今年は君の年

静島 修吾にはわからないことがある。
もうそろそろ二十周年を迎えるかどうかという彼の人生の中にあって、今までずっと家族に任せきりだったばかりにわからないことがある。

それはいま、彼が膝の上に乗せている鳴海 延明にとってもわからないことであった。
その実、キッチンでヤカンで湯を沸かしている大島 大河もわかっているようなそぶりで誤魔化しているが、やはり彼もわかっていない。

彼らにはひとつ、わからないことがある。

この生活が始まって、正直なところを言えばわからないことだらけだったわけではあるのだが。

「さて諸君、無事にお湯が沸いたわけですが」

コンビニの袋とヤカンを持って、大河がリビングにやってくる。

「修吾はカレーうどん、ノブはシーフードヌードル、そしておれがたぬきそば……と」

即席麺のカップをこたつに並べる。

「……年越しそばってさ、どのタイミングで食べ始めてた……?」

大河の言葉に、二人が首をかしげていた。

「……夜中だった覚えがあるんだが」

「うちはそもそも、年越しそばって食べなかったし……」

沈黙の時間が訪れる。

「た、大河くん家は……?」

「おれが勝手に“零時ジャストくらいに食べ終わるとその年はラッキー”みたいなマイルールでやってたんだけど……」

「じゃあ、それでいいんじゃん……?」

何ともしがたい空気が辺りを支配する。

「いや、なんかさ、こう、心機一転、新生活の年になんかやらかしていい一年送れなかったら嫌じゃね!?」

「俺そもそもうどんだしなあ」

「それ、それな。なんでおれが“年越しそば食おうぜ”って言ってるときにおまえはカレーうどんを選んだのか」

計画はすでに破綻している。
この全員マイペースぶりで半年ちかくやってこれたのが嘘のようだ。

「ぼ、ぼくは一応、中華そばだよ……」

「それもなんか苦しいけどなあ」

「まあ……そう信心深い方じゃないだろ、全員」

大河はちょっと不服そうにしたが、

「……ま、そっか」

と呟いて諦めた。



思い返せば大学生活もわからないことだらけだった。
高校までの時間割が無い、よくわからない分厚い予定表から自分の授業を探すことすらままならない。
不幸中の幸いなのは周りの知らない同級生もそれなりに苦労していた様子が感じ取れたことだろうか。

約二週間の休みを終えて、一月も終われば長すぎる春休みが始まってしまう。
いまいちなにがわかっていて、なにがわからないのかすらわからないまま、彼らの最初の一年が終わる。

一つ屋根の下、甘い生活の夢はどこへやら。

わからないことだらけで忙殺された一年だった。

「……」

延明を抱く修吾の背後に回り込み、大河がそのただっ広い背中にしがみつく。

「おい」

「おめーらだけズリィんだよ!! さっきからずーっとくっついてばかりでよ!」

「交代する?」

「うん」

胡座をかいた修吾の膝から延明は立ち上がり、代わりに大河がそこに座した。

「重い。テレビが見えない。邪魔」

「うるせーな!」

「じゃあぼく、うしろね」

今度は延明が修吾の背中に寄り添って、その肩に顎を乗せた。

「……」

「なんでノブの時には何も言わねーんだよッ!!」

大河は修吾に軽く数発肘鉄を喰らわせた。

「……大河」

「あん?」

「おまえ太ったろ」

その言葉に大河は息を詰まらせる。

「……太った」

「だよな。腹たるんでるもんな」

「うるせえ、おまえだって太ったろ!」

「ッ」

今度は修吾が顔を背ける。

「腹にこんな弾力なかったもんなー」

「お、おまえがメシ作るようになったからだろ」

静島 修吾は顔が赤くなりやすい。
そしてそのぶっきらぼうな物言いの大半は照れ隠しである。

「おれはちゃんとおまえらの為を思って真心込めてつくってますー」

「うん、大河くんのごはんのせいじゃないよ、だってぼく五キロ痩せたもん」

「「嘘ォ!?」」

二人が声を合わせて延明へ向き返る。

「大河くん、絶対調味料ケチりすぎだよ。味うすいもん」

「オメーの為にやってンだよ!!」

延明は不満そうに下唇を突き出した。

「ほら、麺のびるから食っちまおうぜ」

「おっと、そうだった」

謎のフォーメーションを解いた三人がそれぞれのカップを持つ。

「「「いただきます」」」

これはなんとなく始めたルールだった。

「……」

「なんだよ」

麺を啜りながら大河は修吾を睨む。

「カレーうどん、こぼすんじゃねえぞ」

「あっ大河くんフラグ立てた」

「やめてくれよ」

修吾は一応、忠告通りに汁を跳ねさせない努力はした。

「修吾、太ったの絶対そういうの喰ってるからだって」

「ムグ」

「ぼくのとっておいたおやつ食べるしね」

「ブフッ!!」

「やりやがったな!! テメーやりやがったな!!」

延明が慌ててティッシュ箱を大河に手渡す。

「あっ、あれは事故だ……!」

「許さないよ……ぼくのビエネッタ半分残してたの全部食べたの絶対許さないから……」

「それはむごい……」

大河が白い目を向ける。

「“ビエネッタたべないで”ってメモまでつけてたのに……」

「ビエネッタってどれかわかんなかったんだよ……」

「間違いなく修吾はこれから先デブるな……がっかりだよ……」

いたたまれない顔で修吾は肩を落とす。

「俺と大河が太ったのは間違いなく運動不足だろ」

「それだなー、高校の部活やってたころがもう懐かしいもんな」

改めて麺を啜りながら二人は語る。

「……先生、元気かな」

ふと、延明が呟いた。

「大河くん、先生に年賀状出した?」

「出した出した。多分先生からも来るんじゃね?」

「お、俺も出したぞ」

修吾が無理矢理アピールする。

「そっかあ、ぼく出してないや……」

「つーてもノブは先生の今の住所知らないだろ、修吾のもおれが宛先書いたし、ノブも元気だってちゃんと書いといたよ」

蕎麦を啜りながら大河が笑う。

「おれが気にしてんのはさ」

「?」

「この近くに初詣行ける神社が無いんだよな」

去年の初詣の時は、顧問に連れられ三人で合格祈願を兼ねて遠くの神社まで車で連れて行ってもらったのだ。
祈願のお守りを神社に返納する必要があるとまじめな大河は考えていた。
今住んでいる地域には、除夜の鐘すら聞こえない。

「大河くん、免許取ったじゃん」

「えー、取ったけどさあ、あそこの神社まで高速乗っていくのはさすがに怖えよ」

ちなみに今住むアパートに引っ越す際も、大河の運転で父親のハイエースで荷物を運んだのだが、その際に阿鼻叫喚どころで無い騒ぎになったことも事実だった。

「あ、近所の神社のどんど焼きの時に一緒にお焚き上げしてもらってもいいみたい」

延明が携帯片手に応えた。

「じゃあ、そうしようか」

「……初詣って、元旦に行けばいいんだよな……?」

ふと修吾が思い立つ。

「まあ、基本はそうだけど……その年の最初に行くのが初詣、ってのでもいいっぽい」

「……結構、アバウトだよな」

「ならよ……明日、高校の近くのあの神社で初詣しねえか?」

カレーうどんの汁を飲み干しながら修吾が言った。

「ああ、あったなあそういえば」

かつて通った通学路を少しそれたところには、縁日を開く位の大きな神社があった。

「出店とかあるかなあ?」

「いいね、初買い食いしたい」

「ついでに、ノブの親御さんにも挨拶してこうぜ」

ふと、テレビが騒がしくなる。

「あ」

カウントダウンが始まった。

『10、9、8、7』

三人、黙して画面に食いつく。

『6、5、4』

浮ついた気持ちが背中をなでる。

『3!! 2!! 1!!』



『Happy New Year!!』



初詣を終え、延明の実家に寄っていささか恥ずかしくなったお年玉をもらって三人は帰宅する。

案外、時間が進むのは遅いもので、一時過ぎにはすでに暇を持て余していた。

「大河くん、どこかの初売りとか行かないの?」

「あー、おれと修吾が狙ってるとこ明日初売りなんだよ、ノブも一緒に行く?」

「福袋買わないけど、一緒に行こうかな」

こたつでみかんを重ねてピラミッドを作るのにも飽きてしまった。

「スプラやろうぜ」

「あ、さっきやろうと思ったんだけどサーバー混んでて繋がらないんだよ」

「みんな暇なんだな……」

剥いたみかんのスジを綺麗に取りつつ大河がひとつあくびをする。

「おい」

修吾が玄関で二人を呼んだ。

「羽根突きやろうぜ」

「は?」
「え?」



アパート近くの公園で、大中小の怪しげな男子大学生がドラッグストアの袋片手に立っている。

「羽根突きってこれバドミントンじゃねえか」

「羽根突きにはかわらんだろ」

「しかもこれ子供用じゃない……?」

かわいらしく丸文字で“バドミントン”と書かれた袋に入っているのは二本のラケットに二つのシャトルが入ったセットだった。

「うわ、ちっちぇえ、やりづれえ」

「……ぼく、かえってぴったりサイズなのがすっごいショック……」

「ノブがやりやすくねえと楽しくねえだろ」

大河と延明がでたらめにラケットを振る。

「バドミントンってどんなルールだっけ」

「とりあえず羽落とさなかったらいいんだよ」

「ネットも張れねえしな」

拾った木の枝でラインを引きながら修吾が邪悪な笑みを浮かべる。
そもそも修吾の満面の笑みは怖いと大学でもさっそく有名なのだが。

「ちなみにシャトル一回落とす度に」

「まさか」

「これだからな」

袋から取り出したのは、極太のマジックだった。

「うっわああ……」

延明の顔が絶望に染まる。

「水性だから安心しろ」

「負けねー……ぜってえ負けねー……」

延明は修吾の肩を叩くと、徐にラケットを手渡した。

「修吾くん」

「ん?」

「ぼく、バドミントンのやり方よくわかんないからお手本みせて」

延明はにやりと笑った。

「出たぞノブの策士スキルが……」

「……大河」

ラケットを向けて修吾が燃えた。

「──おまえをころす」

「よぉぉぉおし、おまえに土の味を教えてやるッ!!」

大河が数度、ラケットの上で羽根を跳ねさせて、構えた。

「いくぞッ!! オラッ!!」

羽根を宙に投げ、力一杯スマッシュする。

「あっやべえ思いの外飛ばねえ」

「ッ!!」

「くっそラケットみじけえ!! うおお!!」

ベンチに座してたのしそうにマジックを構えながら、延明が行き来するシャトルの軌跡を追う。



過ぎゆくものにさよならが言えない。

だから訪れた春にさよならを言われる。

それはさみしかろう
それはせつなかろう

あるひとがこう歌った。

さよならを言えないものが増えた。
いつか遠くで言わなければいけないであろうその言葉を、永遠に忘れてしまいたくて。
三人はもっとたくさんの思い出を詰め込むのだろう。

さよならという日が、世界の終わりが過ぎ去ってもまだ来ないことを。
できればもう、永遠に言わなくてもいいことを。

その笑顔が永遠に続いていくことを願って。



今年は、君の年。



2018/01/01 - A HAPPY NEW YEAR!! -


最終更新:2020年01月01日 00:02