招きつつ拒むもの―これはダブル・バインドの好意とよばれ、両義性に対する耐性の低い分裂病者にとって最も病因的な接近態度とされている。我が子にダブル・バインドの態度を示す母親は"分裂病"を作る母という名を冠せられてるほどである。
一般にうつ病者には犬を好むものが多い。犬との関係はいわば彼らの対人関係の象徴である。彼らはおそらく犬の持つ共感力、順応性を愛するのであろう。彼らは思うままに犬に命令を下し、犬に頼られ、慕われ、犬と精神的一体感を覚えることによって自己の隠された依存欲求と抑圧された支配欲を満たすのではなかろうか。
1842年秋、ダーウィンはダウンに転居した。以後の彼は学会における公的活動を一切断念しダウンの田舎に引きこもり、終生この地に穏棲し、研究と著作に没頭する。ダウンの住宅選択の際には、住居の位置、日当たり、間取りなどに厳密な吟味を加え、転居後もさっそく樹木を植え、家の模様替えを行うなど、固有な空間を創造する際のうつ病者特有の註文の多さ、徹底性が認められる。
ダーヴィンの子どもたちの中でも家族的伝統である学者の道を選んだ者が症状を呈したことも注目しなければならない。銀行家だった長男、軍人だった四男はこの病気をまぬがれている。この場合、気質と職業選択との相互関係ばかりでなく、フロム・ライヒマンがつとに指摘しているように、うつ病は同胞の中でも傑出した、期待をかけられた成員を侵しがちであり、とくにその成員が家族的伝統を引き受けるか、否かが重視されるべきである。家系的にみるとダーヴィンの祖父、父、次男(宇宙物理学者)、三男(植物生理学者)、五男(工学者)、長女(文筆家)が似たような症状を呈したことも、この見解を支持するだろう。
母親を早くに失ったこともあってダーヴィンには甘えたくても甘える相手がなかった。これはダーヴィンと共通点の多いフロイトやウィーナーの幼年時代と区別するうえで重要な点である。このような家族、このような幼年時代は、フロム・ライヒマンや土居健郎のいうように、うつ病者の発症しやすい状況である。
フロイトにおける治療とは極めて相互的なものである。端的にいうなら、それはひとつの劇である。精神分析とは、同時に進行する多重の劇といえよう。それはまず具体的には治療者と患者の演ずる、感情を強く荷電された劇である。しかしこのような感情は転移性感情といわれ、患者がもともと幼い時に深い対象関係をもった相手に対する感情が治療者を相手としてよみがえり、治療者のうえに転移したものである。治療者と患者の演ずる劇は、実は患者のみずからの過去の対象関係をめぐって進行する劇であり、過去の劇的再現ともいえるものである。さらにそれは患者の内面で演じられる劇、患者の「自我」「超自我」「リビドー」という黒子たちによって演じられる劇でもある。そして同時に治療者自身の中にも一つの劇が演じられている。すなわちフロイトの治療的実践が少なくても生涯の危機的な時期においてそうであったように、患者を媒介とする自己認識、自己治療の劇でもある。
彼の内面には対立する性格的傾向が渦巻き、自信過剰―自信過少、信じやすい―疑い深い、野心的で誇大的―恨みがましく被害妄想的、情熱的な愛の衝動―強い性的抑圧、男性的攻撃性―女性的優しさ、独立―依存、科学的な厳しい自己抑制―幻想的な思索への強い憧れ、といったような矛盾した態度が葛藤しつつ、共存していた。すなわち神経症的な葛藤心理構造から生ずる内的緊張が彼の生涯を貫いて存在していたのである。
彼はさまざまな神経症的症状を示した。脅迫的な几帳面さ、恐怖症、不安発作、心臓神経症をはじめ多種多様な心気症、退行を起こしやすい心理的不安定さなど、その症状は多彩で、いずれか一つの神経症類型に分類することができない。
彼の基本的正確は循環気質的であるが、同時に執着的な面があり、全体としては躁うつ圏に傾いている。しかし幼時にもちえた母との密接な対象関係のおかげで不全感、良心性などの自責的な面が発展せず、そのかわりに神経症的なものが前面に出て、外部に対する攻撃の方に傾いたといえよう。彼が危機に陥る状況は必ず彼の成熟への契機と結びついていた。少年の日の男性としての自己決定、家庭をもつこと、父となることなど、彼に成熟を迫る状況のたびに内面の葛藤は高まり、内面の攻撃性が不安をよびおこし、退行や回避的行動とともに多彩な神経症状が発現するのであった。
フロイトは若き母の最初の息子として母の限りない誇りと愛を独占して成長した。常に家庭の中心的存在であり、家族の期待は彼の上に集まった。後年彼はみずから「母のこの上なき寵愛を受けた人は、一生涯征服者という感情すなわち成功への確信をもちつづけ、しばしば現実の成功をもたらす。」と述べている。
フロイトの生涯は彼自信の神経症とのたえざる戦いの歴史であったといえる。神経症の謎を解明しようとして、彼は彼自身の神経症に逢着し、彼自身の神経症を克服する過程で精神分析を発見し、この方法を患者の治療に還元し、患者を治療しつつ、終生自己分析を怠らなかった。患者にとって治療者は「自己を映し出す鏡」であるとはフロイトの言葉であるが、治療者にとっても患者は自己を映す鏡である。
一般に分裂病の素質を持つ人が自立を求めるときには、"垂直上昇志向"ともいうべき、即時的、全面的、超脱的自立の幻想的願望が奔出してくるものである。それは階層秩序(ヒエラルキー)を承認し、その枠内で段階的に"昇進"を志向する躁うつ病質の人の自立の場合とあざやかな対照をなす。分裂病質の人にとって、自立への試みはとくに危機的である。それは、彼らの狭い世界の維持に必要な自閉性と受動性を全面的に撤回することを意味し、ただちに彼らの世界全体の危機となるからである。ここで分裂病の素質をもつ人が自己の生の危機を"局地化"する能力に乏しく、危機が容易に全体化する事実が注目される。彼らは自己の世界をささやかな局地からきずきはじめ、拡大、成熟させてゆく暇がないと感じている。したがって彼の世界全体にわたって今までの"猶予"が撤回されると、彼らは即時的、全面的自立を求めざるをえないのである。彼らは"飛翔"しようとする。
通常、人は相矛盾するようにみえる二つの事実、すなわち自分が、"世界の中の一人"であるという事実と、(自分にとっては)自分があってはじめて世界があるという事実を統合して余裕感と能動感を生み出している。これはわれわれが普段ほとんど意識せず、いわば大気のように呼吸している自由感の源泉である、逆に極限状態においては、自分が隠れようもなく一人で世界と対決しており、世界は自分を無限に凌駕し、あたかも世界が自分に優先するように感じられる。これは"聖なるもの"体験として宗教的改心体験にも通じうるが、分裂病発病の危機も切迫しているのである。もしよゆうと能動性が最終的に失われるならば、妄想気分すなわちつかまえどころのない世界変容感と、絶対的な未来剥奪感が到来して分裂病への転落となりかねない。
彼はたえず発狂の恐怖を抱いていた。彼が生涯分裂病発病んも瀬戸際にあったのは事実だろう。しかし彼はついに持ちこたえた。その理由の一つは、彼が自分の危うさについてははっきりした認識をもっていたことであろう。「ニ階にあがって梯子をはずした状態」「自分の座っている枝を切り落とす」「ハエ取り壺にはまったハエ」「新聞を何部も買い込んで記事の確実性が増したと思っている男」など、人間のおかれている状況を鋭い直観的比喩で捉える能力があり、それを自己認識にも適用していた。
そして内面の危機が高まると、園丁や運搬夫などの端的な肉体労働を選んだ。彼はまさに正しい意味での「作業療法」をみずからに課したのであった。
神経症圏の科学者においては、心的危機において精神的に退行をおこし、もうろうの状態の中であらゆる問題が混交し、ときには個人的解決の知的等価物として科学的問題の解決が行われるらしい。そして科学的問題の解決による緊張解消と自信回復が個人的問題の危機的様相を和らげ、その結果、解決をしばらく持ち越し、時期の成熟を持つほどの心的余裕が生じることが考えられる。フロイトのような心理研究者ならばともかく、ウィーナーのような数学者においてもこのような事態の起こることは驚くべきことである。