その朝はアサギ=ネーベルヴァイスにとって特別なものであった。
最も、当の本人は未だその事に気づいてはいなかったが。
「これよりそなた達へ特別任務を与える」
-魔導調律機構本部 エルフェンバイン城-
「そなた達は先日の強奪事件について既に承知のことと思われる。これは魔導調律機構ヴァッサークローネの二千年の歴史に泥を塗る最大の不祥事である」
三人の大魔導師の内一人が、十数名の若き魔導師達に向けて檄を飛ばした。
「逆賊による魔導の流出は世界の調和を乱す危険なものである。我らヴァッサークローネは何としてでも“魔典ヴェクサシオン”を奪還せねばならない」
「そのための手段は選ばない…が、事実は調律機構の信用を大きく揺るがすものであるが故、事はなるべく隠密に処理すねばなるまい」
「故に先発部隊として、諸君等有能な術士に魔典ヴェクサシオンの捜索を命ずる」
三人の大魔導師が術士に命を下した。
魔典ヴェクサシオン捜索。
どのような危険が待ち構えているかも解らないこの任務に、アサギは自ら志願したのだ。
「未だ城内に裏切り者が居る可能性は未だ否定できない。故にそなた等には先に各地へ散ってもらい、任務の詳細は後ほど各々へ使者を送り伝達する」
「城内では決して他者に任務内容を口にしないこと。以上だ」
……そのあまりに怯えきった大魔導師達の姿勢にアサギは若干の疑問を覚えた。
しかし、世界の調和をいとも簡単に破壊できる魔導兵器の流出とあれば、上層部も慎重な姿勢で臨まなければ立場が危ういに違いない。
アサギは自身をそう納得させ、他の術士同様に荷物を纏め、こっそりと城を後にした…
「よう」
「……やぁ、久しぶりだね」
周囲のざわめきを気にもせず、アサギは久しく会う友人に笑顔を見せた。
その虎獣人の男、身の丈三メートルはありそうなその巨体を揺らしながら、小柄なアサギに目線を合わすようその場にしゃがみこんだ。
このモンスターの様な男が街を平然と歩いているのだから、人々がざわめくのも無理は無いのだろうが。
「また一緒に仕事ができて嬉しいよ、エンジ」
「何の知らせも寄越さねェからよ、腕が鈍っちまうところだったぜ」
エンジと呼ばれた大男は巨体に似合わぬ無邪気な笑顔をアサギに返した。
エンジ=オランジェ。
以前、悪徳錬金術師の手に掛かり人体実験の標的にされかけたところをアサギに救われ、以来共に行動している雇われ戦士…いわゆる傭兵である。
「今度はどんな仕事なんだ? アサギ」
「それが詳細は僕にも知らされてないんだ。極秘任務だから後で伝達が来るはず」
「ん? おいおい、お前らしくない物騒な仕事じゃねェか、大丈夫なのか?」
「そうじゃなければエンジの手は煩わせないよ。さて、まず宿に行こうか」
アサギは体格に似合わぬしっかりとした口調でエンジに語りかけた。
「そうだな。じゃ、行くとするか」
ベンチに腰掛けるアサギに、エンジの巨大な手が迫る。
「……魔物だ」
野次馬の一人がふと呟く。
「……ん?」
「お、おまわりさん! 魔物が子供に!」
「な、なにィ!? 魔物だと!!」
ざわめきは一瞬にして絶叫へと変わり、二人の周囲はあっという間に地獄絵と化した。
「そッ、そこの魔物!! ただちに子供から離れなさい!!」
「あ、ま、魔物って俺のことかァ!?」
「……そう、みたい……」
拳銃を構えた保安官がガタガタと震えながらエンジに警告を続ける。
「あ、あのー……」
「ぼ、ぼうや!! 早く逃げるんだ!!」
「そ、そうじゃなくて……」
話の通じない保安官に向けて、アサギは羽織ったケープから一冊の蒼い手帳を取り出し、保安官に突き出した。
「私は魔導調律機構ヴァッサークローネ第一級術士、アサギ=ネーベルヴァイスです。彼は私の友人で魔物ではありません。」
アサギはその幼い風貌からは想像できないほど堂々とそう告げた。
「え……あ……そう、でした……か? ……失礼しましたァ!!」
そう言うと保安官は一目散に退散し、野次馬たちも赤面しながら蜘蛛の子を散らすように去っていった。
「……ったく、お前がいつまでたってもチビだから誤解されるんだよ」
「や……エンジがやたらおっきいからだと思うんだけど……まぁいいか。」
アサギは生まれつき体の小さなドヴェルガー族の出身である。
幼子のような体つきだが、今年で21歳になる。
そのおっとりした性格故に余計子ども扱いされてしまうのだが。
故に巨漢のエンジが子供を襲っているように他人には見えたのだろう。
「さて、どうするんだっけ?」
「お前……自分から宿に行こうって言い出したんだろうが……」
相変わらずの能天気さに、エンジは道中の不安を感ぜずには居られなかった。
-フォルスト=シックザール 運命の森-
かつて世界を二分した魔法による世界大戦…魔大戦が勃発した際、ある国の兵士達が出兵する際に必ず通ったと言う森に作られた街である。
生きて帰る事ができるかわからない兵士達によりこの森は運命の森と呼ばれるようになり、森を抜けた先にはシュルホト=デル=クノッヘン(骨の谷)が続いている。
「アサギ、元気にしてたか?」
エンジが羽織っていた上着を脱ぎ捨て、胴鎧を外してゴトリと床に置く。
「まぁね。ぼちぼちてとこかな。エンジは体の調子は大丈夫?」
「おうよ、お陰様でな。」
エンジが背を向ける。
それをアサギがじっと見つめていた。
「ん? どうした?」
「や、やっぱり背中の魔法陣は消せないんだなぁ……て」
「ん、魔学者の先生に見せたんだけどな。」
エンジの背中の模様が不気味な魔法陣を模っている。
「もう大地の聖霊は俺の肉体の要素に組み込まれちまったから無理に引き剥がせないんだとさ」
無駄な心配はかけすまいと言う配慮なのか、エンジは優しそうな笑みを浮かべながらアサギにそう語った。
「ま、アサギが立派な大魔導師にでもなれたら消してもらうさ」
「……むぅ」
屈託の無い笑顔のまま、エンジはアサギの頭をぐりぐりと撫でた。
「……おあっ!?」
その様子に茶々を入れるかの様に、一羽のカラスが宿の窓から部屋へと入ってきた。
「伝令だ!」
アサギがベッドから飛び降りると、カラスはバラバラに砕け散り、一枚の手紙にその姿を転じてアサギの手元へ舞い降りた。
「……な、なんだそいつは?」
「組織からの極秘文章だよ」
アサギが手紙に目を通しながらそう答える。
一通り文書を読み終えると、アサギはひらりと手紙を手放した。
「うん、わかった。もう行っていいよ」
そう語りかけると、手紙は再びカラスに転じて窓から飛び去った。
「……なぁ、そろそろ話してくれてもいいんじゃないか?」
エンジが口を開く。
「内容が極秘って言ってたよな?相当ヤバい仕事なんだろ?」
「うん、まぁ……そうだね。順を追って話すよ。エンジは“魔導器”てわかるかな?」
「まどうき? ……聞いたことなら」
一呼吸置いて、アサギは持てる魔導知識の一部をエンジに話し始めた。
「魔導器て言うのは、二千年前の魔大戦の時に作られた魔法兵器のことなんだ。今でも現役で破壊と殺戮ができる程の力を持て余しているんだけど……」
かつて、魔導師に莫大な力を与えるべく、魔導器なる禁断の兵器が生産された。
異界の神をその術式要素として組み込んだ数々の魔導器は、今も魔力を数十倍にも跳ね上げる力を持っており、今の文明では世界の秩序を乱す危険性がある。
故にそれらはある国際組織により徹底的に管理、または封印されることとなった。
それを推進している組織こそ、アサギが属する魔導調律機構ヴァッサークローネである。
「三日前、ヴァッサークローネの魔導器管理庫が組織の裏切り者に荒らされたんだ」
一通り説明を終え、アサギは本題に入った。
「誰が黒幕なのかはまだわからない。多くの魔導器が強奪されたけど、そのこと以上にまずい事が起きた」
「まずいことォ?」
「うん……」
アサギが大きくため息をついた。
「今管理している魔導器のなかでも、一番危険なものが流出してしまった」
「……名前は?」
「魔典、ヴェクサシオン」
その名が持つ不気味な雰囲気に、エンジは閉口した。
「他の魔導器はすぐに見付かった……ヴェクサシオンに破壊された状態でね。盗賊団は全滅だった。」
「仲間割れか?」
「……ううん、最初から目的はヴェクサシオンだったんだと思う。盗賊団は捨て駒だったに違いない」
重々しい空気が部屋に流れる。
刹那。ドンドン、ドンドンと激しく扉を叩く音が部屋に響いた。
「……ったく、まじめな話してんのによ」
エンジが険しい表情のまま扉を開く。
「だぁぁ!! ま、また魔物……」
「だぁから魔物じゃねぇって何度……」
「そ、そうじゃなかった、もう一人の術士さんに用があるんだ!」
突然顔を出したエンジの巨体に腰を抜かせたのは街の自警団員だった。
「僕に何か?」
ヴァッサークローネ術士団の証である白地に青く水冠が染め抜かれたケープを羽織り、アサギが歩み出る。
「術士殿!! ま、魔導器で武装した術士が街で暴れて…」
「何処?」
「西門だ、もう兵が耐えられない」
アサギが一つため息をつき、口を開く。
「……そうか、じゃ、行こうか」
アサギの言葉にエンジが頷く。
「残りの兵たちはもう下げさせていいよ。僕らが行く」
アサギの想像以上に被害は、少なかった。
重傷三名、軽傷六名。
ただし、警備隊は全滅だった。
「なんだこいつら…怯えていやがる」
エンジがその太い眉を顰める。
赤子の様に泣き叫ぶもの。
ぶつぶつと母の名を連呼するもの。
正気を失い、ガタガタと震え失禁するもの。
訓練された警備隊がその威厳もプライドも奪われたその様は、まさに地獄絵だった。
「フィア…絶対的な恐怖を植え付ける強力な呪詛が、この人たちの精神の奥深くに根付いている。早く術士を倒して呪詛を解かなければ、心が壊されてしまう」
「…探す必要は無いようだかな」
エンジが鞘に手を伸ばす。
絶対的恐怖に縛られた生きる亡骸を押し退けて、一つの影が姿を現した。
「…脆いなぁ」
「…」
「脆いなぁ脆いなぁ脆いなぁッ!」
その男はゆったりとした白いエキゾチックな衣を身に纏い、その右手には漆黒の表紙を持つ大きな書物が握られている。
その衣裳から、隣国モンドジャハルの術士であることは容易く想像できた。
「はぁ…退屈な人だよね。新しい力を弱きものに振るうのがそんなに楽しい?」
アサギも眉をしかめ、術士に言い放つ。
「あぁ楽しいねェ…快感だよ。嘆きが、絶望が!」
術士はニタリと笑い、その右手の書物を突き出した。
「…あれは!」
アサギが青ざめる。
「エンジ、逃げて!!」
バシャッという金属音と共に、黒い書物のロックが解除される。
書物はひとりでにそのページを捲り、その中から漆黒のオーラがにじみ出た。
「恐怖に溺れるがいい!」
術士の雄叫びと共に、黒いオーラが漆黒の稲妻と化して二人を襲う。
「なっ!?」
稲妻は予想以上に早かった。
「畜生……!!」
防げないことを解っていながらも、もう攻撃を避けるには遅すぎた。
エンジは剣を構え、防御に徹する。
「はぁッ!」
その時。
不意に飛び出したアサギが蒼い光を放つ書物で稲妻をはじき返した。
「……ほう」
「……魔典“ジャバウォック”……封印解除!」
その声と共に、アサギの書物のロックが解除され、敵の書物同様その力を解放する。
「あ、アサギ、何だアイツの魔典は!?」
エンジとて魔典使いとは幾度となく戦っている。
しかしここまで強力な魔力の使い手は、アサギを除いて初めて遭遇する。
「間違いない……あれが……ヴェクサシオン!」
「何!?」
モンドジャハルの術士が不敵な笑みを浮かべる。
「……あぁ、そうだよ。俺は最強の力を手に入れた。このヴェクサシオンを通して混沌の力がみなぎってくる!」
「……ッ」
「誰も止められないんだよ! この焦熱のスコルピオン様はなァ!」
スコルピオンと名乗った術士は高らかに笑った。
「……おかしい」
「どうした?」
「ヴェクサシオンがあんな程度の低い術士なんか相手にするかな? そんな安っぽい魔典ではないはずだけど」
アサギの疑問は最もだった。
このスコルピオンと言う男、明らかにヴェクサシオンの力に溺れている。
ヴェクサシオンを制御しているつもりなのだろうが、アサギから見れば魔典の力に振り回されているだけに過ぎない。
そして異界の神の力を借りて魔法を発動する魔典の特性上、ヴェクサシオンほど高位の魔典があのような程度の低い術士に力を貸すはずがないのである。
「程度が低い……? 笑わせるな、ヴェクサシオンさえあれば俺は神にだってなれるんだ!」
ヴェクサシオンの黒い波動が大地を揺るがす。
「出でよ、ゴーレム!」
地面から、6体の巨大な影が突き出した。
ヴェクサシオンの魔力で偽りの生命を吹き込まれた土人形が二人を襲う。
「エンジ!」
「おうよ、任せておけ!」
エンジが自慢の逆刃大剣を構える。
生ける者を殺さず、その骨と戦意だけを断つ。
心優しき武人の、師より受け継いだ最強の武器である。
「ぅおぅらあぁぁぁ!」
大剣が唸る。
そのハンマーのような背が岩のようなゴーレムの体を絶つ。
「ドラッツェ、アングリフス!」
アサギが右手で印を切る。
魔典ジャバウォックから溢れる蒼いオーラが右手を包み、竜の爪の形を成す。
「はぁッ!」
爪はゴーレムの一体を掴んで投げ飛ばし、更に衝撃波が二体目を薙ぎ倒す。
「ちッ……腐っても魔典ジャバウォックという事か……」
「……ッ! 待て!」
噴き出す闇がスコルピオンを包み、その姿は一瞬にして消えてしまった。
「エンジ!」
また新たなゴーレム、それもより巨大なものが地面から飛び出してくる。
「くっそ!! キリがねェ!!」
「土に呪詛が組み込まれてるんだ……魔導公式を分解しないと無限に沸いてくる!」
巨大な鉄拳をかわしながら、アサギは魔典を開いた。
「術式を展開する!! 時間を稼いで!!」
魔典ジャバウォックを通して、アサギが思念を敵中枢へ送り込む。
アサギの脳を中心として、魔力が魔法陣を描き出す。
「あ、アサギ!! 急いでくれ!!」
さすがのエンジも、巨大なゴーレム相手に苦戦していた。
「……術式、展開!!」
閃光。
ゴーレムの体中を魔導公式が這っている。
ただの土をゴーレムに仕立て上げているスコルピオンの呪詛が、目に見える形に展開されたのだ。
「エンジ!! 頭の文字が術式の核だ!!」
「文字ぃ!?」
もがき苦しむゴーレムの額に“emeth”の文字が輝いている。
「“emeth”、真理はゴーレムの駆動に必要な構成言語なんだ……eの字を破壊して“meth”死の要素に変えてやれば公式は自然崩壊する!」
「よし、eの字だな!!」
エンジが大剣を逆に構える。
その切っ先がギラリと輝き、敵の姿を写し出す。
「おるぁああああああああ!!」
渾身の力を込めて、エンジが大剣を放り投げる。
解き放たれた剣は美しく正確に飛び、その切っ先を深々とゴーレムの額に突き立てた。
「オオオオォォォォォォ……」
“真理”の公式は一瞬にして“死”の公式へと転じ、ゴーレムは断末魔とも安堵とも取れる唸り声を上げて崩壊した。
「…逃しちまったな」
「うん…でも、あいつの傲慢さからしてまた戻ってくると思うけどね」
そう淡々と語りながらも、アサギから怒りが消えることは無かった。
アサギが張った結界により、兵士たちは僅かながら安らぎを取り戻したらしい。
「……大丈夫か?」
「うん……平気」
結界の維持には常に魔典ジャバウォックへ魔力を注がねばならない。
それだけでアサギは少しずつ精神力を消耗している筈だった。
「……無茶すんな」
「……あっ」
エンジはアサギを抱きかかえ、ベッドにその体を横たえた。
「また一層可愛くなりやがって」
「もう……また子供扱いするぅ」
エンジの大きな手がアサギの頭を撫でる。
「……アサギ」
「なに?」
「ヴェクサ……シオンだったっけか?あの本見た時のお前の顔……らしくなかったぜ」
「……そう」
エンジの心配にそう答えたアサギの口調はどこか憂いが篭っていた。
「……俺さ、お前と組んでか一年位経つけどよ……お前のこと何も知らねぇんだ…でも、なんかを押し殺してるのは俺でも解る」
「……」
「何が、あったんだ?」
エンジの問いかけに、アサギは一呼吸置いてから口を開いた。
「ちっちゃい頃にね、僕の町に道化術士団のサーカスが来たんだ。魔法を見たのは、そのときが初めてだった」
瞼を閉じ、アサギはそのときの様を思い出していた。
「この世界に、こんなに美しいものがあるんだ……って。そのときだったかな。魔法使いになろうって考えてのは」
「それで?」
「僕が11のときに……故郷で内戦があったんだ。遺跡で見付かった魔導器の所有権を巡る争いだった」
「…そういえば、昔そんな話聞いたことがあったな……」
「うん、結局、暴走した魔導器によって、国の全ての嘆きと憎悪を集めて異界神が出現したんだ…国は焼かれて、兄さんと父さんが死んだ」
「……」
「魔法はこんなことのためにあったらいけないんだって。父さんの遺言だった。そのとき、ヴァッサークローネになろうって決めた。」
「……すまん。」
「いいんだ。それに、その魔導器って言うのが、あのヴェクサシオンだったんだよ」
アサギの口調はあくまで優しかった。
しかし、その言葉はエンジの心に深く突き刺さった。
「その、なんだ……すまない」
「……いいんだ。そうじゃなかったら、エンジにも会えなかったし」
そう言ってアサギはエンジの大きな手を握り返した。
「あ……アサギ……」
「僕、エンジと仲間になれてよかった。頼りになるし、やさしいし」
「お、俺だって……アサギが助けてくれなかったら、今頃……」
エンジは顔を赤らめながら、アサギの小さな手を愛でた。
「……」
「その……アサギ」
「ん?」
エンジがもじもじと口を開く。
本人は至って平然さを装っているようだが、その太い尾は緊張で硬直していた。
「その……なんだ、その……」
エンジが頬を赤らめながら、なにかを口ごもる。
「ねぇ、なに?」
アサギの顔がエンジに迫る。
その様子に更に緊張したエンジの太い眉がぴくぴくと痙攣する。
「その……俺は、アサギのことが……す……」
「……!?」
その時、巨大な咆哮が街を揺るがした。
「なに……今の」
「大変だ! 術士さん!」
警備隊長が大声で部屋へ飛び込んできた。
「さっきのヤツが、でっかい魔物を連れてきやがった!」
「魔物……!? エンジ!」
「お、おう、ちょ、ちょっと準備するからっ、さ、先に行ってくれ!」
「あ……? う、うん……」
何処か様子のおかしいエンジを気にしつつ、アサギはケープを羽織り、魔典を手に部屋を飛び出した。
「あ……あともう三センチ……ちくしょおおおおおお!!!」
シュルホト=デル=クノッヘンに面した東門は火炎に包まれていた。
炎は漆黒の空を真紅に染め上げ、その不気味な巨体を照らし出す。
「美しい……美しいなァ……紅蓮の炎は、希望が燃え尽きていく様は!!」
スコルピオンが高らかに笑う。
「さぁ火竜よ、街に火を放て! 絶望に染め上げろ! クァッハハハハハ!!」
戦死者の骨と岩石で出来た火竜は咆哮を上げ、空に向け何発もの火球を放った。
「スコルピオン!」
「……来たなジャバウォック! 次こそは!」
アサギが魔典の封印を解く。
その瞳は真っ直ぐと敵を見据えている。
「エンジ、いくよ!」
「おうさぁ!」
エンジが剣をかまえ、火竜へ突進していく。
「我らに守護を! ゾンネンシュトラール!」
アサギの呪文により、光のエネルギーがエンジを包んだ。
「三センチの恨みッ、晴らさせてもらうぜぇぇ!!!」
「……さ、さんせんち?」
ハンマーのような大剣に光が集まり、その破壊力を増徴させる。
「ウラアァァァ!!!」
火竜の前足が吹き飛び、バランスを崩し転倒する。
「っ、いまだ!! シュテルンシュトルム!!」
そこへアサギが無数の光線を放ち、火竜の頭を破壊した。
「おのれエェェッ!!」
転落しながらもスコルピオンは恐怖のオーラを放つ。
「ヴァント=フェアタイディグング!!」
それをアサギが障壁で弾く。
「喰らえ!!」
落下してきたスコルピオンへ、エンジが渾身の一撃を放つ。
「ぐぅうっ!!!!」
アバラの2、3本は折れたであろう鈍い音を響かせながら、スコルピオンは地面へ激突した。
「ゥグッ……ち……くしょう……畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生ちくっしょおおおおっ!!!!」
狂ったように絶叫しながら、スコルピオンはゆらりと立ち上がった。
「……まだ、立つのか……」
「エンジ、何かが変だ!」
小刻みに震えながら、スコルピオは不気味に笑い始めた。
「う……ウフッ、フフフ……フヘェャハハハハハハハ!!!! ッ畜生!! な、な何もかもが気に食わんぞヘャハハハハハ!!!!!」
見れば、手にするヴェクサシオンからかつて無いほどの闇のオーラが噴出している。
オーラは狂ったスコルピオを取り囲み、渦巻いている。
「ハヒャ、な、なんだコレはァッ!! い、嫌だよ!! ヘヒャ、と、止まらないトマラナイとまらないいいいいいい!!!!」
オーラを振り払おうとスコルピオンが暴れまわる。
「ハヒャヒャヒャヒャヒャ!!! こ、怖い怖い怖い!!! こわいよぉぉぉヘヒャヒャヒャヒャヒャヒャああああああ!!!!!!!!」
しかし、オーラはさらに強く膨れ上がる。
「ま、まずいよ!! あいつヴェクサシオンに取り込まれた! 異界神が顕現しようとしている!」
「なんだって!?」
「ヴェクサシオンの本体が……どんな異界の神かはわからないけど、あいつの精神を依代にして出てくるつもりだ!」
莫大な量の魔力の渦が発生し、スコルピオンの脳を触媒として異界の扉が開かれる。
幾重にも連なる触手が踊り、異界の神が顕現する。
「ケヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!!!!!!!!!!」
嘲笑が夜空に木霊する。
「エンジ!!」
「おう!!」
二人が異界神に向けて攻撃を開始する。
「ヒヒャーハハハハハハ!!!!!!!」
高笑いと共に異界神が莫大な魔力を放った。
「な、なんだこい…ぐあぁぁぁ!!」
「ヴァ、ヴァント…あぅわぁぁぁああっ!!!!」
強烈な魔力の爆発に、二人は一瞬にして吹き飛ばされた。
「ち、っくしょぉ、あんな中途半端なヤツにあんな力があんのかよ!」
「ま、また来る!! ヴァント=フェアタイディグング!!」
漆黒の波動が再びふたりを襲う。
「く…ッ…ぅ…ああぁぁあああああ!!」
アサギの障壁も耐え切れず崩壊し、二人はまたも吹き飛ばされた。
「…っく…近づけもしないのか!!」
エンジが口から流れる血をぬぐいながら言う。
「…エンジ」
「…アサギ…?」
ボロボロのアサギがゆっくりと立ち上がり、エンジへ微笑みかける。
白み始めた空が、アサギを蒼く照らし始めた。
「あとのこと、よろしくね。」
「お、お前、まさか……」
「ジャバウォック」
アサギが、“我が名”を呼ぶ。
「我が前にその真実の姿を示せ……封印、解除!!」
魔典ジャバウォックの封印がすべて解除され、アサギの魔力の色である蒼い光があふれ出した。
拘束具たる書物から、“我が精神”たる魔典の魔術公式が解放される。
アサギの精神を依代として、“我が肉体”が異界より顕現する。
異界の者である我は、通常こちらの世界に存在することは出来ない。
我は飽くまでもアサギの想像力が作り出した神でしかないからだ。
しかしアサギの持つ魔力を使い、我とアサギの存在次元を入れ替えることはできる。
アサギの魔力が続くおおよそ五分間、我は異界神としてこちらの世界に干渉することが可能となる。
そう。
我が名は、若き魔導師の願いより出でし異界神……“ジャバウォック”。
「出てきやがったな……武神ジャバウォック!!」
エンジと直接会うのはこれで三度目になる。
こやつは何故か我を武神と呼ぶ。
その理由はわからないが、別に問い正す様なことでもない。
「生ぬるいぞエンジ。そんなことでは想い人ひとり守れはしないぞ」
「う、うるせぇ!! 畜生…さっきのアレも見てやがったのかよ……」
悪態をつくエンジを尻目に、我は肉体の“なじみ”を確かめる。
我ら姿を持たない異界神は、術者の想像力によりその姿を成す。
アサギは我を屈強な竜人の姿だと想像しているらしい。
「そんなことより、アレはなんだよ!!」
「異界神の末端だ。想像力も魔力も足りなかった故に、醜い中途半端な姿になってしまったのだ」
スコルピオン自身の魔力の少なさ故であろう、彼から噴出した異界神は完全に顕現できず、その形を成す事の出来ない異形と化していた。
不完全であるがゆえに、異界へ退けることも今なら不可能ではない。
「そ、そんなんでアレだけの力があるって言うのか…信じられねぇ」
「末端とは言え、神は神だからな…怪我をしたくなければおとなしくそこで見ておれ!」
我は異形のものへ迫った。
「永きに亘る封印に飽いたか、“アリス”…否、“ジョーカー”!!」
「ウ……フフフフ……ジャバ、ウォック……!! キャハハハハハハハ!!!!!」
我が存在に気づいた異形が歓喜の声を上げる。
そして我を取り込まんと、その触手を放った。
「出でよ、神槍バンダースナッチ!!」
我が呼びかけに、異界より愛槍バンダースナッチが顕現する。
「閃ッ!!」
我が槍の一閃が闇の触手を薙ぎ払う。
「ウフフフフ……ウフフフフ」
その様に異形が微笑む。
腐っても狂神ジョーカーの末端、その痛みをも悦びと感じるのか。
「キャアーッハハハハハハハハ!!!」
更に無数の触手が出現し、一斉に我に襲い掛かる。
「ぬぅ!!」
流石に防ぎきる事は出来ず、左腕に幾らかの触手が突き刺さった。
「ジャバウォック!!」
「む……」
エンジの援護により、我を拘束していた触手が断ち切られる。
「お前……大丈夫なのか?」
「此れしき……我が肉体を構成する魔導式が多少綻んだだけだ」
気を緩めれば、構成式が綻び肉体の維持が出来なくなる。
存在次元が違う我らが一時的にこの次元に顕現している際の、最大の弱点なのだ。
「ま、また来るぞ!!」
泡沫となった左腕を再構築し、異形の攻撃に備える。
「茶番にはもう飽いた!! 受けるが良い!!」
そしてそれはあの異形とて同じ事。
バンダースナッチに魔力を混め、蒼き浄化の炎を纏わせる。
「破邪顕正!! 奥義!! 蒼焔邪滅槍!!」
魔力のベクトルを一点へ解放し、槍と共に解き放つ。
我が槍の速度は雷にも匹敵し、その焔は闇を焼き尽くす。
「キキャアアアアアアア!!!」
槍をまともに喰らい、異形を構成する魔導公式が緩む。
我に残された時間も僅か。
此れで終わりにすることとする。
「術式展開!! 覇ァッ!!!」
我が印がバンダースナッチを通して異形を括っていた術式を引き剥がし、展開する。
魔導式の中枢を曝されもがき苦しむ異形に、引導を渡してやろう。
「破邪顕正!! 奥義!!」
掌に魔力を圧縮し、一点に集中して解き放つ!!
「菩薩掌オオオオォォォォォッ!!!!!」
「キャアアアアアアアアアアアアアァァァァァァッ…!!」
断末魔の悲鳴を上げ、異形のものは異界へと退かれた…
朝日が昇る。
ヴェクサシオンに食われた術士スコルピオンは、辛うじて一命を取り留めたらしい。
「さすがは神様、ってワケか」
エンジがつぶやく。
「安心しろ。お前の想い人を横取りする様な真似はせん」
「そ、そんなこと言ってないだろがよォ!」
この男はいつでもからかい甲斐がある。
それはそれとして、気になる事が一つだけあった。
「……やはり、な」
我は手に取った魔典ヴェクサシオンを再び地面に置くと、それに火を放った。
「な、馬鹿! お前なにやってんだよ!!」
うろたえるエンジを制する。
「此れは“写本”だ」
「な、しゃ、しゃほん!?」
「そうだ。無論、人にできうる芸当ではない。真なるヴェクサシオンが自ら作り出した幻影なのだ」
もちろん、その理由は異界神たる我にも解せない。
ヴェクサシオン。
その名を聞くだけでも胸糞が悪い。
「さて……我は異界へと戻るとするか。エンジ」
「……なんだよ」
「…アサギを、頼んだぞ」
「…わかってるって。言われなくとも。」
エンジはバリバリと頭を掻きながら言った。
「あぁ、其れと」
「今度はなんだ。」
「アサギの保護者として言っておくが、本人の了承を得るまでは決して操を奪ってはならん」
「な、何言ってんだよ!! だから俺はそういう……」
顔を真っ赤にして否定するエンジをよそに我は存在権をアサギへと返し、我は再び魔典ジャバウォックへと戻った。
「……」
実界に戻され、意識を失っているアサギを抱きかかえると、エンジはその顔を覗き込む。
「で……でも……キス、くらいはしても……」
「術士殿おぉぉ~!!!」
その刹那、回復した警備隊員達がアサギを案じて東門に集結していた。
「ちっくしょ……あいつ等あぁ……」
「……エンジ……」
怒りに煮えたぎるエンジの胸で、アサギが目を覚ます。
「ぅあ、アサギ……」
「……おわった…の?」
「……ん……あぁ、全部終わったよ……」
そう語りかけると、エンジは朝日に目を細めながら、疲弊したアサギを抱えて街へと歩み始めた……
ヴェクサシオン…いや、アリス。
お前は何を考えている。
お前は、まだヒトを弄び足りないと言うのか。
それが我らが本体、ジョーカーの本能だとは解っていても。
アリス。
お前の嘆きは、まだ満たされないのか…
<第一幕 Jabberwock 了>
最終更新:2010年01月03日 22:55