第五章・独りの国
1
――まあ悪いようにはならんさ。あの子達は何とかなるよ。
慈鳥は、そう言った。
――それから、ドルシネア。アンタもな。
慈鳥は、赤い目を細めてそう言った。
慈鳥は飛び立つ。鮮やかに染まった紅の空に、黒い染みを作った。その赤と黒の対比に、魔女はしばしの間見惚れていた。
慈鳥は、そう言った。
――それから、ドルシネア。アンタもな。
慈鳥は、赤い目を細めてそう言った。
慈鳥は飛び立つ。鮮やかに染まった紅の空に、黒い染みを作った。その赤と黒の対比に、魔女はしばしの間見惚れていた。
・
「…参ったな」
ラディウスはぐるりと辺りを見まわし、地図に目を落とした。そしてまた、辺りをきょろきょろと眺める。
「何処で間違ったんだろう」
周囲は森。どこを見ても草木ばかり。進めば進むほど鬱蒼としてくる。もうそんなに時間は無い。あと二週間で期限が来てしまう。後一つなのに、何の進展もない。ラディウスはギリと唇を噛んだ。
わずかに、血の味がした。
「……焦るな」
呟いて、ラディウスは一歩踏み出した。焦っては出来るものも出来なくなる。大切なものを見落としてしまう。落ち着け。とにかく、進まないと。そう思って、ラディウスは前へと進んだ。
ラディウスはぐるりと辺りを見まわし、地図に目を落とした。そしてまた、辺りをきょろきょろと眺める。
「何処で間違ったんだろう」
周囲は森。どこを見ても草木ばかり。進めば進むほど鬱蒼としてくる。もうそんなに時間は無い。あと二週間で期限が来てしまう。後一つなのに、何の進展もない。ラディウスはギリと唇を噛んだ。
わずかに、血の味がした。
「……焦るな」
呟いて、ラディウスは一歩踏み出した。焦っては出来るものも出来なくなる。大切なものを見落としてしまう。落ち着け。とにかく、進まないと。そう思って、ラディウスは前へと進んだ。
「――ん?」
もうどれだけの時間が過ぎただろうか。歩き続け、視界を遮り行く手を阻む蔦をナイフで薙ぎ払ったとき、広く開けた場所に出た。その中央にはまるでドールハウスのような可愛らしい家がある。『白雪姫』か『ヘンゼルとグレーテル』か。ラディウスはその嘘臭さにクスリと笑った。
これは夢か幻か。
クスクスと笑いながらその家の前まで行き、扉を叩いた。ココロのカケラがあればどうにか譲ってもらう。無くても帰り道を教えてもらえるかもしれない。
「ごめんください。どなたか、いらっしゃいませんか?」
「――だれ?」
扉の向こうから、鋭い女性の声が聞こえた。明らかに、苛立っている声。
「ラディウスと言います。道に迷ってしまって…。良ければ帰り道を教えていただきたいのですが」
扉の向こうの女性に向けて、声を掛ける。その後、しばらくの沈黙があった。中からは何の音もない。どうしようかな、とラディウスが頭を掻いた時、「入りなさい」と静かな声がした。
「入りなさい。鍵は開いているから」
苛々とした調子の声に、ラディウスはわずかに逡巡した。
「いいから入れ、グズ」
「誰がグズだ」
言いながら、キィと軋む扉を開いた。中は、目が痛くなるほどの白。真っ白い壁に、まっ白い家具。部屋の中央には二脚の真っ白な藤椅子が向かい合うように据えられていた。
その片方には、上から下まで黒尽くめの女性が座っていた。
「座りな」
くいと、顎でもう一方の藤椅子を示す。ラディウスはわずかに目を細め、分かるか分からないかくらいに頷いた。そして言われた通りに藤椅子に腰を降ろす。
「私はオディール。…あんたが探してんのは、コレだね?」
ニィと笑うオディールに、ラディウスは目を見開いた。原形を取り戻しつつある赤い結晶を鞄から取り出し、それと見比べた。
欠けたところと全く同じ形をしている赤い欠片。
「…なんで…」
「あげても良いよ。条件付きだけど」
ラディウスの言葉を無視して、オディールは言った。癖のない長い黒髪をさらりと背に流し、黒いドレスを着て、藤椅子にだらしなく座るその姿は、まるで魔女のようにも見える。
「…どうして知っているんですか。僕が、それを探していること」
「知っていたわけじゃない。ただ見えただけ。心の中で、強く思っていることだけだがね。…随分と焦っているみたいね」
「……貴方は何なんですか?」
オディールは薄く笑った。
「悪魔の娘」
呟いて、オディールは退屈そうに溜息を吐いた。
「嘘だけど」
「貴方友達いないでしょう」
「いないよ。居たことなんて一度もない」
がしがしと頭を掻きながら、面倒くさそうに言う。
「何が原因か分かるか?」
「性格の問題でしょう、明らかに」
オディールはちらとラディウスをみてハズレ、と呟いた。そして赤い欠片をポケットにしまいこんだ。
「どうしても欲しいか?」
ぽんぽんとポケットを叩いて言うオディールに、ラディウスは挑戦的な笑みを浮かべて答える。
「欲しいですね」
ここまで来て、諦めることなど出来ない。ディストレスの命、こんなところで無くしてたまるか。ただ一人の掛替えのない人。命を貸してくれた人。
ラディウスはひたとオディールを見据える。
「それじゃあ、条件を発表しよう」
言って、気怠るそうに立ち上がった。
「私の話を聞いてくれ」
これは夢か幻か。
クスクスと笑いながらその家の前まで行き、扉を叩いた。ココロのカケラがあればどうにか譲ってもらう。無くても帰り道を教えてもらえるかもしれない。
「ごめんください。どなたか、いらっしゃいませんか?」
「――だれ?」
扉の向こうから、鋭い女性の声が聞こえた。明らかに、苛立っている声。
「ラディウスと言います。道に迷ってしまって…。良ければ帰り道を教えていただきたいのですが」
扉の向こうの女性に向けて、声を掛ける。その後、しばらくの沈黙があった。中からは何の音もない。どうしようかな、とラディウスが頭を掻いた時、「入りなさい」と静かな声がした。
「入りなさい。鍵は開いているから」
苛々とした調子の声に、ラディウスはわずかに逡巡した。
「いいから入れ、グズ」
「誰がグズだ」
言いながら、キィと軋む扉を開いた。中は、目が痛くなるほどの白。真っ白い壁に、まっ白い家具。部屋の中央には二脚の真っ白な藤椅子が向かい合うように据えられていた。
その片方には、上から下まで黒尽くめの女性が座っていた。
「座りな」
くいと、顎でもう一方の藤椅子を示す。ラディウスはわずかに目を細め、分かるか分からないかくらいに頷いた。そして言われた通りに藤椅子に腰を降ろす。
「私はオディール。…あんたが探してんのは、コレだね?」
ニィと笑うオディールに、ラディウスは目を見開いた。原形を取り戻しつつある赤い結晶を鞄から取り出し、それと見比べた。
欠けたところと全く同じ形をしている赤い欠片。
「…なんで…」
「あげても良いよ。条件付きだけど」
ラディウスの言葉を無視して、オディールは言った。癖のない長い黒髪をさらりと背に流し、黒いドレスを着て、藤椅子にだらしなく座るその姿は、まるで魔女のようにも見える。
「…どうして知っているんですか。僕が、それを探していること」
「知っていたわけじゃない。ただ見えただけ。心の中で、強く思っていることだけだがね。…随分と焦っているみたいね」
「……貴方は何なんですか?」
オディールは薄く笑った。
「悪魔の娘」
呟いて、オディールは退屈そうに溜息を吐いた。
「嘘だけど」
「貴方友達いないでしょう」
「いないよ。居たことなんて一度もない」
がしがしと頭を掻きながら、面倒くさそうに言う。
「何が原因か分かるか?」
「性格の問題でしょう、明らかに」
オディールはちらとラディウスをみてハズレ、と呟いた。そして赤い欠片をポケットにしまいこんだ。
「どうしても欲しいか?」
ぽんぽんとポケットを叩いて言うオディールに、ラディウスは挑戦的な笑みを浮かべて答える。
「欲しいですね」
ここまで来て、諦めることなど出来ない。ディストレスの命、こんなところで無くしてたまるか。ただ一人の掛替えのない人。命を貸してくれた人。
ラディウスはひたとオディールを見据える。
「それじゃあ、条件を発表しよう」
言って、気怠るそうに立ち上がった。
「私の話を聞いてくれ」
・
私の父親は魔法使いでね、小賢しい痴れ者だったのさ。
親父はオデットっつー娘に恋をしたんだけど、それが叶わないと知るや否やその娘を白鳥に変えちまった。でもその魔法も中途半端で、夜には人間の姿に戻っちまう。その度にお願いだから魔法を解いてくれって泣き付かれるもんだから、そのうち親父も感化されて、こう言ったんだ。
『ならこの国の王子と結ばれてみろ』って。『そしたらお前の魔法を解いてやろう』ってね。…絶対に無理だと思っていたんだ。親父はそんなの不可能だと思っていた。だけどオデットはやってのけた。全く、とんでもない悪女だよあのオデットって女は。掛けられた魔法を解くために、好きでも何でもない癖に言葉巧みに王子に近づいて、陥落させてさ、もうすぐ結婚ってところまで漕ぎ着けた。王子も見る目ないよね。全く、不憫でならないよ。で、王子の事はともかくそれを知った親父は何をしたと思う?
私を創ったのさ。
オデットとそっくりの娘をね。私はオデットを騙して城の外に追いやり、王子と結婚した。私は人を騙すためだけに生まれたんだ。私は早く死にたかった。
だって、私はオデットを騙して王子を騙して、そうしたらもうお役御免なんだよ?そうしたらもう、死んだって構わない何の役割も持たない人間になっちまうんだよ?その為に創られたんだから。私にはそれ以上の役割なんかないんだから。結婚式の最中も、私はそんなことばっかり考えてた。これが終わったら、私はどうなるんだろうってね。そして私と王子が永遠の愛を誓った直後、雷が鳴ったんだ。
…窓の向こうにオデットのシルエットが見えてさ、本当に…怖かった。
親父はオデットっつー娘に恋をしたんだけど、それが叶わないと知るや否やその娘を白鳥に変えちまった。でもその魔法も中途半端で、夜には人間の姿に戻っちまう。その度にお願いだから魔法を解いてくれって泣き付かれるもんだから、そのうち親父も感化されて、こう言ったんだ。
『ならこの国の王子と結ばれてみろ』って。『そしたらお前の魔法を解いてやろう』ってね。…絶対に無理だと思っていたんだ。親父はそんなの不可能だと思っていた。だけどオデットはやってのけた。全く、とんでもない悪女だよあのオデットって女は。掛けられた魔法を解くために、好きでも何でもない癖に言葉巧みに王子に近づいて、陥落させてさ、もうすぐ結婚ってところまで漕ぎ着けた。王子も見る目ないよね。全く、不憫でならないよ。で、王子の事はともかくそれを知った親父は何をしたと思う?
私を創ったのさ。
オデットとそっくりの娘をね。私はオデットを騙して城の外に追いやり、王子と結婚した。私は人を騙すためだけに生まれたんだ。私は早く死にたかった。
だって、私はオデットを騙して王子を騙して、そうしたらもうお役御免なんだよ?そうしたらもう、死んだって構わない何の役割も持たない人間になっちまうんだよ?その為に創られたんだから。私にはそれ以上の役割なんかないんだから。結婚式の最中も、私はそんなことばっかり考えてた。これが終わったら、私はどうなるんだろうってね。そして私と王子が永遠の愛を誓った直後、雷が鳴ったんだ。
…窓の向こうにオデットのシルエットが見えてさ、本当に…怖かった。
・
夢なら良かったのに。
オディールは、消え入りそうな声でそう呟いた。ラディウスはただ静かに話を聞いていた。慰めの声を掛けることも出来なかった。もとより、それを望んでいるようには見えなかったから。在り来りな慰めの言葉なんかではなく、もっと、違うもの。何かもっと、切ないことを望んでいるように見えた。
「…さて、と。おいラディウス」
「何?」
「お前もホットミルク飲むか?」
半分腰を浮かせた状態で、オディールはラディウスを見てそう言った。
「いや、僕はいいよ」
「ん、分かった」
眠たそうに目を擦り、オディールはキッチンに向かった。ぼんやりと藤椅子の網目を数えていると、暫くしてオディールは両手に白いマグカップを持って戻ってきた。
「ほら、お前の分。糖蜜入りだぞ」
「…あ、ありがとう」
僕断らなかったっけ、とさっきの会話を脳内で反芻しながらそれを受け取り、ふうと息を吹き掛けてふわふわと立ち上る湯気を吹き飛ばした。そして一口、口に含んだ。口の中に広がる優しい糖蜜の甘さに、ラディウスはほうっと息を吐く。
「なあラディウス、全部話し終わったら、一つお願いをしてもいいか?」
長く続いた沈黙の中、オディールはゆっくりと口を開いた。その言葉に、ラディウスは静かに頷く。
「…僕に出来ることならね。まあ、保障は出来ないけど」
「…ありがとう」
ぐいっと、まだ熱いはずのホットミルクを一気に飲み干すと、オディールはぴょこんと立ち上がった。
「それじゃあ、そろそろ寝るか。夜更かしは美容にも健康にも悪いからな。ラディウスは泊っていけ」
マグカップを片すとオディールはおもむろに引き出しの中に手を突っ込み、がさがさとあさり出した。
「た・し・か、ここにあったはず…。あ、あったあった。ほら!」
ひくりと、ラディウスの口元が痙攣した。渡されたのはレースとフリルの塊のような、愛らしいネグリジェだった。
オディールは、消え入りそうな声でそう呟いた。ラディウスはただ静かに話を聞いていた。慰めの声を掛けることも出来なかった。もとより、それを望んでいるようには見えなかったから。在り来りな慰めの言葉なんかではなく、もっと、違うもの。何かもっと、切ないことを望んでいるように見えた。
「…さて、と。おいラディウス」
「何?」
「お前もホットミルク飲むか?」
半分腰を浮かせた状態で、オディールはラディウスを見てそう言った。
「いや、僕はいいよ」
「ん、分かった」
眠たそうに目を擦り、オディールはキッチンに向かった。ぼんやりと藤椅子の網目を数えていると、暫くしてオディールは両手に白いマグカップを持って戻ってきた。
「ほら、お前の分。糖蜜入りだぞ」
「…あ、ありがとう」
僕断らなかったっけ、とさっきの会話を脳内で反芻しながらそれを受け取り、ふうと息を吹き掛けてふわふわと立ち上る湯気を吹き飛ばした。そして一口、口に含んだ。口の中に広がる優しい糖蜜の甘さに、ラディウスはほうっと息を吐く。
「なあラディウス、全部話し終わったら、一つお願いをしてもいいか?」
長く続いた沈黙の中、オディールはゆっくりと口を開いた。その言葉に、ラディウスは静かに頷く。
「…僕に出来ることならね。まあ、保障は出来ないけど」
「…ありがとう」
ぐいっと、まだ熱いはずのホットミルクを一気に飲み干すと、オディールはぴょこんと立ち上がった。
「それじゃあ、そろそろ寝るか。夜更かしは美容にも健康にも悪いからな。ラディウスは泊っていけ」
マグカップを片すとオディールはおもむろに引き出しの中に手を突っ込み、がさがさとあさり出した。
「た・し・か、ここにあったはず…。あ、あったあった。ほら!」
ひくりと、ラディウスの口元が痙攣した。渡されたのはレースとフリルの塊のような、愛らしいネグリジェだった。
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