その名前は本名ではない。
彼を“発見”した
ヴォルフレット・サールタリアを始めとする幾人かの関係者によって、成り行き任せのまま適当につけられた便宜上の名前である。
彼がどのような成り行きで“冷凍保存”されたかは既に忘却の彼方にある。
そもそも、フィクションに登場するようなコールドスリープ装置と言うものは、魔法と区別の出来ないペイガンポエトリー由来技術が存在して尚、実現はしていない。
重傷者への延命の為に身体を冷やして代謝を下げ、冬眠状態を誘発させるボディクーリング等の技術はあれど、それでも最長は一週間程度とされる。
それ以上の冷凍に関しては、チルドにした段階で細胞内の水分が凍結し膨張してしまうため、全身を再起不能までズタズタにしてしまう。
かつてはそれでも未来での蘇生をかけて、拙い技術で冷凍保存された人間が少なからず存在したと言うが、結局彼らのその後など誰も知りはしない。
キャプテンが果たして、いったいどのような経緯で冷凍チャンバーに入れられていたのかは本人にもわからない。
そもそも、この船がもともといったい何であるかも、データが意図的に破損されているためわからないのだ。
ボルトが最初にこれを見つけた時には既に他のハイエナによって金になりそうな部分は持ち去られていたが、脚のつきそうな主機関部は残されていた。
その他の特徴から察するに、この船はどこかの戦艦であるかもしれないとボルトは推測している。
──宇宙戦艦。
聞くも馬鹿馬鹿しい言葉であるが、実は木星、土星圏には治安維持を目的として国連から数隻の宇宙戦艦が派遣されている。
とは言え、事故にせよ何にせよ、戦艦が一隻でも座礁したならばニュースのひとつにもなっていなければおかしいし、ハイエナに集られるまで放置されていたのも妙な話だ。
ただ、記憶が無いと言いながら、キャプテンにはこの船を一通り運用する能力があり、発生するトラブルに対して冷静、冷徹な判断を下すだけの判断力があるのは確かなのだ。
この男は、もしかしたら軍人だったのかもしれない。
そして、人知れずに起きた何らかの小競り合いの果てに“死んだことにされた”のではないか──
「んで、その幻聴ってのは何時から聴こえてる?」
時おり軽い偏頭痛と幻聴を訴えるようになった
イグナシオ・タナカは、数日経ってから漸く、これはおかしいと不安になりゲイルに相談を持ちかけた。
「あの日からです……土星入り直前の」
「ああ、“鯨の日”かー……余程のショックで一時的に混乱してるだけだとは思うんだけど」
隣で心配して着いてきたガノフが不安そうに医療端末の画面を覗き込む
が、その内容の大半はわかるものではなかった。
「んー、簡易CTじゃ特になんも見えないけどなぁ、知恵熱の類であってほしいとこなんだけど」
「──あの“鯨”が原因──ってことはありますか?」
ガノフが口を挟んだ。
「いや、無いんじゃね? あるならオレたち全員がおかしくなってる筈だし、PPATHOSフィールド越しに電磁波以外のなんかが通ってくる事なんてないでしょ」
「……でんじは……」
「可視光だって電磁波だし、無線電波だって電磁波だよ。その辺はまぁボルトに聞きな」
タナカの体内で血流量を測定している医療マイクロマシンのログと睨み合いながら、ゲイルは呟く。
「──あれ、“鯨”だったンかねぇ」
「俺には生き物に見えましたけど──“ベントラ”ってことは無いんじゃないですかね」
「いや生き物みたいなベントラが居てもおかしくねえからなぁ。まあ、今さらだけど」
きょとんとした顔でタナカが話の脈絡を追う。
「──ああ、“ベントラ”って、港に入れないようなでっかい船の事だよ。そんな宇宙船は他に無いから、大体“異星文明人(ペイガン)”の船の事を指す言葉になっちゃってるけど──」
そうガノフが注釈を加えたことでタナカは話を理解する。
──そもそも、異星人を“エイリアン”ではなく“ペイガン(異教徒)”と呼ぶのは地球人類社会での政治的な理由であるそうだ。
地球外の隣人である異星人に対して、“エイリアン”と言う呼称はあまりイメージが悪く、口からもうひとつ口が出てきたりだとか、硫酸のよだれを垂らしているだとか、そういうステレオタイプなイメージが群衆にあまりに根深く定着していて失礼であるとの風潮が、彼らとのファーストコンタクトの直後くらいに有識者の間で流れた事が由来とされる。
大体、開通したばかりのホエールラインを通ってまでして他惑星人類におせっかいを焼きにくる連中と言うのは、その程度で気分を害するような精神性は持ち合わせていないだろうし、それ相応の文明水準を裏付けるテクノロジーとノウハウを持っているのがほとんどだった。
ただ、彼らは言葉の汎用性を高めるために言語ではなく語意で会話するのが基本であるため、自分達の出身惑星を指して“地球”と称するし、我々には一つしかない太陽も彼らの知る無数の恒星(太陽)の一つでしかない。
なので最初のコンタクト時には混乱もあったらしく、後に地球は宇宙公用語的名詞として改めて“テラ”と名付けられ、太陽系は“ソル系”と改められた経緯がある。
「──ちなみにさ、何が聞こえる?」
「え、っと……」
タナカはぼんやりとした顔で思慮する。
「……“潮騒”と……“鯨の歌”が……」
「……詩人だねぇ……」
「先生、真面目に受け取ってあげてよ……」
──“潮騒”。
物理的な“海”ならまだしも、ホエールライン内でPPATHOSフィールド越しに見える次元界面から聞こえてくる音ではない。
もっとも、“船の音”なら誰にでも聞こえている。
機関部の唸りや、日本製のシェアナンバーワン高性能空気清浄機“コスモクリーナー(商標)”の風切り音がそれとなく潮の音を想起させると言うのならわかる話だ。
「──単純な神経過敏だと思う、目的地が近いそわつきも長旅の疲労もあるだろうし、一時的なものだと思うよ」
「そんなもん……でしょうか」
「だいたい“鯨の歌”ってのも、自分が“そう認識してるから”出てくる言葉だと思うんだよね……」
言われて、タナカは首をかしげる。
「ほら、それが本当の聴覚異常なら、例えるにしてももっと具体的な音を出してくると思うんだよ。けど、“鯨の歌”って詩的な表現を使うなら、たぶんその“言葉”に引っ張られてる──だから、“鯨”を見た衝撃、理解が追い付いてない部分を脳がそういう形で処理してるのかなって」
「……たしかに……なんで“鯨の歌”だなんて思ったのかな……」
「だろ、だから、一過性のショック症状みたいなもんだろうってオレは診断する。あとはもう経過観察かな……」
ゲイルが数度タブレット端末を操作すると、デスクに備え付けられたプリンターがペーパーメディアを吐き出した。
それに一筆サインを書き入れると、ゲイルは丁寧に折り畳んでタナカに手渡す。
「……一応、今の症状と診断のあらましはその“紹介状”に書いといた。もし、天王星で受診することがあるなら持っていきな」
「……あ……」
タナカは、いや、そばに居たガノフですらも、ゲイルの言葉でようやく思い出す。
次の寄港地、天王星こそ、タナカの旅の終わりなのだ。
「……ありがとう……ございます……」
「……まぁ、あと数日だしな。ちゃんと船降りてからのことも考えときなよ」
ゲイルは笑いかけたが、その眼差しはずいぶんと心配そうにガノフには見えた。
実際、ストロガノフ本人も、すっかりと馴染んでしまったこのタナカと言う青年がいなくなってしまう事実を飲み込めないままでいる。
そして、タナカ自身も、自身の旅の終着を、罪を犯してまで辿り着こうとした到達点を、まだ受け入れられずにいた。
父を探して、もう居ない筈の父を探して辿り着く場所、天王星。
地球から遥か三十億キロの果てにある、ダイヤモンドの雨が降るという蒼い惑星。
父はそこに向かうと告げて消えた。
ただ、帰ってこなかった。
それだけが、タナカが知る父の最期のすべてだった。
数日前──“鯨の日”の翌日、土星寄港中の出来事。
イグナシオ・タナカに、キャプテンは二つの選択肢を提示した。
ひとつ。
天王星寄港時に、約束通り船を降りること。
タナカはモビーディックの庇護を離れることで、自身の目的である“父探し”を優先することができる。
ただし、以後の生活や、天王星から地球への帰還の手段についてはタナカ自身が責任を負わねばならない。
もうひとつ。
それは、このまま地球までモビーディックに乗り続けるというものだった。
これはタナカへの人道的配慮、すなわち、地球への帰還までをモビーディックが保証する代わりに、タナカの目的である“父探し”を諦めねばならないことを意味する。
それはつまり、密航者タナカの旅の一切が否定されると言うことでもあった。
回答は天王星寄港の前日までと定められた。
タナカはそれまでの間に、どちらかの現実を選び得なければならない。
──長い、旅だった。
密航と言う、卑怯ながら若きタナカが己の衝動に任せるには他に手段の無かったその経緯の是非はあれど、彼はその終着点へと着実に近づいている。
それは逃亡の旅の終わりでもあった。
家族と言う牢獄から、深夜特急に飛び乗ったあの日から続く、長い逃亡劇の終わり。
──父さんに、会いたい。
それは、母親からの逃亡を公言するも同じだった。
──その真意が母親に通じたかは定かではない。
ただ、父親が最後に告げた場所──天王星に辿り着けたなら、イグナシオの中でその“逃亡”の目的は果たせたと言えるかもしれない。
母親はそんなイグナシオの行動を咎めなかった。
母親は語る。
父親の蒸発を聞いて以降、その事実を受け入れたような顔をして、その実、ただ避けているだけだったと。
もう手の届かないところに到達してしまったイグナシオを止める術はなく、ただ、その現実と向き合うしかないのはイグナシオも母親も同じなのだ。
後はただ、彼らか納得のいく結末さえ用意されているのであれば──
「……」
瞼を閉じれば、遠く潮騒が聞こえてくる。
それに混じって微かに聞こえる、何かの残響。
それをどう表して良いか、タナカにはわからない。
もっとも近しい言葉を当てはめるのであれば、それは“鯨の歌”のように聞こえた。
しかし、それらはどちらも、他の誰にも聞こえない“幻聴”のようなのだ。
──あるいは。
ゴローから聞いた古い逸話に“人魚の歌”というものがある。
人魚は美しい歌声で船乗りを誘惑し、舵を取り損ねて海に沈んでしまうとされる。
この耳に響くその声こそ、その“人魚の歌”ではあるまいか。
潮騒に紛れ歌声で惑わし、この暗い“宇宙(うみ)”の底へ呑み込んでやろうと誘う歌ではあるまいか。
──「宇宙(うみ)はいいぞ」
そう言い残して宇宙のどこかへ消えてしまった、父もあるいは。
「おつかれさん」
そこに、タブレット片手にしかめ面を作るゲイルが座していた。
当直時点で存在を知っていたボルトは特に驚きもせず、冷蔵庫に向かう。
「ベーグルサンドあるよ」
「おっ、洒落てンじゃん。もらうぜ」
冷えた皿を取り出し、ボルトはゲイルの対面に席を取る。
「夜中までどうした?」
「いやぁ……気になることがあってさ」
ディスペンサーが吐き出した熱いカプチーノを二つ、テーブルに置いて座す。
「……ボルトさ、“鯨の歌”って聞こえる?」
「あ? なんだそれ?」
「──タナカがさ、聞こえるって言うんだよ」
ボルトが促すまま、ゲイルは供されたカプチーノを一口啜る。
「なんでおれに聞いた?」
「もしや……って思ったんだけどさ。やっぱ違うのかなー……」
ボルトは小首を傾げて頭を掻く、その時、他人にはない自分だけの“頭”の事情を漸く話題に結びつけた。
「……マジかよ」
「いや、わかんない。類型の症状は見たところ無いし……」
ゲイルが手にしていたのは、“ナビゲイター・センス発露者に係るレポート”のようだった。
もし、タナカの幻聴がそれに関係するものであるなら、と、ゲイルは考えたらしい。
「でも確かに、神経系の変調が発覚に繋がるのが大体みたいなんだよね……でかい病院で脳電位とか調べられたらもうちょい信憑性出るんだけど」
「神経系の変調?」
「頭痛だとか、なんかチラついたとか、視覚系の報告が多いかな……あ、一時的な失語症もある。そら病院かかるわな……」
タブレットを見せながら、ゲイルは画面をスクロールしていく。
「そんだけあって幻聴は無いのか?」
「いろいろ過ぎて絞りきれない、むしろ“はじめ漠然とした不安、恐怖感を覚えた”ってならそれは大体の症例に当てはまる」
「サウダージ症候群と大差ねぇじゃねえか」
もっともな言葉にゲイルは頭を抱える。
「……どのみちさ、タイミングが悪すぎるんだよ……タナカのこれからって時にさ、変な流れ作りたくないし」
「だから黙ってる?」
「いや。医者の観点として可能性の話で患者の不安を煽りたくないだけさ」
ボルトはそれに対し、黙してベーグルを租借した。
クリームチーズにスモークサーモン、オリーブにケッパーまで散らした凝った軽食だった。
「変に期待持たしてさ、違った時のタナカの顔見たくないし。そういうのは嫌いだ」
「まぁな……どのみち、あいつが決めることだろ」
口一杯にベーグルを頬張るボルトは感慨なさそうな態度で応えた。
「……淋しい?」
「ムグッ!?」
唐突な言葉に喉を詰める。
「弟みたいだったよね」
「……」
それから、二人は言葉を交わさなかった。
だが、その表情には、特別な感慨を秘めているであろうことを、互いに感じ取っていた。
──“鯨の日”。
突然現れた“鯨”が、地球人類のセオリーを無視して空間を転移していった余波により、土星港灯台周辺は激しい空間乱流に見舞われていた。
とは言え、地球の海の嵐とは違い、遍在空間として展張されている高次元空間との整合性が乱れている現象のため、待機する分には船に影響は見られない。
問題は、ホエールラインの遍在空間から外の空間に出る際に起こる。
この整合性が乱れている空間では、出鱈目に縫い合わされた三次元空間の「どこ」に出るかを判別することが難しい。
本来はナビゲイターの“感覚(センス)”によって、目的とする空間に繋がる“隙間”を探しだし、そこに錨をかけて船を引っ張り出す、というのがセオリーだ。
しかし、その空間が激しく乱れていることにより、その“隙間”を見いだすことがそも難しく、かつ、“隙間”が船が通れるサイズを維持している時間も短い。
予期せぬ現象に対しては、該当惑星系のステーションに駐在するすべてのナビゲイターが緊急に派遣され、取り残されている船の救済に当たる。
不幸中の幸いか、件の“宙賊騒ぎ”の影響で宙域の船が少なかったため、モビーディックには警報発令から八時間後という極めて短時間で救済の手が差しのべられた。
タナカが見た本物のナビゲイターは、特筆するべき点の無い、普通の男だった。
以前木星でボルトが地獄の苦しみを味わった件の椅子に座し、だが、何も苦しむ様子も見せずに仕事を終えて帰っていった。
──その際、申告員数外だった為なのか、タナカを見て一瞬不思議そうな顔をしたのを、誰も気には留めなかった。
「……」
その時を夢に見て、タナカは夜中に目を覚ます。
あの“幻聴”が気になって、ここ数日は眠りが浅かった。
よくサウダージ症候群を発症せずに済んだものだ。
「……」
“鯨の歌”は遠ざかったが、未だに聴こえてくる。
“潮騒”は、むしろ逆に近づいてきたような気がする。
──本当にこれは“人魚の歌”だったりするのだろうか。
もし、父親が“人魚の歌”に魅せられてどこかへ消えてしまったのなら、その先に──
そう考えて、タナカは頭を振る。
あまりに出来すぎた話だ、メルヘンチックにも程がある。
頭を切り替えようと、タナカは部屋を出る。
コーヒーでも口にすれば、多少は気が晴れるだろう。
「……ん」
なにかの気配がした。
──気配と言って良いのだろうか。
ただ、何かが異常に気になるのだ。
もしタナカが信心深かったとしたら、“霊”とかそういった類のものが潜んでいるような、そんな気配するのだ。
「……んー……?」
──“気になる”。
身体の外にある、この船のどこかに自分の足の感覚があり、その小指の間に小石が挟まっているような気持ち悪さだ。
……階下だ、タナカはそんな気がした。
どうせ食堂に向かうのだから、道中でなにかを見つけるかもしれない。
タナカは探るようにして階段を下りていく。
……“もっと階下だ”。
そう誘われている気がして、タナカは不気味な思いをした。
まさか、それこそ“人魚の歌”に誘われているのか……
「おいッ」
ボルトの声に我に返る。
「あ──」
応じようとした瞬間に、ボルトの厚い身体がタナカを包み込む。
「タナカッ、大丈夫か!?」
「あッ、大丈夫です、正気ですッ」
「あ!? な、なんだよ……」
はっきりとした受け答えに、ボルトが身を離す。
サウダージ症候群の発作と思ったようだ。
「こんな真夜中にふらついてるからてっきり──」
「……それなんですけど、なんかちょっと変な感じがして……」
「……あ?」
気のせいならそれでいいが、それでもこの“違和感”については伝えた方が良いだろう。
今さらボルトに隠すことも無いと、タナカは素直に自分の感じた“なにか”を告げる。
「って、機関室じゃねぇかよ……当直のオヤジが気にするぞ」
カメラに向かってボルトが“異常ナシ”のジェスチャーをする。
この動きを関知すると、AIは一定時間、当直の端末に通知の送信を止めるのだ。
「ここよりもっと奥っぽいんですよ……」
「ここより奥、って……」
ボルトは思い立ち、壁面レバーを操作する。
すると、壁がスライドして通路が現れた。
「隠し扉……!?」
「別に隠してねぇよ……」
「あ、でもこっちの気がします……!」
ガノフならかなり身を屈める必要がありそうな狭い通路だ。
タナカがその先を覗き込む。
「……ボルトさん」
通路の内部、天井に当たるパネルの一枚が落ちていた。
配線がだらりと、そこから溢れている。
「──違和感ってこれか? こないだの賊騒ぎの時に落ちたなこりゃ……」
「え、こっから誰か侵入したとか──」
と、言いかけて、とても天井裏に人が通れるスペースが無いことに気がついた。
「でもなんで、タナカがこんな……」
パネルを拾い上げたボルトは、唐突に圧し黙る。
「……ボルトさん?」
「あ、いや、なんでもねぇよ」
ボルトは背伸びして、天井パネルを嵌め込み直す。
「──気が済んだか?」
「……あ、はい、なんかスッキリしました……」
ボルトは小首を傾げる。
「……お前、どうしちゃったんだよ……アレからなんか変だぞ?」
きょとんとした顔のタナカに、ボルトの表情が曇る。
なにか、目的地に近づくに連れて、タナカが今までの“タナカ”で無くなっていくような不安があった。
「……なんかのショック症状みたいな話を、ゲイルさんが……」
「……」
ボルトはそう応えたタナカを、唐突に抱き締めた。
「────」
言葉なく、ただ、それに身を預ける。
「────」
そして、互いに次の言葉を紡げずにいる。
それを口にしてしまうことは、互いによくないことだとボルトは考えた。
そしてタナカは、言い澱むボルトに言うべき言葉が見つからずにいる。
当たり前のように、こう肌を合わせる日々も。
“宇宙(うみ)の男たちの世界”も、もうすぐ終わるのだ。
「──“最初の夜”──ボルトさんがこうして助けてくれてなかったら──」
「──そんときゃゲイルかガノフがどうにかしてたろう」
「……そう、ですか……」
だが、言葉と裏腹、ボルトの手は離れなかった。
「……」
「……嬉しかった、です」
「……」
ただ、そう、伝える他になかった。
まるで当たり前のように、こう身体を重ね合う意味を、そう伝えることに定めたかった。
「──もう、お前は思い出みたいに言うのかよ」
微かに身を放し、ボルトは据わった目でタナカを見つめる。
「──え──」
そしてまた、ただ、そうなることが当たり前であったかのように。
──二人は、唇を重ねた。
怯えるように、だが求め合うように微かに舌を絡めながら、静かにただ、瞼を閉じる。
タナカの頭のなかに、頭蓋の裏側を通して全身に、舌から流れてくる電流が爪先に向けて走り去った。
唇が離れたそのあとも、ボルトの目は静かにタナカの目を見つめていた。
その理由を、二人は、問うことも、告げることも出来なかった。
残り二日間。
イグナシオ・タナカは“あえていつも通りに過ごしたい”と、正午からの当直を買って出た。
その選択を、クルーは受け入れた。
最早このとき、
イグナシオ・タナカは、ただ温情をかけられた密航者等ではなく、モビーディックのクルーであったのだろう。
クルーの態度にそれは現れていた。
これから去ろうとするこの
イグナシオ・タナカなる青年を、惜しむ思いが全員にあった。
それは何故だろう。
特別何か能力があるわけでもない、ただ控えめで、人当たりが良いだけのこの青年が、なぜこんなにも惜しいのだろう。
ブライアン・フェルディナンド・ストロガノフにとっては、この青年の直向きさ、誠実さが好ましかった。
あるいはその姿に、自分を重ねて見るところも少なくなった。
それこそ、真の弟のように接したいと思える青年であった。
「──Não quero mais esse negócio de você viver assim Vamos deixar desse negócio de você viver sem mim──」
たどたどしい、覚えたてのポルトガル語もどきの言葉で、タナカはガノフの歌声に自分の歌を重ねて見せた。
演奏が終わると共に、二人は互いの顔を見てはにかみ合う。
「──ガノフさん、ギターはどのくらい練習したの?」
「ジュニアハイスクールの時からかな……未だに上手くはならないけど」
「そっかぁ……今から練習しても遅いかな……」
タナカはガックリと肩を落とす。
「……“シェガジサウダージ”は弾けるようになりたいなぁ……」
「うーん、ボッサは難しいからなぁ……簡単なコードから始めていけばいいよ」
それがタナカには難しく感じられた。
機会こそあれば手にしてみたい程度の憧れは抱いたが、その先の努力に情熱はまだ見合わなかった。
「──お父さん、見つかるかな」
ふと、ガノフが呟いた言葉に、タナカは一瞬顔を上げ、視線を落とした。
そして、小さく頭を振って、微笑みをつくる。
「──たぶん、会えないと思います」
「……」
「宇宙(うみ)の厳しさ、知りましたから。それに、連絡を取ろうと思いさえすれば難しくないことも」
──父は帰って来なかった。
余程の理由さえ無ければ、帰らないと言う選択の無い世界だともわかった。
辿り着く事すらこんなにも困難で、立ち止まることの出来ない旅路。
その帰点に「家」なるものがあるのならば、そこに辿り着けない理由があることを意味するのだろう。
その余程の理由があるならば、それは“死”に他ならない。
「……それか……考えるんです」
「……何を?」
自ら“宇宙(うみ)”に飛び出して、その身に感じた、もうひとつの“理由”──
「父さんは、言ってました。“宇宙(うみ)はいいぞ”って──」
「……」
「それから……ゴローさんにこんな話を聞いたんです。ドイツだかどこかに“人魚”の伝説があって、船乗りを歌で誘惑して、海の底に引き込んじゃうんだ……なんて」
タナカは、馬鹿馬鹿しいと自虐的に思いながら言葉を続ける。
「──もしかしたら、父さんは、“人魚の歌”に惹かれて、家を棄ててしまったのかもしれませんから」
顔を上げたタナカの真っ直ぐな視線に、ストロガノフの胸は締め付けられた。
「──どうして、そう、思うの──?」
「それは──」
タナカは、微笑む。
「──“宇宙(うみ)の男の秘密”、です」
「……っ」
その言葉に、ストロガノフは言葉を失う。
「……僕にも聞こえてるのかもしれません。“人魚の歌”が……だから……」
「……」
「だから、こんなに、皆さんと離れるのが、寂しいんだと思うんです」
タナカの瞳から、涙がひとしずく溢れ落ちた。
「──もしかしたら、僕も、“帰れなくなってしまうかもしれない”──でもそれが、“いけないこと”だと、思いたくは無いんです──」
ぼろぼろと、両目から涙が溢れ落ちていく。
「でも、それは──それは──」
「──」
ブライアン・フェルディナンド・ストロガノフに、かけるべき言葉は見つからなかった。
何故なら彼も、“家族”を棄てて宇宙(うみ)に出た、タナカの言葉を借りるなら“人魚の歌に惹かれた”側の人間だからだ。
少なくとも、今、自分が身を置く“船”は、本来帰るべき“家”より遥かに居心地の良い場所なのだ。
それに異を唱えることを彼には出来ない。
だが、その“楽園”は確かに、血の繋がる人々の想いを裏切り、目を背けてこそ成り立つ場所であるのも事実なのだ。
それは彼自身が選択した“生活”だ。
望んだ“生活”を得る為に切り捨てた“過去”だ。
だが、その選択を、この心優しい控えめな青年に選ばせたくはないともストロガノフは考えた。
相応の罪悪感は未だに拭いきれた訳ではないし、世間の目を気にしない訳ではない。
決着を後回しにした選択は延々“自分のものにならない”と言う居心地の悪さを、ガノフは未だ割りきれずにいる。
例えばその寂しさの徒然に掻き鳴らすのが家族のご機嫌取りに始めたギターであるなら、それを棄てられないのは“家族との絆”が棄てられていないのに等しいことではあるまいか。
ならば、その居心地の悪さを“船の絆”で上塗りして、目を背け続けてきたその事実は“人魚の歌に見入られた”と言えるのではあるまいか──
「──ごめんなさい、急に──」
手の甲で涙を拭うタナカの前に膝を突き、ストロガノフはその細い身体を抱き締めた。
そして、それ相応に胸を締め付ける罪悪感の毒素を、ガノフはあえて飲み下す。
タナカを引き留めてはならない。
でも、出来るなら、ずっと引き留めていたい。
その相反する想いこそが確かに自分の想いであるのなら、それを決して裏切りたくはなかった。
ただ、沸き立つこの想い、或いは“願い”を、“人魚の歌”に魅せられただけとは割りきりたくは無かったのだ。
──おおエイハブ、スターバックが叫んだ。
いまからでも遅くありません。
ご覧なさい、モビーディックはあなたを求めてなどいない、
やつを狂ったように求めているのは、あなた、あなたなのです──
「──」
レクリエーション・ルームのカウチにどっかりと身を預け、ボロボロの文庫本を読みふけっていたゴローが、人の気配に顔を上げる。
「今度は“白鯨”? 相変わらず趣味悪ィなぁ」
ゲイルは入り口に寄りかかり、その様子を眺めていた。
「どんなン読めば趣味がいいんだかな」
「──当直上がりに悪いね」
「構わねぇよ」
──ゴローには解っている。
ゲイルがこうして妙にしおらしい時は、“自分を必要としている”サインだ。
それを察知して、ゴローはベンチの半分を開けて座り直す。
「──悪ィ」
そして甘んじて、ゲイルはその隣に座す。
「──」
ゴローは黙してその肩に左腕を回し、自身の胸元に抱き寄せる。
「──なあ、俺、間違ってなかったかな──タナカをこんなとこまで連れてきちまって」
「どうしたよ、藪から棒に」
「──俺があいつを連れてきちまったところあるからさ──今さら、責任感じちゃって」
そう目を合わさずに笑うゲイルの肩を、ゴローは優しく何度も叩く。
「着いてくるのはあいつが決めたことじゃねぇか。あいつが選んだなら何処でも降りられたんだ。それを背負う道理は無えよ」
「──うん」
「……お前さんは何でも背負い込みすぎてンだよ……本当に医者に向いてねえな……“泣き虫ゲイル”よぅ」
──その優しい言葉を聞いた途端に、ゲイルの両目から涙が溢れ始める。
今まで流せなかった涙が、堰を切った様に。
「……親父ィ……ごめん、ごめんなぁ」
まるで子供のように泣きじゃくるゲイルを抱き、ゴローはその頭を撫でる。
「お前は別に何も悪い事してねぇじゃねえか……」
「うんッ……でも……でもっ……」
……ゴローには解る。
アビゲイル・コルモルトの時間は、おそらく“あのとき”から止まったままなのだ。
それから表層のキャラクターを塗り固め、成すべきことの為だけに“動いて”はいても、その本質は“あのとき”に囚われたままでいるのだろう。
それはゴローも同じだった。
そして、その“表層”を脱ぎ捨てて身を預けたい相手には、相応の“役割”を強いてしまうことも。
ゲイルが繰り返し謝るのはまず、その罪悪感故なのだ。
「──」
それは自分と同じだからと、ゴローはその“役割”を甘んじて受け入れた。
その罪悪感を知るからこそ、それを受け止めることが出来た。
それでも、ゲイルがそれに甘えて全てを委ねることを是と出来ないことすら、ゴローには理解できた。
「……オレ……オレさ……タナカに……自分を重ねちまって」
「……おう……」
「こんなに……辛いのに……オレ……ッ、あいつに……」
小さく、小さく頷きながら、ゲイルの投げ出した身体を支える。
「それでいいんだ……お前が全部受け止めることじゃねえ」
「で……も……」
「例え“同じ”でも、その痛みは“そいつ”のもんだ……お前はちゃんとしてやれることやったじゃねぇか」
顔を上げるゲイルの潤んだ瞳は、少年のそれだった。
ゴローは慈しむ様に、その濡れた頬を拭う。
「頑張ったなぁ、ゲイル」
「……っ」
──例えそれがうわべの言葉であっても、アビゲイルには必要な言葉だった。
それを求められた以上、ゴローは求められた通りに与えてやるだけだった。
そうすることが、自身の胸に空いたままの孔(あな)の慰みにもなった。
──それを繰り返し、注がれた涙に古傷が爛れてもなお、その痛みすら彼の慰めだった。
こうして何人の人々と身体を重ねてきたのだろう。
こうしていくつの“秘密”を、胸に秘めてきたのだろう。
まるで白鯨に魅せられ狂気に溺れたエイハブの如く、過去に囚われて、あといくつの罪を犯すのか。
大吾朗・アレクセイ・バイロンズは、決して自分の伴侶にも、子供にも明かせない爛れた秘密を──あとどれだけ胸に秘めるのだろう。
その名前は本名ではない。
彼を“発見”した
ヴォルフレット・サールタリアを始めとする幾人かの関係者によって、成り行き任せのまま適当につけられた便宜上の名前である。
彼を“キャプテン”と称するのは、この船を奪ったボルトより先に“この船に居た”からというボルトの意向による。
その“キャプテン”と共に土星を脱出した後に待ち構えていたボルトの運命については、実は当人にもよく解っていない部分が多い。
例えるなら、ほとんど“骨と皮”の様な状態の船で成り行き任せにホエールラインに突入し、木星圏で不審船として警備公社に囚われた辺りから、彼らの運命は妙な方向に転がり始めた。
取り調べが始まるや否や、アメリカに本籍を持つとある運送会社が船の所有権を主張し、その後、“なんやかんや”で片付けられてしまう超法規的やりとりに基づき、件の船──モビーディックは地球、中東の事業所に引き渡され、その“発見者”であるボルト、ならびに“船長”とされるキャプテンの二人はそのままなし崩し的に雇用される形に落ち着いた。
その“なんやかんや”の部分について、ボルトは子細をよく解っていない。
ただ、この船は件の運送会社“エイハブ・コズミック・キャリアー”に本来所有権があり、ただ、宙賊に襲われ長らく行方不明だったところを発見したボルトへの謝礼として権利を譲渡の上それを借用、売上の数割を借用料としてボルトに還元するという、誰が聞いても“よくわからない状況”となったのは事実だ。
ヴォルフレット・サールタリアは半ばそれに巻き込まれた状況ではあるのだが、生きていく上で長いものに巻かれざるを得ない状態であったのも事実であり、文字通りに“渡りに船”と契約を交わしている。
──肝心の“キャプテン”について、この船の運用に関する知識を除いた一般常識が一通り欠落している状況から、発見者であるボルトがこれまたなし崩しに“致し方なく”面倒を見ることになった。
ただ、それら一連の流れが“あまりに良く出来すぎていた”ことから、ボルトは多少の疑念を抱いている。
例えばエイハブ・コズミック・キャリアーの社長に関して、ボルトを含むクルーは全員、電話口で会話を交わしただけでその顔を見たことがない。
それ故に大昔のテレビドラマから引用して「チャーリー」なる渾名で呼ばれている訳だが、それも改めて考えれば妙な話だ。
更に言うなら、“元々くっついてたから”と言う理由と内心のロマンで許容していた例の“秘密兵器”の存在も、普通の運送会社が運用するものでは当然の如く“ない”ものである。
それは、その“疑念”の答えを裏付けながらも、更なる謎を深めるものだった。
──彼は一体、なにものなのだろう。
……その謎は、少年のような好奇心に今だ囚われている
ヴォルフレット・サールタリアにとって、業深くも不信感より先に、ある種の“誘惑”を与えるのだった。
「──っ」
また、あの“潮騒”が聴こえてくる。
“鯨の歌”は大分遠ざかった気がするが、“潮騒”は変わらず頭の奥から響いてくる。
タナカはベッドから起き上がり、頭を振る。
ここ数日だが、この“幻聴”と、目的地に近づきつつある緊張からが眠りの浅い夜が続いていた。
“地球から離れるほど発作が重くなる”と聴いたサウダージ症候群の恐怖が、常に頭の片隅に過る。
──だがその割に、そこまでの発作は未だに起こってはいない。
なにか、妙な気配があるのだ。
それは先日のような分かりやすい違和感ではなく、なにか空気のようなものに見守られているような、あるいは見張られているような異様な気配だ。
タナカはそれを“希薄な幽霊”のようなものだと感じていた。
幽霊が空気の中に浮かぶ煮凝りだとしたら、それを薄めて薄めてスープにしたような、そんな希薄さだ。
疲れているのか、あるいはいよいよおかしくなったか。
これも恐らくは“鯨の歌”と同じく、パニックになった脳がそう感じているだけの一過性の現象なのだろう。
それでゲイルの手を煩わせる訳にもいかない、タナカは熱いシャワーでも浴びて気を晴らそうと立ち上がる。
ランドリーのカメラに向かい、ボルトから教えてもらった“異常ナシ”のサインを送る。
そのまま着衣を脱ぎ捨て、シャワー室に足を踏み入れた。
──そこで水音に気がついた。
頭の中の“潮騒”に紛れて気づかなかったのだ。
「……あ」
そして相手と目が合った。
「……キャプテン……」
「?」
全身泡だらけのその男は、閉じているのか開いているのかわからない細い目をこちらに向ける。
「め、珍しいですね……」
「洗わないとボルトに怒られるから」
「いや怒られる前にちゃんと洗ってください」
どうにも掴み所のない男だ。
いよいよ目的地というその時を迎えてなお、タナカはこの男のことを全くわかっていなかった。
「……」
身体中の泡をシャワーで軽く流し、キャプテンはそのまま出ていこうとする。
「あッキャプテンっ、まだ背中泡だらけですよ!?」
「?」
やはりどこか常識が欠落しているらしい。
まるで子供を見るような危なっかしさがそこにあった。
「ほら、こっち来て流しましょ──」
その言葉に向き返るキャプテンの肉体に、タナカは言葉を失った。
──確かに、逞しい身体つきだった。
ボディビルダーの様なガノフの肉体ともまた違う、ヘビー級の格闘家を思わせるどっしりとした筋肉だ。
だが、そんなことよりも、タナカの目を奪ったのは──
「──」
全身、ありとあらゆる場所に走る“傷痕”だった。
こと、その胸元に刻まれた大きな傷痕は、肉が抉れたように見えるほど深く痛ましいもので、それこそ“一歩間違えれば致命傷”と言えなくもないものであった。
「ほ、ほら、とりあえず流しましょう」
タナカはキャプテンの手を取り、シャワーの前に連れてくる。
──こんな屈強な満身創痍の男が、子供のように言われるがままにされている状況が、タナカには未だ飲み込めずにいる。
「はい、ジャーしますよー」
蛇口をひねり、溢れ出る水が背中に残った泡を流す。
そしてその逞しい背中にも、無数の傷痕が走っていた。
そのいくつかは過去に治療を施されたらしき痕跡があり、自然治癒したものでは無さそうだ。
これらの傷痕は、キャプテンが“凍結”される以前についたものだと考えるのが自然だろう。
「はい、もう大丈夫ですよ」
「ん」
キャプテンは特に感慨も無さそうにシャワー室を出ていった。
「……っ」
その態度に苛ついたとか、決してそんなことはないのだが、その異様な佇まいはやはり気になった。
前々から“得体の知れない男”であるという印象しか抱かなかったキャプテンであるが、それを通り越して心配すら抱き始めた。
なにか嫌な予感がする。
そう思いながらも、タナカは流石に相手にも立場かあるのだからと、気を取り直してシャワーを浴び始める。
「……」
だが、やはり気にはなる。
“また突拍子のない何かをしでかしているのではないか”という疑念を抱くだけの印象が、この僅か十分ほどの時間で焼き付いてしまった。
そんな不信は失礼だと思いもするのだが。
「……っ」
シャワーを浴び終えて、タオルで顔を拭ったタナカは、向き返った目前に仁王立ちするずぶ濡れの男に顔をしかめる。
「……どうしましたか」
「まだ乾かない」
「いや拭いてください」
キャプテンはタナカの言葉に首を傾げた。
「はぁ……もしかしてワザとやってます……?」
タナカは新たなバスタオルを手に取り、冷えきったキャプテンの身体を拭き始めた。
「もう、風邪引いちゃいますよ」
だが、冗談のつもりだとか、構ってほしかったなどの理由でここまで身を張ったことをするだろうか。
そうであるなら、いやそうでないでしろ、タナカが抱いた感情は、歯に衣着せぬ言い方をするならこう表すことができた。
──気味が悪い。
「……」
身体を拭かれる際にもされるがまま、普通は嫌がるであろう脇腹や臀部、鼠径部ですら、触れても何も言ってこない。
それどころが、特に嫌がる様子も、むずがる様子も見られない。
──実は、記憶喪失どころの騒ぎでない障害を抱えていたりするのではないか。
「し、失礼しますよ」
そしてついにタナカは、キャプテンの陰茎に手を伸ばす。
ふてぶてしく垂れ下がるそれに触れても、キャプテンは何食わぬ顔をしていた。
「……ッ」
むしろタナカが恥ずかしそうに顔を背けた。
「せっ、せめてここぐらいは自分で拭いてくださいよッ……」
「?」
キャプテンは小首を傾げた。
「別に隠すようなものでもないし」
「いやそこは恥じらってください」
「なんで?」
流石にこれはワザとやっているのだろうか。
「見たければ見ればいいし」
「べ、べつに、みたいというわけでは」
そう、見たいと思って見た訳ではない。
たとえ生理現象として下腹部で陰茎が膨れ上がろうとも、故意と言う訳ではない。
「僕にも出来るよ、ほら」
「──へ?」
キャプテンがそう言うか否や、タナカの手の中でみるみる逸物が膨れ上がった。
「これが見たかった?」
「──!?」
突然のことでタナカの脳内はパニックになる。
そんな素振りを見せなかったキャプテンのそれは、まるで完全にコントロールされているかの如く一瞬で臨戦体勢に持ち上がった。
「そ、そういう、わけでは」
「──“必要があるなら”僕はそうするし、求められたらなら応じるし」
逸物をそそり立ててキャプテンは答える。
「“これ”が必要ならいつでも使える。“使いたいなら”使ってくれたらいい」
微笑みを浮かべるキャプテンだが、その思うところは汲み取れなかった。
「──そ、んな、駄目ですッ」
──タナカは思わず身を離す。
「……?」
「そういうのはッ、ちゃんとッ、こう、“心”が通わないと駄目ですッ」
キャプテンは小首を傾げる。
「こう、“大事な人と”してくださいッ、いや、事情も色々あるでしょうけど──」
流石に、タナカにも分別はあった。
“使いたいなら使えばいい”と、そんななげやりな気持ちで抱かれたくはなかったのだろう。
「……ボルトにもそう言われた。僕にはそれがよくわからない」
「えっ」
「“必要としてそう”だったから僕はそうしたんだけど、そういうわけではないらしい。よくわからない」
頭を捻りながらキャプテンが淡々と答える。
陰茎は相変わらずそそり立てたまま。
「場合によって“これ”が必要なのはわかるんだけど、それっぽい反応を示す割にはそうじゃないらしい。でも、僕じゃない相手とは稀に性行為をすることがある。よくわからない」
「それ……は……」
タナカは既に萎えてしまっていた。
キャプテンには、それも不思議に見えるらしい。
「やっぱその……僕もわかんないですけど、その、ムードとか色々あるじゃないですか。いや、宇宙(うみ)の人にはそうじゃない事情もあるでしょうけど……」
「?」
「そのやっぱ、大事な人とは、そんな雑なムードでしたくないんですよ……」
タナカの反応を見て、キャプテンも臨戦体勢を解く。
“そうじゃないらしい”と判断したようだ。
「……大事な人ほど?」
「そうですよ……大事な人なんですもん」
冷え始めた自分の身体を拭いながら、タナカは答えた。
「……ボルトは、僕を“大事な人”だと考えてる、と状況的に判断するけど、それは正しい?」
「んぐッ!?」
キャプテンの問いに、タナカは思わず息を飲んだ。
間違いなく、余計なことを言ってしまった。
それはつまり、二人の関係性を覗き見てしまったあの瞬間の事実を認めることにもなる。
なにより、ボルトの秘めた思いを自分が伝えるのはお門違いだ。
知られたらどれほど恐ろしい目に遭うかわからない。
「み、みんなキャプテンのこと大事な人と思ってる筈ですよ……」
そして、そう誤魔化した。
「……タナカは?」
「ッ!?」
「僕と性行為しなかった。僕のことが大事だから?」
キャプテンは首を傾げる。
「別に、安易に性行為しなかったから“大事な人”と判断するのは大分軽率な気がしますけど……」
「?」
「……恩人だとは思います。だから、その関係を大事にしたいんですよ」
……恋愛も知らない自分が、随分なことを言っていると、タナカは内心、罪悪感を感じてはいた。
それでも。
「……いつか思い出してほしいですけど、“性行為”ってそのくらいデリケートなものであるべきなんですよ」
「……」
「……そうじゃなかったら、動物の交尾と変わらないじゃないですか」
……キャプテンは、タナカの言葉を黙って聞いていた。
その表情からは、感情を汲み取ることは出来なかった。
「……僕、この船の皆さんが大好きです。だから、安易な気持ちで、その関係を壊したくないです」
「……もうすぐ船を降りるのに?」
「ッ……」
……それは、触れられたくない話題だった。
その回答を、決めあぐねていたからだ。
「……もし、そうなるとしても」
「……」
「この船での“記憶”は──大切な“思い出”にしたいですから」
タナカは、そう答えた。
精一杯強がった、その上での答えだった。
「……生意気言ってすみませんッ、そろそろ失礼しますッ、あとちゃんと服着てくださいねッ」
──その強がりの反動か、タナカはその場に居づらくなり、下着だけ纏って服を抱えて飛び出していった。
「……」
キャプテンは、その姿を、表情なくただ見つめていた。
──その後。
イグナシオは、夢を見た。
砂漠で眠る自分の傍らに、一頭のライオンが歩み寄る。
ただ静かに、見守るように。
ライオンはただ、イグナシオの傍に佇んでいた。
『──ああ、なるほど、そういう事情だったのですね──』
「すみません、お忙しい所……」
『いえ、自分にもそういう時期はありましたから、こちらとしてもお力になれてなにより』
そう、モニターの向こうで笑顔を返したのは、土星圏でモビーディックの水先案内を行ったナビゲイターだった。
『ではまた。ミスター・タナカに宜しく』
ゲイルはモニター越しに会釈し、接続を断つ。
「……で、どうするよ、確証取れたけど」
「んー」
背後に立つキャプテンが、相変わらず表情の無い顔で首を捻る。
「提示する選択肢がひとつ増えたところで選ぶのは彼だから」
「まあ、な……」
事務椅子の背もたれをしならせて、ゲイルは延びをする。
「それが選択を狭めることにはなりゃしないかね」
「んー、こちらが提示できる全てを提供しないと、すっきりしないのはみんなでしょ」
感慨なくキャプテンは言う。
「選ぶのはタナカくんだし、その選択は尊重する。あとは、彼が去る場合に全員が納得できるよう、やり残したことの無いようすることしか出来ないし」
「──葬式みてぇな話だなぁ、まるで」
ゲイルは大きく溜め息を吐く。
件のナビゲイターが、タナカの存在に違和感を覚えた理由。
それは、ナビゲイターだけが有するある“感覚(センス)”に起因する。
──そのメカニズムはまだ学術的に証明されてはいないのだが、人間の脳と言うのは互いに“共鳴”し合うのだと言う。
シェルドレイク仮説では、人の脳とは単なる受信機に過ぎず、記憶や経験、あるいは意識と言うのは“形態形成場”なる場所で“共鳴”しており、それらはその場を通じて脳から脳へ伝搬すると考えられた。
ナビゲイターの脳は、その“場”にある意識の“共鳴”を感じ取ることが出来、それを利用して空間を把握しているようなのだ。
例えばナビゲイターには、同じ空間に居る人間の位置関係が妙に気になったり、どこかで人間が大きく動いたりした際に早期にそれを察知したりといったことが無意識で起こる。
それを“勘”と表現するのは用法として間違いだが、感覚的には似たようなものだ。
彼らにとって、惑星と言うのはそんな“意識の海”に例えられる。
無数の人間の意識が宇宙の中で“響き合う”様は、まるで惑星の表層を、波が寄せては返すかのように感じられるのだと言う。
その“潮騒”が、
イグナシオ・タナカが“幻聴”として訴えた現象の正体だった。
土星圏の水先案内人が、タナカを見て不思議に思った理由──
“なぜこの船にはナビゲイターが居るのに、自分が呼ばれてきたのだろう”。
──タナカの“覚醒”を、その時誰も知らなかった。
気づいたのは件のナビゲイターだけだったのだ。
響き合う意識の中で、一般人とは微かに違う感覚を、彼はタナカに見いだしていたのだ。
明日、船はいよいよ天王星へと寄港する。
イグナシオは改めて、自分がどれだけの浅はかな思いでこの船に乗り込んだかを反芻する。
冷蔵(リーファー)コンテナに乗り込むための寝袋や防寒着、港に忍び込む為に使った前職の制服。
少しばかりの現金、圏外の端末。
荷物を纏める程に、こんなに長い旅になると考えていなかった自分が情けなく思った。
父さんは、こんなに長い旅路を通ったのだ。
その手応えを感じられただけで、父に少し、触れられた気がした。
──
イグナシオ・タナカは、天王星で船を降りるつもりだった。
それがそもそもの目的であったし、それを曲げることは自分の為に尽力してくれた人々に申し訳がたたないと考えた。
さらなる恩情を与えてはもらったが、それでも、罪を犯してまでこの場所にたどり着いたのならば、目的を完遂することこそが“けじめ”であると考えて出した結論だった。
「──はい?」
部屋の呼び鈴が鳴り、それに応じる。
「──邪魔するぜ」
「ゴローさん?」
意外な来訪者に作業の手を止める。
「……お前、こんな殺風景な部屋あてがわれてたのか」
「客室ですもん……寧ろ寝る場所下さって有り難かったです」
タナカの部屋を一瞥し、ゴローは床に広げられた荷物に気付く。
「……決めたのか?」
後ろ手に扉を閉めながら、ゴローは優しく問いかけた。
「……はい」
「そうかい……」
小さく溜め息混じりに、ゴローは微笑む。
「隣、いいか?」
「はい、どうぞ」
ゴローはタナカが座すベッドに歩み寄る。
そして。
「ッ!?」
──そのままタナカを押し倒した。
「ゴロー、さッ」
「ん?」
「なに、して」
タナカの身体に覆い被さりながら、ゴローは据わった目で見開いた瞳を覗き込む。
「口説きに来た」
「──はい?」
予想しない言葉に、タナカの思考はまたも飽和してしまった。
「……無理に船を降りるこたァねえよ。第一、降りてからの生活はどうすんだ」
「……それ、は」
──決めていない。
今の有り金はひとまず、預金していた雀の涙ほどの貯金の分しか持ち合わせていない。
とれて数日の宿が限度であろうし、もちろん、地球までの旅費など有りはしない。
結局、密航したときと同じだけの浅はかな思いでタナカは船を降りようとしていた。
その先のことなど、考えてはいなかった。
「……一旦、諦めろ。地球に戻ってまずはやり直せ。親父探しはその後でいい」
「……」
「……考えちゃいねぇだろとは思ったよ……心配だったんだぜ」
機械の腕で体重を支え、生身の掌で頬を撫でる。
その太い大腿は、タナカの細い腰を跨いで捕らえたままだ。
「……地球まで送ってやる。だから、無理はするな」
「……っ……」
揺らぐには十分な言葉だった。
ただでさえ、己の浅慮を反芻している矢先の事だったのだ。
ゴローの言う通り、甘んじて地球までの帰路の保証を願うのが賢い選択であるはずなのだ。
「……それに、約束してたもんな」
「え?」
「“天王星に着いたら抱いてやる”ッてな」
……そう言えば、土星に着く前にそんな事を言われた気がする。
とは言え、ゴローがそんな出任せの冗談を実行するとは思いもせず、タナカは言われるまで完全に忘れてしまっていた。
「……っ……」
唇が触れ合う。
ただ、小さな顎の動きだけで抉じ開けられた口の中に、仄かに苦く、痺れるような味を纏った厚い舌が遠慮もなく忍び込む。
タナカの舌に、頭に、背筋に、またあの“電撃”が走る。
これが言うなれば、“上手いキス”と言うものなのだろう。
抵抗する間もなく、警戒する間もなく、こんなに簡単に、自分の領域へと忍び込んで来るのだ。
そして、手前勝手に“火をつけて”、ファイアスターターの如く一度離れて様子を伺う。
あとは、相手が勝手に燃え上がるのを待つだけだ。
「……」
「……んー?」
──だが、タナカは少し、大人になった。
「……駄目ですよ、“大事なひと”居るんだから」
タナカは意地悪そうに微笑み、身を離す。
「……あ?」
「その相手に“見られちゃったら”どうするんですか……」
「な、にをっ……」
そのタナカの微笑みに、ゴローの胸中に“火”が燃え移る。
「見せつけるの好きなのは知ってますけど、本気の相手がソレされたら覚めちゃいますよ」
「んが、ドーテーが生意気にッ」
「だって……“あんなの見せられちゃったら”……ねぇ」
軽くむくれて見せたタナカの言葉に、ゴローは思い当たる。
「ま、さか」
「はい、当直だったので」
今度はゴローが身を離す。
「……惚れっぽいって言いながら何人泣かして来たんですか。惚れたならそれなりに責任とってください」
「……」
「……僕だって、“あれぐらい”惚れてもらえないなら、“初めて”はあげるつもりありませんッ」
──それは羞恥か、あるいは若造相手にムキになったのか。
どのみちこの“駆け引き”は、“熱を上げた方が負け”なのだ。
ゴローは胸中に燃え移った火を消し止めるので手一杯だった。
「──抱くなら本気で抱いてください。遊びじゃ嫌ですッ」
「……カーッ、ちきしょうめッ……」
ゴローは身を起こし、タナカの身体を解放した。
「俺が本気になったらヤケドじゃすまねェぞ」
「じゃあ一生ものの傷つけた責任はとってもらえますね?」
「バージンが生意気にッ」
互いに歯を見せ笑いながら、胸の内では牽制し合う。
「……フーッ……振られたかァ」
ゴローは呟き、頭を掻く。
「色仕掛けで引き留めるつもりだったんだがなぁ」
「……」
「……帰ろうぜ、地球に。その気持ちは冗談でも嘘でもねぇ」
ゴローは再び、据わった目でタナカを見る。
だが、その視線が孕むのは、色気と言うより“親心”のそれだった。
「……ゴローさん……」
「……寂しいんだせ、みんな」
──みんな。
そう言われてしまうと、また心は揺らいでしまう。
「……でも、ゴローさん言ってたじゃないですか……“人魚の歌で帰れなくなる”って」
「ローレライの歌の話か?」
「……父さんも、“この歌”で帰れなくなったのかもしれないって……そうなったら、悲しむ人が居るって、知ってるから」
──それは
イグナシオ・タナカ自身を示す。
その悲しみに、寂しさに、彼は父の影を求めて宇宙(うみ)に出たのだ。
帰らなかった、父の影を求めて。
「……けじめ、つけたくて。例え父さんがもう死んで居ないんだとわかっても、それで僕は、前を向けます」
「……そう、かよ」
タナカの隣に座り直し、ゴローはその身を抱き寄せる。
一瞬合った視線の中で、タナカは相手の瞳が妙に潤んでいるように見えた。
「……持っとけ、誰にも言うなよ」
「え?」
ゴローは何かをタナカに握らせる。
──それは、タナカの目にもそれなりの額になる現金だった。
「な、受け取れないですお金なんて」
「いーから持っとけ。ひと月くらいはどうにかなるだろ?」
「そんな……」
返そうとするタナカの手を、機械の腕が押し返す。
「オヤジにはこんぐらいしか出来ねえからよ。その代わり、ヤバくなったら連絡しろ。若造が身ィ持ち崩くのなんか見たくねえからな」
「……」
「……惚れてンのは、マジなんだぜ」
そうタナカの頬に軽く口づけをして、呆気に取られているうちにゴローは席を発つ。
「……ゴローさんッ」
呼び止めた声に片手を挙げて、ゴローは部屋を出ていった。
「……ちくしょう、本気にさせやがってよ……」
そう呟いて、ゴローは悔しそうに笑った。
Ich weiß nicht, was soll es bedeuten,
──私にはわからない
Daß ich so traurig bin;
──なぜこんなにも悲しいのか
Ein Mährchen aus alten Zeiten,
──遠い昔のものがたりが
Das kommt mir nicht aus dem Sinn.
──心から離れない
……全ての始まりは地球港出発直後のアラートだった。
船に詰め込まれたコンテナは全てラッシング・バーと呼ばれる金具で荷崩れしないよう固定されるのだが、それらは現在、全てロボットにより全自動化されていた。
しかし、ごく稀にだが、バーの劣化、あるいはコンテナの劣化によってバーが外れたり、ロックされている筈の扉が開いてしまうことがあり、その場合には手作業による絞め直しの必要が生じる。
例えば悪名高いサモトラケ・エイジアのコンテナは耐用年数を六、七年は余裕で過ぎた古いものを延々使用しており、今時は何処でも標準装備しているような動態センサーや、誤って冷蔵(リーファー)コンテナに人が入った場合に温度を下げない機構などのついていないものが大量に使い回されている。
その日、その時も、解錠アラートが鳴ったのは、サモトラケ・エイジアの冷蔵(リーファー)コンテナだったのだ。
「ちくしょう、この忙しい時にッ」
作業ロボットの一つをマニュアル操作に切り替え、簡易座席にボルトは跨がる。
ペイガン・ポエトリー由来の反重力装置で浮かび上がったロボットが、滑るようにコンテナの合間を縫っている。
「あっ」
「ンだよ、近かったなら言ってくれよ」
「悪い、別件で手離せなかったから」
途中で同じように作業していたガノフのロボットが合流する。
「──最近多くない?」
「コンテナに金掛けねぇ会社増えたからなぁ、そのうち荷崩れで痛い目見ないと変わらんだろ」
この巨大な箱に収まっているのは全て誰かの“財産”だ。
だが一方で利益を優先してそれを守るコンテナにコストを割かなくなった会社は多い。
そういったものは、不慮の事故で財産の手痛い損失を経験するまでは、同じ過ちを繰り返すものだ。
「あった、あった、またサモトラケか──」
三段目に積まれたコンテナの扉が微かに開き、けたたましいアラート音と微かな冷気を漏らしていた。
「ラッシング外すぞー、ったくよ──」
ロボットのマニュピレーターがラッシング・バーに取りついた。
「──、──ぇ──!!」
「ッ、待ってボルトっ、人がいる!!」
アラート音に紛れて、ガノフの耳に微かにそれらしき声が聞こえた。
「あ──!? 嘘だろ、リーファーコンテナだぞ!?」
しかもサモトラケ・エイジアの“検体用”と書かれた見るからに危なげなコンテナだ。
何を積んでいるのかすらわからない。
火星に向けて医療用の検体でも載せているのか、あるいは謎の実験動物か──
激しくぶつかる金属音の直後、扉が開け放たれた。
「──!!」
瞬間的に飛び込んでくる、男のシルエット。
大別するなら、もやし。
「助かっ──」
その青年はたまらず飛び出してから気がついた。
──高い。
「たぁぁあああああああ────」
自分の潜んでいたコンテナが、他のコンテナの上に積まれているという可能性を、密航者──
イグナシオ・タナカは完全に失念していた。
「ああああああ────────!!」
「うおおおおお────!?」
ボルトは咄嗟に、落ちていくタナカの手を掴む。
「ボルトぉぉ────!?」
「いぃ──から早く引っ張りあげろォォッ、おッ、おちッ」
慌てて寄ったガノフの太い腕が、気絶したタナカを引き上げる。
──これが、全ての始まり。
「──とうとう夢にまで出やがった──」
「ったく、今思い出しても心臓に悪い……」
深く深呼吸をして、冷や汗をかいた顔を軽く拭うと、そのまま枕元に放置していた作りかけのプラキットを手慰みに、タナカとの記憶を反芻する。
そも、密航者に対して、ボルトは言うほど嫌悪の感情を抱いている訳ではないのだ。
それ相応の理由があって、追い詰められた挙げ句に誤っていると知りながら、それでも希望を求めて行われる行為が密航だと考えるのが彼の哲学だ。
はじめ、そうではないただの若者の肝試しだと考えた故に、タナカには厳しめの対応で当たったのは事実だ。
そういう人間に、ボルトは近親感を抱く。
なんとかしてやりたいと思える、お人好しなのだ。
それが
ヴォルフレット・サールタリアの本質であり、彼の美学だった。
──その、庇護対象だったタナカが船を去ることを、ボルトは寂しく思った。
また無茶をするとも思った。
──だが、引き留めることはタナカの振り絞った勇気の否定だとも理解していた。
「ったくよォ……」
大きく溜め息を吐き、ボルトはトイレに発つ。
嫌な汗をかいたせいか、背筋に若干の悪寒を感じた。
──ふと、クルー達の船室を見る。
思えば、当たり前のように船上で暮らす仲間たちも、地球に戻れば各々の“帰る場所”があるのだ。
みなしごの自分とは違う。
結局、ただ“同じ職場に居る”と言うだけの、思いの外希薄な関係性だけで繋がっているのだ。
どれだけ仲が良くても、居心地が良くても、あるいは、どれだけ身体を重ねたとしても。
些細な切っ掛けで、この繋がりは簡単に解消されてしまうものなのだ。
例えばゲイルは医療機関から出向でこの船に来ているだけだし、ガノフだって一人前の航宙士になれば別の船に異動することも有り得るのだ。
ゴローにだって地球の家族に何かあれば、当人に問題がなくとも船を降りることも有り得る。
現にタナカはこれから船を降りるのだ、それから先、出会える保証はなにもない。
どれだけ想おうと、決して別れを止めることはできない。
それだけ自分は弱く、どうしようもない非力な存在なのだ。
他に取り付く島もなく、ただ状況の荒波に巻かれ、流されるしかない希薄な存在だ。
なにより。
──おれの居場所はここにあるのだろうか。
「──ぁああ、あッ、ああ!!」
気づけば胸の奥底から声が溢れて止まらなかった。
酷く寒く、力が入らない。
無力だ、あまりにも無力だ。
この自分のあり方さえこの場所には無いかもしれない。
そうだ、おれには“帰る場所”など何処にもないのだ。土星にも、地球にも、この船も、みんな自分の仮住まいでしかない。
誰もおれを省みないし、おれをひとりにして皆いなくなるのだ、帰る場所へと、おれにはそんな場所は何処にもないんだ、この宇宙のどこを探してもおれの居場所はどこにも
「ッあ、うッ──!?」
──震える肩を、なにかがしっかりと捕らえた。
「──さん、ボルトさんッ、聴こえますかッ」
呼ばれている。
自分の名が、呼ばれている。
「“ここ”ですよボルトさんッ、“ここに居ますよ”ッ!!」
背筋に暖かいものが広がり、無限に落ちていくかのような身体を、抱き留めるなにかがあった。
「──ぁ、あ──」
「離しませんよ、離しませんからッ」
「──」
ボルトは、背中から回る細い腕に、“いつか掴んだその腕”に、すがりつく。
「ほら、大丈夫ですよ、大丈夫──」
声の主が優しくボルトを横たわらせ、その身体を包み込む。
「──ぁ──ぅ──ん」
そして、母親の乳房にしゃぶりつくように、近づいた唇を重ね合わせた。
「──ん──ッ」
性的刺激に脳内物質のバランスが再び変わり、意識がはっきりと“戻ってくる”。
──悪夢が覚めるように、真っ暗だった眼前の光景が急に開ける──
「……タナカ……」
「あぁ、よかった──“戻ってきた”──」
タナカは、そう笑顔を見せた。
「おれ、なんで……」
「“発作”でした……でももう大丈夫ですよ、僕居ますから」
タナカは微笑み、朦朧とするボルトを抱き直す。
──図抜けた“郷愁”に伴う寂しさ、恐怖感に苛まれるのがサウダージ症候群であるなら、“郷愁”を抱くほどの“郷(ふるさと)”を持たないボルトに取っては、心身の不調はあれどそれほど強い恐怖感を抱いたことは過去に無かった。
それが何だ、この喪失感は。
“孤独”になることがこんなに恐ろしいと、感じたことはあっただろうか。
「悪ィ、助かっ──」
そう身を離した途端、突然床が抜けたような恐怖感が急激に襲う。
タナカは即座に、よろめくボルトの身体を支えた。
「……部屋まで送ります」
「……すまねぇ」
タナカの肩を借り、ボルトは漸く立ち上がる。
「こんなん、初めてだ……ちくしょう」
「……」
「……へへ、最後に情けねえとこ見しちまったな」
自虐的にボルトは笑う。
「……ボルトさん、最初の夜に、こうやって助けてくれたんですよ」
「……借りは返したってか?」
「ううん、“僕も、助けてあげられた”……って」
ボルトの部屋の扉を開き、タナカはそう微笑む。
「……そうかよ」
タナカに介助されながら、ボルトは身を横たえる。
その隣でタナカは床に膝を突き、ボルトの手を握り続けた。
「──そういや、なんであそこに──? もう当直無いだろ?」
「あー……それが、またヘンなこと言うようなんですけど」
タナカは少し思慮して口を開く。
「なんだか急に──うまく言えないんですけど、“誰か溺れてる”って気がしちゃって」
「溺れてる、だ?」
「いや例えの話です、突然目の前で誰かが水に落ちたの見ちゃった気分になって……」
その矢先で苦しむボルトを見つけた、という事らしい。
馬鹿げた“勘”だと一蹴することは可能だったが、すでにボルトはゲイルから、タナカの“事情”を聴かされていた。
「──タナカ」
「はい?」
「……最後の最後で悪いんだけどさ」
ボルトは、タナカの手を強く握り返す。
「……おれの情けないとこ、見せていいか……?」
眉尻を落とした表情で、ボルトが尋ねる。
「……はい」
タナカは頷き、ボルトの胸元に滑り込んだ。
ぬいぐるみを抱くこどものように、ボルトはその身体を抱き寄せる。
「……ごめんな……“おれたちの事情”に巻き込んじまって」
「……それを望んだのは僕ですから」
そう応えて、タナカは自ずから鼻先を近づける。
だが、ボルトはわずかに顔を背けた。
──唇を重ねる程に、別れが辛くなることに気づいてしまったからだ。
「……悪ィ……自分から求めておいて……」
だが言葉と裏腹に、ボルトはタナカの身体を抱き寄せて離さない。
ふたりの間に、熱がこもり始める。
「……なぁ」
「はい」
「……かっこわるいこと、言ってもいいか……?」
ボルトの瞳が真っ直ぐタナカを見つめている。
「……はい」
タナカは、微笑んだ。
「……おれ、さ……」
その微笑みに、ボルトの顔が歪む。
「お前が居なくなるの……寂しいよ……」
特別な感情を抱いたつもりはない。
特別扱いしたつもりもない。
いつか別れるものと、脆い繋がりと解っていても。
ヴォルフレット・サールタリアの帰る場所は、“郷愁”を抱く場所は──“ここ”にしかなかったのだ。
「……」
そして今や、密航者──この“家”の侵入者であったはずの
イグナシオ・タナカは、もはや“家族”であったのだ。
──タナカは、何とも言えずに、口を結ぶ。
その顔に、ボルトは、求めるように指を触れさせた。
「──イグナシオ」
そして、小さく──その名を呼ぶ。
「……ふ、ふふふ……」
「な、なんだよ、名前で呼んじゃ悪いかよ」
まるでくすぐられたかのように、イグナシオは笑う。
「ごめんなさい、なんだかゾワゾワしちゃって」
その答えに、ヴォルフレットは怪訝な顔をする。
「──本当は、嫌いなんです。自分の名前」
「えっ」
「ナチョだのナチョスだの言われるの、タナカって名字をイジられるのより嫌で」
意外な言葉に目を丸くする。
「ボルトさんに、そっちの名前で呼ばれるとは思わなかったから」
「……じゃあ……タナカって呼んだ方がよかったか……?」
申し訳なさそうに、ヴォルフレットは問う。
「……ナチョって言わないならいいですよ」
そう微笑み、イグナシオはヴォルフレットの頬に触れ返す。
そして、瞼を閉じ、そっと唇を触れ合わせた。
──柔らかく、互いに舌先を触れさせ合う。
永久の別れを惜しむ指先のように。
あるいは初々しい恋人たちが結ぶ掌のように。
言葉にしきれないその思いを、伝え合いたいと願うように。
「──なぁ、イグナシオ」
「……」
「──もし──離ればなれになっても──おれ、繋がっていたいから──」
背中を擦る手が、腰へと降りていく。
「……おれに、抱かれてくれないか」
──真剣な目で、ヴォルフレットは問いかける。
「──」
イグナシオは、沈黙を以てそれに応える。
「……ッ」
ヴォルフレットはその身体を強く抱き寄せ、そのままのし掛かる。
そして、相手の首筋に、かじりつくように口付けた。
「──んッ──」
羞恥に声が漏れる。
ヴォルフレットの太い指が着衣の中に滑り込み、細い身体をまさぐった。
「……、……」
されるがままに衣服を剥がれ、求められるままに相手の服を脱がす。
すこし厚みのある胸板に顔を埋め、高鳴る心音を微かに感じる。
生まれたままの姿で、身体を重ね合う。
──イグナシオには、心残りがあった。
それは、ヴォルフレットの心の中に、別の男の影があること。
ある男の影を見つめて、ある男の影が見つめていることを。
──それを解った上で、イグナシオは瞼を閉じ、身を預ける。
抱かれるのならば、この男が相応しい。
「──指、挿れるぞ」
潤滑剤で濡らした指が、ゆっくりと入り込む。
「──痛くないか」
「……へいき……です……」
まるで医療行為でも受けているような気分だった。
異物感はそれほど大きくはない、むしろ羞恥がそれに勝った。
「──こんな日が来るなんてな──思ってもなかった」
秘部を優しく解しながら、ヴォルフレットは笑う。
「……ボルトさんだったら……いいです……」
「おれでいいのかよ……本当に」
「……最初に秘密を教えてくれた人だから……」
羞恥に耐えながら、イグナシオも笑い返す。
「──どっかのオヤジのこと、笑えなくなっちまったな──おれも」
いつの間にか二本に増えていた指を引き抜き、ヴォルフレットは脈打つ自身に潤滑剤を塗りつける。
「キツかったら無理するなよ」
「……はい」
股を開いたイグナシオの足の間へ滑り込み、ヴォルフレットは自身を秘部に押し当てた。
「……ッ」
「力抜け、怪我するぞ……」
押し込まれてくるそれへの恐怖感に、思わず秘部が固く絞まる。
「……そうそう……ゆっくり息吐け……」
傷付けることの無いよう、ヴォルフレットはゆっくりと体内へ挿入っていく。
「フゥ……ぁ、ぅ……」
「ッし──挿入ったぞ───」
イグナシオの両足を抱え、ヴォルフレットは告げる。
そして、ゆっくり、ゆっくりと、その腰を動かし始めた。
「ぁ……んッ……」
「ふぅ……ふぅ……」
それは最早、男女のそれと大きく変わらないようイグナシオには思えた。
例え自身に経験は無くとも、その立場が思いもよらない形だったとしても。
「ん……ぁあ……ッ」
ただ、繋がりあえて居ることに悦びがあった。
「……もう、忘れねぇぞ……ずっと……一緒だからな……」
「ぼる……ぅ……ッ……」
「……本当は……この先も……ずっといてほしいよ……おれの傍に」
その寂しさを紛らわすように、ただ、腰を振る。
「出来るなら……天王星に降りても……おれが、おれたちが、迎えに行きてぇ……もう、家族が減るのは、嫌だ」
「……ッ、……」
──応えられず、ただ、声を殺す。
「……お前と、ガノフが……弟で……ッ……ゲイルが兄貴でさ……そんで、ッ、親父がいて……」
突き上げられる苦しみは、妙な快楽を纏っている。
ヴォルフレットの肩にこもる体温、背中に吹き出す汗の男臭さすらいとおしく思う。
「……ッ」
──ヴォルフレットの言葉の中に、欠けているひとりの男の名は、ついにその口から出ることはなかった。
「……おれの傍に居てくれよ……タナカ……イグナシオ……ッ、おれ……寂しいよ……ッ」
ぽたり、ぽたりとなにかが胸元に落ちた。
──汗か、涙かは、わからなかった。
「くぁ……ッ、イグナシオッ……」
「ぼる……さ……ンッ……!」
異様な、“込み上げてくる感覚”が襲う。
それを訴えようにも、声がでない。
「くッ、ぐぁ、で、る……ッ……!!」
「──!!」
「──ぁ、あ、──ッ!!」
直後、ふたりの身体が跳ねた。
体内と、体外、同時に、脈打つ感覚があった。
全身を電撃のような快感が走り抜け、そのまま、イグナシオは朦朧とした意識を手放してしまった。
──次に目覚めた時、タナカは鼾をかくボルトの胸の中にあった。
服こそは纏っていなかったが、撒き散らした精液等は綺麗に始末されていたようだった。
「……」
ボルトは、タナカを抱き締めて離さない。
その温もりに、タナカは切なさを覚える。
自分の選択は、正しいのだろうか。
結局それは未来にならなければわからないことだが、それでも、ここで彼らと別れる選択が正しいとは思えなくなってしまった。
地球の家族と離れるために飛び出した宇宙(うみ)。
その先で出来た、もうひとつの“家族”──
それこそまるで、快い“人魚の歌”の中にある夢の世界の出来事のように、居心地の良い場所だった。
──果たしてそれは、夢なのだろうか。
いつか覚める夢なのだから、帰るべき場所に帰るべきなのではあるまいか。
失うのが恐ろしくなる程の“夢”に浸って、帰るべき場所を失うのではあるまいか。
──だが自分を胸に抱く男の、快さそうな寝顔を見ると、果たしてどちらが正しいのかわからなくなってしまう。
単純に恋と割りきりたくはない感情。
それは、性別の壁であるとかそんな些細な問題ではなく、もっと複雑に絡み合った、だがその縺れすらいとおしく感じる、そんな感情で満たされていた。
この感情を胸に秘めたまま、この場所を去るのは苦しかった。
「んぁ……寝てた……」
ボルトが薄く目を開く。
「……まだ寝てていいですよ」
「ん……腹、大丈夫か……? 痛くねえか……?」
「大丈夫ですよ……」
ボルトが労うようにタナカの背を撫でる。
それが、誉められているようで嬉しかった。
「……ボルトさんになら話していいかな……」
「ん、どうした?」
「……また、悩んじゃって。船を降りるべきか」
──ボルトは目を開く。
その表情は、切ないものだった。
「……本当は、ボルトさんたちと一緒にまだ居たいです……」
「……」
「でも、それは、ただ……さよならが地球まで先伸ばしされるだけで……きっと、そうしたらもっと辛くなるんだと思います」
タナカの言葉は尤もだった。
地球から天王星までの片道ですら気に入ってしまった男を、また地球まで戻るまでの間に手放せるだろうか。
──きっともっと辛くなるだけなのだ、それに、間違いはない。
「僕は……“何もできないから”。この船の中で……皆さんにぶら下がることしか出来ないから」
「そッ……」
「……皆さんの……ボルトさんのために出来ること……あまりに少なくて。それも辛いです」
タナカも切ない笑みを浮かべた。
──別れたくない気持ちは同じなのだ。
「……自分でそれが許せないのか……」
ボルトの言葉に、タナカは頷く。
「……もとから何も出来なくて……逃げ出したくて。それで来た場所です。たくさんの人に迷惑をかけて」
「……」
真っ直ぐ見据える瞳が潤む。
「馬鹿なことしたと思います……でも、それでも」
絞りだした言葉が潤む。
「何もできない自分がここまで来たことを……」
「……」
「父さんに……“誉めてもらいたかった”……」
そして、想いが一筋、瞳から溢れて落ちた。
「……そうか」
ボルトはタナカを抱き寄せ、胸板に顔を埋めさせた。
すすり泣くタナカを何度も何度も撫でながら、ボルトは思慮する。
「……もし……さ、“お前に任せたい仕事があったなら”……」
「……?」
「それなら、おれたちと一緒に行けるのか……?」
タナカはぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
「……」
そして、言葉にならないままに、小さく頷いた。
「……わかった」
ボルトはその応えに、微笑みを浮かべた。
「“お前に任せたい仕事がある”──」
それは、ひとつの“賭け”だった。
ただ一度きりのコイントス、この先の選択を天に委ね、あとさきの後悔を飲み下すための理由を得るための。
そのただ一度きりの賭けで、ボルトも、タナカも、後腐れなく未来を受け入れようと、そう定めた“賭け”だった。
「……マジかよ」
操舵席の背面、ナビゲイターシートが開かれる。
その前に立つ、不安げな表情のタナカを見てゴローは呟いた。
「大丈夫、オレいるし」
ゲイルは微笑んで送り出す。
医療的視点での不安は無いと答えながらも、その行く末を見届ける為にブリッジに立っていた。
「……不安です、ヘンなとこに出ちゃったりしたら……」
「ちゃんと俺が見てるから、タナカくんは集中して──って言っても、どう集中したもんか俺もわかんないけど……」
操舵席のガノフが笑う。
その優しい笑みに、不安は多少和らいだ。
「……」
「……」
キャプテンとボルトは口を閉ざしてただ結果を待つ。
これは、ふたりの戦いでもあった。
「……キャプテン、“灯台”が見えた。やるならやろうぜ」
ゴローの声に、タナカを除いた全員が動き出す。
「よし、総員脱出準備。配置に付け」
キャプテンのひと声で、全員が何かしらの機材にかじりついた。
「ナビゲイター着座。後のシークエンスを航宙士に一任」
「りょ、りょうかいッ」
キャプテンの一声に圧されるように、タナカはナビゲイターシートへ着く。
簡素な席だ、特別なコンソールや設備もなく、ただ身体を支えるためのバーだけがあり、タナカはそれを握り締める。
──その収まりの悪さ、馴染みの悪さは、ただ自分の気持ちが定まりきれてない故であろうか。
「第一から第四ジェネレータ、出力90%に上昇、PPATHOS(パトス)ドライヴ、アンカーバイパス開け」
「了解、第一から第四ジェネレータ出力90%、バイパス解放」
ボルトの操作により、ジェネレーターが唸りを上げる。
「センサーユニットスタンバイ、“灯台”より空間変位予報受信、メインパス確保、モニターにインポーズ開始」
「……っ」
タナカの頭上に、円型のセンサーが覆い被さる。
一瞬、頭痛に苦しむボルトの顔がちらつき、身構えた。
「“ソリトン放出”──」
「──────!!」
その時。
タナカは、宇宙(うみ)に立っていた。
ひとり、ただ、宇宙(うみ)に立っていた。
虹色の波立つ宇宙(うみ)に、ただ、立っていた。
──海鳥たちが鳴いているのが聞こえる。
遠くに灯台の影も見える。
……ああ、あれが“ベイバード”か。
ボルトから聞いたことがある。
ナビゲイターの脳共鳴を拡張する無人ドローンだ。
当然、あれにもクローン脳が載っている、そういう代物だ。
……あれに載ったクローン脳は、夢を見たりするのだろうか。
「ほら、ちゃんと前見ないとダメだよ」
──突然の声に意識を向ける。
「……キャプテン?」
気づけば傍らにキャプテンが立っていた。
そして、気づく。
自分は今、透明な船の上に立っているのだ。
透明な船の上、何も纏うこと無く──何に阻まれること無く、身体中で“すべて”を感じている。
「ほら、ちゃんと見て、僕らが何処に行くのかを」
「──」
「その場所へ──“僕”を連れていってくれ」
キャプテンが差し出した手をイグナシオは握る。
「その場所──“何処”へ──」
「きみが目指した場所へ──“聞こえるだろう”?」
「──」
耳を澄ませる。
──無音の宇宙に、響く“音”を探す。
「──きみが聞きたかった声は──どこから聞こえる?」
「──────」
──遠く、遠く、“潮騒”が聞こえてくる。
幼い日に、父と歩いた海岸を思い出す。
「──父さん──?」
ふと、傍らの男を、そう呼びかける。
あの、手を握って歩いた海岸を、その追憶にある面影を、傍らの男に当て嵌めて。
「──きみがそう望むなら、僕はそれに応えられる」
思えば、あの“鯨の日”から、自分を包むあの希薄な存在感は、父の面影だったのかもしれない。
父さんが、僕を包んでくれている。
そう、思いたかったのかもしれない。
「……」
「──でも、“違う”んだろう──?」
父親の代わりに、キャプテンの眼差しがイグナシオを見守る。
「──ひとの意思は──この宇宙のすべてに残響する──」
「──父さんの、想いも──?」
「──そうであったなら、ロマンチックだね」
「さあ、探してごらん、きみの“父さん”の声を」
「──」
「この、意識の“潮騒”の中から──」
──イグナシオは、耳を澄ませる。
目もしっかり見開いて、その“音”すら見ようとする。
──遠く、海鳥が鳴いている──
──遠く、潮騒が呼んでいる──
ふと、イグナシオは、虹色の海で小さな船を出す、ある年老いた水夫の影を見た。
風に揺られる船の上に立ち、此岸に手を振り微笑む水夫に、礼服姿のイグナシオは花束を掲げてそれに応じる。
そして、小舟に揺られて消えて行く父親の影に、イグナシオは弔花を投げた。
それが例え、ただ空想の世界の出来事だとしても。
いつか、時空を越えて、父親の元に届くと信じて。
「……こいつぁ、すげぇや……」
ゴローが小さくぼやいた言葉に、我に返る。
目前のメインモニターに、すべらかで精細な空間潮流のグラフが写し出されていた。
「最小限の補正でこれだぞ、商売上がったりだ」
ゴローが笑う。
微かに首を動かそうとして、グラフが僅かに乱れたのを認めて姿勢を正す。
「タナカ、頭痛とかねぇか、大丈夫か」
「──大丈夫、です」
ボルトの言葉に、そう応える。
「──“ホエールアンカー”投錨用意」
キャプテンの指示に、ゴローとボルトが明るい声で応じる。
「フィールド変動率、空間変位予報とリンク開始、セーフティチェック開始」
「よしッ、投錨準備完了、アンカーの射出タイミングを操舵士に一任ッ!」
「了解──投錨します!」
船首から、鎖で繋がれたアンカーが飛び出し、タナカが見いだした空間の切れ目を貫いたその先端が光って消えた。
「“ホエールライン”アンカー完了。相対速度維持、
ワイヤー巻き上げ開始」
「PPATHOSフィールド変動率固定。セーフティチェックオールグリーン」
「“ACCモビーディック”、ホイールライン脱出開始、各員、耐振動防御」
──“宇宙(うみ)”が割れる。
今のタナカには、そう感じられた。
「シークエンス開始、ホエールライン突入まで二十秒」
タナカはふと、傍らに立つキャプテンの表情を覗き見る。
「十五秒──十、九、八、七」
その表情を、タナカは、なにか“満足げだ”と読み取った。
「六、五、四、三、二、一、────」
そしてその面影を、タナカはもう、父親に重ねることはなかった。
「────」
青い、青い星。
地球とは違う、青く分厚い雲に包まれた惑星(ほし)。
──天王星。
ソル太陽系、第七惑星。
かつては木星型惑星(ガス・ジャイアント)と考えられていたが、木星と異なり水やメタン、アンモニア等から成る多種の氷で出来たマントルが存在し、組成が木星と異なる為に新たに“天王星型惑星(アイス・ジャイアント)”と分類された。
美しい青緑色の雲が見えるのは大気中のメタンが太陽光中の赤色光を吸収するためにそう見える。
黄道面に対して九十八度も傾いた珍しい自転軸を持つが、その原因はわかっていない。
開拓が始まったのは近年であり、それまでは資源惑星としてあまり重要視はされてこなかった。
主な産出資源は水と、高圧高温下で大気のメタンガスが変化した“ダイヤモンド”である。
ダイヤモンドの資源的利用としては炭素としてカーボンナノチューブやカーボンファイバー等に変換し、建材や宇宙船の構造体として利用される他、“ウラヌスダイヤ”として宝飾品としての希少性から高価で取引される。
初めは木星や土星でも産出されると考えられていたが、天王星ほど潤沢に得られる訳では無く、土星の一件からブラッドダイヤモンド化を畏れて天王星産ダイヤの流通が重要視され、開拓が行われるようになった。
また、大気中に含まれるメタンガスの温室効果を惑星のテラフォーミングに利用する案もあり、その際には土星に次ぐ重要な惑星となるだろうと予測される。
ACCモビーディックの、外縁最終目的地である。
「……天王星……」
感極まった声で、タナカは呟く。
父がたどり着けなかった、あるいは最後に見たかも知れない、青い雲の星。
ダイヤモンドの雨が降る、地球から最も遠い開拓地だ。
「……本当にたどり着きやがった」
ゴローが嬉しさを噛み締めながら呟く。
「クラウディウス・ステーションから入港許可出ました! オートパイロット設定しますっ」
コンソールにいくつかの操作を行った後、ガノフは操舵席から飛び降り、背後のナビゲイターシートで呆然とするタナカに抱きついた。
「やった、タナカくん、すごいよ!! 天王星まで連れてきてくれたんだ!!」
「……僕、が……?」
「そうだよ、ねぇ、キャプテン、ボルト!!」
ボルトはゲイルと共に、したり顔でタナカを見つめていた。
「────」
今だ、自分がしたことの価値をわからないままに、タナカは呆然とする他にない。
「──?」
ふと、キャプテンが歩み寄る。
「はい、これ」
そう呟き、ポケットから、ずっしりとした札束をタナカに手渡した。
「な、な、なんです、これ」
「ナビゲイト料。通常の天王星圏の相場相当の額になる」
「え、え、そんな、受け取れません……」
タナカは狼狽する。
そんなつもりで行ったことではなかったからだ。
「これは労働者への報酬。きみが背負った僕たちの命に対しての責任への対価だ、それを受けとるだけのことをした」
「……」
「そして、“その額面に見合う分だけの、この船全員の命を預かる責任”を今後も背負ってくれるのなら、モビーディックはきみを歓迎する」
──あの瞬間、自覚は無いにせよ、確かにタナカは、この船に乗る全員の命を預かったのだ。
命の値段としては遥かに安い金額、だが、命の値段をあの瞬間の秒数で割ったのならば、今手元に握らされたこの札束程度にはなるのかもしれない。
その責務を背負えるのならば、その条件で──
「──この船に乗せてもらえるんですか」
「うん。ナビゲイター、派遣すると高いから」
それが、キャプテンから示された、第三の選択肢。
「……皆さんの、命を預かる仕事」
……だがそれは、この船に乗るすべてのものに課せられた責務だ。
誰一人として、欠けることの出来ない繋がりの、ひとつになる。
それは、人魚の歌に惹かれるように、宇宙(うみ)の世界に呑まれるということでもあるのかもしれない。
二度と、帰れないかもしれない、この深い宇宙(うみ)の底へ、身を投げるに等しいことであるのかもしれない。
「……」
──天王星入港。
直後に、土星の宙賊にロケットランチャーで撃たれた際の損傷が帰路に影響するとの判断がキャプテンにより下され、応急処置の為三日ほどの足止めが決定する。
その合間、ゴローはタナカを連れて、入港監理局で父親の寄港履歴を確認した。
結果、父親の船は、どうやら天王星にたどり着けなかったらしいと言うことが解った。
最終寄港は木星で、考えうるのは土星圏への入港前に何らかのトラブルがあり、ホエールライン内で消息を絶ったらしいと言う憶測だけが残されていた。
イグナシオは既に、父親の航路を追い越していたのだった。
「──まあ、宇宙(うみ)ではあり得る話さ」
「──はい」
だか不思議と、イグナシオの心は穏やかだった。
「天王星に着く時──」
「ん?」
「──あ、いや、なんでもないです」
……自分の妄想かもしれないあの出来事は、自分の胸に秘めておくのが相応しいと、タナカは考えた。
「あ、そうだ……お金」
そう、タナカはゴローから渡された金を返そうとした。
「いいよ、小遣いにとっとけ……ったく、カッコ悪ィったらありゃしねぇ」
「……そう、ですか?」
「カッコつけるつもりだったのによ、キャプテンのヤローめ……その代わり、ウマい飯食いにいくぞ。そン時ゃオゴリはナシだかんな」
ゴローは乱暴に、タナカの背を叩いた。
「……社長(チャーリー)にドヤされたりしないもんかね」
貸しきりにした酒場で、ガノフの弾き語りに耳を傾けながら、ゲイルはカクテルを掻き回す。
「ナビゲイターひとり拾ってきたのは誉められていいんじゃないかなぁー、相場っても固定給なら結果黒字だし」
「そういう悪知恵はどっから来るのかねぇ……まあ、“ペーパーカンパニー”にしては真面目に遣り繰りしてる方だと思うけど?」
キャプテンはわざとらしく首を傾げる。
「──いい加減、オレには話してくれないかな、あんたが一体ナニモノなのか」
「──」
「そもそも、“CTでもMRIでも脳髄が映らない”ってのが意味わからない。文字通り“あたまがからっぽ”でなんで生きていられるんだい?」
──キャプテンはわざとらしく首を傾げる。
「循環器系もめちゃくちゃ、消化器系もヘンテコ……人間の形を保ってるのは正直外見と骨格くらい。本当にナニモノなんだい、“エイハブ船長”?」
「さぁ……何せ記憶も脳みそも無いからなぁ」
キャプテンはただそう言い放つ。
「あるいは僕はイシュメイルなのかもしれないよ?」
「“ただひとりの生還者”ってか? どこまでが本気なんだが……」
「──さぁッすらぃーッがぁーッ──♪」
ガノフのギターに合わせて、出来上がったボルトが大声で歌うのが聞こえてくる。
「グッド・ラック!! だははははは……!!」
「──あれでよかったのかねぇ」
その輪のなかで、楽しそうに笑うタナカの姿に、ゲイルは複雑な気持ちで笑みを向ける。
「タナカくんが選んだことだから、どうせ後悔しない物事なんて存在しないし」
「後悔とかしない人がそれ言うかね……まあ、言わんとするとこはわかるけどさ」
カクテルを飲み干し、ひとつ溜め息を吐く。
「……好きか嫌いかで言えば?」
逆にキャプテンが問いかける。
「んー……まあ、あいつの“好き”でいいんじゃない?」
そう、ゲイルは笑った。
……陰謀論者やゴシップフリークが好む、ある都市伝説がある。
プルートウ・エクスペリメント事件。
数十年前、冥王星付近で行われたとされる国連軍の軍事実験にて、とある“最新兵器”を搭載した戦艦“スターバック”が運用試験を行っていた。
その最中、突如ホエールラインから出現した異星文明(ペイガン)の巨大宇宙船(ベントラ)が、“スターバック”とニアミスする事件が発生する。
空間潮流に呑まれ、操舵が効かなくなった“スターバック”とベントラとの接触は免れない。
下手をすれば星間戦争の火種にもなりかねない緊急事態に、“スターバック”の船長は自ら舵を取り、乗組員の全員を脱出させた。
その後、ベントラとの接触により“スターバック”は大破したとされているが、その残骸は冥王星では見つかっていない。
だが、その残骸は秘密裏に脱出した乗組員によって回収、修復され、いつか来る船長の復讐の時に向けて秘匿されているのだと言う。
“アップル・センド・コード”なる秘密の暗号が発信されたその時には、人類史上初の星間戦争が勃発するであろう──と言うのが、都市伝説の内容である。
フィラデルフィア・エクスペリメント相当の尾ひれがついた話だとはボルト自身には解っていた。
だが、天王星入り前夜、機関室の最奥に向かう通路で落ちてきたあのパネルの裏面に“STARBACK”の刻印を認めた時に、ボルトはふと、この噂を思い出したものだ。
モビーディックとは、件の“戦艦スターバック”なのではないか?
……四ヶ月後。
ひとりの青年が、深夜特急に揺られている。
年齢にしておよそ二十歳を過ぎた程、その若さのわりに、どこか大人びた、垢抜けた雰囲気を持つ青年だった。
席の傍らに投げ出された大きな鞄には、着替えの他にはそれほど対したものは詰めていない。
纏う薄汚れた服は、半年以上も前に“密航”したとある海運会社の制服である。
見渡す車内には青年の他に旅客はいない。
ただ、一人の青年が、流れ行く街灯の光を真っ直ぐ見据えた瞳で眺めているばかりだった。
「おはようございます──」
未だ夜も明けきらぬ蒼暗い空の下、すこしくたびれた海運会社の制服を纏った青年が、港のゲートで警備員に声をかける。
「何?」
「エイハブ・コズミック・キャリアーの乗務員です、本日出港予定、通行許可証あります」
警備員は怪訝な顔をする、だが。
「……オーケイ、あんた、今日からかい?」
許可証を一瞥した警備員は明るい表情でゲートを開いた。
「はい、これから天王星まで」
「そうかい、よい旅を!」
「──はい、いってきます!」
青年は笑顔で会釈し、小走りに目的の船へと向かう。
「……おい、若いの!」
──警備員の言葉に、青年は足を止める。
「──“宇宙(うみ)はいいぞ”ォッ!」
「──はい、“知ってます”!」
青年は笑顔で手を振り返す。
「……?」
警備員は、怪訝な顔をした。
かつて、宇宙は“地から手の届かぬ場所”として“そら”に例えられた。
地表から高度百キロメートルの先、そのさらに向こうにも今や人が暮らし、働き、いつか帰るふるさとを想う。
地球(テラ)という母親に縛られてなお、“そら”の果てを目指すのは、いつか来る幼年期のおわりに向けての親離れを意味するのだろうか。
いま、宇宙は“うみ”に例えられる。
とある日本の詩人が“郷愁”を詠った詩に、こんなものがある。
──海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなた(mère)の中に海(mer)がある──
青年は母から別れ、今一度、父の去っていった“宇宙(うみ)”に挑む。
人魚の歌に誘われて、魅せられてしまった水夫のように。
──青年は、目前の巨鯨の勇姿を改めて目に焼き付ける。
「……」
エイハブ・コズミック・キャリアー所属、大型航宙コンテナ船、AAC Mobidick(モビーディック)。
全長約三百五十メートル、総重量約十二トン。
最大積載量九千五百九十二TEU。
重力下航行、すなわち、地球上を自力で離発着する能力を持つ船では最大クラスの規模を誇る。
今時珍しいフリーランスの輸送船で、電子産業最大手であるエノ・ミレニアム社や、同じく生化学工業大手、最近の経営方針転換で悪い噂の耐えないサモトラケ・エイジアなどの多国籍企業も顧客として名を連ねる。
現在の通常船員数は五名。
それが今日から、六名になる。
海運公社の研修を受け、青年は確かに“水先案内人(見習)”の肩書きを得た。
見習いとは言え、社会的には胸を張れる肩書きである。
それは、家出していた半年間の間に良くできた兄の年収と肩を並べる収入を得て帰り、家族の度肝を抜かせたことで証明された。
実兄には少々嫌われてしまったが、それは今まで兄に感じてきたコンプレックスのカウンターと思えばまぁ仕方のないことと飲み下す。
そもそも、また半年後には更に多くの収入を得て打ちのめしてしまうのは避けられないのだから、仕方がない。
その代わり、彼は命懸けの仕事を課されたのだ。
自分だけではない人々の命すら預かる、相応の仕事を。
彼は、その責任を背負ってでも、この“家”に戻ってきたのだ。
「──おいィ、“新入り”ぃッ!!」
張り上げた声に顔を挙げる。
「ボサッとしてンじゃねぇーッ、とっとと上がってこォいッ!!」
甲板に立つ、ヴォルフレット・“バイロンズ”整備長兼機関長が笑顔で手を振っていた。
「──はァいッ!!」
青年は、大声でそれに応じて走り出す。
【LOG#05:MERMEID_SONG】-LOG OUT-
最終更新:2019年07月16日 00:11