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Haruはあけぼの

春はあけぼの
やうやう白くなりゆく山ぎは
すこしあかりて
紫だちたる雲のほそくたなびきたる

セイ・ショウナゴンなる人物が記したとされるその言葉とともに、スクール・フォーラムに投稿された動画は、なぜか異様にバッシングされていた。

それから間もなくして、投稿者であったID:Haru_0x7E1622A4のポストは一切の検索に引っ掛からなくなった。
なぜHaru_0x7E1622A4のIDをトラッキングしていたのかと訪ねられたら、ただ、当時バッシングを受けていた「彼(彼女かもしれない。どのみち性別はわからない)」の動向に「異様な興味」を抱いていたから、としか答えようがない。
その理由は未だわからないし、そもそも理由などなかったのかもしれない。
同じジャパン・カルチャーの文言で言うのならば、「野次馬」と表現するのが最も近しいだろう。

スクールに通う他の生徒について、名前も顔も、どのみち誰も知りはしない。
限られた生活スペースの中に、ただ顔を合わせるためだけにロビーを設けるのも大変だ。
その上、容姿や声、性差など、自分ではどうしようもない理由によって、何らかのバッシングが発生するのは極力避けるべきとされている。
いわゆる「いじめ」と呼ばれるスクール・バッシングの対策として、今現代のスクールは「なるべく無意味な顔合わせはしないよう最適化されてきたのだ」と、ことあるごとに道徳の授業で説明を受けてきた。
ただ、それでは対人コミュニケーションの教育に差し障るとして、なるべく多くの思考や思想に触れることを目的に、雑談・議論のためのオンライン・フォーラムは広く開かれていた。

事の発端は、議論フォーラムに立てられた一つのスレッドだった。

「フォーラムに使われる、Haru、Yuki、Soraなどの判別子は、一体何に由来するのか」

スクール入学時に割り当てられるフォーラム用のアカウントIDには、ユニーク番号の他、確かにそのような判別子が割り当てられている。
そのような少し調べればわかるような疑問をスレッド化する目的は、大概「知的な暇潰し」だ。
その暇潰しの馴れ合いの中で、ある真面目な生徒が、「ジャパン・カルチャーにおいて、かつての地球上にあったさまざまな自然現象に割り当てられる名詞のようだ」とリプライし、一時期それらの情報についてのやりとりがスレッド上で流行した。

Haru_0x7E1622A4が動画を投稿したのは、そんな流行のピークの合間だった。
地球の地表から撮影されたと思われるその動画は、地表の大きな隆起――「山」の向こうから、太陽が顔を出す瞬間を捉えたもの。
それが、まだ人間が地球表層に生活圏を持っていた頃の映像アーカイブであったなら、後学のために出展元がトラッキング出来るよう関連付けされるはずだが、その動画はポストされたスレッドにのみ情報が紐付けられていた。

つまり、それはHaru_0x7E1622A4が自ら撮影したものではないか。
誰かがその考えに至った途端、Haru_0x7E1622A4は執拗なバッシングに晒され始めた。

地球には、土壌中や空気中に、無数の細菌・ウィルスを保有しており、人類が宇宙に生活の場を移したのは、そのような不衛生な環境下での生活が困難になったからだ、と言うのが共通認識だ。
連日のメディアでは、地表由来の病原体に対して注意するよう繰り返し吹聴されているし、多くの宇宙生活者は地表の不衛生さに嫌悪と恐怖を抱いている。
しかし、地表にはまだ、そのような劣悪な環境で生活している人類も少なからず存在し、細菌やウィルスと共存しているというのも、スクールで教わった事実だった。
Haru_0x7E1622A4も、恐らくはそのような地表生活者だったのだろう。
そうでなければ、オンラインスクールのスレッドに、あのような画像を引用無しで投稿できるはずがない。

実を言えば、Haru_0x7E1622A4がなぜ「地表生活者である」というだけで「いじめ」を受けていたのか、未だにわかっていない。
気づいた時には、Haru_0x7E1622A4は不潔であるだの、宇宙生活者のスクールに相応しくない人材であるだの、誰も知る余地もないはずの「彼(あるいは彼女)」の人物像を否定するためだけの罵詈雑言が列挙されており、一定数の生徒による「不適切な議論」の投票によって当該のスレッドは凍結された。
そして、ID:Haru_0x7E1622A4は、以降いずれのスレッドにも現れなくなったのだ。

このようなスクール・バッシング……「いじめ」は、対策が進んだと教えられた現代であっても、内容に関わらず定期的に発生する。
関与した生徒には保護者へのレポート報告とともに、強制的にフリーレクリエーションタイムを道徳の補習に当てられてしまう。
そして、標的とされたIDは、以降の再発を防止するために新しいものを付与されてそのまま消えてしまうのだと後に知った。
しかし、Haru_0x7E1622A4だった「彼(もしくは彼女)」が居なくなるわけでも、「いじめられた」事実が消えるわけでもない。
Haru_0x7E1622A4は、ただまた別の誰かとして、自分の素性を明かすことなく密やかに過ごしていくのだろう。

――あれから何年も経った今も、消されてしまったはずの例の動画が呼び起こされる。

誰もが知らなかった「Haru=春」と言う現象に関連付けられた、言葉と色彩。

地球大気の屈折と、太陽光の入社角度が創り出す、濃紺から赤色光へのグラデーション。
大気中の水蒸気塊……雲がその合間で紫の色彩を帯びる。
地球公転速度から算出された時刻ではなく、天体の公転・自転、そして星の並びとが産み出す、夜が終わるその瞬間を示す言葉。

――「あけぼの」。

それは、地球と言うただただ巨大な球体とばかり思っていた眼下の天体の表層で起きる出来事にしては、あまりに「美しすぎた」。

……ああ、あれはきっと「嫉妬」に違いない。
地球と月との間隙に閉じ籠った宇宙生活者の、漂白された無菌で清潔な狭い世界では知り得ない、地表で生きる人々だけが見ることを許された、あの特別な景色に対して。
あの画面越しの光景を、未だに鮮明に思い出すだけの「羨望」が、確かに脳裏に焼き付いてしまった。

以来、誰にも気づかれないように、セイ・ショウナゴンのテキストを繰り返し調べている。

春はあけぼの
夏は宵
秋は夕暮れ
冬はつとめて

四季と言う概念、昼と夜の概念、その合間に沸き起こる感情を、宇宙生活者は誰も知らない。
ただ、真空の宇宙に浮かぶ、狭苦しい入れ物のなかに詰め込まれて、互いの顔も知らない相手と不毛な弁論を重ねているだけだ。
Haru_0x7E1622A4は、そんな不毛な弁論を見て、何を思ったのだろう。
そして、何を共有したかったのだろう。



Haru_0x7E1622A4だった「誰か」が生きる、地表を思った。
無菌の筒に閉じ込められた目から見る、巨大な天体。
セイ・ショウナゴンが生きた時代には、到底想像もしなかったであろう視点から、今、地球を眺めている。
なにも変わらない、ただ回るばかりと思っていたその星からの風景は、その瞬間、瞬間で変わることを、Haru_0x7E1622A4は知っていたのだ。

――それが、堪らなく悔しかった。

初めて、施設外活動授業を受ける日。
誰にも内緒で、宇宙服のマルチ固定具に、カメラをぶら下げて真空の世界に出た。
時間帯もちょうど合わせて、薄闇の中の地球を見る。
その輪郭から、眩しい太陽が顔を出す瞬間を待ち構えて。

今はもう春ではないだろうけれど、宇宙から見るこの「あけぼの」を、きっとそこにいる「あなた」に見せてみたい。
そして「あなた」と語り合いたい。

あなたはそれを見て、何を思うのか。
ひどく嫉妬し、気分を害したりするのだろうか。
――それとも。



春はあけぼの
やうやう白くなりゆく山ぎは
すこしあかりて
紫だちたる雲のほそくたなびきたる



―了―
最終更新:2020年07月19日 13:03