新年度早々に家が火事だなんて、幸先悪いにも程がある。
IHのコンロは火を使わないから安全だなんて言うのは真っ赤な嘘だ。
現にうちの母さんは最新型のシステムキッチンの使い方もわからないまま、丸ごと全部灰にしてしまったのだから。
燃えてしまったリビングの修理にはまだ数ヶ月かかるらしい。
少なくとも家族全員が火傷もなく、家も全焼は免れたのは不幸中の幸いだったのかもしれないが、修繕工事が終わるまで家族は地方のおばあちゃんの家で過ごすことになった。
とはいえ仕事がある親父と大学を休めない僕は半ば単身赴任状態になっている訳だが。
そして僕は今、片思いの相手とルームシェアで暮らしている。
片思いとは言え、相手は男だ。
ゼミが偶然一緒になったあの日につい一目惚れ。
以来、大学で唯一の友達であるこいつに、一年近く片思いしてることになる。
「コージ、おかわり」
ゴウは僕がつくった飯をほぼ一瞬で平らげてしまった。
元々体育学科で体も動かしているし、結構バイトもヘビーらしく、飯を食べたらすぐ布団に入って寝てしまう。
「ゴウさぁ~、ちゃんと風呂とか入ってんの?」
僕はどんぶりにニ杯目のご飯をよそりながら悪態をついた。
「ん。大学のシャワーで」
無愛想に、と言うか、特に抑揚もなくゴウは答えた。
「……ゴウさ、僕が来るまでどんな生活してたんだよ……心配なんだけど」
ゴウは服や流行りにこれっぽっちの関心も示さない。
服はたった二着のジャージのローテーション。
どちらも汚れたら洗濯するまで出かけない。
だからゴウはなんかいつも男くさい。
臭いというほどではないが、だいたいいつでも男くさい。
まぁ、むしろその程度で済んでいるのが奇跡のような気もするが。
とにかくこいつはいつもおんなじ格好をしている。
ただ、こいつの純朴で飾りっ気がまったくないところが、僕の心を鷲掴みにした。
バイト代も苦労の多いらしい実家に仕送りしているそうで、そんな今時の男子じゃないくらいしっかりした所も好きだ。
純朴で口下手。たまらない。
ゴウには、僕がゲイだと言うのは暮らし始める前から早々にバラしている。
一緒に暮らすに当たって、あとでギクシャクするよりかは最初から話した方が楽だったし、それで嫌だとなれば別の家を探さないといけなかったからだ。
……いや、寧ろ、嫌われて片思いに終止符を打ちたかったというのが本音だったりするのだが。
でも優しいこいつは気にしないと言った。
よくわからないだろうと思って男好きの男なんだぞと釘を打ったが、それでも気にしないとゴウは言った。
……かえって、片思いが辛くなった。
時々ふざけて迫ったりはしているが、だいたい受け流される上、ゴウは色恋沙汰にはまるっきり興味がないと言う。
僕がゴウの事を好きになった一番の理由はこの純朴さに他ならないのだが、それ故にこの恋が実る事は永遠にないのだ。
今の生活に不満が無いと言えば嘘になる。
片思いの相手と一緒に居られるだけで幸せだなんて、とても言えたもんじゃない。
今の関係が壊れてしまうのが先か、僕が壊れてしまうのが先か。
何度夜這いをかけて思いとどまったことか。
一枚しか敷けない布団の中で、ゴウの背中の温もりが伝わってくるのが辛い。
そんな僕の想いもしらないで、このデカブツは幸せそうにイビキをかいている。
それがなんだか悔しくて、僕はその背中に軽く一発頭突きしてから瞼を閉じた。
「えっ、飲み会?」
「ん、だから、今日はメシいいから」
夕飯の買い物をしている最中に、ゴウから電話がかかってきた。
「遅くなるの?」
「ん、たぶん」
「……何時くらい?」
「べ、べつに遅くてもいいだろ、かーちゃんじゃあるまいし」
「そりゃ、そう……だよね、ごめん」
別に僕がゴウを縛る理由なんて存在しなかった。
つい同棲しているような気持ちになることが時々あるが、僕はあくまで一時的な居候、ゴウの恋人じゃない。
ただ、電話の向こうの喧騒からたまに聞こえる女の声が、少しだけ不安感を呼び起こした。
カゴに入れていた二人分の食材を半分売り場に戻しながら、自分の思考に呆れていた。
そもそも、ゴウにとってはちゃんとしたお嫁さんを貰って、子供を授かって家庭を築くほうが幸せなのだ。
あの洒落っ気なにひとつないゴウに、合コンで声がかかるのなら喜ばしいことじゃないか。
そのほうが、しあわせなんだ。
食欲の無くなった僕は何も買わずにスーパーから自宅へ直帰した。
自宅……じゃなかった。ここはゴウの家だ。
また自分に良いような解釈をしてしまった。
いつもなら別に大したことじゃなかったが、今日はひどく落ち込んでいた。
なんだか、バカバカしいな。
ただの片思いなのに、一人で落ち込んでる。
別にゴウのせいじゃない。ただ、一人で凹んでいるだけなんだ。
気持ちを切り替えようと思って、僕はゴウが食い散らかしたままになっていた朝食の食器をまとめて流し台に突っ込んだ。
本当にあいつは僕が居なかったらどんな生活してたんだろう。
でも、そんな母性(?)くすぐるあたりがあいつの魅力なんだろうな。
……そんな風に思う優しい女の子は、合コンなんかには来ないよね……きっと。
スポンジを握る手が止まる。
かわいい女の子と腕組んで歩くゴウの姿が脳裏に浮かぶ。
ああ、今、どんな顔してるんだろう。
なんとか食器洗いをやっつけると、何もする気が起きなくなってそのまま敷きっぱなしの布団に倒れ込んだ。
このままゴウが帰ってくるまで寝てしまおう。
ゴウは酒に強いから、多分大丈夫だろう。
でも酷く酔っぱらってたらいけないから、ちゃんと寝付くまで看てやらないと。
そう思って僕は瞼を閉じた。
それから二時間経っても未だに寝付けない。
なんだか身体がそわそわする。
ああ、わかった。
なんだか布団が広いんだ。
いつもはあのデカブツが隣に寝てるから、寝返りも打てないくらい狭いのに。
本当は寝苦しいはずなのに、それでもぐっすり眠れたのはあいつがそばに居てくれたからなんだ。
二人でいる時間のなかで、唯一密着できる時間だったから。
それに、なぜかゴウのにおいがしない。
布団からも、枕からも、あの男くさいにおいがしない。
ああそうだ。
朝、除菌スプレーを撒いたんだった。
しばらく布団が干せないからって一昨日買ってきたんだっけ。
よりにもよって最悪のタイミングだ。
あのにおいがしなくて酷く落ち着かない。
そういえば、洗濯してないジャージがあったかもしれない。
今日は綺麗なジャージを着ていったから、まだ洗濯機の中にあるはずだ。
思いつくと同時に僕は洗濯機の扉を開いた。
そのとたん、全自動乾燥特有のムワッとした熱気と共に、洗剤のフローラルな香りが僕の顔を撫でていった。
やっぱり最新式の家電にはロクなものはない。
それに甘んじて習慣化してしまった自分の行動も。
僕はこの部屋にゴウが居た形跡を、綺麗さっぱり片付けてしまった。
ここはゴウの居場所なのに。
ゴウの側が僕の居場所なのに。
……やっぱり僕はゴウにとってお荷物なんじゃなかろうか。
良かれと思ってやったことが、この部屋からゴウを消し去ってしまった。
なんだか酷く切なくなって、洗濯機から引っ張り出したゴウのジャージを抱きしめた。
あんなにボリュームのある身体なのに、それを包んでいたのはたったこれっぽっちの布でしかなかったんだ。
それでは飽きたらずに、ジャージの上下を布団に広げて、その隣に寝そべってみた。
いつも背中を向けてて解らなかったけど、一緒に寝そべるとかなり身長差があった。
ズボンなんて僕が履いたら間違いなく裾を引きずってしまうだろう。
でも、こんな大きな身体で抱きしめてくれたらな。
エッチなんてできなくていい。
ただ、こうやって腕枕してくれたら、それでいいのに。
本当は、ゴウのジャージ姿が好きだ。
どんな服より、ゴウにはジャージが良く似合う。
この飾りっ気のなさがゴウの素朴さと合わさって、男らしさを際立てる。
ジャージ姿のゴウの腕に抱かれて、分厚い胸板に顔を埋めたい。
きっと胸板の弾力と、ジャージの滑らかな触感で夢見心地なんだろうな。
ゴウの身体のかたちが時々ジャージの光沢で強調されると、本当にかっこよく見える。
ゴウは中身はヘタレだけど、すごくかっこいい。
本当に僕はゴウに惚れてるんだな。
どんなにダメで、ヘタレで、洒落っ気が無くても。
いや、ゴウのそこが好きなんだ。
だけど……
男のにおいで目が覚めた。
「……あれ」
気がつけば、僕の身体には赤いジャージの上が掛け布団替わりにかけられていた。
ゴウが朝着ていった方だ。
「起きたか」
Tシャツ姿のゴウが、そこに座っていた。
「……帰ってたの?」
「ん……結局、行かなかった」
「へ?」
「汗くさいって言われて、気になっちまって」
恥ずかしそうに、ゴウは口をへの字に歪めたまま頭を掻いた。
「……で、なんでジャージ掛けてくれたの?」
「外寒かったから、冷えるかなと思って」
「……だったら布団掛けてくれたらよかったのに」
その一言でゴウは何かに気づいたような顔をした。
ダメダメだ……
「……ったく……」
「ん?」
「散々心配させて……帰ってくるなら……電話くらい……」
「お、おい……」
もう、止まらなかった。
「うわぁあああああぁぁぁん!!」
僕はゴウに飛びつくと、太い首にしがみついて大声で泣いた。
ゴウは戸惑ったまま、ただじっと動かなかった。
「コージ……」
「ばかっ……ごうのっ……バカやろぉ……ぅう……っ」
とにかく、止まらなかった。
まるで決壊したダムみたいに、次から次に涙と嗚咽が溢れ出した。
「……」
ゴウは困ったように動かなかったが、しばらくするとそっと僕の頭に大きな手を乗せた。
「……気づいてたんだ」
「……えっ」
「コージが、俺のこと、好きなんじゃないかって」
「……」
「……だから、帰ってきた」
「……ゴウ……?」
「俺は男好きじゃないけど、好きだって言ってくれて、悪い気はしねぇよ」
ゴウは膝の上のジャージを手に取ると、そっと僕の肩に掛けた。
「……ただ、どう接したらいいのか、わかんねぇんだ」
ゴウの顔は優しかった。
「……コージの口から、聴いてみたいな。お前のきもち」
その一言でまた涙が溢れ出した。
嗚咽が喉につっかえて、上手く声が出せない。
「……ぇっ、うぅ……っ、ごぅう……っ」
「おう」
「ひぐっ……しゅ……っ……ひゅひっ……」
「……おう」
「……ごぅのこと……すきっ……」
「おう……」
泣きじゃくる僕を、ゴウはしっかりと抱き寄せた。
その後大泣きしたせいで、どうなったかは覚えていない。
「……ぁ」
明るい日差しで目が覚めた。
朝ご飯作らないと……
「んっ」
気づけば肩に、赤いジャージが絡みついていた。
夢か。
そう思って起き上がろうとした瞬間だった。
「今日、土曜だぞ」
そう言ったのはゴウだった。
「まだ……起きなくていい」
ゴウはそう言うと、僕の肩を抱き寄せた。
「ゴウ……?」
「もうちょっと、こうしてたいんだ」
ゴウはそう言って笑みを浮かべると、僕の額に顎を乗せた。
ゴウの胸板に顔を埋めたまま、僕は状況が良く理解できずにいた。
「……夢じゃなかったんだ」
「あの後、泣き疲れて寝ちまったからな……」
「ごめん」
「なにが」
「好きで」
「言ったろ……悪い気はしねぇって」
ゴウが僕の頭を撫でる。
「俺も、コージの事……好きになれるかな……」
その一言でまた涙があふれそうなのをぐっと堪えて、僕はゴウの背中をぎゅっと抱きしめた。
まだキスも出来ない関係だけど、僕はほんの少しだけ、ゴウの近くに行けた気がした。
-END-
最終更新:2010年04月16日 04:02