自作派のデシデラータ04:故障かな?と思ったら

「こら、勝手に通販したらダメって言ったろ」

何を買ったのかは無理に訪ねなかったが、クレジットカードに見覚えの無い請求があったことでそれは判明した。
コタツは胡座をかいたまま背を丸めていたが、どことなく顔は反骨的だった。

「うーん、別に買い物するのはいいんだよ。勝手にクレカ使うのがいけない。わかるよね」

しょんぼりとした雰囲気で小さく頷いているものの、への字口のまま顔はそっぽを向いている。

「先になに買うか言ってくれればいいから……な?」

明らかに納得していない顔だった。
あー、もしかしてこれが反抗期なのか?
いよいよもって僕らの関係性が“親子”に収まりつつある……

「……うーん……なんかダウンロードしてるんだよな、電子マネーで小遣い制にしようか……」

思い起こせば自分も小さい頃、こんなことがあった気がする。
あのときは確かトレーディングカードだったなあ。
小遣いを何に使ってるかと訪ねられて、カードと答えて怒られるのが怖かった。
それから飽きてしまって売り払ってしまったけど、ある意味、無価値なものに散財している罪悪感が内心あったんじゃなかろうか。
集めていた当時は、たしかに価値あるものだった筈なのに。

「わかった、何買ったかは聞かないし、コタツには今度から小遣いをあげるから、その範囲で好きに買い物しな。宅配便の人ビックリさせちゃダメだよ」

そう言って、コタツの頭を撫でようと伸ばした手を、

コタツは、払いのけた。



「それで落ち込んでたの」

はなさんのカフェが癒しの空間になっていく。
ああ、人はこうして大人になっていくのだろうか。

「初めてのことでショックが大きくて……」

ブラウニーが口のなかでコーヒーと絡み合う。

「反抗期、なのかしらー?」

「はなさんもそういう時期ありました?」

「うーん、どうかしらー? 自覚はないけれど……」

「あったよ」

隣のショップから蒲田さんの声が聞こえた。

「えー! 自覚ないのにー!」

「ある意味、カフェの出店の時がピークだったなあ。一歩も退かなかったもんな」

「あー……」

バツが悪そうにはなさんはトレイで顔を隠す。
誰しもそういう時期があるものだろうか。

「しかし、性差みたいなものもあるんだろうか、はなは激しく主張してたけど、コタツくんは何も言わないんだって?」

ようやく作業を終えたエプロン姿の蒲田さんがやってきた。

「口数も減っちゃいました」

「うーん、男の子らしいっちゃらしいけど……」

完璧に子育てトークだ。
端から見てどうなのか。

「……そうだ、はなさんにお願いがあるんです」

「はい、なんでしょう」

「ちっちゃいのでいいんですけど」

この先の悩みを一先ず押し込めて、少しだけ、コタツの喜ぶ顔を想像した。

「またコタツにケーキつくってほしいんです……来週、あいつの誕生日なんで」



春を前にまだ寒さの厳しい日々。
コタツが暖かいので本当に暖房器具を買わないままひと冬過ごせてしまった。

ルームシェア、と僕はそう自分に言い聞かせているが、コタツとの生活は本当に訳のわからないことばかりで、本当に楽しかった。
実際に同級生の男の子と暮らす感覚、頭の中で妄想していたそんな夢の生活のそのままだった。

もちろんコタツはへっぽこだから、時々意味のわからないことをやらかしてくれる。

それがいとおしい。

そして。

僕は、そんなコタツのことを好きにならないようになるのに必死だった。



自分の思い通りにならないようにコタツを作った。
思い通りになったら、コタツが僕の恋人になってしまったら、僕も、コタツも、かわいそうだから。

そのために、コタツは生まれてきたわけじゃない。
そういう主張が必要だった。
僕がコタツを作った理由が、最低なものにならないためには。

“自作”は、エゴだ。
“所有”も、エゴだ。

じゃあエゴじゃない人間の行為とは何なんだろう。



そんな自分の後ろめたい気持ちを、コタツを友達として扱うことで、覆い隠そうとしていた。



「ただい、ま」

帰宅して目に飛び込んで来たのは巨大な布団の団子だった。

「……コタツ?」

もちろんその中にコタツがいるのだが、頑なに中から出てこようとしない。
上に天板をのせて炬燵にしろというアピールでは無さそうだが。

「おーい、コタツー、ただいまー」

「……ん」

「……なにしとんの」

「……」

返事はない。
ただの炬燵のようだ……

「……」

ぺろっと捲るとババッと塞がれてしまう。
なんだこれは。
本格的に反抗期なのか……?

「……朝のこと、怒ってる?」

「怒ってない」

「……なんかあった?」

「……なんもない」

「ほんとに?」

「なんもない」

「……」

本格的に困ってしまった。

「……布団から出ないと、オーバーヒートしちゃうぞ」

「うん」

……出る気配は無い。

「どうしたんだよ、コタツぅ」

一瞬胸中に沸いた苛立ちを圧し殺す。

「……ダイスケ」

「ん」

「……出掛けないの?」

「や、今帰ってきたところなんですが……」

「どこか、行ってきなよ」

「え、なにそれ」

「散歩、散歩がいいよ」

「……散歩、一緒に行きたいの?」

「ちがう」

え、ちがうの!?
もしかして……それって……

「……じゃあ……ちょっと、出掛けてくるよ」

「……いちじかん、くらい」

「えっ!? わ、わかりました……」

僕はコタツに促されるまま、戸惑いの果てにそのまま再び外に出てきてしまった。
そして戸を閉めたとたん、すさまじい不安に苛まれた。



コタツは、僕と顔を合わせたくない……?



身動きがとれなくなり、玄関先でそのまま立ち尽くし、僕はとにかく頭のなかを整理しようとした。
思い当たる節がないわけではないが、そのどれもが決め手に欠ける。
本当に嫌われたのか、反抗期だからこその一過性のものなのか。
考えても仕方ないとは思いつつ、様々なネガティブ感情が後ろめたく纏わりついた。

そしてそうなると、見ないようにしていた自分の思いが去来する。

友達として、なんていいながら、結局僕はコタツを自分の“思い通り”に育てようとしている。

そしてきっと、恋人みたいに……

いや、違うな。

僕は、コタツを“僕にならないように”仕立てあげようとしている気がする。
一緒にテレビを観てはコタツの好きそうな女優を“捏造”しようとしている。

コタツが男を好きにならないように。
僕を好きにならないように。

「……」

自分の矮小さに嫌気がさす。

結局僕はエゴイストなんだ。
利己的な人間なんだ。
コタツが僕の思い通りに育てばそれでいいんだ。

……そんなわけ、ない。

コタツを生み出してしまった以上、コタツには幸せになってほしい。
もしかしたらドロイドの彼女ができるかもしれない。
法律が変わってドロイドが人権を持って、所帯を持つことができるようになるかもしれない。
僕がおじいちゃんになって、奥さんドロイドと孫を連れて訪ねてくるコタツを見るのかもしれない。

コタツはその時、笑っているかもしれない。



ああ、そうか。

自分の親たちも、常々こんな思いをしていたんだろうか。
僕がそうして奥さんと子供を連れてくる日を楽しみにしているのかもしれない。
その日を楽しみにしながら、僕のためにお金も、時間も、費やしてくれたのかもしれない。

唐突に沸いてきた感傷にふと母親の声が聞きたくなり、携帯を取り出してからそれよりもまず目の前のことを片付ける必要があることを思い直す。

ほら、僕はこうして、目の前のことから逃げようとしてしまう。

自分を卑下することで。

「ッ」

そうしてズボンのポケットに入れ直そうとした携帯が振動した。

ちょうど一時間、アラームのような正確さで送信されてきたコタツからのメールだった。



ダイスケ。
おれ、壊れたかもしれない。



「……コタツ……?」

暗い部屋のなか、窓から差し込む街の明かりだけが起き上がったコタツの背中の輪郭を照らしている。

「……大丈夫か?」

触れかけた手は理性で引っ込めた。

「……」

向き返るコタツはへの字口ハの字眉の相変わらずの顔だったが、暗いせいか酷く憂いを孕んだ表情に見えた。

「どこか変なのか? 治してやるから」

正面に回り込もうとした途端、コタツは
急に立ち上がった。
そして僕を抱き締めた。

「……そんな不安だったの……か……」

明らかに、普段のじゃれつくようなハグとは力の入りかたがちがう。
そして酷く熱い。

「……こた……つ……」

声を掛けかけたその時、首筋に軽い痛みがあった。

「……えっ」

コタツは僕を甘噛みしながら押し倒した。

「……」

咄嗟のことで声すら出なかった。

口を離したコタツが僕を見つめている。

呼吸が荒い。
パソコンのファンが高速回転しているのと原理は同じだ。
そんなことよりも。

今僕は、どんな顔をしてる?

「……ッ」

重い。

熱い。

恐い。

でも、心臓が高鳴っている。
からだが求めている。

「……ダイスケ」

「な、なに?」

「……ごめん」

言葉を絞り出すようにコタツは言った。

「……おれ、壊れたかもしれない」

「……」

「あたまのなかが、ダイスケでいっぱいになる」

「……」

「おれの、部品……に、ダイスケが、足りない……?」

「こ、た……」

「部品……違う、食べたいも、違う、おれ……わからない、けど、ダイスケが、欲しくなる……」

凄まじい勢いでコタツの体温が上がる。
コタツの口から、スキンの継ぎ目から、蒸散した水が立ち上る。

「ごめん……でも、おれの中に……ダイスケが……足りない……」

そしてコタツの眼球裏に溜まっていた蒸気が、涙のように、僕の肌へとこぼれ落ちた。

「熱いッ!!」

「ッ!?」

それは要するに、熱湯だった。
僕のからだは条件反射的にコタツをはね除け、熱湯の涙が落ちた眼窩付近を押さえていた。

上体を跳ね起こしたコタツが困惑しているのが見なくてもわかった。

「ごめ……だい、す……」

「ッ……大丈夫……大丈夫、だから」

コタツを落ち着かせるためになんとか平静を保とうとした。

「……おれ……やっぱり……壊れてる……」

「……コタツ、それは……」

それは違う。

否定したかった。

肯定したかった。

コタツが言いたいことを。

でも。

「……コタツ」

それは。

「……」

できない。

「……だめだよ……」

「……ッ」

胸中に抱いた否定の気持ちが、思わず口からまろび出た。

「……わかるよ、コタツの気持ちが……でも……それを教えてしまったら」

「……」

「僕たちは、きっと、壊れちゃうから……」

「……」

「……ごめん……でも、僕も……」

「……」

「……僕、も……」

そこから先を言いそうになって、必死にそれを圧し殺した。

「……」

「……コタツ……」

「……い、や、だ」

「!?」

コタツは、僕に飛び付いた。

丸太のような腕で完全にホールドされ、スチームサウナ張りの蒸気に包まれる。

「コタツっ!?」

「お、れ、は」

「おいッ、コタツっ!!」

「お、れ……は……」

「あ、熱いッ、コタツっ、ダメだって!!」

さらに温度が上がっていく。

「ダ、イ、ス、ケ」

「コタツっ、やめろォ!!」

「……ッ」

思わず口から出た拒絶の言葉。

コタツは、止まった。

「……」

「……」

「……コタツ……?」

返事はない。

その目は見開かれたままだ。

「コタツ、おい……」

その関節も完全に固まっている。

「こ、コタツ!? しっかりしろよ!」

辛うじて動く腕でコタツの胸板を何度も叩いた。

コタツは動かなかった。



「良かったッ、鍵あいてた!」

玄関先から慌ただしい足音と聞きなれた声が聞こえた。

「上野くん、大丈夫!?」

「か、蒲田さぁん……」

なんとも情けない姿だが、他に助けを呼べる人がいなかった。

「うわあ暑ッ、本当にこれじゃあ炬燵だなあ、フリーズしてるのか? 炬燵なのに……」

「い、いいから助けて……」

「はな、これにお水を汲んでおいて」

視界に入らないがはなさんも居るようだ。

「上野くん、このケーブルをコタツくんのポートに差せるかな」

「で、できます……」

蒲田さんから手渡されたケーブルの先を、コタツの鎖骨にあるポートになんとか差し込んだ。

「よしよし、一瞬重いよ、我慢して」

「え、あ、は、ぐえッ!?」

蒲田さんがノートPCを操作すると、コタツは突然全身の力を抜いてのし掛かった。

「た、助かった……」

恐らく関節を動作させるジョブがエラーで固まっていたのをリセットしたのだろう。
うつ伏せに横たわるコタツから這い出した時には蒸気と汗でグショグショになっていた。

「一体何が起きたの?」

「……わかんないです」

嘘をついた。

「店長はい、あ、上野さんこんばんは」

「あ、はい、こんばんは、汚い部屋ですみません!」

相手がはなさんなので何も心配要らない筈なのに何故か萎縮してしまった。
その横で蒲田さんはぐったりと横たわるコタツを裏返し、自作感あふれるまるで点滴のような用具に繋がるホースをコタツの口に差し入れていた。

「これで補水できるから、オーバーヒートは大丈夫。コタツくんしばらく加湿器になっちゃうけど……」

「うへぇ……なんか流石って感じですね」

「経験ないわけじゃないからね」

その言葉に、無意識にも水を差しだしてくれたはなさんを見てしまった。

「……本気で理解が及ばない時、さすがのドロイドでも演算に時間がかかって“考え込む”ことがあるんだ。デシデラータ導入機は、参照できる情報が少ないから特にね」

「覚えてます、すずちゃんの時です」

微笑みながらはなさんが口を挟んだ。

「……すずちゃん?」

「店の前でね、怪我をした子猫を保護したことがあって。ちいさくて白かったから、はなが鈴蘭という名前をつけた。だからすずちゃん」

「……怪我、治らなかったんです。病院ですずちゃん、お星さまになりました」

その言葉が突き刺さった。

「はながその時止まってしまってね。今のコタツくんみたいになってしまった」

「……ごめんなさい、なんだか」

「ううん、生きてるから、しょうがないことです」

はなさんは笑った。

「……機材的なことをいえば、ドロイドコアは演算の時結構な熱を出す。スパコンを参照させるときはそんなでもないけど、リアルタイム演算しながらだとどうしてもね」

「それがコタツが熱い理由?」

「うん、その上、スキンが毛皮だしね……熱がこもりやすいのは事実だろうね」

蒲田さんの顔が曇っている。
その理由が僕にはわかる。
だから、僕が責任を持って、問いかけなければいけない。

「……熱暴走が、コタツの止まった直接の理由じゃないですよね」

「……うん、そうだね」

蒲田さんはうなづいた。

「コタツくんは、ダウンしたわけじゃないんだ。今もきっと、演算を繰り返している」

「演算?」

「猫が死んだとき、はなが止まったって言ったろう? はなはそのことがショックでダウンしたわけじゃない。その事実を必死に受け止めようとしてたんだ」

はなさんは頷いた。

「わたし、すずちゃんがお星様になった意味がわからなかったんです。だって、すずちゃんは生まれてきたばかりなのに」

「はな」

「……お話していいですか?」

蒲田さんは止めようとしたが、僕ははなさんに促されるまま頷いた。

「……すずちゃん、生まれてきたばかりで、おばあちゃんにもなってないのに、お星様になりました。その意味がわからなかったんです」

「意味?」

「すずちゃんが生まれてきた意味です」

直接的な言葉だった。

「とっても時間がかかりました。でも、考えました。考えるのをやめたら、すずちゃんが生まれてきた意味がなくなっちゃうんです……わたしの生まれてきた意味も」

「そこまで思いつめてたの!?」

「そうですよ」

驚く蒲田さんにはなさんはちょっとムッとして応えた。

「……でもね、わたしわかりました。生まれてくる理由が、本当はないんです。だれでも」

「えっ」

「でも、生まれてきた理由は、必ずあるんです。生きていた長さは関係ないんです。すずちゃんはわたしにその答えをくれるために、生まれてきたんです。きっと」

「……」

「理由はあとから出来ます。理由を作るために、みんな生まれてくるんです」

生まれてきた理由を作るために、人は生きる。
それがドロイド、はなさんの哲学の答えだった。

「……きっとわたし、すずちゃんを通して、わたしが生まれてきた理由を考えてたんだと思います。もう大丈夫です」

「……それでお前は5日も起きなかったんだな」

「はい」

蒲田さんも初耳だったようだ。

あるいは、その答えから目を背けていたのかもしれない。

「……何があったかは聞かないよ、でも、いま、コタツくんは、そういうようなことを必死に受け止めるために演算を行ってる」

「5日後に目覚めるんでしょうか」

「わからない、少なくとも答えが出るまでは、このままだ。それまで電源は落とせない……システム破損の恐れがあるからね」

「……」

眠るように横たわるコタツを一瞥した。

補水されて冷却が進んだからなのか、呼吸はだいぶ落ち着いていた。



「……とりあえず、出来ることはやったかな」

「すみません夜分遅く……」

「いや、いいよ、僕もなんか……救われた気持ちだ」

蒲田さんはそう言って笑った。

「なにかあったら連絡して」

「はい」

二人を見送るときに自分のひどい格好に気づく。
緊急事態だったということで何とか……

「……」

「はな、行くよ。心配ないよ」

「はい……」

玄関先でなぜかはなさんがまごついていた。

「……はな?」

「はい、いきます。上野さん、またお店に来てくださいね」

「あ、はい……」

少し気になるところがありつつも、二人は帰って行った。

「……」

そして部屋が静かになった。

「……コタツ……」

その時、聞きなれない電子音が部屋に響いた。

「……ん?」

いや、思い起こせば、聞き覚えがある。

コタツのタブレット。

「……はなさん?」

コタツのタブレットの画面には、メッセンジャークライアントが立ち上がっている。
電子音の正体はメッセージの受信音だった。



【はな】
上野さん、ごめんなさい。
コタツさんが止まってしまったのは、たぶん、わたしのせいなんです。



ダイスケをみてると、変になる。

コタツからはなさんへ送信されたメッセージはそこから始まっていた。
はなさんのカフェへコタツを連れて何度かお邪魔したことがあったが、そのどこかでメッセンジャーのアドレスを交換していたらしい。
メッセンジャー自体はコタツとはなさんの頭の中でのやりとりになるので、そのログを圧縮してはなさんがタブレットに送ってくれたのだ。
玄関先でまごついていたのは、これをタブレットに送信するためだったらしい。

相談を受けたはなさんは、一つの可能性を示唆していた。



コタツさん、きっと、上野さんが好きなのよ。



はなさんも、蒲田さんのことが好きだと言った。
お花と、盆栽と、おなじくらい大好きだと言った。
もしかしたら、一番好きかも知れないとも言っていた。

でも、それを言ってしまって、蒲田さんが困るのも一番わかっていた。

ドロイドと、人間の関係は、むずかしい。

むずかしいから、下手に問題を解こうとすると壊してしまうかもしれない。

はなさんも恐れていた。

だからずっと黙っていた。

そしてずっと黙っていくつもりだった。

コタツには、それがむずかしかった。



はなさんの入れ知恵なのか、コタツのタブレットには、何本かの古典的恋愛アニメ、それに埋もれるようにちょっとした成人向けコンテンツ動画が入っていた。
これがクレジットカード請求の正体だった。

人を好きになるということがどういうことなのか。
おそらくコタツはその検索結果としてこれらの映像を観て学習したのだろう。

でも、それら大衆向けの恋愛アニメなんて、大抵が妄想だ。
最後主人公は結ばれる。
コタツの中で人を好きになることは、これで帰結するものになっていたはずだ。

それは、否定された。

僕によって。



無論それがいいことのわけがない。
結ばれるのが恋愛というわけじゃない。

そもそも、なぜ、コタツは僕のことを、好きになってしまったのだろう。

そうならないように、していたつもりだったのに。

コタツを苦しめてしまうから。

僕が、苦しむから。



コタツは、動かない。

カーテンのむこうが青く光っていても、動かない。

青い光がだんだん白んできても、動かない。



会社には、熱が出たと言って一日だけ休みをもらった。

それほど大きくない仕事しか抱えていないことが幸いした。

電話を切って、コタツの方に向き返った。

コタツは動かなかった。



やがて胸が苦しくなって、涙は目からあふれ出した。

体を支えていることすらできなくなって、コタツの胸板に伏して泣きじゃくった。

その大きな手が慰めてくれることを切に願った。

コタツは動かなかった。



そうして一日が過ぎた。

コタツのそばを離れることができなかった。

それでもコタツは動かなかった。

けれど、暖かかった。



こんなにも、コタツが好きだったのに。

こんなにも、コタツは僕を想っていたのに。

どうして、こうなってしまったんだろう。

どうして、拒んでしまったんだろう。



はじめ、僕はコタツを理想の恋人として作った。

これはエゴだ、僕はそう思った。

だから僕は、コタツが僕の思い通りにならないように作った。



そして、コタツは自分の存在について困惑した。

そのように僕がコタツを作ったからだ。

それは僕のエゴのせいだ。



次第に僕は自分の思う通りにコタツが育っていることに安堵していた。

これこそがエゴだ。

なのに、コタツは……



「コタツ」



「……ごめんね」



二日目。

仕事から帰ってきた。

コタツは動かなかった。

僕は泣いた。



三日目。

仕事から帰ってきた。

コタツは動かなかった。

僕はただコタツを見つめていた。



四日目。

貧血で倒れ早退してきた。

コタツは動かなかった。

僕は泣いた。



五日目。

休日だがどこにも行かなかった。

コタツは動かなかった。

涙すら流れなくなった。



六日目。

コタツは動かなかった。



七日目。

上司に体調を心配されたが、家族のトラブルで最近寝ていないだけだと伝えた。
会社は心配ないからと、その場で3日間の有給を取らされてしまった。

帰り際、トイレで自分の顔の酷さを見た。
鏡を見るのも一週間ぶりだった。
この顔じゃあしょうがないと、水で顔を洗って退社した。

帰宅して、コタツにただいまを言った。

コタツは動かなかった。

スーツを脱ぎ、そのままの格好でコタツの隣に横たわった。

暖かかった。



腹が減っていたが、そこを動く気になれなかった。

このまま死ぬのかな。
そう思った。

コタツが目を覚ました時、僕はもう目を覚まさないかもしれない。

それはかわいそうだった。

「……」

そう思えば食欲も出てきた。

自分のために何かをしようと思うのはもうやめた。

コタツのためだけに生きていこうと思った。

断罪のつもりだった。



エゴだな、これも。



なんだか、むなしくなった。



コンビニに行くために服を着た。

そしてカレンダーを見た。

今日の日付には丸印がついていた。

「……」

そして僕はコタツに歩み寄って膝を突き、その胸に顔をうずめた。



「おい、コタツ……」

コタツは動かなかった。

「おまえ、今日が何の日か知ってて、そうやってずっと寝てんのかよ」

コタツは動かなかった。

「……今日は、お前の、誕生日だぞ」

コタツは動かなかった。

「……なのに、さあ……」

コタツは動かなかった。

「……なのに……」

コタツは動かなかった。

……いや。

「……?」

顔に、大きな、暖かな、手が触れた。

「こ、た……」

僕が身を離すと同時に、コタツは静かに上体を起こした。



「おはようございます」



向き返ったコタツは満面の笑みでそう言った。



「……」

「わたしは[      ]です。これから先、末長くよろしくお願いいたします、マスター」

はきはきと明朗に、起き上ったドロイドは笑顔であいさつした。

「こ、たつ……?」

「申し訳ございません、コマンドがうまく聞き取れませんでした。もう一度お願いいたします」

申し訳なさそうにドロイドは詫びた。

「コタツ……」

「申し訳ございません、コマンドがうまく聞き取れませんでした。もう一度お願いいたします」

「そ、んな」

手が震えた。

声も震えた。

激しい動悸で胸が痛くなった。

次第に喉まで乾いてきた。




コタツじゃ、ない。




「待機モードに入ります。何かありましたらお声掛けください」

コタツは、いや、コタツだったドロイドは笑顔でそのまま座っていた。

「……」

……初期化されている?

嘘だ。

そんなのは、嘘だ。

「……あの……」

「はい、マスター」

「……コンビニに行ってくる」

「はい、いってらっしゃいませ」

回転性の目眩の中で、僕は足をもつれさせながら“彼”の前から逃げ出した。

嘘だ。

嘘だ。

そんなのは、嘘だ。

階段を踏み外してしゃがみこみながら、何度もそう頭の中で繰り返した。

それから、涙が溢れてきた。



気づけば小雨が降りだしていた。
傘も差さずに歩いていた。
未だ家には帰れない。
コタツの顔を見ることが出来ない。

ただ公園のベンチに座っていることしか出来なかった。
目の前の現実に向き合うことが出来なかった。

ふと徐に携帯を取りだし、蒲田さんに発信した。

『もしもし、上野くん?』

「……はい」

『コタツくん、起きた?』

「……はい」

『そっかあ、良かったじゃ……』

「あのッ」

絞り出すように言葉を遮った。

「……ドロイドが、自分をフォーマットすることって、ありますか」

『……』

しばらく、辺りは雨のノイズに包まれた。

『無いっちゃあ、無い。ユーザーコマンドを入力しないといけないし、リカバリディスクも必要になるしね』

「そ、そう、ですか」

『ただし』

緊張に唾を飲む。

『一部の海外メーカーのコアには、パーテーション分けされた領域内にリカバリデータが記録されている場合がある。その場合、フェイタルエラーがあったときに再セットアップを自動で行うのも稀にあるから……』

「え……」

『可能性はゼロに近いが、ゼロじゃない』

蒲田さんは言い切った。

『……コタツくん、様子がおかしいんだね』

「……なんだか……普通のドロイドのデフォルト仕様みたいになっちゃいました……」

『はなには無かった症例だな、見てみないことには……でもなあ』

「蒲田さん、僕は……」

『……なんとか、なるよ。記憶だけは、キャリアのサーバーに残るだろうし……』

「……ほんとですか」

『とはいえ、正規のファームウェアをいれてないから、サポートは受けられない……知り合いにハッカー……居ないよねえ』

「……そう、ですか」

『……ごめんね……なにか進展あれば、連絡して』

「ううん……いいんです……有り難うございます」

電話を切った。

それからまた、涙が溢れだしてきた。

幸いにも雨が強まってきた。

涙は雨に紛れてわからなくなった。




「マスター」

その声に慌てて顔を上げる。

「……コタツ……?」

僕の上着を羽織り、ちゃんとしたよそ行きの服を着て、傘を差したコタツが、笑顔で立っていた。

「……どうして……」

「財布、お忘れですよ」

その手には確かに、僕の財布が握られていた。

「……そうか、そうだよね……コンビ二行くのに、財布忘れるなんて……」

「……」

「僕は、ばかだなあ……」

「……」

「本当に、ばかだなあ……」

コタツは何も言わずに、ただ目の前に立ち尽くしている。

「……この場所……」

「はい」

「この場所を、覚えてる?」

「……いいえ」

「……そう、なら、いいんだ」

僕はそう言って、無理矢理笑った。

「……ねえ、抱き締めて」

「ここでですか」

「うん、ここで」

少し戸惑ったようなそぶりの後、小綺麗に着飾ったコタツは、二、三歩近づいてなんの疑いもなく片手で僕を抱き寄せた。

「……あったかいな、お前は」

堰を切るように嗚咽が溢れだした。

「……あったかいな……」

うわ言のように、その言葉が溢れだす。

「……」

僕を抱いた虎獣人ドロイドは、戸惑い顔のまま、立ち尽くしていた。

「……ちくしょう……」

「……マスター……?」

「なんで、こんなに、あったかいんだよ……」



何気なく呟いた言葉に、ドロイドは答えた。



「おれは、コタツだから……」



ビニール傘が、水溜まりに転げた。

丸太のような腕が、僕を強く抱き締めた。

雨と混じった暖かな涙が、彼の目から僕の頬へと降り注いだ。

「……ダイ、スケ」

「……コタツ……!」

その言葉に応えるように、僕はコタツの太い胴を力一杯抱き締めた。

「馬鹿野郎! 馬鹿野郎! 馬鹿野郎!」

何度も、何度も繰り返した。

「ダイスケがッ! ダイスケがッ、むずかしいからッ!」

何度も、何度も応じ返した。

そして声はだんだん言葉にならなくなって。

嗚咽から、笑い声に変わっていった。

街灯に雨粒と、コタツの肩から立ち上る湯気とが、銀色に光っていた。

それが何より美しかった。



「……コタツ」

「おう」

「かぜ、ひきそうだ」

「おう」

「あったかくしてくれ」

冷え切った僕を背負って歩くコタツに徐に吹っ掛けた。

「もう、あったかいだろ?」

「う、うん」

「おれは、コタツだからな」

そう答えたコタツの言葉には、妙な自信に満ちていた。

「……心配したんだぞ」

「うん、悪ィ」

のっしのっしと歩く足を止めないまま、コタツはそう答えた。

「……止まってたこと、わかるのか?」

「なんとなく」

コタツの首に腕を回す。

「……ごめん」

「……おう」

「……」

「……おれも、ごめん」

うまく会話にならないまま、それでも気持ちは通じあった。

「あのさ」

「おう」

「なにがいい?」

「なにが?」

「誕生日プレゼント」

徐な問いかけに、見なくてもコタツがへの字口を曲げて困惑しているのが簡単に想像できた。

「だ」

「“ダイスケ”はダメ」

「なんで!?」

不服そうに声を上げる。

「……もう、あげたから」



結局翌日39度2分の高熱を出し会社は休まざるを得なかった。
せっかく三連休をもらっているので、今日中にしっかり風邪を直して、明日はコタツの誕生日を祝ってやることにしよう。

コタツが目を覚ました理由はもう聞かなかった。
答えが出たんだろう。
それは僕も同じことだ。



生まれてきたことには意味がある。

でもそれが生まれてくる理由じゃない。

新しく生まれてきたブランクの人生に、一つ一つなにかを書き込んではじめて意味を持つ。

だから生み出すことに理由は要らない。

生まれた理由は結局後から作られていく。

僕たちはそうして出会った。



結局、それを作るもの、それを所持するもの、共にエゴがあるのだ。
そのエゴを満たすために僕らは買い、作り、求める。
それは、生まれてきたブランクの人生に“価値”を書き込んでいく行為なんだろう。
額面だけではない、人生の満足度を。

きっと僕はそのために生まれ、コタツを作り、そしてコタツも、自分の人生を満たすために僕を求めた。

そのために生まれたんじゃない。

生まれてからそうなった。

そしてそうなった先の未来が幸福であることが、さらなる僕らの“価値”へと繋がっていく。



コタツのささやかな誕生日会からしばらく過ぎたころ、蒲田さんとはなさんの小さな挙式がカフェで行われるとの知らせが届いた。
幸せそうに並ぶ二人の愛らしい写真に、ほんのちょっとだけ嫉妬心が浮かんだ。

「……ダイスケ」

「挙式の予定は未定ですよ」

図星だったようでコタツはハの字眉になった。

「……ダイスケは、むずかしい」

「お前も十分むずかしいよ」

僕はそう言って肩に顎をのせるコタツの頬に口づけした。



デシデラータ。

それは恐らく、叶わぬ願い。

だからこそ望み、だからこそ願う。

その切なる願いを望むが故に、

僕らは“未来”を“自作”していく。



自作派のデシデラータ04:故障かな?と思ったら>>>END】



最終更新:2019年10月05日 11:25