アットウィキロゴ

TOKYO DYSTOPIA 02:-食肉工場-

社会科見学で豊洲の食肉工場を観たのはもう20年も前のことだった。
前後の記憶はもう定かではないが、全身真っ白の服を着せられた十数人のクラスメートと共に息も出来ないほど強烈なエアシャワーを浴びたあと、自動扉の向こうに広がる光景を目にした瞬間は今でも鮮明に思い出せる。
蛍光灯の緑味を帯びた光に照らされ、その部屋はどことなく医療施設を連想させた。

内部には均等に円筒形のシリンダーが並び、ガラスの中には狭苦しそうに一頭の牛が溶液に漬けられている。

否、よくよく見れば牛ではない。

その牛にはまず頭が無かった。
本来頭があるべき場所は最初からそうであったかのように何も無く、首から先は切り落とされたかのように平坦で、つるりとした皮膚に覆われている。
恐らく本来は食道と思われる場所には人工の管がねじ込まれ、頚椎らしき少し膨らんだ部分には二本のコードが繋がっている。

「ここでは牛肉を製造しています」

係員の女性がにこやかに言った。

やはりこの溶液に浸かる首無しの牛は牛であるらしい。
しかし図鑑で見たようなあの牛とは似ても似つかぬその姿にはクラスメートも言葉を失っていた。

「ご覧の通り、これには頭がありません」

係員の女性が続ける。

「生物の頭部には通常“脳”があり、生物の思考を司っております。今から七年前、動物愛護団体による政治的活動の結果、脳を有する生物を食用肉として加工することは法律により禁止されることとなりました」

細部を見れば見るほど、それは“牛”として記憶されているものからはより一層かけ離れていった。

まず足先が無かった。
同じ様に尾も無く、恐らく食用に適さない部分は最初から存在しないのだろう。
また全体的に体毛が無く、真っ白な皮膚の下に生々しく血管が透けていた。
その牛を模したおぞましい異形は、ガラス製のシリンダーの中で不規則に手羽先のような四肢をビクリと痙攣させているのだった。

「これは、生物のクローニングに関して“中枢神経系のうち、脳として機能する部位が存在しないものに限りヒトを含む生物一般の商用クローニングを許可する”という法律の成立を受けて決議されたもので、脳の無いクローン牛は食用にしても良いという法律に乗っ取り、この様な製造方法になったのです」

生徒のひとりが手を挙げた。

「じゃあこれは牛じゃないってことですか?」

「そうです」

係員は笑顔で答えた。

「これは牛ではなく、牛の細胞からクローニングした加工前の食用牛肉ということになります。生物学的には牛の亜種となります」

「じゃあ、これは生き物なの?」

別の女子生徒が訪ねた。

「医学的見地では生き物ではありません。脳死状態ってニュースでよく聞きますよね? 脳が無いので、状態としてはそれと同じことです」

簡単に言うなれば、脳死状態の牛の食道に無理やり流動食を流し込み、中枢神経系に電気的刺激を与えて肉体は生かし続けながら、時折運動神経を刺激して可食部、即ち筋肉を増やしているという寸法だ。
贅肉しかない食用肉は不味いからだ。

「皆さんが普段食べている牛丼やステーキ、ハンバーガーのお肉も全てこの状態から解体されて作られています。次の部屋ではその工程をご説明します」

その後の記憶は僕には無かった。
その場で気絶して医務室に運ばれ、そのまま帰宅してしまったからだ。



その僕が今、特許庁の審査員としてまた同じ豊洲の食肉工場を訪れる羽目になるとは。

真っ白な割烹着に似た服をスーツの上から纏わされ、息も出来ないほど強烈なエアシャワーを浴びせられたのは20年前と全く変わらない。

「やあ、待ってたよ」

自動扉の向こうで待ち構えていたのは、同じく白い服に身を包んだ当時のクラスメートだった。



「驚いたよ、君がまさかここの研究主任だったなんて」

「まぁ、いろいろあってね」

彼は脇目も振らず、整列したあの牛肉になる肉塊が入ったシリンダーの間を縫って歩いていく。

「些か困ったことになってね」

「と言うと?」

「併設研究所で新しく立ち上げたあるプロジェクトのパテント(特許)について、前任の研究主任との間で権利関係のトラブルがあってね」

「なるほど、それで僕が呼ばれた訳か」

「ああ、また君の気分を害してしまうだろうがね」

彼はそう言うと、最深部の扉にカードキーを通した。

「そのプロジェクトと言うのは、やはり食肉に関連することなのかい?」

僕の問いかけに彼は振り返らずに答えた。

「いや、医療関連だよ」

扉が開くと、先ほどまでの部屋とは異なった紫色の光が溢れてきた。殺菌効果のある紫外線ランプの光だった。

「……ゥェッ」

その光景に僕の胃が拒絶反応を起こした。

件の肉塊を育てるシリンダーの中に、間違いなく人影を見たのだ。

その人影はこちらに背を向けていたが、間違いなく遺伝子の段階で加工が施されているのが見て取れた。
まず臀部から背筋に添って、魚の切り身のように綺麗に切れ目が入っていた。
切れ目が頭に達すると、それは急激に広がった。
見れば後頭部はまるで花が開いたかのように頭蓋が開かれており、その中は赤黒い空洞が広がっている。

「これを見ればわかるだろう」

彼はそのヒト型を見上げながら眼鏡を押し上げた。

「……移植用の、スペアボディって、やつか」

「そう。これは後に移植“先”になるけど」

この切り開かれた人体は、法律上問題ないように中枢神経系と脳髄が最初から存在しなかった。
彼の説明によれば、クライアントから提供を受けた遺伝子からこの脳の無いクローン体を製造し、万が一の時にはクライアントから脳髄を摘出し、こちらの肉体に移し替えるものだと言う。
これで脳及び中枢神経系に問題が無ければ全ての疾病を無かったことにできるという寸法だ。

「しかし、まだこの技術には欠点があるんだ。人工子宮外に出した後での細菌感染率が異常に高くて、とても実用できたものじゃないんだ」

「これ、一体いくらかかるんだい?」

「予定では制作に一億円、維持に年間六百万はかかる予定だ」

それでも既に国会議員を始め何人かはすでに受注を済ませているらしい。

「なる程……なら安全な人工子宮からもう出なけりゃいいじゃないか」

そう言う僕を彼は横目に睨みつけた。

「僕らとしては早々に実用化したいんだが、前任者が病気で一線を退いた今も権利を譲ってくれなくてね、それで開発が滞っているんだ」

「病気?」

「……癌だよ」

彼はヒト型を舐めるように見つめながら答えた。

「全身に転移してね、とても仕事が出来る状態じゃない」

「彼は今どこの病院に?」

「……いるよ、この研究所に」

僕は首をかしげた。



研究施設の最奥に僕は案内された。
そこにはまた、同じ様な人工子宮シリンダーが置かれていた。

「彼だよ」

彼が隣のコンソールを操作すると、シリンダーの中がライトアップされた。

「……見苦しいだろ。人間なんだせ、これで」

僕は既に吐き気を通り越して絶句するだけだった。

人工子宮のなかに浮かぶのは、それこそただの肉塊だった。
黒く膨らんだその塊は既にどこが腕でどこが脚なのかもわからない状態だった。
故に生物的なグロテスクさと言うより、むしろ醜悪な形そのものに酷い嫌悪感を抱いた。

「癌細胞は栄養が与えられ続ける限り、永久に増殖しつづける。彼はそれを利用して、体中の細胞が殆ど癌細胞に置き換わるまで培養しつづけたんだ。おかげで彼は癌に侵されながら栄養が絶たれるまで生き続ける」

頭と思しき部位から頭蓋は取り払われ、クリーム色の歪んだ脳が覗いている。
腫瘍で脳細胞が圧死するのを防いでいるのだ。
それまでして彼はこの研究の権利を渡したくないのだろうか。

「これは彼の命を盾にした脅迫だよ、彼から勝手に権利を奪えば彼の維持する資金が絶たれ、一方で僕らは殺人犯になる」

「……だから法的に彼から権利を取り戻したいと」

「そうだね。一応彼は人間だけど、裁判は出来ないだろうから……だが余計な人間に横盗りされる可能性もあるし」

「……難しい問題だな。一応持ち帰って検討するけど」

「よろしく頼むよ」

そう言うと彼はシリンダーの証明を落とした。



「……彼を人間だと思うか?」

突然彼が切り出した。

「……明言は避けるよ」

ただの肉塊と化しても法的に彼はヒト脳を有する人間だ。
下手に侮辱罪で訴えられるのは困る。

「ただ、ああまでして権利に執着するとは……食用肉の製造で満足できなかったのか?」

「知っての通り、貧困層への無料培養食の提供が始まってから食用肉は贅沢品でね。ならばさらなる贅沢品で儲けるしか他に無かったのさ」

屋上で彼は煙草を薫らせた。

「どうだ、このあと焼き肉でも」

彼が笑顔で言った。
あの頃の係員のような笑顔で。

「生憎僕はベジタリアンなんだ」

「野菜はやめとけ、あれよりももっと酷い製造方法で作ってるんだぞ」

彼が吐いた煙草の煙が東京の灰色の空に溶けていった。



TOKYO DYSTOPIA 02:食肉工場 -END-
最終更新:2010年10月08日 16:46