170 名前:纏さんと夢遊病~前編~ 1/10[sage] 投稿日:2011/04/26(火) 23:05:39.96 ID:kirrBhHIO [21/29]
それは、月怪しく光り桜の花散る、夜の出来事――。

その日、俺は休日だったのをいいことに、山田の家で遅くまで遊んでいた。

「もうこんな時間かよ。親にどやされるー」

時計は既に午後10時を示している。門限なんか無いに等しい緩い家庭に生きてはいるが、

さすがに嫌味か怒声の一つも聞かされる時間である。

どう言い訳したものか。まさか、おっぱい談義に花を咲かせていたなどとは口が割けても言えまい。

あれやこれやと悩むうち、ふと前方を見ると、誰もいない路地をふらふらと歩く人の姿があった。

肩まで伸びた黒い髪、そして時代錯誤の和服姿。

遠目に見ても間違いようのない、纏の姿だった。


171 名前:纏さんと夢遊病~前編~ 2/10[sage] 投稿日:2011/04/26(火) 23:07:13.45 ID:kirrBhHIO [22/29]
(なんだあいつ、こんな時間に出歩いてたら補導されんぞ?)

自分のことは棚に上げ、他人の心配なぞしている俺である。

「おーい、纏ー。何してんだお前ー?」

そう、声をかけたが、纏は聞こえているのかいないのか、一向頓着せずに歩みを進めていく。

「聞こえてなかったのか? おぉぉぉぉい! 纏ぃーーー!!」

今度はさらに大きな声を出し、纏の気を引こうとするが効果は現れない。

聞こえているのに無視されているのかと思うほど、清々しいほどに反応がない。

あまり大声を出し続けても近所迷惑ではあるし、焦れったくなってもきたので、次は走り寄って声をかけることに決めた。

「おい、無視すんなよ。お前、纏だろ?」

そう言って、纏の肩に手をかけようとしたまま、俺は立ち止まった。

その時、纏の身に見つけた重大な違和感。それに気づいた瞬間、俺の背筋に冷たい物が走っていた。

纏は、靴を履いていなかった。
裸足のままアスファルトを踏み、外へ出歩いていたのである。


172 名前:纏さんと夢遊病~前編~ 3/10[sage] 投稿日:2011/04/26(火) 23:09:06.06 ID:kirrBhHIO [23/29]
唖然とする俺を尻目に、纏は相変わらずのらりのらりと遅い歩みを進めていた。

意を決してその横顔を覗き見ると、確かに纏は纏なのだが、何処かいつもの纏ではないように感じてしまう。

顔つきが、虚ろなのだ。目に光がなく、まるで死んだ魚か苔のようだ。

そもそも顔を覗き込まれているのに、相手を一瞥すらしないこと自体異様である。

一体纏の身に何が起こっているのだろう。これは纏の意思によるものなのか、それとも何かの陰謀か。

そんな俺の心配も意に介さず、纏は、住宅地の中心に位置する児童公園へと入っていく。

纏のおかしな様子が気になった俺は、彼女が何をするつもりなのか、こっそり覗き見ることにした。


173 名前:纏さんと夢遊病~前編~ 4/10[sage] 投稿日:2011/04/26(火) 23:10:38.64 ID:kirrBhHIO [24/29]
纏が入っていった公園は、遊具も少なく、大して規模も大きくない貧弱なものである。

昔は二人してよく遊んだりもしたのだが、今は少子化に拍車がかかり、夕方でさえ子供の姿を見ることは少ない。

そんな場所に何の用かと思っていると、纏はおもむろに、ジャングルジムに登りはじめた。

和服の裾から艶かしい太股がちらりし、普段なら目を逸らすところなのだが、場合が場合なのでそれも出来ない。

鉄格子の山を登りきると、纏は頂上から虚ろな表情のまま下界を見下ろし、登ったのとは反対側から下りてゆく。

それを三度繰り返した後、次に纏は砂場へ向かって砂山を盛り始めた。

砂で足が汚れるのは気にならないのだろうか。そう思った矢先に、作った砂山を蹴たぐって俺の心配を見事破砕してくれたりする。

それも何度か繰り返しすと、最後に纏はブランコに尻を落ち着けた。

うつむきがちに顔を伏せ、キィキィと錆びた音のするブランコをゆする。

その様子は、まるで迎えに来る親を待っている子供のようだ。

そのまま五分が経ち、十分が経ち、十五分が経とうとした頃、ようやく纏はすくと立ち上がり、
もう用はないとばかりに公園を後にしようとした。

そこまでが、我慢の限界だった。


176 名前:纏さんと夢遊病~前編~ 5/10[sage] 投稿日:2011/04/26(火) 23:12:23.53 ID:kirrBhHIO [25/29]
「纏!!」

俺の横をすり抜け帰ろうとする纏の肩をつかみ、乱暴に揺らした。

「纏、俺が分かるか!? おい、纏!!」

そこまでして、纏はやっと俺の方を振り向き、そして

「……タカシ?」

消えていた蝋燭に火が灯るように、意識が戻ってきたようだった。

「良かった……いつもの纏だ」

「タカシ、主ゃあこんなところで何をしとるんじゃ?」

「それはこっちの台詞だ! お前、ここがどこか分かってるのか?」

「何処って……え?」

纏は、自分が公園にいることに気づいていなかったらしい。

俺が簡単に事のあらましを伝えると、纏は真っ青になってこう答えた。

「なぜこんなところにいるのか、全く覚えていない」、と。


177 名前:纏さんと夢遊病~前編~ 6/10[sage] 投稿日:2011/04/26(火) 23:14:02.46 ID:kirrBhHIO [26/29]
公園に備えられたベンチに腰を落ち着け、俺は纏の話を聞いてやることにした。

「最近、朝起きると妙に足の裏が汚れているとは思うておったんじゃが……」

そりゃ、毎夜毎夜公園まで出かけてたら足も汚れるだろう。
ということは、纏のこれは今日に始まったことではないらしい。

「しかし、なんでこんなことになっとるのか、皆目見当がつかぬ……」

「それってもしかして、夢遊病って奴なんじゃないか?」

俺は纏の様子を観察している間、ずっと頭に浮かんでいた病名を口にした。

「夢遊病とは、なんじゃ?」

「寝てる間に無意識に体が起きだして、勝手に行動しちまう病気だよ」

夢遊病。心のうちに抱えた葛藤やストレスが原因で、就寝後に体が動き出す睡眠障害のことだ。

尤も、俺の知識は漫画によるものがほとんどなので、本当に夢遊病なのかは分からないが。

「そんな病気があるのかえ……儂はどうすればええんじゃ」

纏は困惑したまま、瞳に涙をためていた。

そんな様さえ可愛いと思うのだから、俺の業は深いと思う。


179 名前:纏さんと夢遊病~前編~ 7/10[sage] 投稿日:2011/04/26(火) 23:15:53.87 ID:kirrBhHIO [27/29]
「とにかく、一度病院に行ってみな? 纏んちの親もまだ気づいてないんだろ?」

「嫌じゃ。両親に心配をかけるような真似はしとうない」

「だからってこのままうろつき続けたら、いつか警察にだって補導されちまうぞ」

この数日、纏が夜半に出歩いて捕まらなかったのは、単に運が良かったからに過ぎない。
これから何もないと考える方が都合のいい考えというものだ。

「……タカシ、儂を助けておくれ。こんなことを頼めるのは、主しかおらぬ」

「助けるったってなぁ……」

こういうことは専門家に任すべきだという俺に対し、纏はあくまでも自分で対処したいらしい。

「明日の夜、儂の家にこっそり来てくれぬか。そして儂が起き出したなら、縄で縛ってでも捕らえて動かぬようにしておくれ」

「うーん……」

個人的には了承しかねる提案だったが、ノーと言えば纏が納得すまい。

しぶしぶながら俺は、纏の案を呑んでやることに決めた。


181 名前:纏さんと夢遊病~前編~ 8/10[sage] 投稿日:2011/04/26(火) 23:17:31.61 ID:kirrBhHIO [28/29]
その翌日の、午後九時――。

俺は約束通り、纏の家へやって来ていた。正確には、纏んちの倉の中、であるが。

纏の家の敷地は地味に広く、中には物置小屋と化した土蔵がある。

纏は機を見て家を抜け出し、その土蔵に隠れているので、俺は纏がおかしな
行動をしないよう、そこで見張っていてくれろ、ということだそうだ。

全くもって我が儘な要望な上に、根本的な解決には何一つなっていない。
なっていないが、他に代替案もないので素直に従わざるをえない。

纏の両親に密告しようかとも考えたが、それもなんだかすっきりしないので、やはりこうするしかなかったのだろう。

正面玄関をさけ、裏の勝手口から纏宅へ侵入すると、すでに纏は倉の中で膝を抱えて待っていた。

「よう来たの……」

そう呟く纏の顔は、すでに眠気でとろんとしている。

「そりゃ約束だからさ。にしてもお前、こんな時間にもう眠れるのか」

「儂は毎日九時には布団に入る……家族も同様じゃ」

なんという健康優良一家なのか。全く羨ましくない。


182 名前:纏さんと夢遊病~前編~ 9/10[sage] 投稿日:2011/04/26(火) 23:19:51.55 ID:kirrBhHIO [29/29]
纏の横に腰を下ろすと、体育座りで毛布を膝にかけ、纏は俯いていた。

「……なぁ、タカシよ」
「うん?」
「なんでこんなことになったんじゃろうな……」

本人にも分からない原因を、俺が知る由もない。

「さぁな。でかい葛藤やストレスなんかがあれば、かかる病気らしいけど」
「葛藤……か」
「心当たりはないのか?」
「……無くはない」
「じゃあ、それを取り除かなきゃ夢遊病は治んないぞ?」
「うるさい、そんなことくらい分かっとるわ!」

纏は小声で怒声を放ち、毛布を俺に放り投げる。てっきり自分の膝掛けにしている毛布を
放ったと思ったのだが、それは纏の膝に乗ったままだ。

「……これ、俺にか? 気が効くじゃん」
「主に頼み事をして、風邪でもひかれたら後味が悪いでな」

そんないつも通りの会話をつらつらと続けるうち、纏は眠りへと入っていった。
これで襲われないと思われているんだから、男として誇るべきか嘆くべきかは実に悩ましい所だ。

そして一時間が経ち、時計が午後十時を指し示したころ、纏の体に異変が起こった。


191 名前:纏さんと夢遊病~前編~ 10/10[] 投稿日:2011/04/27(水) 00:03:37.49 ID:Bd7qJKghO [1/3]
暇を持て余した俺が携帯をいじっていると、体育座りで眠っていた纏が、
何の前触れもなくすくりと立ち上がった。

「どうした? トイレか、纏……」

そうではなかった。纏の顔からは昨日と同じく、色と意識が消えていたからだ。

「……ついに、来たか」

そしてこれは、俺の選択の分水嶺でもあった。

纏からの要望に応えるなら、ここで纏を捕まえて、起こすなり縛るなりしなければならない。

そして、もっと根本的な解決を目指すなら、纏本人とその一家に怒られるのを承知で、纏の両親に報告すべきなのだ。

しかし、俺はそのどちらも選ばなかった。俺はあえて、纏を放置することにしたのだ。

それでどうなる保証もない。けれど、纏の望みが我が儘なものなら、俺だって多少の我が儘を通してもいいはずだ。

それに、昨日の纏を見た時から、何故か俺には纏の葛藤が、俺に原因がある気がしたのだ。

今日は土蔵の中にいたので、纏が裸足で歩き回ることを心配する必要もなかった。

俺を信用してくれた纏には悪いが、俺は俺の直感を信じて、また纏の後を着けさせてもらおう。


最終更新:2011年05月01日 19:11