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友子の一件も(保留と言ったほうが正しいかもしれないが)解決して、通常の空気に戻
った生徒会だが、今日はずいぶんと妙な空気だ。
一週間ほどは、以前のように仕事を終わらせてはグダグダとお茶を飲んでいる活動が続
いていたのに……一変、一時期友子が不機嫌だった時の『あの空気』に近いものが流れて
いた。
具体的にどこが妙な空気なのかといえば、一人だけ浮かない顔の奴がいること。
もっとも、いつもニコニコしているメンバーなんてのは友子くらいのものだが……それ
にしても不自然な元気の無さだ。
そうこう意識している間にいつものように一通りお茶を配り終え、いよいよ最後の一人
の所へと持っていく。
最後の一人、つまりこの湿った空気の元凶……リナの所に。
「おーい、リナ。お茶だぞ?」
「はぁ……」
天井を見ているのか壁を見ているのかボーっとしたままで、目の前の机に湯飲みを置い
て声をかけても上の空。
「おーい、もしもーし?」
「…………」
顔の前で大きく手を振ってみても反応しない。
あまりの反応の無さに痺れを切らし、リナの視界へと無理矢理割り込むようにして覗き
込み、声をかけてみる。
「おいこらリナっ! 聞いてるか~?」
「――きゃあっ!? ――あ、た、たたタカシ!? な、何ですの!?」
全く気が付いていなかったようでえらく驚いたらしいリナは、椅子からひっくり返りそ
うになっていた。
「あ、生きてたか」
「失礼な人ですわね……」
「まあ……お茶、置いとくからな」
「え、ええ、頂きますわ! …………はぁ……」
慌てたように礼(?)だけ言って、再びため息をつくリナ。
いつもならお茶を置くと必ず減らず口の一つや二つ飛んでくるはずなのに、今日は話し
かけるたびにこの通り。
べつに減らず口をたたいてほしいというわけでも無いが、ここまで塞ぎこんでいるリナ
を見ていると張り合いが無いを通り越して心配だ。
「なぁリナ、どうかしたのか?」
「……はぁ……」
「もしも~し?」
「……はぁ」
念のためにともう一度声をかけたが、またしても返事ではなく溜め息を寄越されただけ
だった。
また大声で呼びかければ反応はしてくれそうだが……いま無理をしてまで本人に聞くの
は、やめておいた方が賢明だろう。
「――――てわけだ。みんな、何か知ってるか?」
今日は尊さんと纏さんは家庭の用事で来れないらしいので、かなみとちなみの後輩二人
と友子を集め、聞いてみることにした。
「いやぁ……私は何も知らないかなぁ」
「私も知りません」
「…………学年が一緒なので……友子さんか会長のほうが分かるのでは……?」
答え方は三者三様だが、知らないという点は一緒だった。
学年が違う後輩、クラスの違う自分と友子。そこに加えて上の学年にいる尊先輩と纏先
輩。所属が生徒会ということ以外は意外なほど接点のないメンツであったりするので、知
らないというのもある意味当然のことだ。
「うーん……」
考えてどうにかなるものでもないが、とりあえず思考を巡らせる。
友子が怒った時のように自分が原因とは思えないし、かといって他のメンバーと喧嘩を
したなんて事も無いだろう。放課後すぐに尊さんと纏さんが『今日は家で用事があるから
帰る』と伝えに来たときも特にリナとは関係がなさそうだったし……。
「さすがに心当たりが全く無いな」
ちょっと期待しつつ他の三人を見るが、
「えーっと……」
「うぅん……」
「……むー……」
「――反応からして……やっぱり思い当たる物はない、か?」
「そうだね。……やっぱり学校じゃなくて、家で何かあったんじゃない?」
そう答える友子の後ろでは、答えに追従するようにかなみとちなみが首を縦に振ってい
た。
「そっとしておいた方がいいか……仕方ない、落ち着くまで様子を見よう」
そして、何ともいえない空気のままでその日の活動は終了となった。
もともと、活動時間の後半は何をしているという程のものでもないのだが……湿りきっ
た空気の中でやることもなく過ごすというのは、あまり居心地の良いものではなかった。
それから三日後。
仕事も終わって、あとはグダるだけなのだが……リナのほうに視線を向けると、
「はぁ……」
この前から何も変わっていない。
不在だった翌日にいつも通り生徒会室に現れた尊さんと纏さんに聞いてみても、『分か
らん。……むしろ私達が聞きたいくらいだ』と言われただけだった。
「……おい、リナの様子が昨日から一向に変わっていないぞ。何とかならないのか?」
ハッキリしないものを嫌う尊さんの言葉に含まれるのは、心配が半分、苛立ちが半分、
といったところだろう。
初めは説教でも始めるんじゃないかと思ったが、リナの尋常じゃない落ち込みっぷりを
見てしまってはさすがに厳しい言葉もかけられなかったようだ。
「タカシ、聞いているのか? ……あれだけ黙り込まれては声もかけづらい、何とかして
くれ」
ついでに言うなら、尊さんの煮え切らない不満の捌け口には俺が選ばれたらしい。
「無茶言わないでくださいよ尊さん。俺達にしてみれば一昨日からあの調子なんですし」
「むぅ……だが、友子の一件もあるしな……こういう場合は、大抵お前が原因なのではな
いかと思うのだが?」
人をトラブルメーカーのように言わないでほしい。
「いや、友子の件も原因は俺じゃなくて山田ですからね?」
「だが『宿題』がどうだとか言っていただろう?」
「それは……まあ」
山田が起こした行動なのに、仲介した自分が怒られた一件――どうして友子は、山田で
はなく自分に怒ったのか――それを考えるのが『宿題』という形で解決したわけだが……
「どうせ今回もタカシが何かしたのだろう?」
疑いの眼差し……どうやら尊さんは、この一件に先日と同じような臭いを感じているよ
うだ。
しかし、今度ばかりは違う。
「いや、今回は……マジでリナには何もしてないです」
思い返してみるが――
誰かから預かったラブレターも渡していないし、リナについて陰口を叩いたわけでもな
い。生徒会室でも、いつもどおり仕事して茶を出して以下略という流れだっただけで……
――うん。全くもって、不自然な行動など取っていない。
「うーん、やっぱり思い当たるところが無いですね。いつもやってる程度のことしかして
ないですし」
「そうか、そこまで言うのなら今度ばかりは違うの……だろうな?」
「あの……なぜ疑問系なんです?」
「さあて、な」
ふっ、と笑ってツッコミを華麗にスルーした尊先輩は、逃げるように纏先輩と再び将棋
を打ち始めたのだった。
謎だ。
日にちが経ったからといってやはりみんなリナが塞ぎこんでいる原因を分かるはずもな
く、一度は遠慮して諦めたものの、今度こそリナに直接聞くことにした。
「リナ」
「……はぁ……」
無視しているのか気付いていないのか、机に肘をついて物憂げに溜め息をつくリナ。
まあ、十中八九気付いていないのだろう。
「おい、リナっ!!」
「――きゃあぁぁっ!? な、ななな何ですのタカシ!?」
「お前、最近元気ないだろ?」
「そ、そういう気分の日もありますわ」
明らかに思い当たるところがあるのだろう(当然だ)、完全に目が泳いでいた。
「嘘こけ。三日連続うわの空じゃないか」
「う……そ、それはその……」
言葉に詰まるリナ。
やはり、何かある(もしくはあった)のは間違い無いらしい。
「言いづらい事だと思って何も聞かないようにしてたんだが……さすがにみんな心配して
るんだ。話したくないんだろうけど……何かあったんなら正直に言ってくれ。……それに
俺が原因なら……謝らなくちゃ寝覚めが悪い」
「別に……タカシのせいではありませんわ。そもそも、学校に関わることではありません
もの。……当然、生徒会とも関係なく……わたくし個人の事情ですわ」
「……そうなのか?」
これだけ生徒会室で塞ぎこまれていたから、当然生徒会内に何かしらは原因の一端があ
ると思っていたが……拍子抜けだ。
「ええ、全く関係ありませんわ。……はぁ……仕方無いですわね。あまり言いふらしたく
は無いのですけれど――」
「――――お見合いぃ!?」
「お、お馬鹿っ! 声が大きいですわっ!!」
思わず素っ頓狂な声をあげると同時に、リナに窘められた。
「……皆に聞かれたらどうしますの!?」
「……悪い、聞かれちゃマズかったか?」
声を潜めたリナに合わせて、自分も声の音量を下げる。
そして、誰にも聞かれていないことを確認し――「……見合い……ですか……?」「見
合いって……あの『見合い』ですよね?」
近寄ってくる後輩二人。
「む……見合いだと!?」
「どういうことじゃ、儂は聞いておらぬぞ!」
窓際で黙って将棋を指していた先輩二人も近づいてきた。
あれだけ大声を出したから当然といえば当然だが、皆に気付かれていたらしい。
「タカシのお馬鹿っ……!!」
隣でリナに凄まれつつ、審問会の始まりとなった。
「ふむ……ではリナ。ここのところ落ち込んでいた原因は見合いということらしいが……
どういうことだ?」
「はぁ……どうもこうもありませんわ。つまり、今週末にお父様から言われたお見合いが
ありますの」
今度こそ放たれた質問に、リナは諦めたように答えた。
「なんでそれでリナが落ち込んでるんがっ!?」
素直な疑問の声は、誰かに踏まれた両足の甲と、これまた誰かに蹴られた両方の脛の痛
みでかき消されたのだった。
いったい誰がやったのかと思って見渡すと――
嫌気が差したような顔で窓の外を見るリナ、ジト目の後輩ふたり、ニヤニヤした友子、
睨みつける尊先輩、呆れ顔の纏先輩。
――全員がバリバリのグレーゾーンだった。誰がやってもおかしくない。
……いや、むしろこの状況が既におかしいはずだ。
…………悲しくなってきたので、気を取り直してリナに聞く。
「あのさ……ぶっちゃけイヤならそんなに落ち込まなくても、断っちまえばいいわけじゃ
ん?」
が、リナは押し黙ったまま答えることはなく、
「ずいぶんと簡単に言ってくれるのう……」
代わりに口を開いたのは纏先輩だった。
「……? 俺、何か変なこと言いました?」
「お主のような普通の家の生まれならその通りじゃろうし、こういう言葉はあまり儂も好
いてはおらぬのじゃが……あるじゃろう、ほれ、『然るべき家柄』とか……のう?」
「あぁ……言われてみれば、それは確かにそうですね……『そこらの馬の骨じゃダメ』と
か、ありそうですもんね……」
「そうじゃな。時代錯誤も甚だしいのじゃが……事実は事実じゃて……」
どうやら『好いてはおらぬ』というのは本当なようで、纏先輩は吐き捨てるように言っ
たのだった。
「やっぱりあるんですね、そういうの」
「かくいう儂とて他人事では済まぬしのう、うんざりじゃ。……のう、リナ?」
茶道の家元がどうたらとした聞いたことはなかったが、やはり纏先輩も結構な家柄らし
い。同情するようなな口調だった。
「そうですわね。……たとえ馬の骨でも……わたくしは……」
答えてからブツブツと何か呟いているリナも、どことなく悔しそうだった。
「なあ、とりあえずリナのお父さんには『イヤだ』って言ってみたんだよな?」
「ええ、何度も言ってはみたのですけれど……『自分が認めた人間だ。一度は会ってもら
う』の一点張りで……ダメでしたの」
本当に『何度も』言ったのだろう。リナの表情は暗いものだった。
「けど……会ったら断れないのか?」
「言っておるじゃろ。『然るべき家柄』じゃ。『然る』べく組まれておるに決まっておる
じゃろ。相手方が無作法な振る舞いをするとも思えぬし、のう?」
つまり、形式的に『見合いをした』事実を作った時点で、ある程度決まってしまうもの
らしい。
「……打つ手なし、か」
「……そう、ですわよね……」
呟き、うなだれるリナ。
何とか助けてやることはできないのだろうか……と考えて、ごく単純な方法を思いつい
た。
「あ、場所分かる?」
「……詳しくは……でも、隣町の料亭ということだけは聞いていますわ」
「いや、それじゃあイマイチ――「……少し待っておれ」……先輩?」
突然、纏先輩が立ち上がって廊下へと出て行った。
沈黙する一同をよそに、まるまる5分ほど席をはずしていた先輩は、
「びんご、じゃ」
とだけ告げた。
「……いや、いきなりビンゴと言われても」
「ほれ」
戸惑う俺に携帯の画面を見せる纏先輩。
そこには、料亭らしき建物の写真と住所が載っていた。
「儂の家の系列でやっておるところなのじゃが……日曜に『神野』という名前で予約があ
るそうじゃ。……ほぼ間違いなかろう」
席をはずしていたのは、確かめてくれていたと言うことらしい。
「ありがとうございます、纏先輩!」
「分かったところでどうするつもりなのかまでは知らぬが……のう?」
どうやらこちらの腹積もりまで分かっているようで、纏先輩はニヤニヤとした笑みを浮
かべていた。
「……よし、リナ!」
だが、知られたところで何があるわけでもない。
机に視線を落としたままのリナに声をかける、
「な、何ですの……?」
「日曜日に、お見合い――ブッ壊しに行くぜ!!」
「タカシ……正気ですの?」
「おう、見合いの空気を完膚なきまでブチ壊してやる。……そうすりゃ、なし崩し的に破
談にできるだろ?」
「…………ホント、バカな会長ですわね」
そこで『見合いをブッ壊す』とまで言った人間を咎めようとしなかったということは、
父親の言うこととはいえ、やはり本心から嫌だと思っているということなのだろう。
呆れたように言いながらもどことなく嬉しそうなリナを見て、そういえば三日ぶりに笑
顔を見たと気が付いたのだった。
最終更新:2011年06月20日 22:25