建物の傍らと、正面、門構えに冠した、立て看板と、看板に、
万国共通の湯処マークと、「RF」のイニシャルが、青く、刻まれている。

列からは、熱いまなざしでアウ=ルを見つめる、妙齢女性の視線があり、
また、一同からの、ふてぶてしくも、たくましい笑顔が向けられていた。

この笑顔の上に表れている感情を、誇りと呼ぶのだろう。

みな、雄弁なほどの沈黙で、アウ=ルを待っている。

……まだ、第一号店の落成式に過ぎない。
これから、仕上げどころか、基礎工事を待っている予定地も、
いくらもある。

わかってはいても、
泥のように重く、ぬかるんだ苦難の道を、共に歩んだ仲間たちの、
列の間を、一歩、一歩、万感というより、疲れから、踏みしめて、
よぎる気持ちは、胸の内を、やはりうねっていた。

「テープカットだぜ」

見届け人のメイが、また、いかついのに愛嬌あるウィンクで促し、
セレモニーの進行を会場中に告げる。

眼前には湯屋がある。
鋏を入れて、断ち切るのは、これまでの苦労の、すべてなのだと、
刃が噛んだテープの端が、感触を伴って断ち切れるのを、見届け、
アウ=ル=フォルトは、初めて知った。

拍手が巻き起こる。

自分たちの現場が、終わったのだ。
ここからは、また、新たな人たちのための、現場になる。

身をやすらえるために来た人たち、
それを労い、もてなす人たち。

みんなの新しい日常が、ここから始まる。

突然、頬を滑る、珠の動きを感じた。

「あれ、うお……!?」

拭っても、拭っても、掌から手首のあたりが、
ぐじゅぐじゅに濡れるだけで、おさまらない。

刺し込む質の痛みが、心臓を強く絞り上げる。

「ど、どうした、俺。疲れすぎて、壊れたか!?」
「馬ァ鹿」

屈託のない罵倒。
掌から顔を上げると、メイは、妹と二人、並んでアウ=ルの前に立っていた。
手で押さえた上から、胸を、ドンと叩かれる。

「男が初めて、いっちょまえの仕事をやったんだ。
 そいつァ、当たり前のことだろ」
「あら、”前社長”の同じ素振りは、記憶にないけどねえ」
「まぜっかえすない、副社長どの!」

一同からの、拍手は止まない。
その、波濤のような、轟きを、感じるほどに、胸が軋む。

みな、誇らしげな顔を、そのままに、
アウ=ルに拍手を浴びせかけていた。

「いいもんだろ、人から求められる感じってのはよ」
「!」

痛みが、一気に熱へと転じて広がった。

ずっと、自分がなりたくてなったはずの職業の名を、
呼ばれるたびに痛んだ心の棘が、帰着するべき答えを見つけて、
ほどけていく。

そうか、俺は……、国に、みんなに、何かがしたくて。
そのきっかけがほしくて、ここに帰ってきてたのか……!

「みんな……あり、ありがとう!」
「馬ッ鹿、それもヌけた台詞だぜ、”社長”殿」
「へ?」

要領をつかみかね、まだ、ぽかんとしていると、
わあっと大挙してアウ=ルをみんながもみくちゃにしに、駆け寄ってきた。
ほとんどもう、人津波のありさまだ。

「親方、俺を使ってくれて、ホントにありがとう!」
「社長、私、こんなに充実して働けたの、初めてでした!」
「いいモンだよな、人の役に立てることを、させてもらえるって」
「うん、それもこれも、みんな親方が拾ってくれたおかげだよ!」
「若いのに、よっく辛抱して差配しなすった。
 いやあ、め組も、これで、当分安泰だね!」

口々に感謝を告げられるので、ほとんどは聞き取れないのだが、
耳に入っているから、意味が取れなくても、自然と体が熱く、反応した。

遠巻きに人ごみを避けているブラスフィールド兄妹が、
まぶしそうに、光景を、目を細めて視界に入れている。
どうにか取り巻きを押しのけて、アウ=ルは二人の下へとたどりついた。

メイは、嬉しそうに、笑っていた。

「おめえさんが今、抱えてるものは、
 ぜえんぶ、おめえさんがみんなにくれてやったものと同じなんだよ。
 いいかい、新社長。それが、共に和するってことだぜ。
 それが、共に和したってえ、実感なんだぜ」
「で、でも、俺は、メイさんに拾ってもらったから……!」
「俺は落っこちそうになったもんを、支えただけよ。
 後は全部、アウよ、おめえさんが形をつけたんだ。
 おめえさんの心で、こいつらの心もろとも、全部デザインしてやったんだよ」
「そんな、俺は、みんながいたから……ただ、当たり前のことをしただけで……」
「その”みんな”を、見つけてきたのも、あんただねえ。
 当たり前のことを、当たり前にやってのけるのが、仕事じゃないか。
 それも、国を直すなんて大仕事の、ひとつだ」

にいまり、細く、メイロードが笑んだ。

「さあっ、いつまでも泣いてんじゃないよ、次の仕事が首を長くして待ってるじゃないのさ!」
「は、はいっ!!」
「新社長、号令!」

――――鋭い声に、一同は直立不動で、その場に停止した。

次の言葉を、
次の、自分が求められ、また、自分が誰かを求める現場を、
みなが、待ち望んでいた。

現場第一主義、か……。

MEIDEA建築・伝統のポリシーが、髪の、毛先の震えるほどに、
隅々まで浸透して、アウ=ルの喉を、肺を、腹を、
意志を、貫ききった。

「――――全員、聞けえッッ!!!!
 俺たちは、作るぞッ!!!
 笑顔の素を、作るッ!!!
 それが俺たちの喜びで、笑顔の素で、
 だから、残りの仕事も……」

応!!!!

爆発的ないらえが一斉に返る。

「おお、やりきって見せろやあああああああああ!!!!!!!」

新しい、漢(ザ・ガイ)の咆哮が、
世界を揺らして、貫いた。

風呂屋の屋根からは、湯煙の水蒸気が立ち上り、
今にも訪れる客を出迎えんとする、新ピカの、明るく、朗らかな、
玄関口が、まぶしげに熱い陽光を受け止めていた。

ああ……。

つくづく世界は意志の力で出来ている。

だって、こんなにも、笑顔の光で、輝かせることが出来るのだから――――!


最終更新:2010年08月04日 20:24
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