3
自己犠牲と言うものが傍から見ている者にとってどれほど苛付くことであるか、理解はしている。簡単に言えば、『彼女を殺すなら僕を殺せ!』というアレがどれほど鬱陶しいか、と言う話だ。
自分を殺せと訴える奴は、気付いてすら居ないのだ。
自分が命を絶った後、誰がその人の傍にいて、誰がその人を守るのかということに。そうやって容易く投げ出してしまえるような安いものが、その大切なものの代わりになり得ることなど決してないのだと言うことに。全く、この自己犠牲精神という奴は実に不明瞭だ。
だけど、それを理解していたとしても命をかけて守り抜きたいものはある。
それは僕を捨てた『母親』ではなく、この世界の平和や平等、自由なんていう偽善的で抽象的なものでもなく、自分でもない。僕が守り抜きたいのは、僕にぬくもりをくれた人。暖かい手で僕を迎え入れ、ぎゅっと抱きしめてくれた人。
そう、ラディウスだけ。
僕にはラディウスしか居なかった。
自分を殺せと訴える奴は、気付いてすら居ないのだ。
自分が命を絶った後、誰がその人の傍にいて、誰がその人を守るのかということに。そうやって容易く投げ出してしまえるような安いものが、その大切なものの代わりになり得ることなど決してないのだと言うことに。全く、この自己犠牲精神という奴は実に不明瞭だ。
だけど、それを理解していたとしても命をかけて守り抜きたいものはある。
それは僕を捨てた『母親』ではなく、この世界の平和や平等、自由なんていう偽善的で抽象的なものでもなく、自分でもない。僕が守り抜きたいのは、僕にぬくもりをくれた人。暖かい手で僕を迎え入れ、ぎゅっと抱きしめてくれた人。
そう、ラディウスだけ。
僕にはラディウスしか居なかった。
それは、突然だった。
いつものように一緒に遊んでいた。草笛の音を楽しみ、蜘蛛の巣に散らばる水滴を弾いたりして遊んでいた。
いつもと変わらない毎日だった。
けれどある夏の日、ラディウスが倒れた。
高熱が続き、立ち上がること、水を飲むことすらままならなくなった。僕はラディウスを背負って、たくさんの病院を回った。駆けずり回って、ラディウスを救うことの出来る人を捜し歩いた。
日に日に細く、軽くなっていく身体。
今にラディウスの姿が風に溶け、この世界から消えて無くなってしまうんじゃないだろうかと思った。
元々存在しなかったもののように、この世界から跡形もなく消えてなくなってしまうんじゃないかという考えがふと脳裏を過ぎった。もし僕の記憶からも消えてしまったら…。そうなったら、僕はもう生きてはいられない。ラディウスが居なくなったら、縋れるものがなくなるのだ。僕の存在を認めてくれる人がいなくなるのだ。依存していると思われても良い。弱いと言われても良い。ただ、僕にはラディウスのいない世界など考えられなかった。
数え切れないほどの病院を回った。
だけど、どんなに高名な医者のところに連れて行っても、何処に行っても、その原因は分からなかった。
僕は駆けずり回り、ラディウスを救うことの出来る人を探した。
いつものように一緒に遊んでいた。草笛の音を楽しみ、蜘蛛の巣に散らばる水滴を弾いたりして遊んでいた。
いつもと変わらない毎日だった。
けれどある夏の日、ラディウスが倒れた。
高熱が続き、立ち上がること、水を飲むことすらままならなくなった。僕はラディウスを背負って、たくさんの病院を回った。駆けずり回って、ラディウスを救うことの出来る人を捜し歩いた。
日に日に細く、軽くなっていく身体。
今にラディウスの姿が風に溶け、この世界から消えて無くなってしまうんじゃないだろうかと思った。
元々存在しなかったもののように、この世界から跡形もなく消えてなくなってしまうんじゃないかという考えがふと脳裏を過ぎった。もし僕の記憶からも消えてしまったら…。そうなったら、僕はもう生きてはいられない。ラディウスが居なくなったら、縋れるものがなくなるのだ。僕の存在を認めてくれる人がいなくなるのだ。依存していると思われても良い。弱いと言われても良い。ただ、僕にはラディウスのいない世界など考えられなかった。
数え切れないほどの病院を回った。
だけど、どんなに高名な医者のところに連れて行っても、何処に行っても、その原因は分からなかった。
僕は駆けずり回り、ラディウスを救うことの出来る人を探した。
そして僕は、小さな魔女を見つけた。
「助けられるよ。もちろん、タダじゃないけどね」
魔女は無邪気ににっこりとした。何かが欠落した、不敵な笑顔。
「少し、アタシのゲームに付き合ってよ。そうしたら、助けてあげても良いよ」
裏があることはすぐに分かった。
何かを企んでいることはすぐに分かった。けれど、僕にはこの人に縋り付く以外に方法が無かったのだ。その時、ラディウスはもうすでに意識を失っていた。生きるか死ぬかの瀬戸際に居た。ラディウスの暖かさを想い、ディストレスは頷いた。
ほんの少しでも助かる可能性があるのならば、と。
「…分かりました」
僕は、頷くしかなかった。
ラディウスのためならば、自分の命すら惜しくは無かった。自己犠牲精神のくだらなさなど、僕は考えもしなかった。
出きる限り、ラディウスに尽くしたかった。命を賭けても足りないくらい、たくさんのものを貰ったから。ラディウスのためならば喜んでこの身を捧げようと。悪魔にこの身を捧げることすら厭わないと。
「それで、僕は何をすれば良いんですか?」
どうしようもなく、僕は不器用だった。
何の話し合いも無く、何の駆け引きも無く、ラディウスを助けるために僕はそれを受け入れた。
魔女は笑った。
「正確に言うとね、このゲームに参加するのはその君の想い人、ラディウスの方。君はその道具でしかない」
クスクスクス…
「道具は、君の“ココロ”だよ」
魔女は笑った。
心底、楽しげに。
魔女は無邪気ににっこりとした。何かが欠落した、不敵な笑顔。
「少し、アタシのゲームに付き合ってよ。そうしたら、助けてあげても良いよ」
裏があることはすぐに分かった。
何かを企んでいることはすぐに分かった。けれど、僕にはこの人に縋り付く以外に方法が無かったのだ。その時、ラディウスはもうすでに意識を失っていた。生きるか死ぬかの瀬戸際に居た。ラディウスの暖かさを想い、ディストレスは頷いた。
ほんの少しでも助かる可能性があるのならば、と。
「…分かりました」
僕は、頷くしかなかった。
ラディウスのためならば、自分の命すら惜しくは無かった。自己犠牲精神のくだらなさなど、僕は考えもしなかった。
出きる限り、ラディウスに尽くしたかった。命を賭けても足りないくらい、たくさんのものを貰ったから。ラディウスのためならば喜んでこの身を捧げようと。悪魔にこの身を捧げることすら厭わないと。
「それで、僕は何をすれば良いんですか?」
どうしようもなく、僕は不器用だった。
何の話し合いも無く、何の駆け引きも無く、ラディウスを助けるために僕はそれを受け入れた。
魔女は笑った。
「正確に言うとね、このゲームに参加するのはその君の想い人、ラディウスの方。君はその道具でしかない」
クスクスクス…
「道具は、君の“ココロ”だよ」
魔女は笑った。
心底、楽しげに。
・
「――と、言う訳だ」
ラディウスは目を覚まし、魔女と出会った。
魔女は笑った。黒いとんがり帽子から、癖の強い長い黒髪が零れている。
腰に佩いている凝った装飾のナイフが目に入った。ディストレスの瞳のような、深い緑色の宝石が填め込まれている。
ラディウスは全てを聞かされ、目を見開いた。
「今お前が目を覚ましたと同時に、ディストレスのココロは飛び散った。…コレが唯一、ここに残されたそのカケラ」
真紅のそれを手渡され、ラディウスは魔女を見つめた。
まるで血のような紅。それはトクントクンと静かに脈打つ。
「五年、時間をあげる」
魔女は言った。
「五年で、世界中に散らばったディストレスの“ココロのカケラ”を集めるんだ。それまでにアンタが全てを集めてここに戻って来ることが出来たら、ディストレスを助けてあげる」
そこには、硝子の棺の中にまるで人形のように入れられた一人の少年。白雪姫のように、穏やかに、鮮やかな緑色の瞳が今は静かに閉ざされている。ラディウスはその姿に息を呑む。
一切の表情を持たないそれは、ぞっとするほど美しかった。
「ああ、そうだ。ひとつね、ディストレスから言伝があるんだ」
「…言伝?」
魔女はにっこりとした。
「『僕のココロが誰も傷付けないようにして欲しい』だってさ」
ラディウスは訳が分からず、魔女を凝視した。
「…人間の性だね。明かりに群がる虫と同じように、人の想いは幸せへと向かう。ココロに巣食う反抗心は、孤独へと向かう。
…虫は見境が無い。例えそれが燃え盛る炎であっても、その中に身を投じる」
「それは、どういう…」
「どんなに出来た人間でも、ココロだけになっちまったら虫と同じなのさ。人間は理性によって守られているだけ。…理性を失ったココロは見境無く他人の幸せの中へと突っ込んでいく。
そして、めちゃくちゃにする」
魔女は蜀台の蝋燭にふっと息を吹き掛け、火を付けた。
青とも紫とも付かない淡い色合の炎が、ふわりとわずかに揺らいだ。薄青い煙が、細くゆらりと立ち昇る。周囲の物の影をくっきりと映し出す光に、ラディウスはわずかにたじろいだ。
「…だから、誰も傷付けたくないから、ってさ。全く、優しい子だねディストレスは。あの坊やはアンタがコレをやり遂げることを前提に話していたよ。…この手の信頼を受けるのはとても嬉しくて名誉なことではあるけれど、同時にすごく重たくて、迷惑なことでもあるんだよね」
魔女は寂しげに口角を上げ、不自然な笑みを浮かべる。魔女の黒い瞳がラディウスを捕らえた。
「…あの子はそれを理解した上で、そう言っていたよ」
魔女はラディウスの頬を両手で包み、呟いた。ラディウスの金色の瞳から、涙が零れ落ちる。まるで口付けを求めるように、魔女はラディウスに顔を寄せた。
「どうする?やるかい?」
「…」
ラディウスは無言で魔女を見遣る。
そして魔女の腰にある凝った装飾のナイフに手を伸ばした。するりと、ナイフが鞘から抜ける。
ナイフにはめ込まれた深い緑色の宝石は、まるで閉じられた瞳の中から取り出したような鮮やかさで…。
ラディウスはゆらりと立ち上がり、魔女を見下ろした。威圧的に、挑戦的に魔女を見据える。
「ディストレスのココロは空を彩る星のように、至るところに散らばっている。それを全部、掻き集めることが出来るかい?」
ラディウスは、魔女を見下ろす。
「……やってやるよ」
呟き、長い金髪を切り落とした。
金の糸が一面に散らばり、短くなった毛先がラディウスの肌を撫ぜる。ナイフは力無い無機質な音を立ててラディウスの手から滑り落ちた。
「全てが、僕の手に掛かっているのなら」
ラディウスは目を覚まし、魔女と出会った。
魔女は笑った。黒いとんがり帽子から、癖の強い長い黒髪が零れている。
腰に佩いている凝った装飾のナイフが目に入った。ディストレスの瞳のような、深い緑色の宝石が填め込まれている。
ラディウスは全てを聞かされ、目を見開いた。
「今お前が目を覚ましたと同時に、ディストレスのココロは飛び散った。…コレが唯一、ここに残されたそのカケラ」
真紅のそれを手渡され、ラディウスは魔女を見つめた。
まるで血のような紅。それはトクントクンと静かに脈打つ。
「五年、時間をあげる」
魔女は言った。
「五年で、世界中に散らばったディストレスの“ココロのカケラ”を集めるんだ。それまでにアンタが全てを集めてここに戻って来ることが出来たら、ディストレスを助けてあげる」
そこには、硝子の棺の中にまるで人形のように入れられた一人の少年。白雪姫のように、穏やかに、鮮やかな緑色の瞳が今は静かに閉ざされている。ラディウスはその姿に息を呑む。
一切の表情を持たないそれは、ぞっとするほど美しかった。
「ああ、そうだ。ひとつね、ディストレスから言伝があるんだ」
「…言伝?」
魔女はにっこりとした。
「『僕のココロが誰も傷付けないようにして欲しい』だってさ」
ラディウスは訳が分からず、魔女を凝視した。
「…人間の性だね。明かりに群がる虫と同じように、人の想いは幸せへと向かう。ココロに巣食う反抗心は、孤独へと向かう。
…虫は見境が無い。例えそれが燃え盛る炎であっても、その中に身を投じる」
「それは、どういう…」
「どんなに出来た人間でも、ココロだけになっちまったら虫と同じなのさ。人間は理性によって守られているだけ。…理性を失ったココロは見境無く他人の幸せの中へと突っ込んでいく。
そして、めちゃくちゃにする」
魔女は蜀台の蝋燭にふっと息を吹き掛け、火を付けた。
青とも紫とも付かない淡い色合の炎が、ふわりとわずかに揺らいだ。薄青い煙が、細くゆらりと立ち昇る。周囲の物の影をくっきりと映し出す光に、ラディウスはわずかにたじろいだ。
「…だから、誰も傷付けたくないから、ってさ。全く、優しい子だねディストレスは。あの坊やはアンタがコレをやり遂げることを前提に話していたよ。…この手の信頼を受けるのはとても嬉しくて名誉なことではあるけれど、同時にすごく重たくて、迷惑なことでもあるんだよね」
魔女は寂しげに口角を上げ、不自然な笑みを浮かべる。魔女の黒い瞳がラディウスを捕らえた。
「…あの子はそれを理解した上で、そう言っていたよ」
魔女はラディウスの頬を両手で包み、呟いた。ラディウスの金色の瞳から、涙が零れ落ちる。まるで口付けを求めるように、魔女はラディウスに顔を寄せた。
「どうする?やるかい?」
「…」
ラディウスは無言で魔女を見遣る。
そして魔女の腰にある凝った装飾のナイフに手を伸ばした。するりと、ナイフが鞘から抜ける。
ナイフにはめ込まれた深い緑色の宝石は、まるで閉じられた瞳の中から取り出したような鮮やかさで…。
ラディウスはゆらりと立ち上がり、魔女を見下ろした。威圧的に、挑戦的に魔女を見据える。
「ディストレスのココロは空を彩る星のように、至るところに散らばっている。それを全部、掻き集めることが出来るかい?」
ラディウスは、魔女を見下ろす。
「……やってやるよ」
呟き、長い金髪を切り落とした。
金の糸が一面に散らばり、短くなった毛先がラディウスの肌を撫ぜる。ナイフは力無い無機質な音を立ててラディウスの手から滑り落ちた。
「全てが、僕の手に掛かっているのなら」
・
ディストレス、本当にいいのかい?
――はい。
下手したら、アンタは死んでしまうよ?
――分かっています。
悪いね、これ以外に方法が無いんだよ。
――大丈夫、うまく行きます。
何故そう言い切れる?
――僕は、ラディウスを信じていますから。
――はい。
下手したら、アンタは死んでしまうよ?
――分かっています。
悪いね、これ以外に方法が無いんだよ。
――大丈夫、うまく行きます。
何故そう言い切れる?
――僕は、ラディウスを信じていますから。
眠りに落ちた少年を硝子の棺に納めると、魔女は一人、空を見上げた。
真ん丸な月が、雲の中に霞んでいた。
魔女は一人、緑色の瞳を持つ少年の服をまとって旅立った少女を思い、微笑んだ。そして、月に祈りを捧げる。
どうかあの二人に、神の祝福がもたらされますように…。
真ん丸な月が、雲の中に霞んでいた。
魔女は一人、緑色の瞳を持つ少年の服をまとって旅立った少女を思い、微笑んだ。そして、月に祈りを捧げる。
どうかあの二人に、神の祝福がもたらされますように…。
第四章夢の国へ