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万華鏡皇華園_06:真夜中の儒勒凡爾納通り

冷える指をジャンパー・コートのポケットに隠して、アレックス・李はひとり、真夜中の商店街を歩く。
左のポケットには、身分証と電子通貨ウォレットを兼ねた彼のプライベート・メディアが入っている。
手慰みにメディアを玩びながら、冬の寒空にただ家路への道を進んでいた。

約束の相手は現れてすぐに消えた。
これで二度目だったのでアレックスはアドレス帳から相手の存在を抹消した。
おそらくは相手も同じことをしたので、二人はまた過ちを侵さなければ会うことも無いだろう。

逢ってみれば何もかもが不一致だった。
それをわかっていて尚、逢おうとしたのはひとえに寂しさ故だったのだろう。
相手に関してはもっとドライだった。
アレックス・李が自分の要求を満たさない相手だと思い出した時点で都合が悪くなったと一言残して去っていった。

アレックスの片道一時間の期待は無為となった。



同性愛は今やあって当然のものとして認知されたが、それ故にかつての時代のようなインスタントな逢瀬は絶滅しつつある。
むしろ“愛”の大名義分のもと神聖視されたそれは異性愛が先立ってそうなったように、新たなビジネスの温床として経済に飲み込まれていった。
プランナーや有料ソーシャルネットワークを介した見合い交際が主流となった今では、過去のようなインスタントな愛は不潔視されている。
それでも潮流からあぶれた者は少なからず存在し、アレックスもそれは同じだった。

はるかな昔には、“愛”は一大エンターテイメントとしてインスタントに消費されてきた。
その中で邪道とされ無視、あるいは見世物として消費されてきた同性愛者は、独自のネットワークを築いて互いの傷を舐めあっていたのだという。
辛うじて揮発を免れたそのような情報に触れたアレックスは、長らくその様なロマンスに憧れていた。

――実際はこの有様だ。



真夜中の景観を飾ってオーディオフォンから流れてくるのは、数年前にアンダーグラウンドで流行した“ハイドリーミー”と呼ばれる粗製ジャンルの一曲だ。
既存のエレベーター・ミュージックや大昔の流行歌を何倍にも遅らせて引き伸ばしただけ、というその粗製の音楽は、深い夢を誘うアンビエント・ドローンという触れ込みで一時期出回ったが、ネタしての薄ら寒さから即座に過去のものになった。

だがアレックスはこれにどこか、万華鏡皇華園で聞こえてくる音楽に親しいものを感じて収集している。
なにより、こういうくだらない音楽を聞いていると、目の前の現実ですらくだらない些末事に感じられた。
まるで覚めない夢の中にいるようだ。
そうであれば、このやるせない思いすらくだらないものとして一蹴できる。

どうせこれもまた夢なのだからと。



――アジアン・アベニューの上空には龍の形に提灯が垂れ下がる。
つけっぱなしの紅い倒福ネオンが街灯の明かりに混じって、龍が火でも吐いたようだった。

ひとり歩きの目に映る光景に、音楽が乗ると不思議とドラマチックに見えるものだ。
そんなペシミスティックな感傷が、ときにアレックスの孤独を癒やすこともある。
だが光景に浸る間もなく、何も知らずにひとりのランナーが汗で肩を輝かせて通り過ぎた。

現実(Boot)ではひとりになることすらも難しい。

諦念を溜息に載せて吐き出した。
そして、着実に近づく“タイムリミット”のことを思い出し、もう一つ溜息を吐き出した。



インターバースへの一時疎開は人間の摩擦をある程度緩和したものの、それでもやはり世界に対して人間は多すぎた。
その中で、最初の施策の段階から検討されてきたもう一つのプランが存在する。

インターバースへの完全移住――人類の“意識体(Imaginoid)化”である。

重度の脳障害や先天性神経疾患について、人間の新陳代謝に便乗しながら正常な働きを再現する人工神経細胞への置換療法が確立され、今や人間の脳は人工物への置き換えが可能となった。
それをさらに推し進め、人間を人間足らしめている“意識”のみを残してその維持を担う組織を全て人工物へ置換し、生老病死に掛かる根本的なコストを削減できないか。
はじめは倫理を逸脱していると批判されたこのプランだが、インターバースという人造の楽園が人々に受け入れられると共に、選択肢として無くはないものとして認知されつつある。

見も蓋もない言い方をすれば、現実にただ老いて病んでいくだけの肉体に掛かる維持コストさえ無くなれば、人類はより自由になれるはずだ。
重度の疾患により植物状態に向かいつつある命に対して行われた実験は成功を収め、同じように若くして失われるいくつもの“可能性”が救われた。
彼ら“意識体”たちがあとどれだけ生きるのか、如何なる死を迎えるのかは、実際まだ解っていない。
だが少なくとも、最初の実験から半世紀が過ぎようとしている今では、“意識体”として第二の生を得ることは一般に“あり得る”ものとして受け入れられている。

そして、世界はそれを推薦し始めた。
大きな疾患が無いことを条件に、満三十五歳までの間に希望すれば、“意識体”化手術の費用を政府が全額負担する施策を投じたのだ。

“意識体”化はそれほど辛いものではない。
被施術者はただ普段と同じようにインターバースに接続して過ごしてさえいればそれで良い。
その間に、微細な機械の群れたちがおおよそ二年の歳月をかけて、被施術者の脳と神経系を人工物へ置き換える。
後は不要となる各部を分解し、よりコンパクトな形にパッケージして、最終的には当人が知らぬ間に宇宙の太陽光発電所に安置される。
まるで芋虫が蛹の中で身体を溶かして蝶に造り変わるかのように、人は人造の蛹に包まれて夢の住人に生まれ変わるのだ。



アレックスは、全てを棄てて夢の住人になろうかと悩んでいた。
それほどに“現実(Boot)”には魅力が無く、未練も無いと考えていた。
だがそれでも、生まれ持った肉体を棄てる、という決心は付けかねた。

ほんとうにそれで後悔は無いのか、と。

――アレックスがインターバースでもどこか満たされない想いを抱いているのは、今回が初めてではない。
なんなら、最初にインターバースから帰ってきたときから、その想いは抱いていた。

全てが上手く行く、そのはずだったのに。

アレックス・李がブートレグ・サーバに傾倒したのもその想いが故だった。
リスクを犯してでも、自分の理想郷が見つかりさえすれば、それでいい。

――そのはずだったのに。



揺頭中心のクルージング・スポットで、初めて牛頭鬼となった己の裸体を鏡で見た時、その変化にアレックスは強い劣情を抱いた。
自らすらも魅力する肉体に、アレックスは酷く興奮し、感情に流されるままに猛る自身と戯れた。
鏡に映るその姿は、正に自分が欲していたそれだった。

やがて、その場に別の男が現れた。
そして、アレックス同様にその肉体に魅力され、劣情に任せて身を絡ませた。

――初めて、相手を下したと感じた。
ただ勝者に良いようにされて棄てられてきた自身に、初めて下る相手が現れたのだと。
その優越感が、アレックスに勝者を演じさせた。
相手もまた、魅惑的な相手に下された事実に酔っている様子だった。

アレックスは、鏡の前で獲物を屠る自身の姿に愉悦を感じた。
望むことは何でも叶った。

――そのはずだったのに。



行為を終え、相手がうっとりと自身を愛撫する姿。
鏡の中にそれを見たアレックスの胸中に、その時初めて“虚しさ”が生じた。

――何故?

その理由は未だに解らない。
自分が求めた通りになったはずなのに、何故こんなに虚しいのか。

以来、アレックスは夢から醒めてしまった。
インターバースという夢の中で、アレックスだけがひとり目覚めているような、疎外感。
求めていた快楽も全て手に入れたはずなのに。
アレックスは、何故か満たされない。

その想いは、男に棄てられ真夜中の通りを往く今この時すら、消えずにまとわりついてくる。
否、消えていないどころか、更に分厚く上塗りされて、アレックスの心を凍えさせる。

――どうせこれもまた幻想(ゆめ)なのだ。

夢の中で夢から醒めてしまったアレックスは、未だに自分の居場所を見つけられないまま、起きたままの夢を見続けている。


最終更新:2021年02月10日 06:22