急がなくっちゃ
急がなくっちゃ
何よりも早く、何よりも先に
急がなくっちゃ
急がなくっちゃ
誰よりも早く、誰よりも先に
時が満ちる
手遅れになる
それよりも早く、それよりも先に
「……止まってんな」
「……止まってるね」
二人は己が目を疑っていた。
その異様な光景を、他の言葉で表すことは出来ないだろう。
ミドガルガ大陸最大の滝、フンデルトヴァッサーファールが、文字通り“静止”していたのだ。
事は二日前に遡る。
フォルスト=デル=シックザールを発ち、骨の谷を抜けた二人は、大河ミルヒシュトラーセ下流の村へとたどり着いた。
もともと静かな農村であり、旅人が上流の街を目指す際に必ず立ち寄る有名な村である。
だがしかし、村は原因不明の干魃に襲われ、ほぼ壊滅状態となっていた。
悠久の時の中、絶えず大地を潤していたミルヒシュトラーセが干上がるという突然の異変。
アサギはそこにヴェクサシオンの影を感じ、村人たちの悲願を聞き入れた二人は原因究明のため大河を遡った。
そして、骨の谷より注ぐ滝の異変を発見したのである。
「……だめだ、術式展開できない。 原因要素はもっと上の方みたい」
「よし、上流だな、ッと」
「わっ! ちょ、エンジ!?」
エンジはアサギの身体を軽々と持ち上げると、その肩に乗せ上流へと歩き始めた。
「この方が楽だろ?」
「そ……そりゃそうだけど……大丈夫?」
「お前みたいな軽いの、朝飯前だって」
エンジはそう笑いながら、軽快に足を進めていった。
「……ねぇ、エンジ」
「ん?」
エンジの肩の上で、アサギがふと口を開く。
「最近、なんか優しいよね」
「んがッ、きゅ、急に何言い出すんだよ……」
「んー……ただなんとなく、かな……」
アサギはどこか嬉しそうな笑みを浮かべながら、青空を飛ぶ鳥たちの群れを眺めていた。
「もう少しで、大きい街が見えると思うんだ。そこで話を聞いてみようよ」
「よし、ちゃんと掴まってろよ」
エンジはアサギにそう言うと、少しだけ歩調を速めた。
-フリーデン=シュタットツェントルム 自由の街-
魔導大国エルフェンバインの中でも比較的新しい街ではあるが、その規模は大陸でも五本の指に入る。
魔大戦以後、この街は職を求める若者達で溢れかえり、瞬く間に大都市へと発展した。
元々小さな炭坑街であったが、蒸気機関の発展により炭坑の需要が増え、瞬く間に成長した夢の街でもある。
だが……
「……なんだ……誰も居ねぇじゃねぇか」
エンジの呟く通り、大都市と歌われたフリーデンの街には、誰一人として居なかった。
人は愚か、鳥や虫一匹すら見つからないのである。
「……エンジ、怖い……」
アサギがエンジの額に抱き着く。
「……だっ、大丈夫だッ」
エンジはそう強がってみせた。
……一時間ほどは経っただろうか。
街中歩き回ったところで、やはりこの街には誰一人として居ない。
無人かと思われるほどに静まり返った街。
対照的に空には雲ひとつなく、太陽は穏やかに街を照らしている。
その現実感に乏しい光景は、美しさの裏にどこか不気味な何かを孕んでいた。
「……おかしい、おかしいのは解ってるんだけど……」
そう言いながら、アサギはその場に座り込んだ。
「疲れたか?」
「うん……ちょっと」
「……考えたところで進展しなさそうだしな……休もうぜ」
そう言い、エンジは近くの宿の戸を叩いた。
「イッ!!?」
「エンジ?」
突如エンジが拳を押さえて苦痛の表情を浮かべた。
「ってぇ……なんだこりゃ、石みたいに硬くなって……」
「石みたいに……エンジ、この街の一番真ん中にある建物って、わかる?」
唐突にアサギがエンジに問いかける。
「んあ、なんか思い付いたのか?」
「うん、たぶん……だけど」
アサギが険しい表情を浮べる。
「……俺もあんまこの街はくわしくねぇけど、あそこじゃねぇか?」
エンジが指差したのは、大きな尖塔だった。
「……大聖堂、か」
大聖堂前の巨大な広場。
不思議と噴水の水は止まっていた。
この街でもっとも高い尖塔が聳え、エルフェンバインの教会のシンボルである捩れた螺旋の輪を貫く十字架が美しい影を落とす。
「やっぱり」
アサギは噴水の周りを調べてこう呟いた。
「エンジ……この枯れ葉、拾って見て」
「んぁ、枯れ葉って……んんっ!? ふぬぅぅぅぅぅっ!?」
エンジは噴水に浮かぶ枯れ葉を摘み上げた。
「ふぐぅぅぅぅぅぅううううう!!! うぬぅぅぅぅううう!?」
しかし、その怪力をもってしてもその枯れ葉を持ち上げる事はできなかった。
水面に浮かぶどの枯葉を持ち上げようとしても、まるで固まっているかのように動かない。
その上、水面すらもまったく波打つ様子が無いのである。
「ど、どうなってんだ、こりゃ?」
「僕にも信じられないけど……間違いない」
一呼吸置いて、アサギが口を開いた。
「時が、止まってるんだ」
「な、なんだって?」
時が止まる。
現代魔術では、全ての存在に干渉する絶対的な力である“時”は操作できない。
だが、この空間上に物が静止し、固定されていると言う事は、時が静止しているとしか言いようが無い。
それはすなわち、かつての魔大戦の産物……とりわけ強力な魔導器に宿る異界神の力であることを意味する。
「すると、もしかしたら……あった!! エンジ、ここ斬って」
「こ、今度はなんだよ……」
アサギが指差した空中に、エンジは剣を振るった。
「!?」
乾いた音と共に、不可視の何かが弾け飛んだ。
「こ、こんなこと……」
「やっぱり……」
気づけば先程までの青空は黄昏色に染まり、あたりには、まるで蝋人形の様に固まった人々が佇んでいる。
何かに驚いたような形相で、一寸たりとも微動だにしない街の人々……
「な……こいつら……」
「間違いない、街中の時が止まってるんだ」
つい先ほどまでは無人だったはずの街に、変わり果てた姿の人々が突如出現したのだ。
「あ、アサギ……俺、なんだかよくわかんねぇよ!!」
「何者かがこの街の異変を隠していたんだ……これを使ってね」
取り乱すエンジとは裏腹に、アサギは冷静に地面に落ちた何かを拾い上げた。
「大量生産された魔導器の一種で、インビジベルって言うんだ。」
アサギの掌には、醜く歪んだ小さな銀色の鐘が握られていた。
「耳に聞こえない音色で脳を混乱させて、“ここには何もない様に見せる”トラップなんだ」
「……誰が、いったい……」
エンジが警戒した。
「……へぇ、魔導器に気づく奴がいるんだァ」
刹那、頭上から何者かの声が聞こえた。
「誰だ!?」
聖堂の螺旋十字のシンボルの上に、怪しい人影があった。
その姿は裸に近く、両手両足が甲殻に覆われ、朱色の長い髪が風に揺れる。
「やっと来たなジャバウォック、待ちかねたぜ」
その声は自信と傲慢さに満ち溢れていた。
異形の男は螺旋十字から軽やかに飛び降り、獣じみた笑顔を浮かべる。
爛々と輝く瞳は異様な眼光を発していた。
「こいつ、人じゃない!!」
「何!?」
ギチギチと昆虫じみた奇音を発しながら、異形の男が立ち上がる。
露になった胸板には、魔導構成式に多用される特殊記号……ルーンが刻まれていた。
「ホムンクルス!?」
アサギがその正体を見抜き、驚きの声を上げる。
「クハハハ……そのとおり」
異形の男がニタリと笑う。
「オレはホムンクルス……だが、“あの方”がもうすぐヒトにしてくださる」
「何ィ……!?」
傲慢に満ちたホムンクルスの言葉にエンジの顔が怒りに満ちる。
それは錬金術師が戯れに産み出した、創られし生命。
禁忌である錬金術の封印と共に葬られたはずのそれが、今自身の前に立ち憚っている。
その事実を、アサギは信じることができなかった。
おそらくこのホムンクルスは魂の代わりとして、程度の低い雑霊でも宿しているのだろう。
しかし、その肉体には常人以上の魔力が循環している。
なにより、その右腕には、純白の表紙を持つ魔典が携えられていた。
「オレの名はフォーン、いずれヒトを越える存在だ、覚えておいて損は無いぜ!!」
「ぬかせ!!」
エンジがホムンクルス、フォーンに抜きつけた。
その表情は錬金術に対する尋常ではない恨みを体現する。
生命を弄ぶと言うこと。
世界の奇跡を冒涜する“ヒトならざるもの”がヒトを超えるなどという戯言に、エンジは怒りを隠せなかった。
「どりゃあああ!!」
「ふんッ!!」
フォーンが魔典を開く。
「何!?」
閃光と共に、エンジの一閃はフォーンの身体に届く寸前に止められてしまった。
「時の絶対防壁の前では何もかもが無力だぜ?」
「な……どぁッ!?」
エンジは一瞬にしてフォーンの魔力で弾き飛ばされ、崩れるレンガの壁にめり込んでしまった。
「馬鹿な……ッ、ニンゲンもどきがこんな……!?」
崩れた壁の時が再び止まり、エンジの身体を拘束してしまう。
時の支配者はこの空間に流れる時を全て制御できるようだ。
フォーンは時までも武器として使ってくる。
「く、糞ッ……逃げろアサギ!!」
「ドラッツェ……!!」
応戦のため魔典の封印を解除し、アサギが印を切る。
「おおっと!!」
刹那。
「アン……ぐふぅッ!?」
時を早め加速したフォーンが、アサギの詠唱より先に攻撃を仕掛けた。
加速した敵の掌打をその身に受け、アサギの小さな体が地面を二転三転した。
「はははッ!!! さぁ、その魔典をよこしやがれ!!」
フォーンがさらに攻撃の構えを見せた。
「くっ!!シュテルンシュトルム!!」
「ッ、何!?」
アサギが光線を足元に放ち、その爆風を受け宙へと舞い上がる。
「術式……!!」
「……かかったな!!」
「展 」
それは瞬く間であった。
アサギの身体は時の縛鎖に縛られ、完全に静止してしまったのだ。
「く……あははははッ!!!魔典ジャバウォックは頂いていくぜ!!」
「あ、アサギ!?」
フォーンが魔力を集中した為だろう、時の縛鎖が解かれ、エンジは広場へと飛び出した。
「アサギを返せ!!!」
エンジはフォーンに斬りかかる。
「無駄だ!!」
フォーンはアサギの空間座標のみを限定的に解放する。
通常目には見えない時の縛鎖が光の鎖として出現し、フォーンはそれを掴むと瞬く間に飛び上がった。
「……んっ!?」
しかし、何故か魔典ジャバウォックは縛鎖に縛られ静止したアサギの腕からするりと抜け落ち、そのまま広場へと落下する。
慌ててエンジがそれを追い、その大きな手で受け止めた。
「糞ッ!! デカブツ!! その魔典を北の聖廟に持って来い、この餓鬼の命と引き換えだ!!」
そう吐き捨てると、フォーンは黄昏の空へと消えていった。
「……糞っ……」
エンジはそう吐き捨てながらも、よろめきながら地に膝を突いた。
エンジは夜闇のなか、辛うじて戸の開いていた民家に避難し、傷を癒していた。
鋼のような肉体は人一倍早く傷を塞いでいく。
だがそのの精神は徹底的に傷つけられ、エンジはまるで石のようなベッドに身を横たえたまま自身の不甲斐なさを責めていた。
そして“我”とて主無き身、アサギの魔力が無ければ手も足も出ない。
……しかしながら、我には一つの疑問があった。
我が真底にある、“ある構成要素”が時の縛鎖を断ち切ったのは理解できる。
しかし、時の止まったアサギには、その構成要素を引き出し、限定展開することは出来ないはずなのだ。
解せない。
「……なぁ、ジャバウォック」
突然エンジが我に語り掛けてきた。
しかし、書物状態の我に声は聞こえても、我が声はエンジには届かないはずだ。
「あのホムンクルス、俺を弄くりやがった錬金術師のニオイがしやがる」
……エンジの言葉の真意が理解できない。
エンジに超嗅覚でもあるのか、それともあのホムンクルスの裏に何かの影を感じたのか。
「あの黒い魔法……間違いねぇ、ディアマントの奴だ……生きてやがったのか」
その言葉に、我が耳を疑った。
魔力をある程度もてあます者は、若干ながら他の魔力の気配を感じ取る力を持つ。
エンジには、魔法を使えるほどの力は無いはずだ。
しかし、その言葉は間違いなく、敵の魔力を感じ取っていたという意味だろう。
……試す価値は、ありそうだ。
『エンジ』
「ん!?」
……聞こえた。
アサギと同様、この男にも我の言葉が聞こえるのだというのか。
魔導とは何の縁も無い、この力だけが能の男に……
『我が声が聞こえるのか』
「聞こえる…ちゅうか、耳に聞こえないけど、頭の中で声がする、ちゅうか……ジャバウォックか?」
『そうだ…可能であれば、我が表紙を開け』
「あ、あぁ」
戸惑った様子だったが、エンジは即座に我が表紙を開いた。
『驚いたな……魔力無き者に我が開けるとは』
魔典から溢れる光が、我が姿を朧げながらに顕現させる。
基本的に、魔典とは魔力無きものが開けばただ意味のわからない記号や数式、そして図形の書かれた本でしかない。
しかし、魔力あるものが魔典を開くとき、その体に宿る魔力が構成式に反応し、その力を吸って魔法を発動するのだ。
「あ、アサギがいねぇのに……どうやって?」
『我にもわからん……ん、そうか……』
エンジの背を見て、思い出した。
『お前に宿る大地の精の魔力が、我に干渉しているのか』
おそらくだが、エンジの肉体を異形たらしめている大地の精霊の魔力が滲み出しているのだ。
その魔力は奇跡をおこす術を知らぬエンジの中で燻っていたのだろう。
それが魔典を通して、我が姿を顕現させるのに使われているということか。
『ならば、話は早い……我らでアサギを奪還するぞ』
「っつったって……俺の力じゃお前を召喚できないぜ……多分」
『そうだろう……しかし、我が構成式の一部をお前に移し、限定的に力を解放する事は出来るやも知れん』
「何?」
『簡単に言えば……お前の肉体を仮の我が肉体として、数分間だけ我が力を貸し与える事が出来るのだ』
「……ぜんっぜんわかんねぇって」
『だろうな……だが説明している時間はない、お前の構成式に組み入るぞ!!』
そう言い、我が身体がエンジに被さる。
「だ、だァッ、何考えてるんだよ!!」
『其れはこっちの台詞だ、何を考えている』
我が存在は今、エンジの認識上で補足されているだけの“現象”に過ぎない。
故に、エンジが猥雑な事を想像すれば、我もその様に認識されてしまう。
こうしている間にも我が舌は、エンジの首筋を這っていた。
「は、ぐぅ……そん……な……ヤベェって……」
我としては非常に気に食わないが、構成式を移す行為をこやつが性行為と混同している以上、致し方ない。
「あ……うぅ……」
『五月蝿い……もう少し大人しくせい』
見ればエンジはすでに衣を脱ぎ捨て、自身を隆々といきり立たせていた。
『全く……そんなモノでお前はアサギを貫こうと想っていたのか?』
「そ、そんなんじゃ……ねェって……でも……あわよくば……あぁッく」
『止めておけ……怪我をさせるだけだ……』
見かけ上、我が右手は頻りにエンジの身体を弄っているが、実際はこやつの構成式を探っているだけだ。
森羅万象、そして我にも存在する、“その存在の構成を魔導を用いて記述した式”。
エンジの構成式は、過去に錬金術師によって改竄されている。
どこかに、その際こやつの構成式に埋め込まれた大地の魔導式が存在するはずだ。
そこに我の中枢を一時的に移し、我が力を貸し与える。
本来、エンジの肉体を構成する式には大地の魔導式は存在しないもの、ここを改竄したとて肉体に影響は無いはずだ。
程度の低い魔属や夢魔なんぞがヒトの肉体を奪う際に使う手の応用だが、他に術はない。
『見つけた……組み入るぞ』
「ちょッ……まだ心の準備が」
『問答、無用』
「んあぁぁあああああ!!!!!」
何を考えているのか、我が肉体がエンジを貫き、体内へと進入する。
こやつの想像は下品で好かない。
だが早々に式を移さねば、果てられて契約に失敗しては困る。
『式を移すぞ……心を開け』
「んあっ……うぅ……もう……開いちまって……あがぁああああ!!」
こやつ、たかが“己の煩悩”に夢中になり、無心になっている。
だがその方が好都合だ。
「ぅがあぁぁぁぁああああああああああッ!!!!!!」
エンジは我が式を移すと同時に、そのいきり立つものから精を吹き出し、果ててしまった。
筋肉で隆起した腹、そして胸板に吐き出された精が降りかかる。
『愚か者が』
「う……るせぇ……溜まってたんだよ」
『そうではない……まぁ、一時契約は完了した。煩悩が抜けた所でアサギを救出するぞ』
「……おぅし、って……ジャバウォック、どこだ?」
『中枢式を失っているからな……強いて言えば今はお前と同体になっている』
構成式とは別に、中枢式というものが存在する。
その存在を制御するもの、精神とか魂などと呼ばれているものがそれに当たり、いま我の中枢はエンジの式の中に移されている。
もっとも、エンジの中枢の邪魔さえしなければ問題は無いはずだ。
「よし。お前に全部まかせるかんな! 行こうぜ!!」
エンジは即座に着替えを終え、我が魔典を携え街へと飛び出した。
果ててなおこの体力……若さとは恐ろしいものだ。
「やい、ニンゲンもどき!!!!!」
街の北、かつての大司祭の霊を祭る聖廟の門の前でエンジは大声を上げた。
大聖堂ほど煌びやかではないにしろ、その厳格さは随一である。
なにより、この場所は大地より多くの魔力が自然とあふれ出している。
存在の維持に膨大な魔力を消費するホムンクルスが根城にするには都合がいいのだろう。
「やっと来たか、待ちくたびれたぜ」
時の呪縛を解かれた大門が開かれる。
その中に、白き魔典を携えたヒトならざるものと、時を止められたアサギの姿があった。
「とっとと魔典を渡しやがれ!!!!」
白き魔典の封印が解かれた。
「いけ、時の縛鎖!!!!」
魔典から飛び出した光の鎖がエンジに襲い掛かる。
「へへへ……一度やってみたかったんだよな」
「何?」
「ジャバウォック、封印解除!!!」
魔典ジャバウォックの拘束が解除され、我が構成式が溢れ出す。
それら全てがエンジを包み込み、その姿を変貌させた。
「ハァッ!!!!!!」
閃光と共に、時の縛鎖が砕け散る。
「馬鹿な!!!」
赤かった体毛は我が蒼天の色に染まり、手にする大剣は我が愛槍の刃へと変化していた。
「あ、あれが神槍、バンダースナッチ!?」
「いくぞオラァアアアッ!!!!!」
「クソォォォオオ!!」
より大量の縛鎖が襲い来る。
「閃ッ!!!!」
バンダースナッチの切っ先が閃き、その全ての縛鎖が断ち切られる。
「な、に……!?」
バンダースナッチは雷の化身、その切っ先は時をも斬り裂く。
「糞……あの方の言うとおり、バンダースナッチ相手じゃ分が悪いってことかよ!!」
フォーンは魔典の力で加速し、エンジの剣をかわしながら反撃の時を待つ。
「ハァッ……ハァッ……」
フォーンが息を切らしながら一気に距離を置く。
その刹那、甲殻で包まれたフォーンの肉体がボソボソと崩れ始めた。
「なんだ……様子が……」
『ホムンクルスは己の魔力だけでその肉体を保っている……奴め、魔法の使いすぎで魔力が底をついたのだろう』
「よし、終わらせようぜ!!」
エンジが一気に攻め込む。
「うおぉおおおおおおお!!」
「くゥッ!!絶ッ対防壁!!!!」
閃光が辺りを包む。
「無駄だアァァァァァァッ!!!」
エンジの剣が閃き、神槍バンダースナッチの刃が静止した時の壁を斬り裂いた。
「ぎゃあああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
その一閃はフォーンの右腕を一瞬にして斬り落とし、アサギを縛る不可視の鎖をも断ち切る。
「……解ッ!!!!」
「な、ああああああああああッ!?」
時の呪縛が解けると同時に、アサギが術式展開を発動した。
本来生まれ持った物ではないホムンクルスの肉体の構成式は、異界神同様、非常に脆い。
「いまだ、破邪顕正!!!」
エンジの拳が光り輝く。
「観、音、掌おおおおぉぉぉぉぉおッ!!!!!」
展開されたホムンクルスの構成式から、エンジの掌が中枢式を打ち抜いた。
悪を焼き尽くす菩薩掌ではなく、中枢を分離させ無力化する観音掌を使うあたりがこの男の優しさだろうか。
『あ、あ……せっ、カク、体が、手に……はイったの……ニ、ち、ちく、ショオオオオオオオオォォォォォォォ……』
本来の姿である雑霊の姿を聖廟の聖なる気に晒され、フォーンは浄化され消えていった。
「……い、一体……エンジ?」
「おう、無事だったか?」
「そ、その格好は?」
『我が力を貸し与えたのだ』
我はエンジの肉体から分離し、空にその姿を結んだ。
「くっ……はぁ、はぁ……」
『流石になけなしの魔力を使い果たして疲弊したか……しかしながら、見事であった』
「え、エンジがジャバウォックを……?」
「へへ……お前の為だったら、身体張るぜ……」
「あ」
アサギに抱きかかえられたのをいい事に、エンジはその頬に口づけた。
「よし……3センチの恨み……晴らした……ぜ」
「え、あ、え、何? 今なんかした? ジャバウォック?」
『いや、見ていなかったな……さて』
我が力を見事に使いこなし、気を失ったエンジに敬意を表してここは黙っておいてやろう。
『聖廟に満ちる魔力が我らの姿を結ぶ故…そろそろその姿を現せ、静寂のワイツ=カーニヒェン!!』
先程まではホムンクルスの肉体であったのだろう、緑色の粘液にまみれた白い魔典がゆっくりと開く。
『よかった……間に合った』
溢れる白い光の中、輝く何かが顕現する。
「ジャバウォック……彼は?」
『うむ……時を司る魔典“カーニヒェン白書”に宿る異界神……白兎、ワイツ=カーニヒェンだ』
それを聞いたアサギが、無意識にも異界神の姿を想像する。
光は空にその形を結び、白き兎の姿を借りた異界の神……ワイツ=カーニヒェンが安堵の表情を浮かべた。
『久しいね、憤怒のジャバウォック』
『呑気に挨拶なぞ……貴様、“こうなると解っていて”ヒトならざるものに力を貸したな?』
我が言葉に、ワイツ=カーニヒェンは肯いた。
『これに力を貸したのは“あの方”に逆らう力が無かったから。だけど、君が来て僕の力を断つ事はわかっていたし』
『では……』
『僕の力を利用して、“螺旋城”の封印が解かれた。アリスを不思議の国に導くのは僕の役目だったから』
『そう、か……』
アサギは不思議そうな顔をして我らの会話を聞いていた。
しかし、今は恐らく、説明してやれる時間はない。
『貴様も“アレ”に加担するつもりなのだろう』
『いやでもそうなるかもしれない、でも、まだ間に合う』
『……今、何人がアレに憑かれたかわかるか?』
『うん、“沈黙”と“衰退”……それと“栄光”が。』
『“栄光のグリフォン”……』
その名に我は怒りを隠せなかった。
グリフォン……貴様……
『“傲慢”も海を超え、ここにもうすぐ現れる……“迷想”は相変わらずだけれど』
「ジャバウォック……何を話しているの……?」
アサギが口を開く。
『……アサギ、お前に黙っていたことがある』
「えっ」
頃合とはこういうものだ。
いま明かしてやったほうが、我としても胸のつかえが取れる。
『かつて……魔典ヴェクサシオンに宿る狂気の神ジョーカーは、その存在を七つに分断され、封印された』
『分断されたジョーカーの化身七体は、各々が魔典に記述されることで封印され、深き眠りに着いた。』
ワイツが割って入る。
『その七体とは、栄光、衰退、迷想、静寂、憤怒、沈黙、そして、傲慢』
『内……“静寂”とはこのワイツ=カーニヒェン、そして“憤怒”とは我、ジャバウォックのことなのだ』
「!!!!」
アサギの表情が強ばった。
無理もあるまい、憎むべき最大の敵の末端がこの我だったのだから。
『無理もあるまい……我とて長き友であるお前に言うことができないことを歯がゆく思っていた……』
「……」
アサギは口を開かなかった。
その表情が、瞬く間に曇っていく。
異界の神たる我が胸中に、かつて感じたことの無い焦燥感のようなものがあふれ出していた。
『でも、恐れなくてもいいよ……少なくとも、このジャバウォックはジョーカーに抗う者の一人だ』
そんなアサギをワイツがなだめた。
「どう言う事……?」
『ジョーカーの力とはこの世界全ての否定だ。何者がその力を何に使おうとしているのかは僕には解らないけど……』
ワイツが我が目に何かを訴える。
我が胸中を打ち明けろとでも言うように。
『……我は、お前が居るこの世界が否定されることが気に食わん、ただ、其れだけのことだ』
「ジャバウォック……」
アサギの表情が緩んだ、次の刹那。
『!!!!!!』
ワイツの小さな身体を、無数の触手が貫いた。
「何!?」
『あぁ……う、ぐぅ……』
ワイツが苦痛の表情を浮かべる。
「お喋りが過ぎるぞ、ワイツ=カーニヒェン」
冷静な声が聖廟に響いた。
漆黒の触手を目で追い、声の主を一瞥する。
漆黒のマントに、黄金の仮面。
その手には、漆黒の魔典が不気味な黒い魔力を吹き出している。
「き……さま……ッ」
「エンジ!?」
気絶していたはずのエンジが、鬼の形相で仮面の男を睨み付けていた。
「ヴォルクガング……ディアマント……ッ!!」
その名に耳を疑ったのはアサギだった。
「馬鹿な……あの錬金術師は死んだはずだ……!!」
仮面の男は不敵な笑みを浮かべていた。
「さて……そんな古き者の名は忘れたな」
「糞ッ!!!!」
エンジは立ち上がろうとしたが、もはやその巨体を支える力は残っていなかった。
「さて……お仕置きだよワイツ=カーニヒェン」
もがき苦しむワイツを術式展開し、それを分解し、仮面の男は自らの魔典に取り込んでいく。
『うあぁぁぁ!!!あ、あぁ……う、うぅ!!』
ワイツの仮の姿、カーニヒェン白書から次々と構成式が消えていく。
『あぅぅぁ……ジャバ……ウォック……!!』
「む!!」
構成式からワイツは自ら中枢式を切り離し、魔典ジャバウォックへ脱兎の如く逃げ込んできた。
「くッ……抗うか、まぁ良い……メインは無くとも今は構成式さえあれば十分だ」
男が魔典を閉じる。
「やっぱり……ヴェクサシオン!!!!!」
「くくく……お前がジャバウォックのマスターとはな……」
男は不気味な笑みを浮かべてアサギを見つめた。
「もしお前がその運命に逆らうなら、その魔典を以てより高き場所へと来い、世界の真実を見せてやろう」
ヴェクサシオンを従える男はそう言うと闇の中へと消えていった。
「……」
アサギはその目を見開き、仮面の男の姿をしかと焼き付けていた……
『縛鎖、限定解除!!』
我が魔典の構成式を共有する事になったワイツ=カーニヒェンが、滝にかけられた静止の魔法を解く。
「急に解くと鉄砲水になっちゃうから、雪解けと同じ速度で元に戻るよう設定しました。これで大丈夫です」
同じく魔法を解かれた住民達が歓喜の声を上げていく。
干魃に悩まされていた下流の村も、これでなんとかなるだろう。
「しかしよ、何であのニンゲンもどきは街の時間を止めたりしたんだ?」
『アリスが嘆きを求めているから』
「嘆き?」
ワイツはエンジの問いに答えた。
『アリスとは力を失っているジョーカーの事なんだ。彼女は復活のために負のエネルギーを求めている……嘆きの力をね』
「なるほどね……そんで、それを指揮してんのがディアマント、ってことか」
「……でもエンジ、ディアマントは死んだんだよ?確かに彼の魔力はディアマントに似ていたけど……」
アサギは不安げな表情を浮かべた。
ヴォルフガング=ディアマント。
過去にエンジの肉体を異形化し、暴走した彼の手によって殺められた悪しき錬金術師。
謎に包まれていた人物ではあるが、かつてアサギよりその名を聞いたことがあった。
その男は魔の者と契約した魔属の一人であり、己の快楽のため怪物を産み出していた狂人だったという。
そして、何者よりも狂気の神であるジョーカーの力を最も欲していた男でもあると……
『その人のことは知らない。ただ確かなのは、ジョーカーの力はこの世界全ての否定……世界から全てを奪い、消してしまうということ』
「そのなんだ……否定、って言われてもなぁ」
『文明の転換、古い世界秩序を否定し、新秩序のもと新たな世界として再生する……それが世界の代謝、ジョーカーの存在意義だから』
「……余計わかんねぇよ、ウサ公……まぁ、あのディアマントみたいな奴がろくでもないこと考えてるってのはわかった」
エンジはそうワイツに言った。
『なにより、アリスはもう目覚めてしまった……今は時空のどこかにある“螺旋城”で復活の時を待っている』
「とりあえず、あのいけ好かんお面野郎をぶっ飛ばせばいいんだろうさ」
エンジがそう言って笑う。
「……そうかな……そうだといいけど……」
アサギは遠い目のまま、未来への不安を募らせていた……
あぁ~あ……
あそこでミーがジャバウォックに組み入って時の縛鎖を切らなんだら、ああ呑気にやってらんにゃいのにニャーン……
まぁ言うな。
ぼくらは飽くまで傍観者、時が来るまで大人しくしていようじゃないか。
デゥェッヘッヘッヘ、シラを切るだなんて素敵なニャァーン……
<第二幕 Weies Kaninchen 了>
最終更新:2010年01月03日 22:54