1◆
ウラインターネットを駆け抜けつつ、後ろから追って来る気配がない事を確認する。
やはりフレイムマンには、元々キリト達を追う気がなかったのだろう。
仮にそれがブラフで、安心したところへの不意打ちが目的だったとしても、フレイムマンの攻撃は炎を使ったものだ。
そして炎はその性質上、能力を発動する瞬間はどうしても周囲を照らし、目立ってしまう。特にこんなダンジョンの様に薄暗い迷宮なら尚更だ。
炎以外の能力……特に隠密(ハイド)系の能力を持っているのなら話は別だが、照らす炎と隠れる影は基本的に相性が悪い。その可能性は低いだろう。
あるいは、あの場所で転移してくるプレイヤーを待ち伏せするつもりなのだろうか。
だとすれば、逃げている自分達にとっては好都合だ。
アメリカエリアから転移してくるプレイヤーたちは危険だが、今はその事を気にしている余裕はないし、どうにかする力もない。
あそこへ誰も転移してこない事を、あるいは転移してしまっても、自身でどうにかしてくれる事を祈るしかない。
「ふう………ここまで来れば、一先ず安心かな?」
駆け抜けた通路を念のために振り返り、見える範囲に炎の一つも見えない事を確認してから、キリトはそう一息を吐いた。
同時にずっと抱えていたSDクラスの頭身をした少女を地面に下ろし、安心させるように声を掛ける。
「大丈夫、怪我はしてない?」
「はい……私は大丈夫です」
「そっか、よかった。俺はキリト、君の名前は?」
「レン……浅井レンです」
「レンさん、だね。よろしく」
「………………」
俯きがちに名乗り返したレンへと、握手を求めて右手を差し出す。
が、レンは差し出された右手を呆と見つめるだけで、握手は返ってこなかった。
いかに窮地を助けたとはいえ、まだ信用されたという訳ではないのだろう。
そんなふうに納得して、僅かに苦笑いしつつ出したままの右手を下した。
「それじゃあレンさん。出逢っていきなりで何だけど、レンさんの支給品を教えてもらっていいかな?」
「私の、支給品……ですか?」
「ああ。これから迂回して野球場を目指すわけだけど、その途中でまたフレイムマンみたいなヤツに遭遇するかもしれない。
そうしたら戦いになる可能性は高いし、相手によっては君を守りながら戦うのは難しくなる。
なるべく戦闘は避けるつもりだけど、その時にはレンさん自身に自衛してもらう必要が出てくる」
無論、レンを戦線に立たせるつもりはないし、そうなる前に逃げるつもりではある。
だが口にも出したように、もし今の装備でフレイムマンレベルの相手と戦う事になった場合、彼女を守りながら戦う余裕さすがにはない。
レンを助け出した時はフレイムマンが追ってこなかった為に余裕ができたが、もし今も追われていたらと思うとゾッとする。
故に、もし仮に余裕のない戦闘になってしまった時、レンが丸腰のままという事態を避けるためにも、支給品の確認が必要なのだ。
「そうなった場合に備えて、少しでも対策は取っておいた方が良い。……より確実にジローさんと合流するためにも、ね」
「……ジローさんと………はい、わかりました」
レンはそう言って頷くと、キリトへとアイテムを三つとも実体化させた。
その迷いないレンの行動に、キリトは少し驚いた。
予想ではもう少し説得が必要か、開示するにしても支給される最大三個の内の、一個か二個だけだと思ってからだ。
……その方が助かるとはいえ、こうもあっさりと応じてくれるとなると、彼女の今後が心配になる。
まあそれはともかく、レンに支給されたアイテムを一つ一つ確認する。
彼女に支給されたアイテムは、二丁一対の拳銃、山吹色のプレート、鋲がたくさんついたベルトの三つだった。
しかし、一つ目の拳銃のアビリティは非常に有効だったが、生憎とこちらは銃器メインのGGOですら光剣を愛用する様な生粋の剣士だ。
もしこれが片手剣であれば一も二もなく貰いたかったところだが、銃では使いこなす事は難しい。
二つ目のプレートは防具に該当するアイテムらしいが、残念ながら既に防具を装備している。
防具のアビリティは現在効果を発揮できないが、その状態でもプレートと大差はなかった。
三つ目のベルトはアクセサリに該当し、装備すればデバフ系のスキルを使えるようだ。
だが自身の役割はあくまで前衛。ソロの時ならともかく、パーティーを組んでいるのなら、サポートは仲間に任せた方が効率的だろう。
「それじゃあレンさん、これらのアイテムを装備して」
「はい……わかりました」
そう言ってアイテムを返すと、レンは言われたとおりにメニューを操作してアイテムを装備していく。
結果として三つともレンに装備させる事になったわけだが、元々レンに支給されたアイテムだ。だからきっと、これでよかったのだろう。
それに、これで安心という事にはならないが、保険としては十分な装備になっているはずだ。
あとは、俺がうまく立ち回れるかどうか、といったところだろう。
「レンさん、準備はできた?」
「はい。いつでも動けます」
「よし。それじゃあ行こうか、レンさん」
「はい」
レンの準備が出来た事を確認すると、ウラインターネットの奥へと足を踏み入れる。
ウラインターネットは迷路の様な複雑な構造になっている。闇雲に進んでも迷うだけだ。
故に一先ず、ネットスラムへと向かう。そこからならば、ファンタジーエリアへと続くゲートへも移動しやすくなるだろう。
「………………、?」
ふと、自分の傍から、遠ざかって行く足音が聞えた。
レンはちゃんと付いてきているのかと、気になって振り返ってみれば、
彼女は迷いなく、“目的地”へと向けて歩いていた。
つまり、自身とは全く逆の方向――“野球場”へと。
「ってちょっと待ってレンさん! そっちじゃないって!」
「え? でも、ジローさんに会いに行くんですよね? だったら、野球場へ行かないと」
慌てて引き返し、彼女の手を取って引き留めると、レンは不思議そうに答えた。
彼女の視線は、野球場への最短ルート。つまりフレイムマンの待ち構えるゲートへと向いている。
「だから、あのゲートはフレイムマンがいて危険だから、一度迂回するって言っただろ」
「でも、ジローさんが……」
「っ……。必ず君を、ジローさんの所へ連れて行く。だから俺を、信じてくれ」
「でも、…………わかり……ました」
レンは俯きがちにそう応える。その様子からは、彼女がまだ納得していないようにさえ感じ取れる
それほどまでにジローに会いたいのか、それとも現状を理解できていないのか。
いずれにせよ、このまま自由にさせていると、またフレイムマンのところへ行こうとするかもしれない。
彼女の様子にそう判断し、勝手にどこかへ行かない様にレンの手を掴む。
握手の時と違い……あるいは同じように、レンはその事に何の反応も返さない。
まるで、手を繋ぐという事が解っていないかのようだ。
「行こう、レンさん」
「……はい」
先程とは違い、躊躇っているかのようにその反応は鈍い。
これは道中、非常に苦労しそうだと、キリトは思った。
†
―――そうして、あれから数十分が経過した。
迷路のように複雑に入り組んだウラインターネットを、頭の中でマッピングしながら進んでいく。
マッピング自体は慣れた作業である為、通路の構造が変動しない限りは何の問題もない。
だが正しい道を選んでいる自信はなかったし、なにより。
「はやく野球場に行かないと……ジローさんが、待ってるのに………」
レンという少女の存在が、キリトの進行を遅らせていた。
無意識の行動なのか、レンは少しでも目を離せば【B-10】のゲートへと向かおうとするのだ。
しかもその傾向は、野球場から遠ざかるほど徐々に酷くなっていく。
おかげでほとんど常にレンの手を取って移動せねばならず、必然とキリトの移動速度は彼女に合わせたものとなっていた。
「くそ。ネットスラムに辿り着ければ、現在位置や大まかな距離が割り出せるのに」
キリトは自分の正確な位置さえ分からない状況に、マッピングを続けながらもそうぼやいた。
これまでのマッピングから、自分達が地図で見て北側に向かっているのは判っている。
だが、まだ【B-10】に居るのか、それとも既に【A-10】に移っているのかが判別できないでいた。
「一度西側へ向かってみるか? さすがにそろそろネットスラムの近くだろう」
ネットスラムは【A-10】と【B-10】を跨いでいるため、行き過ぎてさえいなければ辿り着ける。
背後のレンを見てみれば彼女はいまだに名残惜しそうに南側――つまり野球場の方を見ていた。
彼女の為にも、一刻も早くウラインターネットから脱出した方がいいだろう。
「レンさん。これから進路を変えてみるけど、大丈夫?」
「そっちに行けば、ジローさんに会えるんですか?」
「それは判らないけど……でも、必ず君をジローさんのところへ連れて行くから」
「わかり……ました。ジローさんに会えるなら、がんばります」
レンの心の中心にはいつもジローがいる。というより、彼以外の事を考えている様に見えない。
かつてアスナがそうなりかけた様に、こんなデスゲームという極限の状況では、人の心は容易に追い込まれてしまう。
だとすれば、彼女はジローに縋る事で壊れそうな心を守っているのか、あるいは、もうすでに――――
いずれにせよ、ジローに会えれば彼女も少しは落ち着いてくれるだろう。
だが逆に、ジローに依存しているレンの心は、時間が経てば経つほどに追い込まれていく。
だから彼女が我慢できている今の内に、ジローが居るはずの野球場へ辿り着かなくてはならない。
キリトはそう考え、レンの手を引きながら足早に先へと進んでいく。
そんな中、キリトは不意に一人の少女を思い出した。
―――結城明日菜。自身の恋人である少女の事を。
「無事でいてくれ……アスナ」
キリトはアスナの事を思い、思わずそう口にする。
自分がこうしてここに居る以上、彼女がここに居ないとは限らない。
仮に同様に巻き込まれていた場合、フレイムマンの様な強敵と彼女が遭遇しないとも限らないのだ。
それにこの会場に居なかったとしても、こんな事態に巻き込まれた自分を知ったら、ジッとしているとも思えない。
かつてアスナは、自分のいない世界など、生きている意味はないと言った。
そう。自分が背負っているのは、決して自分一人だけの命ではない。
彼女の為にも、こんなところで死ぬわけにはいかないのだと、キリトは決意を新たにした。
2◆◆
パネルの上に転がったアイテムの内二つをストレージへと回収し、詳細情報を確認する。
分類はアーマーとアクセサリ。名称は【ゆらめきの虹鱗鎧】と【ゆらめきの虹鱗】。名前からして同系列のアイテムだろう。
効果は防具の方が全てのダメージを二十五パーセント軽減し、アクセサリの方が獲得GPとドロップ率を二十五パーセント増加させるというものだ。
防具の方は非常に有効だが、アクセサリの方はこのデスゲームにおいて意味があるのか? と思わずにはいられない。
しかし、支給された以上は何かしらの意味があるのだろうと判断し、メニューを操作して装備する。
次いで三つ目のアイテム――先程破壊した人間が使っていた武器を手に取る。
名称は【虚空ノ幻】。騎士の様な人間が使っていたとは思えない、禍々しい形状の剣だ。
詳細を見てみれば、この剣には攻撃した相手のHPを吸収する効果があるようだ。これもまた、防具と同様に有効な武器だと言える。
ただこの効果を発揮するには、この剣で直接、スキルを使わずにダメージを与える必要があるらしい。つまりは接近戦だ。
「………接近戦、か」
先程の戦いを思い返す。
騎士の様な格好の人間と、ネットナビと思われるロボットのコンビネーション。
自身のオーラを破壊する程に息の合った一撃は、人間にしては感心に値するものだった。
そしてそれにより浮き彫りになった、数少ない自身の欠点が一つ。即ち、近接攻撃手段の乏しさだ。
無論、接近戦用の技術や能力(アビリティ)がないわけではない。
だがこれまでに戦った大抵のナビは、シューティングバスターだけで事足りる程度に弱過ぎた。
そして強敵相手では、小手先の技ではなくアースブレイカーの様な破壊力のある一撃がモノを言った。
加えて、そもそもオーラを破壊できるナビなどそうおらず、大概において一方的な戦いが可能だった。
だが今回の様に、他者と協力する事でオーラの破壊を可能とする二人組には出逢った事がなかった。
なぜなら群れるのは弱者であり、強者とは孤高なる者だからだ。
近接戦闘の攻撃手段とはようするに、多数を相手にした時の立ち回りだ。
ザコならばいくら群れたところで物の数ではないが、もしオーラを破壊された状態であの二人と戦えば、常よりは手間取っていたかもしれない。
……もっとも、それでも自分が勝利したであろう事には、何の疑いも浮かばなかったが。
「試してみるか」
メニューを操作して剣を装備し、一振りしてみる。……手応えはわからないが、感覚は悪くない。
これを機に、現在の自分がどれほど接近戦に対応できるかを試してみるのも良いだろう。
それにはやはり、それなりに近接戦闘が得意なヤツを相手にするのがいい。
あるいはそいつを倒し、そのスキルなりアビリティなりを奪ってもいい。やりようはいくらでもある。
「あとは相手だが……」
デスゲームに呼ばれた時の状況から、このネット上には複数の人間がいる事はわかっている。
だが今いるウラインターネットは複雑な構造をしており、ここで相手を探そうとなると一苦労するだろう。
となると。
「ネットスラムとやらに行ってみるか」
己の知るウラインターネットには存在しなかった区域、ネットスラム。
そこならばきっと、誰かが興味本位に寄ってくるだろう。
そう考え、四つ目のアイテム、付近をマッピングしたメモを手に取る。
あまり探索できていなかったのか、マッピングされた領域はそれほど広くない。
「ふん……まあ、場所の予想は付けられるか」
書かれた内容を記憶し、自身のソレと照らし合わせると、不要となったメモを捨てる。
ネットスラムの場所のある方向の、大体の予想は付いた。あとはそこへ向かうだけだ。
「………………」
最後に、足元に散らばるデータの残滓を一瞥する。
人間のアバターはもう跡形もない。残るデータ片も、そう間もなく消えるだろう。
浮かぶ感情は、やはり憎悪だけ。それ以外に懐く想いなどありはしない。
………ならばなぜ、憎悪という感情を懐くのか。その根源には、瞼を閉じて静かに蓋をした。
やる事は変わらない。
ネットの全てを破壊する。
その為の“力”を手に入れる。
“より強くなる”。―――それだけだ。
「…………ふん」
と、苛立たしげに唸り、データの残滓から視線を切る。
もうこの場所に居る意味はない。銀色のナビが戻ってくるかもしれないが、態々待ち構える理由もない。
そうしてフォルテは、ネットスラムへと向けて立ち去った。
………人間への憎悪を、胸の内に滾らせながら。
3◆◆◆
「―――ここが、ネットスラムか」
そうして間もなく。キリト達は朽ち果てた廃墟の街の入口にいた。
ネットスラムは、荒廃した街の名に相応しい有様で、いつかたった一度だけ見た対戦ステージに、どこか似通った雰囲気があった。
とは言っても、あのステージのような、いかにも世紀末と言った感じではなく、どちらかと言えばジャンクヤードに近い感じではあるだが。
「ちょっと危なかったな。もう少し気付くのが遅かったら、通り過ぎている所だった」
目的地に無事に辿り着けた安堵から、キリトはついそう零した。
ノイズの中に紛れるようにしてあった光。それに気付かなければ、いまだにネットスラムを彷徨っている所だった。
だが同時に、この会場は“意外に狭い”と言う事がこれで解った。
およそ二百五十から三百メートル四方。それがキリトの導きだした一エリアのサイズだ。
これは地図上における施設の大きさや、これまでのマッピングから予測したエリアサイズだが、恐らく間違っていないだろう。
だがバトルロワイアルの参加人数の関係からか、あるいは別の理由からかは分からないが、大人数の対戦フィールドとしては狭すぎる。
これではまるで、バトルロワイアルが進行するのを急いでいるような印象さえ受ける。
ただその場合、ゲートの形状の理由と、デスゲームの進行を急ぐ理由が矛盾してしまう。
とは言っても、単純にウラインターネットだけがその形状、そのサイズなだけかもしれないが。
加えて言えば、たったそれだけの距離なのにネットスラムを視認できなかったことも疑問だ。
確かにウラインターネットは複雑であり、視覚を遮る障害物が無いとはいえ、薄暗く視界が悪い。
だがそれでも、街規模の施設を見失わない程度には周囲を確認していたはずなのだ。
………もしかしたら、ある一定以上の距離からは遠近エフェクトが通常より強く掛けられているのかもしれない。
その強化された遠近エフェクトに、ウラインターネットの視界の悪さが相まってスラムの発見に手間取ったのだろうか。
そんなふうにキリトは考えたが、今は先にすべき事があると頭を振って思考を棚上げした。
掛けられたシステム制限の調査解析は重要だが、今はそれよりもレンをジローの下へと連れて行くことが先決だと判断したからだ。
そうしてキリトは周囲を警戒しつつも、レンの手を引いてスラムへと足を踏み入れた。
「『ネットスラム』へようこそ☆」
背後から唐突に声をかけられたのは、その直後だった。
「っ―――! って、犬……なのか?」
驚きと共に振り返れば、そこには丸いテレビの様な頭をした、犬の様な何かが居た。
見たところ、モーションはほとんど犬のものなのに、いや、だからこそテレビの頭部が異様さを醸し出している。
「まあ、それはそうと、やっぱりここはネットスラムなのか。
……えっと、ここがどういうところなのか、教えてくれないか?」
その犬(?)へと向けて質問を投げかける。
彼の正体はわからないが、声を掛けてきたという事は、ある程度の応答する能力があるという事だ。
今は多少の不明は放っておいて、少しでもネットスラムの情報を得るべきだろう。
「ハッカーと不正規AIの楽園……☆
いってみれば、『The World』のジャンクデータの寄せ集めです」
その言葉に周囲を見渡せば、まばらに人影を見かける事ができた。
だが彼らのアバターは不気味に壊れて(バグって)いたり、まるで顔文字の様な頭をしていたりと、普通のゲームではありえない外見をしている。
『The World』というのはわからないが、ジャンクデータという事は、普通は廃棄されるデータの集まりなのだろう。
それをここの住人――ハッカー達がどうやってかサルベージし、あるいは改造して使用しているらしい。
「ハッカー……ってことは、ここにいる連中は、みんな違法プレイヤーなのか?
というか、あんた達も俺達の様に、無理やりデスゲームに参加させられているのか?」
「そうだとも言えるし、違うとも言える。なにしろここの住人は全員、――――――。
っと、これは禁則事項に触れる様だね、残念☆」
「禁則事項?」
それはつまり、彼は何かを知っていて、それを喋る事を制限されているということか。
彼の口調はどうにも真実味に欠けるが、これは非常に有益な情報だろう。制限を解除する事が出来れば、何かが解るかもしれないのだから。
その事実に、ゲーマーとしての本能が若干騒いだ。
「いずれにしても、彼らがチーターである事に変わりはないさ。同じ反則どうし、アンタとは気が合うじゃないかな? 上手くすれば、アンタの望む情報が手に入るかもね☆」
彼はそう言うと、話は終ったとばかりに体を反転させ、立ち去ろうとする。
同じ反則、というのは気になるが、情報が制限されている以上、現状彼から聞ける事はないだろう。
他にも住人はいる事だし、特に引き止める理由はなかった。………彼の去り際の、その言葉がなければ。
「まあ、アンタの場合はチーターって言うより、ビーターって言った方が適当だろうけど☆」
「なッ…………!」
聞き逃せない言葉に、驚愕に声を上げる。「ビーター」と、彼は間違いなく口にした。
それは間違いなくキリトを指す蔑称だ。だがそれは、SAOでの話で、そしてここは決してSAOではない。
彼は一体何を知っているのかと、彼に掛けられた制限の事も忘れて追いかけて、
「あ……」
繋いでいた手が離れた事で、ようやく彼女の存在を思い出した。
思わず足を止め、レンへと振り返る。
彼女は不安そうな表情で、何かを探す様にネットスラムを見回している。
彼の去って行った方へと視線を戻せば、彼の姿はもう、どこにも見えなかった。
「一体どういう場所なんだ、ここは………」
先程彼から聞いた情報があってなお、深まった謎に空を見上げる。
黄昏に照らされたネットスラム空は、街並みとは段違いのクオリティ(美しさ)で鈍く輝いていた。
†
―――あれからキリトは、辺りを見渡しつつもネットスラムを歩き、時には住人へと話しかけて何かしらの情報を得ようと試みた。
だがその行動は失敗に終わった。彼らのほとんどが意味不明な言葉を口にするばかりで、碌に会話にならなかったのだ。
ここはハッカーと不正規AIの楽園との事だが、これまでに話しかけた住人からはプレイヤーの様な感情の揺らぎを感じられなかった
おそらく彼らのほとんどはNPC――先程の犬(?)曰く、不正規AIなのだろう。本当にこのスラムに、ハッカー(人間)がいるのだろうか。
「はあ。これは……相当に時間がかかりそうだ。今は諦めた方がよさそうだ」
キリトはそう口にすると、ネットスラムでの情報収集を断念した。
ここのNPC達が当たり前のゲームのような存在(設定)なら、誰か一人くらいは何か有益な情報を持った人物もいるかもしれない。
あるいはそうする事で制限が解除され、彼らの話せる内容が増えるのかもしれない。だとすれば、試す価値はあるが………。
しかし、と繋いだままの手の先を見て、諦めるように首を振る。
ソロで行動している時ならともかく、精神が不安定なレンを連れたままではそんな余裕はない。
「……いつ、ジローさんに会えるんでしょうか?」
「それは……わからない。けど、必ずジローさんに会わせるから。だから今は、外に通じるゲートを探そう」
ジローに会いたい。ただそれだけを口にするレンを、彼に合わせると告げる事で落ち着かせる。
確証のない約束を口にするたびに、かつての古傷が疼く。だが今はそれを気にしている場合ではない。
このままジローに会えなければ、彼女はきっと制止の声を振り切ってでも勝手にジローを探しに行くだろう。
そうなれば、彼女はフレイムマンの様な参加者に殺されてしまうかもしれない。それだけは、何としてでも避けなければいけない。
……時間はそう残されていない。
それは彼女だけではなく、自分の事に関してもそうだ。
あの榊が仕掛けたというウィルスが、このアバターには潜伏しているのだから。
キリトはそう思いつつも、記憶した地図とマッピングした通路の構造を照らし合わせる。
スラムの位置が地図の通りであり、自身のマッピングが間違えてなければ、自分達が入ってきた場所はスラムの東側に位置する。
だから反対側の西か、あるいは南側へと向かって進めば、フレイムマンを迂回して野球場へ辿り着けるはずだ。
そう考え、レンの手を引きながら、ネットスラムの奥へと更に足を進めた。
その時だった。
自分達と同じように、この異質なスラムから浮いている人影を発見した。
「あいつは、確か………」
ボロボロのローブを纏った、黒と橙を基調にした特徴的なアバター。
最初の空間で爆音を響かせたプレイヤーに間違いないだろう。
「…………。
ちょっと質問があるんだけど、いいか?」
少し迷って、声をかける。
ネットスラムの住人からは碌な情報を得られなかったため、彼から何か情報を得られないかと思ったのだ。
だが彼がフレイムマンの様なプレイヤーだった場合の事を考え、少し警戒する。
「また人間か……」
彼はキリト達を見据えると、つまらなそうに呟いた。
その様子から推察するに、まず友好的とは考えづらい。最悪の場合、戦闘になる可能性もある。
可能であれば彼の協力を得たかったところだが、止めておいた方がよさそうだ。
そう判断したキリトは、念のためにと警戒を続けながら、慎重に質問をする。
「俺はキリト。あんたの名前は?」
「………フォルテだ」
「じゃあフォルテ、ジローさん……っていうか、他のプレイヤーを見なかったか?」
名前を尋ね、重要な用件だけを聴く。単刀直入に、簡潔に。
経験上、この手のタイプは馴合いを嫌う傾向がある。用件を済ませてさっさと離れた方が、厄介事を避けやすいのだ。
加えて現在自分は、レンという厄介の種も抱え込んでいる。そんな自分に付き合わせては、余計な軋轢が生じるだけだ。
今の状況……デスゲームでは特にそうだ。
生き残るために協力は不可欠だが、合わない相手と無理に合わせようとしても、無駄な被害が生じ、結果として生存率は下がる。
それくらいならば、平時は必要最低限の付き合いで済まし、緊急時にのみ協力し合うだけの関係が丁度いい。
もし例外があるとすれば、それは―――――
「……ふん。人間の事など知らんし、興味もない」
「そうか、ならいいんだ。邪魔したな」
キリトはそう言うと、即座に踵を返して背を向け、レンの背中へと庇うように腕を回して早急にフォルテから離れる。
情報を得られないのであれば、長居をする理由はない。さっさとネットスラムから出て、ファンタジーエリアへと通じるゲートへと向かうべきだ。
そうして数メートルほど移動したところで、
「ッ――――――!」
じゃり、と土を踏む音が聞こえ、同時に奔った悪寒に背筋が粟立った。
思考するより速く、背後へと狙いも定めずに火剣・カガクを抜き放つ。
直後、響き渡る金属が打ち合う音。事態の確認より先にレンを抱え、更に後方へと飛び退く。
そして着地と同時に振り返り、フォルテへと向き直れば、彼は振り抜いた位置にある右手を感心そうに見ていた。
その数秒後、フォルテの手から弾き飛ばされた剣が、ネットスラムの地面に突き立った。
「ほう。今の一撃に完璧に対応するとは、お前も人間にしてはやるな。
しかもこの手応え。接近戦は相当なものと見た」
ニヤリと、フォルテの貌が凶悪に歪む。その表情はまるで、恰好の獲物を見つけたと言わんばかりだ。
………間違いない。フォルテはデスゲームにおける最悪の“例外”――レッドプレイヤーだ。
「……一応訊いておくけど、どういうつもりだ」
「ふん。答える必要を感じないな」
そう口にするフォルテからは、誰かを殺す事に対する覚悟や決意も、追い詰められたような切迫感も感じられない。
つまりこいつは、デスゲームとは何の関係もなしに、他者を殺す事を良しとしているのだ。
「そうか……」
小さく呟き、レンから手を離して火剣を構える。
対するフォルテは、弾き飛ばされた剣を地面から引き抜き、無造作に構えている。
それがフォルテの戦闘スタイルなのか。一見では型も何もないように感じられる。
だがその全身から放たれているプレッシャーは、あの最凶のレッドプレイヤーを思い起こさせた。
……しかし。
「レンさん、危ないから離れてて」
背後のレンへとそう指示をする。
「その女を庇いながら戦えるのか?」
「問題ないさ。それに生憎だけど、」
フォルテが挑発するようにそう訊いて来るが、その心配は無用だろう。
見たところ、フォルテの装備は禍々しい魔剣が一振りだけ。遠距離武器は見当たらない。
周囲を慎重に探ってみても、感じ取れる気配は三つだけ。奇襲の可能性は低いと思われる。
つまりレンを守るために意識を割く必要はなく、恐らくはその余裕もないだろう。それに何より、
「剣で負ける気は―――ないんでね!」
気合の声と共に地面を強く踏み切り、一足でフォルテへと迫る。
同時に片手剣ソードスキル〈レイジスパイク〉を、フォルテへと向けて突き放った。
4◆◆◆◆
――――夢を見ている。
……あれは、いつの事だったか。
今思い出しても、そいつは不思議なバーストリンカーだった。
身につけた黒革のロングコートに、背負った黒と白銀の二本の剣。
そして黒の王と同じ様な、《底知れなさ》を感じさせるその姿。
何より妙だったのは、そいつが人間の姿だったという事だ。
自身がそうであるように、通常のデュエルアバターはロボットめいた外見をしている。
唯一つ知っている例外は、出逢ったばかりの頃の黒の王だ。
彼女は本来のデュエルアバターを封印し、学内アバターを観戦用として登録する事で、生身に近い姿で加速世界へと訪れていた。
だがその状態で対戦――必殺技が使えるかと聞かれれば……その答えはわからない。
デュエルアバターに近い装備にすれば使えるのかもしれないが、尋ねた事も、試した事も一度もない。
だがそいつは確かに、完全な人間の姿で、剣と拳を交え、必殺技を駆使し、限界まで自分と戦ったのだ。
対戦の結果は、ほとんど互角と言っていい激戦の末の【DISCONNECTION】――回線の切断による、無効試合だった。
やはり生身のデュエルアバターというのは、本来あり得ない、何かのイレギュラーだったのだろう。
だがそれでも、負けていたのは自分だったと確信していた。何しろ相手は、こちらの最大の特徴である飛行能力を知らなかった。
言ってしまえば、完全な不意打ちを決めたのに互角にまで持ち込まれ、更には最後の一撃さえも、おそらくは届かなかったのだから。
『いいデュエルだったぜ。いつかまた――戦ろう』
回線切断によって消える際、そいつは最後にそう言い残した。
夢の中で、その言葉に頷きを返す。
そう。いつかまた、そいつと対戦する事があれば、今度こそ決着をつけたかった。
あれから何人ものバーストリンカーと出逢い、幾つもの対戦を重ね、レベルも上がり強くなった。
今ならば半ば不意打ち染みたことをせずとも、互角の対戦をくり広げられるはずだ。
だから次こそは、お互いの全力を出し切って――――
―――ああ、でも。
なぜ今頃になって、そいつの事を思い出しているのだろう。
これではまるで、予知夢でも見ているかのよう――――
†
「う、っ――ぐッ。………あれ? ここは?」
全身に走った痛みに、堪らず目を覚ました。
とても深く眠っていたらしく、どうにも頭がはっきりしない。
痛みで目を覚ました、という事は、ベッドからでも落ちたのだろうか。
寝惚け眼に瞼を擦れば、金属みたいに硬質な感触。見れば、そこにはシルバー・クロウの腕。
どういう事かと辺りを見渡せば、加速世界でも見たことのない様な風景が広がっていた。
どうして自分はこんなところに居るのか。ぼんやりとした頭で最後の記憶を辿り、ようやく現状を正しく認識した。
「ッ………そうだ、バルムンクさん!」
慌ててガバッと身を起こす。
そうだ。今は謎のデスゲームの最中。そしてここは裏インターネットと呼ばれる場所だ。
そこで翼を持った騎士――バルムンクと出逢い、そして先ほどまで、二人で黒い死神と戦っていたのだ。
それから――――。
「……そうか。僕は吹き飛ばされたのか」
思い出すのは、気を失う直前。
あの死神のバリアを貫き、勝機を見出したその瞬間、閃光と伴に強烈な衝撃波が全身を打ち据えた。
おそらくはその際に吹き飛ばされ、気を失ったのだ。見ればHPゲージも、残り五割を切っていた。
改めて周囲を見渡す。
迷路の様な空間が広がるばかりで、辺りに人影は全く見えない。
戦いの音も聞こえないという事は、かなり遠くへと吹き飛ばされたのだろう。
「―――急がなきゃ。バルムンクさんが危ない」
バルムンクは自分と同時に攻撃していた。まず間違いなく彼もダメージを受けている。
自分と同じように吹き飛ばされ、あの死神と離れ離れになっていればいいが、そうでない場合、彼一人でアイツと戦わなければならなくなる。
アイツを相手に、バルムンク一人で戦うのは危険が大き過ぎる。急いで合流する必要がある。
背中から左右十枚の金属フィンを展開し、ノイズの奔る空へと飛び上がる。
ウラインターネットは迷路のように複雑な構造をしており、慣れてない人間には詳細な地図でもないと迷いかねない。
だが天井のない迷路など、空を飛べるシルバー・クロウにとっては平原と変わりない。その為に必要な必殺技ゲージも、ダメージによって十分溜まっている。
当然空を飛べば、その分多くの人に見つかりやすく、同時に危険人物からも狙われやすくなるが、今はそのリスクよりもバルムンクの方が心配だった。
最終更新:2014年01月12日 11:28