冬眠警報の鳴る朝

「……あ、おつかれさまです……」

「……」

先輩は上の空だった。
とは言え、声をかけた自分だって、あまりの寒さに脳が凍っているのか思考が纏まらない。
街行く人々もまるで宇宙服のように防寒着を重ね着し、ぼんやりと歩いている。

「……暖かいもの、何か飲みますか」

「……」

ましてや、熊属の先輩には今朝の冷え込みは厳しいだろう。
熊と言うのは冬季から春にかけては巣穴に潜り込んで冬眠する生き物の筈だからだ。
僕は凍える指で自販機のボタンを押し、暖かなシナモンティーのボトルを先輩に握らせる。

「……んはっ、お前か……」

「大丈夫です? 今カンッペキに凍ってましたよ」

「あ……まじか……今日ヤバかったからな……」

そう鼻を啜りつつ、先輩はボトルの蓋に手をかける。

「……あ、これお前のか、悪ィ……」

「いいですよ、先輩が凍死するよりかは」

「助かる、あとで小銭返すよ」

シナモンティーを一口煽ると、先輩はようやく目付きがはっきりしてきたようだ。

「本当は有給とろうかと思ってたんだけど、一件先伸ばしにしたくないのがあるから……」

「大丈夫です? 今日あたり“警報”出そうですけど」 

「出てくれたら却って助かるんだけどね……」

そう呟いた矢先、互いのスマートフォンが同時に“注意報”の受信を知らせる。

「うわっ、“冬眠注意報”来ましたよ、先輩、歩けますか?」

「大丈夫、近くのシェルターは……」

スマートフォンの画面から、最寄りのシェルターの場所を探し出す。

「げ、駅前の第二か……混みそうだなぁ」

「そんなこと言ってる場合じゃないですよ、すぐ戻りましょう」

僕は先輩の腕を掴んで来た道を戻り出す。
周囲の人々も、慌てて元来た道を引き返し始めた様子だった。

今年になって突然襲ってきた寒波は異常なもので、夏の最高気温が18度という信じがたい現象が起こっていた。
爬虫類属をはじめとする変温系の人々は真っ先に体調を崩し、秋口には熊属などの冬眠をする人々が、うっかり屋外で冬眠に入ってしまい、そのまま凍死する事例も相次いでいる。
政府は慌てて各所の雑居ビルを買い取って「冬眠シェルター」に改造し、急激に気温が下がった時に備えて避難訓練も繰り返してきた。

冬眠警報の発令は今年に入ってもう四度目になる。
先輩は早くも瞼が重くうとうとし始めている。危険な兆候だ。

「……っ」

……ウー……

乾いた空気のなか、重苦しく真っ白に凍った空を割くように、サイレンの音が響き渡る。
あと30分以内に、寒波が押し寄せてくるのだ。

「先輩、あとちょっとです、頑張ってください」

「……」

先輩はぼんやりと頷いた。

「……うわ、やっぱり混んでる……!」

シェルターの受け付けでは、がっつりと空調服に身を包んだ職員が大慌てで応対を行っていた。

「すみません、熊属が居るんですが空いてますか!?」

「お待ちください、確認します──2名分1ブースで宜しければご案内できます」

「お願いします!」

「503ブースへどうぞ」

慣れた職員で助かった。
先輩の背を押して、エレベーターで5階に向かう。

防寒シェルターと言ってはいるが、あくまで安全に冬眠状態に入れるように用意されたカプセルホテルのようなものだ。
寒波が来てしまえば暖房は気休め程度にしか効かないし、先輩はすでに半分夢の世界に行ってしまっている。

「失礼しますよっ……!」

ブースのなかに押し込むが否や、先輩の防寒着やスーツを脱がし、楽な格好にさせて毛布でくるむ。
その矢先、自分でも身震いするような寒気が部屋の中まで入り込んだ。

「ヤバイヤバイ……」

大柄の先輩が横たわり、身動きが取りにくい中、かろうじて自分もスーツを脱いで、ブースの扉を閉じた。

「……ふう……」

気が揺るんだ途端に自分も眠気に襲われる。
あまりの寒さに代謝が落ちれば、どのみちどんな動物でも冬眠はしてしまうのだ。

「……失礼しますよ」

ブースの中のテレビを付ける。
スタッフも冬眠に備えて避難したのか、テレビには寒波の遷移を示す画像とテロップ、そして当たり障りのない環境音楽だけが流れていた。

「こりゃ会社も休みだな……」

そう呟いて、先輩と同じ分厚い毛布へ潜り込んだ。

「……」

先輩はすでに寝息を立てている。

「ふう」

自分もこのまま寝てしまおうと、先輩に背を向けて瞼を閉じた。

「……んっ」

……ふいに、先輩の腕が胸元まで回ってきた。

「暖かい」

「……」

「ありがとう」

小さく呟かれた言葉が、少しだけチクリとする。

「寝たんじゃなかったんですか」

「暖かくなったから」

だがやはり、ぼんやりとした口調で先輩は答えた。

「……」

そして、再び寝息をたて始める。

「……こっちの気も知らないで……」

胸元に回された先輩の手に触れると、その大きな手が自分の手を包み込む。
僕はその暖かさに甘んじて、そのまま再び瞼を閉じた。



このまま世界が凍ってしまったら、ずっと一緒にいられるのかな。
そんなくだらないことを考えることもある。
そしてそのまま氷漬けになって、永遠に触れあったままでいられるのなら。

でも、きっと、春はやってくる。
また、いつもの日々が、戻ってくる。

それでも、春の暖かさより、この手のぬくもりが欲しかった。

……ウー……

寝静まったシェルターに、どこか遠くのサイレンが微かに届く。
微睡みの中で指を絡ませ合い、誰にも言えない想いを慰める。

凍っていく街の中で、ただ、確かにあるぬくもりを、この夢の中に閉じ込めている。



-Have a good dreams-


最終更新:2019年11月24日 01:57