查尔斯大厦(チャールズマンション)の七階にアレックス・李(リィ)はひとりで暮らしている。
耐震に問題がある以外は比較的まともな部屋で、トラックの通過の度に揺れるのにも慣れてしまった。
ユニットバスは各部屋にあるが炊事場は共用で、アレックスは一度も使ったことがない。
個人用の小さな冷蔵庫の上には年期の入った電子レンジが鎮座しており、これで十分事は足りている。
部屋の隅でふたつ重なる洒落たレトロ・テレヴィジョンの半分には、どろりと引き伸ばされたような陶酔感に溢れる音楽と共に、ひたすら荒いドットで描かれた熱帯魚が右往左往に泳いでいる。
もう片方は安宿にありがちなアドバタイズ・モニタで、消すことの出来ない広告を延々と垂れ流している。
この広告費のお陰で家賃が安く済むという仕組みらしい。
多くの住民が布でも掛けて隠してしまうようなものだが、アレックスはあえてそのままにしていた。
アレックスは二十五歳になるが、安定した職には未だありつけていない。
二十四時間営業のフレンドリー・ストアで、バラついたシフトに振り回される日々を過ごすしがない青年だった。
お陰で睡眠時間も不安定で、この晩は寝付けないままただ軋むベッドに身を横たえていた。
幸いにも翌日は休みだ。
それに、あと数週間を乗り切ればサイクルが回る。
そのための準備は概ね済ませてあった。
「……」
――胸元の淋しさに、枕を押し付ける。
そこに、自らの姿を投影する。
それを抱く腕には、丸太のように筋肉が発達した屈強な男の腕を投影していた。
それが、アレックス・李の望みだった。
まるで、女の様に、屈強な男に抱かれていたい。
壊れものを守る様に、優しく、力強く。
自分が繊細なものであると言う証明として、アレックスはそれを求めていた。
一方で、自身に投影している姿は屈強な男そのものだ。
その歪んだ認知の中で、アレックスの心は飽くまで押し付けられた枕の側に移っている。
この望みを叶えられる男が現実(Boot)に存在しないために、アレックスはその望みを自ら叶えるほか無かった。
何より、アレックスが望むその男の顔は、人間のそれではないのだから。
インターバースに意識を移した際の肉体(うつわ)となるアバターには、厳格な制限が存在する。
それは、仮想現実にありがちな極端な性的誇張を含んだモディファイが理想郷としての美観を損なうと言う理由が主だ。
無論、そういった個人の理想表現倫理の衝突や、青少年への悪影響を懸念している側面も大きい。
基本的に、現実での姿から大きくかけ離れない程度のアバターがギャップ解消の上でも理想的と言われており、実際に全身スキャニングやAI技術を用いたアンチエイジング・モディファイ程度ならばどこでもサービス価格で受けられる。
だが、一方で現実の姿から大きく“変身”したいという願望も存在するのが事実だ。
所謂“ブートレグ・サーバ”と呼ばれる裏ワールドでは、アバター・データに関して厳格な監視を行っていないのが殆どだ。
とはいえ、プロバイダセンターの職員でもプライバシー保護のため、利用者の明確な接続先やアバター・データの詳細はわからないようになっている。
その点の注意は各サーバ上のセキュリティシステムの裁量に依存している。
ブートレグ・サーバはこの仕様を逆手にとり、どこかの公式サーバへの接続ダイヤルに強制割り込みをかけてアドレスを書き換える。
その点だけを誤魔化せれば、強烈なモディファイを掛けたアバターを使用できる裏ワールドへ自由に行き来が可能になるのだ。
アレックスは次のサイクルの為に、貯金を切り崩してブートレグ・サーバ“万華鏡皇華園(Kaleidoscope Royal Garden)”への裏チケットと、自らの望みを叶えてくれるアバター・データを購入していた。
違法データの飛び交うブートレグ・サーバ群の中にあって、ここは妙にセキュリティがしっかりしており、裏ビジターの中でも評価の高いものだった。
ただ、この“万華鏡皇華園”には、若干オカルトじみた噂が存在する。
それは、このサーバが不足するリソースを補うために、誰かが捨てていった“夢”で出来ている――と言うものだ。
無論、アレックスはこれを、誰かが投棄した個人作成データの流用を詩的に表現したものとして特段信じているわけではない。
それよりも、早く自らの“理想”を手に入れたい。
夢が叶うならば、場所は何処でも良かった。
現実で満たされぬ“愛”を、アレックスは求めていた。
■美邏迷光-Villa Straylight- AM03:08
アレックスは汗でぬらつく身体をそのままベッドに投げ出し、ただ天井をぼんやりと見つめながら下腹部に残る余韻を味わっていた。
牛頭鬼(ミノタウロス)型の屈強な肉体(アバター)はこの界隈では受けが良いようで、隣に寝そべる男も彼の肉体目当てで近づいてきたのは事実だった。
アレックスもそれとわかってこの男と身体を重ね、その体内にしっかりと欲望を吐き捨てた。
なのにアレックスの胸中には、その充足が得られるほど、不思議と空虚な隙間が空いたようなむなしさが込み上げてくる。
少なくとも、現実(Boot)では得ることの叶わなかった充足であるはずなのに。
この場所では、望みが概ね叶うようになっている。
そのための仮想現実(Intervarse)であり、そのためにアレックスはここに居る。
――そのはずなのに。
ただ、どろりと陶酔した音楽だけが、その胸の虚ろを通り過ぎていた。
最終更新:2021年01月07日 03:49